照る日曇る日第302回
太平洋戦争中に戦死した日本人兵士の日記を読んで、「どんな学術書や一般書を読んだ時よりも日本人に近づいたという気がした」と語る著者は、このたびはわが国を代表する作家や学者、知識人、たとえば永井荷風や山田風太郎、高見順、大仏次郎、内田百聞、伊藤整、徳川夢声、渡辺一夫、海野十三、清沢洌などの戦時中の日記をふんだんに引用しながら、彼らがどのようにこの未曽有の非常事態を受け止めたかを記録し、時折抑制の利いた感想を付け加えています。
数多くのテキストが登場する中で、著者が特に頻繁に取り上げているのは、永井荷風、山田風太郎、高見順の三名の日記です。
戦時中の荷風の主な文学活動は、大正六年一九一七年からつけている日記でした。その文章は「その蒼枯、その艶麗、哀愁を含める小説といわんより詩に近き芸術愈々至境に入れり」と山田風太郎が評したようにじつに見事なものでしたが、その内容は愚かな戦争に自分と国民を巻き込んだ軍部に対する恨みと憎しみが随所に顔をのぞかせています。
当時もしもこのような危険な言及が外部に漏れたなら、ただでは済まされなかったでしょう。渡辺一夫のように官憲の検閲を恐れてフランス語で日記を書いていた人もいたわけですから、これは文字通り命がけの表現活動でした。
かの一九四五年三月の東京大空襲によって偏奇館が炎上した際にも預金通帳とこの日記だけは必死で持ち出したところに荷風という人の人柄がありありとしのばれます。
ちなみに著者によれば、岩波版の荷風日記は後世になってから荷風あるいは校訂者の手によって書き換えられた個所もあるので、オリジナルに近い東都書房版を参照するべきだとしています。
♪やれやれまたあの膨大な全巻の読み直しをせよというのか荷風散人 茫洋
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