バガテルop158&広告戯評第17回&♪音楽千夜一夜 第278回
マツケンサンバが登場したときはちょっと新鮮だったが、しばらくすると彼奴はどうも軟弱かつ邪道であると思うに至り、かの東海林太郎や藤山一郎が直立不動の姿勢で朗々と歌い上げるあの姿を懐かしく思い出すようになった。
そこで改めてこの節のミュージック番組を見ると、その多くが歌いつつ踊っているので驚く。SMAPなんてあれくらい下手な歌い手は素人でも珍しいのに、懸命に下手な踊りもやっているし、EXSILという集団には凡庸極まりないボーカルが2人くらいいるが、なぜか歌も歌えない黒幕が金魚の糞のように背後で踊りまくっている。
またPerfumeという能面女子3人組は歌詞の速さについていけないのかいつも口パクだが、ああやって死にもの狂いで踊っているのが良しとされるのだろう。ともかく今が歌より踊りの時代であるということだけはよく分かる。
先頃NHKで放送されていた70年代のロックミュージックのライブ映像集をつらつら眺めていたのだが、ビートルズもアバもデビッド・ボウイも歌うだけで踊ってはいない。ジャクソン・ファイヴやローリングストーンズは踊っているが、やはり歌がメインで踊りはつけたしである。同じ番組の80年代シリーズもすこし前に放映されていたが、ここでも歌って踊る派は少数派で、ダンスミュージックや「終始歌いつつ踊る歌手」が主流になったのは80年代の終わりから90年代にかけてと言えそうだ。
そういえばバブルがはじけてからは唯脳的な思想の限界が指摘されて、従来看過されていた身体や身体論の大切さが見直されたり、再発見されたりするようになった気がする。
音楽からちょっと離れるが、げんざいのテレビCMの基本パターンは、数名の人物が画面に登場するなり奇妙なポーズで踊りながら商品に関連する歌を数フレーズ歌い、15秒後にロゴが出るというものだが、それが全業種全サービスに共通していることが甚だ興味深い。企業が消費者に対してコミュニケートしようとする際に、「挨拶代わりの前戯として歌って踊りつつメセージする」というスタイルが既に確立されて久しいのである。
歌って踊れば一丁上がり。過去20年に亘って保守の牙城のごとくに打ち建てられたポップスとCMにおける「歌って踊ってメッセージ」という定型をいかに打破するか。それがこの業界のみならずわたしたちに課せられたひとつの課題だろう。
歌って踊って叫んでいるのはどうでもいいよな事ばかり 蝶人
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