Wednesday, August 24, 2011

本郷森川町界隈を歩く


茫洋物見遊山記62回&勝手に建築観光43

本郷館のすぐそばに、昔ながらの旅館鳳明館の森川別館がひっそりと立っていました。昔はどこへ行ってもこういうひなびた日本旅館ばかりだったのですが、いまでは洋風のビジネスホテルに圧倒されて少し肩身が狭そうです。

鳳明館には森川町のほかに本館と台町の別館があり、本館は有形文化財に登録されていますが、三館とも質素で静謐な佇まいを備えており、どうせ都内に宿泊するなら値段も安いしこういう昔風の宿屋に限ります。

私はこの鳳明館ではなく、石川啄木が明治の終わりに寄宿した蓋平館を再見したいとあたりをうろついたのですが、とうとう見つけることが出来ませんでした。なんでも現在はその由緒ある名前を捨てて太栄館という名前に変わったそうですが。

亡くなった私の父が生前語っていたとおり、東京の下町の人はみな親切です。本郷を久かたぶりに訪れた私は、本郷館がわからず煙草屋のおばさんや酒屋の兄さん、宅急便配達のオネエちゃん、本郷の女子中学生などに次々に所在地を訪ねたのですが、じつに懇切丁寧に教えてくれました。

七〇近くの煙草屋のおばさんは本郷館を惜しみながら、その近所にある徳田秋声と宇野浩二の旧跡を教えてくれたので、ついでに足を運んでみました。宇野邸後は駐車場になっていましたが、秋声宅は健在でミンミンゼミがここを先途と泣き叫んでおりました。以前訪れた時にはもう少しこのあたりに明治の趣があったような気がしましたが、いまはやたらマンションだらけ。しかし彼はこの木造住宅の書斎で「黴」や「あらくれ」などのエグイ私小説を書いたのです。

ああそうだ、ついでのついでに樋口一葉の旧居を見ておこうと思って菊坂に向かいました。確かこの路地を入るはずだと思ってあたりをうろうろしていたら、幸い近所のおばさんと行き合ったのでこれ幸いと尋ねてみたら、彼女も知らないという。

仕方なく一緒にうろうろしていたら、彼女の知り合いのもう一人のおばさんがやって来て、「あんたも馬鹿ねえ、この路地の奥じゃないの」と教えてくれたので、この土地に何十年も住んでいるおばさんと共に一葉ゆかりの井戸を見物することができました。やれやれ。

本郷の西片町をわれ行けば一葉漱石順二の声す 蝶人

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