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Wednesday, January 02, 2013

溝口健二監督の「近松物語」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.373

ともかく香川京子(おさん)が美しい。さまざまな映画に出演している香川京子であるが、これほど艶にしてきよらかな美しさを見せつけた映画はない。溝口の彼女への愛が、このような世界映画史に刻まれる永遠の美を造型したのであろう。

近松の文楽や浄瑠璃の脚本を踏襲しながら依田義賢が練った川口松太郎の脚本が非常によく出来ている。不義と道行を偶然の所産とし、ラストをあろうことかハッピーエンドにしてしまった近松の原作と比べて、この映画は近代的な自我と愛が主題になっていて、裸馬で刑場に曳かれてゆくおさんと茂兵衛(長谷川一夫)の二人の表情は喜びに満ち、その手はしっかりと繋がれている。

おさんの迷惑になるまいと峠の茶屋から脱出した茂兵衛の後を懸命に追う彼女が倒れると木影に隠れていた茂兵衛がたまらず飛び出してひしと抱き合う長い長いワンシーン・ワンショットにも、演技の本質に肉薄する溝口の真髄が刻み込まれている。


粛々と死に急ぐなり去年今年 蝶人

Thursday, December 20, 2012

木下恵介監督の「カルメン故郷に帰る」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.368

サザエ「浅間山の白い噴煙がたなびく北軽井沢の高原に戻って来たレビューの踊り子高峰秀子が、仲間の小林トシ子とともに繰り広げるコメディ以前の醜悪なドタバタコメディね」

マスオ「演出も脚本も劣悪なら、木下&黛の主題歌も最低、見所は美しい大自然の景観と主役ふたりのチラリ太ももの大胆露出くらいだな」

カツオ「あ、忘れてた。これが1951年松竹製作の日本映画最初の総天然色作品なんだって」


冬の朝ハワイに着きし瓦礫かな 蝶人

Saturday, November 24, 2012

鎌倉大御堂ヶ谷「勝長寿院跡」を訪ねて



茫洋物見遊山記第96回 & 鎌倉ちょっと不思議な物語第266回

大御堂ヶ谷の奥にあった勝長寿院は、源頼朝が父義朝を供養するために建てた寺院で、往時の鎌倉では、八幡宮司と永福寺、大慈寺に並ぶ重要な聖地であった。頼朝はみずからこの地に何度も足を運んで墓所や堂舎の配置などの陣頭指揮にあたった。

文治元年1185年8月の末には父義朝の頸が鎌倉に着き、頼朝は稲瀬川まで迎えに出た。勝長寿院が創建されたのは同年10月24日で、小春日和のその日の午前10時、頼朝は多くの兵を従えて束帯姿で大倉御所を出て歩いてこの大御堂に向かい堂供養を主宰したのである。

その後勝長寿院には多くの僧が法要を営み、法華堂、新御堂、御所などの新たな堂宇が建立され、源氏の菩提寺として頼朝はもちろん政子、大姫、頼家、実朝などが盛んに参詣した。

承久元年1219年正月27日、甥の公暁に暗殺された3代将軍の実朝は、その死後に火葬されてこの地に彼の母政子とともに眠っていたのだが、その後時代が下って鎌倉が寂れるに従って勝長寿院に関する記述も途切れ、現在では伊豆石の礎石と小さな五輪塔と記念碑をいまに伝えるのみとなった。五輪塔は頼朝と鎌田正清の墓と伝えられているが、一書には宝戒寺から運んできたとあり、当地の伝承では住宅建設の際にたまたま掘りだされたものであるという。

いずれにしてももう少し真面目に史跡保存の手を尽くしておけば大慈寺ともども現況のようなつまらない住宅地に埋もれてしまうことはなかったであろうと悔やまれてならない。

なお実朝の「金槐和歌集」には勝長寿院を詠んだ歌が四首残っているが、ある年の旧暦三月の末に訪れたときの二首を紹介しておこう。

行きて見むと思ひし程に散りにけりあなやの花や風たたぬまに
さくら花さくと見しまに散りにけり夢かうつつかはるの山風

まるで現代に生きる人がきのう詠んだ歌のようではないか!

