Friday, February 12, 2010

渡辺保著「江戸演劇史下」を読んで

照る日曇る日第326回


とうとう最後のページまで読んでしまいました。

あとがきで著者は、「この本はもちろん今日の読者のためのものであるが、それ以上に歴史の闇に消えていった多くの人々の霊に捧げたい」と書いていますが、これは嘘偽りなくその通りです。

分厚い本をぱたりと閉じた私の脳裏には、歌舞伎一八番を創成した七代目団十郎や、その父七代目との金銭トラブルに巻き込まれて大坂で切腹した名優八代目団十郎の「助六」の力演、そして守田座の責め場の舞台から転落して釘を踏み抜いて脱疽にかかり、名医ヘボンなどによって両手両足を切断する手術を受けながら、わずか34歳で花の命を散らせた女形田之介のたおやかな演技、さらには富本節に引導を渡して清元節全盛の世を切り開きながら文政8年5月26年に暗殺された延寿太夫の朗々たる美声が、なぜかまざまざとよみがえってくるのですから。

著者の汗牛充棟ただならぬ膨大な資料を駆使しての博引旁証はさることながら、いまから200年以上前の江戸時代の歌舞伎三座を華やかに彩った名優や音楽の名人たちの演技や演奏を、「まるで見てきたように」描き出し、あまつさえ私たち読者の耳目にあざやかに現前化する著者の筆力と自由奔放な想像力は、ほとんど神業の領域に達しているというべきでしょう。これは単なる江戸演劇史ではありません。さながらイタコのように彼らによりそい、彼らに憑依し、青史の時代に生きた名優の一世一代の名演の真価を復刻再現して永遠の正史にとどめようとする驚異的な情熱と幻視の書物なのです。

天保一二年、水野忠邦の奢侈禁止令を利用して歌舞伎取りつぶしを狙った鳥居耀蔵でしたが、遠山の金さんの反対もある程度は奏功して、結局堺町・葺屋町・木挽町の芝居三町にあった中村・市村・森田の歌舞伎三座は、浅草聖天町近辺の猿若町に強制的に移転されました。ところがこんな辺鄙な内陸部に追いやられたにもかかわらず歌舞伎は元禄・宝暦明和・文化文政に匹敵する黄金時代を迎えるのです。

その理由として著者は、民衆が育てた江戸歌舞伎の恐るべきエネルギーを挙げています。万延元年三月三日の桜田門外の変のおり、猿若町の中村座ではまさに井伊大老の暗殺さながらの「封印切」の稽古をしていたそうですが、役者たちは「もしもこっちの初日が早かったら、あっちで遠慮してあんな騒動もなかったろう」と豪語したという挿話を紹介したあとで、著者は「この隔離された別世界には、恐ろしい現実を笑いとばすだけのエネルギーがみなぎっていた」と大略で評するのですが、ここにおいて著者の歌舞伎への愛の告白を思いがけず耳にした想いをするのは、私だけではないでしょう。


♪げに歌舞伎こそわが国が世界に誇る最高の芸術 茫洋

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