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Friday, November 02, 2012

佐藤賢一著「共和国の樹立」を読んで



照る日曇る日第546回

1792年8月10日の蜂起は奇跡的に成功し、ここでサン・キュロット階級は一気に巻き返したが、続く9月は法を無視した虐殺の季節だった。ダントンの演説から始まった反革命派狩りではモッブと化した民衆が敵対的な政治家たちを見境なしに血祭りに上げる。革命とは今も昔も問答無用の敵の殺戮なのである。

その後サン・キュロットたちはやっさもっさの挙句にようやく王制を廃止し、共和制を樹立したものの、国王ルイ16世をどう裁くのかという難問に直面する。有罪だからといって市民ルイ・カペーを死刑に処していいものだろうか、とさすがのダントンやロベスピエールも胸に手を当ててためらうのだ。

そんななか、中庸のジロンド派に押されに押されていたジャコバン派が息を吹き返したのは、田舎者の最年少議員サン・ジュストの「人民の敵であり虐殺者、簒奪者、反逆者である王は仏蘭西に無関係の外国人として即刻裁かれるべし」という洗練されない論理による問答無用のどんくさい演説からだった。

衆寡敵せずというのに、議会で少数派の一議員の名演説が中間派のみならず多数派を論理的に圧倒して公論が逆転するなどわが国では到底考えられないことだが、それが18世紀の仏蘭西では実際に起こったのである。革命の進行過程では、現状を固定せず無理矢理敵に向かって前進しようとする勢力が優位に立つことが多いが、これがまさにその時だった。これ以降ジャコバン派の盟主ロベスピエールさえももはや過激派の暴走をとめることは出来なくなり、革命の本質は日を追って見失われてゆくのである。

 パリ大学医学部教授ジョセフ・イグナス・ギヨタンによって開発された最新式の処刑機械ギロチンによって処刑されてゆくルイ16世の最期の姿はあまりにも痛々しく哀しい。彼は教授に助言して三カ月状の丸いデザインであった刃を鋭い3角形に修正したギロチンで首をはねられたのであった。
 
革命の美名の下に屠られし草莽の民何処へ消えしか 蝶人

Sunday, August 12, 2012

エルネスト・チェ・ゲバラ著「チェ・ゲバラ革命日記」を読んで




照る日曇る日第530回

1956年12月2日、「グランマ号」という名のボートに乗ってメキシコからキューバに上陸したカストロ兄弟やアルゼンチン人医師のチェ・ゲバラなどわずか82名の武装勢力が1959年1月1日にバチスタ政権を武力で打倒するまでの革命闘争を記録した文字通りの日録である。

シエラ・マエストラを拠点とした少数精鋭の革命軍は、バチスタ軍を奇襲していくつもの勝利を収めるがその行軍は困難に満ち満ちたものであり、多くの犠牲者を出しながらも一歩後退二歩前進というような形で進んで行く。

持病のぜんそくに苦しみ、待ち伏せ、死亡、負傷、裏切り、処刑……殺すか殺されるかの極限状況を体験しながら、ゲバラの筆致はラテン的な楽天性と理知的な冷静さの両方を兼ね備え、ときおり皮肉やユーモアも交ざっていて興味深い。

指導者のカストロは軍団連中に訓示を垂れ、「不服従」、「脱走」、「負けを認める」、の三つの罪を犯した者は死刑にするとアジっているが、過酷な行軍に耐えきれず除隊を願い出た少年兵には、バチスタ軍の逮捕を警告したうえでそれを許している。

ゲバラがボスであるカストロの命令に基本的には従いながらも、時々それを無視して我が道を行ったりするのも面白い。このような度量の大きさがキューバ革命を成功させた要因のひとつではなかろうか。

本書の末尾の付録には反乱軍の伝令を務めていたサンチエス・リディアのゲバラへの初々しいラブレターが紹介されていて微笑ましいが、その彼女が革命成就前夜の1958年12月12日、敵に捕えられ拷問のうえ惨殺されたと聞くと、思わず粛然と襟を正さざるを得ない。

そのために己の生をなげうつ程の不跋の信念がなければ革命なんて軽々に参加できないし、従って簡単には実現できないのであろう。



革命てふ言葉なんて発する力既に無くヤマトシジミ翼畳む 蝶人