Tuesday, January 20, 2009

京都思文閣とわたし

バガテルop85

むかしたった1年間だけ京都で下宿していたことがある。左京区の田中西大久保町という叡電前や百万遍や出町柳や高野に近いところだが、そのすぐそばに思文閣という骨董屋があったと知ったのは、四半世紀の時間が経過して偶然この会社のカタログが時折送られてくるようになってからのことだった。
思文閣ははじめは古本屋だったのが次第に美術品を扱うようになり、最近では若社長の田中大氏が12chの「何でも鑑定団」の審査員として出場するまでになっている。

それはともかく、年に数回届けられるようになったカタログはオールグラビア印刷の立派なもので、ほんらいはそのカタログであれやこれやの高価な珍品を発注するための商材なのだが、私はそんな持ち合わせも余裕もないのでもっぱら古今東西の優品を眺めて楽しんでいる。

私のような素人には図版の上から眺める商品の真贋など知る由もなく、よしんば本物の若冲の逸品であっても自分のものにできるはずもないのだが、それでも漱石、鴎外、露伴、紅葉など文人墨客の筆のすさびを眺めているだけでもしばし浮世の憂いを忘れることができるのである。眼福とはけだしこのようなことをいうのだろう。

しかも毎回陸続と登場する屏風、仏像、彫刻、和洋の絵画と書、壺や陶器、写経、古文書、写本、浮世絵、刷り物、硯、版木、色紙、書簡や断簡零墨に至る多種多様な骨董・美術品には、当たり前のことだがすべて値札がつけられていて、同じ画家や文学者、政治家でもずいぶん値段が違うところが興味深い。

例えば、松平不昧候書状42万円也、頼山陽書状31万5000円、華岡青周洲書状47万2500円也。
いったい何を根拠にこの値段がついているのだろうと考えて見ても、おそらくは誰も決定的な根拠を明かせないところがまた面白いのである。

維新のぼんくら政治家田中光顕(こやつのいたずらに巨大で空疎な墓石を見よ)と足尾銅山の田中正造の短歌が並んでいて、前者が65000円、後者が150000円というのはなぜか納得できるような気がするが、子規の同門である高浜虚子の短冊「一つ根に離れ浮く葉や春の水」が200000円であるのに対して、河東碧梧桐の「ざぼんに刃をあてる刃を入るゝ」がたった120000円であるのがどうにも解せない。

作品、筆跡、人物のいずれをとっても虚子ごとき凡庸な俳諧師の風下に立ついわれのない偉大な野人芸術家碧梧桐のために、私は京都思文閣の鑑定に断固異議を唱えたいのである。


♪堕落腐敗しきった平成俳句界にいまひとりの碧梧桐出でよ 茫洋

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