♪音楽千夜一夜第113回
こなた我が国の新国立劇場、かたやイタリアのミラノ・スカラ座で行われたヴェルディの中期を代表する傑作オペラ「ドン・カルロ」公演をビデオで見ました。
前者は06年9月16日にミゲル・ゴメス・マルティネス指揮の東フィル、後者は08年12月7日にダニエレ・ガティが指揮したスカラ座管のいずれもライブの演奏ですが、結果的にはそれこそ雲泥の差がつきます。
序奏のホルンの数小節を耳にしただけで勝負あり。日本で一二を争うオペラ巧者の東フィルが、3時間半にわたっていくら懸命に弾いても、ヴェルディの荒々しい血のざわめきと孤独な魂の悲嘆の調べはこれっぽっちも伝わってきません。ドラマも悲劇もイタリアの光と影も感じられない、まるで由良川の蒸留水のような音楽には閉口しました。
熱血漢ガティが統率するスカラ座のアレグロ・コンブリオはここぞという箇所ではフォルテが凄まじく、対照的に第3幕のフィリッポ2世のアリアの劇伴には深い叙情が込められ、緩急自在な歌い方が見事であう。これでは日本勢は到底太刀打ちできません。
歌手陣はというと国王フィリッポ2世は新国立がヴィターリ・コワリョフ、スカラ座はフェルッチョ・フルラネットの対決ですが、当今老練の超ベテラン、フルラネットをしのぐバスを探すのは難しいでしょう。題名役は日本勢がペーテル・ドボルスキー、イタリア勢がスチュアート・ニールですが、後者はちと太りすぎ。エリザベッタ役は新国立の大村博美が長身の清楚な醤油顔で健闘していますが、所詮情熱的な歌唱力においてフィオレンツイア・チエドリンスの敵ではありません。イタリア勢のロドリーゴ役ダリボール・イエニスも素晴らしい存在感を示していました。
演出は双方とも流行のシンプルなスタイルですが、イタリアのステファヌ・ブロンシュウエブがオーソドクスであるのに対して、新国立のマルコ・アルトーロ・コレッリが壁面の移動による頻繁なカット割りを行っていたのが記憶に残りましたが、まずは5分5分というところか。いずれも照明を効果的に使っていました。
かくて指揮と音楽、主役歌手の歌唱力においてスカラ座チームに大差をつけられてた新国立でしたが、とどめは合唱団の演技とアンサンブル。歌が下手くそなのは仕方がないにしても、洋服を着せられたその洋式チンドン屋のような姿が、依然として浅草オペラさながらであるのは困ったものです。これでは当分本物のヴェルディは初台では無理。やっぱりミラノへ飛ばないと駄目なのでしょうか。
♪よく咲いたねえ頑張ったねえと妻に褒めてもらっているシンビジウム 茫洋
Sunday, February 28, 2010
Saturday, February 27, 2010
茫洋西暦2010年如月茫洋花鳥風月歌日誌
ある晴れた日に 第71回
90爺マーチを駆って高速逆走
犬よりも猫に好かれる男かな
横須賀や戦争反対南無妙法蓮華経
横須賀やヤンキーも詣でる地蔵尊
ボロボロと歯が欠けてゆく2月かな
死んでしまえばすべて終わりだよ山本耀司
物言えば唇寒し民社党
がっつりと見つめ合いたり鷹と我
風穴に光入れたり縄文人
乳さらし光歩むや縄文の女
閉じた眼に何を思うや縄文の人
ミミズクの森に棲みしや縄文の民
深々と青空呑みおり縄文人
光避け思いに沈むや縄文哲学者
かにかくに生きてありしか縄文の民
一塊の土にひそみし命かな
眼口耳われらと違わぬかたちかな
あっけらかんと笑うていたり縄文の人
1万の時を隔てて笑いおる日本列島先住民
電池寿命測定器の寿命も電池が支えているんだ
冠詞がない日本語には骨思想がない
胸を張り空を仰ぎて立ちいたり乳房も陰部もさらけ出しつつ
曇天にヘリ低く飛びし朝年少の友独り逝きけり
我よりも若き人死ぬる日は身を清浄にして静かに慎む
我よりも若き人死ぬる日よわが過ぎ越しの無様を恥ずる
就活のバカヤローが生み出している恐るべき国家的損失
げに歌舞伎こそわが国が世界に誇る最高の芸術
亡き義父の形見のラルフのスーツ着て出席したり卒業発表会
またしても買うてしもうたりグルダの平均律第2巻
ポネル死せりされどゼフィレッリ残れりわが懐かしきオペラ演出家
3位になっても4位になっても彼女の人生は続いていく
生きておればさらなる高みに登れたが足元の岩ぐらり崩れて
おくつきにどなたがおわすかしらねどもそのうやうやしきにこうべはたるる
理想を求め孤然と歩み続けたり良沢良順凌雲昭
堕ちよ堕ちよ地獄の果てまで倫理なき小沢民主党
声はせず姿も見せぬ地底人ほんにお前ら屁以下だぜ
倫理なく自由も奪われ仕事せず哀れ沈みゆく小沢民主党
能ある黒猫よりもむしろ能無き白猫を選ぶべし我ら能無き国民
パレスチナの民族衣装を踏みにじるイスラエルの民の驕り昂ぶり
これぞ冥途の土産死に損ないアバドが死の音楽を歓喜の歌にすり替えたり
自分探しに疲れたら癒しを求めて優しい地球に元気をもらう卑しい人たち
真逆なので粛々仕分けなにげに弾け回収されるタメ口読み解くこれで良かったでしょうか老人語
冬の朝野の鳥も人も歌うべしこの世にあることの喜びと苦しみ
♪この冬もおたまを護らんわれ一人 茫洋
90爺マーチを駆って高速逆走
犬よりも猫に好かれる男かな
横須賀や戦争反対南無妙法蓮華経
横須賀やヤンキーも詣でる地蔵尊
ボロボロと歯が欠けてゆく2月かな
死んでしまえばすべて終わりだよ山本耀司
物言えば唇寒し民社党
がっつりと見つめ合いたり鷹と我
風穴に光入れたり縄文人
乳さらし光歩むや縄文の女
閉じた眼に何を思うや縄文の人
ミミズクの森に棲みしや縄文の民
深々と青空呑みおり縄文人
光避け思いに沈むや縄文哲学者
かにかくに生きてありしか縄文の民
一塊の土にひそみし命かな
眼口耳われらと違わぬかたちかな
あっけらかんと笑うていたり縄文の人
1万の時を隔てて笑いおる日本列島先住民
電池寿命測定器の寿命も電池が支えているんだ
冠詞がない日本語には骨思想がない
胸を張り空を仰ぎて立ちいたり乳房も陰部もさらけ出しつつ
曇天にヘリ低く飛びし朝年少の友独り逝きけり
我よりも若き人死ぬる日は身を清浄にして静かに慎む
我よりも若き人死ぬる日よわが過ぎ越しの無様を恥ずる
就活のバカヤローが生み出している恐るべき国家的損失
げに歌舞伎こそわが国が世界に誇る最高の芸術
亡き義父の形見のラルフのスーツ着て出席したり卒業発表会
またしても買うてしもうたりグルダの平均律第2巻
ポネル死せりされどゼフィレッリ残れりわが懐かしきオペラ演出家
3位になっても4位になっても彼女の人生は続いていく
生きておればさらなる高みに登れたが足元の岩ぐらり崩れて
おくつきにどなたがおわすかしらねどもそのうやうやしきにこうべはたるる
理想を求め孤然と歩み続けたり良沢良順凌雲昭
堕ちよ堕ちよ地獄の果てまで倫理なき小沢民主党
声はせず姿も見せぬ地底人ほんにお前ら屁以下だぜ
倫理なく自由も奪われ仕事せず哀れ沈みゆく小沢民主党
能ある黒猫よりもむしろ能無き白猫を選ぶべし我ら能無き国民
パレスチナの民族衣装を踏みにじるイスラエルの民の驕り昂ぶり
これぞ冥途の土産死に損ないアバドが死の音楽を歓喜の歌にすり替えたり
自分探しに疲れたら癒しを求めて優しい地球に元気をもらう卑しい人たち
真逆なので粛々仕分けなにげに弾け回収されるタメ口読み解くこれで良かったでしょうか老人語
冬の朝野の鳥も人も歌うべしこの世にあることの喜びと苦しみ
♪この冬もおたまを護らんわれ一人 茫洋
Friday, February 26, 2010
嫌な感じ
バガテルop123
五輪には五輪書ほどの興味もないのですが、TVKと教育テレビ以外のどこのチャンネルも朝から晩まで狂った様にパン食ったとか晩食う婆とか絶叫しているのでほとほと嫌気がさして、本を読んだり音楽を聞いたり歯医者さんに通ったりしています。
新宿で地下鉄に乗ろうとしたら、目の前の広告ボードで篤姫が出るメトロの動画CMを上映していてうるさいのなんの。以前は紙製のポスターだったから嫌なら目を瞑れば良かったが、そいつが動画になって大音量で絶叫するのをリーマンたちが口を開いて驚いたように眺めている。これを狂気の沙汰といわずになんと呼べばいいのでしょうか。
帝都から省線で鎌倉駅に帰ってくると、構内では鳥の鳴き声の「録音」を大ボリュームで放送しています。これをやめれば線路の上で遊んでいるドバトの「ホウホウ」という囁きを聞くことができるというのに……。
JR東日本は、鳥の鳴き声を模倣すれば天国的な音楽が出来上がるというメシアンの白痴的アイデアを参考にしたのでしょうが、じつに嫌な世の中になったものです。
私が嫌いな日本語も増殖中です。
真逆
弾ける
なので
良かったでしょうか
タメ口
なにげに
粛々と
読み解く
仕分け
回収される
老人語
自分探し
地球に優しく
癒し
元気をもらう
♪真逆なので粛々仕分けなにげに弾け回収されるタメ口読み解くこれで良かったでしょうか老人語 茫洋
♪自分探しに疲れたら癒しを求めて優しい地球に元気をもらう卑しい人たち 茫洋
五輪には五輪書ほどの興味もないのですが、TVKと教育テレビ以外のどこのチャンネルも朝から晩まで狂った様にパン食ったとか晩食う婆とか絶叫しているのでほとほと嫌気がさして、本を読んだり音楽を聞いたり歯医者さんに通ったりしています。
新宿で地下鉄に乗ろうとしたら、目の前の広告ボードで篤姫が出るメトロの動画CMを上映していてうるさいのなんの。以前は紙製のポスターだったから嫌なら目を瞑れば良かったが、そいつが動画になって大音量で絶叫するのをリーマンたちが口を開いて驚いたように眺めている。これを狂気の沙汰といわずになんと呼べばいいのでしょうか。
帝都から省線で鎌倉駅に帰ってくると、構内では鳥の鳴き声の「録音」を大ボリュームで放送しています。これをやめれば線路の上で遊んでいるドバトの「ホウホウ」という囁きを聞くことができるというのに……。
JR東日本は、鳥の鳴き声を模倣すれば天国的な音楽が出来上がるというメシアンの白痴的アイデアを参考にしたのでしょうが、じつに嫌な世の中になったものです。
私が嫌いな日本語も増殖中です。
真逆
弾ける
なので
良かったでしょうか
タメ口
なにげに
粛々と
読み解く
仕分け
回収される
老人語
自分探し
地球に優しく
癒し
元気をもらう
♪真逆なので粛々仕分けなにげに弾け回収されるタメ口読み解くこれで良かったでしょうか老人語 茫洋
♪自分探しに疲れたら癒しを求めて優しい地球に元気をもらう卑しい人たち 茫洋
Thursday, February 25, 2010
キーロフ劇場バレエ団のDVD「白鳥の湖」を見て
♪音楽千夜一夜第112回
キーロフ劇場は現在マリインスキー劇場のソ連時代の名前。スターリンに消された革命家にちなむネーミングらしいのですが、この劇場のバレエ団が白鳥の湖を踊ったDVDが500円で叩き売られていたので、すかさず視聴してみました。
冒頭から画面が揺らぎ原色の色彩があやしく点滅するなかを無数の白鳥がゆらゆら泳ぎ出てきていつのまにか幕が開いています。指揮はW.フェドトフ、管弦楽はサンクト・ペテルブルグ・アカデミカル・オーケストラといういかがわしいオケですが、これはたぶん現在かのゲルギエフ大先生率いるキーロフ劇場管弦楽団の前身のエキストラによる演奏なのでしょう。けれども白鳥が踊り、王子が踊り、オデット姫とデュエットしてもチャイコフスキーの音楽とはとうてい思えない無国籍音楽が鳴り響いています。
「白鳥の湖」はじつに不思議なバレエで、出し物によって長さや演出が異なり、CDで聞く音楽通りの公演などまずないので面喰うことが多いのですが、この時代も収録も不明の公演は、いちおうオウセンチックなプティパ=イワノフ版にのっとっていて主人公は幸せに昇天する演出のようです。
しかし全4幕の構成になってはいても、演奏時間は78分と短く、いたるところで物語が寸断され、なにがなんだか分からないうちに突然幕が降りてしまいます。出演者の名前も最後にロシア語でクレジットされているだけで翻訳がないので誰だか分かりませんが、いちばん迫力があったのは悪魔役の男性。フィギュアスケート男子シングルで優勝したエバン・ライサチエクそっくりの恐ろしげな面持ちと演技の大迫力が印象的でした。
♪能ある黒猫よりもむしろ能無き白猫を選ぶべし我ら能無き国民 茫洋
キーロフ劇場は現在マリインスキー劇場のソ連時代の名前。スターリンに消された革命家にちなむネーミングらしいのですが、この劇場のバレエ団が白鳥の湖を踊ったDVDが500円で叩き売られていたので、すかさず視聴してみました。
冒頭から画面が揺らぎ原色の色彩があやしく点滅するなかを無数の白鳥がゆらゆら泳ぎ出てきていつのまにか幕が開いています。指揮はW.フェドトフ、管弦楽はサンクト・ペテルブルグ・アカデミカル・オーケストラといういかがわしいオケですが、これはたぶん現在かのゲルギエフ大先生率いるキーロフ劇場管弦楽団の前身のエキストラによる演奏なのでしょう。けれども白鳥が踊り、王子が踊り、オデット姫とデュエットしてもチャイコフスキーの音楽とはとうてい思えない無国籍音楽が鳴り響いています。
「白鳥の湖」はじつに不思議なバレエで、出し物によって長さや演出が異なり、CDで聞く音楽通りの公演などまずないので面喰うことが多いのですが、この時代も収録も不明の公演は、いちおうオウセンチックなプティパ=イワノフ版にのっとっていて主人公は幸せに昇天する演出のようです。
しかし全4幕の構成になってはいても、演奏時間は78分と短く、いたるところで物語が寸断され、なにがなんだか分からないうちに突然幕が降りてしまいます。出演者の名前も最後にロシア語でクレジットされているだけで翻訳がないので誰だか分かりませんが、いちばん迫力があったのは悪魔役の男性。フィギュアスケート男子シングルで優勝したエバン・ライサチエクそっくりの恐ろしげな面持ちと演技の大迫力が印象的でした。
♪能ある黒猫よりもむしろ能無き白猫を選ぶべし我ら能無き国民 茫洋
キーロフ劇場バレエ団のDVD「白鳥の湖」を見て
♪音楽千夜一夜第112回
キーロフ劇場は現在マリインスキー劇場のソ連時代の名前。スターリンに消された革命家にちなむネーミングらしいのですが、この劇場のバレエ団が白鳥の湖を踊ったDVDが500円で叩き売られていたので、すかさず視聴してみました。
冒頭から画面が揺らぎ原色の色彩があやしく点滅するなかを無数の白鳥がゆらゆら泳ぎ出てきていつのまにか幕が開いています。指揮はW.フェドトフ、管弦楽はサンクト・ペテルブルグ・アカデミカル・オーケストラといういかがわしいオケですが、これはたぶん現在かのゲルギエフ大先生率いるキーロフ劇場管弦楽団の前身のエキストラによる演奏なのでしょう。けれども白鳥が踊り、王子が踊り、オデット姫とデュエットしてもチャイコフスキーの音楽とはとうてい思えない無国籍音楽が鳴り響いています。
「白鳥の湖」はじつに不思議なバレエで、出し物によって長さや演出が異なり、CDで聞く音楽通りの公演などまずないので面喰うことが多いのですが、この時代も収録も不明の公演は、いちおうオウセンチックなプティパ=イワノフ版にのっとっていて主人公は幸せに昇天する演出のようです。
しかし全4幕の構成になってはいても、演奏時間は78分と短く、いたるところで物語が寸断され、なにがなんだか分からないうちに突然幕が降りてしまいます。出演者の名前も最後にロシア語でクレジットされているだけで翻訳がないので誰だか分かりませんが、いちばん迫力があったのは悪魔役の男性。フィギュアスケート男子シングルで優勝したエバン・ライサチエクそっくりの恐ろしげな面持ちと演技の大迫力が印象的でした。
♪能ある黒猫よりもむしろ能無き白猫を選ぶべし我ら能無き国民 茫洋
キーロフ劇場は現在マリインスキー劇場のソ連時代の名前。スターリンに消された革命家にちなむネーミングらしいのですが、この劇場のバレエ団が白鳥の湖を踊ったDVDが500円で叩き売られていたので、すかさず視聴してみました。
冒頭から画面が揺らぎ原色の色彩があやしく点滅するなかを無数の白鳥がゆらゆら泳ぎ出てきていつのまにか幕が開いています。指揮はW.フェドトフ、管弦楽はサンクト・ペテルブルグ・アカデミカル・オーケストラといういかがわしいオケですが、これはたぶん現在かのゲルギエフ大先生率いるキーロフ劇場管弦楽団の前身のエキストラによる演奏なのでしょう。けれども白鳥が踊り、王子が踊り、オデット姫とデュエットしてもチャイコフスキーの音楽とはとうてい思えない無国籍音楽が鳴り響いています。
「白鳥の湖」はじつに不思議なバレエで、出し物によって長さや演出が異なり、CDで聞く音楽通りの公演などまずないので面喰うことが多いのですが、この時代も収録も不明の公演は、いちおうオウセンチックなプティパ=イワノフ版にのっとっていて主人公は幸せに昇天する演出のようです。
しかし全4幕の構成になってはいても、演奏時間は78分と短く、いたるところで物語が寸断され、なにがなんだか分からないうちに突然幕が降りてしまいます。出演者の名前も最後にロシア語でクレジットされているだけで翻訳がないので誰だか分かりませんが、いちばん迫力があったのは悪魔役の男性。フィギュアスケート男子シングルで優勝したエバン・ライサチエクそっくりの恐ろしげな面持ちと演技の大迫力が印象的でした。
♪能ある黒猫よりもむしろ能無き白猫を選ぶべし我ら能無き国民 茫洋
Wednesday, February 24, 2010
「吉村昭歴史小説集成」第七巻を読んで
照る日曇る日第328回
あの有名な「ターヘル・アナトミア」を翻訳した前野良沢を主人公とした「冬の鷹」、医師高松凌雲と松本良順の波乱に満ちたそれぞれの生涯を描いた「夜明けの雷鳴」、「暁の旅人」など、いずれも江戸時代の医学関係者を取り扱った評伝5本を集めたのが本巻です。
ドイツの医学書「ターヘル・アナトミア」のオランダ語訳をわが国で初めて翻訳し、「解体新書」として出版したのは杉田玄白とその門人大槻玄沢ということになっていますが、「冬の鷹」を読むと、それはほとんど誤りであることが分かります。オランダ語を解していたのは良沢だけで、彼が翻訳のほとんどを担当し、蘭語と蘭学に無知なあとの二人は、師匠格の良沢を物心両面にわたってバックアップしただけなのです。
しかし、もしも人当たりがよく時流を見極めるに敏な才子杉田玄白が、翻訳に際してあくまでも完璧を求め、偏屈で人間嫌いで孤高の独学者良沢をうまくプロデュースして原稿を版元に引き渡さなかったら、本邦初の医学実用書はついに世に出る事はなかったでしょう。
結局良沢は自分の名前を出さないことで「解体新書」の出版に同意しますが、そのことが2人の明暗を決定的にわかつことになります。良沢の功績を実質的に、いうなれば「独り占め」した玄白は、その後我が国の蘭学の泰斗として数多くの弟子、莫大な金銭そして輝かしい名誉に恵まれ、幸福な生涯を全うしたのに対し、性狷介な孤高のアルチザン良沢は、生涯にわたって貧困と孤独にさいなまれることになったのです。
わが国の尊王攘夷思想の元祖である高山彦九郎を愛し、最後まで庇護した良沢でしたが、彦九郎の自刃、息子達の早世に衝撃を受け、享和3年1803年、引き取られていた次女の嫁ぎ先で81歳で名声とも富とも無縁の生涯を終えます。
本書を読む私たちは、まさに蘭学の光と影、栄光と悲惨の鋭い対比を見せつけられるのですが、著者はなぜか人生の勝者玄白ではなく、ついにかなわぬ理想を追い求めながら敗れ去っていく良沢の「孤然とした生き方」につよい羨望を懐いているようです。
榎本武揚に従って五稜郭にわたり敵味方を分け隔てなく治療し、若き日に留学したパリの貧民病院の理想を後年になって実現した「夜明けの雷鳴」に登場する幕府の医師高松凌雲。同じく幕府の御用医師としての節操を貫いた「暁の旅人」の主人公松本良順――この2人に共通しているのも、前野良沢と同じ「孤然とした生き方」に他なりません。
そして人生最期の瞬間に、酸素マスクをみずからの手でひきちぎってこの世を辞した作者が実行してのけたのも、まさしくこの「孤然とした生き方」だったのです。
♪理想を求め孤然と歩み続けたり良沢良順凌雲昭 茫洋
あの有名な「ターヘル・アナトミア」を翻訳した前野良沢を主人公とした「冬の鷹」、医師高松凌雲と松本良順の波乱に満ちたそれぞれの生涯を描いた「夜明けの雷鳴」、「暁の旅人」など、いずれも江戸時代の医学関係者を取り扱った評伝5本を集めたのが本巻です。
ドイツの医学書「ターヘル・アナトミア」のオランダ語訳をわが国で初めて翻訳し、「解体新書」として出版したのは杉田玄白とその門人大槻玄沢ということになっていますが、「冬の鷹」を読むと、それはほとんど誤りであることが分かります。オランダ語を解していたのは良沢だけで、彼が翻訳のほとんどを担当し、蘭語と蘭学に無知なあとの二人は、師匠格の良沢を物心両面にわたってバックアップしただけなのです。
しかし、もしも人当たりがよく時流を見極めるに敏な才子杉田玄白が、翻訳に際してあくまでも完璧を求め、偏屈で人間嫌いで孤高の独学者良沢をうまくプロデュースして原稿を版元に引き渡さなかったら、本邦初の医学実用書はついに世に出る事はなかったでしょう。
結局良沢は自分の名前を出さないことで「解体新書」の出版に同意しますが、そのことが2人の明暗を決定的にわかつことになります。良沢の功績を実質的に、いうなれば「独り占め」した玄白は、その後我が国の蘭学の泰斗として数多くの弟子、莫大な金銭そして輝かしい名誉に恵まれ、幸福な生涯を全うしたのに対し、性狷介な孤高のアルチザン良沢は、生涯にわたって貧困と孤独にさいなまれることになったのです。
わが国の尊王攘夷思想の元祖である高山彦九郎を愛し、最後まで庇護した良沢でしたが、彦九郎の自刃、息子達の早世に衝撃を受け、享和3年1803年、引き取られていた次女の嫁ぎ先で81歳で名声とも富とも無縁の生涯を終えます。
本書を読む私たちは、まさに蘭学の光と影、栄光と悲惨の鋭い対比を見せつけられるのですが、著者はなぜか人生の勝者玄白ではなく、ついにかなわぬ理想を追い求めながら敗れ去っていく良沢の「孤然とした生き方」につよい羨望を懐いているようです。
榎本武揚に従って五稜郭にわたり敵味方を分け隔てなく治療し、若き日に留学したパリの貧民病院の理想を後年になって実現した「夜明けの雷鳴」に登場する幕府の医師高松凌雲。同じく幕府の御用医師としての節操を貫いた「暁の旅人」の主人公松本良順――この2人に共通しているのも、前野良沢と同じ「孤然とした生き方」に他なりません。
そして人生最期の瞬間に、酸素マスクをみずからの手でひきちぎってこの世を辞した作者が実行してのけたのも、まさしくこの「孤然とした生き方」だったのです。
♪理想を求め孤然と歩み続けたり良沢良順凌雲昭 茫洋
Tuesday, February 23, 2010
映像狩りをするミクシィ、言葉狩りをする楽天
バガテルop122
このままにしておくと度忘れしてしまいそうなので、書いておきます。
つい先日のことですが、ミクシィ事務局から突然メールが舞い込んできました。「貴殿が掲載した写真がけしからんので削除した。以後注意するように」という無礼な内容です。
そのメールには当該の映像が公序良俗に反するなんたらかんたらと、このSNSが勝手に定めた「掟」がいくつか並べていましたが、削除された私の写真が、それらの禁止コードのどれに抵触したのか、いくら考えてもてんで思い浮かびません。
そもそも私はここ数年間というもの、毎日日記には3枚、フォトには4枚の写真をアップしてきましたから、およそ1万枚に達するそれらのなかのどれがイケテなかったのか、せめてヒントを与えてもらわないと当方としても今後どのように注意してよいのか皆目見当がつかないのです。
そこで私は、胸にふつふつと燃え盛る紅蓮の憤怒を押し殺して冷静を装い、もしかするとあれは去年の夏、出羽三山神社の境内で撮影したミイラの写真が「死体」と勘違いされて削除されたのではないかとまでこのくそ忙しい季節のさ中に想像をたくましくして、
「あれは実物ではなくて復刻された偽物だよ。だからおらっちも自信をもって掲載したんだよ」
と自己言及する懇切丁寧な解説文までつけて事務局に返信し、誠意ある回答を迫ったのですが、あれから2週間以上経ってもなしのつぶて。これっておおげさにいうと憲法が保障する表現の自由に対するいっぽう的な侵害ではないでしょうか。日頃お世話になっているミクシィ社への感謝と好意の念なぞ、それ以来ふっつり消えてなくなりました。
理解不能・対策不可能な理由で勝手に投稿映像を血祭りにあげているのがミクシィなら、同じく不条理な言葉狩りをしているブログが楽天です。
ここでは旧漢字や環境依存漢字の掲載に待ったをかけるだけではなくて「強姦」などのわいせつ?で社会の安寧秩序を震撼させそうな禍々しい言語?に取り締まりの網がビシビシかけられます。悪いのは強姦という行為であって、「強姦」という言葉ではないという社会人としての最低の教養すら、このブログの責任者には欠如しているのです。ユーザーが乱発する不穏な言葉を取り締まれば、明るく健康的な世の中が到来する。例えば「強姦」という言葉の使用を禁止すれば、世の中の強姦は跡を絶つ、などと信じているとすれば、彼らはそれこそとんでもなくおめでたい「楽天主義者」といわねばなりません。
まあそんな程度の低いメディアでも平気で利用するあんたが阿呆だといわれてしまえば確かにそうなのですが。
♪同じアホなら踊らにゃ損 茫洋
このままにしておくと度忘れしてしまいそうなので、書いておきます。
つい先日のことですが、ミクシィ事務局から突然メールが舞い込んできました。「貴殿が掲載した写真がけしからんので削除した。以後注意するように」という無礼な内容です。
そのメールには当該の映像が公序良俗に反するなんたらかんたらと、このSNSが勝手に定めた「掟」がいくつか並べていましたが、削除された私の写真が、それらの禁止コードのどれに抵触したのか、いくら考えてもてんで思い浮かびません。
そもそも私はここ数年間というもの、毎日日記には3枚、フォトには4枚の写真をアップしてきましたから、およそ1万枚に達するそれらのなかのどれがイケテなかったのか、せめてヒントを与えてもらわないと当方としても今後どのように注意してよいのか皆目見当がつかないのです。
そこで私は、胸にふつふつと燃え盛る紅蓮の憤怒を押し殺して冷静を装い、もしかするとあれは去年の夏、出羽三山神社の境内で撮影したミイラの写真が「死体」と勘違いされて削除されたのではないかとまでこのくそ忙しい季節のさ中に想像をたくましくして、
「あれは実物ではなくて復刻された偽物だよ。だからおらっちも自信をもって掲載したんだよ」
と自己言及する懇切丁寧な解説文までつけて事務局に返信し、誠意ある回答を迫ったのですが、あれから2週間以上経ってもなしのつぶて。これっておおげさにいうと憲法が保障する表現の自由に対するいっぽう的な侵害ではないでしょうか。日頃お世話になっているミクシィ社への感謝と好意の念なぞ、それ以来ふっつり消えてなくなりました。
理解不能・対策不可能な理由で勝手に投稿映像を血祭りにあげているのがミクシィなら、同じく不条理な言葉狩りをしているブログが楽天です。
ここでは旧漢字や環境依存漢字の掲載に待ったをかけるだけではなくて「強姦」などのわいせつ?で社会の安寧秩序を震撼させそうな禍々しい言語?に取り締まりの網がビシビシかけられます。悪いのは強姦という行為であって、「強姦」という言葉ではないという社会人としての最低の教養すら、このブログの責任者には欠如しているのです。ユーザーが乱発する不穏な言葉を取り締まれば、明るく健康的な世の中が到来する。例えば「強姦」という言葉の使用を禁止すれば、世の中の強姦は跡を絶つ、などと信じているとすれば、彼らはそれこそとんでもなくおめでたい「楽天主義者」といわねばなりません。
まあそんな程度の低いメディアでも平気で利用するあんたが阿呆だといわれてしまえば確かにそうなのですが。
♪同じアホなら踊らにゃ損 茫洋
Monday, February 22, 2010
デニス・ラッセル・デービス指揮シュトゥットガルト室内管弦楽団でハイドンの交響曲を聞く
♪音楽千夜一夜第111回
デニス・ラッセル・デービスは、なんと10年の歳月を費やしてカール・ミュンヒンガーが創立したシュトゥットガルト室内管弦楽団を指揮してハイドンの交響曲の全曲録音を果たしました。
これは昨2009年のハイドンイヤーにもっともふさわしいビッグイベントであり、全37枚のCDボックスがたったの5946円、1枚@わずか160円というお値段にもいたく感動して購入したのですが、どうにもこうにも残念無念な買いものでした。
デービスの演奏はECMレーベルに録音された近現代作品や最近のブルックナーではまずまずの成果を収めていましたが、交響曲の父の演奏を手掛けるには100年早すぎたようです。初期から中期の疾風怒涛時代の演奏があまりにも平凡でめりはりに欠け、いったいなにが面白くて演奏しているのかもわからない。まるで海底のナマコが猫じゃ猫じゃを踊っているような団子的無機的音響の連続に業を煮やして、後期のネームドシンフォニーを先に聞いてみましたが、主題の提示の明快さも、再現される主題の変奏の変化も、楽章ごとの緩急のつけかたも、テンポと音色の変化も切れ味が鈍く、すべてが格別の独創も企図もなくただただ凡庸かつ無感動に演奏されていくのです。
頭にきたので日頃愛聴しているドラティやアダム・フィッシャー指揮の全曲盤、さらにはヨッフムやセル、バーンスタイン、カラヤン、トレバー・ピノックなどとも聴き比べてみたのですが、これほどレベルの低い演奏と録音は皆無でした。強いてましな演奏を拾えば第105番とも呼ばれる協奏交響曲でしょうか。
解説によればトランペットとティンパニーだけが古楽器を使っているそうですが、その効果もまったく顕現していない。全曲をライブで録音したために聴衆の反応も分かるのですが、どの曲も拍手はまばらで(ブーイングこそ稀でしたが)、毎回きわめてうそ寒い空気が会場のメルセデス・ベンツセンターを冷え冷えと包みこむのが体感されます。
最新のデジタル録音の成果がそんなところで発揮されているとはデービス自身も予期しなかったことでしょう。ともかく「木戸銭を返してくれえ」と久しぶりに叫びたくなるような古典落語でした。仕方なく手元にあるボーザールトリオの9枚組でけたくそ悪く汚染された耳を懸命に洗い落としているところです。
♪またしても買うてしもうたりグルダの平均律第2巻 茫洋
デニス・ラッセル・デービスは、なんと10年の歳月を費やしてカール・ミュンヒンガーが創立したシュトゥットガルト室内管弦楽団を指揮してハイドンの交響曲の全曲録音を果たしました。
これは昨2009年のハイドンイヤーにもっともふさわしいビッグイベントであり、全37枚のCDボックスがたったの5946円、1枚@わずか160円というお値段にもいたく感動して購入したのですが、どうにもこうにも残念無念な買いものでした。
デービスの演奏はECMレーベルに録音された近現代作品や最近のブルックナーではまずまずの成果を収めていましたが、交響曲の父の演奏を手掛けるには100年早すぎたようです。初期から中期の疾風怒涛時代の演奏があまりにも平凡でめりはりに欠け、いったいなにが面白くて演奏しているのかもわからない。まるで海底のナマコが猫じゃ猫じゃを踊っているような団子的無機的音響の連続に業を煮やして、後期のネームドシンフォニーを先に聞いてみましたが、主題の提示の明快さも、再現される主題の変奏の変化も、楽章ごとの緩急のつけかたも、テンポと音色の変化も切れ味が鈍く、すべてが格別の独創も企図もなくただただ凡庸かつ無感動に演奏されていくのです。
頭にきたので日頃愛聴しているドラティやアダム・フィッシャー指揮の全曲盤、さらにはヨッフムやセル、バーンスタイン、カラヤン、トレバー・ピノックなどとも聴き比べてみたのですが、これほどレベルの低い演奏と録音は皆無でした。強いてましな演奏を拾えば第105番とも呼ばれる協奏交響曲でしょうか。
解説によればトランペットとティンパニーだけが古楽器を使っているそうですが、その効果もまったく顕現していない。全曲をライブで録音したために聴衆の反応も分かるのですが、どの曲も拍手はまばらで(ブーイングこそ稀でしたが)、毎回きわめてうそ寒い空気が会場のメルセデス・ベンツセンターを冷え冷えと包みこむのが体感されます。
最新のデジタル録音の成果がそんなところで発揮されているとはデービス自身も予期しなかったことでしょう。ともかく「木戸銭を返してくれえ」と久しぶりに叫びたくなるような古典落語でした。仕方なく手元にあるボーザールトリオの9枚組でけたくそ悪く汚染された耳を懸命に洗い落としているところです。
♪またしても買うてしもうたりグルダの平均律第2巻 茫洋
Sunday, February 21, 2010
東国博で「国宝土偶展」を見る
茫洋物見遊山記第16回&♪ある晴れた日に第71回
これだけはなにがなんでも見ておかねば、と重い腰を振り起こして早朝の上野くんだりまででかけたら一面の雪でした。大英博物館から帰国したばかりの縄文時代の土偶たちがおよそ六〇点並んでいました。
縄文のスーパースターという惹句のもとに、ネコ顔、みみずく顔、仮面、ビーナス、ハート形などさまざまな名称を冠せられた土偶、つまり土くれでできた人形が陳列されていましたが、どれもこれも高さ30センチを越えないくらいの大きさでとても小ぶりなのです。
しかし縄文早期の前7000年から晩期の前1000年くらいに青森、秋田、岩手、長野、宮城、埼玉などで発掘された土偶たちの藝術的完成度はきわめて高く、技術的な素朴さがかえってその簡素で象徴的な造形美を鮮烈に打ち出していて、岡本太郎が感動し、ここに己の創造の原点を見出したのもむべなるかなといえましょう。
これらの土偶は、多産・豊饒・再生の象徴として宗教的な儀式などに用いられたと考えているようですが、そんな学問的考察よりも子供を抱いたり背負ったりする土偶、しゃがんでいる土偶、手を合わせて合掌している土偶、すっくと誇りかに立つ土偶たちを眺めていると、1万年の遠い遥かな時空を瞬時に無化して、彼らと私たちが、「おなじ喜怒哀楽をともにしている存在」のように感じられるのはなぜでしょうか。もしかするとこの列島先住民と私たちには同じ血が流れているのかもしれません。
しかし宮城県蔵王町で発掘されたゴーグルをつけたような遮光器土偶だけは、それとは異質な文化の匂いを感じます。私見ではこれは中国四川省広漢市の三星堆遺跡で発見された同種の巨大な土偶(数年前に世田谷美術館で公開された)の影響を受けており、もしかすると紀元前2000年頃の三星堆文明の余波が東漸して、縄文前期の前1000~400年頃に日本列島に及んだ証拠ではないでしょうか。
眼口耳われらと違わぬかたちかな 茫洋
風穴に光入れたり縄文人
あっけらかんと笑うていたり縄文の人
1万の時を隔てて笑いおる日本列島先住民
乳さらし光歩むや縄文の女
胸を張り空を仰ぎて立ちいたり乳房も陰部もさらけ出しつつ
閉じた眼に何を思うや縄文の人
ミミズクの森に棲みしや縄文の民
深々と青空呑みおり縄文人
光避け思いに沈むや縄文哲学者
かにかくに生きてありしか縄文の民
一塊の土にひそみし命かな
これだけはなにがなんでも見ておかねば、と重い腰を振り起こして早朝の上野くんだりまででかけたら一面の雪でした。大英博物館から帰国したばかりの縄文時代の土偶たちがおよそ六〇点並んでいました。
縄文のスーパースターという惹句のもとに、ネコ顔、みみずく顔、仮面、ビーナス、ハート形などさまざまな名称を冠せられた土偶、つまり土くれでできた人形が陳列されていましたが、どれもこれも高さ30センチを越えないくらいの大きさでとても小ぶりなのです。
しかし縄文早期の前7000年から晩期の前1000年くらいに青森、秋田、岩手、長野、宮城、埼玉などで発掘された土偶たちの藝術的完成度はきわめて高く、技術的な素朴さがかえってその簡素で象徴的な造形美を鮮烈に打ち出していて、岡本太郎が感動し、ここに己の創造の原点を見出したのもむべなるかなといえましょう。
これらの土偶は、多産・豊饒・再生の象徴として宗教的な儀式などに用いられたと考えているようですが、そんな学問的考察よりも子供を抱いたり背負ったりする土偶、しゃがんでいる土偶、手を合わせて合掌している土偶、すっくと誇りかに立つ土偶たちを眺めていると、1万年の遠い遥かな時空を瞬時に無化して、彼らと私たちが、「おなじ喜怒哀楽をともにしている存在」のように感じられるのはなぜでしょうか。もしかするとこの列島先住民と私たちには同じ血が流れているのかもしれません。
しかし宮城県蔵王町で発掘されたゴーグルをつけたような遮光器土偶だけは、それとは異質な文化の匂いを感じます。私見ではこれは中国四川省広漢市の三星堆遺跡で発見された同種の巨大な土偶(数年前に世田谷美術館で公開された)の影響を受けており、もしかすると紀元前2000年頃の三星堆文明の余波が東漸して、縄文前期の前1000~400年頃に日本列島に及んだ証拠ではないでしょうか。
眼口耳われらと違わぬかたちかな 茫洋
風穴に光入れたり縄文人
あっけらかんと笑うていたり縄文の人
1万の時を隔てて笑いおる日本列島先住民
乳さらし光歩むや縄文の女
胸を張り空を仰ぎて立ちいたり乳房も陰部もさらけ出しつつ
閉じた眼に何を思うや縄文の人
ミミズクの森に棲みしや縄文の民
深々と青空呑みおり縄文人
光避け思いに沈むや縄文哲学者
かにかくに生きてありしか縄文の民
一塊の土にひそみし命かな
Saturday, February 20, 2010
大江健三郎著「水死」を読んで
照る日曇る日第327回
久しぶりにノーベル賞作家の最新作を読みましたら、これが案に相違してとても面白く読み応えがあったのでびっくりしました。
はじめは例によって下世話な私小説風なので、やれやれまたですかとあくびなどをしていたのですが、次第に作者の巧みなストーリーテリングと推理小説のように緻密に考え抜かれた重層的なプロットの罠にはまり、終盤の息が詰まるような展開と思いがけないラストに大きな衝撃を受け、ああこれが小説を読む醍醐味なのだ、という深いカタルシスを味わうことができました。
この小説は3つの位相が組み合わさって構築されています。
まずいちばん下の平面では、迫りくる老いを迎えて急速に衰える体力と突然の眩暈、加えて妻の病気や障碍を持つ息子との軋轢、人気の下落と経済的不如意など、われらが主人公を襲う暗い日常がまずはドラマの下ごしらえとして描かれています。
その上のプレートには、父の水死体が乗せられています。彼が取り組もうとする作家としての最後の仕事は、60年前に郷里松山の洪水の川にあえて短艇を乗り入れて50歳で死んだ父にまつわる「水死小説」を書くことなのですが、その願いは彼が郷里で当てにしていた資料が見つからず放棄する羽目に陥ってしまいます。
しかしそれは見かけだけのこと、それを含めてあれやこれやの一連の顛末を縷々つづったこの小説全体が「水死小説」であり、つまりはこれが小説の最上部を形成するプレートなのです。
やがて「水死小説」をあきらめた主人公の前に、若い男女の演劇集団が現れ、彼の参画を得て彼の旧作や彼の父の水死事件、彼の郷里の民衆蜂起事件をテーマにした新作を上演しようとするのですが、この若い世代の運動に随伴することが彼を過去の自分に直面させ、彼を再び政治的人間、性的人間へと急接近させ、現代の政治的・性的カタストロフィーの最先端部分にみずからを突き出す推力となるのです。
そして驚いたことに、主人公の「戦後民主主義の旗手」という仮面の下には、牢固とした国家主義者の顔容が潜み、さらにその表皮をべろりとはぐれば、森と川の精霊、聖なる土地のゲニウス・ロキ、先祖代々の霊たちに守られ、かの大いなる黄金の枝にまたがったひとりの無垢な少年の姿があったのでした。
土と血に根差した父のモラリストとしての処世を知り、その血族の一員であることをついに理会した主人公は、その来歴をつぶさに綴ることによって、彼の作家的生命を賦活させるに至ります。老残の肉体に降り注いだ深紅の血潮が、さながら三島の浪漫的な精神が降臨したように、いまにも滅び去ろうとしていた大江の実存をよみがえらせるのです。王が新たな王によって殺され、王国の不滅の伝統が維持されるように――。
藝術は人生を救う、とはまさにこのことではないでしょうか。大江のケンチャン、さすがにあなたは当代一の作家です。
♪遅れてきた老人がついに書きたり最高傑作 茫洋
久しぶりにノーベル賞作家の最新作を読みましたら、これが案に相違してとても面白く読み応えがあったのでびっくりしました。
はじめは例によって下世話な私小説風なので、やれやれまたですかとあくびなどをしていたのですが、次第に作者の巧みなストーリーテリングと推理小説のように緻密に考え抜かれた重層的なプロットの罠にはまり、終盤の息が詰まるような展開と思いがけないラストに大きな衝撃を受け、ああこれが小説を読む醍醐味なのだ、という深いカタルシスを味わうことができました。
この小説は3つの位相が組み合わさって構築されています。
まずいちばん下の平面では、迫りくる老いを迎えて急速に衰える体力と突然の眩暈、加えて妻の病気や障碍を持つ息子との軋轢、人気の下落と経済的不如意など、われらが主人公を襲う暗い日常がまずはドラマの下ごしらえとして描かれています。
その上のプレートには、父の水死体が乗せられています。彼が取り組もうとする作家としての最後の仕事は、60年前に郷里松山の洪水の川にあえて短艇を乗り入れて50歳で死んだ父にまつわる「水死小説」を書くことなのですが、その願いは彼が郷里で当てにしていた資料が見つからず放棄する羽目に陥ってしまいます。
しかしそれは見かけだけのこと、それを含めてあれやこれやの一連の顛末を縷々つづったこの小説全体が「水死小説」であり、つまりはこれが小説の最上部を形成するプレートなのです。
やがて「水死小説」をあきらめた主人公の前に、若い男女の演劇集団が現れ、彼の参画を得て彼の旧作や彼の父の水死事件、彼の郷里の民衆蜂起事件をテーマにした新作を上演しようとするのですが、この若い世代の運動に随伴することが彼を過去の自分に直面させ、彼を再び政治的人間、性的人間へと急接近させ、現代の政治的・性的カタストロフィーの最先端部分にみずからを突き出す推力となるのです。
そして驚いたことに、主人公の「戦後民主主義の旗手」という仮面の下には、牢固とした国家主義者の顔容が潜み、さらにその表皮をべろりとはぐれば、森と川の精霊、聖なる土地のゲニウス・ロキ、先祖代々の霊たちに守られ、かの大いなる黄金の枝にまたがったひとりの無垢な少年の姿があったのでした。
土と血に根差した父のモラリストとしての処世を知り、その血族の一員であることをついに理会した主人公は、その来歴をつぶさに綴ることによって、彼の作家的生命を賦活させるに至ります。老残の肉体に降り注いだ深紅の血潮が、さながら三島の浪漫的な精神が降臨したように、いまにも滅び去ろうとしていた大江の実存をよみがえらせるのです。王が新たな王によって殺され、王国の不滅の伝統が維持されるように――。
藝術は人生を救う、とはまさにこのことではないでしょうか。大江のケンチャン、さすがにあなたは当代一の作家です。
♪遅れてきた老人がついに書きたり最高傑作 茫洋
Friday, February 19, 2010
正岡子規と横須賀 横須賀ところどころ第11回
茫洋物見遊山記第15回
海に沈んだ軍艦の記念碑の傍らにおかれていたのは、どういうわけか正岡子規の句碑でした。
横須賀やただ帆檣の冬木立
明治二一年の八月、21歳の正岡子規は、友人とともに浦賀に上陸し、横須賀・逗子・鎌倉に遊び、この句を詠んだとされています。それは彼が生まれてはじめて喀血し、親友夏目漱石と知り合う前年のことでした。
帆檣は「はんしょう」と呼んで帆柱の意。横須賀に来てみればたくさんの軍艦が一杯でその帆柱がまるで冬木立のようだったよ、という意味でしょうが、現地に立ったのは真夏なのにどうして季語が冬なのかすこし理解に苦しむところです。夏なのに冬木立を連想したのか、それともこれは彼が創案した写生句ではなく、頭の中でこさえた観念の句なのかと判断にまようところです。
それにしても当時21歳の青年が、「帆檣」などという漢字をさらりと使っているのには驚きます。いまでは70歳の老人ですら読み下せないのではないでしょうか。漱石の英語といい、子規の漢文といい、明治のインテリゲンチャンの学力には脱帽のほかありません。
いまは夏どころか厳寒の2月。人気のない公園を、「戦争反対」と書いた黄色いたすきを掛けた2人の日蓮宗のお坊さんが、湾内に停泊する2艘の潜水艦と4隻の駆逐艦に向かって太鼓をやけくそのように叩きながら行進していました。
♪横須賀や戦争反対南無妙法蓮華経 茫洋
海に沈んだ軍艦の記念碑の傍らにおかれていたのは、どういうわけか正岡子規の句碑でした。
横須賀やただ帆檣の冬木立
明治二一年の八月、21歳の正岡子規は、友人とともに浦賀に上陸し、横須賀・逗子・鎌倉に遊び、この句を詠んだとされています。それは彼が生まれてはじめて喀血し、親友夏目漱石と知り合う前年のことでした。
帆檣は「はんしょう」と呼んで帆柱の意。横須賀に来てみればたくさんの軍艦が一杯でその帆柱がまるで冬木立のようだったよ、という意味でしょうが、現地に立ったのは真夏なのにどうして季語が冬なのかすこし理解に苦しむところです。夏なのに冬木立を連想したのか、それともこれは彼が創案した写生句ではなく、頭の中でこさえた観念の句なのかと判断にまようところです。
それにしても当時21歳の青年が、「帆檣」などという漢字をさらりと使っているのには驚きます。いまでは70歳の老人ですら読み下せないのではないでしょうか。漱石の英語といい、子規の漢文といい、明治のインテリゲンチャンの学力には脱帽のほかありません。
いまは夏どころか厳寒の2月。人気のない公園を、「戦争反対」と書いた黄色いたすきを掛けた2人の日蓮宗のお坊さんが、湾内に停泊する2艘の潜水艦と4隻の駆逐艦に向かって太鼓をやけくそのように叩きながら行進していました。
♪横須賀や戦争反対南無妙法蓮華経 茫洋
Thursday, February 18, 2010
帝国海軍の夢の跡 横須賀ところどころ第10回
茫洋物見遊山記第14回
横須賀は旧帝国海軍ゆかりの軍港で、港の公園の一郭には大戦で会没した軍人の慰霊塔や軍艦山城、長門、沖島などの鎮魂碑が、訪れる人もなく建ち並んでいます。
巨大な舟形をした大理石に刻まれた「国威顕彰」のスローガンを眺めていると、身も心も冷たくなってきたので、その場を立ち去ろうとしましたら、
原始海は生命の故郷であった
その海に果て、その海に眠る
戦友たちの御霊やすかれといのちながらえしものあい集い
再びいくさあらすなとねがうものなり
と書かれたひとつの墓碑銘が目に留まりました。
そのあとに続けて
浮雲一片流北辰
何人不起望郷情
有時霊魂亦環家
夜半南星漂蒼海
という七言絶句も書かれていました。井伏鱒二風に、
北極星に雲がかかれば
みんな故郷に帰りたい
いつかは君もお家に帰る
青い海からお星さまになって
といういい加減なほんやくで、いかがなものでしょうか。
♪冠詞がない日本語には思想がない 茫洋
横須賀は旧帝国海軍ゆかりの軍港で、港の公園の一郭には大戦で会没した軍人の慰霊塔や軍艦山城、長門、沖島などの鎮魂碑が、訪れる人もなく建ち並んでいます。
巨大な舟形をした大理石に刻まれた「国威顕彰」のスローガンを眺めていると、身も心も冷たくなってきたので、その場を立ち去ろうとしましたら、
原始海は生命の故郷であった
その海に果て、その海に眠る
戦友たちの御霊やすかれといのちながらえしものあい集い
再びいくさあらすなとねがうものなり
と書かれたひとつの墓碑銘が目に留まりました。
そのあとに続けて
浮雲一片流北辰
何人不起望郷情
有時霊魂亦環家
夜半南星漂蒼海
という七言絶句も書かれていました。井伏鱒二風に、
北極星に雲がかかれば
みんな故郷に帰りたい
いつかは君もお家に帰る
青い海からお星さまになって
といういい加減なほんやくで、いかがなものでしょうか。
♪冠詞がない日本語には思想がない 茫洋
良長院というお寺 横須賀ところどころ第9回
茫洋物見遊山記第13回
どぶ板通りを少し離れて坂道を上っていくと龍谷山良長院という曹洞宗のお寺がありました。曹洞宗は道元が開祖で、のちに禅宗の一派と称されるようになりますが、道元自身はそのような狭いセクショナリズムを排してこれが仏教の正道だと考えていたようです。
あるネット情報によれば、この良長院は、元は米軍基地内の泊浦(現在の泊町)にあったそうです。本尊は開山堂に安置してある釈迦三尊像で、これは横須賀市内唯一の鉄製の鉄仏だとか。なんでも泊町の長峯城城主の瀬尾重兵衛良長という人が創建したので、良長院と名付けられといいます。
良長院には聖観世音菩薩もあります。また別の情報によれば、この観音像は関東大震災の横死者追善供養のため大正十四年九月一日(三回忌)に第二町内会有志によって建立され、観音像の胎内には関東大震災で亡くなった人の名が刻まれた銅版が納められたので、それ以来、震災記念観音と呼ばれていましたが、昭和25年に境内入り口広場から現在の場所に移し、良長院の縁起にちなんで祇園観音と改称。続いて、昭和28年には梵鐘の再建、燈籠の再建などによって、祇園の浄地としての伽藍が整備されたことを記念してこの観音像の由来が記されることになったそうです。
別にそういう由来などはどうでもよいのですが、何度訪れても人影がなく、そのかわりに人懐こい猫が近寄ってくる感じのよいお寺です。
♪犬よりも猫に好かれる男かな 茫洋
どぶ板通りを少し離れて坂道を上っていくと龍谷山良長院という曹洞宗のお寺がありました。曹洞宗は道元が開祖で、のちに禅宗の一派と称されるようになりますが、道元自身はそのような狭いセクショナリズムを排してこれが仏教の正道だと考えていたようです。
あるネット情報によれば、この良長院は、元は米軍基地内の泊浦(現在の泊町)にあったそうです。本尊は開山堂に安置してある釈迦三尊像で、これは横須賀市内唯一の鉄製の鉄仏だとか。なんでも泊町の長峯城城主の瀬尾重兵衛良長という人が創建したので、良長院と名付けられといいます。
良長院には聖観世音菩薩もあります。また別の情報によれば、この観音像は関東大震災の横死者追善供養のため大正十四年九月一日(三回忌)に第二町内会有志によって建立され、観音像の胎内には関東大震災で亡くなった人の名が刻まれた銅版が納められたので、それ以来、震災記念観音と呼ばれていましたが、昭和25年に境内入り口広場から現在の場所に移し、良長院の縁起にちなんで祇園観音と改称。続いて、昭和28年には梵鐘の再建、燈籠の再建などによって、祇園の浄地としての伽藍が整備されたことを記念してこの観音像の由来が記されることになったそうです。
別にそういう由来などはどうでもよいのですが、何度訪れても人影がなく、そのかわりに人懐こい猫が近寄ってくる感じのよいお寺です。
♪犬よりも猫に好かれる男かな 茫洋
Tuesday, February 16, 2010
ウイリアム・ワイラー監督「ミニヴァー夫人」を見る
闇にまぎれて bowyow cine-archives vol.24
ジャン・ストルーザーの原作を、名匠ワイラー監督が1942年に映画化した愛国キャンペーン映画です。
当時のアメリカは、日独伊などの枢軸国と戦争のさなかにありました。そこでワイラーも、及ばずながらと腰を上げて、1939年現在の英国ロンドン近郊の小さな村を舞台にした戦争協力映画をとりあげたというわけです。
愛国とか戦争協力といっても、そこは格調高いジェントルマンのワイラーなので、同時代の絶叫愛国者フランク・キャプラなどと比べると、それほど露骨な戦意高揚のにおいふんぷんの要素は慎重に避けていて、むしろある日突然戦争に巻き込まれた英国の中産階級の悲劇の様相を、格調高く描いているとも評せましょう。
冒頭、主人公のミニヴァー夫人(グリア・ガースンがひと時代前の古典的な美貌を見せる)がロンドンの街頭でプチブルジョワ風のショッピングの楽しみに耽るシーンは、到底ラストの戦争の悲惨さを想像だにさせない点で、ワイラーの演出の腕のさえを物語っています。
また平和だった家庭に突然「凶悪な」ドイツ兵が侵入するシーンや、ミニヴァー夫人の夫があのダンケルクの撤退戦に駆り出されたり、観客が予想もしなかった人物が突然死んでしまうなど、劇的な要素もたっぷり盛り込んであり、凡庸な戦意高揚映画とはきちんと一線を画しているものの、最後にエルガーの「威風堂々」のBGMが流される中で、教会の牧師が正義の戦争への加担をアジテートしたり、エンドマークと共に戦争基金への参加が呼びかけられるのを目にすると、極東の一ワイラーファンとしても、さすがにいささか鼻白んでくるのはやむをえません。
♪ボロボロと歯が欠けてゆく2月かな 茫洋
