メンズ漫録その1 日本の武士と西欧貴族の美学
日本の武士の本質は「葉隠」がいみじくも喝破したように死ぬことにあり、潔く戦って潔く死ぬための文武の修業、具体的には剣術と切腹の稽古、そして生涯の経綸を一瞬で総括するための最低限の文化である辞世を遺す練習に励んだ。
この最後の部分の価値を知らず、あるいは知ってはいてもあえて無視して「俳句第二芸術論」を唱えた桑原武夫のような曲学阿世がいまも跡を絶たないようだが、すべからく現代の君子士人は平素より腰折れの2つ3つを即座に詠める「最低の教養」を身につけておかねばなるまい。俳句には芸術よりもっともっと大事な意義があるのだ。
ところでモーツアルトの最晩年時代、すなわちフランス革命前夜の西欧の貴族は日本の武士が切腹の稽古に励んだように、みな乗馬を好んだ。馬に乗る際には長い革長靴をはく。その長い靴と美的に調和し、ヒップの線を美しく強調し、馬上の運動を快適にするために、彼らは短いキュロット(culotte半ズボン、ブリーチズ)をつけた。
キュロットをつけた両足で挟んだ馬体を蹴ると、馬は直進する。これが競馬になる。その直進運動を轡を引いて制御すると、動と反動の相反運動の対峙状態となる。これが曲馬の始原であり、人馬一体の芸術の端緒である。これこそは究極の男の美学であり、第三階級などにはついぞ無縁の貴族の特権的快楽だったのである。
♪武士道は辞世一発死ぬことと見つけたり 茫洋
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