照る日曇る日第554回
「世上乱逆追討耳に満つと雖も、之を注せず、紅旗征戎吾が事にあらず」という白居易の言葉をかみしめながらこういう本を読んでいると、いつの世も人の暮らしと心は変わらないよと亡き著者がそっと呟くのを耳にしたようで、乱れたこころが少しは慰められる。
これは著者が横浜で高校の教師をしていた自分の思い出をもとに書かれた私小説風の小説だが、登場する人物や風景がすべて懐かしく、嫌なところがないので気持ちよく読めるのだと、いま思い当った。世界が不快で不条理に満ちているからと言ってそれをそのまま反映した小説を書く必要など毫もないのだ。
青々とした草原に置かれている座り心地の良い杉の丸太や、その近所に建っている萱葺きの古家、そしてその屋根裏に棲む青大将の「ジョウ」を、いつかどこかで私も見たような気がする。
今から30年前の昔、私たち家族が陋屋の2階に枕を並べて眠っていたら、夜中にザワザワという不思議な音がする。目が覚めてあたりを見回したら中くらいの長さの青大将が私の枕のちかくで1匹とぐろを巻いていた。
驚いて妻子を起こして、さてどうしたものかと途方に暮れていると、いつの間にかやって来た次男がそっと座布団を蛇の上に掛け、横から両手を入れると、たちまち我が家のジョウが彼の捕囚となってしまった。陋屋の屋根裏にはいつも鼠がコロコロと走り回っていたので、ジョウはこれを退治してくれていたに違いない。
次男は幼い時からどんな動物や昆虫とも仲良く遊んでいた。毒のあるヤマカガシなども平気で首に巻いて遊んでいたので、無毒の青大将などおちゃのこサイサイだったのであろう。やがて妻と私の切なる願いを容れた彼は、ジョウを我が家の前に流れる小川に投じるべく、パジャマのままでのっそりと立ち上がったのだった。
話が大きく横にそれたが、この小説では最後の最後に思いがけない感動が待っている。が、別にそれがなくとも心地よい作品である。もっとも優れた芸術は、人の心を幸福にしてくれるのである。
健くんが川へ投げたアオダイショウよ流れ流れていずこへ行きしか 蝶人
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