ジャン・ストルーザーの原作を、名匠ワイラー監督が1942年に映画化した愛国キャンペーン映画です。
当時のアメリカは、日独伊などの枢軸国と戦争のさなかにありました。そこでワイラーも、及ばずながらと腰を上げて、1939年現在の英国ロンドン近郊の小さな村を舞台にした戦争協力映画をとりあげたというわけです。
愛国とか戦争協力といっても、そこは格調高いジェントルマンのワイラーなので、同時代の絶叫愛国者フランク・キャプラなどと比べると、それほど露骨な戦意高揚のにおいふんぷんの要素は慎重に避けていて、むしろある日突然戦争に巻き込まれた英国の中産階級の悲劇の様相を、格調高く描いているとも評せましょう。
冒頭、主人公のミニヴァー夫人(グリア・ガースンがひと時代前の古典的な美貌を見せる)がロンドンの街頭でプチブルジョワ風のショッピングの楽しみに耽るシーンは、到底ラストの戦争の悲惨さを想像だにさせない点で、ワイラーの演出の腕のさえを物語っています。
また平和だった家庭に突然「凶悪な」ドイツ兵が侵入するシーンや、ミニヴァー夫人の夫があのダンケルクの撤退戦に駆り出されたり、観客が予想もしなかった人物が突然死んでしまうなど、劇的な要素もたっぷり盛り込んであり、凡庸な戦意高揚映画とはきちんと一線を画しているものの、最後にエルガーの「威風堂々」のBGMが流される中で、教会の牧師が正義の戦争への加担をアジテートしたり、エンドマークと共に戦争基金への参加が呼びかけられるのを目にすると、極東の一ワイラーファンとしても、さすがにいささか鼻白んでくるのはやむをえません。
♪ボロボロと歯が欠けてゆく2月かな 茫洋
Monday, February 15, 2010
大野和士指揮ベルギー王立劇場管でストラヴィンスキー「道楽者のなりゆき」を見る
♪音楽千夜一夜第110回
ストラヴィンスキーがバイロイトでワーグナーを見て反発発奮してかいたといわれる20世紀オペラをわが国の若手のホープがドライブしての演奏です。
物語のあらすじは、表題通りの道楽者トム・レイクウエル(アンドリュー・ケネディ)が、初恋の女性アン(ローラ・クレイコム)との約束を踏みにじって、悪魔シャドウ(ウイリアム・シメル)の誘惑に乗り、大都会の悪に染まって酒池肉林の快楽を味わい、とどのつまりは精神病院のベッドの上で郷里の村娘との平凡な幸福を夢見ながら痛苦と後悔にみちた一生を終るというどこかで聞いたことのあるようなお話です。
テキストはおそらくバイブルの放蕩息子の逸話やイプセンの「ペールギュント」の本歌取りであり、随所にチャイコフスキーの「スペードの女王」やモーツアルトの「ドン・ジョバンニ」、さらには反面教師であったはずのワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の遠い反響を聞きとることもできます。
要するにこのオペラは古今東西のあらゆるオペラや音楽の解体であり脱構築であり、新時代のオペラの集大成としてつくられたものなのです。私たちはひとたびは解体されたオペラが、新しい意味と光芒を備えてもういちど現代によみがえろうとする、その生成の現場に立ち会うことができるのです。
そして作曲家のその意欲的な試みを、21世紀初頭の現在という時点でじつに美しくも説得力をもってあざやかにレアライズしたのが演出のロベール・ルパージュと大野和士のコンビでした。けっして大げさな演奏と劇化ではないのですが、これほど心にしみる公演もそれほど多くはないでしょう。ただひとつ文句をいいたいのはストラヴィンスキーがなくもがなの道学者風のエピローグを付け加えたことですが、これは公演スタッフの罪ではありません。ともかく万人に推薦できるオペラビデオです。
♪亡き義父の形見のラルフのスーツ着て出席したり卒業発表会
ストラヴィンスキーがバイロイトでワーグナーを見て反発発奮してかいたといわれる20世紀オペラをわが国の若手のホープがドライブしての演奏です。
物語のあらすじは、表題通りの道楽者トム・レイクウエル(アンドリュー・ケネディ)が、初恋の女性アン(ローラ・クレイコム)との約束を踏みにじって、悪魔シャドウ(ウイリアム・シメル)の誘惑に乗り、大都会の悪に染まって酒池肉林の快楽を味わい、とどのつまりは精神病院のベッドの上で郷里の村娘との平凡な幸福を夢見ながら痛苦と後悔にみちた一生を終るというどこかで聞いたことのあるようなお話です。
テキストはおそらくバイブルの放蕩息子の逸話やイプセンの「ペールギュント」の本歌取りであり、随所にチャイコフスキーの「スペードの女王」やモーツアルトの「ドン・ジョバンニ」、さらには反面教師であったはずのワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の遠い反響を聞きとることもできます。
要するにこのオペラは古今東西のあらゆるオペラや音楽の解体であり脱構築であり、新時代のオペラの集大成としてつくられたものなのです。私たちはひとたびは解体されたオペラが、新しい意味と光芒を備えてもういちど現代によみがえろうとする、その生成の現場に立ち会うことができるのです。
そして作曲家のその意欲的な試みを、21世紀初頭の現在という時点でじつに美しくも説得力をもってあざやかにレアライズしたのが演出のロベール・ルパージュと大野和士のコンビでした。けっして大げさな演奏と劇化ではないのですが、これほど心にしみる公演もそれほど多くはないでしょう。ただひとつ文句をいいたいのはストラヴィンスキーがなくもがなの道学者風のエピローグを付け加えたことですが、これは公演スタッフの罪ではありません。ともかく万人に推薦できるオペラビデオです。
♪亡き義父の形見のラルフのスーツ着て出席したり卒業発表会
Sunday, February 14, 2010
バレンボイム指揮スカラ座管で「アイーダ」を視聴する
♪音楽千夜一夜第109回
09年9月6日に行われたスカラ座の来日公演のライブを、録画で見ました。会場はパリのパレ・デ・コングレ、NYのエイベリーフイッシャーホール、両国の国技館と並ぶ世界最悪音響空間の神南馬小屋ホールですが、収録マイクのセッティングが絶妙であるために、自宅での視聴が会場最上席のそれに優に匹敵するとはどうにも皮肉なものです。
オーケストラボックスに入ったスカラ座の管弦楽と合唱団の素晴らしさは、誰もが知る通り世界最高のレベルにあり、今回の「アイーダ」における第3幕のオケとコーラスの咆哮は、バレンボイムの乗りに乗った指揮ぶりとあいまって、強烈な劇的興奮を生みだしていました。これぞヴェルディの音楽を聞く醍醐味といえましょう。
とかく日本のオケは、長大なオペラや交響曲の終わりの箇所にさしかかると、まるでガソリンの切れかかった自動車のように息切れしてくることが多いのですが、外国のオケの大半はその正反対で、当夜のスカラ座管のように、むしろこの急坂からものすごい底力と登攀力を発揮します。
「アイーダ」の演奏においては、音響的クライマックスのピークが第3幕におかれていて、主役の2人が閉じ込められた密室で死んでいく最後の第4幕では、音響の激烈さではなく、音楽の内面的な意味と感情にものをいわせなければなりませんが、この難しい演奏課題を、指揮者は見事にクリアしていました。
表題役のヴィオレッタ・ウハマーナ、ラダメスのヨハン・ボータ、アムネリスのエカテリーナ・グバノワもその持てる実力を存分に発揮していましたが、それにもまして特筆すべきはフランコ・ゼフィレッリによる格調高く知的な演出で、豪華絢爛な美術装置の前で演じられるバレエの演技に力点をおくことによって、逆にこのドラマの悲劇性を鋭く浮き彫りにしていた点が素晴らしかったと思います。
♪3位になっても4位になっても彼女の人生は続く 茫洋
♪ポネル死せりされどゼフィレッリ残れりわが心に残る懐かしきオペラ演出家よ 茫洋
09年9月6日に行われたスカラ座の来日公演のライブを、録画で見ました。会場はパリのパレ・デ・コングレ、NYのエイベリーフイッシャーホール、両国の国技館と並ぶ世界最悪音響空間の神南馬小屋ホールですが、収録マイクのセッティングが絶妙であるために、自宅での視聴が会場最上席のそれに優に匹敵するとはどうにも皮肉なものです。
オーケストラボックスに入ったスカラ座の管弦楽と合唱団の素晴らしさは、誰もが知る通り世界最高のレベルにあり、今回の「アイーダ」における第3幕のオケとコーラスの咆哮は、バレンボイムの乗りに乗った指揮ぶりとあいまって、強烈な劇的興奮を生みだしていました。これぞヴェルディの音楽を聞く醍醐味といえましょう。
とかく日本のオケは、長大なオペラや交響曲の終わりの箇所にさしかかると、まるでガソリンの切れかかった自動車のように息切れしてくることが多いのですが、外国のオケの大半はその正反対で、当夜のスカラ座管のように、むしろこの急坂からものすごい底力と登攀力を発揮します。
「アイーダ」の演奏においては、音響的クライマックスのピークが第3幕におかれていて、主役の2人が閉じ込められた密室で死んでいく最後の第4幕では、音響の激烈さではなく、音楽の内面的な意味と感情にものをいわせなければなりませんが、この難しい演奏課題を、指揮者は見事にクリアしていました。
表題役のヴィオレッタ・ウハマーナ、ラダメスのヨハン・ボータ、アムネリスのエカテリーナ・グバノワもその持てる実力を存分に発揮していましたが、それにもまして特筆すべきはフランコ・ゼフィレッリによる格調高く知的な演出で、豪華絢爛な美術装置の前で演じられるバレエの演技に力点をおくことによって、逆にこのドラマの悲劇性を鋭く浮き彫りにしていた点が素晴らしかったと思います。
♪3位になっても4位になっても彼女の人生は続く 茫洋
♪ポネル死せりされどゼフィレッリ残れりわが心に残る懐かしきオペラ演出家よ 茫洋
Saturday, February 13, 2010
アレクサンダー・マックイーンの死
ふぁっちょん幻論第57回
外電によれば英国のデザイナー、アレクサンダー・マックイーンがロンドンの自宅で
亡くなったそうです。世界でも指折りの非凡なクリエーターであった若冠40歳の孤独な死は、惜しみても余りあるものといえましょう。
ロンドンのセントマーチーン・アカデミーを卒業して1996年にロンドン・コレに参加し、その後まもなくジバンシーのデザイナーとしてめざましい活躍を続けた彼は、2001年からはみずからのブランドでパリとミラノのコレクションでメンズとウイメンズの作品を発表し、シーズンごとに高い評価を集めてきました。
アレクサンダー・マックイーンは、つねにファッションの領域を拡大し、前人未到の新しい美を追求しようとする強烈な意欲と冒険精神の持ち主でした。たとえばロンドンのストリート系雑誌「デイズド&コンヒューズド」の依頼に応じてコムデギャルソンなどとともに重度の身体障害者をモデルにした作品を発表したり、03春夏パリコレでは義足のモデルを起用するなど、健常・障碍の区分を超えたユニバーサルデザインに対して先進的な取り組みをみせていました。彼は、私たちが美しいとみなす世界の外側に、もうひとつの美しさを見出すことができた人でした。
けれどもファッションに対してきわめて前衛的な考え方を持ち、その理想を追求しようとすればするほど、バブル崩壊後の世界不況の嵐は、彼のファッションポリシーと生き方を苦難にみちたものに変えていったに違いありません。
他のデザイナーたちと共に、一方では着易いリアルクローズを提案し、プーマ社と提携するなど「食うためのデザイン」を推進すればするほど、「この世にあらざる理想のデザイン」を夢見る彼の良心はするどい痛みを覚えたに違いありません。
彼が死の直前に製作し、私たちへの最期の贈り物となったのは201年秋冬物のミラノコレクションでしたが、そこで登場するメンズウエアたちは、まったくコンセプトの異なる2種類のグループによって暴力的に引き裂かれているようです。
一方における「万人に愛されるリアルクローズ」と、まるでアフガニスタンのアルカイダへの孤独なオマージュのような、「異様でアバンギャルドなシュールレアリスムウエア」――。おそらく彼の内面におけるこの2つのベクトルの存在と内部矛盾、そしてその不可避的な対立と分裂の激化こそが、彼の早すぎる自死の引き金となったのではないでしょうか。
今宵私は、マックイーンと同じような悩みをかかえて激しく苦悩しているであろう山本耀司氏や川久保玲氏、そのほか数多くのクリエーターの健闘と自愛を切に祈りたいと思います。
死んでしまえばすべて終わりだよ山本耀司 茫洋
生きておればさらなる高みに登れたが足元の岩ぐらり崩れて 茫洋
外電によれば英国のデザイナー、アレクサンダー・マックイーンがロンドンの自宅で
亡くなったそうです。世界でも指折りの非凡なクリエーターであった若冠40歳の孤独な死は、惜しみても余りあるものといえましょう。
ロンドンのセントマーチーン・アカデミーを卒業して1996年にロンドン・コレに参加し、その後まもなくジバンシーのデザイナーとしてめざましい活躍を続けた彼は、2001年からはみずからのブランドでパリとミラノのコレクションでメンズとウイメンズの作品を発表し、シーズンごとに高い評価を集めてきました。
アレクサンダー・マックイーンは、つねにファッションの領域を拡大し、前人未到の新しい美を追求しようとする強烈な意欲と冒険精神の持ち主でした。たとえばロンドンのストリート系雑誌「デイズド&コンヒューズド」の依頼に応じてコムデギャルソンなどとともに重度の身体障害者をモデルにした作品を発表したり、03春夏パリコレでは義足のモデルを起用するなど、健常・障碍の区分を超えたユニバーサルデザインに対して先進的な取り組みをみせていました。彼は、私たちが美しいとみなす世界の外側に、もうひとつの美しさを見出すことができた人でした。
けれどもファッションに対してきわめて前衛的な考え方を持ち、その理想を追求しようとすればするほど、バブル崩壊後の世界不況の嵐は、彼のファッションポリシーと生き方を苦難にみちたものに変えていったに違いありません。
他のデザイナーたちと共に、一方では着易いリアルクローズを提案し、プーマ社と提携するなど「食うためのデザイン」を推進すればするほど、「この世にあらざる理想のデザイン」を夢見る彼の良心はするどい痛みを覚えたに違いありません。
彼が死の直前に製作し、私たちへの最期の贈り物となったのは201年秋冬物のミラノコレクションでしたが、そこで登場するメンズウエアたちは、まったくコンセプトの異なる2種類のグループによって暴力的に引き裂かれているようです。
一方における「万人に愛されるリアルクローズ」と、まるでアフガニスタンのアルカイダへの孤独なオマージュのような、「異様でアバンギャルドなシュールレアリスムウエア」――。おそらく彼の内面におけるこの2つのベクトルの存在と内部矛盾、そしてその不可避的な対立と分裂の激化こそが、彼の早すぎる自死の引き金となったのではないでしょうか。
今宵私は、マックイーンと同じような悩みをかかえて激しく苦悩しているであろう山本耀司氏や川久保玲氏、そのほか数多くのクリエーターの健闘と自愛を切に祈りたいと思います。
死んでしまえばすべて終わりだよ山本耀司 茫洋
生きておればさらなる高みに登れたが足元の岩ぐらり崩れて 茫洋
Friday, February 12, 2010
渡辺保著「江戸演劇史下」を読んで
照る日曇る日第326回
とうとう最後のページまで読んでしまいました。
あとがきで著者は、「この本はもちろん今日の読者のためのものであるが、それ以上に歴史の闇に消えていった多くの人々の霊に捧げたい」と書いていますが、これは嘘偽りなくその通りです。
分厚い本をぱたりと閉じた私の脳裏には、歌舞伎一八番を創成した七代目団十郎や、その父七代目との金銭トラブルに巻き込まれて大坂で切腹した名優八代目団十郎の「助六」の力演、そして守田座の責め場の舞台から転落して釘を踏み抜いて脱疽にかかり、名医ヘボンなどによって両手両足を切断する手術を受けながら、わずか34歳で花の命を散らせた女形田之介のたおやかな演技、さらには富本節に引導を渡して清元節全盛の世を切り開きながら文政8年5月26年に暗殺された延寿太夫の朗々たる美声が、なぜかまざまざとよみがえってくるのですから。
著者の汗牛充棟ただならぬ膨大な資料を駆使しての博引旁証はさることながら、いまから200年以上前の江戸時代の歌舞伎三座を華やかに彩った名優や音楽の名人たちの演技や演奏を、「まるで見てきたように」描き出し、あまつさえ私たち読者の耳目にあざやかに現前化する著者の筆力と自由奔放な想像力は、ほとんど神業の領域に達しているというべきでしょう。これは単なる江戸演劇史ではありません。さながらイタコのように彼らによりそい、彼らに憑依し、青史の時代に生きた名優の一世一代の名演の真価を復刻再現して永遠の正史にとどめようとする驚異的な情熱と幻視の書物なのです。
天保一二年、水野忠邦の奢侈禁止令を利用して歌舞伎取りつぶしを狙った鳥居耀蔵でしたが、遠山の金さんの反対もある程度は奏功して、結局堺町・葺屋町・木挽町の芝居三町にあった中村・市村・森田の歌舞伎三座は、浅草聖天町近辺の猿若町に強制的に移転されました。ところがこんな辺鄙な内陸部に追いやられたにもかかわらず歌舞伎は元禄・宝暦明和・文化文政に匹敵する黄金時代を迎えるのです。
その理由として著者は、民衆が育てた江戸歌舞伎の恐るべきエネルギーを挙げています。万延元年三月三日の桜田門外の変のおり、猿若町の中村座ではまさに井伊大老の暗殺さながらの「封印切」の稽古をしていたそうですが、役者たちは「もしもこっちの初日が早かったら、あっちで遠慮してあんな騒動もなかったろう」と豪語したという挿話を紹介したあとで、著者は「この隔離された別世界には、恐ろしい現実を笑いとばすだけのエネルギーがみなぎっていた」と大略で評するのですが、ここにおいて著者の歌舞伎への愛の告白を思いがけず耳にした想いをするのは、私だけではないでしょう。
♪げに歌舞伎こそわが国が世界に誇る最高の芸術 茫洋
とうとう最後のページまで読んでしまいました。
あとがきで著者は、「この本はもちろん今日の読者のためのものであるが、それ以上に歴史の闇に消えていった多くの人々の霊に捧げたい」と書いていますが、これは嘘偽りなくその通りです。
分厚い本をぱたりと閉じた私の脳裏には、歌舞伎一八番を創成した七代目団十郎や、その父七代目との金銭トラブルに巻き込まれて大坂で切腹した名優八代目団十郎の「助六」の力演、そして守田座の責め場の舞台から転落して釘を踏み抜いて脱疽にかかり、名医ヘボンなどによって両手両足を切断する手術を受けながら、わずか34歳で花の命を散らせた女形田之介のたおやかな演技、さらには富本節に引導を渡して清元節全盛の世を切り開きながら文政8年5月26年に暗殺された延寿太夫の朗々たる美声が、なぜかまざまざとよみがえってくるのですから。
著者の汗牛充棟ただならぬ膨大な資料を駆使しての博引旁証はさることながら、いまから200年以上前の江戸時代の歌舞伎三座を華やかに彩った名優や音楽の名人たちの演技や演奏を、「まるで見てきたように」描き出し、あまつさえ私たち読者の耳目にあざやかに現前化する著者の筆力と自由奔放な想像力は、ほとんど神業の領域に達しているというべきでしょう。これは単なる江戸演劇史ではありません。さながらイタコのように彼らによりそい、彼らに憑依し、青史の時代に生きた名優の一世一代の名演の真価を復刻再現して永遠の正史にとどめようとする驚異的な情熱と幻視の書物なのです。
天保一二年、水野忠邦の奢侈禁止令を利用して歌舞伎取りつぶしを狙った鳥居耀蔵でしたが、遠山の金さんの反対もある程度は奏功して、結局堺町・葺屋町・木挽町の芝居三町にあった中村・市村・森田の歌舞伎三座は、浅草聖天町近辺の猿若町に強制的に移転されました。ところがこんな辺鄙な内陸部に追いやられたにもかかわらず歌舞伎は元禄・宝暦明和・文化文政に匹敵する黄金時代を迎えるのです。
その理由として著者は、民衆が育てた江戸歌舞伎の恐るべきエネルギーを挙げています。万延元年三月三日の桜田門外の変のおり、猿若町の中村座ではまさに井伊大老の暗殺さながらの「封印切」の稽古をしていたそうですが、役者たちは「もしもこっちの初日が早かったら、あっちで遠慮してあんな騒動もなかったろう」と豪語したという挿話を紹介したあとで、著者は「この隔離された別世界には、恐ろしい現実を笑いとばすだけのエネルギーがみなぎっていた」と大略で評するのですが、ここにおいて著者の歌舞伎への愛の告白を思いがけず耳にした想いをするのは、私だけではないでしょう。
♪げに歌舞伎こそわが国が世界に誇る最高の芸術 茫洋
Thursday, February 11, 2010
ゲッティンゲン音楽祭のヘンデル「アドメート」を視聴する
♪音楽千夜一夜第108回
2009年5月28日にドイツのゲッティンゲンで行われたヘンデルのオペラ「アドメート」の公演をビデオで見ました。「音楽の母」と称されるゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデルの没後250年に当たるヘンデル・イヤーのこの年は、世界各地でヘンデルを記念するイベントや演奏会が企画されましたが、これもその記念行事のひとつでした。
「ゲッティンゲン国際ヘンデル音楽祭」は1920年に開始されたフェスティバルで、 古楽の音楽祭としては現在最も長く続いている音楽祭だそうですが、今回の ヘンデル・イヤーに選ばれたのがんだ歌劇「アドメート」でした。これは1727年にロンドンで初演されたヘンデル42歳の年のオペラで、 ギリシア神話に題材を採る瀕死の王アドメートとその妃アルチェステの物語です。 かつてはしばしば上演され、人気を博したそうですが、現在ではほとんど上演の機会のない珍しい作品なのだそうです。
演出は映画監督・ドリス・デリエという知らない女性です。なんでも日本文化に深く共感し、小津安二郎の影響のもとで監督した作品「HANAMI ―花見―」(2007) がベルリン映画祭でも注目されたそうですが、 今回の「アドメート」でも「HANAMI」で共演した日本人ダンサー遠藤公義を振り付けとソロダンスに起用し、和洋折衷の奇妙奇天烈な演出世界を粛々と展開しました。
ヘンデルが描いたのはトロイア戦争後のギリシアのさる王国の宮廷の恋のさや当ての物語なのですが、国王アドメート、王妃アルチェステ、トロイの王女アンティゴナをはじめ出演者の全員が、なんと日本の江戸時代?の武将や花魁の装束で登場します。
瀕死の国王の一命を救うために犠牲となって自害した王妃を黄泉の国まで救出にむかうエルコーレ(ヘラクレス)などは、な、なんと相撲取りの格好をしていて、こいつが器用に四股を踏んだり、今は亡き朝青龍の土俵入りのしぐさまでやってのけるのです。
はじめはあまりの荒唐無稽さにあんぐりと口を開けて眺めていた私でしたが、無国籍風ジャポニスムと切れ味の良いモダンバレエ、色鮮やかな照明、そしてニコラス・マギーガン率いるゲッティンゲン音楽祭管弦楽団の快調な劇伴にいざなわれて、気がつけば3時間になんなんとする長丁場を居眠りもせず気持ちよく鑑賞することができたのでした。
ヘンデルの音楽はバッハと違って音楽語法が単純明快なので、聞く人を退屈させずに終曲までなだれこむためには相当の手練を要しますが、私がはじめて耳にするこの指揮者とオケは、かなり上手にその難事業を乗り切ることに成功していたと思います。
もっとも最高のヘンデル演奏においては、まるで高級なミニマルミュージックの演奏に遭遇したときのような興奮と催眠、そして見神効果にまでまきこまれることがあるのですが、彼らはその至高の境地にはまだ遠く及ばないようです。
配役と歌手は以下の通りですが、いずれも「中の上」ないし「上の下」クラスのひとたちでした。
アドメート:ティム・ミード、アルチェステ:マリー・アーネット、アンティゴナ:キルステン・ブレイズ、トラジメーデ:デーヴィッド・ベイツ、オリンド:アンドルー・ラドリー、エルコーレ:ウィリアム・バーガー、メラスペ:ウォルフ・マティアス・フリードリヒ
我よりも若き人死ぬる日よわが過ぎ越しの無様を恥ずる 茫洋
2009年5月28日にドイツのゲッティンゲンで行われたヘンデルのオペラ「アドメート」の公演をビデオで見ました。「音楽の母」と称されるゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデルの没後250年に当たるヘンデル・イヤーのこの年は、世界各地でヘンデルを記念するイベントや演奏会が企画されましたが、これもその記念行事のひとつでした。
「ゲッティンゲン国際ヘンデル音楽祭」は1920年に開始されたフェスティバルで、 古楽の音楽祭としては現在最も長く続いている音楽祭だそうですが、今回の ヘンデル・イヤーに選ばれたのがんだ歌劇「アドメート」でした。これは1727年にロンドンで初演されたヘンデル42歳の年のオペラで、 ギリシア神話に題材を採る瀕死の王アドメートとその妃アルチェステの物語です。 かつてはしばしば上演され、人気を博したそうですが、現在ではほとんど上演の機会のない珍しい作品なのだそうです。
演出は映画監督・ドリス・デリエという知らない女性です。なんでも日本文化に深く共感し、小津安二郎の影響のもとで監督した作品「HANAMI ―花見―」(2007) がベルリン映画祭でも注目されたそうですが、 今回の「アドメート」でも「HANAMI」で共演した日本人ダンサー遠藤公義を振り付けとソロダンスに起用し、和洋折衷の奇妙奇天烈な演出世界を粛々と展開しました。
ヘンデルが描いたのはトロイア戦争後のギリシアのさる王国の宮廷の恋のさや当ての物語なのですが、国王アドメート、王妃アルチェステ、トロイの王女アンティゴナをはじめ出演者の全員が、なんと日本の江戸時代?の武将や花魁の装束で登場します。
瀕死の国王の一命を救うために犠牲となって自害した王妃を黄泉の国まで救出にむかうエルコーレ(ヘラクレス)などは、な、なんと相撲取りの格好をしていて、こいつが器用に四股を踏んだり、今は亡き朝青龍の土俵入りのしぐさまでやってのけるのです。
はじめはあまりの荒唐無稽さにあんぐりと口を開けて眺めていた私でしたが、無国籍風ジャポニスムと切れ味の良いモダンバレエ、色鮮やかな照明、そしてニコラス・マギーガン率いるゲッティンゲン音楽祭管弦楽団の快調な劇伴にいざなわれて、気がつけば3時間になんなんとする長丁場を居眠りもせず気持ちよく鑑賞することができたのでした。
ヘンデルの音楽はバッハと違って音楽語法が単純明快なので、聞く人を退屈させずに終曲までなだれこむためには相当の手練を要しますが、私がはじめて耳にするこの指揮者とオケは、かなり上手にその難事業を乗り切ることに成功していたと思います。
もっとも最高のヘンデル演奏においては、まるで高級なミニマルミュージックの演奏に遭遇したときのような興奮と催眠、そして見神効果にまでまきこまれることがあるのですが、彼らはその至高の境地にはまだ遠く及ばないようです。
配役と歌手は以下の通りですが、いずれも「中の上」ないし「上の下」クラスのひとたちでした。
アドメート:ティム・ミード、アルチェステ:マリー・アーネット、アンティゴナ:キルステン・ブレイズ、トラジメーデ:デーヴィッド・ベイツ、オリンド:アンドルー・ラドリー、エルコーレ:ウィリアム・バーガー、メラスペ:ウォルフ・マティアス・フリードリヒ
我よりも若き人死ぬる日よわが過ぎ越しの無様を恥ずる 茫洋
Wednesday, February 10, 2010
閉店迫る横須賀さいか屋 横須賀ところどころ第8回
茫洋物見遊山記第12回&ふぁっちょん幻論第56回
吉祥寺伊勢丹、有楽町西武、京都四条河原町阪急など全国各地で百貨店の閉店が相次いでいますが、ここ横須賀でも名門デパート「さいか屋」の大通り店が閉鎖されることになり、地元商圏に暗い影を落としています。
「さいか屋」は明治5年創業ですから、きっと戦国時代の歴史に名を刻んだあの雑賀一族の末裔がおこした当時は流行の最先端をいく商業施設だったのでしょう。現在では、川崎、藤沢、横須賀など神奈川に拠点をおく典型的な地方百貨店ですが、尋ねるたびに来客が減少していることが気になっていました。
しかし経営不振が極まって、まさか目抜き通りに面した大通り店をクローズするとは思いがけない結論でした。横須賀店は大通り店、新館、南館の3館で構成されていますが、あとの2つは大通り店のいわば背中側に立地しており、集客の点では相当のハンディがあるはずです。それなのにどうして今回のような選択をしたのか理解に苦しみます。
販売実績を見てみないと門外漢には勝手なことが言えませんが、現場を歩いてみた感じでは、新館と南館を売却して主力商品のみに絞った大通り店だけで営業を続けたほうがコストダウンと早期黒字化につながるのではないかという印象を持ちました。
南館は飲食街になっているようなので、もしここが黒字ならば大通り店との2館体制で新規巻き返しを図るべきではないでしょうか。
いずれにしても特性のない衣料品を主力とした特性のない百貨店は、特性のないアパレルメーカーとともにこれからもどんどん滅んでいくのでしょう。栄枯盛衰は世の習いとはいえ、総身に凍風が吹き付ける平成22年の横須賀の冬です。
曇天にヘリ低く飛びし朝年少の友独り逝きけり 茫洋
吉祥寺伊勢丹、有楽町西武、京都四条河原町阪急など全国各地で百貨店の閉店が相次いでいますが、ここ横須賀でも名門デパート「さいか屋」の大通り店が閉鎖されることになり、地元商圏に暗い影を落としています。
「さいか屋」は明治5年創業ですから、きっと戦国時代の歴史に名を刻んだあの雑賀一族の末裔がおこした当時は流行の最先端をいく商業施設だったのでしょう。現在では、川崎、藤沢、横須賀など神奈川に拠点をおく典型的な地方百貨店ですが、尋ねるたびに来客が減少していることが気になっていました。
しかし経営不振が極まって、まさか目抜き通りに面した大通り店をクローズするとは思いがけない結論でした。横須賀店は大通り店、新館、南館の3館で構成されていますが、あとの2つは大通り店のいわば背中側に立地しており、集客の点では相当のハンディがあるはずです。それなのにどうして今回のような選択をしたのか理解に苦しみます。
販売実績を見てみないと門外漢には勝手なことが言えませんが、現場を歩いてみた感じでは、新館と南館を売却して主力商品のみに絞った大通り店だけで営業を続けたほうがコストダウンと早期黒字化につながるのではないかという印象を持ちました。
南館は飲食街になっているようなので、もしここが黒字ならば大通り店との2館体制で新規巻き返しを図るべきではないでしょうか。
いずれにしても特性のない衣料品を主力とした特性のない百貨店は、特性のないアパレルメーカーとともにこれからもどんどん滅んでいくのでしょう。栄枯盛衰は世の習いとはいえ、総身に凍風が吹き付ける平成22年の横須賀の冬です。
曇天にヘリ低く飛びし朝年少の友独り逝きけり 茫洋
Tuesday, February 09, 2010
聖ヨゼフ病院 横須賀ところどころ第7回
茫洋物見遊山記第11回
諏訪大神社の階段を下った坂道の向こうにそびえているのが聖ヨゼフ病院です。
もともとは海軍の軍人の病院だったようですが、昭和21年からカトリック女子修道院聖母訪問会という組織に経営が移り、昭和36年に総合病院聖ヨゼフ病院と名称が変更され、平成17年には聖テレジア会に法人名が変更されて現在に至っています。まあそんなことはどうでもよいのですが、この病院にはかつて障碍児歯科があって、私の息子はもとより知的障碍を持つ神奈川県全域の親子が日参したものです。
健常児だって歯の治療は大変なのに、訳のわからんちんの障碍を持つ子の歯を削ったりすることがどれほど忍耐を必要とするかはどなたにも分かっていただけるでしょう。
中には猛烈に暴れる子供もいます。そんな障碍児たちを愛情と慈しみを持って辛抱強く治療に当たってくださったお医者さんと看護婦さんに深甚の敬意と感謝を捧げたいと思います。
高台の上のこの病院の頂きに居ます天使よ
幼く哀れな者たちの魂を安らかにしていと高きところへと速やかに導きたまわんことを!
♪がっつりと見つめ合いたり鷹と我 茫洋
諏訪大神社の階段を下った坂道の向こうにそびえているのが聖ヨゼフ病院です。
もともとは海軍の軍人の病院だったようですが、昭和21年からカトリック女子修道院聖母訪問会という組織に経営が移り、昭和36年に総合病院聖ヨゼフ病院と名称が変更され、平成17年には聖テレジア会に法人名が変更されて現在に至っています。まあそんなことはどうでもよいのですが、この病院にはかつて障碍児歯科があって、私の息子はもとより知的障碍を持つ神奈川県全域の親子が日参したものです。
健常児だって歯の治療は大変なのに、訳のわからんちんの障碍を持つ子の歯を削ったりすることがどれほど忍耐を必要とするかはどなたにも分かっていただけるでしょう。
中には猛烈に暴れる子供もいます。そんな障碍児たちを愛情と慈しみを持って辛抱強く治療に当たってくださったお医者さんと看護婦さんに深甚の敬意と感謝を捧げたいと思います。
高台の上のこの病院の頂きに居ます天使よ
幼く哀れな者たちの魂を安らかにしていと高きところへと速やかに導きたまわんことを!
♪がっつりと見つめ合いたり鷹と我 茫洋
Monday, February 08, 2010
格調高い諏訪大神社 横須賀ところどころ第5回
茫洋物見遊山記第10回
横須賀の湾を見下ろす諏訪公園の下に鎮座ましますのが、格調高い諏訪大神社です。だいじんじゃではなく、おおかみしゃと発音します。
諏訪大神社の伝承によると、康暦二年(1380)にこの地の領主であった三浦貞宗(横須賀貞宗とも言う)が、信濃国(現在の長野県)諏訪から上下諏訪明神の霊を迎えて創建し、慶長十一年(1606)2月27日、大寒長谷川三郎兵衛の発起で、社殿と境内地の大改修が行われたことも伝えられています。
祭神は、健御名方命(たてみなかたのみこと)と事代主命(ことしろぬしのみこと)の二柱です。健御名方命は武勇に優れた神で、東国の守り神と言われ、事代主命は、えびすさまとも言われ、開運の神として広く信仰されています。
またこの神社には大震災避難記念碑が立っていますが、関東大震災の折には高波を逃れた多くの住民が、境内の社務所や社殿で寝食をともにしたそうです。
なお高い階段の右奥に立派な日本住宅が見えますが、おそらくこの神社の神主さんのお宅ではないでしょうか。
♪おくつきにどなたがおわすかしらねどもそのうやうやしきにこうべはたるる 茫洋
横須賀の湾を見下ろす諏訪公園の下に鎮座ましますのが、格調高い諏訪大神社です。だいじんじゃではなく、おおかみしゃと発音します。
諏訪大神社の伝承によると、康暦二年(1380)にこの地の領主であった三浦貞宗(横須賀貞宗とも言う)が、信濃国(現在の長野県)諏訪から上下諏訪明神の霊を迎えて創建し、慶長十一年(1606)2月27日、大寒長谷川三郎兵衛の発起で、社殿と境内地の大改修が行われたことも伝えられています。
祭神は、健御名方命(たてみなかたのみこと)と事代主命(ことしろぬしのみこと)の二柱です。健御名方命は武勇に優れた神で、東国の守り神と言われ、事代主命は、えびすさまとも言われ、開運の神として広く信仰されています。
またこの神社には大震災避難記念碑が立っていますが、関東大震災の折には高波を逃れた多くの住民が、境内の社務所や社殿で寝食をともにしたそうです。
なお高い階段の右奥に立派な日本住宅が見えますが、おそらくこの神社の神主さんのお宅ではないでしょうか。
♪おくつきにどなたがおわすかしらねどもそのうやうやしきにこうべはたるる 茫洋
Sunday, February 07, 2010
どぶ板通りのお地蔵様 横須賀ところどころ第5回
茫洋物見遊山記第9回
横須賀のどぶ板商店街のちょうど真ん中あたりに赤い門で囲われた岩屋のような一角があります。
この奥に安置されている延命地蔵尊は、昔から参拝者が絶えない、霊験あらたかな地蔵尊として知られています。いつ通っても、線香の香りが漂っています。若い人たちの姿も目立つドブ板通りに、ひときわ異彩を放つ延命地蔵尊ですが、あまり人に知られていない歴史がありました。
昔の文献によると、このあたり一帯は海に突き出した険しい地形で、交通路といえばわずかに山裾をぬって造られた細い道だけだったようです。そこでこの付近に下町と結ぶ素掘りのトンネルを造ったところ、このトンネルが不完全だったことから、出水や地震などによってたびたび落盤事故を起こし、多くのけが人がでました。そこでこのあたりの有志の方々の発願によってトンネルの入り口にあたる場所に地蔵を祭り、通行の安全祈念することになったといいます。
明治の中ごろまでは、この付近を洞ノ口あるいは堂ノ口と呼んでいたので、この地蔵は当初は「洞ノ口地蔵」と称されていましたが、この地蔵尊の霊験あらたかなことが、いつしか近郷近在の人々に広まって、年を経るごとに信仰する人が多くなっていきました。
そして、その祈願の内容も、家内安全から商売繁盛に広がり、さらに明治、大正、昭和と時代を新たにするごとに、入学祈願の信仰の対象にもなってきました。やがてこの洞ノ口地蔵を信仰すると長生きできるという神話も生まれ、いつのころからか「延命地蔵尊」と呼ぶようになったといわれます。
以上「横須賀どぶ板商店街」のHPからの情報でした。
♪横須賀やヤンキーも詣でる地蔵尊 茫洋
横須賀のどぶ板商店街のちょうど真ん中あたりに赤い門で囲われた岩屋のような一角があります。
この奥に安置されている延命地蔵尊は、昔から参拝者が絶えない、霊験あらたかな地蔵尊として知られています。いつ通っても、線香の香りが漂っています。若い人たちの姿も目立つドブ板通りに、ひときわ異彩を放つ延命地蔵尊ですが、あまり人に知られていない歴史がありました。
昔の文献によると、このあたり一帯は海に突き出した険しい地形で、交通路といえばわずかに山裾をぬって造られた細い道だけだったようです。そこでこの付近に下町と結ぶ素掘りのトンネルを造ったところ、このトンネルが不完全だったことから、出水や地震などによってたびたび落盤事故を起こし、多くのけが人がでました。そこでこのあたりの有志の方々の発願によってトンネルの入り口にあたる場所に地蔵を祭り、通行の安全祈念することになったといいます。
明治の中ごろまでは、この付近を洞ノ口あるいは堂ノ口と呼んでいたので、この地蔵は当初は「洞ノ口地蔵」と称されていましたが、この地蔵尊の霊験あらたかなことが、いつしか近郷近在の人々に広まって、年を経るごとに信仰する人が多くなっていきました。
そして、その祈願の内容も、家内安全から商売繁盛に広がり、さらに明治、大正、昭和と時代を新たにするごとに、入学祈願の信仰の対象にもなってきました。やがてこの洞ノ口地蔵を信仰すると長生きできるという神話も生まれ、いつのころからか「延命地蔵尊」と呼ぶようになったといわれます。
以上「横須賀どぶ板商店街」のHPからの情報でした。
♪横須賀やヤンキーも詣でる地蔵尊 茫洋
Saturday, February 06, 2010
横須賀ところどころ
茫洋物見遊山記第8回
またしても横須賀にやって来ました。
左側の海を見ながらバスに乗って大滝町で降りて右側の道路に入ると、もうそこがどぶ板通りです。もともと横須賀は明治時代から軍港として栄えたのですが、なんとこの道路の真ん中にどぶ川が流れていたそうな。当然交通の妨げになるので、当時の海軍工廠から分厚い鉄板を寄付してもらい、どぶ川にふたをしたところから、「どぶ板通り」の通称ができたそうです。そしてそのどぶ川も鉄板もなくなった現在でも、その名前だけが残っているのです。
「どぶ板通り」には横須賀名物のスカジャン、ヨコスカネイビーバーガー、よこすか海軍カレー、肖像画店、土産屋、ミリタリーショップ、外人バーなどのお店が並んでいますが、私が好きなのは昔ながらの銭湯「大黒湯」です。同じ名前の銭湯は東京にもありますが、こちらはずっとひなびたローカル古典ヴァージョンです。
「どぶ板通り」の道端にとびとびに敷かれているのが、横須賀ゆかりの有名人たちの手形レリーフです。王貞治、斎藤明夫、佐々木主浩などのスポーツ選手や団伊久磨、清水哲太郎といった人々もその手跡を残していますが、雪村いづみ、原信夫、阿川泰子、白鳥英美子、渡辺真知子、宇崎竜童、阿木燿子、ジョージ川口などのミュジシャンが多いのは、この近くの海軍倶楽部に出演したことがあるからではないでしょうか。
横須賀は海と音楽とアーミーの街であります。
♪倫理なく自由も奪われ仕事せず哀れ沈みゆく小沢民主党 茫洋
♪堕ちよ堕ちよ地獄の果てまでモラルなき小沢民主党 茫洋
Friday, February 05, 2010
石渡嶺上司・大澤仁著「就活のバカヤロー」を読んで
照る日曇る日第325回&バガテルop121
この本には、企業・大学・学生が演じる茶番劇という副題がついています。
企業は優秀な学生を青田買いするために「就職協定」を幾度となく有名無実化してきました。大学側では「教育」が本分であるとうそぶき、就職など知ったことかという態度を取っていましたが、少子化が進んでどんどん学生の数が減り、経営基盤が足元から崩れ去っていく現実を目の当たりにして、どうしても就職率を上げざるを得なくなってきました。
そこに割って入るのがお馴染みのリクナビやマイナビを運用する就職情報会社です。企業からは「就職人気企業ランキング」などをちらつかせて説明会経費や媒体費用をむしりとり、大学に対しては就活指導ノウハウを様々な形で押し売りし、「就活と採活」の両側面において完全なマッチポンプで莫大な利益を上げています。
いい迷惑なのは学生たちです。勉学に専念できるのは3年生の1学期までのわずかな期間だけ。夏休み前にはインタンシップという訳のわからない就業体験に突入し、続いて大企業の説明会が大会場で開催され、大手テレビ局や電通博報堂などへのエントリーが開始されます。ともかく3年生の大みそかまでには内々定を獲得しようということで、学業などそっちのけで就活の東奔西走が繰り広げられているのです。
どこの大学でも企業訪問やら面接試験などに出陣する学生が相次ぎますから、ゼミや授業や実験などはみなうわの空。4年生になっても就職が決まらないと大事な卒業制作にも大きなダメージが出てきます。100年に一度という大不況で2010年度の内定率はこれまた史上最低を記録していることを知ってか、最近では2年生!が就職課に相談にくるという異常事態が発生しています。ゆがみにゆがんだ就活ゆえに、かなりのパーセンテージを占めるアホバカ学生のアホバカ度も、ますます亢進せざるを得ません。
アホバカ小鳩のおかげで国会がもはやまともな政策論議の場でなくなってしまったように、キャンパス内も、もはや真面目な勉強どころの騒ぎではないのです。
就職情報会社や就職本に脅かされた学生は、絶対おとされないエントリーシートの書き方や失敗しない面接の受け方を知ろうと私たちのところへやってきます。マニュアル通りの履歴書を持ち、マニュアル通りの質疑応答に熟達し、マニュアル通りのリクルートスーツを着たマニュアル人間のおぞましさ。そして彼らをそのような姿形に追い込んだ元凶であるにもかかわらず、彼らの来襲におびえる企業の異様さ。これを悲惨な蟻地獄といわずになんと呼べばいいのでしょう。
この悲喜劇を存続させている当事者は、企業・大学・就職情報会社・世間そして学生です。しかし学生自身にはこの苦境を逃れるすべはありません。私はやはり企業側が1996年に廃止した就職協定を復活し、それを政府が厳格に監視する形で、「会社訪問は4年生の8月20日、内定は11月1日」とおごそかに決めることが、現在の「就活のバカヤロー」状態を脱する唯一の道ではないかと思うのですが……。
♪就活のバカヤローが生み出している恐るべき国家的損失! 茫洋
この本には、企業・大学・学生が演じる茶番劇という副題がついています。
企業は優秀な学生を青田買いするために「就職協定」を幾度となく有名無実化してきました。大学側では「教育」が本分であるとうそぶき、就職など知ったことかという態度を取っていましたが、少子化が進んでどんどん学生の数が減り、経営基盤が足元から崩れ去っていく現実を目の当たりにして、どうしても就職率を上げざるを得なくなってきました。
そこに割って入るのがお馴染みのリクナビやマイナビを運用する就職情報会社です。企業からは「就職人気企業ランキング」などをちらつかせて説明会経費や媒体費用をむしりとり、大学に対しては就活指導ノウハウを様々な形で押し売りし、「就活と採活」の両側面において完全なマッチポンプで莫大な利益を上げています。
いい迷惑なのは学生たちです。勉学に専念できるのは3年生の1学期までのわずかな期間だけ。夏休み前にはインタンシップという訳のわからない就業体験に突入し、続いて大企業の説明会が大会場で開催され、大手テレビ局や電通博報堂などへのエントリーが開始されます。ともかく3年生の大みそかまでには内々定を獲得しようということで、学業などそっちのけで就活の東奔西走が繰り広げられているのです。
どこの大学でも企業訪問やら面接試験などに出陣する学生が相次ぎますから、ゼミや授業や実験などはみなうわの空。4年生になっても就職が決まらないと大事な卒業制作にも大きなダメージが出てきます。100年に一度という大不況で2010年度の内定率はこれまた史上最低を記録していることを知ってか、最近では2年生!が就職課に相談にくるという異常事態が発生しています。ゆがみにゆがんだ就活ゆえに、かなりのパーセンテージを占めるアホバカ学生のアホバカ度も、ますます亢進せざるを得ません。
アホバカ小鳩のおかげで国会がもはやまともな政策論議の場でなくなってしまったように、キャンパス内も、もはや真面目な勉強どころの騒ぎではないのです。
就職情報会社や就職本に脅かされた学生は、絶対おとされないエントリーシートの書き方や失敗しない面接の受け方を知ろうと私たちのところへやってきます。マニュアル通りの履歴書を持ち、マニュアル通りの質疑応答に熟達し、マニュアル通りのリクルートスーツを着たマニュアル人間のおぞましさ。そして彼らをそのような姿形に追い込んだ元凶であるにもかかわらず、彼らの来襲におびえる企業の異様さ。これを悲惨な蟻地獄といわずになんと呼べばいいのでしょう。
この悲喜劇を存続させている当事者は、企業・大学・就職情報会社・世間そして学生です。しかし学生自身にはこの苦境を逃れるすべはありません。私はやはり企業側が1996年に廃止した就職協定を復活し、それを政府が厳格に監視する形で、「会社訪問は4年生の8月20日、内定は11月1日」とおごそかに決めることが、現在の「就活のバカヤロー」状態を脱する唯一の道ではないかと思うのですが……。
♪就活のバカヤローが生み出している恐るべき国家的損失! 茫洋
Thursday, February 04, 2010
文化学園服飾博物館の「パレスチナの民族衣装」展を見る
茫洋物見遊山記第8回&ふぁっちょん幻論第55回
新宿の文化学園服飾博物館では「パレスチナの民族衣装」展が3月14日まで開催されています。
聖地エルサレムを囲むパレスチナ地方には、イスラエルとアラブ両民族が政治的、人種的、宗教文化的に厳しい対立を続けている訳ですが、この会場ではヨルダン川西岸とガザ地区に分断されながらも軍事的強国イスラエルにゴリアテに挑むダビデのように礫で戦いを挑んでいるパレスチナの人々の民族衣装が多数展示されています。
アラビアのロレンスを思わせる男性の衣服も興味深いものがありますが、なんといってたっぷりとした着分の生地を贅沢に使い、大きなAラインに造型された女性の色彩豊かなドレスが目を引きます。
ドレスには花や木など自然のモチーフが金の糸などで刺繍されていて、とりわけ胸元に表現されたV字型などの大胆な文様が、エルサレムやラマラ、ガザ、ベツレヘムなど彼女たちの出身地毎のアイデンティティをあざやかに表現しています。
タータンチエックを思わせるこれらの美しい意匠は、先祖代々母から娘に手作業で伝えられ、その地域や部族や家柄の誇り高い象徴であったわけですが、その連綿たる歴史と文化的伝統が、20世紀後半のイスラエルの武断的攻勢と陰険な分断政策によって暴力的に断ち切られつつあることは断腸の思いです。
難民キャンプに追いやられたパレスチナ人たちが、ありあわせの素材と拙い技術でつむいだ貧しいドレスが、そのことを雄弁に物語っているようでした。
♪パレスチナの民族衣装を踏みにじるイスラエルの民の驕り昂ぶり 茫洋
新宿の文化学園服飾博物館では「パレスチナの民族衣装」展が3月14日まで開催されています。
聖地エルサレムを囲むパレスチナ地方には、イスラエルとアラブ両民族が政治的、人種的、宗教文化的に厳しい対立を続けている訳ですが、この会場ではヨルダン川西岸とガザ地区に分断されながらも軍事的強国イスラエルにゴリアテに挑むダビデのように礫で戦いを挑んでいるパレスチナの人々の民族衣装が多数展示されています。
アラビアのロレンスを思わせる男性の衣服も興味深いものがありますが、なんといってたっぷりとした着分の生地を贅沢に使い、大きなAラインに造型された女性の色彩豊かなドレスが目を引きます。
ドレスには花や木など自然のモチーフが金の糸などで刺繍されていて、とりわけ胸元に表現されたV字型などの大胆な文様が、エルサレムやラマラ、ガザ、ベツレヘムなど彼女たちの出身地毎のアイデンティティをあざやかに表現しています。
タータンチエックを思わせるこれらの美しい意匠は、先祖代々母から娘に手作業で伝えられ、その地域や部族や家柄の誇り高い象徴であったわけですが、その連綿たる歴史と文化的伝統が、20世紀後半のイスラエルの武断的攻勢と陰険な分断政策によって暴力的に断ち切られつつあることは断腸の思いです。
難民キャンプに追いやられたパレスチナ人たちが、ありあわせの素材と拙い技術でつむいだ貧しいドレスが、そのことを雄弁に物語っているようでした。
♪パレスチナの民族衣装を踏みにじるイスラエルの民の驕り昂ぶり 茫洋
Wednesday, February 03, 2010
梟が鳴く森で 第1部うつろい 第35回
bowyow megalomania theater vol.1
10月15日 雨
僕は、横浜線のことを考えています。それでお父さんに尋ねました。
お父さんはきのう僕を怒ったので反省して、今日は僕にやさしくしようと努力しているので、それが分かっている僕はお父さんに協力してあげようと思ったのです。
「いま横浜線、新しい?」
「新しいよ。JR東日本の横浜線は、新しいジェラルミン車だよ。質問はそれで終わり?」
「それでおしまいです」
僕はしばらくしてから「レコード芸術」を読んでいるお父さんにまた質問しました。
「横浜線はどこからどこまで走ってるの?」
「えーと、大船から八王子だよ」
「横浜線、新型だけ走ってるの?」
「うん、そうだよ。岳君、横浜線好き?」
「大好き」
「じゃあ横浜線の新型と旧型とどっちが好き?」
「両方好きです」
「ほんとう?」
「ほんとうです」
「新型と旧型とどこが似てるの?」
「黄色いのが」
「どこが黄色いの?」
「ここが黄色いの」
と言いながら僕は胸を指差しました。
♪電池寿命測定器の寿命も電池が支えているんだ 茫洋
10月15日 雨
僕は、横浜線のことを考えています。それでお父さんに尋ねました。
お父さんはきのう僕を怒ったので反省して、今日は僕にやさしくしようと努力しているので、それが分かっている僕はお父さんに協力してあげようと思ったのです。
「いま横浜線、新しい?」
「新しいよ。JR東日本の横浜線は、新しいジェラルミン車だよ。質問はそれで終わり?」
「それでおしまいです」
僕はしばらくしてから「レコード芸術」を読んでいるお父さんにまた質問しました。
「横浜線はどこからどこまで走ってるの?」
「えーと、大船から八王子だよ」
「横浜線、新型だけ走ってるの?」
「うん、そうだよ。岳君、横浜線好き?」
「大好き」
「じゃあ横浜線の新型と旧型とどっちが好き?」
「両方好きです」
「ほんとう?」
「ほんとうです」
「新型と旧型とどこが似てるの?」
「黄色いのが」
「どこが黄色いの?」
「ここが黄色いの」
と言いながら僕は胸を指差しました。
♪電池寿命測定器の寿命も電池が支えているんだ 茫洋
梟が鳴く森で 第1部うつろい 第34回
bowyow megalomania theater vol.1
10月14日 曇
「岳、うるさい! いいかげんにしろ!」と、お父さんが怒鳴りました。
「バカヤロー!」と3回怒鳴りました。
お父さんは嫌いです。僕を怒るから大嫌いです。
「旧型の山手線は、お払い箱ですか?」と尋ねただけなのに、いきなり怒鳴るお父さんなんか死んでしまえ。僕はお父さんなんか大嫌いです。
ウグイス色の103系統の山手線はいまごろどこを走っているんだろう?
