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Tuesday, July 06, 2010

三菱一号館で「マネとモダンパリ展」を見物しながら

茫洋物見遊山記第34回&勝手に建築観光39回

最近買ったばかりのパナソニックのブルーレイレコーダーの電源が勝手に入ったり、やくざと一体化した相撲界がてんやわんやの大騒動になったり、せっかく小沢と鳩山がおん出てくれた政党でなにを勘違いしたのか消費税を10%上げると口走ってまたまた支持率大幅ダウンを勝ち取ったあほばか首相が出てきたり、ともかくいろんな事件が毎日のように起こるのでついつい見そびれていたマネ展をようやく瞥見することができました。

 さて印象派もいろいろありますが、私がこれは印象派だなあと思うのは美術流派としてはポスト印象派に勘定されているセザンヌやらゴーギャンやらゴッホなどであって、モネを例外とすれば、今回のマネもドガもあんまりインプレッションは感じない。むしろ写実の中にある種のインプレッションを求めようと模索したのではないでしょうか。


私はむかしポール・ヴァレリーの「ドガ、ダンス、デッサン」という美術論を読んで、この博学の思想家の絵画を見る目の鋭さに驚きましたが、今回のマネについても「マネは黒だ。黒だ。要するに黒だ」という彼の名言に尽きると痛感しました。マネ独創の黒の中には無数の明度、彩度そして色相さえもが入っていて、それが彼の絵にじつに豊かな感興をもたらしているのです。

例えば有名な「死せる闘牛士」を見よ。牛に刺されて地面に横たわっているトレアドールはあまり死んでいるようには思えませんが、それでも彼が死んでいると分かるのは赤い血と黒い格闘着の漆黒の黒の死の色があまりにも生き生きとして美しいからであって、彼の顔容に死の気配が漂っているからではありません。(つまり私は、マネは死体としての表現は下手くそだけど、ただ黒の素晴らしい彩色で助かっていると主張している)。

次にはあの有名なバルト・モリゾの肖像画の連作を見よ。この愛すべき人物画の主役を務めているのはじつはモリゾというモデルではなくて、黒という色彩の鮮やかな存在そのものであることに見る人は気づくでしょう。
黒、黒、黒! そこがモネの生命線なので、じっさい彼が黒を基調としない人物画や風景画にこれといったものはないといっても過言ではありません。(つまり私は、モネに幽玄の黒なかりせば2流、3流の作家であると主張している。)

ついでに今回初めて訪れた三菱1号館は(もともとがオフィスであったために)いくつもの小さな部屋から成り立っていますから、この狭隘な空間を美術館として使うことは(観客がうんと少なければ別ですが)、視野狭窄、空間重層、移行不自由、美術品安全管理の上で数多くの難点をもたらしています。開館を続行するのはトラブルの元でしょう。ここを美術館として商売に使おうなどというけちな考えは即刻やめてほしいものです。
(つまり私は、こんな場所では絵をじっくり鑑賞することなど断じてできない。同じデベロッパーの森ビルが運営する六本木ヒルズの美術館と並んで都下最悪の美術館ではないかと主張している。)

それにしても巨大デベロパーの考えることはよくわかりません。1894年ジョサイア・コンドルの設計で丸の内最初のビジネスビルジングとして誕生した三菱1号館を2009年になって再建するほどの価値があるなら、三菱地所はどうして1968年にいとも簡単にぶっこわしたのでしょうか?

丸ビルだって新丸ビルだって、どうしてあんな立派な文化資産をいそいそと破壊して、超くだらない超高層ビルに建て替えたのでしょうか?
ああそうだ。いっそそれらも全部ぶっこわしてこの際明治時代の「一丁倫敦」を完璧に再現してみてはどうでしょう。ご当地の英国を含めて世界中から観光客がやって来て、泉下の岩崎弥太郎もごっつう喜ぶのではないでしょうか。


