照る日曇る日第450回
かつて桐壺帝が寵愛する藤壺を犯した源氏は、このたびは朱雀帝より拝受した皇女女三の宮を政敵である太政大臣の息子柏木に犯され、またしても最愛の妻紫上を襲う六条御息所の怨霊と戦いながら、おのれの業の深さに懊悩する。まさに因果応報の地獄絵図がこれでもか、これでもかと繰り広げられて読者の目をくぎ付けにします。
最近丸谷才一の「樹液そして果実」を読んだところ、源氏物語について興味深い指摘がありました。本巻の「若菜上」では朱雀帝に乞われて源氏は彼の娘である女三の宮をめとるのですが、丸谷氏は折口信夫とともに、その理由を彼女の財産であると喝破しているのです。
古代から平安時代までは女性に幅広く財産相続の権利が認められていた母権制社会であり、源氏の時代の皇女は荘園から上がる莫大な資産を所有していました。その財産を政治的ライバルである太政大臣(元の頭中将)に奪われるということは単なる経済的な損失のみならず政治的な打撃でもあったのです。
そこで源氏は愛妻紫上を悲しませ、正妻の地位をはく奪するというリスクを払ってまで超セレブの皇女を手に入れたというのですが、この卓抜な説を知った私は源氏物語を新しい光のもとで見直すようになりました。
このほか丸谷氏は、源氏物語の本編と宇治十帖を流れる時間を比べて、後者が光彩を失った灰色の現代であるとすれば、前者が香気に満ちた、もう二度と戻ってこない遠く懐かしい昔である、というような感想を述べていますが、これまた卓見であると言わざるをえません。源氏物語を流れている時間こそ、栄枯不変の永遠のなう、なのです。
カワセミは笑わずに土菅めがけてまっすぐ飛んで行く 蝶人
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