♪90爺マーチを駆って高速逆走 茫洋
10月14日 曇
「岳、うるさい! いいかげんにしろ!」と、お父さんが怒鳴りました。
「バカヤロー!」と3回怒鳴りました。
お父さんは嫌いです。僕を怒るから大嫌いです。
「旧型の山手線は、お払い箱ですか?」と尋ねただけなのに、いきなり怒鳴るお父さんなんか死んでしまえ。僕はお父さんなんか大嫌いです。
ウグイス色の103系統の山手線はいまごろどこを走っているんだろう?
♪90爺マーチを駆って高速逆走 茫洋
Monday, February 01, 2010
アバドの「マーラーの7番」を視聴する
♪音楽千夜一夜第107回
2005年の8月、スイスのルツエルン音楽祭で同管弦楽団を指揮したマーラーの第7交響曲のビデオを視聴しました。
画面を見て驚くのはミラノの孤鷹クラウディオ・アバドの病み上がりの痩身といしだあゆみに匹敵するまるで骸骨のような顔容。しかし、ようやく癌の治療を終え、古巣のベルリンフィルを辞して、新天地に羽ばたく中老のマエストロの死から生への帰還のよろこびが爆発したような力強い演奏です。
オーケストラはベルリンフィルを主体に世界各地からアバドの人柄と音楽を慕ってはせ参じた寄せ集め部隊ですが、ザビーネ・マイヤーのクラリネットをはじめ、世界でも指折りの超一流音楽家集団の演奏だけに、そのテクニックの鮮やかさは抜群で、この大作をまるで室内楽の器楽協奏曲のように弾きこなしていきます。
各パートの楽員の乗りのものすごいこと。全員がジャズバンドのように上体をスイングさせ、弾きながら歌っているようです。そしてマーラーならではの難渋で絶対矛盾の自己同一的な総譜が、これほどの名技性と透明性ですみずみまで繊細に照射されたことはかつてなかったのではないでしょうか。特に憂愁と諧謔に満ちた第3楽章の行進曲などは管と管、弦と管との対比がじつに美しく描かれ、この曲の隠された表情の出現に息をのむ思いでした。
第2楽章と第4楽章の小夜曲も同様に素晴らしい出来栄えで、超絶ソロの官能的なまでの愛の交歓に、われら聴衆の耳朶が思わずぼおと紅らむまでに酔いしれたのですが、まてまて、そもそも第7番シンフォニーは、暗闇の中でのたうつ自我の暗転と解脱の秘儀の曲ではなかったか、と思いいたれば、アバドとその1党が自己愛に陶酔しながら奏でるまるで地中海の真昼の太陽を思わせる白熱の輝きがどうにも不可解なものに思われて来るのも事実です。
引き続いて、夜の苦悩ならぬ1点も陰りのない真昼の歓喜が朗々と歌い継がれる第5楽章のコーダの大爆発を耳にすると、はたしてこれがマーラーの内面の魂の音楽なのか、やはりクレンペラーやバーンスタインの暗鬱な解釈の方が正統的なのではあるまいか、とほとほと謎と悩みの尽きない世紀の大演奏でありました。
♪これぞ冥途の土産死に損ないアバドが死の音楽を歓喜の歌にすり替えたり 茫洋
2005年の8月、スイスのルツエルン音楽祭で同管弦楽団を指揮したマーラーの第7交響曲のビデオを視聴しました。
画面を見て驚くのはミラノの孤鷹クラウディオ・アバドの病み上がりの痩身といしだあゆみに匹敵するまるで骸骨のような顔容。しかし、ようやく癌の治療を終え、古巣のベルリンフィルを辞して、新天地に羽ばたく中老のマエストロの死から生への帰還のよろこびが爆発したような力強い演奏です。
オーケストラはベルリンフィルを主体に世界各地からアバドの人柄と音楽を慕ってはせ参じた寄せ集め部隊ですが、ザビーネ・マイヤーのクラリネットをはじめ、世界でも指折りの超一流音楽家集団の演奏だけに、そのテクニックの鮮やかさは抜群で、この大作をまるで室内楽の器楽協奏曲のように弾きこなしていきます。
各パートの楽員の乗りのものすごいこと。全員がジャズバンドのように上体をスイングさせ、弾きながら歌っているようです。そしてマーラーならではの難渋で絶対矛盾の自己同一的な総譜が、これほどの名技性と透明性ですみずみまで繊細に照射されたことはかつてなかったのではないでしょうか。特に憂愁と諧謔に満ちた第3楽章の行進曲などは管と管、弦と管との対比がじつに美しく描かれ、この曲の隠された表情の出現に息をのむ思いでした。
第2楽章と第4楽章の小夜曲も同様に素晴らしい出来栄えで、超絶ソロの官能的なまでの愛の交歓に、われら聴衆の耳朶が思わずぼおと紅らむまでに酔いしれたのですが、まてまて、そもそも第7番シンフォニーは、暗闇の中でのたうつ自我の暗転と解脱の秘儀の曲ではなかったか、と思いいたれば、アバドとその1党が自己愛に陶酔しながら奏でるまるで地中海の真昼の太陽を思わせる白熱の輝きがどうにも不可解なものに思われて来るのも事実です。
引き続いて、夜の苦悩ならぬ1点も陰りのない真昼の歓喜が朗々と歌い継がれる第5楽章のコーダの大爆発を耳にすると、はたしてこれがマーラーの内面の魂の音楽なのか、やはりクレンペラーやバーンスタインの暗鬱な解釈の方が正統的なのではあるまいか、とほとほと謎と悩みの尽きない世紀の大演奏でありました。
♪これぞ冥途の土産死に損ないアバドが死の音楽を歓喜の歌にすり替えたり 茫洋
「小沢チルドレン」は何をしている
バガテルop120
先日の朝日新聞に「新人黙らす小沢5原則」という民社党関連の記事がでていました。昨年の総選挙で当選した民主党の新人143人が小沢や鳩山の醜いスキャンダルに全員が貝になって沈黙を守っている問題について論じています。
なんでも小沢学校に属する彼らは、まるで小学生のように10班に分かれて徹底的に管理・統率されているらしいのです。班長は中堅の国対副委員長たちで、国会内での朝礼(山岡国対委員長)を終えると各班に分かれてミーティングに移り、おもむろに本会議や予算委員会に出撃してやじを飛ばすのだそうです。
小沢学校の新人教育5つの掟は、1)「横並び」で党内秩序維持、2)党内の出来事はすべて班長に報告せよ、3)政府の要職につくべからず、4)テレビに出て目立つべからず、5)地元回りはこまめに、だそうです、これらはすべて小沢校長の方針だというから開いた口がふさがりません。君たちはチイチイパッパの幼稚園児か? と言いたくなります。
小沢学校を登校拒否して、あまでうす校長が唱えるように、1)党内秩序など完全に無視して、2)党内スパイの汚名を返上し、3)どんどん政府の要職を奪い取り、5)じゃんじゃんマスコミに出て己を主張し、6)地元回りなどはいっさいやめて朝から晩まで天下国家を論じてほしいものです。
選挙民は小沢とか鳩山のような手あかのつきまくった旧人よりは、しがらみのない新人に期待して票を投じたはずなのに、彼ら「期待の明星」が、福田、田中、横粂などのフレッシュマンともども、光のささない座敷牢に閉じ込められ、言論や行動の自由を奪われて、自民党の金脈政治にまみれた老獪な政治ゴロの言いなりになっている姿は「情けない」の一語に尽きます。
どれほど小沢の世話になったかしらないが、君たちが議員になれたのは、小沢の「生活第一」なぞという訳のわからぬツイッターを、選挙民が真に受けたからではありません。腐敗堕落の極に達した自民公明政治に鉄槌を下して、「ともかく政権交代させよう!」という圧倒的な民意の嵐が吹きまくった結果にすぎないのです。
小沢の言う通りに地元を地道に歩いたから見事当選したのではなく、民意があなたを当選させたのです。世間では小沢が選挙のプロであると評されているようですが、総選挙の選対が小沢以外の誰であっても、しゃらくさい選挙技術が皆無でも、民主党は勝利していたでしょう。むしろダーティなイメージが強い小沢がいなかったほうが、もっと数多くの得票を獲得していたにちがいありません。
それを偉そうに己の手柄のようにして新人を私物化する小沢も小沢ですが、借りてきた猫のように言いなりになる新人諸君の責任は重大です。こんな右翼系体育会か帝国陸軍初年兵まがいのあほらしい新人教育5つの掟を一日も早く返上して、党内にふつうの民主主義を早急に確立してほしいのです。
私があえて1票を投じた元鎌倉市議、逗子市長の長島選手にも、同じ神奈川県の小泉選手のように、もっと自由闊達に言いたいことを言ってもらいたいのです。
現在の「小鳩民主党」は、金と政治や基地問題などで予想通り混迷を深めており、このままでは失速破綻して参院選でも民衆の大いなるしっぺ返しに遭遇し、思いがけない敗北を余儀なくされるでしょうが、そんなことはわが国の政治にとって2の次、3の次。そんな些事より、言論の自由のない政党に、輝かしい未来などこれっぽっちもないのです。
♪物言えば唇寒し民社党 茫洋
先日の朝日新聞に「新人黙らす小沢5原則」という民社党関連の記事がでていました。昨年の総選挙で当選した民主党の新人143人が小沢や鳩山の醜いスキャンダルに全員が貝になって沈黙を守っている問題について論じています。
なんでも小沢学校に属する彼らは、まるで小学生のように10班に分かれて徹底的に管理・統率されているらしいのです。班長は中堅の国対副委員長たちで、国会内での朝礼(山岡国対委員長)を終えると各班に分かれてミーティングに移り、おもむろに本会議や予算委員会に出撃してやじを飛ばすのだそうです。
小沢学校の新人教育5つの掟は、1)「横並び」で党内秩序維持、2)党内の出来事はすべて班長に報告せよ、3)政府の要職につくべからず、4)テレビに出て目立つべからず、5)地元回りはこまめに、だそうです、これらはすべて小沢校長の方針だというから開いた口がふさがりません。君たちはチイチイパッパの幼稚園児か? と言いたくなります。
小沢学校を登校拒否して、あまでうす校長が唱えるように、1)党内秩序など完全に無視して、2)党内スパイの汚名を返上し、3)どんどん政府の要職を奪い取り、5)じゃんじゃんマスコミに出て己を主張し、6)地元回りなどはいっさいやめて朝から晩まで天下国家を論じてほしいものです。
選挙民は小沢とか鳩山のような手あかのつきまくった旧人よりは、しがらみのない新人に期待して票を投じたはずなのに、彼ら「期待の明星」が、福田、田中、横粂などのフレッシュマンともども、光のささない座敷牢に閉じ込められ、言論や行動の自由を奪われて、自民党の金脈政治にまみれた老獪な政治ゴロの言いなりになっている姿は「情けない」の一語に尽きます。
どれほど小沢の世話になったかしらないが、君たちが議員になれたのは、小沢の「生活第一」なぞという訳のわからぬツイッターを、選挙民が真に受けたからではありません。腐敗堕落の極に達した自民公明政治に鉄槌を下して、「ともかく政権交代させよう!」という圧倒的な民意の嵐が吹きまくった結果にすぎないのです。
小沢の言う通りに地元を地道に歩いたから見事当選したのではなく、民意があなたを当選させたのです。世間では小沢が選挙のプロであると評されているようですが、総選挙の選対が小沢以外の誰であっても、しゃらくさい選挙技術が皆無でも、民主党は勝利していたでしょう。むしろダーティなイメージが強い小沢がいなかったほうが、もっと数多くの得票を獲得していたにちがいありません。
それを偉そうに己の手柄のようにして新人を私物化する小沢も小沢ですが、借りてきた猫のように言いなりになる新人諸君の責任は重大です。こんな右翼系体育会か帝国陸軍初年兵まがいのあほらしい新人教育5つの掟を一日も早く返上して、党内にふつうの民主主義を早急に確立してほしいのです。
私があえて1票を投じた元鎌倉市議、逗子市長の長島選手にも、同じ神奈川県の小泉選手のように、もっと自由闊達に言いたいことを言ってもらいたいのです。
現在の「小鳩民主党」は、金と政治や基地問題などで予想通り混迷を深めており、このままでは失速破綻して参院選でも民衆の大いなるしっぺ返しに遭遇し、思いがけない敗北を余儀なくされるでしょうが、そんなことはわが国の政治にとって2の次、3の次。そんな些事より、言論の自由のない政党に、輝かしい未来などこれっぽっちもないのです。
♪物言えば唇寒し民社党 茫洋
Saturday, January 30, 2010
西暦2010年睦月茫洋花鳥風月歌日誌
♪ある晴れた日に 第70回
てめえなんか死んじまえと叫ぶたびにどこかで誰かが死んでいる
あんたのことが大好きよと囁くたびにどこかで花が咲いている
クビライの奴婢となりたるわが国の行く末憂う今年の初夢
興隆しやがては沈む英国の大人の姿大和も辿れよ
沖縄よ独立せよすべての基地すべてのアメリカー、すべてのヤマトンチューを投げ捨てて
処女の生き血吸う酔狂老人死してヌーベルバーグ死せり
昨日91歳の老人が麦畑で死んだ
ムクよ墓穴から飛び出してアホバカ小沢と鳩山の喉笛を咬め
マイアミで1泊しようと言いしはスエーデンのモデルなりしが
美貌のヴァイオリニスト腋の下を見られている
伊勢丹の武藤氏斃れたり歳六十三瞼に浮かぶよ颯爽たる展示会の姿
ト短調で生きるなハ長調で生きるんだ
歯が痛いなかで半年も生きていることよ
1羽の鳶をどこまでも追いかける2羽の鴉
他愛ないあほばか番組見る妻があどけなく笑うのが好きだ
ウジ虫のような存在にも生きている意味があるはず
悲しみはイ短調で鳴る横須賀線の踏切
お母さん誕生日おめでとうと言うて次男横浜に去る
地デジチューナーなんて役立たずだとお払い箱にする
大枚をはたいて下らぬ公演を見せられてそれでも喜ぶ阿呆な観客
大戸屋で20円のお釣りをもらいそこね終日不愉快な水曜日なり
大船の観音様の左側に毎朝のぞむ富士の白雪
フランク永井になった夢を見た。一晩中有楽町で逢いましょうを歌っていた。一睡もできなかった。
仏とは誰ぞ仏の教えとは何ぞお山を降りし僧の悩みは深し
われに問うほんとうに南無阿弥陀仏と唱えるだけで極楽往生できるのだろうか
正月のあっという間に終わること
虎減って寅歳増えるお正月
虎絶えて寅のみ殖えるお正月
墨痕淋漓「解脱」てふ賀状到来す
歌の在庫がなくなった
昔の自分は死んだらしい
♪目には目を 歯には歯を 死には死を 詩には詩を 茫洋
てめえなんか死んじまえと叫ぶたびにどこかで誰かが死んでいる
あんたのことが大好きよと囁くたびにどこかで花が咲いている
クビライの奴婢となりたるわが国の行く末憂う今年の初夢
興隆しやがては沈む英国の大人の姿大和も辿れよ
沖縄よ独立せよすべての基地すべてのアメリカー、すべてのヤマトンチューを投げ捨てて
処女の生き血吸う酔狂老人死してヌーベルバーグ死せり
昨日91歳の老人が麦畑で死んだ
ムクよ墓穴から飛び出してアホバカ小沢と鳩山の喉笛を咬め
マイアミで1泊しようと言いしはスエーデンのモデルなりしが
美貌のヴァイオリニスト腋の下を見られている
伊勢丹の武藤氏斃れたり歳六十三瞼に浮かぶよ颯爽たる展示会の姿
ト短調で生きるなハ長調で生きるんだ
歯が痛いなかで半年も生きていることよ
1羽の鳶をどこまでも追いかける2羽の鴉
他愛ないあほばか番組見る妻があどけなく笑うのが好きだ
ウジ虫のような存在にも生きている意味があるはず
悲しみはイ短調で鳴る横須賀線の踏切
お母さん誕生日おめでとうと言うて次男横浜に去る
地デジチューナーなんて役立たずだとお払い箱にする
大枚をはたいて下らぬ公演を見せられてそれでも喜ぶ阿呆な観客
大戸屋で20円のお釣りをもらいそこね終日不愉快な水曜日なり
大船の観音様の左側に毎朝のぞむ富士の白雪
フランク永井になった夢を見た。一晩中有楽町で逢いましょうを歌っていた。一睡もできなかった。
仏とは誰ぞ仏の教えとは何ぞお山を降りし僧の悩みは深し
われに問うほんとうに南無阿弥陀仏と唱えるだけで極楽往生できるのだろうか
正月のあっという間に終わること
虎減って寅歳増えるお正月
虎絶えて寅のみ殖えるお正月
墨痕淋漓「解脱」てふ賀状到来す
歌の在庫がなくなった
昔の自分は死んだらしい
♪目には目を 歯には歯を 死には死を 詩には詩を 茫洋
Friday, January 29, 2010
梟が鳴く森で 第1部うつろい 第33回
bowyow megalomania theater vol.1
僕はとてもとても悲しくなって、大好きな家族の人にそんなに嫌われてはもうどうしていいのか分からなくなって、「岳君、嫌いですか、嫌いなんですか?」と、3人に聞きました。
そしたら3人が声を揃えて
「岳君なんか大嫌い!」
と言ったので、僕は泣きました。
僕は身も世もなく大粒の涙をじゃんじゃん流しながら泣きました。
「岳君、嫌い? 嫌い? 岳君、好きです。岳君、好きです」
と言ってわあわあ泣きました。
すると、お母さんまで泣きました。
お父さんと純ちゃんの目にも光るものがありました。
それから3人が口々に
「だいじょーぶ。岳ちゃん大好きだよ!」
と叫んでくれたので、僕は、
「岳ちゃんじゃないよ。岳君だよ」
と言って、やっと泣くのをやめました。
僕はこの人たちに嫌われたら生きていけないのです。命が続かないのです。
だからもう絶対に僕をからかうのはやめてください。冗談言うのはやめてください。
昨日91歳の老人が麦畑で死んだ 茫洋
僕はとてもとても悲しくなって、大好きな家族の人にそんなに嫌われてはもうどうしていいのか分からなくなって、「岳君、嫌いですか、嫌いなんですか?」と、3人に聞きました。
そしたら3人が声を揃えて
「岳君なんか大嫌い!」
と言ったので、僕は泣きました。
僕は身も世もなく大粒の涙をじゃんじゃん流しながら泣きました。
「岳君、嫌い? 嫌い? 岳君、好きです。岳君、好きです」
と言ってわあわあ泣きました。
すると、お母さんまで泣きました。
お父さんと純ちゃんの目にも光るものがありました。
それから3人が口々に
「だいじょーぶ。岳ちゃん大好きだよ!」
と叫んでくれたので、僕は、
「岳ちゃんじゃないよ。岳君だよ」
と言って、やっと泣くのをやめました。
僕はこの人たちに嫌われたら生きていけないのです。命が続かないのです。
だからもう絶対に僕をからかうのはやめてください。冗談言うのはやめてください。
昨日91歳の老人が麦畑で死んだ 茫洋
Thursday, January 28, 2010
梟が鳴く森で 第1部うつろい 第32回
bowyow megalomania theater vol.1
僕は3度の食事が大好きなのです。1日でいちばん楽しいのが、ごはんです。はっきり言って、僕はごはんを食べるために生きているのです。そのことを僕より分かっているのは庭にいるムクだと思います。しかもムクのごはん、1日に2回だけですよ。
みんなによってたかって「いいかげんにしなさい」と言われたものだから、僕はとても悲しくなりました。
僕は「はい、分かりました。いいかげんにします。もう食べました」と言いましたが、お父さんは、「お前はいつも大食いだ。大食いのブタだ。ブタブタの岳は、お父さんは大嫌いだ!」と言いました。
純ちゃんも「岳なんて、大嫌いだ!」と言いました。お母さんまで白い目をして、「岳ちゃんなんか大嫌い」と言いました。
僕はとてもとても悲しくなって、大好きな家族の人にそんなに嫌われてはもうどうしていいのか分からなくなって、「岳君、嫌いですか。嫌いな人なんですか」と3人に聞きました。そしたら3人が声を揃えて「岳君なんか大嫌い!」と言ったので僕は泣きました。僕は身も世もなく大粒の涙をじゃんじゃんおしみなく流しながら泣きました。
みんなによってたかって「いいかげんにしなさい」と言われたものだから、僕はとても悲しくなりました。僕は「はい、分かりました。いいかげんにします。もう食べません」と言いましたが、お父さんは、「お前はいつも大食いだ。大食いのブタだ。ブタブタの岳は、お父さんは大嫌いだ!」と言いました。
純ちゃんも「岳君なんて大嫌いだ!」と言いました。お母さんはまで白い眼をして「岳君なんか大嫌い」と言いました。
♪大船の観音様の左側毎朝のぞむ富士の白雪 茫洋
僕は3度の食事が大好きなのです。1日でいちばん楽しいのが、ごはんです。はっきり言って、僕はごはんを食べるために生きているのです。そのことを僕より分かっているのは庭にいるムクだと思います。しかもムクのごはん、1日に2回だけですよ。
みんなによってたかって「いいかげんにしなさい」と言われたものだから、僕はとても悲しくなりました。
僕は「はい、分かりました。いいかげんにします。もう食べました」と言いましたが、お父さんは、「お前はいつも大食いだ。大食いのブタだ。ブタブタの岳は、お父さんは大嫌いだ!」と言いました。
純ちゃんも「岳なんて、大嫌いだ!」と言いました。お母さんまで白い目をして、「岳ちゃんなんか大嫌い」と言いました。
僕はとてもとても悲しくなって、大好きな家族の人にそんなに嫌われてはもうどうしていいのか分からなくなって、「岳君、嫌いですか。嫌いな人なんですか」と3人に聞きました。そしたら3人が声を揃えて「岳君なんか大嫌い!」と言ったので僕は泣きました。僕は身も世もなく大粒の涙をじゃんじゃんおしみなく流しながら泣きました。
みんなによってたかって「いいかげんにしなさい」と言われたものだから、僕はとても悲しくなりました。僕は「はい、分かりました。いいかげんにします。もう食べません」と言いましたが、お父さんは、「お前はいつも大食いだ。大食いのブタだ。ブタブタの岳は、お父さんは大嫌いだ!」と言いました。
純ちゃんも「岳君なんて大嫌いだ!」と言いました。お母さんはまで白い眼をして「岳君なんか大嫌い」と言いました。
♪大船の観音様の左側毎朝のぞむ富士の白雪 茫洋
Wednesday, January 27, 2010
梟が鳴く森で 第1部うつろい 第31回
bowyow megalomania theater vol.1
犬は吠えるだけじゃない。歩いているだけの人を歯をむき出しにしておっかけてくる。逃げる人を追っかけてかみつくのが犬です。
僕は小さい時におっかけられて咬まれました。だから犬はぜんぶ嫌いです。うちで飼っているムクも嫌いです。犬は嫌いだ。いやだ。大嫌いだ。
10月13日 晴
お父さんとお母さんと純ちゃんと4人で晩御飯を食べました。
にんじんとかおいもとかいろんな野菜の入っているチャンコみたいなお汁を2杯おかわりして、シイタケの混ぜご飯を3杯おかわりして、昨日の残りのカレーライスをチンしてお茶碗に半分くらい食べました。
それから生協のアイスクリームをペロペロなめてとてもおいしく頂いたあと、チャンコ風お汁の3杯目の口にしようとしたら、突如お父さんがオッカナイ顔で、
「こら、岳、そんなに食ってばかりいると豚になるぞ。豚、豚、ブー、ブー、いいかげんにしなさい!」
と言いました。
隣の純くんも、
「岳ちゃん、豚、豚、ブタになる」
とはやしたてました。いつもは優しいお母さんまで
「もう3杯目でしょ。いいかげんにしなさい」
と言うので、僕はすっかりしょげこんで悲しくなってしまいました。
♪大戸屋で20円のお釣りをもらいそこね終日不愉快な水曜日なりき 茫洋
犬は吠えるだけじゃない。歩いているだけの人を歯をむき出しにしておっかけてくる。逃げる人を追っかけてかみつくのが犬です。
僕は小さい時におっかけられて咬まれました。だから犬はぜんぶ嫌いです。うちで飼っているムクも嫌いです。犬は嫌いだ。いやだ。大嫌いだ。
10月13日 晴
お父さんとお母さんと純ちゃんと4人で晩御飯を食べました。
にんじんとかおいもとかいろんな野菜の入っているチャンコみたいなお汁を2杯おかわりして、シイタケの混ぜご飯を3杯おかわりして、昨日の残りのカレーライスをチンしてお茶碗に半分くらい食べました。
それから生協のアイスクリームをペロペロなめてとてもおいしく頂いたあと、チャンコ風お汁の3杯目の口にしようとしたら、突如お父さんがオッカナイ顔で、
「こら、岳、そんなに食ってばかりいると豚になるぞ。豚、豚、ブー、ブー、いいかげんにしなさい!」
と言いました。
隣の純くんも、
「岳ちゃん、豚、豚、ブタになる」
とはやしたてました。いつもは優しいお母さんまで
「もう3杯目でしょ。いいかげんにしなさい」
と言うので、僕はすっかりしょげこんで悲しくなってしまいました。
♪大戸屋で20円のお釣りをもらいそこね終日不愉快な水曜日なりき 茫洋
Tuesday, January 26, 2010
吉村昭著「ふぉん・しーほるとの娘」を読む
照る日曇る日第324回
「ふぉん・しーほると」となぜだか平仮名で書かれているのはドイツ人科学者フォン・シーボルトそのひとで、彼と円山遊郭の遊女お滝との間にできた娘お稲がこの長編小説のヒロインです。
シーボルトはドイツ人であるにもかかわらずオランダ人をかたって長崎の出島にやって来て、医学や諸科学、オランダ語などの高野長英などの洋学の徒に教え、蘭学の師として高い声望を獲得しますが、その見返りに伊能忠敬などが作った地図などを無断で持ち出そうとして国外追放されてしまいます。
要するにスパイですね。この男はオランダに戻ってから今度は世界一の知日派としてアメリカに自分を売り込んでペリー提督に断られたりしています。学問はできたようですが、かなり軽薄な才子だったようです。
その有名な「シーボルト事件」で国外追放された父とお稲が、思い出の長崎で再会したのは、それからおよそ30年後のことでした。
14歳の時に医師を志し、故郷の長崎を離れて宇和島に行き、シーボルトの弟子二宮敬作、次いで岡山の石井宗謙のもとでオランダ語と医学を学んだお稲は、江戸後期から明治初年をつうじてわが国の唯一の女性産科医師として活躍を続け、宇和島藩の元藩主伊達宗城から伊篤という名をいただいたお稲は、福沢諭吉の推薦もあって宮内庁御用係の栄誉も受けたのですが、私生活上では苦難の道をたどらざるをえませんでした。
父の血を受け継いだ美貌の彼女は、恩師石井宗謙によって強姦されてタダという娘を産みますが、信頼していた教育者に裏切られたお稲の男性不信は、再会した老いたる父親が次々に近くの女性と肉体関係を持つあさましい姿を目にしてますます深まり、70歳を越えて新都とうけいで没する日まで変わらなかったようです。
タダは長じて2人の医師に嫁ぎますがいずれにも若くして先立たれ、お稲はタダ改め高子と3人の孫に囲まれながら明治36年1903年8月26日午後8時過ぎに波乱に満ちた生涯の幕を閉じるのです。(この「午後8時過ぎ」と書くのが吉村昭の真骨頂!)
最晩年の彼女のよろこび、それは父シーボルトの血をひく彼女の孫周三が、慈恵医院医学校に入り、医学の道を志したことでした。
幕末から明治時代の後期までの長崎、大坂、江戸東京を舞台に、シーボルト家の人々の激動の生涯を悠々と描くこの大河小説は、同時に近代日本が遭遇した尊王攘夷運動、黒船襲来、安政の大獄、王政復古、西南の役、文明開化の有為転変を併せて辿る壮大な歴史絵巻でもあります。
♪フランク永井になった夢を見た。一晩中有楽町で逢いましょうを歌っていたので、一睡もできなかった。茫洋
「ふぉん・しーほると」となぜだか平仮名で書かれているのはドイツ人科学者フォン・シーボルトそのひとで、彼と円山遊郭の遊女お滝との間にできた娘お稲がこの長編小説のヒロインです。
シーボルトはドイツ人であるにもかかわらずオランダ人をかたって長崎の出島にやって来て、医学や諸科学、オランダ語などの高野長英などの洋学の徒に教え、蘭学の師として高い声望を獲得しますが、その見返りに伊能忠敬などが作った地図などを無断で持ち出そうとして国外追放されてしまいます。
要するにスパイですね。この男はオランダに戻ってから今度は世界一の知日派としてアメリカに自分を売り込んでペリー提督に断られたりしています。学問はできたようですが、かなり軽薄な才子だったようです。
その有名な「シーボルト事件」で国外追放された父とお稲が、思い出の長崎で再会したのは、それからおよそ30年後のことでした。
14歳の時に医師を志し、故郷の長崎を離れて宇和島に行き、シーボルトの弟子二宮敬作、次いで岡山の石井宗謙のもとでオランダ語と医学を学んだお稲は、江戸後期から明治初年をつうじてわが国の唯一の女性産科医師として活躍を続け、宇和島藩の元藩主伊達宗城から伊篤という名をいただいたお稲は、福沢諭吉の推薦もあって宮内庁御用係の栄誉も受けたのですが、私生活上では苦難の道をたどらざるをえませんでした。
父の血を受け継いだ美貌の彼女は、恩師石井宗謙によって強姦されてタダという娘を産みますが、信頼していた教育者に裏切られたお稲の男性不信は、再会した老いたる父親が次々に近くの女性と肉体関係を持つあさましい姿を目にしてますます深まり、70歳を越えて新都とうけいで没する日まで変わらなかったようです。
タダは長じて2人の医師に嫁ぎますがいずれにも若くして先立たれ、お稲はタダ改め高子と3人の孫に囲まれながら明治36年1903年8月26日午後8時過ぎに波乱に満ちた生涯の幕を閉じるのです。(この「午後8時過ぎ」と書くのが吉村昭の真骨頂!)
最晩年の彼女のよろこび、それは父シーボルトの血をひく彼女の孫周三が、慈恵医院医学校に入り、医学の道を志したことでした。
幕末から明治時代の後期までの長崎、大坂、江戸東京を舞台に、シーボルト家の人々の激動の生涯を悠々と描くこの大河小説は、同時に近代日本が遭遇した尊王攘夷運動、黒船襲来、安政の大獄、王政復古、西南の役、文明開化の有為転変を併せて辿る壮大な歴史絵巻でもあります。
♪フランク永井になった夢を見た。一晩中有楽町で逢いましょうを歌っていたので、一睡もできなかった。茫洋
Monday, January 25, 2010
中村稔著「中原中也私論」を読んで
照る日曇る日第324回
詩人でもある中村稔がものした中原中也論を読みました。だいたい私は
ある朝 僕は 空の 中に、
黒い 旗が はためくを 見た。
はたはた それは はためいて いたが、
音は きこえぬ 高きが ゆえに。 「曇天」
天井に 朱き色いで
戸の隙を 洩れ入る光、
鄙びたる 軍楽の憶ひ
手にてなすないごともなし 「朝の歌」
などという彼の代表作を目にしただけで、心がその詩句を音楽のように高鳴らせ、その旋律や音色やハーモニーをまた心の耳がじっと聞き入るという風な受け取り方をして、その詩的音楽の響きに打たれることが、すなわち中也の詩を鑑賞するという楽しみのすべてでしたから、上に挙げた「曇天」について著者が、詩人は生来二重の性格を持ち、いわば自分の中にもうひとりの自分を内在させていて、終生その内部対立と相互分裂に苦しんだ証拠である、後者については、抒情はあっても思想内容に乏しい、などと言いだすと、それが彼の詩の価値とどういう関係があるのだと反論したくもなるのです。
長谷川泰子との同棲で小林秀雄は他者に出会って社会的に成熟を遂げたけれども、中原中也は、生涯にわたって「外界」に出会わず、己一箇の隔絶したタコ壺的世界に自閉(けっして「自閉症的」ではない!)して終わった、などという笑うべき俗説も唱えられていますが、私と違って中原の詩の本質に迫ろうとする著者の志は壮としなければならないでしょう。
そして「これが手だ」と、手という名辞を口にする前に感じている手、その手が深く感じられていることこそが、詩人の絶対的な要件だ、というのが、中也の詩論の中核であり、その天賦の才能が彼の詩魂の源泉であったと説く著者に対しては、格別異論があるわけではありません。
けれども著者は、「感想や思索ではなく直観や純粋持続の鋭さだけが詩人を詩人たらしめた」とせっかく正しいことを口にしながら、あれやこれやの証言や心理的な揣摩臆測、さらには西田哲学やフッサールなぞもせっせせっせと援用して、詩人中原の本性を再現し、彼の実像を懸命に立ち上げようと腐心するのです。
たしかに詩人と富永太郎、小林秀雄、大岡昇平、安原喜弘などとの交友の追跡記録はまことに興味深いものがあるのですが、この篤実な伝記作家の野望はついに実現されることなく、かの3代将軍が由比ヶ浜の海に放棄した破船のように、その巨大な残骸だけが浜辺に取り残されてしまいました。死んだ中原の真実を、長く生きた評論家の追及もついによみがえらせることはできなかった。これは顕微鏡的実証主義研究による要素還元主義の失敗の好個の例といえるでしょう。
♪歌の在庫がなくなった 茫洋
詩人でもある中村稔がものした中原中也論を読みました。だいたい私は
ある朝 僕は 空の 中に、
黒い 旗が はためくを 見た。
はたはた それは はためいて いたが、
音は きこえぬ 高きが ゆえに。 「曇天」
天井に 朱き色いで
戸の隙を 洩れ入る光、
鄙びたる 軍楽の憶ひ
手にてなすないごともなし 「朝の歌」
などという彼の代表作を目にしただけで、心がその詩句を音楽のように高鳴らせ、その旋律や音色やハーモニーをまた心の耳がじっと聞き入るという風な受け取り方をして、その詩的音楽の響きに打たれることが、すなわち中也の詩を鑑賞するという楽しみのすべてでしたから、上に挙げた「曇天」について著者が、詩人は生来二重の性格を持ち、いわば自分の中にもうひとりの自分を内在させていて、終生その内部対立と相互分裂に苦しんだ証拠である、後者については、抒情はあっても思想内容に乏しい、などと言いだすと、それが彼の詩の価値とどういう関係があるのだと反論したくもなるのです。
長谷川泰子との同棲で小林秀雄は他者に出会って社会的に成熟を遂げたけれども、中原中也は、生涯にわたって「外界」に出会わず、己一箇の隔絶したタコ壺的世界に自閉(けっして「自閉症的」ではない!)して終わった、などという笑うべき俗説も唱えられていますが、私と違って中原の詩の本質に迫ろうとする著者の志は壮としなければならないでしょう。
そして「これが手だ」と、手という名辞を口にする前に感じている手、その手が深く感じられていることこそが、詩人の絶対的な要件だ、というのが、中也の詩論の中核であり、その天賦の才能が彼の詩魂の源泉であったと説く著者に対しては、格別異論があるわけではありません。
けれども著者は、「感想や思索ではなく直観や純粋持続の鋭さだけが詩人を詩人たらしめた」とせっかく正しいことを口にしながら、あれやこれやの証言や心理的な揣摩臆測、さらには西田哲学やフッサールなぞもせっせせっせと援用して、詩人中原の本性を再現し、彼の実像を懸命に立ち上げようと腐心するのです。
たしかに詩人と富永太郎、小林秀雄、大岡昇平、安原喜弘などとの交友の追跡記録はまことに興味深いものがあるのですが、この篤実な伝記作家の野望はついに実現されることなく、かの3代将軍が由比ヶ浜の海に放棄した破船のように、その巨大な残骸だけが浜辺に取り残されてしまいました。死んだ中原の真実を、長く生きた評論家の追及もついによみがえらせることはできなかった。これは顕微鏡的実証主義研究による要素還元主義の失敗の好個の例といえるでしょう。
♪歌の在庫がなくなった 茫洋
Sunday, January 24, 2010
リッカルド・ムーティ指揮ウィーンで「魔笛」を視聴する
音楽千夜一夜第106回
2006年モーツアルトイヤーにおけるザルツブルク音楽祭の公演をビデオで鑑賞しました。
指揮者とオーケストラはまずは当代一流のもので先代のベームにくらべたらいろいろ文句も言いたくなりますが、古楽器以外の演奏ではこれを凌駕するものは少ないのではないでしょうか。少なくとも凡庸な小澤の指揮にくらべたら、それこそ天国と地獄の違いです。
演出はピエール・オディという人です。1幕の舞台を台本通りに山に設定して、3人の侍女をチロルの服装にしたり、パパゲーノの猿轡をやめたり、魔法の鈴を球に変えたり、2幕のタミーノの試練の場を舞台後方に据え付けた棚上の三段の装置で処理したり、3人の天使の宙釣りや緑・黄・赤・青・紫のブライトカラーによって彩られたモダンな衣装や美術でそれなりの目新しさを演出していますが、いくら目先の変化で創意工夫をしてみても、肝心の歌唱陣が非力ではオペラの感動は生まれません。
タミーノのポール・グローブス、パミーナのゲニア・キューマイア、パパゲーノのクリスチャン・ゲルヘーヘル、ザラストラのルネ・パーペなどがそれなりに歌って演技してはいるものの、ハイライトの「パパパ」の二重唱にいたってもモーツアルト歌劇の霊感はついに訪れず、わずか2つの超絶アリアで圧倒的に気を吐いたのが「夜の女王」のディアナ・ダムラウただひとりとは、まことに寂しい限りでした。
こんなお寒い「魔笛」に対して、世界中から集まった聴衆がやたらブラボーを連呼しているのも馬鹿らしさの限り。モーツアルトイヤーの記念すべき公演とはとうてい考えられません。
♪大枚をはたいて下らぬ公演を見せられてそれでも喜ぶ阿呆な観客 茫洋
2006年モーツアルトイヤーにおけるザルツブルク音楽祭の公演をビデオで鑑賞しました。
指揮者とオーケストラはまずは当代一流のもので先代のベームにくらべたらいろいろ文句も言いたくなりますが、古楽器以外の演奏ではこれを凌駕するものは少ないのではないでしょうか。少なくとも凡庸な小澤の指揮にくらべたら、それこそ天国と地獄の違いです。
演出はピエール・オディという人です。1幕の舞台を台本通りに山に設定して、3人の侍女をチロルの服装にしたり、パパゲーノの猿轡をやめたり、魔法の鈴を球に変えたり、2幕のタミーノの試練の場を舞台後方に据え付けた棚上の三段の装置で処理したり、3人の天使の宙釣りや緑・黄・赤・青・紫のブライトカラーによって彩られたモダンな衣装や美術でそれなりの目新しさを演出していますが、いくら目先の変化で創意工夫をしてみても、肝心の歌唱陣が非力ではオペラの感動は生まれません。
タミーノのポール・グローブス、パミーナのゲニア・キューマイア、パパゲーノのクリスチャン・ゲルヘーヘル、ザラストラのルネ・パーペなどがそれなりに歌って演技してはいるものの、ハイライトの「パパパ」の二重唱にいたってもモーツアルト歌劇の霊感はついに訪れず、わずか2つの超絶アリアで圧倒的に気を吐いたのが「夜の女王」のディアナ・ダムラウただひとりとは、まことに寂しい限りでした。
こんなお寒い「魔笛」に対して、世界中から集まった聴衆がやたらブラボーを連呼しているのも馬鹿らしさの限り。モーツアルトイヤーの記念すべき公演とはとうてい考えられません。
♪大枚をはたいて下らぬ公演を見せられてそれでも喜ぶ阿呆な観客 茫洋
Saturday, January 23, 2010
「プロムス2009ラストナイトコンサート」を視聴して
音楽千夜一夜第105回
ロンドンから中継される「プロムス」も毎年こうやって聞いたり見たりしているわけですが、私がはじめてレコードを買ったコーリン・デイビスの時代に比べると英国という国の衰退に正比例するようにだんだん熱核の放射線を失ってきたようで、なんだかさびしい限りです。
往時のプロムス最終夜の愛国主義の爆発はそれはそれは極東の亡国の民を泣かしむるほどの凄まじさで、アーン作曲の「ルール・ブルタニア」なぞを聞くと、なるほどこれが世界の7つの海を制覇した偉大なる民族の魂の歌か、と腹の底から納得できたものです。
一〇年くらい前の熱血漢アンドルー・デイビス時代はまだその熱波の余熱がユニオンジャックが打ち振られる広大なロイヤルアルバートホールのそこここに滞留していたようですが、一昨年のロジャー・ノリントン辺りになると、ノン・ビブラートで奏でられる終局のエルガーの「威風堂々」は、威風どころか愛国者の心胆を寒からしむ冷たい異風が吹きすさぶ演奏となり、昨年のデーヴィッド・ロバートソンによるBBC交響楽団の演奏もメゾ・ソプラノのサラ・コノリーとトランペットのアリソン・バルサムという二人の女性の熱演こそあったものの、どうにもしまらない指揮ぶりでした。
人間と同様、国家も音楽も、成長から衰退、大国から小国、青春期から老年期、熱狂から冷却という推移を不可避的に辿るのではないでしょうか。
♪興隆しやがては沈む英国の大人の姿大和も辿れよ 茫洋
ロンドンから中継される「プロムス」も毎年こうやって聞いたり見たりしているわけですが、私がはじめてレコードを買ったコーリン・デイビスの時代に比べると英国という国の衰退に正比例するようにだんだん熱核の放射線を失ってきたようで、なんだかさびしい限りです。
往時のプロムス最終夜の愛国主義の爆発はそれはそれは極東の亡国の民を泣かしむるほどの凄まじさで、アーン作曲の「ルール・ブルタニア」なぞを聞くと、なるほどこれが世界の7つの海を制覇した偉大なる民族の魂の歌か、と腹の底から納得できたものです。
一〇年くらい前の熱血漢アンドルー・デイビス時代はまだその熱波の余熱がユニオンジャックが打ち振られる広大なロイヤルアルバートホールのそこここに滞留していたようですが、一昨年のロジャー・ノリントン辺りになると、ノン・ビブラートで奏でられる終局のエルガーの「威風堂々」は、威風どころか愛国者の心胆を寒からしむ冷たい異風が吹きすさぶ演奏となり、昨年のデーヴィッド・ロバートソンによるBBC交響楽団の演奏もメゾ・ソプラノのサラ・コノリーとトランペットのアリソン・バルサムという二人の女性の熱演こそあったものの、どうにもしまらない指揮ぶりでした。
人間と同様、国家も音楽も、成長から衰退、大国から小国、青春期から老年期、熱狂から冷却という推移を不可避的に辿るのではないでしょうか。
♪興隆しやがては沈む英国の大人の姿大和も辿れよ 茫洋
Friday, January 22, 2010
五木寛之著「親鸞」下巻を読んで
照る日曇る日第323回
日本仏教界の巨聖にして偉大なる宗教改革者、親鸞の波乱万丈の物語の後篇です。
おおいに期待していたのですが、ちと物足らず。そのわけは、本作がどうにも尻切れトンボの終わり方をしていること、それから作者が主人公をあまりにも現代人の感覚に平準化しすぎているためか、歴史的現在という架空の時制における親鸞像のエラン・ヴィタール(生命の飛躍)が説得力をもってうまく立ちあがってこないことにあるようです。(ちなみにこの文飾技術に格別の冴えをみせたのが司馬遼太郎でした)
比叡山のエリートであることを弊履の如く投げ捨てた若き日の親鸞は、京の大谷吉水で専修念仏の教えを説いた法然上人の弟子となり、民衆と生活をともしながら生活するようになります。おのれの欲と煩悩にさいなまれながらも、仏道の修業に励むわれらが主人公は、やがて法然の「異端的正統の後継者」として、唯一無二のお気に入りとなるのですが、やがて守旧派である南都北嶺の意を体した後鳥羽上皇の強権発動によって「念仏停止」の命令が下り、あわれ法然一派は死刑や流罪の厳罰に処せられてしまいます。
親鸞もまた越後に流されることになるのですが、彼が法然の一番弟子である立場を脱して、彼独自の浄土真宗の思想世界を切り開いていくはずの不遇時代の知的格闘がまったく描かれないままで物語が唐突に終わってしまうのは、中途半端そのものです。著者にはいっそう奮闘努力していただいて、聖人の半生記ではなく、完全な親鸞伝をめざしてほしいと思います。
しかし問題は小説の出来映えではなく、専修念仏の教えの是非でありましょう。経文解析や荒修業や只管打座をえいやっと切り捨て、ただただ「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えるだけで、悪人はもとより善人さえも極楽往生できる、と説いた宗教家の志操の高さと切れ味の鮮やかさ・激烈さは、当時もいまも変わらない凄みをもって私たちに迫ってくるように感じられます。
♪われに問うほんとうに南無阿弥陀仏と唱えるだけで極楽往生できるのだろうか 茫洋
日本仏教界の巨聖にして偉大なる宗教改革者、親鸞の波乱万丈の物語の後篇です。
おおいに期待していたのですが、ちと物足らず。そのわけは、本作がどうにも尻切れトンボの終わり方をしていること、それから作者が主人公をあまりにも現代人の感覚に平準化しすぎているためか、歴史的現在という架空の時制における親鸞像のエラン・ヴィタール(生命の飛躍)が説得力をもってうまく立ちあがってこないことにあるようです。(ちなみにこの文飾技術に格別の冴えをみせたのが司馬遼太郎でした)
比叡山のエリートであることを弊履の如く投げ捨てた若き日の親鸞は、京の大谷吉水で専修念仏の教えを説いた法然上人の弟子となり、民衆と生活をともしながら生活するようになります。おのれの欲と煩悩にさいなまれながらも、仏道の修業に励むわれらが主人公は、やがて法然の「異端的正統の後継者」として、唯一無二のお気に入りとなるのですが、やがて守旧派である南都北嶺の意を体した後鳥羽上皇の強権発動によって「念仏停止」の命令が下り、あわれ法然一派は死刑や流罪の厳罰に処せられてしまいます。
親鸞もまた越後に流されることになるのですが、彼が法然の一番弟子である立場を脱して、彼独自の浄土真宗の思想世界を切り開いていくはずの不遇時代の知的格闘がまったく描かれないままで物語が唐突に終わってしまうのは、中途半端そのものです。著者にはいっそう奮闘努力していただいて、聖人の半生記ではなく、完全な親鸞伝をめざしてほしいと思います。
しかし問題は小説の出来映えではなく、専修念仏の教えの是非でありましょう。経文解析や荒修業や只管打座をえいやっと切り捨て、ただただ「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えるだけで、悪人はもとより善人さえも極楽往生できる、と説いた宗教家の志操の高さと切れ味の鮮やかさ・激烈さは、当時もいまも変わらない凄みをもって私たちに迫ってくるように感じられます。
♪われに問うほんとうに南無阿弥陀仏と唱えるだけで極楽往生できるのだろうか 茫洋
Thursday, January 21, 2010
梟が鳴く森で 第1部うつろい 第30回
bowyow megalomania theater vol.1
10月13日 晴れたり曇ったり
星の子から帰ったら、お父さんがいました。
お父さんがどうしてこんな時間にいるんだろう?
