Saturday, August 13, 2011

衣笠貞之助監督の「地獄門」を観て


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.138



平安時代末期から鎌倉の初期にかけて活躍した文覚上人の前半生を文豪菊池寛の原作でカラフルに映画化した。

北面武士の遠藤盛遠(長谷川一夫)が同族の武士渡辺渡(山形勲)の美貌の妻、袈裟御前(京マチ子)に横恋慕して渡と間違えて刺し殺してしまうという悲劇である。いくら好きな女でも人妻なら普通の男はあきらめてしまうのに、盛遠はひたすら押しに押しまくる。袈裟は夫に助けを求めればよいのにそれをせず、夫の寝所に自分が横たわって夫の身代りに殺されてしまうというのがどうも納得できない。

相手を間違えたと知った盛遠は絶望して自分を成敗せよと迫るが、渡はお主を殺したとて妻が生き返るわけではないと虚無的な哲学を述べて妻の復讐を放棄する。そこで盛遠は刀でもとどりを切って僧となり袈裟の菩提を生涯に亘って弔うと宣言して映画は終わるのだが、僧となった文覚が飛び込んだのは若き日の友人源頼朝とつるんだ生臭い政治と陰謀の世界だった。映画と同様実人生でもとてもまともな人物とは思えない。

衣装も建物も牛車もヘアメイクもギンギンギラギラの極彩色で彩られ、才人芥川也寸志が琵琶、琴や笙、笛などの和楽器を平安時代のインテリアミュージックのように垂れ流す。

この映画が海外で高い評価を受けたのは、その内容ではなく、ニッポンのサムライの世界へのエキゾチシズムと大いなる幻影のせいだろう。

天青咲きてわたしの夏が来る 蝶人

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