Friday, April 13, 2012
ボストン美術館「日本美術の至宝」展を見て
といっても米国のボストンまで行ってきたわけではありません。櫻満開の上野の東博平成館でつらつら見物したのです。
そこにはかの岡倉天心やフェノロサなどが本邦からせっせせっせと持ち運んだ国宝級の仏像、仏画、絵巻物、中世水墨画から近世絵画、染織、刀剣がワンサと並んでおりましたが、私の目をくぎ付けにしたのは、やはり「吉備大臣入唐絵巻」と「平治物語絵巻」でありまして、とりわけ後者の猛火と群衆の動的描写にはほとほと感嘆、二嘆、三嘆いたしました。
お次は長谷川等伯六八歳最晩年の傑作六曲一双の「龍虎図屏風」の圧倒的な壮観で、尾形光琳のポップモダンな「松島図屏風」も相変わらず良かったが、芸術の品格からいえばやはり等伯に軍配が挙がるでしょう。
それよりなにより奇想の芸術家と称される曽我蕭白の作品がなんと一一点も並んでいるのは春の珍事、驚異の眼福と言わずにおらりょうか。どれもこれも素晴らしいが、吾輩が一等感涙にむせんだのはやはり宝暦一三年制作の「雲龍図」で、真ん中の胴体が欠落しているのがいささか無念ではあっても、この気宇壮大なること空前絶後の恐るべき頭と尻尾をいつの間にか両の掌を合わせてつらつら眺めているうちに、嗚呼、ありがたや有り難や、あろうことか涙さえ流れてくるではありませぬか。
こんな世紀の逸品をどさくさまぎれに太平洋の彼方まで運び去ったウイリアム・スタージス・ビゲローは思えば小憎たらしい男ですが、当時の日本人なぞ及びもつかない目利きだったことが痛いほど分かります。これこそ日本芸術の最高峰であるのみならず、世界美術の最高傑作というても間違いないでせう。
気が付けば花散里となりにけり 蝶人
Tuesday, April 10, 2012
ドナルド・キーン著作集第1巻「日本の文学」を読んで
せんだってキーン翁は、晴れて我らが同胞の一員となられた。これについてわたくしは北区西ヶ原の区役所が小さな花束を贈ったことは知っているが、その他からあまり歓迎の声が掛からないのはいかなる仕儀であろうか。
わが国はアメリカなどと違って二重国籍を許さない偏狭な国家なので、すでに老境に達した異国の人が、いかに日本および日本人を愛しているとはいえ、大震災で来日に二の足を踏む外国人や原発被害で南西日本や海外に逃げ出す日本人も多い中、愛する母国アメリカを捨ててまで東洋の島国に骨を埋める決意を固められたことについて少しは思いを致し、江湖の声をひとつにしてその勇気ある決断を称えてもよいのではなかろうか。
さりながらめでたく帰化して「かけがえのない日本人の宝」のとなられたキーン翁から、改めてわが国の古典文学についての話を聞くことは、さしたる愉しみなき境涯の身のわたくしにとって、またとない悦びであった。
本巻では吉田健一の訳した「日本の文学」を皮切りに、篠田一士訳の「日本文学散歩」、大庭みな子訳の「古典の愉しみ」、そして全国各地で日本語で語りかけられた文芸講演、エンサイクロペディア・ブリタニカに掲載されている「日本文学」の英語解説まで、じつに多種多様、バライェティに富む本邦の文学、小説、詩歌、演劇などの論考や随想が載せられているが、執筆年代が少し古いにもかかわらず、いま読んでもどれも新鮮で面白い。
とりわけ「日本文学散歩」出てくる大村由己、細川幽斎、木下長嘯子、宝井其角、平田篤胤、大沼枕山、仮名垣魯文などの諸氏の文芸事績とその作品評価は、彼らについて暗いわたくしには初めて聞くことばかりで勉強になった。
芭蕉の「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」について、「イ音」が多いことに注目し、芭蕉はこれがセミの鳴き声に似ていることを知って意図的に詠んでいると指摘しているのも興趣深いが、ここからその時に鳴いていた蝉が、アブラゼミでもクマゼミでもヒグラシでもミンミンでもなく、ニイニンゼミであることを改めて認定できよう。
NYのメットで「アイーダ」の終幕のリハーサルをしていたトスカニーニが、主役のソプラノに「そんな悲しそうに歌うんじゃない。これは生涯のうちの喜びの瞬間なんだ。喜びをもって歌いなさい」と指示するのを聞いた瞬間、「これこそは近松の心中する主人公たちが考えたことだ」とつい思ってしまうのが、ドナルド・キーンという人なのである。