今日は土曜日でも、日曜日でも、天長節でも、国民の休日でもないのに。もしかして会社を首になったのかしら。
お父さんは、僕の顔を見ると、大きな声で「岳君、お帰り」と言いました。
僕は、星の子から帰って来た時に、「岳君、お帰り」と言われるのが嫌いです。「ただいま!」と大きな声で玄関から声を掛けながら入って来るお父さんが嫌いです。小さな声で「今帰ったよ」と言ってほしいのです。「ただいま!」と怒鳴られると、耳の中で何かが爆発するような気がするのです。
そうだ、昔お父さんが何か僕には理由のわからないことでオッカナイ顔をして、「コラ!」と怒鳴りつけた。その時と同じ声だから、それが恐ろしくてとても嫌いだから、僕は耳を指でふさいで逃げるのです。
僕はムクも嫌いだ。お隣の吉本さんの家のタロウも、反対側のお隣の橋本さん家のラッシーも嫌いです。
犬はワンワン吠えるから嫌いだ。突然、理由もなくワンワン吠える奴は大嫌いだ。みんなあんなおっかないのをどうしてほったらかしにしておくのか、不思議だ。
♪昔の自分は死んだらしい 茫洋
10月13日 晴れたり曇ったり
星の子から帰ったら、お父さんがいました。
お父さんがどうしてこんな時間にいるんだろう?
今日は土曜日でも、日曜日でも、天長節でも、国民の休日でもないのに。もしかして会社を首になったのかしら。
お父さんは、僕の顔を見ると、大きな声で「岳君、お帰り」と言いました。
僕は、星の子から帰って来た時に、「岳君、お帰り」と言われるのが嫌いです。「ただいま!」と大きな声で玄関から声を掛けながら入って来るお父さんが嫌いです。小さな声で「今帰ったよ」と言ってほしいのです。「ただいま!」と怒鳴られると、耳の中で何かが爆発するような気がするのです。
そうだ、昔お父さんが何か僕には理由のわからないことでオッカナイ顔をして、「コラ!」と怒鳴りつけた。その時と同じ声だから、それが恐ろしくてとても嫌いだから、僕は耳を指でふさいで逃げるのです。
僕はムクも嫌いだ。お隣の吉本さんの家のタロウも、反対側のお隣の橋本さん家のラッシーも嫌いです。
犬はワンワン吠えるから嫌いだ。突然、理由もなくワンワン吠える奴は大嫌いだ。みんなあんなおっかないのをどうしてほったらかしにしておくのか、不思議だ。
♪昔の自分は死んだらしい 茫洋
Wednesday, January 20, 2010
梟が鳴く森で 第1部うつろい 第29回
bowyow megalomania theater vol.1
10月12日 曇
岳君、閉めなさい。岳君、ジュース飲みなさい。じゃ、伸ばしなさい。崩しなさい。開けときなさい。
と高木先生は僕に言いました。
それから高木先生はおっしゃいました。
岳君、ちゃんと、してなさい。
岳君、食べなさい。
はい! 僕はちゃんとします。ちゃんと食べます。いい子にしてます。
今日、高木先生はキゲンが悪かったです。
♪美貌のヴァイオリニストは腋の下を見られている 茫洋
10月12日 曇
岳君、閉めなさい。岳君、ジュース飲みなさい。じゃ、伸ばしなさい。崩しなさい。開けときなさい。
と高木先生は僕に言いました。
それから高木先生はおっしゃいました。
岳君、ちゃんと、してなさい。
岳君、食べなさい。
はい! 僕はちゃんとします。ちゃんと食べます。いい子にしてます。
今日、高木先生はキゲンが悪かったです。
♪美貌のヴァイオリニストは腋の下を見られている 茫洋
Tuesday, January 19, 2010
梟が鳴く森で 第1部うつろい 第28回
bowyow megalomania theater vol.1
園長先生は、おっしゃいました。
「20年施設の仕事をやってきましていま思うことは、もう一回障碍児教育の原点に帰ろう、ということです。見る、聞く、触れる、味わう、匂いをかぐ、5感のすべてを動員して人間らしくいきいきと生きる。障碍のある人も、ない人も、その人なりに精いっぱいに生きる。その人のありのままの生命を素直に肯定する。それが障碍児者と私どものかかわりの出発点だと思うのです」
突然、いも虫ごろごろ、俵はどっこいしょ……というあの歌が、頭のどこかから聞こえてきました。
いも虫ごろごろ、俵はどっこいしょ
いも虫ごろごろ、俵はどっこいしょ
手も足もない、ぶよぶよと豚のように太った存在。口から泡を吹いた哀れな動物のような人間が、光を通さない地下室のようなところで、ゴロゴロとなすすべもなく転がっている光景を、僕はどこかで見たような気がしました。
それはノブいっちゃんでした。それにヒトハルちゃんでした。いや、僕の姿でした。
この悲しい光景を悲惨といわずに感動的な光景だと断言できる人がいるのだろうか。
ここにいる立派な園長先生は、僕のような、木偶の坊のような、いも虫のような、ミノ虫のような哀れな存在に生命の輝きを見出し、その輝きに感動できる人なのでしょうか? 僕にはまるで分かりませんでした。
いも虫ごろごろ、俵はどっこいしょ
いも虫ごろごろ、俵はどっこいしょ
♪ト短調で生きるなハ長調で生きるんだ 茫洋
園長先生は、おっしゃいました。
「20年施設の仕事をやってきましていま思うことは、もう一回障碍児教育の原点に帰ろう、ということです。見る、聞く、触れる、味わう、匂いをかぐ、5感のすべてを動員して人間らしくいきいきと生きる。障碍のある人も、ない人も、その人なりに精いっぱいに生きる。その人のありのままの生命を素直に肯定する。それが障碍児者と私どものかかわりの出発点だと思うのです」
突然、いも虫ごろごろ、俵はどっこいしょ……というあの歌が、頭のどこかから聞こえてきました。
いも虫ごろごろ、俵はどっこいしょ
いも虫ごろごろ、俵はどっこいしょ
手も足もない、ぶよぶよと豚のように太った存在。口から泡を吹いた哀れな動物のような人間が、光を通さない地下室のようなところで、ゴロゴロとなすすべもなく転がっている光景を、僕はどこかで見たような気がしました。
それはノブいっちゃんでした。それにヒトハルちゃんでした。いや、僕の姿でした。
この悲しい光景を悲惨といわずに感動的な光景だと断言できる人がいるのだろうか。
ここにいる立派な園長先生は、僕のような、木偶の坊のような、いも虫のような、ミノ虫のような哀れな存在に生命の輝きを見出し、その輝きに感動できる人なのでしょうか? 僕にはまるで分かりませんでした。
いも虫ごろごろ、俵はどっこいしょ
いも虫ごろごろ、俵はどっこいしょ
♪ト短調で生きるなハ長調で生きるんだ 茫洋
Monday, January 18, 2010
五木寛之著「親鸞」上巻を読んで
照る日曇る日第322回
五木寛之といえば希代の物語作家、現代の語り部、小説界の井上陽水としてつとにあなどれない力量をみせつけていますが、今度は来年750回の御遠忌を迎えられた親鸞聖人の生涯の物語です。
登場するのは、物語の主人公忠範(親鸞)をはじめ、河原坊浄寛、ツブテの弥七、法螺房弁才、法然、慈円、後白河法皇、その他名もなき多くの山法師、悪僧、雑民、盗人、神人、放免、雑色、車借、馬借、牛飼童、くぐつ、遊行聖、白拍子、遊女、印地、と聞けば、これが歴史的事実に依拠したドキュメントではなく、著者の想像を大胆にふくらませたフィクションであることは一目瞭然でしょう。
その前半は、彼が京の没落した官人の長男に生まれてから、僧として比叡山の横川に上り、あまたの煩悩と闘いながら京の巷の六角堂に磐踞するくだりまでを巻措くあたわざる波乱万丈のビルダングス&ピカレスクロマンとして描きます。
血沸き肉躍るのは赤かむろの統領六波羅王子と河原坊浄寛、ツブテの弥七、法螺房弁才たちの決戦や少年の背中にできた不気味で醜悪な腫れものを蛸のように口で吸いだす主人公、謎のくぐつ女玉虫や高貴な美女紫野の肉の誘惑とたたかう青年親鸞の煩悶等々、読みどころ満載の宗教人情時代小説ですが、比叡の山顚に発した一条の清水が磐根をいっさんに流れ下り、鴨の流れを顔色なからしめる一大大河小説へと奔騰するのかしないのか?
みだのちかいぞたのもしき
じゅうあくごぎゃくのひとなれど
ひとたびみなをとなうれば
らいごういんじょううたがわず
の美しい連祷がどこからともなく聞こえ、後編への期待はいやがうえにも高まります。
♪仏とは誰ぞ仏の教えとは何ぞお山を降りし僧の悩みは深し 茫洋
五木寛之といえば希代の物語作家、現代の語り部、小説界の井上陽水としてつとにあなどれない力量をみせつけていますが、今度は来年750回の御遠忌を迎えられた親鸞聖人の生涯の物語です。
登場するのは、物語の主人公忠範(親鸞)をはじめ、河原坊浄寛、ツブテの弥七、法螺房弁才、法然、慈円、後白河法皇、その他名もなき多くの山法師、悪僧、雑民、盗人、神人、放免、雑色、車借、馬借、牛飼童、くぐつ、遊行聖、白拍子、遊女、印地、と聞けば、これが歴史的事実に依拠したドキュメントではなく、著者の想像を大胆にふくらませたフィクションであることは一目瞭然でしょう。
その前半は、彼が京の没落した官人の長男に生まれてから、僧として比叡山の横川に上り、あまたの煩悩と闘いながら京の巷の六角堂に磐踞するくだりまでを巻措くあたわざる波乱万丈のビルダングス&ピカレスクロマンとして描きます。
血沸き肉躍るのは赤かむろの統領六波羅王子と河原坊浄寛、ツブテの弥七、法螺房弁才たちの決戦や少年の背中にできた不気味で醜悪な腫れものを蛸のように口で吸いだす主人公、謎のくぐつ女玉虫や高貴な美女紫野の肉の誘惑とたたかう青年親鸞の煩悶等々、読みどころ満載の宗教人情時代小説ですが、比叡の山顚に発した一条の清水が磐根をいっさんに流れ下り、鴨の流れを顔色なからしめる一大大河小説へと奔騰するのかしないのか?
みだのちかいぞたのもしき
じゅうあくごぎゃくのひとなれど
ひとたびみなをとなうれば
らいごういんじょううたがわず
の美しい連祷がどこからともなく聞こえ、後編への期待はいやがうえにも高まります。
♪仏とは誰ぞ仏の教えとは何ぞお山を降りし僧の悩みは深し 茫洋
梟が鳴く森で 第1部うつろい 第27回
bowyow megalomania theater vol.1
10月11日 晴
久しぶりに快晴になりました。
お母さんと御父さんと一緒に、鎌倉駅から横須賀線に乗って、大船駅で東海道線に乗り換えて藤沢に行って、藤沢で小田急に乗り換えて、各駅停車でS駅に着きました。
「ぶどうの園」の園長先生のところへ会いに行きました。女の園長先生は、おっしゃいました。
「重い障碍者をみると、人は感動します。感動するものは、すべて芸術です。芸術とは文化です。だから、障碍者は文化財です。文化財であり、人間国宝であり、ユネスコとは無関係な世界遺産です。障碍者は、彼ら独自の文化を持っているのではないでしょうか。私はこれから、障碍者のカルチャーを新しく創造していきたいと考えています」
お父さんが、かしこまった顔で言いました。
「その通りです。文化にもいろいろある。先進国の文化だけが文化ではありません。むしろいわゆる遅れた国、経済的には滅びかけた国の文化の方が今となっては尊い。高度に発達したはずのアメリカの文化が破産しそうになった今、彼らの先住民であるインディアンたちの古めかしいけれど調和に満ちて幸福だった文化があこがれをもって振り返られています。僕はケビン・コスナーの「ダンス・ウイズ・ウルブズ」を見てそう思いました。しかし去年ニューヨークのアルゴンキンというホテルに泊まったとき、ボーイにこのアルゴンキンという名前の由来を知っているかと尋ねたらなにも知らないというのであきれ果てました。WASP共は自分たちの先祖が他ならぬ現地でみな殺しにしたアルゴンキン族の名前を平気でホテルの名前にしているようですが、人間として恥ずかしくはないのでしょうか?」
僕は、お父さんは自分でもよく分からない話を、分かった風に得意そうにしているな、と思いました。でも、お母さんはニコニコしながら黙って2人の話を聞いていました。
♪マイアミで1泊しようと言いしはスエーデンのモデルなりしが 茫洋
10月11日 晴
久しぶりに快晴になりました。
お母さんと御父さんと一緒に、鎌倉駅から横須賀線に乗って、大船駅で東海道線に乗り換えて藤沢に行って、藤沢で小田急に乗り換えて、各駅停車でS駅に着きました。
「ぶどうの園」の園長先生のところへ会いに行きました。女の園長先生は、おっしゃいました。
「重い障碍者をみると、人は感動します。感動するものは、すべて芸術です。芸術とは文化です。だから、障碍者は文化財です。文化財であり、人間国宝であり、ユネスコとは無関係な世界遺産です。障碍者は、彼ら独自の文化を持っているのではないでしょうか。私はこれから、障碍者のカルチャーを新しく創造していきたいと考えています」
お父さんが、かしこまった顔で言いました。
「その通りです。文化にもいろいろある。先進国の文化だけが文化ではありません。むしろいわゆる遅れた国、経済的には滅びかけた国の文化の方が今となっては尊い。高度に発達したはずのアメリカの文化が破産しそうになった今、彼らの先住民であるインディアンたちの古めかしいけれど調和に満ちて幸福だった文化があこがれをもって振り返られています。僕はケビン・コスナーの「ダンス・ウイズ・ウルブズ」を見てそう思いました。しかし去年ニューヨークのアルゴンキンというホテルに泊まったとき、ボーイにこのアルゴンキンという名前の由来を知っているかと尋ねたらなにも知らないというのであきれ果てました。WASP共は自分たちの先祖が他ならぬ現地でみな殺しにしたアルゴンキン族の名前を平気でホテルの名前にしているようですが、人間として恥ずかしくはないのでしょうか?」
僕は、お父さんは自分でもよく分からない話を、分かった風に得意そうにしているな、と思いました。でも、お母さんはニコニコしながら黙って2人の話を聞いていました。
♪マイアミで1泊しようと言いしはスエーデンのモデルなりしが 茫洋
Sunday, January 17, 2010
鴉鳶
バガテルop119
世間では小沢対検察の全面戦争などと物騒なことを言うておりますが、これではいったい何のための政権交代であったのか、金銭モラルの欠如した2人の頭目を担いだ政党の愚かさ、そして渡辺爺以外誰ひとり言うべきことも言わず牡蠣のごとき沈黙を守る腰抜けフレッシュマン共に愛想を尽かして霊園の丘に登れば雲ひとつない冬晴れの青空の追いつ追われつ3羽の鳥、よく見れば飄然と円弧を描く茶色い鳶を2羽の鴉が執拗に追う姿がのぞまれ、これは面白いどちらが勝つだろう、小沢か検察か、検察か小沢か、どっちが小沢でどっちが検察かと大理石の墓場にどっかり腰をおろして仰ぎみれば、鳶の優雅でさえある悠長な飛翔に比べて黒くて敏捷な鴉どもの攻撃の激烈にして執拗なこと見事というも愚かなる対比をなし、いかにも狡猾な黒組ドウオは前から後ろからあだかも旧型零戦を挟み打つP-38の如く挑みかかりしがやがて1機は戦線離脱、残る1機は倍旧の憎悪と熱情もて仇敵廊下鳶に躍りかかりしがくだんの薄茶鳥くるりくるりと巧みに嘴撃を交わしつつ輪舞乱舞弾舞やがて阿弥陀仏鎮座まします遥かなる西方浄土に消え去り跡に一片の紫雲漂えり。
♪1羽の鳶をどこまでも追いかける2羽の鴉 茫洋
世間では小沢対検察の全面戦争などと物騒なことを言うておりますが、これではいったい何のための政権交代であったのか、金銭モラルの欠如した2人の頭目を担いだ政党の愚かさ、そして渡辺爺以外誰ひとり言うべきことも言わず牡蠣のごとき沈黙を守る腰抜けフレッシュマン共に愛想を尽かして霊園の丘に登れば雲ひとつない冬晴れの青空の追いつ追われつ3羽の鳥、よく見れば飄然と円弧を描く茶色い鳶を2羽の鴉が執拗に追う姿がのぞまれ、これは面白いどちらが勝つだろう、小沢か検察か、検察か小沢か、どっちが小沢でどっちが検察かと大理石の墓場にどっかり腰をおろして仰ぎみれば、鳶の優雅でさえある悠長な飛翔に比べて黒くて敏捷な鴉どもの攻撃の激烈にして執拗なこと見事というも愚かなる対比をなし、いかにも狡猾な黒組ドウオは前から後ろからあだかも旧型零戦を挟み打つP-38の如く挑みかかりしがやがて1機は戦線離脱、残る1機は倍旧の憎悪と熱情もて仇敵廊下鳶に躍りかかりしがくだんの薄茶鳥くるりくるりと巧みに嘴撃を交わしつつ輪舞乱舞弾舞やがて阿弥陀仏鎮座まします遥かなる西方浄土に消え去り跡に一片の紫雲漂えり。
♪1羽の鳶をどこまでも追いかける2羽の鴉 茫洋
Friday, January 15, 2010
梟が鳴く森で 第1部うつろい 第26回
bowyow megalomania theater vol.1
10月10日 曇
今日、星の子で山塚さんと塩川さんが、けんかしました。
山塚さんの髪の毛を、塩川さんがひっぱったら、山塚さんが泣きました。
えーん、えーん、えーんと山塚さんは泣きました。
「山塚、ちゃんとやれよ。どうしたの。けんかしないの」
と、僕は言いました。
そしたら、山塚さんは、机の上に置いてあった花びんを塩川さんめがけて投げつけました。
ちくしょう、ちくしょう、こんちくしょう、と言って投げつけました。
黄色やえんじや白の菊の花を、教室の床の上に投げました。水をいっぱい投げました。こっ、こっ、このお、と言って投げつけました。
塩川さんのみけんから、血が流れました。
たらりたらり真っ赤な血潮が流れました。たらーりたらーり、といつまでも流れました。
血は水の上を流れ、菊の白い花と混じって、とても綺麗でした。
泣かないで、泣かないで、塩川さん、と高木先生はおっしゃいました。
こら、こら、山塚。よせ、なんてことするんだ。と長島先生は怒鳴りました。
みんな逃げ出しました。教室から全員逃げ出しました。
♪他愛ないお笑い番組を見る妻が口を開けて笑っているのを見るのが好きだ 茫洋
10月10日 曇
今日、星の子で山塚さんと塩川さんが、けんかしました。
山塚さんの髪の毛を、塩川さんがひっぱったら、山塚さんが泣きました。
えーん、えーん、えーんと山塚さんは泣きました。
「山塚、ちゃんとやれよ。どうしたの。けんかしないの」
と、僕は言いました。
そしたら、山塚さんは、机の上に置いてあった花びんを塩川さんめがけて投げつけました。
ちくしょう、ちくしょう、こんちくしょう、と言って投げつけました。
黄色やえんじや白の菊の花を、教室の床の上に投げました。水をいっぱい投げました。こっ、こっ、このお、と言って投げつけました。
塩川さんのみけんから、血が流れました。
たらりたらり真っ赤な血潮が流れました。たらーりたらーり、といつまでも流れました。
血は水の上を流れ、菊の白い花と混じって、とても綺麗でした。
泣かないで、泣かないで、塩川さん、と高木先生はおっしゃいました。
こら、こら、山塚。よせ、なんてことするんだ。と長島先生は怒鳴りました。
みんな逃げ出しました。教室から全員逃げ出しました。
♪他愛ないお笑い番組を見る妻が口を開けて笑っているのを見るのが好きだ 茫洋
Thursday, January 14, 2010
梟が鳴く森で 第1部うつろい 第25回
bowyow megalomania theater vol.1
10月9日 曇時々雨
朝、鎌倉駅から横須賀線に乗って大船駅に着きました。
プラットホームはおおぜいの人々でいっぱいでした。
東海道線と横須賀線と京浜東北線のお客さんで、電車も人もいっぱいでした。
どうしたんだろう? どうしちゃんですか? 車掌さん、どうしたんだろう?
今日僕は、JR東日本の車掌さんに手紙を書きました。
「JR東日本車掌様
旧型の山手線は、南武線と、常磐線と、仙台と、秋田で走っています。旧型の横浜線も、南武線と、常磐線と、仙台と、秋田に走っています。
10月9日 岳」
♪ムクよ墓穴から飛び出してアホバカ小沢と鳩山の喉笛を咬め 茫洋
10月9日 曇時々雨
朝、鎌倉駅から横須賀線に乗って大船駅に着きました。
プラットホームはおおぜいの人々でいっぱいでした。
東海道線と横須賀線と京浜東北線のお客さんで、電車も人もいっぱいでした。
どうしたんだろう? どうしちゃんですか? 車掌さん、どうしたんだろう?
今日僕は、JR東日本の車掌さんに手紙を書きました。
「JR東日本車掌様
旧型の山手線は、南武線と、常磐線と、仙台と、秋田で走っています。旧型の横浜線も、南武線と、常磐線と、仙台と、秋田に走っています。
10月9日 岳」
♪ムクよ墓穴から飛び出してアホバカ小沢と鳩山の喉笛を咬め 茫洋
Wednesday, January 13, 2010
モブ・ノリオ著「JOHNNY TOO BAD内田裕也」を読んで
照る日曇る日第321回
前半はモブ・ノリオの小説「ゲットー・ミュージック」、後半は1986年に内田裕也が平凡パンチで連載したインタビュー記事「ロックン・トーク」の採録という奇妙奇天烈な合体本。しかしてその実態は、モブ・ノリオと内田裕也の、孤独で奇妙なロック・コラボレーションです。
もともとは内田裕也を真正ロッカーとして高く評価しているモブ・ノリオのリクエストに文芸春秋社の奇特な編集者が採算を度外視して応えた労作のようですが、なかなか面白い。
特に裕也が中野洋、野村秋介、堤清二、カール・ルイス、野坂昭如、金山克己、中上健次、小林楠扶、武谷三男、赤尾敏、スパイク・リー、田中光四郎、岡本太郎、立花隆、徳田虎雄、佐藤太治、武智鉄二、山田詠美、田川誠一、戸塚宏、アンドレ金、黒田征太郎などと行ったロックンロール対談は、当時の代表的人物が陸続と登場し、中曽根自民党が304議席で圧勝したあの時代の政治、経済、社会、文化状況を彷彿させてくれると同時に、短い対談ながら、それゆえに彼らの人間像をあざやかに浮かび上がらせいるような気がします。
当時、反体制の旗手であった新左翼やの人々のあまりにも単純明快すぎる主張に不安を覚えたり、身体を張って生きてきた右翼や篤志家の発言に共感を覚えたり、理路整然と現実をさばく評論家の口舌にあきれたり、思想も言説も曖昧模糊とした存在にげんなりしたり、毅然とした政治家の良心に感嘆したり、当の主人公であるロックンローラーの知性と感性の意外なありかが次第に判然として来たり、思いがけない収穫のあるインタビューでしたが、まるで掃き溜めの鶴のように凛としたたたずまいを見せ、裕也を完全に圧倒していたのは紅一点の山田詠美でした。
「ジェシーの背骨」を書いたばかりの頃ですが、まことに魅力的な人物であることがうかがえます。
肝心の「ゲットー・ミュージック」について触れる紙幅がなくなりましたが、このへんちくりんな音楽小説は、秘密の放送局から垂れ流されるDJのエンドレストークという新スタイルを採用しており、その中で著者は、彼が偏愛する内田裕也やフラワー・トラヴェリング・バンド、シーナ・アンド・ロケッツ、深沢七郎、私の大好きなフランク・ザッパなどのインディペンデント・ミュージック・レコードをかけながら、果てしない饒舌の嵐を巻き起こしていることをお伝えして、本日の拙いレポートを終わります。
♪我想人生是Rock´n Roll也 茫洋
前半はモブ・ノリオの小説「ゲットー・ミュージック」、後半は1986年に内田裕也が平凡パンチで連載したインタビュー記事「ロックン・トーク」の採録という奇妙奇天烈な合体本。しかしてその実態は、モブ・ノリオと内田裕也の、孤独で奇妙なロック・コラボレーションです。
もともとは内田裕也を真正ロッカーとして高く評価しているモブ・ノリオのリクエストに文芸春秋社の奇特な編集者が採算を度外視して応えた労作のようですが、なかなか面白い。
特に裕也が中野洋、野村秋介、堤清二、カール・ルイス、野坂昭如、金山克己、中上健次、小林楠扶、武谷三男、赤尾敏、スパイク・リー、田中光四郎、岡本太郎、立花隆、徳田虎雄、佐藤太治、武智鉄二、山田詠美、田川誠一、戸塚宏、アンドレ金、黒田征太郎などと行ったロックンロール対談は、当時の代表的人物が陸続と登場し、中曽根自民党が304議席で圧勝したあの時代の政治、経済、社会、文化状況を彷彿させてくれると同時に、短い対談ながら、それゆえに彼らの人間像をあざやかに浮かび上がらせいるような気がします。
当時、反体制の旗手であった新左翼やの人々のあまりにも単純明快すぎる主張に不安を覚えたり、身体を張って生きてきた右翼や篤志家の発言に共感を覚えたり、理路整然と現実をさばく評論家の口舌にあきれたり、思想も言説も曖昧模糊とした存在にげんなりしたり、毅然とした政治家の良心に感嘆したり、当の主人公であるロックンローラーの知性と感性の意外なありかが次第に判然として来たり、思いがけない収穫のあるインタビューでしたが、まるで掃き溜めの鶴のように凛としたたたずまいを見せ、裕也を完全に圧倒していたのは紅一点の山田詠美でした。
「ジェシーの背骨」を書いたばかりの頃ですが、まことに魅力的な人物であることがうかがえます。
肝心の「ゲットー・ミュージック」について触れる紙幅がなくなりましたが、このへんちくりんな音楽小説は、秘密の放送局から垂れ流されるDJのエンドレストークという新スタイルを採用しており、その中で著者は、彼が偏愛する内田裕也やフラワー・トラヴェリング・バンド、シーナ・アンド・ロケッツ、深沢七郎、私の大好きなフランク・ザッパなどのインディペンデント・ミュージック・レコードをかけながら、果てしない饒舌の嵐を巻き起こしていることをお伝えして、本日の拙いレポートを終わります。
♪我想人生是Rock´n Roll也 茫洋
Tuesday, January 12, 2010
哀悼エリック・ロメール
バガテルop118&闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.23
パリではエリック・ロメールが89歳で、ベルリンではオトマール・スイトナーが87歳で死んだ。2人とも私の敬愛する映画監督であり、指揮者であったので、今日はとても悲しい。
夕刊にスイトナーがクレメンス・クラウスの弟子であると書いてあったので、なるほど、それで彼のモーツアルトの変ホ長調のシンフォニーが、あのように確然と響いたのかが、少し分かったような気がした。
スイトナーについては以前彼の最期となったドキュメンタリー番組の感想を書いたことがあるので、ちょっとリック・ロメールのことを書いておこう。
私がロメールを知ったのは、ゴダールやトリュフォーよりずっと後になってからだったが、彼の初期の傑作「獅子座」で一驚し、続いて「O侯爵夫人」、「レネットとミラベル」「6つの教訓シリーズ」の「モード家の一夜」「クレールの膝」「愛の昼下がり」、「喜劇と格言劇シリーズの「海辺のポーリーヌ」「満月の夜」「緑の光線」「友だちの恋人」、「四季の物語シリーズの四本、「木と市長と文化会館」「パリのランデブー」「グレースと公爵」まで、楽しみながらどの作品も映画を見る事の楽しさを満喫しながらアジアの片隅で眺めてきた。
彼の作品の多くは、パリやその近郊を舞台に、若い女性を主人公にした身近な日常生活や恋を淡々と描くことが多いが、その快適なテンポと、堅苦しい演出を排した即興的な感興の盛り上がりが、今を生きる事のよろこびと映画を見る快楽を、ふたつながらに感じさせてくれて無類の味わいであった。
とりわけ思春期の少女の恋のときめきと生のゆらぎを描いて、このシネアストの右に出る者は、これまで誰ひとりいなかったし、これからもいないだろう。
「満月の夜」の亡くなった主演女優をはじめ「海辺のポーリーヌ」や「緑の光線」に登場した素人女性の横顔を通じて、エリック・ロメールは青春の初々しさと儚さを、あざやかに浮き彫りにした。処女の生き血を吸うて、この酔狂老人は命長らえたのであった。
さうして、歳を取れば取るほど若返っていくような、天馬空を往く何者にもとらわれない融通無碍なその作風こそ、彼の芸術の真髄であり、それが彼を、終生ヌーベルバーグの最先端に立たせ続けたのだ。
J.L.ゴダール、ジャク・リベットなお存するといえども、私たちはあえてこう宣言することができるだろう。今日、ヌーベルバーグが死んだ。と。
♪処女の生き血吸う酔狂老人死してヌーベルバーグ死せり 茫洋
パリではエリック・ロメールが89歳で、ベルリンではオトマール・スイトナーが87歳で死んだ。2人とも私の敬愛する映画監督であり、指揮者であったので、今日はとても悲しい。
夕刊にスイトナーがクレメンス・クラウスの弟子であると書いてあったので、なるほど、それで彼のモーツアルトの変ホ長調のシンフォニーが、あのように確然と響いたのかが、少し分かったような気がした。
スイトナーについては以前彼の最期となったドキュメンタリー番組の感想を書いたことがあるので、ちょっとリック・ロメールのことを書いておこう。
私がロメールを知ったのは、ゴダールやトリュフォーよりずっと後になってからだったが、彼の初期の傑作「獅子座」で一驚し、続いて「O侯爵夫人」、「レネットとミラベル」「6つの教訓シリーズ」の「モード家の一夜」「クレールの膝」「愛の昼下がり」、「喜劇と格言劇シリーズの「海辺のポーリーヌ」「満月の夜」「緑の光線」「友だちの恋人」、「四季の物語シリーズの四本、「木と市長と文化会館」「パリのランデブー」「グレースと公爵」まで、楽しみながらどの作品も映画を見る事の楽しさを満喫しながらアジアの片隅で眺めてきた。
彼の作品の多くは、パリやその近郊を舞台に、若い女性を主人公にした身近な日常生活や恋を淡々と描くことが多いが、その快適なテンポと、堅苦しい演出を排した即興的な感興の盛り上がりが、今を生きる事のよろこびと映画を見る快楽を、ふたつながらに感じさせてくれて無類の味わいであった。
とりわけ思春期の少女の恋のときめきと生のゆらぎを描いて、このシネアストの右に出る者は、これまで誰ひとりいなかったし、これからもいないだろう。
「満月の夜」の亡くなった主演女優をはじめ「海辺のポーリーヌ」や「緑の光線」に登場した素人女性の横顔を通じて、エリック・ロメールは青春の初々しさと儚さを、あざやかに浮き彫りにした。処女の生き血を吸うて、この酔狂老人は命長らえたのであった。
さうして、歳を取れば取るほど若返っていくような、天馬空を往く何者にもとらわれない融通無碍なその作風こそ、彼の芸術の真髄であり、それが彼を、終生ヌーベルバーグの最先端に立たせ続けたのだ。
J.L.ゴダール、ジャク・リベットなお存するといえども、私たちはあえてこう宣言することができるだろう。今日、ヌーベルバーグが死んだ。と。
♪処女の生き血吸う酔狂老人死してヌーベルバーグ死せり 茫洋
Monday, January 11, 2010
梟が鳴く森で 第1部うつろい 第24回
bowyow megalomania theater vol.1
「岳君、今日、英語行くんだよ。分かった?」
と高木先生はおっしゃいました。
高木先生、いい匂い。お母さんの枕とおんなじ。いい匂い。髪の毛が長くて、とてもサラサラしていて、きれいに輝いて、さわるととっても気持ちがいい。
だから僕、お母さん好き。高木先生、好き。田中美奈子も、好き。髪の毛が長くて、とてもサラサラしていて、きれいにお日様に輝いて、さわるときっと気持ちが良いだろう。
だから、お母さん、好き。田中美奈子、好き。高木先生とおんなじくらい、好き。なんだ。
今日、高木先生が、C組の前の廊下を通りながら言いました。
「今日、岳君、英語行くんだよ。分かった?」
僕、英語分かりません。アイ・キャン・ノット・スピーク・イングリッシュ。
でも僕、英語やるよ。
はい、高木先生。僕、いっしょうけんめい、がんばります!
伊勢丹の武藤氏斃れたり齢六十三瞼に浮かぶよ颯爽たる展示会の姿 茫洋
「岳君、今日、英語行くんだよ。分かった?」
と高木先生はおっしゃいました。
高木先生、いい匂い。お母さんの枕とおんなじ。いい匂い。髪の毛が長くて、とてもサラサラしていて、きれいに輝いて、さわるととっても気持ちがいい。
だから僕、お母さん好き。高木先生、好き。田中美奈子も、好き。髪の毛が長くて、とてもサラサラしていて、きれいにお日様に輝いて、さわるときっと気持ちが良いだろう。
だから、お母さん、好き。田中美奈子、好き。高木先生とおんなじくらい、好き。なんだ。
今日、高木先生が、C組の前の廊下を通りながら言いました。
「今日、岳君、英語行くんだよ。分かった?」
僕、英語分かりません。アイ・キャン・ノット・スピーク・イングリッシュ。
でも僕、英語やるよ。
はい、高木先生。僕、いっしょうけんめい、がんばります!
伊勢丹の武藤氏斃れたり齢六十三瞼に浮かぶよ颯爽たる展示会の姿 茫洋
Sunday, January 10, 2010
梟が鳴く森で 第1部うつろい 第23回
bowyow megalomania theater vol.1
10月8日 雨
また雨だ。どうしてこんなに雨が降るんだろう。
空気中の水分が多いから、と、高木先生は言いました。
「スペインの平原には、大気中の水分が多いので、それでよく雨が降るのよ」
と、高木先生は歌いながら言いました。
そう高木先生がおっしゃったのは、去年の7月8日の午後3時ごろだったと覚えています。
高木先生は、うすく塗った口紅を光らせながら、確かにそう言ったのさ。
僕は、よおーく覚えているでしょ。ね、高木先生。
♪あんたのことが大好きよと囁くたびにどこかで花が咲いている 茫洋
10月8日 雨
また雨だ。どうしてこんなに雨が降るんだろう。
空気中の水分が多いから、と、高木先生は言いました。
「スペインの平原には、大気中の水分が多いので、それでよく雨が降るのよ」
と、高木先生は歌いながら言いました。
そう高木先生がおっしゃったのは、去年の7月8日の午後3時ごろだったと覚えています。
高木先生は、うすく塗った口紅を光らせながら、確かにそう言ったのさ。
僕は、よおーく覚えているでしょ。ね、高木先生。
♪あんたのことが大好きよと囁くたびにどこかで花が咲いている 茫洋
梟が鳴く森で 第1部うつろい 第22回
bowyow megalomania theater vol.1
10月7日 雨
10月だというのに、毎日雨が降ります。ユーウツだ。字を書くと、いっそうユーウツだ。タイクツだ。
では本当にタイクツなのかしら、と自分で自分にたずねてみましたが、じつはそんなにタイクツでもなさそうなことに気が付きましたので、タイクツは撤回します。
テッカイ、てっかい、白紙撤回だ。ユーウツでテッカイだ。雄打敵貝だあ。
そこで、僕はテレビをつけました。つけた途端に、画面の真ん中に白い光が輝いて、プッツンと言った。プッツンだ。灰のような明るい灰色になって、それからゆっくり暗くなってゆきました。
テレビが死んだんです。テレビが死んだ。
ダンスがすんだ。タンスは飛んだ。テレビは死んだ。
ダンスはすんだ。タンスは飛んだ。そして僕も死んだ。
んだ、んだ、んだべ。
今日は、もう、やだ。
何もしたくない。僕、星の子学園へ行って、星の子から帰ってきたけど、僕はもう何もしたくありません。
僕はいま、ワープロの前に座って、ポツ、ポツ、ポツと雨だれのように、ポツ、ポツ、ポツと、これを、これこれこれこれこれこれこれこれこれこれこれこれこれこれこれこれを打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っているんだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ…………
墨痕淋漓「解脱」てふ賀状到来す 茫洋
10月7日 雨
10月だというのに、毎日雨が降ります。ユーウツだ。字を書くと、いっそうユーウツだ。タイクツだ。
では本当にタイクツなのかしら、と自分で自分にたずねてみましたが、じつはそんなにタイクツでもなさそうなことに気が付きましたので、タイクツは撤回します。
テッカイ、てっかい、白紙撤回だ。ユーウツでテッカイだ。雄打敵貝だあ。
そこで、僕はテレビをつけました。つけた途端に、画面の真ん中に白い光が輝いて、プッツンと言った。プッツンだ。灰のような明るい灰色になって、それからゆっくり暗くなってゆきました。
テレビが死んだんです。テレビが死んだ。
ダンスがすんだ。タンスは飛んだ。テレビは死んだ。
ダンスはすんだ。タンスは飛んだ。そして僕も死んだ。
んだ、んだ、んだべ。
今日は、もう、やだ。
何もしたくない。僕、星の子学園へ行って、星の子から帰ってきたけど、僕はもう何もしたくありません。
僕はいま、ワープロの前に座って、ポツ、ポツ、ポツと雨だれのように、ポツ、ポツ、ポツと、これを、これこれこれこれこれこれこれこれこれこれこれこれこれこれこれこれを打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っているんだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ…………
墨痕淋漓「解脱」てふ賀状到来す 茫洋
Friday, January 08, 2010
梟が鳴く森で 第21回
bowyow megalomania theater vol.1
9月30日 晴
僕は、お父さんもお母さんも純ちゃんも好きです。
おんなじくらい大好きです。
10月1日
バス停でバスを降りようとしたら、どこかの知らないおじさんに、
「馬鹿野郎、てめえ、順番に降りるんだ」
と怒鳴られて、いきなり殴られました。
いたいおう。
10月2日 雨
10月3日 雨
10月4日 お休み
10月5日 雨
10月6日 雨
てめえなんか死んじまえと叫ぶたびにどこかで鳥が死んでいる 茫洋
9月30日 晴
僕は、お父さんもお母さんも純ちゃんも好きです。
おんなじくらい大好きです。
10月1日
バス停でバスを降りようとしたら、どこかの知らないおじさんに、
「馬鹿野郎、てめえ、順番に降りるんだ」
と怒鳴られて、いきなり殴られました。
いたいおう。
10月2日 雨
10月3日 雨
10月4日 お休み
10月5日 雨
10月6日 雨
てめえなんか死んじまえと叫ぶたびにどこかで鳥が死んでいる 茫洋
Thursday, January 07, 2010
池澤夏樹著「カデナ」を読んで
照る日曇る日第320回
1968年の熱い夏に、嘉手納基地のある沖縄で、沖縄人とアメリカ人の4人の男女が、いわゆる「反戦平和」の運動に加担する話です。
反戦運動というのは、具体的には、嘉手納から爆弾を積んでベトナムに向かうB-52の北爆計画を事前にアマチュア無線で教えたり、基地の米兵をそそのかして脱走させ、ソ連経由でスエーデンまで脱走させることですが、こういう政治的活動を、当時若かった、あるいは若すぎた私たちは、前後のみさかいもなく、後顧の憂いもなく、ごく自然にやってのけていたわけですが、(作者にそういう気持ちがなくとも)では、そういう私たちは、いまどこでどうしているのか、と問いかけてくるような気もする小説です。
しかしその筆致はきわめて抑制されたものなので、ある種の聖なる理想と社会改革のために自己の運命を蕩尽しようとする荒荒しい破壊と自己投棄の暴力的な情熱を再現することには完全に失敗しています。もしそれが作者の狙いであるとしたら、ですが。
たとえ1年の365日が曇天であったとしても、ただ1日だけは空が黄金いろに輝いた日が、たしかにあったような気がします。そしてその日、私はまさしく午前10時の太陽であり、若いこと、貧乏であること、無名であることに限りない誇りを持って生きていたと、誰に誇ることもなく静かにつぶやくこともできるのですが、あれらの心躍る冒険を、もう一度、前後のみさかいもなく、後顧の憂いもなく、ごく自然にやってのけることの「不可能」を、なにゆえか、何者によってか、思い知らされているような気がする自分がはがゆく、いささかやるせないのです。
沖縄よ独立せよすべての基地すべてのアメリカー、すべてのヤマトンチューを投げ捨てて 茫洋
1968年の熱い夏に、嘉手納基地のある沖縄で、沖縄人とアメリカ人の4人の男女が、いわゆる「反戦平和」の運動に加担する話です。
反戦運動というのは、具体的には、嘉手納から爆弾を積んでベトナムに向かうB-52の北爆計画を事前にアマチュア無線で教えたり、基地の米兵をそそのかして脱走させ、ソ連経由でスエーデンまで脱走させることですが、こういう政治的活動を、当時若かった、あるいは若すぎた私たちは、前後のみさかいもなく、後顧の憂いもなく、ごく自然にやってのけていたわけですが、(作者にそういう気持ちがなくとも)では、そういう私たちは、いまどこでどうしているのか、と問いかけてくるような気もする小説です。
しかしその筆致はきわめて抑制されたものなので、ある種の聖なる理想と社会改革のために自己の運命を蕩尽しようとする荒荒しい破壊と自己投棄の暴力的な情熱を再現することには完全に失敗しています。もしそれが作者の狙いであるとしたら、ですが。
たとえ1年の365日が曇天であったとしても、ただ1日だけは空が黄金いろに輝いた日が、たしかにあったような気がします。そしてその日、私はまさしく午前10時の太陽であり、若いこと、貧乏であること、無名であることに限りない誇りを持って生きていたと、誰に誇ることもなく静かにつぶやくこともできるのですが、あれらの心躍る冒険を、もう一度、前後のみさかいもなく、後顧の憂いもなく、ごく自然にやってのけることの「不可能」を、なにゆえか、何者によってか、思い知らされているような気がする自分がはがゆく、いささかやるせないのです。
沖縄よ独立せよすべての基地すべてのアメリカー、すべてのヤマトンチューを投げ捨てて 茫洋
Wednesday, January 06, 2010
梟が鳴く森で 第20回
bowyow megalomania theater vol.1
9月29日 晴
お父さんとお母さんと純ちゃんと僕の4人で大船のスエヒロファイブへ行きました。自動車に乗って行きました。トヨタ・カローラに乗って行きました。
トヨタ・カローラはお母さんが運転しました。なぜなら、お父さんはトヨタ・カローラを運転できないからです。
どうして運転できないのと純ちゃんがお父さんに聞きました。するとお父さんは、
「中学生の時にホンダ・スポーツカブにはじめて乗って坂道を降りたらだんだんスピードが出てきたので、ブレーキをかけたらそれがアクセルで、とうとう丹陽教会の玄関にぶつかってしまった。それいらい動くものは運転しないことに決めたんだ」
と答えたので、純ちゃんは「へええ」と言いました。
お母さんはなにも言いませんでした。
僕はスエヒロファイブで、ハンバーグを食べました。それからクリームソーダのサクランボウを食べました。それからクリームソーダを飲みました。とってもおいしかったです。
横須賀線の踏切は、カン、カン、カンと鳴ります。イ短調です。
♪悲しいおイ短調で鳴る横須賀線の踏切 茫洋
9月29日 晴
お父さんとお母さんと純ちゃんと僕の4人で大船のスエヒロファイブへ行きました。自動車に乗って行きました。トヨタ・カローラに乗って行きました。
トヨタ・カローラはお母さんが運転しました。なぜなら、お父さんはトヨタ・カローラを運転できないからです。
どうして運転できないのと純ちゃんがお父さんに聞きました。するとお父さんは、
「中学生の時にホンダ・スポーツカブにはじめて乗って坂道を降りたらだんだんスピードが出てきたので、ブレーキをかけたらそれがアクセルで、とうとう丹陽教会の玄関にぶつかってしまった。それいらい動くものは運転しないことに決めたんだ」
と答えたので、純ちゃんは「へええ」と言いました。
お母さんはなにも言いませんでした。
僕はスエヒロファイブで、ハンバーグを食べました。それからクリームソーダのサクランボウを食べました。それからクリームソーダを飲みました。とってもおいしかったです。
横須賀線の踏切は、カン、カン、カンと鳴ります。イ短調です。
♪悲しいおイ短調で鳴る横須賀線の踏切 茫洋
Tuesday, January 05, 2010
梟が鳴く森で 第19回
bowyow megalomania theater vol.1
9月28日 晴のち曇
今日はお母さんと一緒に横須賀線に乗って横須賀へ行きました。聖ヨセフ病院で虫歯を治すのです。
「痛くないからね。すぐ終わるからね」
と、先生はおっしゃいました。
僕は、じっとしんぼうしました。あんまり痛くはありませんでした。
帰りに目耕堂で、マリオの本を買いました。マリオとピーチ姫とキノピオとクッパと御兄ちゃんキノコと御姉ちゃんキノコと弟キノコと国王が出てきます。
♪ウジ虫のような存在でも生きている意味があるはず 茫洋
9月28日 晴のち曇
今日はお母さんと一緒に横須賀線に乗って横須賀へ行きました。聖ヨセフ病院で虫歯を治すのです。
「痛くないからね。すぐ終わるからね」
と、先生はおっしゃいました。
僕は、じっとしんぼうしました。あんまり痛くはありませんでした。
帰りに目耕堂で、マリオの本を買いました。マリオとピーチ姫とキノピオとクッパと御兄ちゃんキノコと御姉ちゃんキノコと弟キノコと国王が出てきます。
♪ウジ虫のような存在でも生きている意味があるはず 茫洋
Monday, January 04, 2010
梟が鳴く森で 第18回
bowyow megalomania theater vol.1
9月27日 雨
昔、昔のこと。
僕が戸塚の子ども病院へ連れて行かれた時のことを思い出しました。
お父さんが、怒り狂っていました。
「俺の仕事が頭を使うから、子どもが自閉症になったんだと! どういうことだ。そもそも頭を使わないで済む仕事なんて世の中にあるのか! イ、イ、インテリゲンチャンの子どもがみな自閉症になるなら、(注1)どうしてお前の子どもも自閉症にならないんだ。え、どうなんだ!」
お母さんは、泣いていました。
「私の育て方が過保護で、そのせいでこの子が自閉症になっただなんて、とんでもないことです。(注2) 私は天地神明に誓って、そんないい加減な子育てをした覚えはありません。お医者さんが、そんな無責任なことを言っていいんですか?」
東大医学部精神科からここへ派遣されている30代のエリート医師は、口から猛烈に唾を撒き散らして怒り狂うお父さんと、泣きじゃくりながら必死に抗議するお母さんに困ってしまって、50代のいかにも偉そうな顔をした先輩医師の方を見やりました。
「まあ自閉症もいろいろありますが、結局は情緒障害(注3)ですから、まずお父さんお母さんの生き方から改めてもらわないとね」
その人を人とも思わぬ言葉に、お父さんは、またしても怒り狂い、お母さんは、また泣きました。泣きながら必死で抗議しました。
大好きなお母さんをこんな目にあわせた奴を、僕はぜったいに許さないぞ。ぜったいに……。くそっ、あんな奴ら、殺してやる。殺してやる……(注4)
注1 今から30年前には、「知的な能力を持つ親から知的障碍児が生まれる」という謬見があった。
注2 親の過保護から自閉症児が生まれるという誤解を当時の東大医学部精神科のアホバカ学者どもがうのみにしていた。
注3 東大医学部のみならず当時の専門家の大半が、自閉症を「脳の中枢神経系の先天的な機能障碍」であると正しく理解せず、「後天的な情緒の障碍」と考えていた。
注4 自閉症児は健常児と違って他者に殺意を懐くことは、ない。したがってこのセリフは物語を面白くするためのフィクションに過ぎない。なお当時の「戸塚子ども病院」は、神奈川県のみならず全国で有数の自閉症専門の病院であったことを思うと、この小説の作者と同じような兇暴な思いに駆られた自閉症児者の親は、多数存在するのではないだろうか。私はあれから30年以上の歳月が経過した現在もなお、この2名とどこかの街道筋で鉢合わせした場合、物理的な実力を行使せずに通り過ぎる自信は、ない。
♪お正月の過ぎてゆくのが早いこと 茫洋
9月27日 雨
昔、昔のこと。
僕が戸塚の子ども病院へ連れて行かれた時のことを思い出しました。
お父さんが、怒り狂っていました。
「俺の仕事が頭を使うから、子どもが自閉症になったんだと! どういうことだ。そもそも頭を使わないで済む仕事なんて世の中にあるのか! イ、イ、インテリゲンチャンの子どもがみな自閉症になるなら、(注1)どうしてお前の子どもも自閉症にならないんだ。え、どうなんだ!」
お母さんは、泣いていました。
「私の育て方が過保護で、そのせいでこの子が自閉症になっただなんて、とんでもないことです。(注2) 私は天地神明に誓って、そんないい加減な子育てをした覚えはありません。お医者さんが、そんな無責任なことを言っていいんですか?」
東大医学部精神科からここへ派遣されている30代のエリート医師は、口から猛烈に唾を撒き散らして怒り狂うお父さんと、泣きじゃくりながら必死に抗議するお母さんに困ってしまって、50代のいかにも偉そうな顔をした先輩医師の方を見やりました。
「まあ自閉症もいろいろありますが、結局は情緒障害(注3)ですから、まずお父さんお母さんの生き方から改めてもらわないとね」
その人を人とも思わぬ言葉に、お父さんは、またしても怒り狂い、お母さんは、また泣きました。泣きながら必死で抗議しました。
大好きなお母さんをこんな目にあわせた奴を、僕はぜったいに許さないぞ。ぜったいに……。くそっ、あんな奴ら、殺してやる。殺してやる……(注4)
注1 今から30年前には、「知的な能力を持つ親から知的障碍児が生まれる」という謬見があった。
注2 親の過保護から自閉症児が生まれるという誤解を当時の東大医学部精神科のアホバカ学者どもがうのみにしていた。
注3 東大医学部のみならず当時の専門家の大半が、自閉症を「脳の中枢神経系の先天的な機能障碍」であると正しく理解せず、「後天的な情緒の障碍」と考えていた。
注4 自閉症児は健常児と違って他者に殺意を懐くことは、ない。したがってこのセリフは物語を面白くするためのフィクションに過ぎない。なお当時の「戸塚子ども病院」は、神奈川県のみならず全国で有数の自閉症専門の病院であったことを思うと、この小説の作者と同じような兇暴な思いに駆られた自閉症児者の親は、多数存在するのではないだろうか。私はあれから30年以上の歳月が経過した現在もなお、この2名とどこかの街道筋で鉢合わせした場合、物理的な実力を行使せずに通り過ぎる自信は、ない。
♪お正月の過ぎてゆくのが早いこと 茫洋
Sunday, January 03, 2010
梟が鳴く森で 第17回
bowyow megalomania theater vol.1
9月26日
あの時、桜が満開でした。
何百本という桜が満開でした。風が少しでも吹いてくると、吹雪のように花びらが僕の周りにはらはらと降りかかりました。
公園の土の上は、もう淡いピンクでいっぱいでした。
あれは確か僕が1歳半の春、横浜の弘明寺の公園の昼下がりのことでした。
僕はまだ歩けなくて、のそのそと公園の砂場の辺りをはいずり回っていました。はい回っていましたら、お父さんがいきなり憎々しい声で言ったのです。
「こらっ、立って歩け。立てねえのか、こら、このイモムシ野郎!」
僕は、イモムシではありません。歩けないから、こうやってイモムシのようにはいずり回っているのです。
突然どこかから歌が聞こえてきました。
――イモムシ、ゴーロゴロ、俵はドッコイショ、イモムシ、ゴーロゴロ、俵はドッコイショ……
お父さん、僕はイモムシではありません。
♪お母さん誕生日おめでとうと言うて次男横浜に去る 茫洋
9月26日
あの時、桜が満開でした。
何百本という桜が満開でした。風が少しでも吹いてくると、吹雪のように花びらが僕の周りにはらはらと降りかかりました。
公園の土の上は、もう淡いピンクでいっぱいでした。
あれは確か僕が1歳半の春、横浜の弘明寺の公園の昼下がりのことでした。
僕はまだ歩けなくて、のそのそと公園の砂場の辺りをはいずり回っていました。はい回っていましたら、お父さんがいきなり憎々しい声で言ったのです。
「こらっ、立って歩け。立てねえのか、こら、このイモムシ野郎!」
僕は、イモムシではありません。歩けないから、こうやってイモムシのようにはいずり回っているのです。
突然どこかから歌が聞こえてきました。
――イモムシ、ゴーロゴロ、俵はドッコイショ、イモムシ、ゴーロゴロ、俵はドッコイショ……
お父さん、僕はイモムシではありません。
♪お母さん誕生日おめでとうと言うて次男横浜に去る 茫洋
梟が鳴く森で 第16回
bowyow megalomania theater vol.1
僕はS先生のおっしゃることはあんまりよく分かりませんでした。でも、僕が「自閉症」という名前の障碍者であるということはなんとか分かりました。
自閉症は、1943年にアメリカのカナーという学者によってはじめて報告された障碍で、新生児100人におよそ1人の割合で発症すると推定されているそうですが、そういえばいつかお父さんが僕のことを、「宝くじに当たったようなもんだ」と言っていました。
でもお母さんの話では、国連の統計では世界中のあらゆるタイプの障碍者は世界総人口の1割以上、つまり約4億5千万人いるそうなので、「そうか、全世界の1割以上が僕の仲間なのか」と僕は思いました。
僕はお父さんが命名したように、今月から「カナー氏症候群患者」です。「自閉症」よりこっちのネーミングの方がだんぜんかっこいいです。
♪地デジチューナーなんて役立たずだとお払い箱にする 茫洋
僕はS先生のおっしゃることはあんまりよく分かりませんでした。でも、僕が「自閉症」という名前の障碍者であるということはなんとか分かりました。
自閉症は、1943年にアメリカのカナーという学者によってはじめて報告された障碍で、新生児100人におよそ1人の割合で発症すると推定されているそうですが、そういえばいつかお父さんが僕のことを、「宝くじに当たったようなもんだ」と言っていました。
でもお母さんの話では、国連の統計では世界中のあらゆるタイプの障碍者は世界総人口の1割以上、つまり約4億5千万人いるそうなので、「そうか、全世界の1割以上が僕の仲間なのか」と僕は思いました。
僕はお父さんが命名したように、今月から「カナー氏症候群患者」です。「自閉症」よりこっちのネーミングの方がだんぜんかっこいいです。
♪地デジチューナーなんて役立たずだとお払い箱にする 茫洋
Friday, January 01, 2010
「現代語訳吾妻鏡7 頼家と実朝」を読んで
照る日曇る日第320回
本巻では、私のあまり好きでもない頼朝の息子頼家とその支柱である比企能員、私の大好きな畠山重忠および私のまあ好きな和田義盛が、北条氏の毒牙にかかって一族もろとも抹殺されます。
そもそも2代目の馬鹿殿頼家が、梶原景時一族を擁護できなかった時点でこうなる他はなかったのかもしれません。まあそれが歴史の必然と言ってしまえばそうなのでしょうが、時政といい義時といい、その悪辣非道さは目に余ります。
比企能員の場合は確かにでしゃばりすぎではありましたが、身に寸鉄を帯びない御家人を自邸に呼び込んでいきなり殺してしまう伊豆のタヌキおやじを誰も制することができなかった。これが昭和史に例えれば満州事変の勃発です。
では次の中華事変はと問えば、重忠と義盛の暗殺。単純馬鹿とは言わないまでも、主君頼朝の無二の忠臣であった豪傑型のこの古武士が、老獪な北条氏のよく言えば知謀、悪く言えば陰謀にいとも簡単に引っかかって、みすみす地獄の8丁目に転落してゆく哀れな姿は無残と言うも愚かです。そうして最後に訪れる悲劇は、古豪にして最強の御家人三浦氏と3代将軍実朝の相次ぐ圧殺です。
この不可避に見える道行は、源氏政権の平和的一元支配存続の道を完全に閉ざし、時ならぬ大東亜戦争の開始によって、東条ならぬ北条政権が鉄壁の軍事独裁体制として確立されるのですが、もしも北条一族に対する三浦・畠山・和田一族の連合戦線または部分的共闘体制がいずれかの局面で成立していたら、北条家は彼らの軍事クーデターによってたった一夜でもろくも粉砕されていたでありましょう。
しかしもしも歴史がそうした選択肢を許していたならば、あの疾風怒濤の蒙古襲来を、この民主・社民・国民新党の連合政権がうまく押し返したか否か、あるいはまたくだんの神風がこの場合にも吹いたか否かは、それこそ神のみぞ知るところとなり、モンゴル帝国治下の日本および日本人がいかなるコスモポリタンとして擬鎌倉・室町・戦国時代を生き延びたかは、遠く人知の及ばぬ悠遠の範疇に属するのでしょう。
♪クビライの奴婢となりたるわが国の行く末憂う今年の初夢 茫洋
本巻では、私のあまり好きでもない頼朝の息子頼家とその支柱である比企能員、私の大好きな畠山重忠および私のまあ好きな和田義盛が、北条氏の毒牙にかかって一族もろとも抹殺されます。
そもそも2代目の馬鹿殿頼家が、梶原景時一族を擁護できなかった時点でこうなる他はなかったのかもしれません。まあそれが歴史の必然と言ってしまえばそうなのでしょうが、時政といい義時といい、その悪辣非道さは目に余ります。
比企能員の場合は確かにでしゃばりすぎではありましたが、身に寸鉄を帯びない御家人を自邸に呼び込んでいきなり殺してしまう伊豆のタヌキおやじを誰も制することができなかった。これが昭和史に例えれば満州事変の勃発です。
では次の中華事変はと問えば、重忠と義盛の暗殺。単純馬鹿とは言わないまでも、主君頼朝の無二の忠臣であった豪傑型のこの古武士が、老獪な北条氏のよく言えば知謀、悪く言えば陰謀にいとも簡単に引っかかって、みすみす地獄の8丁目に転落してゆく哀れな姿は無残と言うも愚かです。そうして最後に訪れる悲劇は、古豪にして最強の御家人三浦氏と3代将軍実朝の相次ぐ圧殺です。
この不可避に見える道行は、源氏政権の平和的一元支配存続の道を完全に閉ざし、時ならぬ大東亜戦争の開始によって、東条ならぬ北条政権が鉄壁の軍事独裁体制として確立されるのですが、もしも北条一族に対する三浦・畠山・和田一族の連合戦線または部分的共闘体制がいずれかの局面で成立していたら、北条家は彼らの軍事クーデターによってたった一夜でもろくも粉砕されていたでありましょう。
しかしもしも歴史がそうした選択肢を許していたならば、あの疾風怒濤の蒙古襲来を、この民主・社民・国民新党の連合政権がうまく押し返したか否か、あるいはまたくだんの神風がこの場合にも吹いたか否かは、それこそ神のみぞ知るところとなり、モンゴル帝国治下の日本および日本人がいかなるコスモポリタンとして擬鎌倉・室町・戦国時代を生き延びたかは、遠く人知の及ばぬ悠遠の範疇に属するのでしょう。
♪クビライの奴婢となりたるわが国の行く末憂う今年の初夢 茫洋
Thursday, December 31, 2009
Wednesday, December 30, 2009
西暦2009年師走茫洋花鳥風月歌日誌
♪ある晴れた日に 第69回
鎌倉の谷戸に眠れるホロビッツそのCDは朽ち果てにけり
エーリッヒのトラウマなかりせば聴けたであろうに「フィガロの結婚」
よみがえれクライバー、霊界の騎士像に立ちて「ドンジョバンニ」を振れ!
