バガテルop126
明治の短詩形文学の豪傑、正岡子規のうたが好きな私ですが、とりわけ
毎年よ彼岸の入りに寒いのは
六月を奇麗な風の吹くことよ
いくたびも雪の深さを尋ねけり
のように、あまり頭でひねくったところのない、平凡な、いわゆる月並みの句を好みます。
星雲の志を懐いて松山から上京した子規は、陸羯南の世話で「日本」新聞社の社員となって明治25(1892)年11月に郷里から母の八重と妹の律を下谷区上根岸に呼び寄せ、家族3人で暮らしはじめます。
明治26年3月につくられた「彼岸の入り」の歌は、母親八重の言葉をそのまま5・7・5の調べに乗せたもので、俳句を第2芸術とののしった頭の良い仏文学者にはそれこそ最低の句なのでしょうが、文芸と理屈はしょせん無縁のものと確信している頭が悪い私にとっては、愛惜すべきなかなかに味わい深い佳句なのです。
3句目の「雪の深さ」の句は、子規がついには死に至る脊椎カリエスを患って床に就くようになった明治29年の冬の句ですが、やはり母と子の楽しい会話のやりとりの中から誕生した日常生活の小さなよろこびが息づいているようです。
先日の朝日新聞の詩歌欄で、ある俳人が「六月の風」の句について触れ、これは明治28年の3月、日清戦争に従軍した子規が帰国する船中で喀血し、須磨の病院にかつぎこまれて九死に一生を得て詠んだ、いわば生への帰還の感慨の句である、と鬼の首でも取ったように書いていました。
賢い頭で実証的に右脳を納得させた結果、はじめて得心して感動されたようですが、私は、この句は時代環境や彼の個人的体験とは無関係に、野に咲く花のような自然の魅力を放っていて、その解釈と鑑賞のために、上述の背景の理会が必要になるとはさらさら思いません。
子規はただ梅雨から初夏にかけてときおり爽やかに吹き抜ける六月の風を、ただ無心に「奇麗」と感じ、その気持ちをそのまま詠んだのです。それとも、もしかするとこの句は、子規が須磨から根岸に帰った後で、母親の八重が、
「のぼさん、今日は朝からきれいな風が吹きよるねえ」
と話しかけた、その瞬間に誕生したのかも知れません。
いずれにせよ、今から115年前の昔、あの鄙びた根岸の里を吹いた風は、今日も奇麗に吹いているのでした。
ホトトギス特許許可局と鳴きにけり 茫洋
百年の昔を吹きし水無月の奇麗な風が今日吹き過ぎる 茫洋
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