キーンさん、日本人になってくれてありがとう! 蝶人
Wednesday, March 21, 2012
鎌倉国宝館で「ひな人形」を見る
年年歳歳花相似 年年歳歳人不同。あれからもう1年が経ったのですね。
私は今年もまた、春近い朝、鶴岡八幡宮の片隅にある国宝館のひな人形を見物に行きました。享保時代に製作された大きなうりざね顔、引目鉤鼻の享保雛をはじめ、江戸、明治、大正時代につくられ大家、名家、旧家に大切に保存されていた内裏雛や御殿飾り、雛段飾り、立雛、衣装人形、御所人形などが目も綾に陳列され、この一隅だけは早くも春爛漫の雰囲気です。
昨年も触れましたが、平安時代以降本邦では(右大臣より左大臣のほうが偉かったように)、身分地位が上位の者は左側(向かって右)に立つという伝統と風習があったために、この会場の人形はいずれも男雛が左(向かって右)に、女雛が左(向かって右)側に並んで立っています。
ところが昭和三年一九二八年、昭和天皇即位の折にそれが左右逆転したのはいかなる事情があったのでしょうか。恐らくは西洋から来日した貴賓との会見や接待の折に不都合が生じる惧れがあったために古来伝統の作法を急遽曲げてしまったのでしょうが、どうしてこういう問題に過剰反応する右翼や国家主義者たちが反対しなかったのか不可解です。ここでは礼儀作法という名目に潜む西洋と神国ニッポンの存在理由が問われていたのですから。
それにしても昭和天皇の顰に右に倣って、それ以降の人形業界や日本人が西洋流のレイアウトに盲従してしまったことこそ大問題だと思うのですが、そうゆー下らない話よりも今年のパリコレで話題を呼んだコムデギャルソンの少女風のワンンピースの発想の原点は、縄文巻頭衣ではなく「お雛様」にあるとにらんでいるのですが。
*本展は鎌倉国宝館で4月1日までひめやかに開催中
平成のすべての女性をお雛様にする川久保玲 蝶人
Monday, March 19, 2012
鎌倉地獄谷成就院付近を歩く
春は名のみ。梅はようやくにして咲いたが桜はまだ河津桜だけというこの時期、東京に出かける元気はないので、地元で長く地獄谷と呼ばれた辺をちょっと散歩しようということになりました。
早朝江の電の極楽寺駅を折りたる時ならぬ人だかり。今週の木曜日に終了するフジテレビのドラマのロケを行っていました。鎌倉の市役所に勤務する中井貴一がきょんきょんと熟年の恋をするというお話で、そのタイトルはP.K.ディックの有名なSF小説「最後から二番目の真実」からの無断のパクリです。
長男が「風のガーデン」にも出演したガブさん役の中井貴一の熱烈なファンなので、わたしが早速写真を撮ろうとしたら、無意味に肥ったプロダクション・マネージャーがすっと飛んで来て「駄目駄目」というので、諦めて極楽寺に向かいました。
極楽寺を出てもまだ本番のカメラは回らず、プロマネが声をからして車や通行人を停めたりしています。その間およそ五〇人の俳優やスタッフや警官や駅員は辛抱強く待機したまま。映画でもテレビでも九割は待機時間が続くのです。
観光客目当ての鎌倉市と視聴率目当ての民放が結託した大政翼賛番組を冷ややかな視線で突き放しながら、極楽寺の近所にある成就院に向かいました。毎年梅雨時になると商魂たくましい住職が石段のまわりに植えたアジサイを見物するために各地から観光客が押しかける成就院ですが、この時期には人影もまばらです。
この坂の上のお寺は、承久元年1219年に3代執権北条泰時が都から高僧を招いて創建されましたが、新田義貞が鎌倉に攻め込んで稲村ケ崎のアサリを踏みつぶした元弘3年の戦火で焼亡し、再建されたのは江戸時代です。境内には弘法大師像や八角堂等がありますが、そんなことより境内を過ぎて見下ろす由比ヶ浜の眺望が素晴らしい。
麓の星月井の傍には同院が管理する虚空蔵堂があり、奈良時代に行基が奉ったと称される秘佛虚空蔵菩薩が安置されているので創建はこちらの方が古いのでしょう。
鎌倉は井あり梅あり星月夜 子規
人寄せにアジサイ植えるあさましさ 蝶人
明鏡山星井寺に詣で星月井に映る名月を愛で名物力餅を食す 蝶人
Wednesday, March 14, 2012
木下恵介監督の「楢山節考」を見て
