茫洋物見遊山記第15回
海に沈んだ軍艦の記念碑の傍らにおかれていたのは、どういうわけか正岡子規の句碑でした。
横須賀やただ帆檣の冬木立
明治二一年の八月、21歳の正岡子規は、友人とともに浦賀に上陸し、横須賀・逗子・鎌倉に遊び、この句を詠んだとされています。それは彼が生まれてはじめて喀血し、親友夏目漱石と知り合う前年のことでした。
帆檣は「はんしょう」と呼んで帆柱の意。横須賀に来てみればたくさんの軍艦が一杯でその帆柱がまるで冬木立のようだったよ、という意味でしょうが、現地に立ったのは真夏なのにどうして季語が冬なのかすこし理解に苦しむところです。夏なのに冬木立を連想したのか、それともこれは彼が創案した写生句ではなく、頭の中でこさえた観念の句なのかと判断にまようところです。
それにしても当時21歳の青年が、「帆檣」などという漢字をさらりと使っているのには驚きます。いまでは70歳の老人ですら読み下せないのではないでしょうか。漱石の英語といい、子規の漢文といい、明治のインテリゲンチャンの学力には脱帽のほかありません。
いまは夏どころか厳寒の2月。人気のない公園を、「戦争反対」と書いた黄色いたすきを掛けた2人の日蓮宗のお坊さんが、湾内に停泊する2艘の潜水艦と4隻の駆逐艦に向かって太鼓をやけくそのように叩きながら行進していました。
♪横須賀や戦争反対南無妙法蓮華経 茫洋
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