闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.300
横尾忠則が紀伊国屋で訳も分からず本を盗んで社長の田辺茂一の自著をもらったり、横山リエが佐藤慶と渡辺文雄に犯されたり、横山と横尾が状況劇場の麿赤児や李礼仙と赤テントで共演したり、突然横山リエがオシッコしたり、佐藤慶がセックスというのは不感症的な性器を感じるようにすることだと語ったり、新宿東口派出所が襲われたり、西口広場でフォーク集会が開かれたり、東口広場でパフォーマンスが行われたり、まるでいきあたりばったりの即興的演出だが、それでも辛うじて「映画」という古典的な範疇に収まっているのは、35ミリや8ミリ手ぶれフィルムからから終始正体不明の訳の分からない60年代潜熱がマグマのように放射され、よく考えてみれば無意味で無内容な言説が恥知らずな直截性と鈍重な肉体性によって覆われているからであって、けっしてこの映画における大島(たち)の視線が男は女を犯す存在であり女は男から犯されるのを待っているなどという安直なテーゼを爬虫類の脳内に安置し、♪ひとつでたほいのよさほいのホイ的なあからさまな男尊女卑のどうしようもない下劣な猥歌で全篇が彩られているからではないのだよ。
この夏も現れ出でたる大ウナギ毎晩川を悠々と泳ぐ
こんな長さのこんなぶっといウナギでねと腕がどんどん伸びてゆく 蝶人
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