深沢七郎の原作を木下恵介が1958年に最初に映画化した作品である。
むかし極貧にあえぐ山村では、口減らしのために70歳になればいくら頑健で歯が丈夫でも村の果てにある楢山に捨てられ、哀しくも残酷な最期の時を迎えさだめにあったのだ。
落葉した楢の樹海の向こうには、白い遺骨やしゃれこうべが散在し、岩山の頂きには烏が隙をうかがっている。やがて雪が降り始めた雪が老婆の肩にうずたかく積もって行くのだが、主演の田中絹代が石臼で歯をぶち折るシーンは鬼気迫るものがある。
それを思い、これを思えば、いかに国土と精神がいかに疲弊荒廃しようとも、3度3度の食事ができ、柔らかな布団で安眠できる平成の御代の有り難さが心から身にしみる映画である。
田中絹代という人は顔容は地味だが、声に独特の個性があった。昔陋屋を訪ねてくれたジャック・ドワイヨン&ジェーン・バーキン夫妻を、かつて彼女が住んでいた鎌倉山の山椒洞に案内し、妻と四人で懐石料理を食したことがあった。茫々三〇有余年、遠く富士山を望む風光絶佳の一大文化遺産を買い上げて跡形も無く破壊したのみならず、日仏映画人
結ぶ我が家のささやかなえにしをも踏みにじった無法者は、すでに逗子に豪邸を所有するMMという金満強欲の芸能人であった。
凍水に呑まれ息絶え流されて魚に喰われし人をし思ほゆ 蝶人
Sunday, January 29, 2012
黒沢明監督の「生きる」を見て
何回見ても志村喬の公園でのブランコと「♪命短し恋せよ乙女」には涙腺がぐちゃぐちゃになる。ガンに冒され余命数カ月に迫った公務員の胸中を黒沢は見事に劇化し感動的な名画を誕生させた。そこでは映画の主題とテーマ音楽「ゴンドラの唄」が絶妙な相乗効果をもたらしている。
しかし、ここからは映画の感想から逸脱するが、よく考えてみると市民課長の生涯最初にして最後の達成が、必ずしも公園の建設でなくとも構わなかったのではないかという気もしてくる。福利厚生が乏しかったあの時代に公園の存在は貴重かつ重要な意義を持っていたのかもしれないが、しかしもっと重要で喫緊の市政の課題が他にあったかもしれないな。よしんばそれが一部の住民の熱望であったとしても。
死にゆく課長にとって死力を尽くして実現した公園は、あの時点で市役所&市民課が市民の総意としてめざすべきゆいいつ絶対の理想ではなくて、課長さんの極私的な野望に突き動かされての独走暴走?であった可能性も排除できないな。
通夜の場面では助役以下の公吏が非人間的で非人情な存在として敵対的に浮き彫りされていたが、これは監督の恣意的な思い入れとセンチメンタリズムが少しくでしゃばりすぎているのではないか、というのが涙をぬぐって立ち上がったわたくしの感想でした。
どこまでも君の欲望に寄生して死んでも離さぬドコモauソフトバンク 蝶人
Thursday, January 26, 2012
溝口健二監督の「祇園の姉妹」を見て
1936年の製作。かなりの部分のフィルムが失われてしまったが鑑賞に差し支えは無い。京の祇園の芸者として生きる2人の姉妹の物語である。
梅村蓉子が演ずる姉は倒産して無一文になった木綿問屋の主人の面倒を見るという昔ながらの義理人情を大事にする古風な女だが、当時18歳の木暮三千代演ずる妹は正反対のモダンガール。姉の情人を手切れ金で追い出して別の男とくっつけ、自分は呉服屋の若い番頭、ついでその主人を手中に収めてしまう。
万事快調、妹の凄腕の細腕一つで色ボケ親父を完璧にぎゅうじったかに思えたが、それも一瞬のこと。好事魔多しとはよく言ったもので、妹は恨んだ番頭にさんざん痛めつけられ、そのうえ主人の秘密を呉服屋の細君に内報されたために「なんで芸者なんかがこの世にあるんやろ」と恨みながらよよと泣くのが全巻のおわりだが、おのれの悲痛と悲惨をそれまでとは打って変わって社会や世の中のせいにするのは脚本の甘さであり、この映画の唯一の弱さであろう。
されど山田五十鈴の美しさと溌剌とした物言い、彼女を借りて新しい女性の生き方を打ち出そうとした脚本と演出は素晴らしくこの映画に不朽の生命を、そして随所で多用される超ロングワンショットが、この物語を遠くから客観視する視点を付与している。最後から二番目のカットのその息を呑む長回しは、映画史上空前にして絶後であろう。
ああこれあるからこそ、世界の溝口なのだ!
