Wednesday, December 14, 2011

県立近代美術館で「シャルロット・ペリアンと日本」展を見て

茫洋物見遊山記第75

本邦では初、そしてニュヨーク近代美術館、巴里私立美術館に次いで世界で3番目に設立されたこの鎌倉の公立公共美術館であれやこれやの展示を見るのは、小生のこよなき喜びですが、小春日和の今日はシャルロット・ペリアン嬢のインテリア展を見物する機会に恵まれ、有り難く天に感謝を捧げたことでした。

シャルロット・ペリアン選手は1903年に巴里に生まれたのデザイナーで、ル・コルビジュのアトリエで、インテリアの苦手なこの大建築家のアシスタントを務めていたキュートな女性です。

同じアトリエでわが国の前川國男、坂倉準三とも同僚であった彼女は、1940年のヒトラーに因るパリ陥落のまさにその日に祖国を去って、客船白山丸で来日、わが国商工省の輸出工芸指導顧問として破格の高給で迎えられ、東洋と西洋を衝突・融合・再編集する、当時としては異色のデザイン世界を創造しました。

特に河井寛次朗郎、柳宗悦などわが国の「民藝」運動の推進者との出会いによって竹や木などの自然素材の特性を生かした机や長椅子や家具や調度品が次々に誕生し、それらは1941年に高島屋で開催された「日本創作品展覧会」を通じて全世界に発信され、住宅内部装備のデザイン革新に後々まで大きな影響を与えることになったようです。

46年の帰国後も彼女と日本デザイン界の密接な関係は坂倉準三との交友と共に長く続き、99年に死去するまで53年の「コルビジュ、レジェ、ペリアン3人展」や日仏のエールフランスのオフィスデザイン、在仏日本大使館のインテリアデザインなど数多くの優れた成果を残し続けましたが、そんなことはどうでもよろしい。

会場を入ってすぐ左手に陳列されている秋田の竹を使って精巧繊細に仕上げられたいくつかの小さな簾(すだれ)を見るだけで、当時弱冠38歳だったこのデザイナーの類まれなる才能が誰の眼にも明らかでありましょう。

おいらはイサムノグチの提灯なんて要らないけれど、あの簾だけは欲しい。欲しい。欲しい。蝶人

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