Monday, April 05, 2010

高橋慎一郎編「史跡で読む日本の歴史6鎌倉の世界」を読んで

照る日曇る日第337回

最近の歴史学の世界では、考古学の最新情報を取り入れた複合融合学際的な取り組みが増えてきて喜ばしい限りです。古文書の解読も史跡の解釈も同時代の歴史的遺物なので、同じ研究者が統一的に取り組むべきなのですが、それを妨げていたのがお馴染みの縦割り専門馬鹿的蛸壺学界でした。そういう不可解な境界を打ち破り、共時的かつ双方向で情報交換する研究方法が徐々に進行しつつある、これはそのささやかな成果の一端とでも評すべきなのでしょう。

とりわけ冒頭の「都市鎌倉」の成立と展開の項で市内の中心部の司法・行政・立法・祭祀の拠点の様相や代表的な通商道路や河川などの交通網、頼朝や御家人たちの公私それぞれの居住空間の使い分けについて具体的に触れた箇所は、800年後のその都市の住人である私にとっておおいに興味をそそられたことでした。鎌倉中心部の鶴岡八幡宮、大倉御所、頼朝法華堂、今小路西遺跡、鎌倉大仏、北条氏常盤亭跡、和賀江島などの遺跡、遺構の意義について観光ガイドが教えてくれない専門的な知見を得ることができるのはなにものにも代えがたい喜びです。

それにしても不思議なのは鎌倉大仏です。執筆者秋山哲夫氏によれば、大仏は1943年6月16日に完成しましたが、「吾妻鏡」によればその大仏は「木造の阿弥陀仏である」と記されているそうです。ところが同じ「吾妻鏡」の1252年8月17日条には、「金銅の八丈釈迦如来像を鋳造しはじめた」とあるので、この時点で鎌倉大仏は木製から金銅製、阿弥陀仏から釈迦如来に変身したはずです。

しかし私たちの前に鎮座ましましているお姿は、かの与謝野晶子が間違えて詠んだ釈迦如来ではなく阿弥陀仏。すると後世のある時点でまたしても釈迦如来から阿弥陀仏への改鋳が行われたということなのでしょうか。大仏の謎は深まるばかりです。


♪恵比寿駅午後2時40分空っぽのNEXが通過する 茫洋

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