Wednesday, January 07, 2009

川上弘美著「どこから行っても遠い町」を読んで

照る日曇る日第217回

道路の左端に江戸時代に建立された馬頭観音と右かなざわ道と書かれた道路標識が立ち並んでいて、この一帯が古代から幹線道路として重要視されたかすかな面影を伝えていた。

鎌倉石でできたその二基の標識のすぐ隣に立っている一軒の魚屋さんが、おそらくはこの小説の最初に出てくる魚屋「魚清」のモデルではないだろうか、と私は勝手に想像を逞しうした。なぜならその魚屋は小説と同じように三階建てで、一階では魚を商っており、二階は住居部分であり、三階には小さな小屋があるのだが、それを除いた広大なスペースを利用してよくアジやイカなどを天日干にしているからである。

「魚清」を起点にして著者がはじめるのは、東京近郊のとある小さな町の住人たちが織りなす生と死と愛と希望の物語だが、私は私で別の空想を楽しんでいた。

その魚屋には年老いた夫婦二人が長らく商売を続けてきた。彼らの一人息子は東京の大学でフランス文学を専攻し、ソルボンヌに留学をしてからリヨンの大学で教員をしていたと風の噂で聞いたことがある。ところが理由はまったく不明だが、彼は今から一五年ほど前に突然帰国し、しばらくはフランス語の家庭教師の看板をカツオやヒラメの隣に掲げていたのだが、受験勉強に追われるいまどきの学生にこんな時代遅れの言語を学ぼうとする者などいるはずもなく、ある日父親に向かって「俺は魚屋のあとを継ぐ」と宣言したのだった。

魚屋の向かいにはここから鮮魚を仕入れている仕舞店風の鮓屋があったが、いつが営業日でいつが休日なのか客も店主にもよく分からない気まぐれな店だったので、一握りの馴染み客しか寄り付かなかった。
そんな鮨屋金兵衛をことのほか贔屓にしていたのが、金兵衛の隣のガソリンスタンドで働いていたFさんだった。氏は九州大学の理学部を卒業したインテリだったが、ある日大企業を突如リストラされ、とにもかくにも月々の生活費を稼ぐためにエッソスタンダードに飛び込んできたというわけだった。
私とFさんの唯一の接点は、障碍児を持つ父親ということだった。二人は時々金兵衛でゲソなぞをつまみながら、まるで同病相哀れむように、他人にはとうてい聞かせられない情けないグチをこぼしあう仲だった。

新しい年が明けてまもないある夜のこと、いつものように私が金兵衛の暖簾をくぐると、この店ではついぞ見かけたことのない若い女が、ねじり鉢巻きを巻いた徳さんに向かって「もう、あたし我慢できない」と何度も叫ぶように言いながらううすい背中を震わせて泣いていた。


……まあ、ざっとそんな感じの、因果は巡る花車小説です。



かくすればかくなるものとは知りながら御身大事に敵殺す君 茫洋

遥かなる遺恨のほどはさておきて眼下の敵はみなみな殺せ  茫洋

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