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Sunday, January 01, 2012

ショルティ指揮・ウイーンフィルの「魔笛」を視聴して

♪音楽千夜一夜 第238回

懐かしや今は亡きゲオルグ・ショルティが91年8月8日のザルツブルク音楽祭に登壇してモーツアルトの名作オペラを振っています。

この人はいつもエネルギッシュに鋭角的な切り込みをしますが、序曲もかなりあわただしくはじまる。このぶんではどうなるのかなと危ぶんでいたら幸いにも終わった所で拍手が来たので、ショルティも思わずにっこり。ここからは落ち着きを取り戻した演奏に戻りました。彼の手兵シカゴ響と違って、名代の老舗ウイーンフィルは根拠もなく強引にドライヴされるのを本能的に嫌うのです。

全体的には無難なモーツアルトに終始しましたが、面白かったのはパパゲーノが鈴を鳴らすところで、御大ショルテイみずからがハープシコードで演奏していること。思いがけないサービスに観衆は大喜びです。

しかし演奏よりも見事だったのはヨハネス・シャープの演出、それよりも優れていたのは美術、照明、衣装のアンサンブル。特にアンリルソーを思わせる舞台美術が美しく、これまで劇場やメディアで見聞した様々な意匠を上回るその完成度の高さに驚くとともに、その後20年間の演出家や美術スタッフはいったいなにをしてきたのかと疑わしくなるほどでした。

しかしその演出にも問題があって、ラストの大団円になるとフィナーレの音楽を歌いながら登場したザラストロの僧侶たちの集団が主役のタミーノやパミーノたちを覆い隠して姿が見えなくなってしまう。意味不明のやりくちにいきなりブーが飛んだのは、けだし当然の反応でした。

出演 デオン・フォン・デア・ヴァルト(タミーノ)、ルース・ツィーサク(パミーナ)、アントン・シャーリンガー(パパゲーノ)、エディット・シュミット・リンバッハ―(パミーナ)、ルチアーナ・セーラ(夜の女王)、ルネ・ハーペ(ザラストロ)、フランツ・グルントヘーバー(弁者)、ハインツ・ツェドニク(モノスタトス)演出:ヨハネス・シャープ 1991年8月8日、ザルツブルク祝祭大劇場のライヴ公演

泣け笑え 歌え踊れ 汝幸なる魂よ 蝶人

ショルティ指揮・ウイーンフィルの「魔笛」を視聴して

♪音楽千夜一夜 第238回

懐かしや今は亡きゲオルグ・ショルティが91年8月8日のザルツブルク音楽祭に登壇してモーツアルトの名作オペラを振っています。

この人はいつもエネルギッシュに鋭角的な切り込みをしますが、序曲もかなりあわただしくはじまる。このぶんではどうなるのかなと危ぶんでいたら幸いにも終わった所で拍手が来たので、ショルティも思わずにっこり。ここからは落ち着きを取り戻した演奏に戻りました。彼の手兵シカゴ響と違って、名代の老舗ウイーンフィルは根拠もなく強引にドライヴされるのを本能的に嫌うのです。

全体的には無難なモーツアルトに終始しましたが、面白かったのはパパゲーノが鈴を鳴らすところで、御大ショルテイみずからがハープシコードで演奏していること。思いがけないサービスに観衆は大喜びです。

しかし演奏よりも見事だったのはヨハネス・シャープの演出、それよりも優れていたのは美術、照明、衣装のアンサンブル。特にアンリルソーを思わせる舞台美術が美しく、これまで劇場やメディアで見聞した様々な意匠を上回るその完成度の高さに驚くとともに、その後20年間の演出家や美術スタッフはいったいなにをしてきたのかと疑わしくなるほどでした。

しかしその演出にも問題があって、ラストの大団円になるとフィナーレの音楽を歌いながら登場したザラストロの僧侶たちの集団が主役のタミーノやパミーノたちを覆い隠して姿が見えなくなってしまう。意味不明のやりくちにいきなりブーが飛んだのは、けだし当然の反応でした。

出演 デオン・フォン・デア・ヴァルト(タミーノ)、ルース・ツィーサク(パミーナ)、アントン・シャーリンガー(パパゲーノ)、エディット・シュミット・リンバッハ―(パミーナ)、ルチアーナ・セーラ(夜の女王)、ルネ・ハーペ(ザラストロ)、フランツ・グルントヘーバー(弁者)、ハインツ・ツェドニク(モノスタトス)演出:ヨハネス・シャープ 1991年8月8日、ザルツブルク祝祭大劇場のライヴ公演