嘘臭い平成超高層うちくだき即一丁倫敦に戻すべし 茫洋

Monday, June 14, 2010

森アーツセンターギャラリーで「ボストン美術館展」を見る

茫洋物見遊山記第32回&勝手に建築観光38回

古典派の画家とは違って、印象派の画家たちは、目前の事物を心眼でとらえても、そのまま写生することはありません。

心眼に映じた風物の心象を白い画布の上に投影しながら、とりあえずは事物をその構成要素に解体して主観的な映像に置き換えることを狙ったドガ、マネ、ルノワール、ゴーギャン。徹底的に事物をその構成要素に還元して、微細な極点として再配置する神経衰弱家のスーラやシニャック。事物を丸や三角や四角などの抽象的な図形に還元しながら観念的に再構築しようとするセザンヌ。事物を赤や緑や黄色の色彩素に還元しながら新たな事物を再構築しようと試みたモネ。そして、事物を完膚なきまでに解体しながら地上では存在しない宇宙的な事物を再創造しようと祈ったゴッホ……。

それら多種多様な画家たちのさまざまな近代絵画への取り組みの一端をこの展覧会の貧しい展示によってもうかがい知ることができました。

以下は例によって例の如く言わでもがなの悪口雑言になりますが、「1890年オーヴェール、ゴッホ晩年」を特筆大書し、「エル・グレコ、レンブラント、ミレー、ドガ、セザンヌ、モネ、ルノワール、ピカソなど、ボストン美術館名画80点の競演」という惹句で大量の顧客動員を図った本展の内容は、本家ボストンの宝の山に比べたらほんの九牛の一毛に過ぎず、確かに上述の画家の作品はあちらこちらにちらほら並べられているものの、超目玉ゴッホも、セザンヌも、ピカソもたったの一点。モネの11点はさすがに見ごたえがあったものの、あとはミレーやコロー、ドガなどを散発5安打くらい打ちっぱなしただけの初夏なのに超寒いコレクションです。

肖像画、宗教画、オランダの室内画、日常画、風景画、静物画などと、いちおう8つのミニコ-ナーに区分した展示方法もきわめてぞんざいなやっつけ仕事で、たぶんここにはプロのキューレーターなど一人もいないのでしょうが、こんな分類や会場構成なら素人でもやってのけるでしょう。

かてて加えて、その存在自体が東京の都市景観を大きく破壊しているこの醜悪なビル自体が大問題です。超高層にある会場に辿りつくのも、私のような田舎者や光輝老齢者にとっては一苦労。はじめての人は容易に近づきがたいヒマラヤの高地のようなところで偉そうに虚妄の店舗を開いているのですが、こういう貴重な藝術文化財を緊急避難させるためには最悪の環境とロケーション。顧客利便と安全管理のために美術展を低層階で開催するのは世界の常識です。

あまつさえ家電量販店の呼び込みのような美術に無縁な案内人の傲岸不遜な態度、300円も取られて返ってこないあほばかロッカーなどなど、いかにもこの新興成金デベロッパーにふさわしいいんちきでやくざまがいのやりくちが随所に見受けられて非常に不愉快な雨の月曜日でした。私が愛した江戸ゆかりの六本木の故地を壊滅させた彼奴らがボストン美術館展を開催するなんて10年早いのです。


♪東京の都市景観を毀損する六本木ヒルズを明日建て替えるべし 茫洋

Tuesday, April 24, 2007

モネ展を見る

降っても照っても 第8回

さて肝心の展覧会だが、私は印象派もモネも好きだが、このモネ展はあまり感心しなかった。

確かにあの睡蓮や英国の国会議事堂やビッグベンやウオータールー橋やルーアンの大聖堂などの名作は並んでいた。しかしなんだか世界各地から準主力作品の寄せ集めという希薄な印象はまぬかれない。

パリのオルセー美術館からやって来た「日傘の女性」(本展のポスターになっている)も、あそこにどっさり並べてある連作のうちの、比較的印象の薄い1点のみで、どうも隔靴掻痒の感がぬぐえない。

最近の東京はまたまたいやらしいバブルの時代に突入したとみえて、やたら美術館と演奏会場と展覧会とコンサートが増えてきた。

そうしてそのぶんどの展示も中身が薄くなってきているから、このモネ展もどうせそんなもんだろうと予想していたら、案の定そうだった。別に驚きもしなかったが、久しぶりの美術巡りなのでちと寂しくもあった。

さて世界から寄せ集めた全97点中、私のベスト2は、なぜかアサヒビール所蔵の「睡蓮」と「日本風太鼓橋」。

特に後者はお持ち帰りしたかった。でもサントリーならともかく、どうして営利第一のこんなビール会社がモネを持っているのだろう? 

もしかしてトップに隠れた目利きがいるのかな。謎だ。