♪音楽千夜一夜第94回
今年の4月5日にサントリーホールで行われたライブ収録されたビデオを鑑賞しました。
前回の「フィガロの結婚」の演奏の時にも感じたことですが、この指揮者にはイタリアの田舎を吹いているそよ風を感じます。モーツアルトを考えすぎると小澤やアーノンクールのような妙にしかつめらしいもったいぶった演奏に陥るのですが、ニコラ・ルイゾッティは、割合自然かつノンシャランに振っているのが幸いしていると思います。
そのタクトに東京交響楽団が素直についていっています。もう少し積極性が欲しいところですが、しょせん日本のプロのオケには無理でしょう。N響なんかでなくてもっけの幸いでした。
オペラは舞台を設けて音楽を鳴らしたりダンスを踊ったりして、どこかに居るに違いない芸能の神様の降臨を待ち望む儀式です。運が良ければアルスの神が天井からするすると舞い降りてきますが、幸いなことにこの公演では、ドン・ジョバンニが一幕で村娘ツエルリーナを誘惑する「お手をどうぞ」の二重唱のところでそれがあった形跡があります。
昔「愛より速く」という名作がありましたが、モーツアルトは娘さんがたった60秒で男に身を投げ出しても構わないという気持ちに実際にさせてしまう凄い肉愛の音楽を書いたのですね。娘が身を横たえた小娘がモンシロチョウの雌のように両の肢をわずかに開くところを、きっと天上のモーツアルトも覗きこんでいたはずです。
この公演の最大の見どころはダビニア・ロドリゲス扮するツェルリーナの演技と歌唱。これまでそれほど印象が強くなかったこの役柄の意味の再考を迫るほどの鮮やかな切れ味を見せました。人気急上昇の実力派マルクス・ウェルバによる立派な外題役ともども大きな賞讃に価します。
ガブリエル・エルゾテイの演出はホールオペラの弱点を逆手に取ってなかなかしたたかに振る舞っていましたが、ドンナ・エルヴィーラに男装させたり、やたら役者にいま流行の帽子をかぶらせたりする衣装担当者の妙なこだわりは気になりました。
気になるといえば、指揮者が兼ねて弾いていたフォルテピアノのレチタティーボは二幕で騎士長が石像となって登場する箇所でピアノ協奏曲k488の第二楽章のアダージョを即興で弾いていましたが、二幕の食事のシーンで奏でられるフィガロならともかく作曲者の指定のないこういう演奏は肝心かなめのオペラの演奏に致命的な影響を与えるということが分かっていないのではないでしょうか。
それでは最後に、当夜出演した歌手の成績を四段階で採点しておきましょう。
ドン・ジョヴァンニ:マルクス・ウェルバ 優
騎士長:エンツォ・カプアーノ 可
ドンナ・アンナ:セレーナ・ファルノッキア 良
ドン・オッターヴィオ:ブラゴイ・ナコスキ 可
ドンナ・エルヴィーラ:増田 朋子 不可
レポレルロ:マルコ・ヴィンコ 良
マゼット:ディヤン・ヴァチコフ 可
ツェルリーナ:ダビニア・ロドリゲス 優
ドンナ・エルヴィーラ役の増田 朋子は歌唱、演技ともにかなり問題があって完全なミスキャスト。他のスタッフがモーツアルトの音楽に乗っているというのに1人だけ不協和音を奏でていました。
アリアによっては歌いきれていないものがあるというのに、邦人びいきというのかブーの代わりにブラボーを叫ぶ者も多く、レポレルロのカタログの歌の途中で拍手をする手合いも飛び出すなど、この夜の聴衆の耳を疑ったことでした。
♪電話しつつお辞儀する妻の好ましや 茫洋
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