Friday, January 16, 2009

佐藤賢一著・小説フランス革命「バスティーユの陥落」を読む

照る日曇る日第220回

ヴェルサイユで打ち上げられた烽火は平民の町パリの要塞で大爆発を遂げ、それが7月14日の革命として結実した。

この小説の冒頭で大活躍するのは、ミラボーの陰謀によって暴発した弁護士デムーランである。パレ・ロワイヤルの行進からはじまった反貴族、反軍隊、ネッケル復活を旗印とするパリ民衆のデモンストレーションは、ついにテュイルリー公園でのドイツ傭兵との武力衝突を引き起こすが、フランス衛兵隊の支援によって竜騎兵を撃退したデムーランは、一夜にして一躍パリ市民の英雄となる。

しかし王と政府は、シャン・ド・マルスなどパリの四囲に強大な外国軍を待機させ、武力介入の機会をうかがっていた。武器には武器で対峙しなければならない。ダントン、マラーなどとともにデムーランを指導者とするパリ市民は、武器が隠匿されていると思われたバスティーユ監獄に弁天橋さながら遮二無二に突入し、ついに難攻不落の要塞を陥落させる。

フランス革命の一里塚は、このような偶然の暴発ともみえる民衆の盲目的なエネルギーの全面展開によって築かれたのである。暴動こそが革命の母なのだ。かくしてパリの権力は、各種ブルジョワ混成軍の手によって奪取された。


このような首都の高揚を人民の果実とせず、王冠の祝祭と化すためにミラボーは、ルイ一六世のパリ訪問を提起し、それは実現される。一七八九年七月一七日、パリ市政庁の露台に上がった国王は、ヴィヴラフランス、ヴィヴルロワの大歓声に包まれた。

ヴェルサイユの憲法制定国民議会は、ミラボーなど保守派の逡巡躊躇を押しのけてルソーがかつて種を播いた人権宣言を採択し、ロベスピエールを感涙させたがその革命的な法案をルイ16世は批准しようとはしなかった。閉塞状態に陥った事態を打開したのは、パリの平民女性の蜂起だった。降りしきる雨の中「パンを寄こせ」とシュプレヒコールを挙げながらグレーヴ広場からヴェルサイユまで歩き続けた彼女たちは、ミラボー、デムーラン、ロベスピエールなどの革命指導者たちを乗り越え、ヴェルサイユ宮殿の内部まで乱入しルイ16世と王妃マリー・アントワネットを実力で拉致し、再びパリに取って返してテュイルリー宮に幽閉する。無名の、無数の女性たちの活躍で、フランス革命は決定的なメルクマールを刻んだのである。
 

♪女性の蜂起なくして真の革命なし昔も今も 茫洋

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