Wednesday, December 26, 2012

五味文彦編・現代語訳「吾妻鏡12」を読んで



照る日曇る日第555 鎌倉ちょっと不思議な物語第270



本巻では鎌倉御家人の最強であったはずの三浦氏一族が武装蜂起したにもかかわらず哀れ北条一門の軍門に降る。寛元5年・宝治元年1247年の宝治合戦である。

「吾妻鏡」では御霊神社付近に拠点があった安達景盛一族が挑発したために三浦氏が決起したかのように記述されているが、これは北条側がみずからの陰謀を糊塗するためのでっちあげ記事だろう。悪辣な北条ばらは、当時競合していた安達・三浦両御家人を計画的に退治するために、まずは安達を取りこみ、その連合軍が500名を超える三浦一族の武士たちの隙をついて皆殺しにしたに違いない。

現在の頼朝の墓の下にある法華堂に集結した三浦勢は、今はこれまで、と全員が自決するが、棟梁のひとり三浦光村は誰の首だか分からなくするために刀でおのれの顔を削り「どうが、これなら分からないだろう」と仲間たちに尋ねてまわったという証言が残っているが、三浦氏とはそういう勇猛果敢な武士だった。

もっとも彼らも、北条と一緒になって私の大好きなあの剛毅な英雄畠山重忠や和田義盛の一族を騙し討ちにしているから、自業自得といえばいえるのだが。

本巻ではたとえば宝治2年7月小10日などに女性の財産を男性から護る条文を掲載していて、鎌倉時代までは女性の経済的権利がある程度保証されていたことが分かるが、そんなことより蝶マニアのわたくしには同年9月に2度に亘って鎌倉市内を飛び回った黄色い蝶の大集団が気になる。

恐らくはシロチョウ科・モンキチョウ亜科に属するキチョウだろうが、その発生は通常夏であり、旧暦の9月といえばほぼ初冬であるからこんな時期に群れをなして飛翔することはありえない。三浦勢を騙し討ちにした北条がそれを天変地異に転化したり、悼んでいるかのように演出するための「作文」ではなかろうか。

待ちかねた新車ようやく店に着き白きアクアで妻と帰りぬ 蝶人

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