照る日曇る日第303回
荷風と違って山田風太郎の日記の特徴は、米国に対する憎悪です。彼らの美点に無知ではなかった山田ですが、本土に対する無差別爆撃を繰り返す米軍に対して一人一殺ならぬ三殺を唱え、「全日本人が復讐の陰鬼となってこそ、この戦争に生き残り得るのだ」と記しています。
聖戦の大義に突き動かされていた彼は、アングロサクソンに対する憎しみを懐き続け、聖戦継続の思想と意思をもろくも投げ捨てて占領体制にいそいそと身をすりよせた知識人の無節操を、戦後になってもながく許すことはありませんでした。
古い日本の灰の中から新しい日本が誕生するなどと喜々として口走るような人々を唾棄した山田は、「僕はいいたい。日本はふたたび富国強兵の国家にならねばならない。そのためにはこの大戦を骨の髄まで切開し、嫌悪と苦痛を以って、その惨憺たる敗因を追及し、噛みしめなければならぬ」と書いています。
永井荷風と山田風太郎の二人が、私などには及びがたい剛毅な知性と勇気を備えていたように映るのに対して、特高の拷問に遭ってマルクス主義からあっさりと転向し、大多数の作家と同様に文学者報国会に加盟した高見順の日記は、その時々の「時流」や「いきおい」にずるずると順応する人間の弱さをたっぷりと見せつけてくれるために、それほど引け目を感じることなく共感を持って読むことができます。
もしもあの時代に遭遇していれば、私もまたご立派な主義主張などあっさりと投げ打って軍部や戦争に協力し、卑怯未練な態度で生き延びようと悪あがきを図ったに違いないからです。
しかし中国大陸で日本軍の残虐行為を嫌というほど見せつけられた高見は、日本人の本質を鋭く見抜いてもいます。
「東条首相を逆さにつるさないからといって、日本人はイタリ―人のように穏和な民とすることはできない。日本人だって残虐だ。だって、というより日本人こそといった方が正しいくらい、支那の戦線で日本の兵隊は残虐行為をほしいままにした。権力を持つと日本人は残虐になるのだ。権力を持たせられないと、子羊の如く従順、卑屈。ああなんという卑怯さだ。」
私はこのような日本人の素敵なキャラが、戦後六〇年を経て一新されたとはどうも思えないのです。
権力を持てば残虐に行使する子羊のごとき優しい魂 茫洋
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