心より心にしみる弦の音シャンドール・ヴェーグの遺言と聴く
同じ演奏なのに何枚も買ってしまうマリアカラスのCD
あほばか指揮者と演出家よ去れ神聖なるオペラの殿堂から
隻眼隻手の主人公が健常者共をバッタバッタと切り殺す古今無双の林不忘のアイデア
戦争は映画を殺す中山ありせば黒沢を超える名画を撮りしものを
あら懐かし三菱がぶっこわした丸ビルがこの映画でよみがえる
丹波なる亀岡の里より出でし人応挙光秀王仁三郎
破綻せし御国の御蔵支えんと国債購いし愛国者われ
ダイエーの500m先に潜水艦浮かぶ横須賀に驚かぬ人
敗戦終戦闘争紛争アンガージュマンはありやなしや
汝エコノミーよわが憂鬱よどこまでも奥深く沈み行け
モーツアルトはとても難しいのよと谷口先生語りき
お母さんいま帰ったよと言える人なき年の暮れ
ヨーイ、ドン、そら走れ!しかし走れない人も数多くいて
1か月分の日経朝日が1巻きのトイレットペイパーに換わる金曜日
お父さん咲いているよと耕君が教えてくれしキンレンカの花
本物のピカソを飾る小学館ルオーを飾る新潮社
バスの中曇り硝子に一指も触れぬ大人かな
N響、有働、山田アナ、私の嫌いなNHKもいっぱいあるでよ
これはフィクションか私小説かどっちでもいいけどそれが問題だ
this is itこれがそれそのitってなんじゃらほいMr.マイケル
健ちゃんが大格闘して捕まえし巨大ウナギいまいずこ
限りなく心冷えゆくLEDブルー
中刷りの白恨めしき電車かな
大寒や柚の実絞るその心
三日月に飛行機飛んで柚湯かな
時折は笑いも漏れる7回忌
♪今宵また「ねんねぐう」と呟きて即眠りゆくしあわせなるかな 茫洋
鎌倉の谷戸に眠れるホロビッツそのCDは朽ち果てにけり
エーリッヒのトラウマなかりせば聴けたであろうに「フィガロの結婚」
よみがえれクライバー、霊界の騎士像に立ちて「ドンジョバンニ」を振れ!
心より心にしみる弦の音シャンドール・ヴェーグの遺言と聴く
同じ演奏なのに何枚も買ってしまうマリアカラスのCD
あほばか指揮者と演出家よ去れ神聖なるオペラの殿堂から
隻眼隻手の主人公が健常者共をバッタバッタと切り殺す古今無双の林不忘のアイデア
戦争は映画を殺す中山ありせば黒沢を超える名画を撮りしものを
あら懐かし三菱がぶっこわした丸ビルがこの映画でよみがえる
丹波なる亀岡の里より出でし人応挙光秀王仁三郎
破綻せし御国の御蔵支えんと国債購いし愛国者われ
ダイエーの500m先に潜水艦浮かぶ横須賀に驚かぬ人
敗戦終戦闘争紛争アンガージュマンはありやなしや
汝エコノミーよわが憂鬱よどこまでも奥深く沈み行け
モーツアルトはとても難しいのよと谷口先生語りき
お母さんいま帰ったよと言える人なき年の暮れ
ヨーイ、ドン、そら走れ!しかし走れない人も数多くいて
1か月分の日経朝日が1巻きのトイレットペイパーに換わる金曜日
お父さん咲いているよと耕君が教えてくれしキンレンカの花
本物のピカソを飾る小学館ルオーを飾る新潮社
バスの中曇り硝子に一指も触れぬ大人かな
N響、有働、山田アナ、私の嫌いなNHKもいっぱいあるでよ
これはフィクションか私小説かどっちでもいいけどそれが問題だ
this is itこれがそれそのitってなんじゃらほいMr.マイケル
健ちゃんが大格闘して捕まえし巨大ウナギいまいずこ
限りなく心冷えゆくLEDブルー
中刷りの白恨めしき電車かな
大寒や柚の実絞るその心
三日月に飛行機飛んで柚湯かな
時折は笑いも漏れる7回忌
♪今宵また「ねんねぐう」と呟きて即眠りゆくしあわせなるかな 茫洋
Tuesday, December 29, 2009
MEISTER KONZERTE the master of musicを聞いて
音楽千夜一夜第104回
ドイツ・メンブラン社特製の100枚組協奏曲集を、昨日に引き続きついに聞き終わりました。
バッハ、バルトークにはじまりシューマン、シューベルト、チャイコフスキー、ヴィヴァルディ、フランツ・ワックスマンに至る250余のコンチエルトを、ゲザ・アンダ、バックハウス、グルダ、ヌヴー、リヒテル、ルビンシュタイン、ジャコブ・ザックに至る弦、管、提琴奏者が演奏しまくるという世紀の大企画が、デフレの時代にありつつも、ぬあんと1枚たったの80円とは、これを買わずにいったい何を買えばいいというのでありましょうや。
とりわけ冒頭におかれたターリッヒ指揮リヒテルのピアノ独奏によるバッハのBWV1052の協奏曲は、ハスキル独奏によるBWV1056の演奏とともに声涙下る天下の名演奏です。加えてバックハウスとグルダのベートーヴェンの素晴らしいこと。
芸術家の真価は棺を覆うてはじめて定まるとか申しますが、このお二人のピアノをもっともっと聞きたかったと思わずにはおられませぬ。
指揮者といえばやはり何といってもフルトヴェングラー。ワルターがどうのセルがどうのとほざいてもかまいませんが、やはりクラシクの苦界においてこれほど偉大な存在はもう出ないのでしょうね。
ともかくこのシリーズの演奏、その大半がモノラル録音であるとはいえ、演奏の価値は最新デジタルステレオ録音におさおさ劣らず、いなむしろ洛陽に紙価が定まった名演奏たるがゆえに、人類の歴史が続く限りは、未来永劫にわたってそよ風にも揺るがぬ不朽の価値をもたらしておると言えるでしょう。
そういえば、たまたま今日のNHKのFMでハイフェッツのSPレコードをかけていましたが、その音色のつやつやとして色っぽいこと昨今のデジタル録音の比ではありません。デジタルのCDやブルーディスクDVDよりもアナログのレコード&テープ、LD、ビデオ、さらにそれよりも原音のライブネスに忠実なSPレコードという、まるで平成の御代に逆行するアナクロ説を唱え続けてきた超右翼兼超保守原理主義者の私ですが、流行のi-podで言葉の聞き取れない意味不明の最新音楽を「聞いた」と錯覚している人々にとっては、永遠に理解を絶する発言なのでしょうね。
少なくともCDよりもレコードの音の方が、物理的精神的に可聴世界が深いのです。
♪お父さん咲いているよと耕君が教えてくれしキンレンカの花 茫洋
ドイツ・メンブラン社特製の100枚組協奏曲集を、昨日に引き続きついに聞き終わりました。
バッハ、バルトークにはじまりシューマン、シューベルト、チャイコフスキー、ヴィヴァルディ、フランツ・ワックスマンに至る250余のコンチエルトを、ゲザ・アンダ、バックハウス、グルダ、ヌヴー、リヒテル、ルビンシュタイン、ジャコブ・ザックに至る弦、管、提琴奏者が演奏しまくるという世紀の大企画が、デフレの時代にありつつも、ぬあんと1枚たったの80円とは、これを買わずにいったい何を買えばいいというのでありましょうや。
とりわけ冒頭におかれたターリッヒ指揮リヒテルのピアノ独奏によるバッハのBWV1052の協奏曲は、ハスキル独奏によるBWV1056の演奏とともに声涙下る天下の名演奏です。加えてバックハウスとグルダのベートーヴェンの素晴らしいこと。
芸術家の真価は棺を覆うてはじめて定まるとか申しますが、このお二人のピアノをもっともっと聞きたかったと思わずにはおられませぬ。
指揮者といえばやはり何といってもフルトヴェングラー。ワルターがどうのセルがどうのとほざいてもかまいませんが、やはりクラシクの苦界においてこれほど偉大な存在はもう出ないのでしょうね。
ともかくこのシリーズの演奏、その大半がモノラル録音であるとはいえ、演奏の価値は最新デジタルステレオ録音におさおさ劣らず、いなむしろ洛陽に紙価が定まった名演奏たるがゆえに、人類の歴史が続く限りは、未来永劫にわたってそよ風にも揺るがぬ不朽の価値をもたらしておると言えるでしょう。
そういえば、たまたま今日のNHKのFMでハイフェッツのSPレコードをかけていましたが、その音色のつやつやとして色っぽいこと昨今のデジタル録音の比ではありません。デジタルのCDやブルーディスクDVDよりもアナログのレコード&テープ、LD、ビデオ、さらにそれよりも原音のライブネスに忠実なSPレコードという、まるで平成の御代に逆行するアナクロ説を唱え続けてきた超右翼兼超保守原理主義者の私ですが、流行のi-podで言葉の聞き取れない意味不明の最新音楽を「聞いた」と錯覚している人々にとっては、永遠に理解を絶する発言なのでしょうね。
少なくともCDよりもレコードの音の方が、物理的精神的に可聴世界が深いのです。
♪お父さん咲いているよと耕君が教えてくれしキンレンカの花 茫洋
Monday, December 28, 2009
Les 50 plus grands operas du monndeを聞いて
音楽千夜一夜第103回
フランスのデッカレーベルから発売されている、世界の代表的なオペラの演奏を収めた100枚組のCDセットをようやく聞き終わりました。
こんな重厚長大な代物をどうして買ったのかと尋ねられたら、1枚200円以下の安さに目がくらんだからだと答える愚かな私ですが、その内容はといえば非常に聞きごたえのある名曲の名演奏揃いでした。
No music no lifeならぬ、「音楽のない人生なんて過誤と疲労と流刑がいっぱいでっせ」という哲学者ニーチエのエピグラムを巻頭にちりばめた本全集シリーズでは、1607年にモンテヴェルディが作曲したオルフェオから始まって、1936年にフランコ・アルファーノによって作曲された「シラノ・ド・ベルジュラック」という珍曲まで、作曲年代順に並べられた50曲のオペラをよりどりみどりで聞きまくりながら過去400年の歴史をたどることができます。
モーツアルトでは「ドン・ジョヴァンニ」、「後宮からの脱出」、「フィガロの結婚」、「魔笛」、ヴェルディでは「リゴレット」、「オテロ」、「椿姫」、「トロヴァトーレ」、「仮面舞踏会」、プッチーニは「トゥーランドット」、「トスカ」、「マノンレスコー」、「蝶々夫人」、「ラ・ボエーム」といった按配で主要作品を網羅していますが、カタラーニの「ワリー」やマスネーの「タイース」、レオンカバッロの「道化師」、ラベルの「子供と魔法」、さらにはシェーンベルクの「期待」、ベルクの「ヴォツエック」といった現代曲もきちんと押さえられています。
44歳の若さで亡くなったエットーレ・バスティアーニのバリトンをヴェルディ作品でどっさり楽しめるのもこのアンソロジーの魅力のひとつでしょう。
♪中刷りの白恨めしき電車かな 茫洋
フランスのデッカレーベルから発売されている、世界の代表的なオペラの演奏を収めた100枚組のCDセットをようやく聞き終わりました。
こんな重厚長大な代物をどうして買ったのかと尋ねられたら、1枚200円以下の安さに目がくらんだからだと答える愚かな私ですが、その内容はといえば非常に聞きごたえのある名曲の名演奏揃いでした。
No music no lifeならぬ、「音楽のない人生なんて過誤と疲労と流刑がいっぱいでっせ」という哲学者ニーチエのエピグラムを巻頭にちりばめた本全集シリーズでは、1607年にモンテヴェルディが作曲したオルフェオから始まって、1936年にフランコ・アルファーノによって作曲された「シラノ・ド・ベルジュラック」という珍曲まで、作曲年代順に並べられた50曲のオペラをよりどりみどりで聞きまくりながら過去400年の歴史をたどることができます。
モーツアルトでは「ドン・ジョヴァンニ」、「後宮からの脱出」、「フィガロの結婚」、「魔笛」、ヴェルディでは「リゴレット」、「オテロ」、「椿姫」、「トロヴァトーレ」、「仮面舞踏会」、プッチーニは「トゥーランドット」、「トスカ」、「マノンレスコー」、「蝶々夫人」、「ラ・ボエーム」といった按配で主要作品を網羅していますが、カタラーニの「ワリー」やマスネーの「タイース」、レオンカバッロの「道化師」、ラベルの「子供と魔法」、さらにはシェーンベルクの「期待」、ベルクの「ヴォツエック」といった現代曲もきちんと押さえられています。
44歳の若さで亡くなったエットーレ・バスティアーニのバリトンをヴェルディ作品でどっさり楽しめるのもこのアンソロジーの魅力のひとつでしょう。
♪中刷りの白恨めしき電車かな 茫洋
Sunday, December 27, 2009
大野和士指揮モネ王立劇場管で「さまよえるオランダ人」を視聴する
音楽千夜一夜第102回
これは05年12月20日のベルギー・モネ劇場での公演をライブ収録したもの。CGを得意とするギー・カシアスとかいう男が演出を担当していますが特にどうということはなし。
オランダ人をエグルス・シリンズ、ヒロインのゼンタをアニヤ・カンペ、エリックをトルステン・ケルル、ターラントをアルフレッド・ライトナーという聞いたこともない布陣ですが、これまた特にどうということなし。
大野の指揮は例によって全曲を背伸びして見通したうえで、知的に組み立て、抑えるところは冷静に、燃え上がるところはエネルギッシュにという風に、めりはりをつけた演奏でしたが、だからといって見者の心拍が激変して世界観が変わるというようなこともなしで、まあこれが欧州の通常の平均的なオペラ公演といえばいえるのでしょうが、典型的なルーチンワークといって過言ではないでしょう。
好漢大野はすでにモネ劇場のシェフを辞して、去年からフランスのリヨンの国立歌劇場の首席に赴任していますが、このようなゆるい演奏を続けていると、あの小澤や大植英次のような下らないワーグナー指揮者に転落する危険がいっぱいです。
ここ数日夜の9時になると、09年夏のバイロイト音楽祭のライブ録音を放送していますが、ティーレマンが振ったワーグナーの「指輪」のエキサイティングな演奏などをぜひ参考にしてほしいものです。
バスの中曇り硝子に一指も触れぬ大人かな 茫洋
これは05年12月20日のベルギー・モネ劇場での公演をライブ収録したもの。CGを得意とするギー・カシアスとかいう男が演出を担当していますが特にどうということはなし。
オランダ人をエグルス・シリンズ、ヒロインのゼンタをアニヤ・カンペ、エリックをトルステン・ケルル、ターラントをアルフレッド・ライトナーという聞いたこともない布陣ですが、これまた特にどうということなし。
大野の指揮は例によって全曲を背伸びして見通したうえで、知的に組み立て、抑えるところは冷静に、燃え上がるところはエネルギッシュにという風に、めりはりをつけた演奏でしたが、だからといって見者の心拍が激変して世界観が変わるというようなこともなしで、まあこれが欧州の通常の平均的なオペラ公演といえばいえるのでしょうが、典型的なルーチンワークといって過言ではないでしょう。
好漢大野はすでにモネ劇場のシェフを辞して、去年からフランスのリヨンの国立歌劇場の首席に赴任していますが、このようなゆるい演奏を続けていると、あの小澤や大植英次のような下らないワーグナー指揮者に転落する危険がいっぱいです。
ここ数日夜の9時になると、09年夏のバイロイト音楽祭のライブ録音を放送していますが、ティーレマンが振ったワーグナーの「指輪」のエキサイティングな演奏などをぜひ参考にしてほしいものです。
バスの中曇り硝子に一指も触れぬ大人かな 茫洋
Saturday, December 26, 2009
ジェームス・ジョイス著「若い藝術家の肖像」を読んで
照る日曇る日第319回
アイルランドの貧しい家庭に生まれた本書の主人公スチ-ブン・ディーダラスは、幼い時から厳格な宗教教育を受け、神と共に歩む聖職者の道を選ぶことまで考えましたが、やや長じて宗教団体が経営するカレッジに入るや一転して涜神とまではいかずとも高歌放吟、芸術三昧の世界に邁進します。
われかくして二〇世紀文藝の旗手となれり。めでたし、めでたしという退屈な回顧録か。昨日のガルシア・マルケスの自叙伝に比べるとずいぶん貧弱な内容だなあ、と思って読み終わったのですが、訳者である丸谷才一氏は、「これはそんな生易しい本ではないぞよ」とのたまいます。
まずこの本の「若い藝術家の肖像」という題名からして世界中の学者が、昔からああでもない、こうでもないという議論の種になっていて、これは単なる伝記であるどころか一種の創作的自叙伝であり、本書の主人公スチ-ブン・ディーダラスは、つとにギリシア神話に出てくるダイダロスの息子イカルスに擬せられており、偉大なる作家は、父や教会との大いなる葛藤を経て、ある若者が、それとは知らずに天高く飛翔しようとするところを象徴的に描いたのだそうです。せれどもこの若者は太陽の熱で翼を焼かれて墜落するという不幸な運命をまぬかれ、めでたく本書の続編である「ユリシーズ」に副主人公として登場することになるのです。
ああ無知とは恐ろしい。さすがインテリゲンチャンのご高説はひとあじもふた味も違うなあと思いつつ、ざっと再読してみたのですが、そんなことは枝葉末節もいいところ。いつの時代も、高踏的かつ衒学的な暇人の能書きはいっさい物事の本質とは無関係なのです。やはり本書はジェームス・ジョイスその人の前半生そのものの叙述ではないとしても、本物の芸術家になろうとしたある若者の精神の最深部の履歴の実録をありのままにつづった命懸けのドキュメントに他なりません。
とりわけ読者の心に衝撃を与えるのは、若き魂に激しく迫る神のあららかな声でしょう。七つの大罪を犯して地獄に落とされた罪びとに科せられ、未来永劫続く肉体的精神的苦痛の描写の微に入り細にわたる凄まじさは、ダンテの「神曲」をしのぐほどリアルで痛苦なものがあり、もしもそれが単なる威嚇や恫喝ではなく「本当のほんと」のことならば、不信心なこの私も即入信せねばならぬと思わせるほどの迫力です。
当時この若き芸術家がどれほど真剣に神と信仰の問題と格闘していたかをまざまざと示すこの本は、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」と並ぶ不朽の青春の書と評すべきでしょう。
♪本物のピカソを飾る小学館ルオーを飾る新潮社 茫洋
アイルランドの貧しい家庭に生まれた本書の主人公スチ-ブン・ディーダラスは、幼い時から厳格な宗教教育を受け、神と共に歩む聖職者の道を選ぶことまで考えましたが、やや長じて宗教団体が経営するカレッジに入るや一転して涜神とまではいかずとも高歌放吟、芸術三昧の世界に邁進します。
われかくして二〇世紀文藝の旗手となれり。めでたし、めでたしという退屈な回顧録か。昨日のガルシア・マルケスの自叙伝に比べるとずいぶん貧弱な内容だなあ、と思って読み終わったのですが、訳者である丸谷才一氏は、「これはそんな生易しい本ではないぞよ」とのたまいます。
まずこの本の「若い藝術家の肖像」という題名からして世界中の学者が、昔からああでもない、こうでもないという議論の種になっていて、これは単なる伝記であるどころか一種の創作的自叙伝であり、本書の主人公スチ-ブン・ディーダラスは、つとにギリシア神話に出てくるダイダロスの息子イカルスに擬せられており、偉大なる作家は、父や教会との大いなる葛藤を経て、ある若者が、それとは知らずに天高く飛翔しようとするところを象徴的に描いたのだそうです。せれどもこの若者は太陽の熱で翼を焼かれて墜落するという不幸な運命をまぬかれ、めでたく本書の続編である「ユリシーズ」に副主人公として登場することになるのです。
ああ無知とは恐ろしい。さすがインテリゲンチャンのご高説はひとあじもふた味も違うなあと思いつつ、ざっと再読してみたのですが、そんなことは枝葉末節もいいところ。いつの時代も、高踏的かつ衒学的な暇人の能書きはいっさい物事の本質とは無関係なのです。やはり本書はジェームス・ジョイスその人の前半生そのものの叙述ではないとしても、本物の芸術家になろうとしたある若者の精神の最深部の履歴の実録をありのままにつづった命懸けのドキュメントに他なりません。
とりわけ読者の心に衝撃を与えるのは、若き魂に激しく迫る神のあららかな声でしょう。七つの大罪を犯して地獄に落とされた罪びとに科せられ、未来永劫続く肉体的精神的苦痛の描写の微に入り細にわたる凄まじさは、ダンテの「神曲」をしのぐほどリアルで痛苦なものがあり、もしもそれが単なる威嚇や恫喝ではなく「本当のほんと」のことならば、不信心なこの私も即入信せねばならぬと思わせるほどの迫力です。
当時この若き芸術家がどれほど真剣に神と信仰の問題と格闘していたかをまざまざと示すこの本は、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」と並ぶ不朽の青春の書と評すべきでしょう。
♪本物のピカソを飾る小学館ルオーを飾る新潮社 茫洋
Friday, December 25, 2009
G.ガルシア=マルケス著「生きて、語り伝える」を読んで
照る日曇る日第318回
「予告された殺人の記録」「百年の孤独」などで有名なコロンビア生まれの作家マルケスの自伝です。本書では彼がさまざまな著書で伝説化した祖父母、父母の来歴とともに、彼自身の少年時代から作家兼新聞記者として徐々に頭角を現していく青年時代までの「生きて」きた波乱万丈の思い出を、初めて彼の口で「語り伝えて」います。
著者は冒頭のエピグラフで、「人の生涯とは、人が何を生きたかよりも、何を記憶しているか、どのように記憶して語るかである」、と語っているのですが、この言葉こそ、本書が彼にとって持つ大いなる意味と意義を何よりも雄弁に物語っているようです。
11人家族の長男として南米の貧乏国の貧乏所帯に生まれた著者が、どのような家庭環境で生育し、どのような教育を受け、どのような数奇な体験を経てみずからを偉大な作家として彫琢していったかを、私たちは本書によってつぶさに知ることができます。
ボゴタ大学の法学部の学生でありながら新聞社で雑文書きのアルバイトをしていた22歳の時、彼は母親とともに実家を尋ねます。
そして1948年4月9日、彼は自由党の英雄ガイタン暗殺にはじまるボゴタの市街戦に若き日のフィデルカストロと共に遭遇し、命からがら逃げ回ります。三十万人以上の犠牲者を出した陰惨なテロルと内戦の悲劇を身をもって体験したのです。
恐らく、前者のたった2日間の旅が、彼を一族の壮大な過去の記憶のなかで再生させ、血と憎悪にまみれた醜悪な現実の只中にしか人間の実存はないという後者での発見が、彼を作家ガルシア=マルケスにしたのではないでしょうか。
彼の文学と音楽には密接なつながりがあるようです。バルトークの「ピアノ協奏曲第3番」を聞きまくりなから、6作目の長編小説「族長の秋」を執筆していた著者は、そのことをあるカタルニア人の音楽家から指摘され、さらにノーベル文学賞の授賞式でも、なぜかこの曲が会場に流されて驚愕したそうですが、私たちはここでも文学と音楽の親和関係を確かめることができます。
「人生がどの方向に進んでいるのかを示しているような幻想を与えてくれるものであれば食器洗い機の中のお皿とナイフ、フォークまで音を出すものはすべてが音楽である」というジョン・ケージ流の哲学を持つ著者は、ゆったりとしたエピソードにはショパンのノクターン、幸せな午後の場面にはブラームスの六重奏という風に、さまざまなバックグラウンド・ミュージックをメキシコシティの書斎で流しながら、本書の続巻の著述に励んでいるようです。
♪「族長の秋」を彩るバルトーク奇跡のシンクロニシティにマルケス驚く 茫洋
「予告された殺人の記録」「百年の孤独」などで有名なコロンビア生まれの作家マルケスの自伝です。本書では彼がさまざまな著書で伝説化した祖父母、父母の来歴とともに、彼自身の少年時代から作家兼新聞記者として徐々に頭角を現していく青年時代までの「生きて」きた波乱万丈の思い出を、初めて彼の口で「語り伝えて」います。
著者は冒頭のエピグラフで、「人の生涯とは、人が何を生きたかよりも、何を記憶しているか、どのように記憶して語るかである」、と語っているのですが、この言葉こそ、本書が彼にとって持つ大いなる意味と意義を何よりも雄弁に物語っているようです。
11人家族の長男として南米の貧乏国の貧乏所帯に生まれた著者が、どのような家庭環境で生育し、どのような教育を受け、どのような数奇な体験を経てみずからを偉大な作家として彫琢していったかを、私たちは本書によってつぶさに知ることができます。
ボゴタ大学の法学部の学生でありながら新聞社で雑文書きのアルバイトをしていた22歳の時、彼は母親とともに実家を尋ねます。
そして1948年4月9日、彼は自由党の英雄ガイタン暗殺にはじまるボゴタの市街戦に若き日のフィデルカストロと共に遭遇し、命からがら逃げ回ります。三十万人以上の犠牲者を出した陰惨なテロルと内戦の悲劇を身をもって体験したのです。
恐らく、前者のたった2日間の旅が、彼を一族の壮大な過去の記憶のなかで再生させ、血と憎悪にまみれた醜悪な現実の只中にしか人間の実存はないという後者での発見が、彼を作家ガルシア=マルケスにしたのではないでしょうか。
彼の文学と音楽には密接なつながりがあるようです。バルトークの「ピアノ協奏曲第3番」を聞きまくりなから、6作目の長編小説「族長の秋」を執筆していた著者は、そのことをあるカタルニア人の音楽家から指摘され、さらにノーベル文学賞の授賞式でも、なぜかこの曲が会場に流されて驚愕したそうですが、私たちはここでも文学と音楽の親和関係を確かめることができます。
「人生がどの方向に進んでいるのかを示しているような幻想を与えてくれるものであれば食器洗い機の中のお皿とナイフ、フォークまで音を出すものはすべてが音楽である」というジョン・ケージ流の哲学を持つ著者は、ゆったりとしたエピソードにはショパンのノクターン、幸せな午後の場面にはブラームスの六重奏という風に、さまざまなバックグラウンド・ミュージックをメキシコシティの書斎で流しながら、本書の続巻の著述に励んでいるようです。
♪「族長の秋」を彩るバルトーク奇跡のシンクロニシティにマルケス驚く 茫洋
Wednesday, December 23, 2009
プッチーニのオペラ映画「ラ・ボエーム」を視聴する
音楽千夜一夜第101回
昨日に続いてのプッチーニですが、今日のは1896年に作曲された代表作の「ラ・ボエーム」です。1889年の「エドガー」とは別人のように洗練された技法で、男女の別れを切々と歌い上げます。
「ラ・ボエーム」といっても、これはロバート・ドーンヘルムが映画化したもの。いまウイーンで人気のド・ビリー指揮バイエルン放響をバックに、ミミをネトレプコ、ロドルフォをビリャソンという超人気コンビがスタジオ録音した音声に、特設セットでの映像をコラージュした代物なので、ライブ公演と同日に談じるわけにはいきませんが、なかなか楽しめます。
しかしこの「ラ・ボエーム」を見ていていつも思うのは、3幕のダンフェール門外の悲しい別れの理由。ミミの病気がひどくなったから、自分がいては回復の妨げになるので別れる、とロドルフォはほざきますが、大好きな女が死にかけているなら、普通の男なら最後までケアをするのではないでしょうか。
それなのに、やれ「寒い冬にひとり切りは耐えられない」、とか「せめて花が咲く春に別れたい」とか口々に「意気寂しがっている」のがちゃんちゃらおかしく聞こえます。まあ雪降るここで一回別れておかなきゃ4幕の愁嘆場が生きてこないからだということは分かるのですが、それにしても人間の心理としておかしいといつも疑問に思うところです。
ところでネトレプコ嬢は、ザルツブルクをコケにしたりして、世界中でひっぱりだこの人気のようですが、私は歴史に残るほどの歌手とはとうてい思えません。無色透明で小奇麗な歌い口ではあるけれど、まるで出来合いの機械仕掛けのお人形が口パクで歌っているよう。結局は真の個性がないのです。少なくとも私の趣味ではありません。
♪メリークリスマス!この年夏日本で死んだテレサ・ストラータス恋し 茫洋
昨日に続いてのプッチーニですが、今日のは1896年に作曲された代表作の「ラ・ボエーム」です。1889年の「エドガー」とは別人のように洗練された技法で、男女の別れを切々と歌い上げます。
「ラ・ボエーム」といっても、これはロバート・ドーンヘルムが映画化したもの。いまウイーンで人気のド・ビリー指揮バイエルン放響をバックに、ミミをネトレプコ、ロドルフォをビリャソンという超人気コンビがスタジオ録音した音声に、特設セットでの映像をコラージュした代物なので、ライブ公演と同日に談じるわけにはいきませんが、なかなか楽しめます。
しかしこの「ラ・ボエーム」を見ていていつも思うのは、3幕のダンフェール門外の悲しい別れの理由。ミミの病気がひどくなったから、自分がいては回復の妨げになるので別れる、とロドルフォはほざきますが、大好きな女が死にかけているなら、普通の男なら最後までケアをするのではないでしょうか。
それなのに、やれ「寒い冬にひとり切りは耐えられない」、とか「せめて花が咲く春に別れたい」とか口々に「意気寂しがっている」のがちゃんちゃらおかしく聞こえます。まあ雪降るここで一回別れておかなきゃ4幕の愁嘆場が生きてこないからだということは分かるのですが、それにしても人間の心理としておかしいといつも疑問に思うところです。
ところでネトレプコ嬢は、ザルツブルクをコケにしたりして、世界中でひっぱりだこの人気のようですが、私は歴史に残るほどの歌手とはとうてい思えません。無色透明で小奇麗な歌い口ではあるけれど、まるで出来合いの機械仕掛けのお人形が口パクで歌っているよう。結局は真の個性がないのです。少なくとも私の趣味ではありません。
♪メリークリスマス!この年夏日本で死んだテレサ・ストラータス恋し 茫洋
Tuesday, December 22, 2009
プッチーニのオペラ「エドガー」を視聴する
音楽千夜一夜第100回
偉大なオペラ作曲家の知られざる「名作」をはじめてビデオで見ましたら、私が持っているCD(イヴ・カラー指揮ニューヨーク・オペラ管の演奏)とは違って4幕物だったのでちょっとびっくりでした。レナータ・スコットがヒロインのフィデーリアを、ベルゴンツイが表題役を歌ったこのCDはハッピーエンドで終わる3幕物でしたが、ヨラム・ダビッド指揮トリノ・レージョ劇場管によるこの演奏は、突如ヒロインが敵役に殺されてしまう悲劇で終わってしまったからです。
このオペラの主人公エドガーは、友人フランクの清純な妹フィデーリアを愛していたのですが、ジプシー娘(最近ではロマと称するようだが余計なお世話)の官能的な魅力にひきずられ(この辺はカルメンに似ている)、同じ娼婦を恋していたフランクをナイフで傷つけたままアーモンドの花咲く村から逃亡します。(1幕)
しかし恋多き野生の女との酒池肉林生活に贅沢にも厭き厭きしたエドガーは、2幕で友人フランクが率いる軍隊に飛び込み志願し、祖国防衛戦争で死んでしまいます。(この辺のでたとこ勝負の筋書きがおもしろい)
ところがどっこいエドガーは、ぬなあんと生きていた!?(この辺のでたらめな展開には誰もが呆然としてついていけなくなる)そうして彼は坊主に身をやつして己の棺桶の傍でフィデーリアが涙を流したり、ジプシー娘が嘘泣きしたりするのを逐一観察しているのですが、3幕の最後でフィクションを明かし、性悪女を放逐して初恋のカルピスの味の処女の胸へと帰ってゆく。メデタシ、メデタシ1巻の終というのがCDでした。
ところが去年の夏イタリアのトリノで行われた公演ではこのあと序幕と同じコーラスで始まる4幕の幕が開き、せっかく結ばれたはずのカップルの絆をジプシー女の鋭いナイフが永久に切り裂きます。仕合わせ転じて凶となる悲しい道行に、場内は涙、涙、また涙の幕切れでした。
プッチーニとしてはまだ若書きのオペラ2作目ですから、後年の旋律のきらめきはまだ暁天の星ですが、フィデーリアの悲しみのアリアなど盛り上がると、嘆かいはユヤーン、ユアーンと天まで昇り、イタリアのローカルオケが泣かせに泣かせ、観客ののんどはまるでイワシのようです。
4幕のもの静かなデユエットの伴奏では、緻密であるべきアンサンブルが突然ガタガタになるなど、あちこちに破綻もありましたが、まあこういうのがオペラの醍醐味なのでしょう。とにもかくにもおはなしが面白い、まるで歌舞伎のように楽しめるオペラでした。出演は以下のごとし。
エドガー ホセ・クーラ フィデーリア アマリルリ・ニッツァ ティグラーナ ユリア・ゲルツェワ フランク マルコ・ヴラトーニャ グアルティエーロ カルロ・チーニ トリノ・レージョ劇場合唱団 トリノ・レージョ劇場トリノ・ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院児童合唱団 ヨラム・ダヴィド 指揮 トリノ・レージョ劇場管弦楽団 演 出 ロレンツォ・マリアーニ
(2008年6月25日 トリノ・レージョ劇場ライブ)
♪斬ったり張ったりちゃんちやんばらばらこれぞイタリア歌舞伎の醍醐味なるぞ 茫洋
偉大なオペラ作曲家の知られざる「名作」をはじめてビデオで見ましたら、私が持っているCD(イヴ・カラー指揮ニューヨーク・オペラ管の演奏)とは違って4幕物だったのでちょっとびっくりでした。レナータ・スコットがヒロインのフィデーリアを、ベルゴンツイが表題役を歌ったこのCDはハッピーエンドで終わる3幕物でしたが、ヨラム・ダビッド指揮トリノ・レージョ劇場管によるこの演奏は、突如ヒロインが敵役に殺されてしまう悲劇で終わってしまったからです。
このオペラの主人公エドガーは、友人フランクの清純な妹フィデーリアを愛していたのですが、ジプシー娘(最近ではロマと称するようだが余計なお世話)の官能的な魅力にひきずられ(この辺はカルメンに似ている)、同じ娼婦を恋していたフランクをナイフで傷つけたままアーモンドの花咲く村から逃亡します。(1幕)
しかし恋多き野生の女との酒池肉林生活に贅沢にも厭き厭きしたエドガーは、2幕で友人フランクが率いる軍隊に飛び込み志願し、祖国防衛戦争で死んでしまいます。(この辺のでたとこ勝負の筋書きがおもしろい)
ところがどっこいエドガーは、ぬなあんと生きていた!?(この辺のでたらめな展開には誰もが呆然としてついていけなくなる)そうして彼は坊主に身をやつして己の棺桶の傍でフィデーリアが涙を流したり、ジプシー娘が嘘泣きしたりするのを逐一観察しているのですが、3幕の最後でフィクションを明かし、性悪女を放逐して初恋のカルピスの味の処女の胸へと帰ってゆく。メデタシ、メデタシ1巻の終というのがCDでした。
ところが去年の夏イタリアのトリノで行われた公演ではこのあと序幕と同じコーラスで始まる4幕の幕が開き、せっかく結ばれたはずのカップルの絆をジプシー女の鋭いナイフが永久に切り裂きます。仕合わせ転じて凶となる悲しい道行に、場内は涙、涙、また涙の幕切れでした。
プッチーニとしてはまだ若書きのオペラ2作目ですから、後年の旋律のきらめきはまだ暁天の星ですが、フィデーリアの悲しみのアリアなど盛り上がると、嘆かいはユヤーン、ユアーンと天まで昇り、イタリアのローカルオケが泣かせに泣かせ、観客ののんどはまるでイワシのようです。
4幕のもの静かなデユエットの伴奏では、緻密であるべきアンサンブルが突然ガタガタになるなど、あちこちに破綻もありましたが、まあこういうのがオペラの醍醐味なのでしょう。とにもかくにもおはなしが面白い、まるで歌舞伎のように楽しめるオペラでした。出演は以下のごとし。
エドガー ホセ・クーラ フィデーリア アマリルリ・ニッツァ ティグラーナ ユリア・ゲルツェワ フランク マルコ・ヴラトーニャ グアルティエーロ カルロ・チーニ トリノ・レージョ劇場合唱団 トリノ・レージョ劇場トリノ・ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院児童合唱団 ヨラム・ダヴィド 指揮 トリノ・レージョ劇場管弦楽団 演 出 ロレンツォ・マリアーニ
(2008年6月25日 トリノ・レージョ劇場ライブ)
♪斬ったり張ったりちゃんちやんばらばらこれぞイタリア歌舞伎の醍醐味なるぞ 茫洋
Monday, December 21, 2009
梟が鳴く森で 第14回
bowyow megalomania theater vol.1
「普通の人、(普通の人の定義もキチンとしている訳じゃないけど)、普通の人ならそれこそ先天的に獲得している「状況の認知」「自他の関係の把握」「社会性の認識」といった知的ネットワークが、自閉症児者にはあらかじめ失われている。少しはつながっているにしても、そのネットワーク相互の配線は、そこここで断ち切られている。部品と部品、パーツとパーツ、脳機能と身体機能のすべてを統合するネットワークの弱さが、自閉症と言われる障碍の本質です。
だから自閉症の人っていい意味でも悪い意味でも「ゆるい人」。岳君もとってもゆるいんだけど、彼の脳の中のあちこちでほころびかけているニューロンの線と線を1本1本修復したり、回路のつながりを良くするために外部からいろんな刺激を与えたりすれば、少しずつ人並みになっていけると思うよ。
要するにリハビリだなあ。例えばプールで泳いだり、運動したり、ピアノをひいて脳のいろんな部位を活性化したり、電車ばっかりじゃなくて動物とか植物とか違うジャンルのことに徐々に関心を広げてゆくとか、お料理や図画工作をして手先をこまかく動かして逆に脳に対して刺激を与えていく……」
S先生は、ここでパイプをくわえて紫の煙をゆっくりと昼下がりの応接間に吐き出しました。部屋の中ではリヒヤルト・ワーグナーの舞台神聖祝祭劇「パルシファル」第3幕の聖金曜日の音楽が静かに流れていました。
♪破綻せし御国の御蔵支えんと国債需めし愛国者われ 茫洋
「普通の人、(普通の人の定義もキチンとしている訳じゃないけど)、普通の人ならそれこそ先天的に獲得している「状況の認知」「自他の関係の把握」「社会性の認識」といった知的ネットワークが、自閉症児者にはあらかじめ失われている。少しはつながっているにしても、そのネットワーク相互の配線は、そこここで断ち切られている。部品と部品、パーツとパーツ、脳機能と身体機能のすべてを統合するネットワークの弱さが、自閉症と言われる障碍の本質です。
だから自閉症の人っていい意味でも悪い意味でも「ゆるい人」。岳君もとってもゆるいんだけど、彼の脳の中のあちこちでほころびかけているニューロンの線と線を1本1本修復したり、回路のつながりを良くするために外部からいろんな刺激を与えたりすれば、少しずつ人並みになっていけると思うよ。
要するにリハビリだなあ。例えばプールで泳いだり、運動したり、ピアノをひいて脳のいろんな部位を活性化したり、電車ばっかりじゃなくて動物とか植物とか違うジャンルのことに徐々に関心を広げてゆくとか、お料理や図画工作をして手先をこまかく動かして逆に脳に対して刺激を与えていく……」
S先生は、ここでパイプをくわえて紫の煙をゆっくりと昼下がりの応接間に吐き出しました。部屋の中ではリヒヤルト・ワーグナーの舞台神聖祝祭劇「パルシファル」第3幕の聖金曜日の音楽が静かに流れていました。
♪破綻せし御国の御蔵支えんと国債需めし愛国者われ 茫洋
Sunday, December 20, 2009
梟が鳴く森で 第13回
bowyow megalomania theater vol.1
「例えばおたくの岳ちゃん、いや岳君の場合も高校生になるのに毎日JRの路線図ばかり書いていて、山手線の旧型103系や新型の205系のことが気になって気になって仕方がない。
普通というと変だけど、普通の人は、毎日多種多様な関心事が自由自在に頭の中を飛び交って、そのテーマにあわせて自分自身の意識や存在を変化させてゆけるのですが、岳ちゃん、いや失礼、岳君のような自閉症の人は、その自由とバラエティが少ない。生まれつきの脳の障碍が、その自由とバラエティを奪っているのでしょう。本当は素晴らしい素質が眠っているかも知れないのに……。本当は社会や他人たちにコミットしたくてたまらないのに、その手段が失われている。そういう症状、そういう不幸……
自閉症は、幻覚や妄想をともなわないから、精神病や精神分裂病(統合失調症)でもない。脳の中枢神経機能の障碍といっても、手足や五体は健全なのだから、要するに人間を人間として成立させるための部品、つまりパーツですな、パーツはぜんぶ完璧にそろってる。目も、耳も、手も、足も、脳そのものも部品としてはきちんと組みあがっている。だけど、それらのパーツを普通の社会人、生活者、健常者としてちゃんと作動させるために必要な、なんというか「統合のシステム」に不具合があるんですな。
例えば100メートル競走でスタートラインに立ったとする。普通の人は、今日が運動会で、いま自分は3コースに位置していて、他の5人のライバルとスピード競争をするんだ、という認識が備わっていて、そのために全身全霊をあげて自分の身体メカニズムを駆使しようとするんだけれど、多くの自閉症児者には、いま僕が言ったような「条件付け」ができない。
