照る日曇る日第197回
1925年刊行のアーサー・ウェイリー訳の源氏は、与謝野晶子の小説的翻訳のあとをおうようにして英国の日本語(そして中国語も)独学者の熱い心と冷たい手によって大戦前の全世界に向かって公刊された。
ドナルド・キーンによれば、ウェイリーの翻訳は、まず原文を繰り返し熟読玩味し、しかるのちにそれを脳髄から放擲し、今度は英語として噛み砕いた文を「振り返らずに」書き下ろし、あとで原文と照らし合わせて趣旨が同じなら多少の欠落や付加があろうともそれでよしとする、という手合いのものであったらしく、そのことがあまたの翻訳にない独特の魅力を形作っている。
正宗白鳥が評したように、「原文は簡潔とはいえ頭をちょん切って胴体ばかりがふらふらしているような文章で読むに歯痒いのであるが、訳文はサクリサクリと歯切れがいい。糸のもつれのほぐされる快さがある。翻訳が死せるが如き原作を活き返らせることもあるものだ」と感じさせてくれるのである。
そのようにウェイリーの訳文は、原文→英語という変則クッションを介在させているにもかかわらず、物語の主人公である紫式部の主人公性を強調し、原文には想定されていない「主語」を樹木の幹のように樹立するとともに、述語と形容句、副詞の補助的な機能を英文脈の論理に準じて華麗な枝葉のように巧みにアレンジしたために、まるで海鼠のように目鼻すら区別できない膨大なやまと言葉のかたまりが、ジェーイン・オウスチンやマルセル・プルーストに匹敵する格調高い西洋小説に変身してしまったのである。
佐復秀樹の翻訳は、そのようなウェイリーの訳文をさらに現代的な日本語に置き換えようとしたもので、これをあの有名な紫式部の名作などと過剰に身構えなくても素直に楽しめる物語、面白くて本格的な大河小説として換骨奪胎することに成功している。
これまで私の源氏翻訳ランキングは1位窯変橋本、2位谷崎、3位与謝野であったが、ウェイリー・佐復組の仕事はそれらのいずれよりも光源氏とその恋人たちのキャラクターを生き生きと光彩陸離に再現しているように思われる。
ただ明石の巻で入道につかえる下人たちが「時にはかなりの時化になるんやが、たいていはずっと前にわかるもんや」などと関西弁(明石弁?)でしゃべらせているのだが、それなら源氏や紫や葵上も京都弁にするべきだし、そうすると野卑な?明石弁と雅な都ことばとの差別化をはかる必要も生じるんとちゃうやろか?
♪平安の御代の源氏も紫も雅な京都弁を喋っていた 茫洋
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