照る日曇る日 第445回
講談社から刊行されている天皇の歴史シリーズの第5巻であるが、ここでは戦国時代に我が国を天下統一に導いた三英傑と天皇の関係について述べられている。
己を天下人であり国王であり天皇以上の存在でありと自負していた織田信長は、一貫して朝廷とは距離を置き、彼にひたすら媚を売る正親町天皇を適当に利用しながら、基本的に無視していた。天皇と天皇制を見事なまでに小馬鹿にしていたのである。
信長は後継の秀吉、家康と違って、徹底的に朝廷の権威や秩序を無視して己の唯我独尊を貫こうとしたあたりがいっそ快い。
秀吉の交渉相手も信長と同じ正親町天皇であったが、同じ天下人とはいっても成り上がりの秀吉と信長ではなかなか対等という訳にもいかず、雲上人のご機嫌(天気というそうだ)を取り結びながら下から籠絡しようとする態度が印象的で、関白の位階欲しさに正親町にすり寄る秀吉の姿は醜い。
秀吉が信長と同様に朝廷を牛耳るようになるには御陽成天皇の就任を待たねばならなかった。しかし秀吉の死後彼が望んだ後継者を拒否し、彼が願った「新八幡」の神称を拒んだのは他ならぬ御陽成天皇であった。
前任者たちの対応を醒めた目で観察し、天皇および天皇制にもっとも致命的な打撃を与えたのは、やはりというか、さすがというか天下の知恵者徳川家康であった。彼は死の直前にみずからの発案で禁中並びに公家中諸法度を制定し、御陽成の後継者である御水尾天皇の権威と権力を完全に奪い取り、名実共に朝廷を武家の支配下に治めたのである。
こうしてつらつら眺めてみると、信長が搗き秀吉が捏ねた餅を家康がうまそうに頬張るという図式もあながち漫画ではないような気がしてくるから不思議である。恐らく三英傑のうちで最も優れた政治家は最後の者であったのであり、彼が主導して統治した256年間が、この国の民衆にとって最も幸福な時代であったのもむべなるかな、と言わずにはおれない。
だんだん好きな人が減って嫌いな奴が多くなる 蝶人
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