*参考 貫達人・川副武胤著「鎌倉廃寺事典」(昭和五五年有隣堂刊)


残菊や凡人小事のうれしさよ 蝶人

Friday, November 16, 2012

黒澤明監督の「乱」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.346

この作品はこれまで何回かみているが、いつも圧倒されるのは原田美枝子が次郎の君の脇差を奪ってその場に押し倒し、首筋に切りつけながら脅迫恫喝するシーンで、ここでは完全に男女の立場が逆転している。その後根津甚八の馬鹿殿は兄の正妻にまるで女のように犯されたあと、今度は女に戻った楓に泣きを入れられ、美しく狡猾な彼女はそれからは馬鹿殿を自分のいいなりに御していくのである。

このシークエンスに比べると大殿と3人の息子たちやお付きのピーターとの掛け合いなどはずいぶん精彩を欠き、大殿自身の心理を含めて人間関係があざやかに描かれているとはいえない。

その代わりにすこぶる印象的なのは緑の大草原を疾走する馬に跨った武士たちの群像、紅蓮の炎を上げて燃え尽きる城やその中から死人のように白衣でよろけ出てくる大殿、画面狭しと移動する戦士たちの戦闘シーンで、そのさまはまるで一幅の華麗で悲愴な絵巻物を見せられているような気分である。

このような雄大な景観をバックにした勇壮な時代劇は、もはやわが国では二度と撮られることはないだろう。武満徹の音楽も地味ではあるが忘れ難い。


にしてもさっさと民主党を見限りシンクタンクに転職するという神奈川4区長島一由 蝶人

Tuesday, November 13, 2012

橋本治著「浄瑠璃を読もう」を読んで




照る日曇る日第547回&♪音楽千夜一夜 第286回

「あまでうす」などと名乗っているくらいだから私は西洋の音楽が大好きで、とりわけモザールのオペラなどを見聞きしていれば上々の気分なのですが、それよりも好きなのがなにを隠そう浄瑠璃なのでありまする。

浄瑠璃、すなわち三味線の調べに乗って太夫が「語る」江戸時代の音曲、あるいは歌舞伎の下座音楽に耳を傾けることが出来れば極楽極楽で、あとは何も要らないと断言する著者には我が意を得た思いでした。

著者によれば、そもそも日本の音楽はメロディラインではなく「拍子」を軸にしているので、例えば人形浄瑠璃の三味線と太夫の語りも(小澤征爾の死んだ音楽のように縦と横の線を顕微鏡的に合致させることなく)それぞれが勝手に演奏しているのに、結果としてなぜだか1つになっている。そして「この本来バラバラであるはずのものが、1つになっているというスリリングなところが、日本の伝統芸能の妙味なのだ」とあざやかに喝破しています。 

もちろんこの本は「浄瑠璃を聴こう」ではなく「浄瑠璃を読もう」なので、「仮名手本忠臣蔵」「義経千本桜」「菅原伝授手習鑑」「本朝廿四孝」「ひらかな盛衰記」「国性爺合戦」「冥途の飛脚」「妹背山女庭訓」という本邦の代表的な人形浄瑠璃(及び歌舞伎)作品を文学テキストとして深く読み込み、その解釈と鑑賞について私たち読者の蒙を徹底的に啓いてくれるのですが、それはそれ、本書をつらつら読んでのお楽しみということで。


新しきアクアのブルーを買わんとしたがシルバーを経てホワイトとなりぬ 蝶人

Friday, November 09, 2012

黒崎博監督の「セカンドヴァージン」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.342

最初の結婚に破れてからは猛烈なキャリアウーマンとなったヒロインが、ある日突然年下のイケメンにメロメロになりいろいろ苦労するが、それでも我が人生に悔いなしと総括する、昔からよくあったお話。

主人公の鈴木京香はだいぶ肥って興ざめだが、仕事と恋の二兎を追う熟女を体当たりで熱演している。が、お相手のなんとかいう男子の魅力と存在感が皆無なので、せっかくマレーシアまで海外ロケを敢行したというのに一世一代のラブロマンスが空回りして、むなしく「セカンドヴァージン」なるいっときの流行語だけが残った。

