照る日曇る日第278回
「私のなかにあった『瞬間の王』は死んだ」と告知して、詩人谷川雁が永久に試作を放棄し、アルチュール・ランボオのように工作者として荒々しい現実に突入したのは1960年の1月6日のことでした。
しかし遅れてやってきた後世の若き詩人たちのためには、彼が詩と詩作について遺した「わたしの物置小屋」という珠玉のようなアフォリズムがあります。
以下本書55pから65pまでを随意に引用します。
詩作はちいさな革命、ほとんど失敗に終わる革命、夕刊の片すみで息絶える南米の革命である。
「私」と呼ばれるあいまいでちいさな星雲よりも言葉の方がほんのすこし安定しているという認識が文学の前提である。
人間が言葉をみいだすのではない。言葉が人間を計量するのだ。詩作の根本条件は選択の自由ではなくて必然性の認識である。
詩においては発端と結末が同時に存在する。つまり老人と幼児だけがおり、ほかの者はいてはならない芸術だ。
ひとつの単語は相反するすべての諧調を微量づつ含んでいる。このペンキ屋の常識すらもたない作品が横行している。
質量が小さくなればなるほど密度を増すいくつかの物質を想定せよ。作品はこの函数の和として与えられる。
ある種の級数のように、去年の決算が今年の決算の出発であるように、現在の一編は過去の百編をふくむ。
無限から一点をめざし収斂する言葉の螺旋運動――詩。小説は一点から放散して無限へ広がる。小説は特殊を、詩は無限すなわち普遍を説きあかす。
短歌は時として小説に似た放散運動を起こす。これはメロディの癖だ。短歌的抒情よりもこの方が問題だ。
短歌とは何か。私なら二行詩もしくは三行詩と答える。俳句は一行詩である。一行の長さは二十字以内とする。
一編の俳句は三ないし四個の名詞をふくむとき最も安定する。いけばなの先生がやたらに応用する椅子の原理。
漢字とひらがなの同盟が始まったとき、すなわち平安末期だか、鎌倉初期だかに、現代日本語の美感の大部分は定まったのである。
日本の詩に長所があるとすれば、それは形式の不純さである。油彩の日本画と水墨の西洋画、それらの戦慄すべき調和である。
各行の第一字目を漢字で書くか、ひらがなで書くかは視覚の均衡に重要な役割を果たす。実験したまえ。
一行のうちに少なくとも一個の運動する影像をふくむならば、印象の希薄さを避けることができよう。
音楽の強さを決定する振り子は行の長さである。一息に読みおろすことのできる行数が一行でなければならない。
作品を書くタイミングを誤らないようにせよと言いたい。同じ人生が三篇の名作をうむことも三百の駄作をうむことも可能である。
詩は習練によって上達する芸術ではない。うまい詩というものはありえない。詩をまなぶのは他のことを知るためである。
すぐれた詩は人間に対する信頼、世界に対する信頼がそのまま言葉に対する信頼に一致している、それだけのことだ。 (引用終わり)
碩学吉本隆明氏の名著「詩学叙説」を一言にして乱暴に尽くせば、「単純で初歩的な直喩ではなく、複雑で高踏的な隠喩を多用したものが、立派な詩である」ということになるかと愚考するのですが、これは知識偏重評論家にありがちな詩の進化論ではあっても、詩の本質的な価値とはなんの関係もない物差しでしょう。
このように詩を形式主体で論じると万葉集より新古今が高級だという身も蓋もない結論に至るのです。
世に無内容な詩論は掃いて捨てるほど叩き売られていますが、ここに生々しく素描された詩の本質と詩作実践技術論こそ彗星のように現れて消えた詩の天才的工作者にふさわしいものだと思います。
♪百合の薫りあまりにも強すぎる 茫洋
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