Saturday, September 12, 2009

大庭みな子著「魚の泪」を読んで

照る日曇る日第290回

大庭みな子さんは夫とともに11年の長きにわたってアラスカのシトカという帝政ロシア時代におおいに栄えた当時の首都で先住民やらロシア人やらアメリカ人やら日本人やらと混じって生活したそうですが、その頃の多国籍な市民との精神的な交流が、この作家のその後の活動の起点になっていることは間違いないようです。

欧州からも日本からも米国からも遠く離れて、いわば世界から見捨てられた異郷に身を置いて暮らしている異邦人たちとの不可思議な隠遁と流謫生活が著者独自の思考と感性をはぐくんだのではないでしょうか。

シカトには企業から出張してくる日本人もいましたが、彼女が肝胆相照らしたのは容易に本音を明かさない日本人ではなく、世界各地の既存の文法から大きくはみ出した異邦人たちでした。彼女はみずからは沈黙を守りながら、異邦人たちのあくことのない饒舌に耳を傾け、そのことによって彼女の内部には異邦人の言葉がミズナラの樹の内部の水のようにみなぎり、全身を循環し、それによって彼女もまた異邦人の仲間であることを知りました。つまり彼女は、異邦人たちとともに徐々にみずからの異邦へと侵入したのです。

そして「大切なことはまず思うことです。思わなければ決してなにもやってこないでしょう。ひとつのことを長い間思い続けていれば、ひとはたいていその思いを実現させるものです」と彼女がみずから語っているように、彼女の内なる異邦人が、彼女をして異邦の言葉を世界に発信させることを命じたのでしょう。

哲学者でもあるこの人は、「東洋と西洋のもっとも大きな相違は、東洋人は世界はあるがままのものであると考え、西洋人は世界はある法則のもとに動いていて、宇宙には神の理念があると考えたことである。東洋の思想には虚無がつきもので、はじめる前から終わったあとのむなしさについて考え、結局はなにもしないで個人的な幸福への道を説くものが多い」なぞとうそぶきつつ、この稀代の精神の旅行者は、その極北のシトカを捨ててパリに飛びだし、そこから東洋へと帰還する放浪の旅路を選びます。

小説の最後には、表題となった芭蕉の句がさりげなく添えられて、当時の作家の不退転の決意を表明しているようです。

捨て果てて身はなきものと思えども
雪の降る日は 寒くこそあれ
花の降る日は 浮かれこそすれ


♪去んぬる如月母君を神隠しに遭うた男けふペットボトル捨つ 茫洋

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