おまけに倖田来未の主題歌も酷いものであり、深田恭子選手の立ち居振る舞いも、到底演技と呼べる代物ではない。ゆいいつ賞賛に値するのは笠松則通のキャメラが捕えた異国の美しい風物であろう。

もともとこれはNHKの連続ドラマを映画にしたということだが、思うにその続編ではなく、その総集編を映画にしたほうが良かったのではないだろうか。観終わってこれほどあほらしい気持ちになる映画も珍しい。

豚の如く醜く肥りし人たちが現れ出る度テレビ消すなり 蝶人

Friday, September 28, 2012

「ドナルド・キーン著作集第5巻」を読んで




照る日曇る日第541回

この巻では永井荷風、伊藤整、高見順、山田風太郎などの日記を縦横無尽に引用して論じた「日本人の戦争」と、キーンをはじめとする米軍日本語将校が終戦直後に取り交わした書簡集「昨日の戦地から」の2冊の書物が併録されている。

前者は以前ここで紹介したことがあるので別途ご笑読して頂くとして、後者では戦勝国の軍人として中国や日本の人心風土混乱の状況を冷静に観察する元アメリカ人の著者の、歯に衣着せぬ「非文学的発言」が聞かれて興味深い。

とりわけ青島で親しくなった紳士的な日本軍将兵が無辜の中国人を斬に処したのみならずその肝臓を取り出して食したという情報に接し、周章狼狽するくだりが飛び出したのには驚いた。

著者は悩んだ末にその将校に尋問を行って有罪の確証をつかみ、結局事態の収拾を当局の手に委ねる。ほとんど著者の親友同然であったその将校は、その後恐らくB級戦犯として絞首刑になったと思われるが、このような戦争中の敵に対する殺戮の責任をどうとらえるかは、今も昔も難しい。

当時の中国戦線で、二等兵である私が、下士官から「スパイ容疑の現地人を刺殺せよ」と命じられたら、恐らく拒否することは出来なかっただろう。そしてその種の同じ「罪」を犯しても、その責任の追及が勝者と敗者の側に因って根本的に異なるという不条理は、もはや運命の悪戯という他はない。


殺せと命じられたら躊躇いつつも殺してしまう人間とは弱き者なり 蝶人


*「日本人の戦争」余滴

Sunday, September 09, 2012

内田樹&高橋源一郎著「どんどん沈む日本をそれでも愛せますか?」を読んで




照る日曇る日第537回

マーケティングはあらゆる商品やサービスが導入以来、時間の経過と共に成長、成熟、衰退のプロセスを辿ることを教えている。文明文化産業もまた然り。あらゆる偉大な帝国も、勃興し、興隆し、そして沈んだ。かつては4大文明諸国が、近くは大英帝国が、そしていまやこの国が、経済的にも政治的にもどんどん地盤沈下して衰退期を迎えているのである。

下手な悪あがきはやめてこの緩慢な下降、そして死に至る閉塞期を、出来るだけスマートに、出来るだけ明るく楽しく受け入れようという著者たちの提言に、私は前から賛成している筋金入りの非国民的敗北主義者である。

もっともっとうまいもん食いたいよお、きれいな女(男)を毎晩抱きたいよお!と、らあらあ喚きながら眼の色と血相変えて地球狭しと走り回るBRICS&新興経済国の若くて元気な諸君よ。未来は君たちのものだ。

この国はすでに一回終わった国であり、おらっちは、もう終わった人だ。ゲームからおりて、ねんねぐーさせてもらいよ。ところがそういう冷静な歴史認識をいっさい無視して相変わらず右肩上がりの成長を夢見る往生際の悪いドンキホーテが権力の中枢に蠢いているからはなしはややこしくなる。

ところでそろそろ総選挙だそうだが、著者たちが期待していた細野、橋下、小泉のがっつり激突にならなかったのは残念至極であった。前回の民主党のマニュフェストも酷かったが、今回の維新連中の「船中八策」なんてあきれる。んなもんまるで中学生の今週の努力目標じゃないか。自民党はなんとなんと天皇元首制!だって。21世紀も早々と暮れようとしているのに、このシーラカンスたちはいったいなにを考えているんだろう。

