Monday, June 07, 2010

報国寺のタケノコを見る

茫洋物見遊山記第30回&鎌倉ちょっと不思議な物語第222回

 しばらく前に細君と一緒に名物の筍を見に報国寺を訪ねました。竹寺として知られるこのお寺は建武元年1334年に天岸慧広の開山、足利家時を開基として開かれ、当時の寺領は5キロ先の衣張山に及ぶ広大なものだったと「鎌倉の寺小事典」には記されています。

 この衣張山という優雅な名前をもつ山は、仏様がゆったりと横そべったような姿をした低い山で、最近難視聴に苦しむ住民がデジタル放送受信の巨大アンテナをこの山の頂上に立てようとしたのですが、環境破壊につながるとしてその提案は当局によって退けられたそうです。

 また同書によれば、永亭の乱1439年では第4代の鎌倉公方の嫡男足利義久が10歳で自刃した悲劇の地でもあるそうですが、古くから境内の孟宗の竹林が有名で、さらに木下利玄の歌碑やお墓もあります。それは

   あるき来てもののふ果てし岩穴の ひやけきからにいにしへおもほゆ

という和歌ですが、元はもののふではなく「北条」であったのを当時の報国寺の菅原道之という住職が勝手に書き換えてしまったといからひどいものです。

 報国寺のある浄明寺の町内には「浄妙寺」という名刹もあって鎌倉時代から張り合ってきました。寺格からいえば圧倒的に後者が高いのですが、戦後は商才にたけた住職が観光客を巧みに誘致し、元広島カープの古葉監督が篤く帰依したりして竹寺報国寺の人気が沸騰しお向かいの浄妙寺さんは閑古鳥が鳴いていたのですが、東京の広告代理店に知恵をつけられた?浄妙寺が、自家製のパンを目玉にした洒落たレストランを境内に開設し観光バスが停まれる駐車場を作ったために形勢にわかに逆転中というところでしょうか。

いずれにしてもわれらがアイドル原節子老嬢が遠くに去ってしまった浄明寺界隈はもう往年の輝きがうせてしまったような気がいたします。


   ♪原節子司葉子野田高悟が徹マンしていた浄明寺遥かなり 茫洋

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