東大寺より西大寺が好きな人 蝶人
Tuesday, December 20, 2011
小林正樹監督の「切腹」を見て
仲代達矢が主演する格調高い時代劇。寛永6年に井伊家の屋敷で腹を切りたいと貧乏侍が頼みに来る。当時商人を中心とした貨幣経済の波が下層武士階級を食うや食わずの悲惨な状態に突き落としていたが、困り果てた侍がそういう名目で大家を訪れ、いくばくかの金子を貰って引き揚げるケースが頻発していたんだそうだ。
しかしそんな風潮に業を煮やした井伊家の代官(三国連太郎)とその手下たちは、訪問者(仲代達也の娘婿)の表向きの要請どおりに切腹させる、しかも売り払った真剣ならぬ竹光で。その惨たらしい最期を知った義父は息子の敵の代官屋敷に乗り込んで血刀を振るって壮絶な復讐劇を繰り広げる。
幕府の重臣井伊家にあるまじき非人情な仕打ちに抗議するいわば自爆テロで、そのチャンバラの大迫力を求めるのにやぶさかではないが、冷静に考えると竹光での切腹を強要はたしかに非道の仕打ちであるが、そもそもいくら貧困の底に喘いでいるとはいえ、大名家の庭先を借りて自死すると称して金品をねだりに行く根性そのものが浅間しい。
その点をないがしろにして大名家の横暴や自己保身を難詰するという原作シナリオのほうが片手落ちなのである。竹光で腹を切る映画の音楽も武満徹。遠い親戚の五味龍太郎が悪役で出演していて嬉しかったが、それにしても実に後味の悪い映画であった。
ガガズミの赤は野薔薇の赤より紅くしてサネカズラ、ピラカンサ我が家は赤い
蝶人
Monday, December 05, 2011
黒沢明監督の「羅生門」を見て
闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.175
有名な芥川の短編「藪の中」と「羅生門」を脚色した内外で有名な映画です。森の中で居眠りしていたならず者の三船敏郎が、通りがかりの美女京マチ子の脚(ちょっと太い)を見て欲情を催し、夫の侍、森雅之を襲って縛りあげてその目の前で強姦し、その後侍が死体で発見された事件の真相を、羅生門で雨宿りしていた僧や下人らが推理するのです。
検非違使に捕縛された野盗多襄丸、探し出された美女、死んだ夫(イタコが冥界から呼び出す!)、そして現場に居合わせた下人の目から見た4つの真実が順番に紹介されますが、結局は最後の証言がいちばんほんとうに近いものだというのが、この映画の解釈なのでしょう。
男のいいなりだった従順な女性が、とつじょ現代女性のような感覚で2人の男性を罵倒し、これをきっかけに2人の決闘がはじまるが、刃傷を恐れるそのカッコ悪いチャンバラが最大の見どころ。こんな男なら女も愛想を尽かすでしょう。
そもそも芥川の原作は頭のいい閑人のひねくれた知的遊戯のようなもの。最後の羅生門でのとってつけたようなエピソードは蛇足ですし、ボレロを下手にコピーしたような早坂文雄の音楽はいうもとちがう最悪のやっつけ仕事。ゆいいつの見どころは森の光と影の高速移動撮影でしょうか。
貧すれど貪するなかれ羊雲 蝶人
Wednesday, October 05, 2011
加藤陽子著「昭和天皇と戦争の世紀」を読んで
照る日曇る日第457回
本書を読むと、満州事変、日中戦争、そしてアジア太平洋戦争のいくたの局面に、昭和天皇がどのようにかかわったのかを詳しく知ることができる。
昭和天皇と戦争相関関係を微に入り細にわたって追及する著者の筆は鋭い。例えば米国への宣戦布告が遅れたのは駐米日本大使館の不手際ではなく、陸海軍の奇襲作戦を効果的にするために統帥部と外務省が意図的に遅らせたこと。ルーズベルトから天皇への親書電報も陸軍が15時間も遅延させたこと。そもそもだまし討ちの汚名を蒙らないためにはワシントンでなくとも東京の駐米大使グルーに布告文書を渡せばよかったこと等々、目からうろこの斬新な指摘も多々ある。
著者がいうように、皇太子時代に西欧を訪れて第一次世界大戦の惨禍をつぶさに目にした昭和天皇は、祖父にならって世界平和の重要性を痛感していたはずである。
