Friday, January 02, 2009

高橋源一郎著「いつかソウル・トレインに乗る日まで」を読んで

♪照る日曇る日第213回

驚いたことには高橋源ちゃんの小説にはほとんど駄作がなく、おまけに駄作であったとしても必ずそれが現今の文学に対する鋭い異議申し立てになっている。そしてそれは今回も例外ではない。

なんせ「生涯初の、そして最後の」、と銘打たれた超恋愛小説である。主人公は某マスコミに勤務する相当垢が溜まった中年の俸給生活者であるが、作者と同様に元サヨクの前歴を有するこの主人公は大多数の日本人と相違してなぜか韓国とその国の住人に大いなる親和力を有しており、その結果この小説のヒロインとの超絶的恋愛が発生する。

という仕儀は多少不自然であり、説明不足のようでもあるが、どうやら主人公は韓国の特派員時代にこの国の反権力闘争に加担していた形跡もあり、その運動参加者とのシンパシーがこの小説の登場人物たちとの連関を構成している。

らしいのであるが、そんなことはどうでもいい。ともかく主人公は半死に状態の日本と自分を捨ててこの国に呼び寄せられ、そこで2度目のファム・ファタルと遭遇し、2度目の、そして最後の恋愛に深く埋没していく。案の上愛は男を覚醒し再生し復活させるのだが、それが達成されたと見えた瞬間にまるで一場の夢のように崩壊する。(衝撃のラスト?ゆえにわざとこのように書いています。くわしくは手に取って読んでください。)

というようなプロットもじつはどうでもよくて、作者がここでやりたかったのはとても不器用な愛の経験の零からの再構築であり、その愛の結晶化作用と同時に構築されていく小説構造自体の破壊的再構成なのである。つまり作者は、愛と小説をほとんど幼児が粘土の人形を作っては壊すように、作りながら壊し、壊しながら何か新しいものを作り出そうとしている。その製造過程をここで臆面もなく公開すること、それが小説だと言いたいらしいのである。

しかし「何か新しいもの」とは最後までわからない。作者にもわからないものが、どうして私たち読者にわかるだろうか。けれども、そういう無手勝流のはちゃめちゃでアナーキーな小説作法をいくら読者が少なくなろうと断固として譲り渡さないところが、時代に媚びず時代に先駆けるこの作家の革命的根性なのである。


♪われもまたソウル・トレインに乗り込んで、世界の果てまで旅立ちたし 茫洋

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