Saturday, October 31, 2009

夫馬基彦著「オキナワ 大神の声」を読んで 前篇

照る日曇る日第306回


20数年前に著者は宮古島・八重山諸島をひとり歩きしてから「琉球弧」と呼ばれる列島の南の島々に強く惹かれ、ここ何年か毎年年始年末にかけて沖縄本島をはじめ喜界島、沖永良部島、与論島、渡嘉敷島、与那国島などを次々に旅して歩いたそうです。

そうして、それらの旅におけるさまざまな見聞や予期せぬ出会いやあれやこれやの物思いやらを、縒りに縒ってなにやら人懐かしい一球に織り上げたのがこの読み物ですが、読みようによっては旅行記であり、還暦を過ぎた著者の回想録であり、物語をつなぎ合わせた連作長編ともつかぬその独創的なスタイルにまずは驚かされます。

 長い経験と技術に裏打ちされた著者の筆致は型通りの作文作法を完全に逸脱して自由自在に軽快に羽ばたき、もうどのような文藻をどのように取り扱うことも可能になった作家がついに到達した精神の深い成熟、融通無碍の境地を感じ取ることができます。

著者の心身の内奥において、あるときは若き日のインド紀行の心的体験が御嶽(カリマタ)やウガンジョ(拝み所)など南島の霊的な体験と瞬間的に連結し、またあるときはヒッピーの元祖山尾三省ゆかりの人々や偽満州国旅行で知り合った友人たちと時空を超越して、ここ南海の孤島で懐かしい再会を果たすのです。

美しい海や空や樹木や景観に賛嘆を惜しまない著者の目は、それ以上に島に生きる人々や現地を訪れる多彩な訪問者たちとの交歓に向かい、他者=異界への旺盛な好奇心こそがこの作家を根底から突き動かす動因であることをうかがわせます。

 その頂点に位置するのは、本書の表題ともなっている大神島における「大神の声」における正体不明の島の女との交情で、還暦をとっくの昔に過ぎたというのに、わが主人公は、するりと布団の中に潜り込んできた謎の女と、なんと三度も交合し「心底恍惚と」するのです。まことにもって羨ましいとしか評せません。

このように本書では、この文章の書き手が、夫馬基彦という中年のくたびれた作家ではなく、まるで宇宙に向かってぎょろりと見開かれた黒くておおきな不動の瞳であるようにも思われる印象的な個所がいくつかあって、それが著者にとっても読者にとっても望外の収穫というべきなのでしょう。


♪南風吹かば思いは常に帰りゆくわれらの故里常夏の国 茫洋

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