ところが長ずるに及んでみずからが総攬する大権が憲法の制約下にあることを知りつつ、宮中、内閣、陸海軍、とりわけ幕僚に対してはラバウルや沖縄などの戦争政策に関しても積極的に発言し実質的に命令している。統帥権を掌握していた天皇は当然首相や閣僚が知らない情報まで把握しており、ある時は適切な、またある時は不適切な政治判断を示しているのである。
特にアジア太平洋戦争については陛下の個人的御聖断によって対米英戦争がはじまり、同じく彼の個人的決断によって終結し、その所為で無慮数百万の無辜の赤子を、海ゆかば海の底で、山ゆかばさいはての凍土や密林で玉砕させたわけだから、連合国がどう判断しようと人間一個の道義的責任ということをまじめに考えれば、形式的な法律論でこの人物を「無答責」と免罪するわけにはいかないだろう。
しかし、これでもかこれでもかと当時の客観的情報を並べて学者的分析を述べる著者は、この重大な問題について沈黙を守っている。じっさい当時の国内外、政官財軍民の動向はあまりにも複雑怪奇に入り組んでおり、本書を読めば読むほど、天皇を含めた諸個人の思想と行動の軌跡を精密に腑わけしてその功罪得失と論じ、あまつさえその因果応報を断じることは神ならぬ身には不可能に近いのではないか、という一種のあきらめにも似た慨嘆が湧きおこるのである。
ブレーキのない自転車に乗る奴はみなみな弾き殺されろ 蝶人
Saturday, September 17, 2011
溝口健二監督の「雨月物語」を見て
闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.147
上田秋成の原作をこの映画のために自在に企画・脚色した辻久一、川口松太郎、依田義賢、そして夢か現か幻かという映画世界を見事に具現化した美術、照明、撮影、音楽スタッフ、最後にヒロイン京マチ子の妖艶な美しさが光る邦画の名作です。
もちろん監督や森雅之、田中絹代、小沢栄太郎、水戸光子などの役者連中も健闘していますが、この映画では私たちが戦国時代の武士や貴人のたしなみとして認知している日本的な優雅幽玄風情なるものは、外国人にはことさら魅力的な世界として映じているので、かくべつ彼らが出演していなくともヴェネツィアでは賞が獲れたことでしょう。
しかもこの映画が描こうとしているのが、ほんとうの幸福は遠い世界の富や名誉ではなく手を伸ばせば届く厩の麦の温かさにある、とする古今東西に普遍するメーテルリンクの所謂ひとつの「青い鳥」の主題であったがために、全世界の共感を呼んだのでありませう。
それにしても京マチ子のエロスの濃厚なこと! このようなにょしょうに日夜挑まれ、組み敷かれてついに身を滅ぼしてしまうことこそおのこの甲斐性ではないか、と溝口は主張しているのです。
ミチアンナイに案内されて登る坂 蝶人
Friday, September 09, 2011
前田和男著「紫雲の人、渡辺海旭」を読んで
照る日曇る日第452回
著述、翻訳、編集、プロデュースと八面六臂の大活躍を持続する著者の最新作が「壷中に月を求めて」と副題されたなんと526頁という浩瀚の書です。
渡辺海旭は明治5年1872年に浅草田原町の蛇骨長屋に生を享けた貧民の子でしたが、苦学力行して僧となり、長じては漱石と同時代に欧州に学び、腐敗堕落した既存仏教と教育を革新し、本邦初の社会事業を起こし、アジアの独立運動を援け、明治・大正・昭和初期を骨太に走り抜けた怪僧でした。
とくに注目すべきは、その全方位に越境し続けた海旭のマルチプレイヤーぶりです。
宗教家としては第1次浄土宗海外留生として独ストラスブルク大に赴き、泰斗ロイマン教授の元で11年間に亘ってサンスクリット語、チベット語、パーリ語を学んで比較宗教学を修め、新旧のキリスト者、社会主義者、若き日のシュバイツアー博士とも交わる第1級のコスモポリタンでしたが、帰国後は明治の近代化の中で汚泥に塗れつつ伝統仏教の再生に大きく貢献します。
