♪音楽千夜一夜第125回
1975年1月15日、アルトゥール・ルービンシュタインは、米国カリフルニア州パサディナのアンバサダー・カレッジでエルサレムの青少年国際文化センターの活動を支援するためにコンサートを行いました。
彼はその翌年急に視力が減退し、眼中で蚊のようなものが飛び回る「飛蚊症」という病気で引退していますから、実質的にはこの時の演奏がフェアウエルコンサートになった模様です。
盛大な拍手に迎えられて登場した当時88歳のルービンシュタインは、はじめにベートーヴェンの熱情ソナタを演奏しますが、往年の熱情的な名演奏にくらべると老成した大人の滋味豊かな演奏で、パッショナータな箇所もむしろ淡々と弾かれています。
次はシューマンの作品12の幻想小曲集ですが、これは諦観とリリシズムがないまぜになった不思議な味わい。バックハウスともケンプともリヒテルとも違う夢幻のような時空が展開されます。「もっとも非ルービンシュタイン的なルービンシュタイン世界」とでも呼べばいいのでしょうか。
次はなんとドビッシイーを3曲。驚いたことに「レントより遅く」、2曲の「前奏曲」などをこの人が弾くのですね。しかしミケランジェリのような感銘は受けませんでした。
後半はお得意のショパンがスケルッツオ、エチュード、ノクチュルヌ、ポロネーズ、ワルツと5曲演奏されますが、さしたる技巧の衰えは感じられないものの、どうという演奏ではありません。
私はシューベルト、ブラームス、シューマンに比べて西洋俳句のような、瞬間痙攣射精のようなショパンのピアノ曲を格別好むものではありませんが、ルービンシュタインの全盛時代の演奏は、コルトー、サンソン・フランソワに次いで高く評価しています。後輩のアルゲリッチやポリーニもうまいことはうまいけれど、あれは全然ショパンの音楽ではありません。
特に後者は、ショパンへの愛などまるで眼中になく、ただ不感症ハイテクロボットのように狂気に近い演奏を繰り返しているに過ぎません。あんな苦しい音楽に「ブラボー!」と絶叫する人は、心のどこかでなにかがぶつ壊れている人でしょう。まともな人なら、孤絶と絶望の人ポリーニのために一掬の涙を流すはずです。
要するにアルゲリッチやポリーニはアルゲリッチやポリーニを弾いているだけ。後続する内外のあまたのショパン弾きも、「賞を獲りたい」、「有名になりたい」、「金儲けしたい」の一念だけで、ほらほらよくご覧なさい、卑しい顔をして卑しいショパンを弾いている。これでもか、これでもか、とスタインウエイをどつきまくっているだけの話です。
一度でいいから耳を澄ましてコルトーとフランソワを聴いてみたまえ。君はもうショパンを自分で弾こうなどというだいそれた考えを捨て去るほかはないだろう。
あのアパートのあの部屋で男女3人自殺したのか 茫洋
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