泣け笑え 歌え踊れ 汝幸なる魂よ 蝶人

Friday, December 09, 2011

ジョルジュ・プレートル指揮ウィーン響の「マーラー交響曲第6番」を聞いて


♪音楽千夜一夜 第232回

これもさきの「交響曲第5番」と同じようなことがいえる純音楽的な平成の名演奏だ。

しかし何回聞いてもこの音楽のどこがマーラーなのだろう? この手法なら別にマーラーならずとも、ベトちゃんだってシュバちゃんだってバハちゃんだって、誰だっていける。はずだ。

その一端が先般のウイーンフィルのニューイヤーコンサートではしなくも示され、従来とかくマリアカラスの劇伴プロパー担当者などといちじるしく軽んじられていたこのフランス人指揮者の驚くべき才能を、世界中が再認識したわけだ。これは現在トップを快走するヤンソンスでさえできないであろうような最高水準のマーラー演奏でげす。

しかし、しかしだ。残念ながら、そこには彼の専売特許である「世界苦」のかけらも見当たらない。「世界苦」のないマーラーなんて、まるで魔羅のない男のようなものだ。

私は演奏や録音は悪くとも、人世いかに生きるべきか、いかに世界と相亘るべきか、と激烈かつ神経衰弱的に憂悶する息も絶え絶えのマーラーを、(どちらかひとつを選べといわれたらば、だ)聞きたいな。

「カチューシャ」の転調していくところが好きなんだかワクワクしてくるから 蝶人

Wednesday, October 19, 2011

サバリッシュ指揮の「シューベルト宗教的世俗的合唱作品集」を聴いて


♪音楽千夜一夜 第225回

シューベルトのミサ曲全曲に加え、彼が友人たちを囲んで開いた小さなサロンコンサート(シューベルティアーデ)のために作曲した家庭的な合唱曲などもまとめて収録した全11枚組の超廉価盤(@233円!)CDである。

ウオルフガング・サバリッシュのブラームスをウイーン饗と入れたフォンタナ盤ではじめて耳にした時には「おおこれは!」とその初々しさに刮目したものだが、以来馬齢を重ねて幾星霜、いくたびアホ馬鹿N響のライブをロバの耳で聞いても(ブロムシュテットと同様)感動のひとかけらもなく、いたずらに教条的な音符を巨大な犬小屋にまき散らすのみ。結局バイエルンのオケといれたシュトラウスのオペラとこの選集、そしてかつての同僚カルロス・クライバーへの温かい支援くらいが後世への貴重な贈り物となるのであろう。

ここに並べられた作品はどちらかといえばマイナーな曲ばかりだが、ミサ曲に聴かれる様々な斬新な意匠や老子の「論語」に曲をつけたD69など、知られざるシューベルトの一面に驚かされる。アーノンクールのような外面的なあざとさを拝し、ひたすら謹厳実直に演奏するサバリッシュの凡庸な音楽が、かえって夭折した天才へのこよなき愛と祈りを感じさせるのが皮肉である。

パパハイドンを料理してラフマニノフに挑む九十八歳 蝶人

Wednesday, June 22, 2011

川西政明著「新・日本文壇史第5巻」を読んで 前篇


照る日曇る日第436回

いよいよ佳境に入る川西文壇史の第5冊は「昭和モダンと転向」を主題に伊藤整、高見順、平野謙、中野重治、川端康成、井伏鱒二の、生と性と青春と政治と文学を取り扱う。

この六名の文学者のうち著者がもっとも精魂こめて論じたのが中野重治であることは歴然としているが、その他の五名の行状もみな変態的に面白く、いまどき読んでこれくらい楽しませてくれる書物も滅多にないだらう。

精神的にラブする女とセックスだけの女の両方を必要とした性的少年、伊藤整の呆れた下半身活動を知ってしまうと、後年彼がなぜロレンスのチャタレイ夫人に拘ったのかが何となく分かるような気がするし、高見順の修羅の人生を辿ればこれまた性愛の地獄そのものであって、最後の恋人小野寺房子との間に出来た娘、恭子を、なぜ正妻の秋子が入籍して養女にしたかは、いくら考えてもよく分からない。

平野謙が経験したリンチ共産党事件では、査問の結果官憲のスパイと認定した小畑達夫を日本共産党の幹部である袴田里見、宮本顕治、逸見重雄が殺す場面に息をのむ。連合赤軍の内部粛清の原点がここにある。また潜伏中に女性の肉体をハウスキーパーとして人身御供に供しているような集団に革命なんて出来るわけがないことも分かる。

しかしその共産党員であるというだけで中野重治の受けた拷問の凄まじさには驚く。彼が殺されなかったのは、その直前に小林多喜二を虐殺した刑事が続けて殺戮することを控えたからだ、という指摘にはなるほどと頷けるものがある。そういう時代だったのである。

誰誰がどういう料簡で海岸にどんどん原発おっ建てたんだ 蝶人