教育家としては母校芝中学の校長を22年間務める傍ら東海中学、現大正大学、東洋大学、国士舘大学の設立・運営にかかわって幾多の人材を育て上げ、また労働者救済運動に宗派を超えて取り組んだ海旭は、日本で初めて「社会事業」という言葉を造語した人物といわれています。
さらに驚くべきは彼の膨大な交流ネットワークで、新宿中村屋を創業した相馬黒光、清濁併せ呑む右翼の巨怪頭山満、インド独立運動の闘士ボース、社会事業家の賀川豊彦、カルピスを創業した三島海雲、文学者の土井晩翠武田泰淳、映画監督の今井正等々、ひとつの器には到底おさまりきらない桁はずれのダイダラボッチといえましょう。
海旭没して70有余年。本書が指し示すその巨大な構想力と破天荒な行動力、融通無碍の瞬発力を目の当たりにして、幸福なる少数の読者は必ずや大いなる刺激と示唆を禅譲されることでしょう。
銀座三越でキタムラの黄色い財布が買えました 蝶人
Thursday, September 08, 2011
西川誠著「明治天皇の大日本帝国」を読んで
照る日曇る日第451回
講談社の天皇の歴史第7巻がいよいよ幕末を経て明治に突入しました。一身にして二生を経た父孝明天皇と同様、明治帝もまた朝廷の奥に巣食う繁文縟礼と神人一体祭政一致の魑魅魍魎の混沌に浮沈しながら、薩長の指導者、元老の補弼に導かれながら、みずからを近代化・西洋化していく。
幼くして宮中の保守的な侍補や儒家、女官の影響下で軟弱に育った頑迷な少年が、西郷、大久保、長じては伊藤博文が描いたグランドデザインに基づいてその怠惰で放恣な性格を矯正し、鉄漿白粉袴束帯の和装から軍服をまとった帝国の指導者へと変身していく姿は感動的ですらある。
川村海軍相の落ち度に対して西瓜を投げつけて叱咤する大西郷の英姿を目に焼き付けた若き日の明治帝が西南戦争で落命したこの最後の武人を追慕して政務を一時拒絶する姿も涙ぐましい。
しかしのもとで政治的人間として成熟した明治帝は、明治憲法が規定する元首として、その掣肘の元で内閣と議会の三角関係の安定正常化に腐心し、これを生涯に亘って巧みに制御することに成功し、あわせて「明治の精神」を文字通り体現したといえるだろう。
彼が生涯につくった御製はなんと九万三〇三二首のおおきに達するそうだが、これは彼が覇王の主たる用務としての文雅の道に忠実であったのではなく、新たに課せられた政務への取り組みの慰謝と代償行為であったのではないだろうか。
しかし明治帝と明治憲法の父とも称すべき伊藤博文は統帥権の独立と日露開戦、国家神道の跳梁を許し、朝鮮併合にあえて反対しなかったことで昭和天皇下の大日本帝国崩壊の素地を用意していたともいえよう。
資生堂パーラーで四千円のランチを食べました 蝶人
Wednesday, August 24, 2011
本郷森川町界隈を歩く
茫洋物見遊山記第62回&勝手に建築観光第43回
本郷館のすぐそばに、昔ながらの旅館鳳明館の森川別館がひっそりと立っていました。昔はどこへ行ってもこういうひなびた日本旅館ばかりだったのですが、いまでは洋風のビジネスホテルに圧倒されて少し肩身が狭そうです。
鳳明館には森川町のほかに本館と台町の別館があり、本館は有形文化財に登録されていますが、三館とも質素で静謐な佇まいを備えており、どうせ都内に宿泊するなら値段も安いしこういう昔風の宿屋に限ります。
私はこの鳳明館ではなく、石川啄木が明治の終わりに寄宿した蓋平館を再見したいとあたりをうろついたのですが、とうとう見つけることが出来ませんでした。なんでも現在はその由緒ある名前を捨てて太栄館という名前に変わったそうですが。
亡くなった私の父が生前語っていたとおり、東京の下町の人はみな親切です。本郷を久かたぶりに訪れた私は、本郷館がわからず煙草屋のおばさんや酒屋の兄さん、宅急便配達のオネエちゃん、本郷の女子中学生などに次々に所在地を訪ねたのですが、じつに懇切丁寧に教えてくれました。