そこへいくと、成長論者が思考停止に陥り、「怨念に燃える破壊家、日本版ジュリアン・ソレル」の橋下市長が学級委員的もぐらたたきに狂奔している間に、内田&高橋コンビは未来教育の理想を和歌山のクラスも学年もカリキュラムもなく、先生も生徒もいない「きのくに子どもの村学園」というフリースクールに求め、理想的な死に里を山口県熊毛郡上関町の「祝島」のおばあさんの生き方に求めているから偉いもんだ。私たちも彼らに見習って若い世代へのさおれなりの贈与を考える必要がある。

しかしこの頭脳明敏にして喜ばしき性善説に立つ二人が、冗談にもせよ「天皇親政」を口走り、「最近の我が国の原発ゼロへの政策転換はアメリカの陰謀」説を垂れ流すとは、世も末というほかはない。

蛇足ながらいくら雑誌の対談を書籍にまとめたものだとはいえ、この本、誤植が多すぎる。もっと真面目に校正せよ。


この期に及んで右肩上がりの成長を夢見る左前左巻きのオッサンたちよ 蝶人

Sunday, August 19, 2012

林望訳「謹訳源氏物語8」を読んで




照る日曇る日第533回

源氏が「雲隠」してから物語は第2部の宇治十帖に入り、薫が美しき姉妹を相手にむなしい独り相撲を取る。

薫の推挽でたちまち妹の中君をものにした匂宮とは正反対に、薫中将はなにごとにつけてもぐずぐず考え込み、慎重で積極的に行動せず、常に大魚を逃している。こういう人は今も昔も世間には大勢いて、他ならぬ私もその一人だが、こういう小説の中で読まされるとじつにいらいらする。

恋焦がれる大君を喪ったあとで、アホ馬鹿な薫がひとりごちたように、うまく立ちまわりさえすれば、彼は宇治の陋屋に隠れ棲む身寄りのない姉妹を二人ともおのが手中に収め、大君を死なせずにすんだはずだが、そういう駄目さ加減がこの悲劇の主人公の持ち味であり、著者の紫式部が絶妙に仕組んだ現代的な役どころであった。

同じようにいやらしい匂いを周囲に撒き散らすライヴァルの二人ではあるが、女を肉欲の対象とせず、まずは一人の人間とみなす立場を終始堅持している点で、アホ馬鹿薫は肉食ノータリン男の匂宮を数頭抜いていると考えられる。


東電は潰れてしまえと言えぬのはK子ちゃんが働いているから 蝶人

Saturday, July 07, 2012

山崎山崎貴監督の「ALWAYS三丁目の夕日」正続編を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.272&273


あんまり世間ラアラア騒ぐのでずっと見ないでいたのですが、どこか生理的快感が湧きだす不思議な映画でした。

昭和30年代の東京に生きる人々を主人公にしたお話だからそうなるのではなくて、原作者や製作スタッフ、とりわけこの監督の母体である「白組」の社長島村達雄氏、そしてロボットというちょっと風変わりな会社の感性がうまく合体してこの微妙なバランスでなり立っている映画を現象させたといえるのではないでしょうか。

堤真一という芸達者のまわりを薬師丸ひろ子、堀北真希、もたいまさこ、吉岡秀隆、小雪などの役者がレイアウトされ、絶妙な味わいを醸し出しています。特に素晴らしいのは薬師丸ひろ子で、昔から隠れファンだった私は、彼女の起用と妙演に熱い拍手を贈ったことでした。

続編では桃井かおり、田中邦衛と同様少し口跡に嫌な癖のある吉岡秀隆がなんとかぐあんばり、子役の須賀健太を巡って敵役の小日向文世と張り合うのですが、ここで踊り子役の「降れ降れ」小雪が儲けものの名演を見せてくれます。

芥川賞を逃したものの恋人と息子を一挙に手に入れるという逆転サヨナラ満塁ホーマーの幕切れはいかにも出来過ぎたお話とはいえ、高速道路無き日本橋の欄干に降り注ぐ夕陽と共にいわゆるひとつの感動をお茶の間にもたらすのでありました。


無神論者も頭を垂れる神社かな 蝶人