照る日曇る日第340回
ペルリ率いる黒船が襲来するしばらく前の時代のロシア、アイヌ、日本の交渉を描くこの本は、1)アイヌの人々の類まれな人間性と高貴なまでの文化的生活、2)強権南下侵略国家という通説を打ち砕くほとんど牧歌的なロシアの蝦夷地への接近、3)前記2項に対してきわめて柔軟かつ賢明に対応していた江戸幕府と松前藩の役人たちの存在、をいくつもの例証をあげながら教えてくれるという点できわめて有益です。
とりわけロシアから交易を求めてやってきたラクスマン、レザーノフ、ゴローヴニンと本邦とのかかわりについて述べた箇所は、下手な小説より興味深いものがあります。
文化三(一八〇六)年、長崎でいたずらに時間を空費させられて激高したレザーノフの指示で、彼の部下が北方各地の幕府勢力の拠点を焼き払い、多くの日本人を殺傷すると、その報復として幕府がゴローニンを拘留し、それに対抗したロシアがあの「ウラーのタイショウ!」高田屋嘉兵衛を捕まえます。
当時としても、また現在から考えても稀に見る逸材であったこの商人と交換に、捕囚ゴローヴニンが釈放され、ここに日ロ関係はめでたく一件落着となるのですが、不幸なことにこの段階で、日本はロシアに対する交易友好の可能性をみずからの手で封印してしまったのです。
歴史に「もしも」はないのですが、それでもあのとき「ほんのちょっとした偶然」が手助けしていれば、倒幕勢力による尊王攘夷運動のシュトルムウンドドラングをさかのぼることおよそ50年前、近代ナショナリズムが誕生し列強の砲艦外交が開始される以前に、徳川幕府のイニシアチブのもとで、平和裏に、日ロ修好通商条約を締結するチャンスがあった、と著者がいうのですから、これが実現していればその後の日本と世界の歩みは通史とは大きく異なっていたはずです。
それにしてもこの時代にはペルリ時代と比べてなんと優秀でユーモアを解する人々が大勢いたことでしょう。
幕閣に対して「ロシアと日本の蝦夷地の紛争を解決するには国家の一大事よりも天よりの評判が一大事」と平然と天命・天道思想をもちだす松前奉行、日本のためロシアのためよりは「天下のために」この紛争を解決しようと命を投げ出した一介の商人の「天の思想」は、その後西郷隆盛の「敬天愛人」を経て夏目漱石の「則天去私」の思想につながり、現在もなお私たちの倫理を人間存在の地下で根深く支え続けているのではないでしょうか。
♪ワーナーのライオンのごと吠えることわが唯一の特技なりけり 茫洋
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