七〇近くの煙草屋のおばさんは本郷館を惜しみながら、その近所にある徳田秋声と宇野浩二の旧跡を教えてくれたので、ついでに足を運んでみました。宇野邸後は駐車場になっていましたが、秋声宅は健在でミンミンゼミがここを先途と泣き叫んでおりました。以前訪れた時にはもう少しこのあたりに明治の趣があったような気がしましたが、いまはやたらマンションだらけ。しかし彼はこの木造住宅の書斎で「黴」や「あらくれ」などのエグイ私小説を書いたのです。
ああそうだ、ついでのついでに樋口一葉の旧居を見ておこうと思って菊坂に向かいました。確かこの路地を入るはずだと思ってあたりをうろうろしていたら、幸い近所のおばさんと行き合ったのでこれ幸いと尋ねてみたら、彼女も知らないという。
仕方なく一緒にうろうろしていたら、彼女の知り合いのもう一人のおばさんがやって来て、「あんたも馬鹿ねえ、この路地の奥じゃないの」と教えてくれたので、この土地に何十年も住んでいるおばさんと共に一葉ゆかりの井戸を見物することができました。やれやれ。
本郷の西片町をわれ行けば一葉漱石順二の声す 蝶人
Tuesday, August 09, 2011
成瀬巳喜男監督の「浮雲」を観て
闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.137
原作は林芙美子、脚本は水木洋子、そして男と女の好いた惚れたのファーストキスから、ズブズブドロドロの腐れ縁、そして因果は巡る大団円までを、これでもかこれでもかと執拗に描く監督。
そして、その理想的な被写体としての演技をほぼ完璧に演じる高峰秀子と森雅之。そこにヒロインの処女を暴力で奪った山形勲とヒロインの恋敵岡田茉莉子が顔を出す。しかも音楽は小津の常連斎藤一郎とくれば、いわゆるひとつの成瀬ワールドはこれで完成したようなもの。
ド壺にはまって悪あがく2人が、ある時は男が、またある時は女が優勢に見えるのが切なく身につまされるが私はこの映画を最後までみてもどうして2人が別れられなかったのか判然としなかったのだが、成瀬の解釈では2人の性的な相性が抜群だったということで、さもありなん。そういう描写もインサートしてくれれば、もっと凄絶な恋物語となったろう。
1年360日雨が降る屋久島で悲劇が起こった時、男は喪ってはじめて表中の掌中の珠の有り難さを知るのだが、どうせ泣くならフェリーニの「道」のザンパノのようにもっと号泣して欲しかった。
うら若い乙女からろうたけた人妻姿まで、高峰秀子は透き通るような美しさであり、森雅之のようなすがれた色男は、げんざいのわが芸能界にただひとりも存在しないことが如実に分かる映画でもある。
つばくらの低く飛ぶ駅を出でにけり 蝶人
Thursday, August 04, 2011
五味文彦編・現代語訳「吾妻鏡10御成敗式目」を読んで
照る日曇る日第447回
本巻では寛喜3年1231年から嘉禎3年1237年の7年間の鎌倉幕府の事績を取り扱っているが、そのわずかな期間の叙述にかなりの重複があるのが解せない。
そもそも吾妻鏡は北条一族の息がかかった歴史整序が恣意的になされているので注意して読まなければいかないのだが、この重複は単なる編集ミスとしか考えられず、一時代を画する正史の編纂のでたらめさに驚く他はない。
しかしそうケチはつけても北条泰時の治世にゆるぎはなく、彼のイニシアチブの元で1232年の御成敗式目が制定され、御家人・守護・地頭の法制の整備が果たされたことは、その直前の寛喜の大飢饉を思えば武家政権の見事な成果と誇っていいだろう。
本巻の編者西田友広氏によれば、寛喜の大飢饉ではそれまで禁止されていた人身売買が容認されたというが、当時はこれを禁止することがかえって「人の愁嘆となるべき」異常な事態に陥っていたのである。
本巻では私の近所に現存する実朝が建てた五大堂明王院に新しい御堂が建立されて将軍藤原道経をはじめ北条時房、泰時が臨席して晴れの披露が行われたとか、九夜連続の大地震に見舞われたとか、さまざまな天変地異が相次ぎ、安倍一族が各人各様の占いを行ったりするという叙述があって七七〇年の歳月を一瞬のうちに無化してくれるが、そろそろ鎌倉で大地震が発生する時期が訪れていることは、この「吾妻鏡」を読め読むほどあきらかになってくる。人こそ変われ、歴史は何度でも繰り返すのだから。