つまり、運動会とは何なのか、隣の人はなぜしゃがんでいるのか、競争とかゲームとは何なのか、なぜ自分は走れと言われているのかがほとんど分からない。自分自身とその自分をとりまく状況が分かっていないと、いくら五体満足でも、「ヨーイ、ドン、そら走れ!」という風にならない訳です。運動会という一種の社会性を持ったステージの上に立つ自分という位置づけができていないと、何のために走るのかという納得ができないわけ。
♪ヨーイ、ドン、そら走れ!しかし走れない人も数多くいて 茫洋
「例えばおたくの岳ちゃん、いや岳君の場合も高校生になるのに毎日JRの路線図ばかり書いていて、山手線の旧型103系や新型の205系のことが気になって気になって仕方がない。
普通というと変だけど、普通の人は、毎日多種多様な関心事が自由自在に頭の中を飛び交って、そのテーマにあわせて自分自身の意識や存在を変化させてゆけるのですが、岳ちゃん、いや失礼、岳君のような自閉症の人は、その自由とバラエティが少ない。生まれつきの脳の障碍が、その自由とバラエティを奪っているのでしょう。本当は素晴らしい素質が眠っているかも知れないのに……。本当は社会や他人たちにコミットしたくてたまらないのに、その手段が失われている。そういう症状、そういう不幸……
自閉症は、幻覚や妄想をともなわないから、精神病や精神分裂病(統合失調症)でもない。脳の中枢神経機能の障碍といっても、手足や五体は健全なのだから、要するに人間を人間として成立させるための部品、つまりパーツですな、パーツはぜんぶ完璧にそろってる。目も、耳も、手も、足も、脳そのものも部品としてはきちんと組みあがっている。だけど、それらのパーツを普通の社会人、生活者、健常者としてちゃんと作動させるために必要な、なんというか「統合のシステム」に不具合があるんですな。
例えば100メートル競走でスタートラインに立ったとする。普通の人は、今日が運動会で、いま自分は3コースに位置していて、他の5人のライバルとスピード競争をするんだ、という認識が備わっていて、そのために全身全霊をあげて自分の身体メカニズムを駆使しようとするんだけれど、多くの自閉症児者には、いま僕が言ったような「条件付け」ができない。
つまり、運動会とは何なのか、隣の人はなぜしゃがんでいるのか、競争とかゲームとは何なのか、なぜ自分は走れと言われているのかがほとんど分からない。自分自身とその自分をとりまく状況が分かっていないと、いくら五体満足でも、「ヨーイ、ドン、そら走れ!」という風にならない訳です。運動会という一種の社会性を持ったステージの上に立つ自分という位置づけができていないと、何のために走るのかという納得ができないわけ。
♪ヨーイ、ドン、そら走れ!しかし走れない人も数多くいて 茫洋
Saturday, December 19, 2009
山中貞雄監督「丹下左膳余話 百万両の壺」を見る
闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.22
夭折した山中貞雄の現存するたった3本のうちの1本がこれ。昭和10年1935年製作の時代劇ですが、監督本人がこの映画をてんで時代劇とは思っていないために生まれるおもいがけない表現世界の自由闊達さ、天衣無縫さがこの映画の最大の魅力です。
時代劇を時代劇として撮るリアリズムは次第にわが国の映画作法の主流となりますが、黎明期のこの頃は、まだそういう判で押したような文体がスタンダードなものではなかったことをうかがわせます。
若き監督の常識にとらわれない自在な発想と懐の広さから飛び出してくるユーモアとウイット、軽妙な会話と物語の快調なテンポがいかにも素敵で、現代人にも通じる喜怒哀楽のひとつひとつが思いがけず胸に迫ってくるようです。
ここでは丹下左膳(大河内伝次郎)と射的屋の女主人、道場主の馬鹿殿(沢村国太郎)とその細君という2つのカップルが登場して物語を動かしていくのですが、そのいずれにおいても男性は女性に完全に操縦されるお人よしである点もほかの時代劇には見られない特徴です。
林不忘原作・伊藤大輔監督の丹下左膳ものではニヒルな殺し屋として描き出されていた大河内伝次郎のイメージを、正反対の魅力的な喜劇役者として完膚無きまでに塗り替えたところに山中の独創と才気を感じます。
それにしても共演者の大半が天命を全うしたというのに、山中一人が28歳の若さで中国大陸で果てたとは、歴史の皮肉を嘆じないわけにはいきません。
♪隻眼隻手の主人公が健常者共をバッタバッタと切り殺す古今無双の林不忘のアイデア 茫洋
♪戦争は映画を殺す山中ありせば黒沢を超える名画を撮りしものを 茫洋
夭折した山中貞雄の現存するたった3本のうちの1本がこれ。昭和10年1935年製作の時代劇ですが、監督本人がこの映画をてんで時代劇とは思っていないために生まれるおもいがけない表現世界の自由闊達さ、天衣無縫さがこの映画の最大の魅力です。
時代劇を時代劇として撮るリアリズムは次第にわが国の映画作法の主流となりますが、黎明期のこの頃は、まだそういう判で押したような文体がスタンダードなものではなかったことをうかがわせます。
若き監督の常識にとらわれない自在な発想と懐の広さから飛び出してくるユーモアとウイット、軽妙な会話と物語の快調なテンポがいかにも素敵で、現代人にも通じる喜怒哀楽のひとつひとつが思いがけず胸に迫ってくるようです。
ここでは丹下左膳(大河内伝次郎)と射的屋の女主人、道場主の馬鹿殿(沢村国太郎)とその細君という2つのカップルが登場して物語を動かしていくのですが、そのいずれにおいても男性は女性に完全に操縦されるお人よしである点もほかの時代劇には見られない特徴です。
林不忘原作・伊藤大輔監督の丹下左膳ものではニヒルな殺し屋として描き出されていた大河内伝次郎のイメージを、正反対の魅力的な喜劇役者として完膚無きまでに塗り替えたところに山中の独創と才気を感じます。
それにしても共演者の大半が天命を全うしたというのに、山中一人が28歳の若さで中国大陸で果てたとは、歴史の皮肉を嘆じないわけにはいきません。
♪隻眼隻手の主人公が健常者共をバッタバッタと切り殺す古今無双の林不忘のアイデア 茫洋
♪戦争は映画を殺す山中ありせば黒沢を超える名画を撮りしものを 茫洋
Friday, December 18, 2009
お母さん。いま帰ったよ。
バガテルop117
歳月怒涛のごとく来たり、突風のごとく去りゆく。あっと言う間に今年が終わり、すぐに来年がやって来るようです。そのことを、昨日訪れた某住宅改造会社のカレンダーが教えてくれました。
さて、毎年特定の芸術家を選び、彼が書き残した和洋の数字でカレンダーをつくるこの会社のアイデアは秀逸で、昨年度の夏目漱石編を、私は12カ月とっくりと楽しむことができました。
2010年度は、なんと宮沢賢治編の登場です。「お母さん。いま帰ったよ。」というのがこのカレンダーの表題になっているのですが、それは賢治の「銀河鉄道の夜」から採られたワンフレーズ。第3章の「家」でジョバンニがちょうど帰宅したときの言葉ですが、それが私の胸にいきなり飛び込んできました。彼の自筆の丸い字の跡をじっと見つめていると、この不世出の詩人宗教家の姿が生き生きとよみがえってくるようです。
またこのカレンダーには、「雨ニモマケズ」や「永訣の朝」の自筆原稿、妹クニの娘のイラストや動物のスケッチなども掲載されており、四季折々に彼と彼の生涯を回想することができます。
お母さんいま帰ったよと言える人なき年の暮れ 茫洋
歳月怒涛のごとく来たり、突風のごとく去りゆく。あっと言う間に今年が終わり、すぐに来年がやって来るようです。そのことを、昨日訪れた某住宅改造会社のカレンダーが教えてくれました。
さて、毎年特定の芸術家を選び、彼が書き残した和洋の数字でカレンダーをつくるこの会社のアイデアは秀逸で、昨年度の夏目漱石編を、私は12カ月とっくりと楽しむことができました。
2010年度は、なんと宮沢賢治編の登場です。「お母さん。いま帰ったよ。」というのがこのカレンダーの表題になっているのですが、それは賢治の「銀河鉄道の夜」から採られたワンフレーズ。第3章の「家」でジョバンニがちょうど帰宅したときの言葉ですが、それが私の胸にいきなり飛び込んできました。彼の自筆の丸い字の跡をじっと見つめていると、この不世出の詩人宗教家の姿が生き生きとよみがえってくるようです。
またこのカレンダーには、「雨ニモマケズ」や「永訣の朝」の自筆原稿、妹クニの娘のイラストや動物のスケッチなども掲載されており、四季折々に彼と彼の生涯を回想することができます。
お母さんいま帰ったよと言える人なき年の暮れ 茫洋
Thursday, December 17, 2009
梟が鳴く森で 第12回
9月25日
今日は大好きな横浜線に乗って東神奈川で降りて「小児療育センター」へ行きました。そして、脳波をとりました。脳波のギザギザの線を指差しながら、S先生は、ここいら辺がちょいとゆるいんだとね、と、仰いました。
中脳の辺りに僕のウイークポイントがあるそうです。そのウイークポイントのせいで、僕は周囲の状況がよくのみこめず、社会的な発達がかなり遅れているそうです。
S先生は、仰いました。「自閉症というと、自ら閉じこもる病気と誤解されて、オタクの人たちと一緒にされてしまいがちだけど、全然違う。大体からして自閉症は病気じゃないんです。脳の中枢神経系が生まれながらに損なわれているために、いろんなかたちで引き起こされる発達障碍です。しかも心因性じゃなくて、器質の障碍。先天性の身体因を持って生まれた一種の欠損児、欠陥児が自閉症児なんです。だから、自閉症の原因は、ひと頃マスコミでさわがれた「心の病気」とか「カギっ子」のせいではない。まして「母源病」とか親の養育方法の誤りに起因するものじゃあ全然ないんだな。」
しゃべりながら次第に興奮してきたS先生は、ここでお父さんとお母さんの質問に答えながらまた自閉症について語り始めました。
「そうですねえ、この障碍は2歳半ごろまでに代表的な症状が出そろいますねえ。例えば、それまでにちょっと出始めていた言葉が出なくなっちゃって、会話なんかほとんどできないこと。それからキャッチボールがうまくできない「運動の障碍」もある。さらに「同一性への固執」といって、水道からチョロチョロ流れる水とか、ドブの穴、扇風機やかざぐるまのようなぐるぐる回るものなどに四六時ちゅうこだわる子もいます。あんな何の変哲もないものに、まるで魅入られたように引きつけられるんですね。
あとは遊びができない。例えば汽車ポッポなら汽車ポッポを道具として使って、友達と一緒に遊ぶというようなことが全然できない。汽車ポッポの特定の一部、ぐるぐる回る車輪とかエントツの穴にしか興味がない子もいます。それを僕たちは「遊びの常同性」とか「行動のパターン化」とか呼んでいますが、ともかく非常に狭い限定された形でしか遊べないし、社会性を持った行動ができないことが多い。もちろん年齢とともにだんだん進歩する子もいるし、いろんな面で健常者のレベルに近づいていく子どももいますが、その反対に発達がとまっちゃう子もいるようです」
限りなく心冷えゆくLEDブルー 茫洋
今日は大好きな横浜線に乗って東神奈川で降りて「小児療育センター」へ行きました。そして、脳波をとりました。脳波のギザギザの線を指差しながら、S先生は、ここいら辺がちょいとゆるいんだとね、と、仰いました。
中脳の辺りに僕のウイークポイントがあるそうです。そのウイークポイントのせいで、僕は周囲の状況がよくのみこめず、社会的な発達がかなり遅れているそうです。
S先生は、仰いました。「自閉症というと、自ら閉じこもる病気と誤解されて、オタクの人たちと一緒にされてしまいがちだけど、全然違う。大体からして自閉症は病気じゃないんです。脳の中枢神経系が生まれながらに損なわれているために、いろんなかたちで引き起こされる発達障碍です。しかも心因性じゃなくて、器質の障碍。先天性の身体因を持って生まれた一種の欠損児、欠陥児が自閉症児なんです。だから、自閉症の原因は、ひと頃マスコミでさわがれた「心の病気」とか「カギっ子」のせいではない。まして「母源病」とか親の養育方法の誤りに起因するものじゃあ全然ないんだな。」
しゃべりながら次第に興奮してきたS先生は、ここでお父さんとお母さんの質問に答えながらまた自閉症について語り始めました。
「そうですねえ、この障碍は2歳半ごろまでに代表的な症状が出そろいますねえ。例えば、それまでにちょっと出始めていた言葉が出なくなっちゃって、会話なんかほとんどできないこと。それからキャッチボールがうまくできない「運動の障碍」もある。さらに「同一性への固執」といって、水道からチョロチョロ流れる水とか、ドブの穴、扇風機やかざぐるまのようなぐるぐる回るものなどに四六時ちゅうこだわる子もいます。あんな何の変哲もないものに、まるで魅入られたように引きつけられるんですね。
あとは遊びができない。例えば汽車ポッポなら汽車ポッポを道具として使って、友達と一緒に遊ぶというようなことが全然できない。汽車ポッポの特定の一部、ぐるぐる回る車輪とかエントツの穴にしか興味がない子もいます。それを僕たちは「遊びの常同性」とか「行動のパターン化」とか呼んでいますが、ともかく非常に狭い限定された形でしか遊べないし、社会性を持った行動ができないことが多い。もちろん年齢とともにだんだん進歩する子もいるし、いろんな面で健常者のレベルに近づいていく子どももいますが、その反対に発達がとまっちゃう子もいるようです」
限りなく心冷えゆくLEDブルー 茫洋
Wednesday, December 16, 2009
梟が鳴く森で 第11回
9月24日
おばあちゃんと一緒に、谷口さんちへピアノのお稽古に行きました。
谷口さんはお母さんの友だちで、とても親切なおばさんです。僕のような人間があんなに難しい楽器をひけるようになるとは絶対に思っていなかったはずです。僕が5歳で、おばあちゃんが60歳で、お母さんが35歳で、空くんが3歳のときにみんなそろって谷口家にピアノを習いに行ったのですが、いまでも続いているのは70歳のおばあちゃんと僕だけです。
おばあちゃんは、早くバイエルを終えて、フォスターの「草競馬」や「庭の千草」や「夏の思い出」などを自由自在にひけるようになるのが夢です。♪オオドゥダアデエ~
僕は、もうバイエルを終って、ハノンに入って、いまではブルグミュラーの「おしゃべり」や「無邪気」とかバッハの「メヌエット」をひいています。シューマンの「楽しき農夫」はなんとかひけますが、おなじシューマンの「最初のそんしつ」は難しいです。
脳のいかれたお前がどうしてピアノをひけるようになったのかねえ。俺はいくら頑張ってもバイエルの77番までしか進めなかったのにねえ、とお父さんはあきれ顔ですが、本当は僕にモーツアルトをひいてほしいのです。岳のやつがケッヘル475のニ短調幻想曲をひいてくれたら、俺はそれを聞きながら死んでもいいや、と言っていたのを僕は知っているからです。
でも僕はまだモーツアルトをひいてあげません。モーツアルトはとても難しいのよ、と谷口先生は仰っています。僕も同感です。せめてクラウディオ・アラウくらいの年齢になってからモーツアルトはひいてみたいとかんがえています。
♪モーツアルトはとても難しいのよと谷口先生語りき 茫洋
おばあちゃんと一緒に、谷口さんちへピアノのお稽古に行きました。
谷口さんはお母さんの友だちで、とても親切なおばさんです。僕のような人間があんなに難しい楽器をひけるようになるとは絶対に思っていなかったはずです。僕が5歳で、おばあちゃんが60歳で、お母さんが35歳で、空くんが3歳のときにみんなそろって谷口家にピアノを習いに行ったのですが、いまでも続いているのは70歳のおばあちゃんと僕だけです。
おばあちゃんは、早くバイエルを終えて、フォスターの「草競馬」や「庭の千草」や「夏の思い出」などを自由自在にひけるようになるのが夢です。♪オオドゥダアデエ~
僕は、もうバイエルを終って、ハノンに入って、いまではブルグミュラーの「おしゃべり」や「無邪気」とかバッハの「メヌエット」をひいています。シューマンの「楽しき農夫」はなんとかひけますが、おなじシューマンの「最初のそんしつ」は難しいです。
脳のいかれたお前がどうしてピアノをひけるようになったのかねえ。俺はいくら頑張ってもバイエルの77番までしか進めなかったのにねえ、とお父さんはあきれ顔ですが、本当は僕にモーツアルトをひいてほしいのです。岳のやつがケッヘル475のニ短調幻想曲をひいてくれたら、俺はそれを聞きながら死んでもいいや、と言っていたのを僕は知っているからです。
でも僕はまだモーツアルトをひいてあげません。モーツアルトはとても難しいのよ、と谷口先生は仰っています。僕も同感です。せめてクラウディオ・アラウくらいの年齢になってからモーツアルトはひいてみたいとかんがえています。
♪モーツアルトはとても難しいのよと谷口先生語りき 茫洋
Tuesday, December 15, 2009
ポール・オースター著「ガラスの街」を読んで
照る日曇る日第317回
アメリカの人気作家の処女小説を柴田元幸氏の翻訳で読みました。この推理小説仕立ての物語は、以下のような特徴を持っているようです。
1)本文の英語はいざしらず、文章が春の小川のようにすいすい流れ、物語の推進力と話柄の転換が自在であり、作者は卓抜な構成力を持っていること。
2)なんと作者と同名の探偵と小説家が登場して、作中で重要な役割を果たすこと。
3)推理小説としては破綻しているが、推理小説という形式をとった純文学小説としては成功を収めていること。あるいは推理小説という形式の必然性を持った純文学小説であること。
4)登場人物に仮託して、作者は新しい言語の創造と人類の再統合を夢見ていること。また「ドンキホーテ」という小説の成立と作者セルバンテスの関係についてユニークな考察を行っていること。
5)事件の真相はまったく解明されず、読者は唐突に放り出された地点が物語の結末になるのだが、その不条理な感覚こそが作者の狙いであること。
最後にこの小説のとても印象的な箇所を引用しておきましょう。
「それはit is raining 、it is nightと言うときitが指すものに似ている。そのitが何を指すのか、クインはこれまでずっとわかったためしがなかった。あるがままの物たちの全般的状況とでもいうか。世界がさまざまな出来事が生じる、その土台であるところの物事があるという状態。それ以上具体的には言えない。でもそもそも、自分は具体的なものなど探し求めていないのかもしれない。」
ふむ。なるほど。しかしもっと気になるのはマイケル・ジャクソンのthis is itです。「さあ、いよいよだぜー」などというアメリカ口語を用いながら、いったい何がitで何がthisだと、はたしてこの希代の踊亡者にはわかっていたのでしょうか。
♪this is itこれがそれそのitってなんじゃらほいMr.マイケル 茫洋
アメリカの人気作家の処女小説を柴田元幸氏の翻訳で読みました。この推理小説仕立ての物語は、以下のような特徴を持っているようです。
1)本文の英語はいざしらず、文章が春の小川のようにすいすい流れ、物語の推進力と話柄の転換が自在であり、作者は卓抜な構成力を持っていること。
2)なんと作者と同名の探偵と小説家が登場して、作中で重要な役割を果たすこと。
3)推理小説としては破綻しているが、推理小説という形式をとった純文学小説としては成功を収めていること。あるいは推理小説という形式の必然性を持った純文学小説であること。
4)登場人物に仮託して、作者は新しい言語の創造と人類の再統合を夢見ていること。また「ドンキホーテ」という小説の成立と作者セルバンテスの関係についてユニークな考察を行っていること。
5)事件の真相はまったく解明されず、読者は唐突に放り出された地点が物語の結末になるのだが、その不条理な感覚こそが作者の狙いであること。
最後にこの小説のとても印象的な箇所を引用しておきましょう。
「それはit is raining 、it is nightと言うときitが指すものに似ている。そのitが何を指すのか、クインはこれまでずっとわかったためしがなかった。あるがままの物たちの全般的状況とでもいうか。世界がさまざまな出来事が生じる、その土台であるところの物事があるという状態。それ以上具体的には言えない。でもそもそも、自分は具体的なものなど探し求めていないのかもしれない。」
ふむ。なるほど。しかしもっと気になるのはマイケル・ジャクソンのthis is itです。「さあ、いよいよだぜー」などというアメリカ口語を用いながら、いったい何がitで何がthisだと、はたしてこの希代の踊亡者にはわかっていたのでしょうか。
♪this is itこれがそれそのitってなんじゃらほいMr.マイケル 茫洋
Monday, December 14, 2009
金原ひとみ著「憂鬱たち」を読んで
照る日曇る日第316回
なんらかの理由で強烈なストレスをこうむり、強迫神経症ではないかと自分を疑っている若い女性、神田憂が、この物語の主人公です。
我々ならば別段気にも留めない日常茶飯事に対して、彼女はきわめて敏感に、過剰に反応し、喜怒哀楽が激しいのです。とりわけ諸事万端に対して「憂鬱」を感じてしまいます。
この本を読みながら、私は昔勤めていた会社の田村君という人のことをはしなくも思い出しました。田村君は仕事が行き詰まるといつも天井を向いて、「憂鬱のうつ!」と怒鳴って己の心身の内部に生じたやり場のない感情を外部に発散させていました。
田村君の隣に座っている上司の長谷部さんも同様にストレスを抱えていたようで、行き詰まった時には、「ヌルヌルの蛇があー!ヌルヌルの蛇があー!」と何度も抑揚をつけて清元節のように怒鳴り、隣の人事課の人たちをびっくりさせていましたから、この「ヌルヌルの蛇」が田村君の「憂鬱のうつ!」に連動した可能性はおおいにあります。
このような会社や会社員は、昔も今も日本全国いたるところに存在しているでしょうし、そう考えればこの小説の主人公がおかれている状況についてもたやすく感情移入することができます。そう、いまや神田憂的症状は、きわめてトレンディーなのです。
しかしこの小説の主人公が、いとも簡単に陰部が濡れてしまう、と告白しているのはかなり問題です。街のそこかしこで出会う男性を見れば、その男と変態セックスしている自分を想像してあそこがうずいて困ってしまう、というのはきっと性的に満たされないなにかがあるに違いありません。
それなのに彼女はなかなか精神科に行こうとはしない。今日こそは行こう、行こうと思って自宅を出るのですが、たとえば秋葉原のラオックスへ行って店員のウスイ君からデンマを買ってしまったり、ベンツの座席でいやらしい中年男にまたがって顔面騎乗したり、その気もないのにインダストリアル・ピアッシングをしてしまったり、あろうことか耳鼻科へ行ってしまったりしている。
これでは病状はますます悪化するほかありません。こんな性的妄想満載ポルノ小説を書いている暇があったら、一刻も早く精神科へ行くべきでしょうね。冗談はともかく、見事な技巧を駆使して構築された自我探求小説です。
♪これはフィクションか私小説かどっちでもいいけどそれが問題だ 茫洋
なんらかの理由で強烈なストレスをこうむり、強迫神経症ではないかと自分を疑っている若い女性、神田憂が、この物語の主人公です。
我々ならば別段気にも留めない日常茶飯事に対して、彼女はきわめて敏感に、過剰に反応し、喜怒哀楽が激しいのです。とりわけ諸事万端に対して「憂鬱」を感じてしまいます。
この本を読みながら、私は昔勤めていた会社の田村君という人のことをはしなくも思い出しました。田村君は仕事が行き詰まるといつも天井を向いて、「憂鬱のうつ!」と怒鳴って己の心身の内部に生じたやり場のない感情を外部に発散させていました。
田村君の隣に座っている上司の長谷部さんも同様にストレスを抱えていたようで、行き詰まった時には、「ヌルヌルの蛇があー!ヌルヌルの蛇があー!」と何度も抑揚をつけて清元節のように怒鳴り、隣の人事課の人たちをびっくりさせていましたから、この「ヌルヌルの蛇」が田村君の「憂鬱のうつ!」に連動した可能性はおおいにあります。
このような会社や会社員は、昔も今も日本全国いたるところに存在しているでしょうし、そう考えればこの小説の主人公がおかれている状況についてもたやすく感情移入することができます。そう、いまや神田憂的症状は、きわめてトレンディーなのです。
しかしこの小説の主人公が、いとも簡単に陰部が濡れてしまう、と告白しているのはかなり問題です。街のそこかしこで出会う男性を見れば、その男と変態セックスしている自分を想像してあそこがうずいて困ってしまう、というのはきっと性的に満たされないなにかがあるに違いありません。
それなのに彼女はなかなか精神科に行こうとはしない。今日こそは行こう、行こうと思って自宅を出るのですが、たとえば秋葉原のラオックスへ行って店員のウスイ君からデンマを買ってしまったり、ベンツの座席でいやらしい中年男にまたがって顔面騎乗したり、その気もないのにインダストリアル・ピアッシングをしてしまったり、あろうことか耳鼻科へ行ってしまったりしている。
これでは病状はますます悪化するほかありません。こんな性的妄想満載ポルノ小説を書いている暇があったら、一刻も早く精神科へ行くべきでしょうね。冗談はともかく、見事な技巧を駆使して構築された自我探求小説です。
♪これはフィクションか私小説かどっちでもいいけどそれが問題だ 茫洋
滑川の生物調査
滑川の生物調査
鎌倉ちょっと不思議な物語第209回
近所の滑川に散歩に行きましたら、神奈川県の委嘱を受けた河川調査会社の2名のスタッフが、川岸にどっかり座りこんで、すくい取った川の水をにらんでいました。聞けば神奈川県のすべての河川の生物調査をしているというのです。
お弁当箱2つ分くらいの大きさのアルミの箱を、川のあちこち、とりわけ岸辺の魚なんかがいそうなところにグイとつっこんで、そこに入った生き物を調べて、フィールドノートに書き込んでいくという、胸がわくわくするような素敵な仕事です。
2人のうち年配の方に、「なにがいましたか?」と興味津々で尋ねると、「ヤゴがいっぱいいますよ」とニコニコ顔で答えてくれました。きっと大学の理学部とか農学部、水産大学などを卒業した人なのでしょうが、ほんとうは私はこういう仕事を職業にしたかったのです。
「どうしてこんな寒い冬にわざわざ調べているんですか?」と尋ねると、
「もちろん夏も調査しましたが、冬場の方が魚も生き物も川床の地面にもぐりこんでいるから効率がいいんですよ」という返事。なるほどと得心しました。
次に「カワニナはどうですか?」と聞いてみましたが、「見当たらない」という返事。鎌倉はこの秋に大きな台風に襲われ滑川の上流から由比ヶ浜の河口まで2度ほど急流があるとあらゆるものを押し流しましたから、これから数年は天然鎌倉産のヘイケボタルは見られないかもしれません。
無口な若い方のスタッフがすくっている辺りを指差して、「ほら、そこのところに巨大なウナギがいて、うちの健ちゃんが両手でつかまえたんですよ」と私が自慢すると、
「ウナギはいますよ。この川は汽水性だから、ウナギもハヤもモズクガニも巻貝もみんな海から上がってくるんです。いくら台風がやってきても大丈夫。」と、その童顔のおじさんが教えてくれました。
私が「サケを見かけませんでしたか?」と聞くと、「滑川では見ないですね。もともと産卵もしていない川に、そんな魚が上がってくると困ったことになりますな」と最近のサケ逆上遡上現象を憂いていました。
「横浜や川崎は高度成長期に一度河川は死んだんです。死んだ河川を無理矢理復活させたので、最近はすこし良くなった。そこへ行くと鎌倉の川はとてもきれいで生物も豊かですね」という調査おじさんの言葉を聞いて、その貴重な自然環境を大切にしなければと思ったことでした。
♪健ちゃんが大格闘して捕まえし巨大ウナギいまいずこ 茫洋
鎌倉ちょっと不思議な物語第209回
近所の滑川に散歩に行きましたら、神奈川県の委嘱を受けた河川調査会社の2名のスタッフが、川岸にどっかり座りこんで、すくい取った川の水をにらんでいました。聞けば神奈川県のすべての河川の生物調査をしているというのです。
お弁当箱2つ分くらいの大きさのアルミの箱を、川のあちこち、とりわけ岸辺の魚なんかがいそうなところにグイとつっこんで、そこに入った生き物を調べて、フィールドノートに書き込んでいくという、胸がわくわくするような素敵な仕事です。
2人のうち年配の方に、「なにがいましたか?」と興味津々で尋ねると、「ヤゴがいっぱいいますよ」とニコニコ顔で答えてくれました。きっと大学の理学部とか農学部、水産大学などを卒業した人なのでしょうが、ほんとうは私はこういう仕事を職業にしたかったのです。
「どうしてこんな寒い冬にわざわざ調べているんですか?」と尋ねると、
「もちろん夏も調査しましたが、冬場の方が魚も生き物も川床の地面にもぐりこんでいるから効率がいいんですよ」という返事。なるほどと得心しました。
次に「カワニナはどうですか?」と聞いてみましたが、「見当たらない」という返事。鎌倉はこの秋に大きな台風に襲われ滑川の上流から由比ヶ浜の河口まで2度ほど急流があるとあらゆるものを押し流しましたから、これから数年は天然鎌倉産のヘイケボタルは見られないかもしれません。
無口な若い方のスタッフがすくっている辺りを指差して、「ほら、そこのところに巨大なウナギがいて、うちの健ちゃんが両手でつかまえたんですよ」と私が自慢すると、
「ウナギはいますよ。この川は汽水性だから、ウナギもハヤもモズクガニも巻貝もみんな海から上がってくるんです。いくら台風がやってきても大丈夫。」と、その童顔のおじさんが教えてくれました。
私が「サケを見かけませんでしたか?」と聞くと、「滑川では見ないですね。もともと産卵もしていない川に、そんな魚が上がってくると困ったことになりますな」と最近のサケ逆上遡上現象を憂いていました。
「横浜や川崎は高度成長期に一度河川は死んだんです。死んだ河川を無理矢理復活させたので、最近はすこし良くなった。そこへ行くと鎌倉の川はとてもきれいで生物も豊かですね」という調査おじさんの言葉を聞いて、その貴重な自然環境を大切にしなければと思ったことでした。
♪健ちゃんが大格闘して捕まえし巨大ウナギいまいずこ 茫洋
Saturday, December 12, 2009
渡辺保著「江戸演劇史 上」を読んで
照る日曇る日第315回
近世の演劇、能・狂言・歌舞伎を論ずるためには、その淵源をなした中世の演劇の歴史にさかのぼる必要があるということで、本書は慶長3年1598年8月18日の秀吉の死から書き始められています。
信長、秀吉、家康という3人の独裁者は、3人3様に能や風流踊を愛したわけですが、徳川政権が確立するに及んで、能楽は民衆の手から奪われ、官許式楽として奉られて武家の権威と格式の内部空間に囲い込まれて芸術生命を枯渇していきます。また狂言も古典劇化したのに、歌舞伎と浄瑠璃はなぜか世につれて生き延び、「時分の花」を咲かせ続けることに成功しました。ここに江戸演劇の勘所があると著者は強調しています。
出雲のお国が初めて京の都で「歌舞伎踊」を踊ったのは慶長5年7月1日、ここから現在の歌舞伎につながる芸能の歴史が始まりました。
京の女歌舞伎、遊女歌舞伎が各地へ下るなかで、寛永元年1624年には江戸に猿若座ができ、有名な江戸三座をはじめ京、大坂を合わせた「三都の櫓」は、不況や幕府による政治的弾圧(若衆歌舞伎の禁止や小屋取り壊し、所替の強要など)、人形浄瑠璃の隆盛といった外部的要因のみならず、江島生島事件、団十郎刺殺事件のような規律の乱れや芸術的未成熟などの内部要因によって何度も大きく揺らいできました。
しかしそれらの崩壊の危機をそのつど救ったのは、古浄瑠璃以来の伝統の力とライバルである人形浄瑠璃の創造性、そしてその時々の民衆の潜在ニーズを大胆不敵に取り込んだ座主や作者や役者の進取の精神でした。
元禄時代における竹本座の開場と竹田出雲、竹本義太夫、歌舞伎作者近松門左衛門の黄金コンビが歌舞伎に与えた影響はつとに有名ですが、以後宝永、正徳、享保、宝暦と時代が下がるにつれて団十郎、藤十郎、沢之丞、海老蔵、宗十郎、富十郎、菊之丞、幸四郎、歌右衛門などの名優がひきもきらず登場し、近松亡き後の合作者、竹田小出雲、並木宗輔、近松半二、並木正三、千柳などの優れた脚本家、薩摩浄雲、杉山丹後掾、宮古路豊後掾以降の名人音楽家たちの活躍によって、「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」などの名作が陸続と登場するのです。
本書の白眉は、疑いもなく江戸という都市と時代と芝居を、「桜花の幻想」というキーワードで鮮やかに関連づけた第六章の「満開の桜の下で」しょう。
それは「仮名手本忠臣蔵」が完成した寛延元年1748年の翌年に吉原に植えられた夜桜見物のにぎわいの描写にはじまるのですが、やがて江戸の市中を埋め尽くした桜花幻想は、舞台の劇場空間をも美しい魔物のように覆い尽くし、ついに「京鹿子娘道成寺」を踊る続ける女形のトップスター富十郎の上にも、はらはらと舞い落ちるのです。
「この格段の美しさは、さながら舞台に咲く桜の花を思わせる美しさである。ほかの多くの花と違って桜は一輪二輪の花ではない。一本の枝に無数に咲く。その枝が集まって一本の樹となり、その樹がさらに集まって桜の林となり、全山桜となり、ついには花の雲になる。この桜の不思議な美しさが「京鹿子」の構成によく似ている」
と著者は述べていますが、この魅力的な歌舞伎踊の本質をじつにうまくとらえていると思います。
♪ひたすらに踊りてやまぬ歌右衛門その手のうえにも桜降りしく 茫洋
近世の演劇、能・狂言・歌舞伎を論ずるためには、その淵源をなした中世の演劇の歴史にさかのぼる必要があるということで、本書は慶長3年1598年8月18日の秀吉の死から書き始められています。
信長、秀吉、家康という3人の独裁者は、3人3様に能や風流踊を愛したわけですが、徳川政権が確立するに及んで、能楽は民衆の手から奪われ、官許式楽として奉られて武家の権威と格式の内部空間に囲い込まれて芸術生命を枯渇していきます。また狂言も古典劇化したのに、歌舞伎と浄瑠璃はなぜか世につれて生き延び、「時分の花」を咲かせ続けることに成功しました。ここに江戸演劇の勘所があると著者は強調しています。
出雲のお国が初めて京の都で「歌舞伎踊」を踊ったのは慶長5年7月1日、ここから現在の歌舞伎につながる芸能の歴史が始まりました。
京の女歌舞伎、遊女歌舞伎が各地へ下るなかで、寛永元年1624年には江戸に猿若座ができ、有名な江戸三座をはじめ京、大坂を合わせた「三都の櫓」は、不況や幕府による政治的弾圧(若衆歌舞伎の禁止や小屋取り壊し、所替の強要など)、人形浄瑠璃の隆盛といった外部的要因のみならず、江島生島事件、団十郎刺殺事件のような規律の乱れや芸術的未成熟などの内部要因によって何度も大きく揺らいできました。
しかしそれらの崩壊の危機をそのつど救ったのは、古浄瑠璃以来の伝統の力とライバルである人形浄瑠璃の創造性、そしてその時々の民衆の潜在ニーズを大胆不敵に取り込んだ座主や作者や役者の進取の精神でした。
元禄時代における竹本座の開場と竹田出雲、竹本義太夫、歌舞伎作者近松門左衛門の黄金コンビが歌舞伎に与えた影響はつとに有名ですが、以後宝永、正徳、享保、宝暦と時代が下がるにつれて団十郎、藤十郎、沢之丞、海老蔵、宗十郎、富十郎、菊之丞、幸四郎、歌右衛門などの名優がひきもきらず登場し、近松亡き後の合作者、竹田小出雲、並木宗輔、近松半二、並木正三、千柳などの優れた脚本家、薩摩浄雲、杉山丹後掾、宮古路豊後掾以降の名人音楽家たちの活躍によって、「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」などの名作が陸続と登場するのです。
本書の白眉は、疑いもなく江戸という都市と時代と芝居を、「桜花の幻想」というキーワードで鮮やかに関連づけた第六章の「満開の桜の下で」しょう。
それは「仮名手本忠臣蔵」が完成した寛延元年1748年の翌年に吉原に植えられた夜桜見物のにぎわいの描写にはじまるのですが、やがて江戸の市中を埋め尽くした桜花幻想は、舞台の劇場空間をも美しい魔物のように覆い尽くし、ついに「京鹿子娘道成寺」を踊る続ける女形のトップスター富十郎の上にも、はらはらと舞い落ちるのです。
「この格段の美しさは、さながら舞台に咲く桜の花を思わせる美しさである。ほかの多くの花と違って桜は一輪二輪の花ではない。一本の枝に無数に咲く。その枝が集まって一本の樹となり、その樹がさらに集まって桜の林となり、全山桜となり、ついには花の雲になる。この桜の不思議な美しさが「京鹿子」の構成によく似ている」
と著者は述べていますが、この魅力的な歌舞伎踊の本質をじつにうまくとらえていると思います。
♪ひたすらに踊りてやまぬ歌右衛門その手のうえにも桜降りしく 茫洋
梟が鳴く森で 第10回
9月23日
今日お父さんが外国人を家へ連れてきました。ジェーン・バーキンさんというきれいな女優さんとそのご主人で映画監督のジャック・ドワイヨンさんです。
ふたりはとっても仲が良くてうらやましいほどでした。僕もあんなきれいな女の人と結婚したいなあ、と思いました。
ジェーンさんは、まるで小鳥がさえずっているような不思議な言葉でずーっとしゃべりっぱなしでした。
お父さんからあとで聞いた話では、ジェーンさんのお友達の映画監督のウッデイさんという人は、ニューヨークというところに15人くらいの子どもと一緒に住んでいて、その子供というのは全部ウッデイさんの実際の子どもではないひとばかりで、その中にはベトナム戦争という大戦争でみなしごになった子どもや、僕と同じような子どももいるそうです。
お父さんは、それって、とってもすごいことなんだぞお、と教えてくれました。
ジェーンさんは、お母さんからスキヤキをどっさりごちそうになって帰るとき、僕のホッペにチュ!とキスしてくれましたが、そのときとってもいい匂いがしました。
お父さんの話では、あれはシャネルのエゴイストという名前の香水のせいなんだそうです。
エゴイストってどういう意味?と僕が尋ねると、自分勝手な奴だよ。そういう人間になったら人間終わりだよ、とお父さんがまた教えてくれました。
僕のお母さんはエゴイストではありません。生協のちふれです。
ジェーンとドワイヨンさんは、玄関口で、オ・ルボワールと言いました。
オ・ルボワールとは、フランス語でさよならという意味だそうです。そして、もう一度会おうね、という意味だそうです。
オ・ルボワール・ジェーン!
オ・ルボワール・ジャック!
と言いながら、僕はこの人たちにもう一度会えるだろうか、会えたらいいな、と思っていました。
♪鎌倉の谷戸に眠れるホロビッツそのCDは朽ち果てにけり
今日お父さんが外国人を家へ連れてきました。ジェーン・バーキンさんというきれいな女優さんとそのご主人で映画監督のジャック・ドワイヨンさんです。
ふたりはとっても仲が良くてうらやましいほどでした。僕もあんなきれいな女の人と結婚したいなあ、と思いました。
ジェーンさんは、まるで小鳥がさえずっているような不思議な言葉でずーっとしゃべりっぱなしでした。
お父さんからあとで聞いた話では、ジェーンさんのお友達の映画監督のウッデイさんという人は、ニューヨークというところに15人くらいの子どもと一緒に住んでいて、その子供というのは全部ウッデイさんの実際の子どもではないひとばかりで、その中にはベトナム戦争という大戦争でみなしごになった子どもや、僕と同じような子どももいるそうです。
お父さんは、それって、とってもすごいことなんだぞお、と教えてくれました。
ジェーンさんは、お母さんからスキヤキをどっさりごちそうになって帰るとき、僕のホッペにチュ!とキスしてくれましたが、そのときとってもいい匂いがしました。
お父さんの話では、あれはシャネルのエゴイストという名前の香水のせいなんだそうです。
エゴイストってどういう意味?と僕が尋ねると、自分勝手な奴だよ。そういう人間になったら人間終わりだよ、とお父さんがまた教えてくれました。
僕のお母さんはエゴイストではありません。生協のちふれです。
ジェーンとドワイヨンさんは、玄関口で、オ・ルボワールと言いました。
オ・ルボワールとは、フランス語でさよならという意味だそうです。そして、もう一度会おうね、という意味だそうです。
オ・ルボワール・ジェーン!
オ・ルボワール・ジャック!
