照る日曇る日第436回
いよいよ佳境に入る川西文壇史の第5冊は「昭和モダンと転向」を主題に伊藤整、高見順、平野謙、中野重治、川端康成、井伏鱒二の、生と性と青春と政治と文学を取り扱う。
この六名の文学者のうち著者がもっとも精魂こめて論じたのが中野重治であることは歴然としているが、その他の五名の行状もみな変態的に面白く、いまどき読んでこれくらい楽しませてくれる書物も滅多にないだらう。
精神的にラブする女とセックスだけの女の両方を必要とした性的少年、伊藤整の呆れた下半身活動を知ってしまうと、後年彼がなぜロレンスのチャタレイ夫人に拘ったのかが何となく分かるような気がするし、高見順の修羅の人生を辿ればこれまた性愛の地獄そのものであって、最後の恋人小野寺房子との間に出来た娘、恭子を、なぜ正妻の秋子が入籍して養女にしたかは、いくら考えてもよく分からない。
平野謙が経験したリンチ共産党事件では、査問の結果官憲のスパイと認定した小畑達夫を日本共産党の幹部である袴田里見、宮本顕治、逸見重雄が殺す場面に息をのむ。連合赤軍の内部粛清の原点がここにある。また潜伏中に女性の肉体をハウスキーパーとして人身御供に供しているような集団に革命なんて出来るわけがないことも分かる。
しかしその共産党員であるというだけで中野重治の受けた拷問の凄まじさには驚く。彼が殺されなかったのは、その直前に小林多喜二を虐殺した刑事が続けて殺戮することを控えたからだ、という指摘にはなるほどと頷けるものがある。そういう時代だったのである。
誰誰がどういう料簡で海岸にどんどん原発おっ建てたんだ 蝶人
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