♪音楽千夜一夜第107回
2005年の8月、スイスのルツエルン音楽祭で同管弦楽団を指揮したマーラーの第7交響曲のビデオを視聴しました。
画面を見て驚くのはミラノの孤鷹クラウディオ・アバドの病み上がりの痩身といしだあゆみに匹敵するまるで骸骨のような顔容。しかし、ようやく癌の治療を終え、古巣のベルリンフィルを辞して、新天地に羽ばたく中老のマエストロの死から生への帰還のよろこびが爆発したような力強い演奏です。
オーケストラはベルリンフィルを主体に世界各地からアバドの人柄と音楽を慕ってはせ参じた寄せ集め部隊ですが、ザビーネ・マイヤーのクラリネットをはじめ、世界でも指折りの超一流音楽家集団の演奏だけに、そのテクニックの鮮やかさは抜群で、この大作をまるで室内楽の器楽協奏曲のように弾きこなしていきます。
各パートの楽員の乗りのものすごいこと。全員がジャズバンドのように上体をスイングさせ、弾きながら歌っているようです。そしてマーラーならではの難渋で絶対矛盾の自己同一的な総譜が、これほどの名技性と透明性ですみずみまで繊細に照射されたことはかつてなかったのではないでしょうか。特に憂愁と諧謔に満ちた第3楽章の行進曲などは管と管、弦と管との対比がじつに美しく描かれ、この曲の隠された表情の出現に息をのむ思いでした。
第2楽章と第4楽章の小夜曲も同様に素晴らしい出来栄えで、超絶ソロの官能的なまでの愛の交歓に、われら聴衆の耳朶が思わずぼおと紅らむまでに酔いしれたのですが、まてまて、そもそも第7番シンフォニーは、暗闇の中でのたうつ自我の暗転と解脱の秘儀の曲ではなかったか、と思いいたれば、アバドとその1党が自己愛に陶酔しながら奏でるまるで地中海の真昼の太陽を思わせる白熱の輝きがどうにも不可解なものに思われて来るのも事実です。
引き続いて、夜の苦悩ならぬ1点も陰りのない真昼の歓喜が朗々と歌い継がれる第5楽章のコーダの大爆発を耳にすると、はたしてこれがマーラーの内面の魂の音楽なのか、やはりクレンペラーやバーンスタインの暗鬱な解釈の方が正統的なのではあるまいか、とほとほと謎と悩みの尽きない世紀の大演奏でありました。
♪これぞ冥途の土産死に損ないアバドが死の音楽を歓喜の歌にすり替えたり 茫洋
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