と言いながら、僕はこの人たちにもう一度会えるだろうか、会えたらいいな、と思っていました。
♪鎌倉の谷戸に眠れるホロビッツそのCDは朽ち果てにけり
Thursday, December 10, 2009
吉田秀和著「之を楽しむ者に如かず」を読む
照る日曇る日第314回&♪音楽千夜一夜第99回
覚えず「読む」と書きましたが、活字を読みながら、音楽が流れてくるような文章を、この達人は書くのであります。それはこの人が音楽評論家であって、だからこの人の文章が、音楽に触れているから、というそんな下らない理由だけではなくて、――非音楽的な文章を書く音楽評論家は多い――この人の文が音符のようにつづられ実際に音が鳴り響くような気がしてくることすらあるから、やはり文章を書くということはすごいことなんだと思い知らされるのですね。
例えばブダペスト弦楽四重奏団が1951年に入れたラズモフスキー第1番ト長調。ロベール・カサドシュのモーツアルトのK467の協奏曲、シャンドール・ヴェーグがカメラータ・アカデミカと死ぬ前に録音したモーツアルトのディヴェルティメントとセレナーデ。シモン・ゴールドベルクとラド・ルプーによるモーツアルトのヴァイオリンソナタ、グルダのピアノソナタと協奏曲、――もちろんモーツアルトの、ね――。クルト・ザンデルリングとドレスデン・シュターツカペレによるベートーヴェンの8番、その他その他の名曲の名指揮者による名演奏を、吉田翁は利休が茶器のひとつひとつをいとおしみつつなでるように愛でている。
私たち読者は、ほれほれ、もうその旋律が、その和音が、耳の前や後ろでかすかに鳴り響いているというのに、之を聴かずにおらりょうか、となるのです。
これらのうちで吉田翁がもっとも称揚されていると私が勝手に推察するのは、シャンドール・ヴェーグが晩年にザルツブルグで録音したモーツアルトです。独カプリッチョ盤――現在タワレコやHMV通販で超格安にて販売中、これを聴かずに死ねるか的超名盤中の名盤――に収められたディヴェルティメントとセレナーデの全曲を、私も吉田翁に勧められるまでもなくつとに愛聴しています。
翁が仰るように、「楷書の端然とした筆遣いだが、ちっとも堅苦しくないきれいな音で弾いている。(中略)これらの曲特有のあの苦さ、陰影の深い暗さの表出の点でも間然するところがない」。
ところで本書p450によれば、吉田翁は最晩年のヴェーグを水戸室内管に招聘したところ快諾してくれたので、楽しみに待っていたところ突然の訃報を聞いてショックを受けられ、「痛恨の極みとは、こういうことを言うのだろう」と書かれていますが、その気持ちはよく分かります。
蛇足ながら、私がこれまでに聴いたベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集の最高の録音は70年代半ばのヴェーグ四重奏団の演奏(仏Valois盤)で、同じヴェーグQtの旧録も素晴らしかったが、アルバンベルクQtの2度の録音(DVDを入れると3度ですが)など足元にも寄せ付けない名演奏です。
♪心より心にしみる弦の音シャンドール・ヴェーグの遺言と聴く 茫洋
覚えず「読む」と書きましたが、活字を読みながら、音楽が流れてくるような文章を、この達人は書くのであります。それはこの人が音楽評論家であって、だからこの人の文章が、音楽に触れているから、というそんな下らない理由だけではなくて、――非音楽的な文章を書く音楽評論家は多い――この人の文が音符のようにつづられ実際に音が鳴り響くような気がしてくることすらあるから、やはり文章を書くということはすごいことなんだと思い知らされるのですね。
例えばブダペスト弦楽四重奏団が1951年に入れたラズモフスキー第1番ト長調。ロベール・カサドシュのモーツアルトのK467の協奏曲、シャンドール・ヴェーグがカメラータ・アカデミカと死ぬ前に録音したモーツアルトのディヴェルティメントとセレナーデ。シモン・ゴールドベルクとラド・ルプーによるモーツアルトのヴァイオリンソナタ、グルダのピアノソナタと協奏曲、――もちろんモーツアルトの、ね――。クルト・ザンデルリングとドレスデン・シュターツカペレによるベートーヴェンの8番、その他その他の名曲の名指揮者による名演奏を、吉田翁は利休が茶器のひとつひとつをいとおしみつつなでるように愛でている。
私たち読者は、ほれほれ、もうその旋律が、その和音が、耳の前や後ろでかすかに鳴り響いているというのに、之を聴かずにおらりょうか、となるのです。
これらのうちで吉田翁がもっとも称揚されていると私が勝手に推察するのは、シャンドール・ヴェーグが晩年にザルツブルグで録音したモーツアルトです。独カプリッチョ盤――現在タワレコやHMV通販で超格安にて販売中、これを聴かずに死ねるか的超名盤中の名盤――に収められたディヴェルティメントとセレナーデの全曲を、私も吉田翁に勧められるまでもなくつとに愛聴しています。
翁が仰るように、「楷書の端然とした筆遣いだが、ちっとも堅苦しくないきれいな音で弾いている。(中略)これらの曲特有のあの苦さ、陰影の深い暗さの表出の点でも間然するところがない」。
ところで本書p450によれば、吉田翁は最晩年のヴェーグを水戸室内管に招聘したところ快諾してくれたので、楽しみに待っていたところ突然の訃報を聞いてショックを受けられ、「痛恨の極みとは、こういうことを言うのだろう」と書かれていますが、その気持ちはよく分かります。
蛇足ながら、私がこれまでに聴いたベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集の最高の録音は70年代半ばのヴェーグ四重奏団の演奏(仏Valois盤)で、同じヴェーグQtの旧録も素晴らしかったが、アルバンベルクQtの2度の録音(DVDを入れると3度ですが)など足元にも寄せ付けない名演奏です。
♪心より心にしみる弦の音シャンドール・ヴェーグの遺言と聴く 茫洋
Wednesday, December 09, 2009
松本清張原作・堀川弘通監督「黒の画集」を見る
闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.21
生誕100年記念とかいうことで松本清張原作の映画「黒の画集」をテレビで放映していました。
東京の丸ビルの4階にある中堅テキスタイル企業の庶務課長が主人公です。浮気している部下のOLのアパートの近所で顔見知りの保険外交員に挨拶する。ところがその男に殺人の容疑がかけられ、課長の証言がなければ有罪になってしまう。
しかし証言すれば不倫が公にされて、順風満帆だった人生が破滅してしまうかも知れない。というプロットがまさに清張一流の形で、物語は途中のしばしのアダージオをはさみながら、ラストの一大カタストロフめがけて急流をいっさんに下るようにアレグロで展開します。
脚本は黒沢作品もよくてがけた橋本忍ですが、物語の話者を主人公にしたのは疑問。悲劇の構造をもっと客観的に浮き彫りする手法がほかにあったはずです。
監督はベテラン堀川弘通で万事そつがない。小林桂樹がどつぼにはまったサラリーマン課長を力演していますが、それもむべなるかな。この映画が製作された1960年の40年後には、このポストが社長への近道となる出世コースとなるのです。
それはともかく、小林桂樹の愛人に扮した原知佐子の小悪魔的な演技を筆頭に、その妻に扮した中北千枝子、保険外交員役の平田昭彦、刑事役の西村晃などの脇役陣が比類なく充実していて見事。半世紀前の日本映画には、つまらない映画でさえもどこか記憶に値する独特の存在感がありました。
別にこの映画や、平成の御代の最新の映画がすべてつまらない、というわけではありませんが。
♪あら懐かし三菱がぶっこわした丸ビルがこの映画でよみがえる 茫洋
生誕100年記念とかいうことで松本清張原作の映画「黒の画集」をテレビで放映していました。
東京の丸ビルの4階にある中堅テキスタイル企業の庶務課長が主人公です。浮気している部下のOLのアパートの近所で顔見知りの保険外交員に挨拶する。ところがその男に殺人の容疑がかけられ、課長の証言がなければ有罪になってしまう。
しかし証言すれば不倫が公にされて、順風満帆だった人生が破滅してしまうかも知れない。というプロットがまさに清張一流の形で、物語は途中のしばしのアダージオをはさみながら、ラストの一大カタストロフめがけて急流をいっさんに下るようにアレグロで展開します。
脚本は黒沢作品もよくてがけた橋本忍ですが、物語の話者を主人公にしたのは疑問。悲劇の構造をもっと客観的に浮き彫りする手法がほかにあったはずです。
監督はベテラン堀川弘通で万事そつがない。小林桂樹がどつぼにはまったサラリーマン課長を力演していますが、それもむべなるかな。この映画が製作された1960年の40年後には、このポストが社長への近道となる出世コースとなるのです。
それはともかく、小林桂樹の愛人に扮した原知佐子の小悪魔的な演技を筆頭に、その妻に扮した中北千枝子、保険外交員役の平田昭彦、刑事役の西村晃などの脇役陣が比類なく充実していて見事。半世紀前の日本映画には、つまらない映画でさえもどこか記憶に値する独特の存在感がありました。
別にこの映画や、平成の御代の最新の映画がすべてつまらない、というわけではありませんが。
♪あら懐かし三菱がぶっこわした丸ビルがこの映画でよみがえる 茫洋
Tuesday, December 08, 2009
「三井家のきものと下絵」展を見る
茫洋物見遊山記第7回&ふぁっちょん幻論第54回
新宿の文化学園服飾博物館では、「三井家のきものと下絵」展が12日まで開催されています。
三井家は、江戸時代の日本橋で越後屋呉服店を開店し、本邦最大規模の呉服小売店として大繁盛しました。維新後は三越などを中核とする財閥を形成しわが国の資本主義の発展と拡大を担ってきた名家ゆえに、歴代の和装品の数々を所蔵していましたが、その収蔵品の一部が現在この博物館の重要なコレクションとなっているわけです。
今回の展示会では、安土桃山時代以降、江戸、明治に至る様々な着物と下絵合わせて70余点が紹介されています。
それらを通覧して分かるのは、安土桃山時代の内掛けの衣装デザインの絢爛豪華さです。これは狩野派などの襖絵にも通じる要素ですが、豊臣が滅ぼされ、徳川の御代に転じるに従って、同じ山川松柏鶴亀のモチーフにしても構図とデザインの放胆さが次第に薄れ、小手先の技巧が勝っていく趨勢がみてとれます。
次はデザインの三次元化です。桃山、江戸初期、中期までは着物全体を二次元とみなした平面的な図柄が中心でしたが、江戸後期に入るとそれが立体的な構想をそなえた三次元デザインに進化します。内掛けの背後から眺める人の鑑賞を意識して、背中と胴体と下半身の各パーツに描かれる風景や植物や動物の位置や大きさが意図的にデフォルメされていくのです。デフォルメといっても、着物の鑑賞者にとってはより自然に生きた姿形として受け取られたわけです。
そして、このデザインの三次元化&デフォルメを実現するために、三井家に対して大きな影響を与えたのがわが丹波亀岡出身の画家、円山応挙でした。動植物の写生と西洋画伝来の遠近法を得意としたこの円山四条派の始祖は、それまでの着物を大きく改新するニューデザインを開発することによって、パトロンの期待と新ビジネス需要に応えたのでした。
本展には、亀居山大乗寺(応挙寺)所蔵の下絵もいくつか展示されており、これらを実際の内掛けと見比べてみるのも一興です。
♪丹波なる亀岡の里より出でし人応挙光秀王仁三郎 茫洋
新宿の文化学園服飾博物館では、「三井家のきものと下絵」展が12日まで開催されています。
三井家は、江戸時代の日本橋で越後屋呉服店を開店し、本邦最大規模の呉服小売店として大繁盛しました。維新後は三越などを中核とする財閥を形成しわが国の資本主義の発展と拡大を担ってきた名家ゆえに、歴代の和装品の数々を所蔵していましたが、その収蔵品の一部が現在この博物館の重要なコレクションとなっているわけです。
今回の展示会では、安土桃山時代以降、江戸、明治に至る様々な着物と下絵合わせて70余点が紹介されています。
それらを通覧して分かるのは、安土桃山時代の内掛けの衣装デザインの絢爛豪華さです。これは狩野派などの襖絵にも通じる要素ですが、豊臣が滅ぼされ、徳川の御代に転じるに従って、同じ山川松柏鶴亀のモチーフにしても構図とデザインの放胆さが次第に薄れ、小手先の技巧が勝っていく趨勢がみてとれます。
次はデザインの三次元化です。桃山、江戸初期、中期までは着物全体を二次元とみなした平面的な図柄が中心でしたが、江戸後期に入るとそれが立体的な構想をそなえた三次元デザインに進化します。内掛けの背後から眺める人の鑑賞を意識して、背中と胴体と下半身の各パーツに描かれる風景や植物や動物の位置や大きさが意図的にデフォルメされていくのです。デフォルメといっても、着物の鑑賞者にとってはより自然に生きた姿形として受け取られたわけです。
そして、このデザインの三次元化&デフォルメを実現するために、三井家に対して大きな影響を与えたのがわが丹波亀岡出身の画家、円山応挙でした。動植物の写生と西洋画伝来の遠近法を得意としたこの円山四条派の始祖は、それまでの着物を大きく改新するニューデザインを開発することによって、パトロンの期待と新ビジネス需要に応えたのでした。
本展には、亀居山大乗寺(応挙寺)所蔵の下絵もいくつか展示されており、これらを実際の内掛けと見比べてみるのも一興です。
♪丹波なる亀岡の里より出でし人応挙光秀王仁三郎 茫洋
Monday, December 07, 2009
私が好きなNHKの番組
バガテルop116
最近はケイタイのネットに押されて、新聞雑誌のみならずテレビの視聴率もどんどん下がってきたようで、たいへん結構なことだと思っています。つまらないものを無理してみることはありません。いいもの、すきなものだけ目にしておれば、人間きっと極楽往生できるでせう。
さて私は民放が苦手なので、テレビはもっぱらNHKを視聴しています。
NHKのお気に入りは海外ドラマ。最近はやぶにらみピーター・フォークの「刑事コロンボ」と「アグリー・ベティ2」をかかさず見ています。前者のパターンは毎回同じで、犯行と同時に犯人(有名ゲスト)が出てきます。コロンボとやりとりしながらその犯行のトリックがあばかれていく謎解きがお楽しみ。ここまでパターンを固定していながら、毎回最後まで引っ張って行く脚本の力が素晴らしい。初めのころはスピルバーグも書いていました。
「アグリー・ベティ2」は、アメリカ・フェレーラというブスカワいいメキシカンが、NYの一流ファッション誌の編集部に入って大活躍するお話ですが、恋と仕事と人情話のあれやこれやもさることながら、アラフォーだかアラフィフ編集長のバネッサ・ウイリアムズとそのおかまの助手マイケル・ユーリーのポップな衣装が素晴らしい。よほど腕こきのスタイリストがついているのでしょう。
このほか先日終わってしまった「ダメージ3」というグレン・クローズ主演の弁護士物もむちゃくちゃ面白かった。グレン・クローズは悪人と正義派の両面の顔を持つ超やり手弁護士ですが、そこにローズ・バーン扮する若手女性スタッフやウイリアム・ハート扮する昔の恋人なぞとのえらい確執が絡んで、もはや何が正義で誰が悪か、誰が正義の味方で誰が悪人なのかわからんカオス状況に突入していく。グレン・クローズの灰色の瞳が象徴する人間存在の暗闇に、ペンライトひとつで侵入していく不気味さがたまりません。
猛烈に練りこまれた脚本もすごいが、時系列をあえて取り払ったアナーキーな演出が見る者の心理を揺さぶり、それがいっそうスリルとサスペンスを引き起こす仕掛けになっていましたが、もう続編はないのでしょうか。
最後に、私のいちばんお気に入りだった「サラリーマン・ネオ」をお蔵にした奴は誰だ。民放の笑いにもならないアホバカお笑い番組が氾濫するなか、あれには上質のユーモア、ウイット、批評精神が満載されていました。
♪N響、有働、山田アナ、私の嫌いなNHKもいっぱいあるでよ 茫洋
最近はケイタイのネットに押されて、新聞雑誌のみならずテレビの視聴率もどんどん下がってきたようで、たいへん結構なことだと思っています。つまらないものを無理してみることはありません。いいもの、すきなものだけ目にしておれば、人間きっと極楽往生できるでせう。
さて私は民放が苦手なので、テレビはもっぱらNHKを視聴しています。
NHKのお気に入りは海外ドラマ。最近はやぶにらみピーター・フォークの「刑事コロンボ」と「アグリー・ベティ2」をかかさず見ています。前者のパターンは毎回同じで、犯行と同時に犯人(有名ゲスト)が出てきます。コロンボとやりとりしながらその犯行のトリックがあばかれていく謎解きがお楽しみ。ここまでパターンを固定していながら、毎回最後まで引っ張って行く脚本の力が素晴らしい。初めのころはスピルバーグも書いていました。
「アグリー・ベティ2」は、アメリカ・フェレーラというブスカワいいメキシカンが、NYの一流ファッション誌の編集部に入って大活躍するお話ですが、恋と仕事と人情話のあれやこれやもさることながら、アラフォーだかアラフィフ編集長のバネッサ・ウイリアムズとそのおかまの助手マイケル・ユーリーのポップな衣装が素晴らしい。よほど腕こきのスタイリストがついているのでしょう。
このほか先日終わってしまった「ダメージ3」というグレン・クローズ主演の弁護士物もむちゃくちゃ面白かった。グレン・クローズは悪人と正義派の両面の顔を持つ超やり手弁護士ですが、そこにローズ・バーン扮する若手女性スタッフやウイリアム・ハート扮する昔の恋人なぞとのえらい確執が絡んで、もはや何が正義で誰が悪か、誰が正義の味方で誰が悪人なのかわからんカオス状況に突入していく。グレン・クローズの灰色の瞳が象徴する人間存在の暗闇に、ペンライトひとつで侵入していく不気味さがたまりません。
猛烈に練りこまれた脚本もすごいが、時系列をあえて取り払ったアナーキーな演出が見る者の心理を揺さぶり、それがいっそうスリルとサスペンスを引き起こす仕掛けになっていましたが、もう続編はないのでしょうか。
最後に、私のいちばんお気に入りだった「サラリーマン・ネオ」をお蔵にした奴は誰だ。民放の笑いにもならないアホバカお笑い番組が氾濫するなか、あれには上質のユーモア、ウイット、批評精神が満載されていました。
♪N響、有働、山田アナ、私の嫌いなNHKもいっぱいあるでよ 茫洋
Sunday, December 06, 2009
梟が鳴く森で 第9回
9月22日
星の子学園からの帰り、三平君がいっしょにトイレへ行こうと言いました。
僕はあんまり行きたくなかったけれど、三平君が無理矢理言うので仕方なくついて行きました。駅の上のトイレです。
僕たちの他には誰もいませんでした。
大の方のトイレにいっしょに入ると、三平君はオチンチンを出してナメロと言いました。
僕はいやだと言いました。嫌だお、嫌だお、と何度も言いました。
三平君は、おっかない顔をして、いいからナメろ、ナメないとぶんなぐるぞ、と言いました。僕はこわいし、逃げられないし、お父さあん、お母あさん、助けて、助けて、嫌だお、嫌だお、と何度も叫びましたが、誰も助けてくれませんでした。
とうとう僕は三平君のオチンチンをナメさせられました。とてもいやな臭いでした。吐き気がしました。
いやだ、いやだ、死にたいおう、と、僕は泣きましたが、三平君は許してくれませんでした。もっとナメロと言いました。またナメました。変な味、気持ち悪い味がしました。
やっと三平君はトイレのドアをあけて僕を出してくれました。絶対に誰にも言うなよ、言ったらひどい目にあわせるぞ、と三平君は言ったので、僕は、分かったおう、誰にも言わないおう、と、泣きながら約束しました。
家に帰ったら、お母さんが、岳君顔色悪いね。どうかしたの。と聞きました。
僕は、どうもしないおう、と答えました。何もなかったおう、と言いました。お母さんは黙って僕の顔をじっと見ました。
僕は、駅のトイレが嫌いです。三平君が嫌いです。あんな奴は死んでしまえ。
♪1か月分の日経朝日が1巻きのトイレットペイパーに換わる金曜日 茫洋
星の子学園からの帰り、三平君がいっしょにトイレへ行こうと言いました。
僕はあんまり行きたくなかったけれど、三平君が無理矢理言うので仕方なくついて行きました。駅の上のトイレです。
僕たちの他には誰もいませんでした。
大の方のトイレにいっしょに入ると、三平君はオチンチンを出してナメロと言いました。
僕はいやだと言いました。嫌だお、嫌だお、と何度も言いました。
三平君は、おっかない顔をして、いいからナメろ、ナメないとぶんなぐるぞ、と言いました。僕はこわいし、逃げられないし、お父さあん、お母あさん、助けて、助けて、嫌だお、嫌だお、と何度も叫びましたが、誰も助けてくれませんでした。
とうとう僕は三平君のオチンチンをナメさせられました。とてもいやな臭いでした。吐き気がしました。
いやだ、いやだ、死にたいおう、と、僕は泣きましたが、三平君は許してくれませんでした。もっとナメロと言いました。またナメました。変な味、気持ち悪い味がしました。
やっと三平君はトイレのドアをあけて僕を出してくれました。絶対に誰にも言うなよ、言ったらひどい目にあわせるぞ、と三平君は言ったので、僕は、分かったおう、誰にも言わないおう、と、泣きながら約束しました。
家に帰ったら、お母さんが、岳君顔色悪いね。どうかしたの。と聞きました。
僕は、どうもしないおう、と答えました。何もなかったおう、と言いました。お母さんは黙って僕の顔をじっと見ました。
僕は、駅のトイレが嫌いです。三平君が嫌いです。あんな奴は死んでしまえ。
♪1か月分の日経朝日が1巻きのトイレットペイパーに換わる金曜日 茫洋
Saturday, December 05, 2009
梟が鳴く森で 第8回
梟が鳴く森で 第8回
9月21日 雨
青山アン子は、加藤かおるに言いました。
バーカ、バーカ、あんたなんか、バーカ。
すると、加藤かおると木地かおると木地広康が怒りました。怒って、アッカンベーしました。よせ、よせ、もうよせよ、と、学のパパと御爺さんが言いました。
もお許せねーと、チビはとびけりをしました。それが人生というもんだ。セラビーだ。と、青山アン子のパパが静かに言いました。
ママは黙ってキッチンでひらめを焼いていました。
外は雨でした。ムクのごはんを近所のドラ猫がパクパク食べていました。
雀もいっぱい集まってムクのご飯を食べていました。
♪敗戦終戦闘争紛争アンガージュマンはありやなしや 茫洋
9月21日 雨
青山アン子は、加藤かおるに言いました。
バーカ、バーカ、あんたなんか、バーカ。
すると、加藤かおると木地かおると木地広康が怒りました。怒って、アッカンベーしました。よせ、よせ、もうよせよ、と、学のパパと御爺さんが言いました。
もお許せねーと、チビはとびけりをしました。それが人生というもんだ。セラビーだ。と、青山アン子のパパが静かに言いました。
ママは黙ってキッチンでひらめを焼いていました。
外は雨でした。ムクのごはんを近所のドラ猫がパクパク食べていました。
雀もいっぱい集まってムクのご飯を食べていました。
♪敗戦終戦闘争紛争アンガージュマンはありやなしや 茫洋
Friday, December 04, 2009
パッパーノ指揮コヴェントガーデン歌劇場管で「ワルキューレ」を視聴する
♪音楽千夜一夜第98回
2005年7月18日にロイヤル・アルバートホールで行われた「プロムス05」のワーグナー上演のライブビデオです。プタシド・ゴミンドがはじめてプロムスに登場したことで話題になりましたが、そんなことより(この時点で)彼の衰えを知らない豊かな声量と巧みな歌いまわしに魅了されます。
そのドミンゴ扮するジークムントの恋人であり妹役のジークリンデには練達のメッゾ・ソプラノ、ヴァルトラウト・マイヤー、ウオータン役にはバスバリトンのブリン・ターフェル、表題役にはソプラノのリサ・ガスティーンという豪華な配役です。
そしてこれらベテラン揃いの充実した歌唱を、イタリア出身の指揮者アントニオ・パッパーノがじつに手際よく、パッパと引っ張っていきます。
59年生まれのパッパーノは、各地の歌劇場でコレペティトールをつとめ、大野和士の前にモネ劇場のシェフであり、バイロイトにはローエングリーンでデビューを飾った、いわばたたき上げのオペラ指揮者。初めは処女のごとく悠揚迫らぬテンポでオーケストラを歌わせ、半ばではワルキューレの女騎士たちを見事にうねらせ、終わりはワルハラの神殿を紅蓮の炎で燃えあがらせます。コンサート指揮者上がりの小沢某なぞには及びもつかぬ見事なテクニックといえましょう。だいたい歌手やオーケストラをやすんじてドライブさせえない人間がオペラハウスなぞに足を踏み入れてはいけないのです。
兄と妹の許されざる恋、そして父と娘の異常なまでの愛、そして神々の世界の崩壊という3つの主題をもつこの神聖な楽劇を、パッパーノとコヴェントガーデンのオーケストラは過不足なく表出していました。
この公演はコンサート形式で行われたのですが、当節の下らない演出を排し、ヴィーランド・ワーグナーの時代に先祖返りしたような単純で簡素な歌手たちの振舞いが、かえってこのオペラとワーグナーの音楽の本質を力強く闡明していたようでした。
♪あほばか指揮者と演出家よ去れ神聖なるオペラの殿堂から 茫洋
2005年7月18日にロイヤル・アルバートホールで行われた「プロムス05」のワーグナー上演のライブビデオです。プタシド・ゴミンドがはじめてプロムスに登場したことで話題になりましたが、そんなことより(この時点で)彼の衰えを知らない豊かな声量と巧みな歌いまわしに魅了されます。
そのドミンゴ扮するジークムントの恋人であり妹役のジークリンデには練達のメッゾ・ソプラノ、ヴァルトラウト・マイヤー、ウオータン役にはバスバリトンのブリン・ターフェル、表題役にはソプラノのリサ・ガスティーンという豪華な配役です。
そしてこれらベテラン揃いの充実した歌唱を、イタリア出身の指揮者アントニオ・パッパーノがじつに手際よく、パッパと引っ張っていきます。
59年生まれのパッパーノは、各地の歌劇場でコレペティトールをつとめ、大野和士の前にモネ劇場のシェフであり、バイロイトにはローエングリーンでデビューを飾った、いわばたたき上げのオペラ指揮者。初めは処女のごとく悠揚迫らぬテンポでオーケストラを歌わせ、半ばではワルキューレの女騎士たちを見事にうねらせ、終わりはワルハラの神殿を紅蓮の炎で燃えあがらせます。コンサート指揮者上がりの小沢某なぞには及びもつかぬ見事なテクニックといえましょう。だいたい歌手やオーケストラをやすんじてドライブさせえない人間がオペラハウスなぞに足を踏み入れてはいけないのです。
兄と妹の許されざる恋、そして父と娘の異常なまでの愛、そして神々の世界の崩壊という3つの主題をもつこの神聖な楽劇を、パッパーノとコヴェントガーデンのオーケストラは過不足なく表出していました。
この公演はコンサート形式で行われたのですが、当節の下らない演出を排し、ヴィーランド・ワーグナーの時代に先祖返りしたような単純で簡素な歌手たちの振舞いが、かえってこのオペラとワーグナーの音楽の本質を力強く闡明していたようでした。
♪あほばか指揮者と演出家よ去れ神聖なるオペラの殿堂から 茫洋
Thursday, December 03, 2009
佐藤賢一著 小説フランス革命「議会の迷走」を読んで
照る日曇る日第313回
1789年、フランス革命は成就したけれど、革命によって誕生した国民議会は、左・右・中間派に分かれて大混迷を続けています。
ジャコバンクラブを中心とした左派は、僧侶をバチカンではなく革命フランスの前に膝まずかせようとして強引にルイ16世を説き、「聖職者民事基本法」を通過させました。神父の献身の対象を神やローマ法王ではなく、フランス憲法と人民に置き換えようとしたのです。しかし全国で宣誓拒否僧が相次いで登場し、いまやフランス宗教界を二分する「シスマ」(教会分裂)が再現されようとしていました。
ここでなおも革命を推進しようとしたタレイランやロベスピエールの動きを抑えようとしたのが、他ならぬ「革命のライオン」、ミラボーでした。彼は国民の「亡命禁止法」にも反対し、左派のジャコバンクラブを骨抜きにして、ルイ16世をパリから退去させ、現議会の解散と新議会の召集をさえ図るのですが、1791年4月2日、持病が悪化して急死します。享年42歳でした。
ミラボーが、絶対の正義と、とことん純粋な民主主義を熱烈に志向する若きロベスピエールを死の床に呼び寄せ、暗に戒める名場面が本書の読みどころ。つねに清濁を併せ呑むこの巨漢が、苦しい息の下から、
「己が欲を持ち、持つことを自覚して恥じるからこそ、他人にも寛容になれるのだ。さもないと独裁者になるぞ。独裁というような冷酷な真似ができるのは、反対に自分に欲がないからだ。世のため、人のためだからこそ、躊躇なく人を殺せる。ひたすら正しくいるぶんには、なんら気も咎めないわけだからね」(ほぼ原文)
と、懸命に説くのですが、その忠告は聞き届けられず、このあまりにも誠実で謹厳実直なモラリストは、ついにフランスの「第2のカルヴァン」になってしまうのです。
朝の8時に「友よ、私は今日死ぬ」と医師に告げて紙を所望し、8時半に右手にペンを握って「眠る」と書いて事切れたこの豪傑は、ロベスピエールなど数多くの革命家に比べてじつに幸福な死に方をしたものだ、と言わざるを得ません。
♪今宵また「ねんねぐう」と呟きて即眠りゆくしあわせなるかな 茫洋
梟が鳴く森で 第7回
9月20日
緑豊かに風に乗って、光あふれる窓の外、
夢とちからをひとつに結び、
共に生き、共になやみ、
力あわせて進もうよ、我ら星の子、星の子学園。
心のどかに風に乗って、命かがやく惑星の彼方、
心とからだをひとつに結ぶ
共に泣き、共に笑い、
手をつないで進もうよ、我ら星の子、星の子学園
駄目、中田先生。ね、分かった? 横須賀、笑わないで。
バイバイ。使う。ちゃんと遣って。
泣いたら、休んでて、ちゃんと、して。
長島先生、悪かった。悪かった。悪かった。
ちゃんと遣るなら、ちゃんと、して、あげるから。
はさみで、遣っちゃ、危ないよ。
何でしょう?
緑豊かに風に乗って、光あふれる窓の外、
夢とちからを……
♪同じ演奏なのに何枚も買ってしまうマリアカラスのCD 茫洋
緑豊かに風に乗って、光あふれる窓の外、
夢とちからをひとつに結び、
共に生き、共になやみ、
力あわせて進もうよ、我ら星の子、星の子学園。
心のどかに風に乗って、命かがやく惑星の彼方、
心とからだをひとつに結ぶ
共に泣き、共に笑い、
手をつないで進もうよ、我ら星の子、星の子学園
駄目、中田先生。ね、分かった? 横須賀、笑わないで。
バイバイ。使う。ちゃんと遣って。
泣いたら、休んでて、ちゃんと、して。
長島先生、悪かった。悪かった。悪かった。
ちゃんと遣るなら、ちゃんと、して、あげるから。
はさみで、遣っちゃ、危ないよ。
何でしょう?
緑豊かに風に乗って、光あふれる窓の外、
夢とちからを……
♪同じ演奏なのに何枚も買ってしまうマリアカラスのCD 茫洋
Tuesday, December 01, 2009
アレクサンダー・ヴェルナー著「カルロス・クライバーある天才指揮者の伝記上」を読んで 後篇
照る日曇る日第312回&♪音楽千夜一夜第97回
昨日の渋谷で思い出しましたが、カルロス・クライバーはよくお忍びで日本に来ていました。東京では渋谷のタワーレコードがお気に入りで、店員さんの話では、アメリカのBEL CANTO SOCIETYから発売されていた、彼がスカラ座のオケを振ってドミンゴ、フレーニが歌った「オテロ」の海賊盤のライブビデオを、なんと3本も買っていったそうです。
この公演は、私などはじつに素晴らしい演奏だと思うのですが、1976年12月7日の夜のミラノの聴衆は、そうは思わなかったとみえて猛烈な「ブー!」を浴びせかけ、2幕の冒頭では、さすがのクライバーも指揮棒を振りおろすのをためらうシーンもあります。
しかし4幕が終わってオテロが死ぬと、スカラ座の屋台骨を揺るがすような大歓声が沸き起こり、全盛時代のクライバーは、悪意ある3階立ち見席の敵対者を完膚無きまでにねじり伏せるのです。
その天才指揮者の微に入り細にわたる伝記が、半分だけですが、ついに公刊されました。
著者のヴェルナーさんがどういう方かは存じませんが、ともかく資料と取材源の豊富さには圧倒されます。
そして、いつもは誰にも優しく、しかしいったん指揮台に上るや別人に変身し、ある時は神のごとく地上を離脱し、またある時は悪魔のように怒り狂い、再現芸術の演奏に求められる最高の知性と教養と技術と霊感をそなえながら、音楽に対する理想が誰よりも高すぎたために、どんな拍手と喝采にも満足することができなかった、この不幸で、孤独な男の実像と虚像が赤裸々に描かれています。
本書が扱うのは彼の無名時代から、1976年ついにスターダムの頂上に達しながらバイロイト音楽祭の「トリスタンとイゾルデ」から突然降りところまで。偉大なる指揮者エーリヒや母ルースとの葛藤はじつに興味深いものがあります。
聞けば彼は、その長い下積み時代に、オペレッタ「ジプシー男爵」や「美しいエレーヌ」「メリーウイドー」、「ダフネ」「売られた花嫁」「ラ・ボエーム」「蝶々夫人」「リゴレット」「ドンジョバンニ」などの膨大なオペラ、「ウンディーネ」「コッペリア」「三角帽子」「くるみ割り人形」などのバレエ音楽を、すでに自家薬籠中のものとしていたそうです。
これらのレパートリーと合わせて、アルベン・バルクの「ヴォツエック」、ミケランジェリと共演したベートーヴェンの「皇帝」などの録音も、とうとうゆめ幻と消え去り、ついに音源化されることのなかったことを思うと、私たちが失ったものの大きさに今更ながら深いため息が出るのです。
♪よみがえれクライバー、霊界の騎士像に立ちて「ドンジョバンニ」を振れ! 茫洋
昨日の渋谷で思い出しましたが、カルロス・クライバーはよくお忍びで日本に来ていました。東京では渋谷のタワーレコードがお気に入りで、店員さんの話では、アメリカのBEL CANTO SOCIETYから発売されていた、彼がスカラ座のオケを振ってドミンゴ、フレーニが歌った「オテロ」の海賊盤のライブビデオを、なんと3本も買っていったそうです。
この公演は、私などはじつに素晴らしい演奏だと思うのですが、1976年12月7日の夜のミラノの聴衆は、そうは思わなかったとみえて猛烈な「ブー!」を浴びせかけ、2幕の冒頭では、さすがのクライバーも指揮棒を振りおろすのをためらうシーンもあります。
しかし4幕が終わってオテロが死ぬと、スカラ座の屋台骨を揺るがすような大歓声が沸き起こり、全盛時代のクライバーは、悪意ある3階立ち見席の敵対者を完膚無きまでにねじり伏せるのです。
その天才指揮者の微に入り細にわたる伝記が、半分だけですが、ついに公刊されました。
著者のヴェルナーさんがどういう方かは存じませんが、ともかく資料と取材源の豊富さには圧倒されます。
そして、いつもは誰にも優しく、しかしいったん指揮台に上るや別人に変身し、ある時は神のごとく地上を離脱し、またある時は悪魔のように怒り狂い、再現芸術の演奏に求められる最高の知性と教養と技術と霊感をそなえながら、音楽に対する理想が誰よりも高すぎたために、どんな拍手と喝采にも満足することができなかった、この不幸で、孤独な男の実像と虚像が赤裸々に描かれています。
本書が扱うのは彼の無名時代から、1976年ついにスターダムの頂上に達しながらバイロイト音楽祭の「トリスタンとイゾルデ」から突然降りところまで。偉大なる指揮者エーリヒや母ルースとの葛藤はじつに興味深いものがあります。
聞けば彼は、その長い下積み時代に、オペレッタ「ジプシー男爵」や「美しいエレーヌ」「メリーウイドー」、「ダフネ」「売られた花嫁」「ラ・ボエーム」「蝶々夫人」「リゴレット」「ドンジョバンニ」などの膨大なオペラ、「ウンディーネ」「コッペリア」「三角帽子」「くるみ割り人形」などのバレエ音楽を、すでに自家薬籠中のものとしていたそうです。
これらのレパートリーと合わせて、アルベン・バルクの「ヴォツエック」、ミケランジェリと共演したベートーヴェンの「皇帝」などの録音も、とうとうゆめ幻と消え去り、ついに音源化されることのなかったことを思うと、私たちが失ったものの大きさに今更ながら深いため息が出るのです。
♪よみがえれクライバー、霊界の騎士像に立ちて「ドンジョバンニ」を振れ! 茫洋
アレクサンダー・ヴェルナー著「カルロス・クライバーある天才指揮者の伝記上」を読んで 前篇
アレクサンダー・ヴェルナー著「カルロス・クライバーある天才指揮者の伝記上」を読んで 前篇
照る日曇る日第311回&♪音楽千夜一夜第96回
クライバーといえば、私はすぐに80年代の渋谷の坂上のシスコというCDショプを思い出します。ある日のこと、一人のサラリーマンの男性が「クラーバーのCDありませんか?」と店長に尋ねていました。
なんでも出張先のミュンヘンで、生まれてはじめてクラシックのコンサートに行ったらそれがあまりにも素晴らしかったので、「クラーバーとかいうその指揮者のCD」を買いに来たというのです。
私と店長は思わずためいきをついて、その男性の幸運と、クラッシックの門外漢をたちまち虜にしてしまうこの音楽家の真価を、改めて確認したことでした。
かくいう私は、残念ながらカルロス・クライバーのライブを見聞きしたことはありません。けれども、彼が遺した2種類のシュトラウスの「薔薇の騎士」、もう一人のシュトラウスの喜歌劇「こうもり」、ロイヤル・コンセルトヘボウと入れたベートーヴェンの交響曲の4番と7番、バイエルン国立の「椿姫」、モーツアルトとブラームスの交響曲、シュターツカペレ・ドレスデンと入れたウエバーの「魔弾の射手」とワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」、スカラ座の「オテロ」などのCDやビデオから受けた驚きと感動は、凡庸な凡百の指揮者のそれとはまったく次元の異なる種類のものでした。
また彼が、若き日に南西ドイツ放送交響楽団と作った「こうもり」と「魔弾の射手」の2つの序曲の公開練習のビデオのすごかったこと! ここには彼の光彩陸離とした指揮術の魔法の秘密のすべてが、をものの見事に記録されています。
彼の音楽の素晴らしさは、「こうもり」の序曲の最初の終楽章を聞けば、どんなロバの耳にも明らかでしょう。指揮棒を一閃するや否や、シャンパンがはじけたように一気に解き放たれる恐るべき昂揚と爆発的な推進力。私たちの心臓は音楽の神様にわしづかみされ、魂魄は宇宙の彼方にぶっ飛ばされてしまいます。
「これが音楽なんだ。これが生きるよろこびなのだ。神様仏様、どうかこの音楽と共にある自分が永久に続くように!」
と私たちが祈らずにはいられない種類の音楽を、この男は、いなこの男だけが、ものの見事にやってのけたのです。もちろんその命を賭した大胆な跳躍が、あえなく潰えた無惨な夜も、いくたびかはあったとはいえ。
げにカルロス・クラーバーこそは、音楽に霊感を吹き込み、私たちの人生を震撼させるほとんど唯一無二の音楽家でした。
♪エーリッヒのトラウマなかりせば聴けたであろうに「フィガロの結婚」茫洋
照る日曇る日第311回&♪音楽千夜一夜第96回
クライバーといえば、私はすぐに80年代の渋谷の坂上のシスコというCDショプを思い出します。ある日のこと、一人のサラリーマンの男性が「クラーバーのCDありませんか?」と店長に尋ねていました。
なんでも出張先のミュンヘンで、生まれてはじめてクラシックのコンサートに行ったらそれがあまりにも素晴らしかったので、「クラーバーとかいうその指揮者のCD」を買いに来たというのです。
私と店長は思わずためいきをついて、その男性の幸運と、クラッシックの門外漢をたちまち虜にしてしまうこの音楽家の真価を、改めて確認したことでした。
かくいう私は、残念ながらカルロス・クライバーのライブを見聞きしたことはありません。けれども、彼が遺した2種類のシュトラウスの「薔薇の騎士」、もう一人のシュトラウスの喜歌劇「こうもり」、ロイヤル・コンセルトヘボウと入れたベートーヴェンの交響曲の4番と7番、バイエルン国立の「椿姫」、モーツアルトとブラームスの交響曲、シュターツカペレ・ドレスデンと入れたウエバーの「魔弾の射手」とワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」、スカラ座の「オテロ」などのCDやビデオから受けた驚きと感動は、凡庸な凡百の指揮者のそれとはまったく次元の異なる種類のものでした。
また彼が、若き日に南西ドイツ放送交響楽団と作った「こうもり」と「魔弾の射手」の2つの序曲の公開練習のビデオのすごかったこと! ここには彼の光彩陸離とした指揮術の魔法の秘密のすべてが、をものの見事に記録されています。
彼の音楽の素晴らしさは、「こうもり」の序曲の最初の終楽章を聞けば、どんなロバの耳にも明らかでしょう。指揮棒を一閃するや否や、シャンパンがはじけたように一気に解き放たれる恐るべき昂揚と爆発的な推進力。私たちの心臓は音楽の神様にわしづかみされ、魂魄は宇宙の彼方にぶっ飛ばされてしまいます。
「これが音楽なんだ。これが生きるよろこびなのだ。神様仏様、どうかこの音楽と共にある自分が永久に続くように!」
と私たちが祈らずにはいられない種類の音楽を、この男は、いなこの男だけが、ものの見事にやってのけたのです。もちろんその命を賭した大胆な跳躍が、あえなく潰えた無惨な夜も、いくたびかはあったとはいえ。
げにカルロス・クラーバーこそは、音楽に霊感を吹き込み、私たちの人生を震撼させるほとんど唯一無二の音楽家でした。
♪エーリッヒのトラウマなかりせば聴けたであろうに「フィガロの結婚」茫洋
Sunday, November 29, 2009
西暦2009年霜月茫洋歌日誌
♪ある晴れた日に 第68回
風に縋れ食草求む黄蝶かな
上野介の首が落ちたるさざれ石
晴朗な魂の頬笑みを隠す黒き雲
霧の奥から現れ出たるは永遠
弦と弦つま弾くギターのおぞましき
テレビ見つつ頷く妻の好ましや
電話しつつお辞儀する妻の好ましや
仁義なき花盗人を憎みけり
ジンジャーの白い花を見ている私かな
アズディン・アライアの黒のミニから柔らかな2本の脚がくねくねと降りてきた
男たちの挽歌どころか己の挽歌を歌うのか疲弊したジョン・ウーよ
あのこ可愛いや死んでもいいよグサリ突き刺す心の臓
あなうれしCD1万円注文す2カ月ぶりに発注ありし夜
われ描くゆえに都市ありカルヴィーノ語りき
せめてあと20年あらばさぞや傑作が生まれたろう人情紙風船のごとし
エカテリナの抱擁リンカンの分厚い掌漁夫の見し夢のまた夢
君知るや幕末の巨大機械平成の御代になおも駆動するを
小松菜をおろぬこうかと尋ねたる愛しき人よおろぬき給え
小松菜をおろぬこうかと我に聞く愛しき人よおろぬき給え
弦と弦乾いた爪が震わせるギターほどおぞましき音はなし
オオフロイデとドイツ語で歌わない限りわれは第9演奏会をボイコットすべし
束の間の命の限りを文芸に捧げつくせり小西甚一
ただ一日で他の男に乗り換える今も昔もコシ・ファン・トゥッテ
満月の星空に響くあのアリア夜の女王はそも何者
ぽんぽこというマイミクさん今頃どうしているのやら
南風吹かば思いは常に立ち返るわれらの故里常夏の国
いまいちどカザルスの「鳥の歌」聴きたしと横須賀の海岸をさまよう夜
ダイエーの500m先に潜水艦浮かぶ横須賀に驚かぬ人
くださいください芥川賞そんな恥ずかしい手紙をよくも書いたもんだ
ヘプバーンもペックもワイラーも死にたれど「ローマの休日」は永遠に残らむ
世界中のマグロの8割食らい尽くす我ら強欲日本人
♪汝エコノミーよどこまでも沈み行けわが憂鬱よりも奥深く
風に縋れ食草求む黄蝶かな
上野介の首が落ちたるさざれ石
晴朗な魂の頬笑みを隠す黒き雲
霧の奥から現れ出たるは永遠
弦と弦つま弾くギターのおぞましき
テレビ見つつ頷く妻の好ましや
電話しつつお辞儀する妻の好ましや
仁義なき花盗人を憎みけり
ジンジャーの白い花を見ている私かな
アズディン・アライアの黒のミニから柔らかな2本の脚がくねくねと降りてきた
男たちの挽歌どころか己の挽歌を歌うのか疲弊したジョン・ウーよ
あのこ可愛いや死んでもいいよグサリ突き刺す心の臓
あなうれしCD1万円注文す2カ月ぶりに発注ありし夜
われ描くゆえに都市ありカルヴィーノ語りき
せめてあと20年あらばさぞや傑作が生まれたろう人情紙風船のごとし
エカテリナの抱擁リンカンの分厚い掌漁夫の見し夢のまた夢
君知るや幕末の巨大機械平成の御代になおも駆動するを
小松菜をおろぬこうかと尋ねたる愛しき人よおろぬき給え
小松菜をおろぬこうかと我に聞く愛しき人よおろぬき給え
弦と弦乾いた爪が震わせるギターほどおぞましき音はなし
オオフロイデとドイツ語で歌わない限りわれは第9演奏会をボイコットすべし
束の間の命の限りを文芸に捧げつくせり小西甚一
ただ一日で他の男に乗り換える今も昔もコシ・ファン・トゥッテ
満月の星空に響くあのアリア夜の女王はそも何者
ぽんぽこというマイミクさん今頃どうしているのやら
南風吹かば思いは常に立ち返るわれらの故里常夏の国
いまいちどカザルスの「鳥の歌」聴きたしと横須賀の海岸をさまよう夜
ダイエーの500m先に潜水艦浮かぶ横須賀に驚かぬ人
くださいください芥川賞そんな恥ずかしい手紙をよくも書いたもんだ
ヘプバーンもペックもワイラーも死にたれど「ローマの休日」は永遠に残らむ
世界中のマグロの8割食らい尽くす我ら強欲日本人
♪汝エコノミーよどこまでも沈み行けわが憂鬱よりも奥深く
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軍服の国産について
バガテルop115&ふぁっちょん幻論第53回
昨日だか一昨日だかの新聞の短信で、鳩山内閣の北沢防衛大臣が、「軍服を外国から調達しているような国はない」と文句を言っていたようです。
うろ覚えで申し訳ないのですが、例の仕分け人たちが、防衛予算のうち軍服の国産経費が高すぎるので、海外調達にせよと仕分けしたことへの感情的な反発のようでした。
恐らく彼は国防の最前線に立つ自衛隊員の衣服を外国製にすれば、皮膚の外部から夷狄・毛唐の不純な血が混じり、純乎たる愛国の精神が汚染されるとでも思ったのではないでしょうか。
考えてみれば、自国防衛の大半を外国の核兵器と軍備に依存しているこの国で、軍服だけを国産にしてみたところでいったい何が変わるというのでしょう。防衛予算が足らなければ、横須賀や舞鶴に係留してある不要不急のイージス艦を、楽天かヤフーのオークションにかければ、まるで打出の小槌のように現金化できるはず。あどけない寝言をいうのはやめてほしいものです。
ところでいまや軍服はもとより、世界のお洋服は、自動車と同様どこの国に行っても「純国産」などは天然記念物&世界遺産の範疇に属し、ギャップもH&Mもユニクロもアフガニスタンのカルザイ大統領が大好きな名だたるラグジュアリーブランドも、その縫製はほとんど中欧やアジアの発展途上国に外注しています。そうでないと産業として生き延びる道がないからです。
数年前にイトーヨーカ堂が北朝鮮で縫製した超安価なスーツを、わが国の最底辺でのたうつ超ビンボー・リーマンは、いまだに愛着していることを、私だけは知っています。
縫製はベトナムやバングラディシュ、カンボジアにまかせ、デザインだけは実力のあるデザイナーに外注すれば、いまの予算の半分以下でユニクロの「+j」に負けない、安くてかっこいい軍服ができるでしょう。戦争と軍隊を憎むイデオロギーは別にして。
そもそも軍服は、ファッションの原点でした。バーバリーやアクアスキュータムのコートも、第1次大戦の英国陸軍の塹壕戦から誕生したのです。北沢防衛大臣さえ決心すれば、経営破綻に陥って苦悩しているわが国のトップデザイナー山本耀司氏などを起用して、
世界に冠たる「メード・イン・ワールドの軍服」が誕生するかもしれません。戦争と軍隊を憎むイデオロギーは別にして。
♪小松菜をおろぬこうかと我に聞く愛しき人よおろぬき給え 茫洋
昨日だか一昨日だかの新聞の短信で、鳩山内閣の北沢防衛大臣が、「軍服を外国から調達しているような国はない」と文句を言っていたようです。
うろ覚えで申し訳ないのですが、例の仕分け人たちが、防衛予算のうち軍服の国産経費が高すぎるので、海外調達にせよと仕分けしたことへの感情的な反発のようでした。
恐らく彼は国防の最前線に立つ自衛隊員の衣服を外国製にすれば、皮膚の外部から夷狄・毛唐の不純な血が混じり、純乎たる愛国の精神が汚染されるとでも思ったのではないでしょうか。
考えてみれば、自国防衛の大半を外国の核兵器と軍備に依存しているこの国で、軍服だけを国産にしてみたところでいったい何が変わるというのでしょう。防衛予算が足らなければ、横須賀や舞鶴に係留してある不要不急のイージス艦を、楽天かヤフーのオークションにかければ、まるで打出の小槌のように現金化できるはず。あどけない寝言をいうのはやめてほしいものです。
ところでいまや軍服はもとより、世界のお洋服は、自動車と同様どこの国に行っても「純国産」などは天然記念物&世界遺産の範疇に属し、ギャップもH&Mもユニクロもアフガニスタンのカルザイ大統領が大好きな名だたるラグジュアリーブランドも、その縫製はほとんど中欧やアジアの発展途上国に外注しています。そうでないと産業として生き延びる道がないからです。
数年前にイトーヨーカ堂が北朝鮮で縫製した超安価なスーツを、わが国の最底辺でのたうつ超ビンボー・リーマンは、いまだに愛着していることを、私だけは知っています。
縫製はベトナムやバングラディシュ、カンボジアにまかせ、デザインだけは実力のあるデザイナーに外注すれば、いまの予算の半分以下でユニクロの「+j」に負けない、安くてかっこいい軍服ができるでしょう。戦争と軍隊を憎むイデオロギーは別にして。
そもそも軍服は、ファッションの原点でした。バーバリーやアクアスキュータムのコートも、第1次大戦の英国陸軍の塹壕戦から誕生したのです。北沢防衛大臣さえ決心すれば、経営破綻に陥って苦悩しているわが国のトップデザイナー山本耀司氏などを起用して、
世界に冠たる「メード・イン・ワールドの軍服」が誕生するかもしれません。戦争と軍隊を憎むイデオロギーは別にして。
♪小松菜をおろぬこうかと我に聞く愛しき人よおろぬき給え 茫洋
Friday, November 27, 2009
花盗人
バガテルop115
青白い花が近所の草むらに咲いていました。
とても珍しい可憐な花です。私が写真を撮っていると、通りがかりのハイカーも数人立ち止まり、
「トリカブトに似ていますね」
「いや、あれは夏の花だからね」
「それでは、いったい何の花でしょう?」
「らんらんランラン蘭の花? あなたのお名前なんていうの?」
なぞと喃喃喋喋、丁丁発止と楽しくおしゃべりしたのが昨日の午後のこと。
今朝早速もう一度撮影しようと現場を訪れましたら、影も形もありません。
気をつけてよくよく探してみたら、花があったと思しきあたりに、ぽっかり開いた黒土の穴。一昼夜の間に花盗人が鼠小僧のやうにやってきたのでせう。
無残に花を散らし、風と共に去りぬ。油断も隙もあったものではないわいな。
どうにも風流を解さぬ世の中になり果てたものです。
♪仁義なき花盗人を憎みけり 茫洋
青白い花が近所の草むらに咲いていました。
とても珍しい可憐な花です。私が写真を撮っていると、通りがかりのハイカーも数人立ち止まり、
「トリカブトに似ていますね」
「いや、あれは夏の花だからね」
「それでは、いったい何の花でしょう?」
「らんらんランラン蘭の花? あなたのお名前なんていうの?」
なぞと喃喃喋喋、丁丁発止と楽しくおしゃべりしたのが昨日の午後のこと。
今朝早速もう一度撮影しようと現場を訪れましたら、影も形もありません。
気をつけてよくよく探してみたら、花があったと思しきあたりに、ぽっかり開いた黒土の穴。一昼夜の間に花盗人が鼠小僧のやうにやってきたのでせう。
無残に花を散らし、風と共に去りぬ。油断も隙もあったものではないわいな。
どうにも風流を解さぬ世の中になり果てたものです。
♪仁義なき花盗人を憎みけり 茫洋
ある思い出
遥かな昔、遠い所で 第86回
久しぶりに大学生の次男が帰宅して家族四人で食卓を囲んだ。
生まれた時から障碍のある長男のKが「Kちゃん、いい子? Kちゃん、いい子?」と何回も聞く。この問いかけにうんうんと肯定してやると、彼は深く安心するのである。
はじめのうちは「Kちゃん、いい子だよ」と答えていた私たちだったが、こんなくだらない問答を早く切り上げて食事に取り掛かろうとして、軽い気持ちで「Kちゃん、悪い子だよ」と私が言ってしまった。
えっ!と驚いたKの反応が面白かったので、次男もふざけて「Kちゃん、悪い子だよ」と言った。妻までも笑いながら「Kちゃん、悪い子」と言ってしまった。
長男はしばらく三人の顔を代わる代わる見つめていたが、やがてこれまで見たこともないような真剣な顔つきで「Kちゃん、悪い子?」とおずおず尋ねた。
調子に乗った私たちが、声を揃えて「Kちゃん、悪い子!」と答えたその時だった。突然彼の両頬から大粒の涙がまるでロタ島の驟雨のようにテーブルクロスの上におびただしく流れ落ちた。
それは真夏の正午だった。セミの声がみな死んだ。
私たちは息をのんでその涙を見つめていた。そうして無知で傲慢で無神経な大人がこの恐ろしく繊細な魂を傷つけてしまったことを激しく後悔したのであった。
♪霧の奥から現れ出たるは永遠 茫洋
久しぶりに大学生の次男が帰宅して家族四人で食卓を囲んだ。
生まれた時から障碍のある長男のKが「Kちゃん、いい子? Kちゃん、いい子?」と何回も聞く。この問いかけにうんうんと肯定してやると、彼は深く安心するのである。
はじめのうちは「Kちゃん、いい子だよ」と答えていた私たちだったが、こんなくだらない問答を早く切り上げて食事に取り掛かろうとして、軽い気持ちで「Kちゃん、悪い子だよ」と私が言ってしまった。
えっ!と驚いたKの反応が面白かったので、次男もふざけて「Kちゃん、悪い子だよ」と言った。妻までも笑いながら「Kちゃん、悪い子」と言ってしまった。
長男はしばらく三人の顔を代わる代わる見つめていたが、やがてこれまで見たこともないような真剣な顔つきで「Kちゃん、悪い子?」とおずおず尋ねた。
調子に乗った私たちが、声を揃えて「Kちゃん、悪い子!」と答えたその時だった。突然彼の両頬から大粒の涙がまるでロタ島の驟雨のようにテーブルクロスの上におびただしく流れ落ちた。
それは真夏の正午だった。セミの声がみな死んだ。
私たちは息をのんでその涙を見つめていた。そうして無知で傲慢で無神経な大人がこの恐ろしく繊細な魂を傷つけてしまったことを激しく後悔したのであった。
♪霧の奥から現れ出たるは永遠 茫洋
Thursday, November 26, 2009
梟が鳴く森で 第6回
9月18日
何? 岳君? 何? 岳君? 用事が無いのに、ちゃんと、座りなさい。と、吉田先生が仰言いました。
指、差さないの。ね、岳君。御喋り、しない。知らない。バイバイ、と、川島先生が仰言いました。
稔、おしっこ、しちゃ、駄目。おしっこ、したら。分かった、と。山本先生が言いました。
9月19日 晴
勉強を頑張る。吉阪伸介
連絡帳を忘れずに、持ってくる事。福井仁治
一日も早く退院する。福井伸一
字を丁寧に書く事。松野文枝
サッカーを上達、させる事。山田三平
勉強を一生懸命、遣る。高井公平
僕は、体力作りを頑張ります。坂本岳
♪ジンジャーの白い花を見ている私かな 茫洋
何? 岳君? 何? 岳君? 用事が無いのに、ちゃんと、座りなさい。と、吉田先生が仰言いました。
指、差さないの。ね、岳君。御喋り、しない。知らない。バイバイ、と、川島先生が仰言いました。
稔、おしっこ、しちゃ、駄目。おしっこ、したら。分かった、と。山本先生が言いました。
9月19日 晴
勉強を頑張る。吉阪伸介
連絡帳を忘れずに、持ってくる事。福井仁治
一日も早く退院する。福井伸一
字を丁寧に書く事。松野文枝
サッカーを上達、させる事。山田三平
勉強を一生懸命、遣る。高井公平
僕は、体力作りを頑張ります。坂本岳
♪ジンジャーの白い花を見ている私かな 茫洋
Monday, November 23, 2009
梟が鳴く森で 第5回
9月14日
空き缶投げ捨ては、止めましょう。
9月15日 雨
渋谷、代官山、中目黒、祐天寺、都立大学、自由ケ丘、田園調布、多摩川園、新丸子、武蔵小杉、元住吉、日吉、綱島、大倉山、菊名、妙蓮寺、白楽、東白楽、反町、横浜、高島町、桜木町、お父さん、桜木町行った? 何で行った? JRで行った?
京浜東北線? 新型? 旧型?
帰りは? 東横線でしょう? 急行? 各駅停車? 横浜まで東横線の各停? でしょ?
JRと東横線と、どっちが安い?
9月16日
お待たせ、しました。4番ホームから、急行新宿行きが、参ります。次は長後に、止まります。危険ですから、白線の内側迄、御下がり下さい。
お待たせ、しました。4番ホームから、急行新宿行きが、発車、致します。
9月17日 雨
マリオ、ルイージ、ピーチ姫、キノピオ、クッパ、御兄ちゃんキノコ、御姉ちゃんキノコ、弟キノコ、王妃、国王。
♪世界中のマグロの8割食らい尽くす我ら強欲日本人 茫洋
空き缶投げ捨ては、止めましょう。
9月15日 雨
渋谷、代官山、中目黒、祐天寺、都立大学、自由ケ丘、田園調布、多摩川園、新丸子、武蔵小杉、元住吉、日吉、綱島、大倉山、菊名、妙蓮寺、白楽、東白楽、反町、横浜、高島町、桜木町、お父さん、桜木町行った? 何で行った? JRで行った?
京浜東北線? 新型? 旧型?
帰りは? 東横線でしょう? 急行? 各駅停車? 横浜まで東横線の各停? でしょ?
JRと東横線と、どっちが安い?
