照る日曇る日第553回
私が住んでいる鎌倉の小邑には二人の有名人が住んでいた。一人は日本画家の小泉淳作氏、もう一人は芥川賞作家の岡松和夫氏であったが残念ながらお二人とも本年一月に相次いで逝去された。本書はその岡松氏が綴られた鎌倉幕府の第三代将軍右大臣実朝の悲劇的な物語である。
鎌倉は中世の武家の都であるが、そこは殺戮と阿鼻叫喚の死都でもある。源氏ゆかりの将軍のみならず頼朝の御家人の代表的存在である畠山氏も和田氏も三浦氏も、ことごとく北条時政とその子孫たちが謀略と武力で屠ったのだった。
頼朝を殺したのも北条氏であるという説もあるが、その後継者の頼家を伊豆の隠れ里で謀殺し、三大将軍の実朝も頼家の甥公暁を指嗾して八幡宮階段下で暗殺せしめ、あわせて公暁も亡き者にすることによって源氏の直系を根絶やしにしたのは、他ならぬこの伊豆の成り上がり者一族である。下賤の北条が高貴な源氏を打倒したのがけしからんという気はさらさらないが、聞いてあまり愉快な話ではない。
この小説の中で著者は実朝の暗殺者は公暁であると断定されているが、その前後の義時の挙動不審を考えに入れると、政子を蚊帳の外に置いた執権が黒幕であることに疑いを挟む余地はなさそうだ。
実朝はみずから行政者と風雅の人と仏教者の三つの役割を担っていたが、著者は栄西や行勇、陳和卿などとの交友を詳しく辿ることを通じて、彼が由比ヶ浜での(義時の妨害による!)宋船建造失敗の後も宋への渡航を具体的に計画していたことをあからめ、もし彼が非業の死に斃れなかったとしたら前代未聞の将軍僧として本邦の歴史を変えていた可能性に触れている。
尼将軍とは子に先立たれた北条政子の別称であるが、みずからが宋の高貴な僧の生まれ変わりであると半ば信じていた実朝の二七歳以降の「もしも」は、甚だ興味深いものがある。夫を喪った妻の西八条禅尼は京に戻って八二歳の長命を全うしたそうだが、著者の繊細にして旺盛な想像は彼女の行状にまで及んでいるのである。
北条に睾丸切り取られて絶命す二大将軍頼家哀れ 蝶人
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