天福元年1233年3月7日、智定房という元武士の1人の僧が、尾形船の尾形をすべて釘でうちつけ、窓ひとつない密封された狭い空間に30日分の食料と油を積み込み、熊野の那智浦から補陀落山めがけて乗り出したというが、どうにもこの人の末期が気になる第10巻であった。
喨々と油蝉鳴く正午かな 蝶人
Saturday, July 30, 2011
市川昆監督の「おとうと」を見て
1960年製作のこの映画は、黒白のコントラストを強調した世界初の「銀残し」という画像処理を施された映画ですが、その特色は本作よりはスピルバーグの「マイノリテイ・レポート」などでもっとよ強烈に生かされていましたが、この映画でもヒロインの岸恵子の陰影のあるくまどり、父親役の森雅之の深みのある重厚な表情にその効果を発揮しています。
原作は幸田文、脚色は水木洋子、そして監督が市川昆ですから、姉の岸も「おとうと」の川口浩も大船に乗せられたようなもの。父役の森と義母役の田中絹代の強烈な助演を受けて、薄命の少年の哀しい映像物語ができました。
不良でろくでなしの弟を若くしてガンで亡くなった川口が熱演しているが、その弟を「熱愛」する姉の岸もまけじと張り合う。ラストで臨終の弟が差し伸べた腕を抱けなかった姉が、つかの間の失神から甦って無意識にエプロンをつけながら病室に飛んで行くストップモーションにすべてのスタッフの情念が籠っているようです。
岸恵子がデパートで万引きしたと疑われて非人間的な取り調べをされるシーンや、半身不随の意地悪で孤独な義母役の田中絹代が、キリスト教信者仲間の岸田今日子とひそひそ陰微に密談を交わすシーンも忘れ難いものがあります。
ニッポン戦場、ニッポン洗浄、ニッポン沈没、ニッポン脱出 蝶人
Saturday, July 16, 2011
藤井譲治著「天皇と天下人」を読んで
照る日曇る日 第445回
講談社から刊行されている天皇の歴史シリーズの第5巻であるが、ここでは戦国時代に我が国を天下統一に導いた三英傑と天皇の関係について述べられている。
己を天下人であり国王であり天皇以上の存在でありと自負していた織田信長は、一貫して朝廷とは距離を置き、彼にひたすら媚を売る正親町天皇を適当に利用しながら、基本的に無視していた。天皇と天皇制を見事なまでに小馬鹿にしていたのである。
信長は後継の秀吉、家康と違って、徹底的に朝廷の権威や秩序を無視して己の唯我独尊を貫こうとしたあたりがいっそ快い。
秀吉の交渉相手も信長と同じ正親町天皇であったが、同じ天下人とはいっても成り上がりの秀吉と信長ではなかなか対等という訳にもいかず、雲上人のご機嫌(天気というそうだ)を取り結びながら下から籠絡しようとする態度が印象的で、関白の位階欲しさに正親町にすり寄る秀吉の姿は醜い。
秀吉が信長と同様に朝廷を牛耳るようになるには御陽成天皇の就任を待たねばならなかった。しかし秀吉の死後彼が望んだ後継者を拒否し、彼が願った「新八幡」の神称を拒んだのは他ならぬ御陽成天皇であった。
前任者たちの対応を醒めた目で観察し、天皇および天皇制にもっとも致命的な打撃を与えたのは、やはりというか、さすがというか天下の知恵者徳川家康であった。彼は死の直前にみずからの発案で禁中並びに公家中諸法度を制定し、御陽成の後継者である御水尾天皇の権威と権力を完全に奪い取り、名実共に朝廷を武家の支配下に治めたのである。
こうしてつらつら眺めてみると、信長が搗き秀吉が捏ねた餅を家康がうまそうに頬張るという図式もあながち漫画ではないような気がしてくるから不思議である。恐らく三英傑のうちで最も優れた政治家は最後の者であったのであり、彼が主導して統治した256年間が、この国の民衆にとって最も幸福な時代であったのもむべなるかな、と言わずにはおれない。
だんだん好きな人が減って嫌いな奴が多くなる 蝶人