9月16日
お待たせ、しました。4番ホームから、急行新宿行きが、参ります。次は長後に、止まります。危険ですから、白線の内側迄、御下がり下さい。
お待たせ、しました。4番ホームから、急行新宿行きが、発車、致します。
9月17日 雨
マリオ、ルイージ、ピーチ姫、キノピオ、クッパ、御兄ちゃんキノコ、御姉ちゃんキノコ、弟キノコ、王妃、国王。
♪世界中のマグロの8割食らい尽くす我ら強欲日本人 茫洋
Sunday, November 22, 2009
メルビッシュ音楽祭のレハール喜歌劇「ルクセンブルク伯爵」を視聴する
メルビッシュ音楽祭のレハール喜歌劇「ルクセンブルク伯爵」を視聴する
♪音楽千夜一夜第95回
これは06年8月1日にオーストリアのイジートラー湖に面する巨大な野外劇場で行われたメルビッシュ音楽祭の公演です。
指揮は日本でもおなじみのルドルフ・ビーグル爺。あとは私の知らない人ばかりの出演ですが、いずれも歌って踊れる器用な歌手揃いと見受けられます。
歌って踊れて演技ができる役者の存在が、オペラからオペレッタを派生させ、それがのちにミュージカルを誕生させたとも考えられますが、レハールの音楽はウイーンの民衆音楽に恩師ドボルザーク譲りの歌謡的なメロデイを加味したポピュラーミュージックとでもいえばよいのでしょうか。ある種の生真面目さと定式通りのお笑いをとってつけた奇妙なアマルガムが、わたしたちをちょっと面白がらせたり、なんだこの音楽は、と軽蔑させたりすることになるわけです。
有名な「メリーウイドオ」の後で書かれた、このパリを舞台にしたどたばた劇「ルクセンブルク伯爵」は、あいかわらず能天気な筋書きでごきげんなばか騒ぎを繰り広げ、いかにもありがちな恋のさやあての後はお決まりのハッピーエンドで終わります。
会場がばかでかいために歌手はみな口元にマイクをつけて歌っていて、それが本物のクラシックやオペラではない喜歌劇というややマイナーなポジションにかえってふさわしいように思えてきますが、まばらな拍手が途絶えてしばらくすると湖上に花火が打ち上げられ、それが一入この興業のわびしさとはかなさを伝え、ここ2カ月発注のないわたしのやるせなさといつまでも共振するのでした。
♪あなうれしCD1万円注文す2カ月ぶりに発注ありし夜
♪音楽千夜一夜第95回
これは06年8月1日にオーストリアのイジートラー湖に面する巨大な野外劇場で行われたメルビッシュ音楽祭の公演です。
指揮は日本でもおなじみのルドルフ・ビーグル爺。あとは私の知らない人ばかりの出演ですが、いずれも歌って踊れる器用な歌手揃いと見受けられます。
歌って踊れて演技ができる役者の存在が、オペラからオペレッタを派生させ、それがのちにミュージカルを誕生させたとも考えられますが、レハールの音楽はウイーンの民衆音楽に恩師ドボルザーク譲りの歌謡的なメロデイを加味したポピュラーミュージックとでもいえばよいのでしょうか。ある種の生真面目さと定式通りのお笑いをとってつけた奇妙なアマルガムが、わたしたちをちょっと面白がらせたり、なんだこの音楽は、と軽蔑させたりすることになるわけです。
有名な「メリーウイドオ」の後で書かれた、このパリを舞台にしたどたばた劇「ルクセンブルク伯爵」は、あいかわらず能天気な筋書きでごきげんなばか騒ぎを繰り広げ、いかにもありがちな恋のさやあての後はお決まりのハッピーエンドで終わります。
会場がばかでかいために歌手はみな口元にマイクをつけて歌っていて、それが本物のクラシックやオペラではない喜歌劇というややマイナーなポジションにかえってふさわしいように思えてきますが、まばらな拍手が途絶えてしばらくすると湖上に花火が打ち上げられ、それが一入この興業のわびしさとはかなさを伝え、ここ2カ月発注のないわたしのやるせなさといつまでも共振するのでした。
♪あなうれしCD1万円注文す2カ月ぶりに発注ありし夜
Saturday, November 21, 2009
山中貞雄監督「河内山宗俊」を見る
闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.20
これも夭折した山中の時代劇映画です。
遺作の「人情紙風船」で心中する、いな妻に無理心中されてしまう忍従型の武士をやった河原崎長十郎が茶坊主の主役を、やくざな髪結い役の中村翫右衛門が浪人をあいつとめこのご両人はまたしても、(いな遺作と同様に)命を落とすのです。
しかもその遠因が原節子扮する甘酒屋の娘可愛さのためと来ている。彼女の不肖の弟が遊郭の遊女とできてしまい、その水揚げ代の300両を都合してやろうと身を苦界に堕とそうとするけなげな娘が気の毒だというので、あたら大の男がもろ肌脱いでやくだと大立ち回りを演じて、挙句の果てに2人とも死んでしまうのですからプロットとしてはいかがなものかと思われます。
けれども、純情可憐な原節子がぴたりと壺にはまってじつにういういしい。いい歳こいた海千山千の男が乗りかかかった船、とうとう大事な命まで投げ出してしまうってことは今も昔もあったのではないでしょうか。
それにつけても30分近くあったとかいうラストの迫真の立ち回りがあまりにも短すぎるのは物足りない。溝のバリケードの裏側から刺殺される河内山宗俊の壮烈な死にざまもこれが延々と続いてこそ生かされるのですからね。
監督・脚本 山中貞雄、脚本三村伸太郎、撮影町井春美、音楽西悟郎、出演 河原崎長十郎、中村翫右衛門、山岸しづ江、加東大介、霧立のぼる、市川楽三郎(1936年 日活太秦発声制作)
♪あのこ可愛いや死んでもいいよグサリ突き刺す心の臓 茫洋
これも夭折した山中の時代劇映画です。
遺作の「人情紙風船」で心中する、いな妻に無理心中されてしまう忍従型の武士をやった河原崎長十郎が茶坊主の主役を、やくざな髪結い役の中村翫右衛門が浪人をあいつとめこのご両人はまたしても、(いな遺作と同様に)命を落とすのです。
しかもその遠因が原節子扮する甘酒屋の娘可愛さのためと来ている。彼女の不肖の弟が遊郭の遊女とできてしまい、その水揚げ代の300両を都合してやろうと身を苦界に堕とそうとするけなげな娘が気の毒だというので、あたら大の男がもろ肌脱いでやくだと大立ち回りを演じて、挙句の果てに2人とも死んでしまうのですからプロットとしてはいかがなものかと思われます。
けれども、純情可憐な原節子がぴたりと壺にはまってじつにういういしい。いい歳こいた海千山千の男が乗りかかかった船、とうとう大事な命まで投げ出してしまうってことは今も昔もあったのではないでしょうか。
それにつけても30分近くあったとかいうラストの迫真の立ち回りがあまりにも短すぎるのは物足りない。溝のバリケードの裏側から刺殺される河内山宗俊の壮烈な死にざまもこれが延々と続いてこそ生かされるのですからね。
監督・脚本 山中貞雄、脚本三村伸太郎、撮影町井春美、音楽西悟郎、出演 河原崎長十郎、中村翫右衛門、山岸しづ江、加東大介、霧立のぼる、市川楽三郎(1936年 日活太秦発声制作)
♪あのこ可愛いや死んでもいいよグサリ突き刺す心の臓 茫洋
Friday, November 20, 2009
ウイリアム・ワイラー監督「ローマの休日」を見る
闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.19
私のいちばん好きな映画は、やっぱりこれ。「ローマの休日」なのです。
二度と帰らぬ男と女の青春の輝き、ローマのスペイン広場、コロッセオ、サンタンジェロ城、コロンナ宮殿、疾走するヴェスパとフィアット。老獪なウイリアム・ワイラーの巨大な手のひらの上で永遠の恋人たちは恋の輪舞を踊るのです。
しかし何回見ても、涙が出てしまうのはどうしてでしょうか。王国の掟に雁字搦めになったアン王女、(というよりはヘプバーンの)おそらくはたった一度の自由、たった一度の恋、たった一度の(実際は2回するのですが)接吻が、見る人の胸を切なく打つのでしょう。
とりわけ最後の記者会見のシーンで、訪問した世界の都市でどこがいちばん良かったかと聞かれたアン王女が、どこの都市もそれなりに良かったと答えようとして、「ローマです」と断言するくだりは、はっと胸を突かれます。
そしてアメリカ通信社の記者に扮したグレゴリー・ぺックを万感の思いで見つめた小鹿のような黒い瞳が急速に光彩を閉じて、生涯の恋を断ち切って厳しい王女の顔に戻る瞬間を、ワイラーは鋭くとらえています。
柱が高くそびえた宮殿の間を去っていく男の悲しみは、じつは王女のそれよりもかえって深いのでした。
♪ヘプバーンもペックもワイラーも死にたれど「ローマの休日」は永遠に残らむ 茫洋
私のいちばん好きな映画は、やっぱりこれ。「ローマの休日」なのです。
二度と帰らぬ男と女の青春の輝き、ローマのスペイン広場、コロッセオ、サンタンジェロ城、コロンナ宮殿、疾走するヴェスパとフィアット。老獪なウイリアム・ワイラーの巨大な手のひらの上で永遠の恋人たちは恋の輪舞を踊るのです。
しかし何回見ても、涙が出てしまうのはどうしてでしょうか。王国の掟に雁字搦めになったアン王女、(というよりはヘプバーンの)おそらくはたった一度の自由、たった一度の恋、たった一度の(実際は2回するのですが)接吻が、見る人の胸を切なく打つのでしょう。
とりわけ最後の記者会見のシーンで、訪問した世界の都市でどこがいちばん良かったかと聞かれたアン王女が、どこの都市もそれなりに良かったと答えようとして、「ローマです」と断言するくだりは、はっと胸を突かれます。
そしてアメリカ通信社の記者に扮したグレゴリー・ぺックを万感の思いで見つめた小鹿のような黒い瞳が急速に光彩を閉じて、生涯の恋を断ち切って厳しい王女の顔に戻る瞬間を、ワイラーは鋭くとらえています。
柱が高くそびえた宮殿の間を去っていく男の悲しみは、じつは王女のそれよりもかえって深いのでした。
♪ヘプバーンもペックもワイラーも死にたれど「ローマの休日」は永遠に残らむ 茫洋
Thursday, November 19, 2009
鎌倉文学館特別展を見る
茫洋物見遊山記第6回&鎌倉ちょっと不思議な物語第208回
特別展「鎌倉からの手紙、鎌倉への手紙」を見に行きましたら、いろんな作家のいろんな手書きが並んでいて面白かったのです。
まず漱石は避暑地鎌倉から娘筆子へのやさしい葉書です。漱石の親友正岡子規が迫りくる死を脊髄に予感しつつ在倫敦の漱石に出したいかにも彼らしい文飾を施した巻き紙も展示してありました。
漱石の弟子の芥川龍之介は横須賀の海軍士官学校で英語教師を務めながら鎌倉大町の元八幡神社傍に住んで「蜘蛛の糸」、「地獄変」、未完となった「邪宗門」を書きましたが、本展では漱石夫人から贈られた文机も展示してありました。
わが最愛の詩人中原中也関係では30歳で死ぬ直前に母親に出した手紙が印象的でした。中也は自分の死の原因となった病気である結核性脳膜炎を「痛風」と書いていますが、清川病院の医師はきっと藪医者だったに違いありません。もっとも中也が亡くなったというだけの理由でわたしはずっとこの病院をかかりつけにしている訳ですが。
母親フクへの最後の手紙で、中也は自分はこれからもういちど日仏学館の通信講座でフランス語を学びなおし、あちこち旅行もしながら5、6年後に文壇再登場を果たしたい。自分は元気いっぱいで運勢占いでもだんだん運が向くという良い卦が出たから、と安心させていますが、それからわずか2ヶ月後には亡くなってしまいました。人の世の無常と悲哀をこれほど感じさせる手紙もないでしょう。
それから太宰治が川端康成に出した「芥川賞を下さい」という有名な直訴状も展示してありましたが、これはあんまりだと驚かずにはいられません。直情を披歴した太宰の嘘偽りのない気持ちであることはだれにもわかるでしょうが、川端のような繊細な神経の持ち主にとっては「この田舎者め!」と逆効果であったに違いありません。太宰の「晩年」がいくら名作であったとしても、また審査員が川端ならずとも、きっと落選させるでしょう。
太宰ってほんとうに不器用な男だったのですね。しかしその不器用さが魅力でもある作家です。
♪くださいください芥川賞そんな恥ずかしい手紙をよくも書いたもんだ 茫洋
特別展「鎌倉からの手紙、鎌倉への手紙」を見に行きましたら、いろんな作家のいろんな手書きが並んでいて面白かったのです。
まず漱石は避暑地鎌倉から娘筆子へのやさしい葉書です。漱石の親友正岡子規が迫りくる死を脊髄に予感しつつ在倫敦の漱石に出したいかにも彼らしい文飾を施した巻き紙も展示してありました。
漱石の弟子の芥川龍之介は横須賀の海軍士官学校で英語教師を務めながら鎌倉大町の元八幡神社傍に住んで「蜘蛛の糸」、「地獄変」、未完となった「邪宗門」を書きましたが、本展では漱石夫人から贈られた文机も展示してありました。
わが最愛の詩人中原中也関係では30歳で死ぬ直前に母親に出した手紙が印象的でした。中也は自分の死の原因となった病気である結核性脳膜炎を「痛風」と書いていますが、清川病院の医師はきっと藪医者だったに違いありません。もっとも中也が亡くなったというだけの理由でわたしはずっとこの病院をかかりつけにしている訳ですが。
母親フクへの最後の手紙で、中也は自分はこれからもういちど日仏学館の通信講座でフランス語を学びなおし、あちこち旅行もしながら5、6年後に文壇再登場を果たしたい。自分は元気いっぱいで運勢占いでもだんだん運が向くという良い卦が出たから、と安心させていますが、それからわずか2ヶ月後には亡くなってしまいました。人の世の無常と悲哀をこれほど感じさせる手紙もないでしょう。
それから太宰治が川端康成に出した「芥川賞を下さい」という有名な直訴状も展示してありましたが、これはあんまりだと驚かずにはいられません。直情を披歴した太宰の嘘偽りのない気持ちであることはだれにもわかるでしょうが、川端のような繊細な神経の持ち主にとっては「この田舎者め!」と逆効果であったに違いありません。太宰の「晩年」がいくら名作であったとしても、また審査員が川端ならずとも、きっと落選させるでしょう。
太宰ってほんとうに不器用な男だったのですね。しかしその不器用さが魅力でもある作家です。
♪くださいください芥川賞そんな恥ずかしい手紙をよくも書いたもんだ 茫洋
Wednesday, November 18, 2009
ジョン・ウー監督「M:I-2」を見ながら
ジョン・ウー監督「M:I-2」を見ながら
闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.18
トム・クルーズ主演の「ミッション・インポシブル」の第2弾ですが、ちゃんとそのように表示しろ。原題は「MISSION:IMPOSSIBLE2」なのに「M:1=2」なんて判じ物じゃ。身内だけで通用している訳のわからぬタイトルを勝手なつけるな!
と観る前から怒り狂っていた私ですが、トム・クルーズの崖登りやカーアクションにはびっくり。スタントマンなしでやっていたとすれば立派なものです。
今回のクルーズ選手の使命は、悪人ダグレイ・スコットから最悪の殺人ウイルスとその治療薬を奪還すること。ところがクルーズが相棒のヒロインタンディ・ニュートンに本気で惚れてしまい、そのヒロインが元恋人の悪人の人質になってしまったために恋と仕事がひとつにからんだ鳴り物入りの追跡劇がスリルとサスペンスもどっちゃりと2時間にわたって繰り広げられるわけです。
トム・クルーズが監督に呼び寄せた「バイオレンスの詩人」なぞと称される香港ヤサグレ派のジョン・ウーが、バイオレンスシーンの撮影なぞにそこそこ手腕を発揮していますが、なに往年の巨匠サム・ペキンパーに比べれば児戯に等しい演出に過ぎません。
またせっかくアンソニー・ホプキンスを起用しながらこれが善人役とは。ヒロイン役タンディ・ニュートンの魅力のなさと相俟って、壺を心得たキャスティングとは程遠いもの。ラストのしらけるようなエンディングもとってつけたような代物と言わざるを得ません。
♪男たちの挽歌どころか己の挽歌を歌うのか疲弊したジョン・ウーよ 茫洋
闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.18
トム・クルーズ主演の「ミッション・インポシブル」の第2弾ですが、ちゃんとそのように表示しろ。原題は「MISSION:IMPOSSIBLE2」なのに「M:1=2」なんて判じ物じゃ。身内だけで通用している訳のわからぬタイトルを勝手なつけるな!
と観る前から怒り狂っていた私ですが、トム・クルーズの崖登りやカーアクションにはびっくり。スタントマンなしでやっていたとすれば立派なものです。
今回のクルーズ選手の使命は、悪人ダグレイ・スコットから最悪の殺人ウイルスとその治療薬を奪還すること。ところがクルーズが相棒のヒロインタンディ・ニュートンに本気で惚れてしまい、そのヒロインが元恋人の悪人の人質になってしまったために恋と仕事がひとつにからんだ鳴り物入りの追跡劇がスリルとサスペンスもどっちゃりと2時間にわたって繰り広げられるわけです。
トム・クルーズが監督に呼び寄せた「バイオレンスの詩人」なぞと称される香港ヤサグレ派のジョン・ウーが、バイオレンスシーンの撮影なぞにそこそこ手腕を発揮していますが、なに往年の巨匠サム・ペキンパーに比べれば児戯に等しい演出に過ぎません。
またせっかくアンソニー・ホプキンスを起用しながらこれが善人役とは。ヒロイン役タンディ・ニュートンの魅力のなさと相俟って、壺を心得たキャスティングとは程遠いもの。ラストのしらけるようなエンディングもとってつけたような代物と言わざるを得ません。
♪男たちの挽歌どころか己の挽歌を歌うのか疲弊したジョン・ウーよ 茫洋
Tuesday, November 17, 2009
ニコラ・ルイゾッティ指揮・東響「ドン・ジョヴァンニ」を視聴する
♪音楽千夜一夜第94回
今年の4月5日にサントリーホールで行われたライブ収録されたビデオを鑑賞しました。
前回の「フィガロの結婚」の演奏の時にも感じたことですが、この指揮者にはイタリアの田舎を吹いているそよ風を感じます。モーツアルトを考えすぎると小澤やアーノンクールのような妙にしかつめらしいもったいぶった演奏に陥るのですが、ニコラ・ルイゾッティは、割合自然かつノンシャランに振っているのが幸いしていると思います。
そのタクトに東京交響楽団が素直についていっています。もう少し積極性が欲しいところですが、しょせん日本のプロのオケには無理でしょう。N響なんかでなくてもっけの幸いでした。
オペラは舞台を設けて音楽を鳴らしたりダンスを踊ったりして、どこかに居るに違いない芸能の神様の降臨を待ち望む儀式です。運が良ければアルスの神が天井からするすると舞い降りてきますが、幸いなことにこの公演では、ドン・ジョバンニが一幕で村娘ツエルリーナを誘惑する「お手をどうぞ」の二重唱のところでそれがあった形跡があります。
昔「愛より速く」という名作がありましたが、モーツアルトは娘さんがたった60秒で男に身を投げ出しても構わないという気持ちに実際にさせてしまう凄い肉愛の音楽を書いたのですね。娘が身を横たえた小娘がモンシロチョウの雌のように両の肢をわずかに開くところを、きっと天上のモーツアルトも覗きこんでいたはずです。
この公演の最大の見どころはダビニア・ロドリゲス扮するツェルリーナの演技と歌唱。これまでそれほど印象が強くなかったこの役柄の意味の再考を迫るほどの鮮やかな切れ味を見せました。人気急上昇の実力派マルクス・ウェルバによる立派な外題役ともども大きな賞讃に価します。
ガブリエル・エルゾテイの演出はホールオペラの弱点を逆手に取ってなかなかしたたかに振る舞っていましたが、ドンナ・エルヴィーラに男装させたり、やたら役者にいま流行の帽子をかぶらせたりする衣装担当者の妙なこだわりは気になりました。
気になるといえば、指揮者が兼ねて弾いていたフォルテピアノのレチタティーボは二幕で騎士長が石像となって登場する箇所でピアノ協奏曲k488の第二楽章のアダージョを即興で弾いていましたが、二幕の食事のシーンで奏でられるフィガロならともかく作曲者の指定のないこういう演奏は肝心かなめのオペラの演奏に致命的な影響を与えるということが分かっていないのではないでしょうか。
それでは最後に、当夜出演した歌手の成績を四段階で採点しておきましょう。
ドン・ジョヴァンニ:マルクス・ウェルバ 優
騎士長:エンツォ・カプアーノ 可
ドンナ・アンナ:セレーナ・ファルノッキア 良
ドン・オッターヴィオ:ブラゴイ・ナコスキ 可
ドンナ・エルヴィーラ:増田 朋子 不可
レポレルロ:マルコ・ヴィンコ 良
マゼット:ディヤン・ヴァチコフ 可
ツェルリーナ:ダビニア・ロドリゲス 優
ドンナ・エルヴィーラ役の増田 朋子は歌唱、演技ともにかなり問題があって完全なミスキャスト。他のスタッフがモーツアルトの音楽に乗っているというのに1人だけ不協和音を奏でていました。
アリアによっては歌いきれていないものがあるというのに、邦人びいきというのかブーの代わりにブラボーを叫ぶ者も多く、レポレルロのカタログの歌の途中で拍手をする手合いも飛び出すなど、この夜の聴衆の耳を疑ったことでした。
♪電話しつつお辞儀する妻の好ましや 茫洋
今年の4月5日にサントリーホールで行われたライブ収録されたビデオを鑑賞しました。
前回の「フィガロの結婚」の演奏の時にも感じたことですが、この指揮者にはイタリアの田舎を吹いているそよ風を感じます。モーツアルトを考えすぎると小澤やアーノンクールのような妙にしかつめらしいもったいぶった演奏に陥るのですが、ニコラ・ルイゾッティは、割合自然かつノンシャランに振っているのが幸いしていると思います。
そのタクトに東京交響楽団が素直についていっています。もう少し積極性が欲しいところですが、しょせん日本のプロのオケには無理でしょう。N響なんかでなくてもっけの幸いでした。
オペラは舞台を設けて音楽を鳴らしたりダンスを踊ったりして、どこかに居るに違いない芸能の神様の降臨を待ち望む儀式です。運が良ければアルスの神が天井からするすると舞い降りてきますが、幸いなことにこの公演では、ドン・ジョバンニが一幕で村娘ツエルリーナを誘惑する「お手をどうぞ」の二重唱のところでそれがあった形跡があります。
昔「愛より速く」という名作がありましたが、モーツアルトは娘さんがたった60秒で男に身を投げ出しても構わないという気持ちに実際にさせてしまう凄い肉愛の音楽を書いたのですね。娘が身を横たえた小娘がモンシロチョウの雌のように両の肢をわずかに開くところを、きっと天上のモーツアルトも覗きこんでいたはずです。
この公演の最大の見どころはダビニア・ロドリゲス扮するツェルリーナの演技と歌唱。これまでそれほど印象が強くなかったこの役柄の意味の再考を迫るほどの鮮やかな切れ味を見せました。人気急上昇の実力派マルクス・ウェルバによる立派な外題役ともども大きな賞讃に価します。
ガブリエル・エルゾテイの演出はホールオペラの弱点を逆手に取ってなかなかしたたかに振る舞っていましたが、ドンナ・エルヴィーラに男装させたり、やたら役者にいま流行の帽子をかぶらせたりする衣装担当者の妙なこだわりは気になりました。
気になるといえば、指揮者が兼ねて弾いていたフォルテピアノのレチタティーボは二幕で騎士長が石像となって登場する箇所でピアノ協奏曲k488の第二楽章のアダージョを即興で弾いていましたが、二幕の食事のシーンで奏でられるフィガロならともかく作曲者の指定のないこういう演奏は肝心かなめのオペラの演奏に致命的な影響を与えるということが分かっていないのではないでしょうか。
それでは最後に、当夜出演した歌手の成績を四段階で採点しておきましょう。
ドン・ジョヴァンニ:マルクス・ウェルバ 優
騎士長:エンツォ・カプアーノ 可
ドンナ・アンナ:セレーナ・ファルノッキア 良
ドン・オッターヴィオ:ブラゴイ・ナコスキ 可
ドンナ・エルヴィーラ:増田 朋子 不可
レポレルロ:マルコ・ヴィンコ 良
マゼット:ディヤン・ヴァチコフ 可
ツェルリーナ:ダビニア・ロドリゲス 優
ドンナ・エルヴィーラ役の増田 朋子は歌唱、演技ともにかなり問題があって完全なミスキャスト。他のスタッフがモーツアルトの音楽に乗っているというのに1人だけ不協和音を奏でていました。
アリアによっては歌いきれていないものがあるというのに、邦人びいきというのかブーの代わりにブラボーを叫ぶ者も多く、レポレルロのカタログの歌の途中で拍手をする手合いも飛び出すなど、この夜の聴衆の耳を疑ったことでした。
♪電話しつつお辞儀する妻の好ましや 茫洋
Monday, November 16, 2009
横須賀ところどころ 第3回
茫洋物見遊山記 第5回
ところでヴェルニー記念館の当時28歳のヴェルニーを起用して横須賀に製鉄と造船所を作ったのは、幕府の陸軍と海軍の奉行並を兼務していた、つまりは軍のトップであった小栗上野介(忠順)でした。
小栗上野介は明治政府の近代化政策の骨格を敷いたと評される開明的な頭脳の持ち主で、将軍徳川慶喜を説いて300億円を拠出させ、駐日フランス公使のレオン・ロシュの協力を得てヴェルニーを招聘し、横須賀造船所を創設したのでした。また製鉄所の建設をきっかけに横浜仏蘭西語伝習所という日本初のフランス語学校を設立。これもロッシュの助力でフランス人講師を招いて本格的な授業を行ないました。
ロシュなどの外国人との交際においては、彼が安政7年1860年に咸臨丸の一行とともに渡米して、かの地で優れた文明と科学技術に接した貴重な経験が存分に生かされていたようです。
しかし薩長との武力対決を唱えた小栗はその主戦論が容れられず、職を罷免されて郷里の高崎・権田村に帰りましたが、明治新政府から恨みを買い、慶応4年1968年4月4日の午前11時に斬首されて果てました。裁判なしの即時処刑ですから維新政府の兵士も無茶苦茶なことをしたものです。
ヴェルニー記念館のあるヴェルニー公園の一角には小栗上野介とヴェルニーの二人の胸像が並んで建てられ、その視線は彼らの青春の思い出である横須賀の港を見つめています。
♪上野介の首が落ちたるさざれ石 茫洋
ところでヴェルニー記念館の当時28歳のヴェルニーを起用して横須賀に製鉄と造船所を作ったのは、幕府の陸軍と海軍の奉行並を兼務していた、つまりは軍のトップであった小栗上野介(忠順)でした。
小栗上野介は明治政府の近代化政策の骨格を敷いたと評される開明的な頭脳の持ち主で、将軍徳川慶喜を説いて300億円を拠出させ、駐日フランス公使のレオン・ロシュの協力を得てヴェルニーを招聘し、横須賀造船所を創設したのでした。また製鉄所の建設をきっかけに横浜仏蘭西語伝習所という日本初のフランス語学校を設立。これもロッシュの助力でフランス人講師を招いて本格的な授業を行ないました。
ロシュなどの外国人との交際においては、彼が安政7年1860年に咸臨丸の一行とともに渡米して、かの地で優れた文明と科学技術に接した貴重な経験が存分に生かされていたようです。
しかし薩長との武力対決を唱えた小栗はその主戦論が容れられず、職を罷免されて郷里の高崎・権田村に帰りましたが、明治新政府から恨みを買い、慶応4年1968年4月4日の午前11時に斬首されて果てました。裁判なしの即時処刑ですから維新政府の兵士も無茶苦茶なことをしたものです。
ヴェルニー記念館のあるヴェルニー公園の一角には小栗上野介とヴェルニーの二人の胸像が並んで建てられ、その視線は彼らの青春の思い出である横須賀の港を見つめています。
♪上野介の首が落ちたるさざれ石 茫洋
梟が鳴く森で 第4回
9月11日
岳君、定期、ちゃんと、見せなさいよ。
分かった。見せた? 居た。分かった。分かった。
岳君、御母さんに、言って、貰いなさい。
分かった。分かった。分かった。分かった。分かった。
ちゃんと、待って、居るんだよ。
分かった。分かった。分かった。
岳君、今日、英語、行くんだよ。
分かった。
岳君、今日、暖かいね。
分かった。由紀ちゃんの御友達なの。
分かった。分かった。
9月12日
TATSUO YASUHIRO MARIKO ASANO RIKA TOSHIHIKO KEISUKE NOBUICHI HITOHARU KOHEI TAKANOBU YOKO FUMIE SANPEI KHO HARUKO NORIKO
9月13日 晴のち曇
発車ベルの話
発車ベルが、鳴ると、ドアが閉まります。ほかの駅は、音楽が鳴ります。JR東日本。
♪テレビ見つつ頷く妻の好ましや 茫洋
岳君、定期、ちゃんと、見せなさいよ。
分かった。見せた? 居た。分かった。分かった。
岳君、御母さんに、言って、貰いなさい。
分かった。分かった。分かった。分かった。分かった。
ちゃんと、待って、居るんだよ。
分かった。分かった。分かった。
岳君、今日、英語、行くんだよ。
分かった。
岳君、今日、暖かいね。
分かった。由紀ちゃんの御友達なの。
分かった。分かった。
9月12日
TATSUO YASUHIRO MARIKO ASANO RIKA TOSHIHIKO KEISUKE NOBUICHI HITOHARU KOHEI TAKANOBU YOKO FUMIE SANPEI KHO HARUKO NORIKO
9月13日 晴のち曇
発車ベルの話
発車ベルが、鳴ると、ドアが閉まります。ほかの駅は、音楽が鳴ります。JR東日本。
♪テレビ見つつ頷く妻の好ましや 茫洋
Saturday, November 14, 2009
キシュ著「庭、灰」カルヴィーノ著「見えない都市」を読んで
照る日曇る日第310回
これは池澤夏樹編集による河出書房新社の世界文学全集の1冊です。
ユーゴスラビアのキシュが書いたのは現実と幻想がごった煮になった父親の思い出とそれに付随するビルダングスロマン。ユダヤ人の父親はアウシュビッツで帰らぬ人となりましたが、誰にせよ父にまつわるさまざまな記憶と物語はあるわけで、それらと比べてこの小説が格別劣るわけでもすぐれているわけでもありません。
イタリアのカルヴィーノが書いたのは、これとは正反対の幻想小説です。マルコ・ポーロの「東方見聞録」を下敷きにした偉大なる旅行者と偉大なる征服者フビライ・ハーンとの世界の都市をめぐる対話です。
それらすべて女性の名前がつけられた都市はベネツイアをのぞいて実在しない空想の都市であり、したがってそれらの都市をめぐってさまざまな視点から繰り返される対話自体も空想的な性質のものです。
第7部に至って、フビライはポーロが一歩も静謐な庭を動いて形跡がないにもかかわらず、いつそれらの数多くの都市を訪問する暇があったのかと疑い、「朕もまたここにおるということが確かなこととは思えないのだ」と自問します。
万里の長城やヴェネツィアははたして本当に実在していたのか? マルコ・ポーロもフビライもはたして実在したのか? 歴史的事実も人物もその存在の根底が激しく疑われたままこのいかにももっともらしい小説は終わりを告げるのです。
♪われ描くゆえに都市ありカルヴィーノ語りき 茫洋
これは池澤夏樹編集による河出書房新社の世界文学全集の1冊です。
ユーゴスラビアのキシュが書いたのは現実と幻想がごった煮になった父親の思い出とそれに付随するビルダングスロマン。ユダヤ人の父親はアウシュビッツで帰らぬ人となりましたが、誰にせよ父にまつわるさまざまな記憶と物語はあるわけで、それらと比べてこの小説が格別劣るわけでもすぐれているわけでもありません。
イタリアのカルヴィーノが書いたのは、これとは正反対の幻想小説です。マルコ・ポーロの「東方見聞録」を下敷きにした偉大なる旅行者と偉大なる征服者フビライ・ハーンとの世界の都市をめぐる対話です。
それらすべて女性の名前がつけられた都市はベネツイアをのぞいて実在しない空想の都市であり、したがってそれらの都市をめぐってさまざまな視点から繰り返される対話自体も空想的な性質のものです。
第7部に至って、フビライはポーロが一歩も静謐な庭を動いて形跡がないにもかかわらず、いつそれらの数多くの都市を訪問する暇があったのかと疑い、「朕もまたここにおるということが確かなこととは思えないのだ」と自問します。
万里の長城やヴェネツィアははたして本当に実在していたのか? マルコ・ポーロもフビライもはたして実在したのか? 歴史的事実も人物もその存在の根底が激しく疑われたままこのいかにももっともらしい小説は終わりを告げるのです。
♪われ描くゆえに都市ありカルヴィーノ語りき 茫洋
Friday, November 13, 2009
山中貞雄監督「人情紙風船」を見る
闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.17
わずか28歳で若い命を中国戦線に散らした山中の最後の作品です。タイトルどおりの江戸時代の長屋もので、ちょっとくだけた落語調で住人の首つり自殺騒ぎを語り始める導入部はなにやら職人肌の超ベテランの仕事のようです。
しかしその軽妙さが、第2、第3の殺人事件で終わりを告げるラストは衝撃的でもあり、いささか唐突でもありますが、この開始と終結のあざやかな構成はやはりただものの仕業ではなく、早熟の天才の片鱗を垣間見せたものでしょう。
棟割り長屋の住人たちはけっして熊さんや八っさんではなく、威勢の良いやくざな髪結の町人や不甲斐ない侍とその生活をしがない紙風船作りで支える妻であり、その住人たちをとりかこむ武家や富裕な商人たちややくざが三味一体となった権力構造もさりげなく描かれており、やがて突然の悲劇がまるで山中の最期を予言するように起こるのです。
黒澤と同世代のこの監督がもし生きていたら、どのような傑作をわれわれに見せてくれたでしょうか。長十郎、翫右衛門、加東大介が好演。
脚本三村伸太郎、撮影三村明、音楽太田忠、出演前進座一同=河原崎長十郎、中村翫右衛門、山岸しづ江、霧立のぼる、市川楽三郎(1937年 前進座/P・C・L制作)
♪せめてあと20年あらばさぞや傑作が生まれたろう人情紙風船のごとし 茫洋
わずか28歳で若い命を中国戦線に散らした山中の最後の作品です。タイトルどおりの江戸時代の長屋もので、ちょっとくだけた落語調で住人の首つり自殺騒ぎを語り始める導入部はなにやら職人肌の超ベテランの仕事のようです。
しかしその軽妙さが、第2、第3の殺人事件で終わりを告げるラストは衝撃的でもあり、いささか唐突でもありますが、この開始と終結のあざやかな構成はやはりただものの仕業ではなく、早熟の天才の片鱗を垣間見せたものでしょう。
棟割り長屋の住人たちはけっして熊さんや八っさんではなく、威勢の良いやくざな髪結の町人や不甲斐ない侍とその生活をしがない紙風船作りで支える妻であり、その住人たちをとりかこむ武家や富裕な商人たちややくざが三味一体となった権力構造もさりげなく描かれており、やがて突然の悲劇がまるで山中の最期を予言するように起こるのです。
黒澤と同世代のこの監督がもし生きていたら、どのような傑作をわれわれに見せてくれたでしょうか。長十郎、翫右衛門、加東大介が好演。
脚本三村伸太郎、撮影三村明、音楽太田忠、出演前進座一同=河原崎長十郎、中村翫右衛門、山岸しづ江、霧立のぼる、市川楽三郎(1937年 前進座/P・C・L制作)
♪せめてあと20年あらばさぞや傑作が生まれたろう人情紙風船のごとし 茫洋
Thursday, November 12, 2009
吉村昭著「吉村昭歴史小説集成5」を読んで
照る日曇る日第309回
この巻に収められたのは「大黒屋光太夫」と「アメリカ彦蔵」の2つの作品で、いずれも江戸時代に海難事故で遭難した水夫の波乱万丈の生涯の物語です。
天明2年1782年、伊勢国白子浦を15名の仲間とともに江戸に向かった沖船頭大黒屋光太夫は遠州灘で時化にあいます。刎ね荷を行い帆柱を切り倒して坊主船となった神昌丸はアリューシャン列島のアムチトカ島に漂着し、そこでロシア人ニビジモフに救われた光太夫は極寒さと病気で13名の仲間を失いながらカムチャッカオホーツク、ヤクーツクを経てイルクーツクに到着。ロシア当局者の好意と援助に支えられながらペテルブルグに赴きエカテリナ女帝に拝謁し、女帝の命でラクスマンとともに12年ぶりに故国の土を踏みます。
いっぽう「アメリカ彦蔵」の主人公彦太郎は、播磨国加古郡播磨町の水夫でしたが、嘉永年1850年に浦賀沖から大坂に向かう永力丸に13歳の若さで乗って熊野沖で遭難、太平洋を漂流するうちに米船に救助されてサンフランシスコに到着。やはりこの国でも多くの人々の温かい援助を受けて、リンカーンなど3人の大統領と面会するなど、この国の言語習慣文化になじみ、ついに米国籍を得て安政6年に帰国しました。
いずれも身分の低い一介の漁夫にすぎない者が、偶然とはいえロシア、アメリカという先進国の文明の余沢を受けて世界の最新情報に通じ、語学を生かして生計の道を得たのみならず当時のエリート階級に接近してあざやかに一種のコスモポリタンとして成り上がるさまを、著者は例によって膨大な文献を駆使し、光太夫や彦蔵その人になりきって彼らの足跡を舐めるような圧倒的なリアリズムで描破しています。
ギリシア正教の洗礼を受けなかったために帰国できた光太夫と、カトリック受洗者でありアメリカ国籍取得者であったにもかかわらず入国を許されたジョセフ・ヒコ。
まるで一身にして二生を経るような異邦体験を経た日本人でありながら、故里では浦島太郎のような味気ない思いを懐いた二人。
かつて世界の輝かしい頂点を見た二人の晩年には、コスモポリタン特有の三界に身の置き所がない根なし草のどこか虚ろなものがあったようです。
♪エカテリナの抱擁リンカンの分厚い掌漁夫の見し夢のまた夢 茫洋
この巻に収められたのは「大黒屋光太夫」と「アメリカ彦蔵」の2つの作品で、いずれも江戸時代に海難事故で遭難した水夫の波乱万丈の生涯の物語です。
天明2年1782年、伊勢国白子浦を15名の仲間とともに江戸に向かった沖船頭大黒屋光太夫は遠州灘で時化にあいます。刎ね荷を行い帆柱を切り倒して坊主船となった神昌丸はアリューシャン列島のアムチトカ島に漂着し、そこでロシア人ニビジモフに救われた光太夫は極寒さと病気で13名の仲間を失いながらカムチャッカオホーツク、ヤクーツクを経てイルクーツクに到着。ロシア当局者の好意と援助に支えられながらペテルブルグに赴きエカテリナ女帝に拝謁し、女帝の命でラクスマンとともに12年ぶりに故国の土を踏みます。
いっぽう「アメリカ彦蔵」の主人公彦太郎は、播磨国加古郡播磨町の水夫でしたが、嘉永年1850年に浦賀沖から大坂に向かう永力丸に13歳の若さで乗って熊野沖で遭難、太平洋を漂流するうちに米船に救助されてサンフランシスコに到着。やはりこの国でも多くの人々の温かい援助を受けて、リンカーンなど3人の大統領と面会するなど、この国の言語習慣文化になじみ、ついに米国籍を得て安政6年に帰国しました。
いずれも身分の低い一介の漁夫にすぎない者が、偶然とはいえロシア、アメリカという先進国の文明の余沢を受けて世界の最新情報に通じ、語学を生かして生計の道を得たのみならず当時のエリート階級に接近してあざやかに一種のコスモポリタンとして成り上がるさまを、著者は例によって膨大な文献を駆使し、光太夫や彦蔵その人になりきって彼らの足跡を舐めるような圧倒的なリアリズムで描破しています。
ギリシア正教の洗礼を受けなかったために帰国できた光太夫と、カトリック受洗者でありアメリカ国籍取得者であったにもかかわらず入国を許されたジョセフ・ヒコ。
まるで一身にして二生を経るような異邦体験を経た日本人でありながら、故里では浦島太郎のような味気ない思いを懐いた二人。
かつて世界の輝かしい頂点を見た二人の晩年には、コスモポリタン特有の三界に身の置き所がない根なし草のどこか虚ろなものがあったようです。
♪エカテリナの抱擁リンカンの分厚い掌漁夫の見し夢のまた夢 茫洋
Wednesday, November 11, 2009
横須賀ところどころ 第2回
茫洋物見遊山記 第4回
ヴェルニー記念館の見どころは、巨大なスチームハンマーです。
慶応元年1865年に製造されその翌年にオランダから輸入されたこの横須賀製鉄所備え付けの工作機械は、蒸気(スチーム)を動力としてハンマー(鎚)を持ち上げてこれを落下させ、加熱した金属素材に打撃力を加えて鍛造作業を行うもので、19世紀半ばにイギリスのナスミスという人が考案したそうです。
スチームハンマーが稼働するためには巨大なハンマーを受け止めるための地下部分の強化が重要で、落下する重量の20倍から30倍もある重量物を埋める必要があったといわれていますが、その現物がこの記念館には据え付けてあり、日曜祭日には実際に稼働するところを見物できるそうです。
また明治22年1889年に開業した横須賀駅のホームには古いイギリスとアメリカ製のレールが再利用され、アメリカ製の鉄鋼を使って1910年代に建てられた工場はいまなお横須賀で現役で働いています。
このように横須賀製鉄所は、当初フランスとオランダの技術が取り入れられ、続いて明治以降ドイツやイギリス、アメリカの工業技術も移入された先進技術工場だったのです。
以上昨日の記事とともに、ヴェルニー記念館のパンフレットより勝手に引用させていただきました。
♪君知るや幕末の巨大機械平成の御代になおも駆動するを 茫洋
ヴェルニー記念館の見どころは、巨大なスチームハンマーです。
慶応元年1865年に製造されその翌年にオランダから輸入されたこの横須賀製鉄所備え付けの工作機械は、蒸気(スチーム)を動力としてハンマー(鎚)を持ち上げてこれを落下させ、加熱した金属素材に打撃力を加えて鍛造作業を行うもので、19世紀半ばにイギリスのナスミスという人が考案したそうです。
スチームハンマーが稼働するためには巨大なハンマーを受け止めるための地下部分の強化が重要で、落下する重量の20倍から30倍もある重量物を埋める必要があったといわれていますが、その現物がこの記念館には据え付けてあり、日曜祭日には実際に稼働するところを見物できるそうです。
また明治22年1889年に開業した横須賀駅のホームには古いイギリスとアメリカ製のレールが再利用され、アメリカ製の鉄鋼を使って1910年代に建てられた工場はいまなお横須賀で現役で働いています。
このように横須賀製鉄所は、当初フランスとオランダの技術が取り入れられ、続いて明治以降ドイツやイギリス、アメリカの工業技術も移入された先進技術工場だったのです。
以上昨日の記事とともに、ヴェルニー記念館のパンフレットより勝手に引用させていただきました。
♪君知るや幕末の巨大機械平成の御代になおも駆動するを 茫洋
Tuesday, November 10, 2009
横須賀ところどころ 第1回
横須賀駅のすぐそばにあるのがヴェルニー記念館というちょっと変わった建物です。
ヴェルニーは幕末にフランスから招かれたお雇い外国人の一人ですが、この地に横須賀製鉄所(造船所)を建設しわが国の近代化に大きく貢献した彼の功績をながく後世に伝えるために建てられたそうです。
ヴェルニーは1837年にフランスアルディシュ県オブナに生まれリヨンの国立高等中学を経てパリのエコール・ポリテクニクに入学、1858年海軍造船大学校に進み、25歳で2等造船技師資格を取ってブレストの海軍工廠に勤務、海軍の技術者として中国の寧波で造船に従事していましたが、慶応元年1865年に来日し、横須賀製鉄所をつくってその活動を軌道に乗せ、12年間の滞在を終えて明治9年1876年3月に帰国し、故郷オブナで71歳で逝去しました。
横須賀製鉄所はゆいいつの政府直轄の造船所として軍艦清輝や運送船箱館丸などの汽船を製造したほか、国内外の艦船263艘を修理し、明治政府の富国強兵・殖産興業のモデルとして活躍し、付属教育機関からは数多くの艦船建造技術者やフランス語教育者を輩出しました。
ウオルターズ兄弟とともに銀座の煉瓦街の建設に加わった朝倉清一や旧丸ビルを建てた桜井小太郎もこの学校の卒業生です。
♪ダイエーの500m先に潜水艦浮かぶ横須賀に驚かぬ人 茫洋
ヴェルニーは幕末にフランスから招かれたお雇い外国人の一人ですが、この地に横須賀製鉄所(造船所)を建設しわが国の近代化に大きく貢献した彼の功績をながく後世に伝えるために建てられたそうです。
ヴェルニーは1837年にフランスアルディシュ県オブナに生まれリヨンの国立高等中学を経てパリのエコール・ポリテクニクに入学、1858年海軍造船大学校に進み、25歳で2等造船技師資格を取ってブレストの海軍工廠に勤務、海軍の技術者として中国の寧波で造船に従事していましたが、慶応元年1865年に来日し、横須賀製鉄所をつくってその活動を軌道に乗せ、12年間の滞在を終えて明治9年1876年3月に帰国し、故郷オブナで71歳で逝去しました。
横須賀製鉄所はゆいいつの政府直轄の造船所として軍艦清輝や運送船箱館丸などの汽船を製造したほか、国内外の艦船263艘を修理し、明治政府の富国強兵・殖産興業のモデルとして活躍し、付属教育機関からは数多くの艦船建造技術者やフランス語教育者を輩出しました。
ウオルターズ兄弟とともに銀座の煉瓦街の建設に加わった朝倉清一や旧丸ビルを建てた桜井小太郎もこの学校の卒業生です。
♪ダイエーの500m先に潜水艦浮かぶ横須賀に驚かぬ人 茫洋
Monday, November 09, 2009
梟が鳴く森で 第3回
9月8日 曇のち雨
山手線の話。
前の山手線は、旧型です。旧型は、黄緑の電車です。旧型と、新型が、両方、走って、居ました。新型丈、走って居ます。
9月9日
山手線の話。つづき。
前の山手線は、旧型で、電車は、黄緑です。旧型と、新型は、両方走って、居ます。
そして、旧型の山手線は、南部線と、常磐線と、仙台と、秋田の所へ行って、仕舞いました。山手線の線路は、新型丈、走って、居ます。
9月10日
前の横浜線は?
黄緑丈、黄緑と、緑。根岸線に、似て、居る。其れで、配送、した。
今は、ステンレスカー。
良く、頭、入れなさい。
はい。
♪弦と弦つま弾くギターのおぞましき 茫洋
山手線の話。
前の山手線は、旧型です。旧型は、黄緑の電車です。旧型と、新型が、両方、走って、居ました。新型丈、走って居ます。
9月9日
山手線の話。つづき。
前の山手線は、旧型で、電車は、黄緑です。旧型と、新型は、両方走って、居ます。
そして、旧型の山手線は、南部線と、常磐線と、仙台と、秋田の所へ行って、仕舞いました。山手線の線路は、新型丈、走って、居ます。
9月10日
前の横浜線は?
黄緑丈、黄緑と、緑。根岸線に、似て、居る。其れで、配送、した。
今は、ステンレスカー。
良く、頭、入れなさい。
はい。
♪弦と弦つま弾くギターのおぞましき 茫洋
Sunday, November 08, 2009
ベローナ野外劇場ポンキエリの「ジョコンダ」を視聴する
♪音楽千夜一夜第93回
これは05年6月17日にイタリアベローナの野外劇場で行われた公演のライブです。老練ドナート・レンゼッチィ率いるベローナの管弦楽団が「時の踊り」で有名なこのオペラを好演しました。
演出と衣装はこれもベテランのピエール・ルイージ・ビッティが小奇麗にまとめています。ローマ時代の遺跡という広大な会場なので、オーケストラの音響と合唱がずれるという局面もままありましたが、実力派ぞろいの歌手たちが気持ちよさげに高音を張り上げているのがいかにもイタリアの野外公演でした。
ヒロインのジョコンダはトスカと同じような歌姫という役柄ですが、トスカがスカルピアに迫られたようにバルナバという悪役に欲情を抱かれ、トスカがローマの城壁から身を投げたように、ベネツイアの運河で自刃して果てるのです。あわれと言うも愚かな話です。
ジョコンダには恋しい男がいるのですが、この男はベネツイアの総督の細君にいれあげていて、結局ジョコンダは自らを犠牲にして惚れた男とその恋人のために身を滅ぼしてしまいます。3幕第2場の時の踊りが終わって4幕に入ると最後の愁嘆場になりますが、ここで本当にヒロインに共感して一掬の涙を流してもらえるかがこのお芝居の成功か不成功かの分かれ道ですが、本公演はその点ではいまいちでした。
しかし冒頭のスパイの流言飛語からジョコンダの盲目の母親が魔女扱いされて私刑に遭いそうになる箇所の衝迫振りはなかなかのもので、ポンキエリは人の心に迫る音楽が書けるひとだと改めて思いました。
ちなみにジョコンダとは陽気な女という意味だそうですが、陽気なはずのヒロインが運命のいたずらで自滅に追い詰められていく悲劇的な道行が最大の見どころとはずいぶん皮肉なタイトルをつけたものです。
♪アズディン・アライアの黒のミニから柔らかな2本の脚がくねくねと降りてきた 茫洋
これは05年6月17日にイタリアベローナの野外劇場で行われた公演のライブです。老練ドナート・レンゼッチィ率いるベローナの管弦楽団が「時の踊り」で有名なこのオペラを好演しました。
演出と衣装はこれもベテランのピエール・ルイージ・ビッティが小奇麗にまとめています。ローマ時代の遺跡という広大な会場なので、オーケストラの音響と合唱がずれるという局面もままありましたが、実力派ぞろいの歌手たちが気持ちよさげに高音を張り上げているのがいかにもイタリアの野外公演でした。
ヒロインのジョコンダはトスカと同じような歌姫という役柄ですが、トスカがスカルピアに迫られたようにバルナバという悪役に欲情を抱かれ、トスカがローマの城壁から身を投げたように、ベネツイアの運河で自刃して果てるのです。あわれと言うも愚かな話です。
ジョコンダには恋しい男がいるのですが、この男はベネツイアの総督の細君にいれあげていて、結局ジョコンダは自らを犠牲にして惚れた男とその恋人のために身を滅ぼしてしまいます。3幕第2場の時の踊りが終わって4幕に入ると最後の愁嘆場になりますが、ここで本当にヒロインに共感して一掬の涙を流してもらえるかがこのお芝居の成功か不成功かの分かれ道ですが、本公演はその点ではいまいちでした。
しかし冒頭のスパイの流言飛語からジョコンダの盲目の母親が魔女扱いされて私刑に遭いそうになる箇所の衝迫振りはなかなかのもので、ポンキエリは人の心に迫る音楽が書けるひとだと改めて思いました。
ちなみにジョコンダとは陽気な女という意味だそうですが、陽気なはずのヒロインが運命のいたずらで自滅に追い詰められていく悲劇的な道行が最大の見どころとはずいぶん皮肉なタイトルをつけたものです。
♪アズディン・アライアの黒のミニから柔らかな2本の脚がくねくねと降りてきた 茫洋
Saturday, November 07, 2009
「第94回鎌倉交響楽団定期演奏会」を聴いて
♪音楽千夜一夜第92回&鎌倉ちょっと不思議な物語第207回
土曜2時からのマチネーでした。冒頭楽団長よりこのオーケストラの名誉団長、日比谷平一郎氏が1昨日92歳で逝去されたとの報告がなされ、コンサートに先立ってバッハのアリアが粛々と奏されました。今から10年くらい前、旧中央公民館で氏のモーツアルトのカルテットの演奏に接したことを思い出しましたが、枯淡の弦の調べでした。謹んで哀悼の意を表します。
それからおなじみの名曲である「鎌倉市歌」が演奏されると、次はいきなりモーツアルトの変ホ長調k543が始まりました。第1楽章のアダージョでは珍しく第1ヴァイオリンにアンサンブルの乱れがありましたが、すぐに立ち直り、終わりのアレグロなどは快調そのものでした。
第2楽章のアンダンテ・コン・モートから第3楽章のメヌエットへと、新進指揮者三原彰人に率いられたオーケストラは、モーツアルト晩年の孤愁をオーボエなしの編成でほのかに湛えつつ最終楽章へ突入します。変ホ長調4分の2拍子で始まるアレグロです。
第1ヴァイオリンが奏でる16分音符は明るい滅びの歌ですが、これが弦楽器から木菅、木菅から金菅、金菅から弦楽器へと変奏されながら手渡され、螺旋階段を上っては下り、下っては登るように何度も何度も主題が再現されます。
憑かれたように演奏するオーケストラに聞き入っているうちに、私の脳裏に晩秋のヴィーンの路地で、辻音楽師のようにただひとり踊っている背の低い男がぼんやり浮かんできました。粉雪舞い散る夕映えの街灯の下でまるで子供のように単純なメロディを歌いながら踊り興じる孤独な天才の姿が。
そんな見事な演奏だったのに、あまりにも少ない拍手がお気の毒でした。
次はL.グレンダールというデンマークの作曲家による「トロンボーン協奏曲」を府川雪野さんが独奏しました。とても珍しい曲で私には初めての曲でしたが、なかなか楽しめました。
休憩を挟んで演奏されたのはバルトークの「管弦楽のための協奏曲」でした。鎌倉交響楽団は名技性を発揮してこの難曲を見事に演奏しましたが、私は冒頭の鎌倉市歌ほどの感銘すら受けませんでした。これは誰がなんといおうと底の浅い駄曲なのですが、モーツアルトで拍手の労を惜しんだ大方の聴衆は、ここぞとばかりやんややんやの喝采を浴びせ続けます。お決まりのアンコールを催促しているのでしょう。
で、演奏されたのがなんとリストの「ハンガリー舞曲第2番」という俗悪な骨董品。こんな趣味の悪い曲を聴かされるくらいなら、モーツアルトで退場して大船のユニクロで990円のヒートテックを買いに行ったほうが良かったなあ。
次回の公演は恒例のベートーヴェンの「第9」ですが、鎌響はこの名曲をどうして日本語の歌詞で演奏するのでしょうか? 中西礼という鎌倉市政に一大汚点を残して東京に逃亡したこの男の作詞も良くないけれど、どんな日本語訳だってこの第4楽章とはミスマッチであり、原曲の感銘を大きく損なっていることはロバの耳にさえ自明のことではないでしょうか。2010年度からはどうか元のドイツ語に戻して頂きたいものです。
♪オオフロイデとドイツ語で歌わずば鎌倉第9をボイコットすべし 茫洋
土曜2時からのマチネーでした。冒頭楽団長よりこのオーケストラの名誉団長、日比谷平一郎氏が1昨日92歳で逝去されたとの報告がなされ、コンサートに先立ってバッハのアリアが粛々と奏されました。今から10年くらい前、旧中央公民館で氏のモーツアルトのカルテットの演奏に接したことを思い出しましたが、枯淡の弦の調べでした。謹んで哀悼の意を表します。
それからおなじみの名曲である「鎌倉市歌」が演奏されると、次はいきなりモーツアルトの変ホ長調k543が始まりました。第1楽章のアダージョでは珍しく第1ヴァイオリンにアンサンブルの乱れがありましたが、すぐに立ち直り、終わりのアレグロなどは快調そのものでした。
第2楽章のアンダンテ・コン・モートから第3楽章のメヌエットへと、新進指揮者三原彰人に率いられたオーケストラは、モーツアルト晩年の孤愁をオーボエなしの編成でほのかに湛えつつ最終楽章へ突入します。変ホ長調4分の2拍子で始まるアレグロです。
第1ヴァイオリンが奏でる16分音符は明るい滅びの歌ですが、これが弦楽器から木菅、木菅から金菅、金菅から弦楽器へと変奏されながら手渡され、螺旋階段を上っては下り、下っては登るように何度も何度も主題が再現されます。
憑かれたように演奏するオーケストラに聞き入っているうちに、私の脳裏に晩秋のヴィーンの路地で、辻音楽師のようにただひとり踊っている背の低い男がぼんやり浮かんできました。粉雪舞い散る夕映えの街灯の下でまるで子供のように単純なメロディを歌いながら踊り興じる孤独な天才の姿が。
そんな見事な演奏だったのに、あまりにも少ない拍手がお気の毒でした。
次はL.グレンダールというデンマークの作曲家による「トロンボーン協奏曲」を府川雪野さんが独奏しました。とても珍しい曲で私には初めての曲でしたが、なかなか楽しめました。
休憩を挟んで演奏されたのはバルトークの「管弦楽のための協奏曲」でした。鎌倉交響楽団は名技性を発揮してこの難曲を見事に演奏しましたが、私は冒頭の鎌倉市歌ほどの感銘すら受けませんでした。これは誰がなんといおうと底の浅い駄曲なのですが、モーツアルトで拍手の労を惜しんだ大方の聴衆は、ここぞとばかりやんややんやの喝采を浴びせ続けます。お決まりのアンコールを催促しているのでしょう。
で、演奏されたのがなんとリストの「ハンガリー舞曲第2番」という俗悪な骨董品。こんな趣味の悪い曲を聴かされるくらいなら、モーツアルトで退場して大船のユニクロで990円のヒートテックを買いに行ったほうが良かったなあ。
次回の公演は恒例のベートーヴェンの「第9」ですが、鎌響はこの名曲をどうして日本語の歌詞で演奏するのでしょうか? 中西礼という鎌倉市政に一大汚点を残して東京に逃亡したこの男の作詞も良くないけれど、どんな日本語訳だってこの第4楽章とはミスマッチであり、原曲の感銘を大きく損なっていることはロバの耳にさえ自明のことではないでしょうか。2010年度からはどうか元のドイツ語に戻して頂きたいものです。
♪オオフロイデとドイツ語で歌わずば鎌倉第9をボイコットすべし 茫洋
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