照る日曇る日第218回
「此間の遺恨、覚えたか」と叫びながら、浅野内匠頭はなぜ上野介に刃傷に及んだか。「此間の遺恨」とは何か。著者は主に五代将軍綱吉とその僚友側用人柳沢吉保の視点をつうじてこの松の廊下刃傷事件を解明しようとしている。
元禄14年当時の彼らにとって最大のテーマは、綱吉の母桂昌院の従一位授与問題「桂一計画」であった。栄耀栄華を極めた京堀川の八百屋の娘を史上最高の官位に就け、愛する母に死土産として贈りたい。この綱吉の悲願を達成するために、柳沢吉保が朝廷に対する折衝と政治工作のために特命を授けて送り込んだのが吉良上野介であった。
ところが先祖代々朝廷贔屓で知られる浅野家は、親しい関白を通じてそのような朝幕間の内部事情に通暁しており、こうした幕府の理不尽なごりおしに反発を懐いていた。
そしてたまたま朝使饗応役に任じられた浅野内匠頭の前に吉良上野介が登場し、「桂一計画」において自分が担っている大役を誇らしげに漏らした。そのとき、内匠頭が何らかの否定的な発言を行ない、それに対して上野介が武士のプライドを傷つけるような種類の発言を行ない、堪忍袋の緒を切らせた内匠頭が斬りつけた、というのが著者の解釈である。
当初仇討に否定的であった内蔵助はこうした朝幕間の醜い争いを外部に漏らすことなく恨みを呑んで刑場の露と消えた内匠頭の真意を知ってはじめて討ち入りに立ちあがる。それは主君への私怨をはらすのではなく公儀への異議申し立てであった。
いっぽう吉良上野介の朝廷への働きかけが不成功に終わったことを知った綱吉と吉保は、上野介の限界を悟って別のルートから猛烈に運動し、桂昌院の従一位授与問題は討ち入り寸前に成就する。
松の廊下事件が喧嘩両成敗ではなく一方的に浅野内匠頭に不利な裁きであったことから反発する世論をなだめるために、綱吉と吉保は、赤穂浪士の策動を隅々まで熟知しながら上野介暗殺を許したというのである。
まあこの説が嘘か本当かはにわかに断定できないが、従来悪人とされてきた綱吉と吉保の功罪を洗い直し、彼らの暦や貨幣改革とオランダによる暴利の追及、さらには家康が福島正則に書いた密書の行方など数々の派生的エピソードにいそいそと言及している点も思いがけず楽しめる。
赤穂浪士の吉良邸討ち入りは綱吉と彼を裏面操作した側用人柳沢吉保の陰謀である、というのは、この間読んだ秋山駿著「忠臣蔵」と同じ結論であるが、この本の引用は、ほとんど福本日南の「元禄快挙録」と徳富蘇峰の「近世日本国民史・赤穂浪士」の二著に依存していたために、そのくわしい実証的な説明はなかった。本書では、その渇を存分に癒すことができるだろう。
♪昼下がり舗道に伏したる黒猫は薄き血吐きて瞑目しており 茫洋
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