バガテルop108
今日も午後から由比が浜へ行きましたら、赤旗が立って救助用のヘリコプターが2機ホバリングしています。きっと誰かが海で溺れたのでしょう。そのまま材木座へ行くと黄色い旗が風に靡いていましたが、結局青旗の逗子海岸で泳ぎました。
浜からすぐそばの浅瀬で大きなアジが2匹、3匹と見事な跳躍を連続で見せてくれます。あみがあれば晩御飯のおかずに掬ってやるのにと思ったことでした。
さて今日の本題です。美術館というところは展覧展示の中身も大事ですが、その施設を運営する体制やスタッフの心遣いもそれに劣らず重要です。
19日の水曜日に東京竹橋の国立近代美術館へ出かけて「ゴーギャン展」を楽しんだ話はすでにこのブログでも書きましたが、実はその帰りにちょっと不愉快なことがありました。使用したコインロッカーから100円玉が出てこなかったのです。次の客もこのような目に遭うと厭だろうと思い、たまたま会場の出口に投書コーナーがあったので、「展示内容は素晴らしかったが、100円玉を失ったことは残念だ」と一筆したため、何気なく電話番号を書いてポストに投函しておいたところ、なんとその翌日の午前中に同館統括のSさんという方から、「調査した結果貴殿の一〇〇円玉が機械の奥で発見された。大変申し訳ありませんでした」という電話があり、今日になってその金額相当の切手と次回の招待券二枚が同封された丁重な詫び状を頂戴しました。(本当はたかが一〇〇円だし別に返ってこなくても良かったのですが、いかが致しましょうかと聞かれて同じ金額の切手にしてもらったのは当方のとっさの恥ずかしい思いつきでした。)
私がこういう目に遭ったのも、こういう素早いフォローに遭ったのも生まれて初めてのことなので、実はビックリなのですが、日本全国の美術館がこのように顧客本位の迅速かつ親切な対応をしてくれるとは限りません。いや例外中の例外なのではないでしょうか。
というのも数年前、私はこれとまったく逆の経験をしたことがあるからです。葉山に神奈川県立近代美術館の分館が誕生した直後に障ぐあいを持つ家族と一緒にそこを訪れた私たちは、係員からじつに不愉快極まる対応を受け、障ぐあい者の受け入れ態勢がなっていないのではないか、という趣旨の書簡を同館の館長宛に送ったのですが、待てど暮らせどなしのつぶてでした。おそらく館長の目にも触れなかったのではないでしょうか。
そういう無礼千万な公共施設も存在する中で、今回の国立近代美術館の措置はまことに気持ちがよく、晩夏の午後を吹き抜ける一陣の清風のように爽快そのものでありました。
おかしなもので、私たちはちょっとしたことでうれしくなったり、悲しくなったりするのです。
♪魚ならば溺れることもあるまいに海空陸の大レスキュー隊 茫洋
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