闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.299
観光とは、文字通り「光を見る旅」、その土地に眠る霊たちを巡る旅である。
だから広島・長崎へ観光した人は原爆の灼光を見、京都では応仁の乱、奈良では聖徳太子や長屋王一族の死者たち、鎌倉では北条一族と彼らが虐殺した御家人たちの怨みをのんだ最期の眼の光を、彼らがそぞろ歩く地面の下に痛々しく感じるのである。
よしんば観光客が地表の風物しか見ていなくとも、地底深く眠る諸霊たちはその血まみれの視線を地表に向けている。移動する彼らは、意識しようがしまいが、地霊から見張られ続けているのだ。
昭和20(1945)年3月10日未明、現在の台東・墨田・江東区のいわゆる下町地区は、米軍の爆撃機B29による空襲を受け、死者およそ10万人、負傷者4万人、罹災者100万人という未曾有の大被害を被った。そして今でも浅草を訪れて、雷門から仲見世を通り、観音堂の裏手に至ると、この業火に焼かれて死んだ亡者たちが水を求める声がいまなお聞こえてくる。
「異人たちの夏」は、原作者の山田太一がその浅草で非業の死を遂げた人々の霊に捧げた鎮魂歌である。そして浅草伝法院通りの葡萄棚の露店を潜り抜ければ、今でも秋吉久美子と片岡鶴太郎夫婦が、私たちを歓待してくれるだろう。
たった一匹のお前のためにもうもうと焚く蚊取線香 蝶人
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