照る日曇る日第472回$鎌倉ちょっと不思議な物語第254回
何の期待もなくたまたま手に取ってしまった一冊の本でしたが、長年に亘って吾妻鏡を読み込み独自の研究を続けてきた著者によるこの遺著は、予想外の収穫がありました。
鎌倉幕府の終わりが近づいたころに編まれたこの本は、もちろん「北条氏による北条氏のための北条氏の歴史書」なのですが著者は類書とはまったく別の視角からその問題点を次々に俎板に載せて筆鋒鋭く疑惑を解明してゆきます。
例えば富士川合戦など実在しなかったこと、平家よりももともと源氏のほうが水軍に強かったこと、鎌倉幕府の成立は頼朝ゆかりの御家人が自主的に一揆(決起して同盟の契りを結んだ)治承4年12月12日の亥の刻であること、その「一揆」組の統一と団結に逆らって自分勝手な「独歩」を敢行し、兄の乗馬を曳くのが武士として極めて名誉なことであることにすら無知で下賤の身であったからこそ、頼朝は義経を切り捨てたこと。
そしてこの「独歩」を粛清して「一揆」を守ることが鎌倉幕府の組織原理であったこと、「独歩」路線を強行する(北条氏を除く)あまりにも強大な御家人の長(下総介広常、梶原景時、比企能員、畠山重忠、和田義盛等)は、その組織原理からもたらされる「権力の平均化」政策によって粛清されるが、その場合でも一族を皆殺しにすることは頼朝以降もなかったこと、実朝暗殺の真相をもっとも正確に伝えているのは「吾妻鏡」ではなく「愚管抄」であり、暗殺の黒幕は意外にも北条義時ではなく三浦義村であり、暗殺者公暁の協力者がいた鶴岡二十五坊には多くの平家の残党が僧侶に姿を変えて潜んでいたこと、
などなどが、豊富な文献証拠と著者ならではの鋭い推理と直観できわめて大きな説得力をもって論証してあります。本書は、これから鎌倉幕府と「吾妻鏡」を研究しようとする人にとって必読の書といえるでしょう。
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