照る日曇る日第324回
詩人でもある中村稔がものした中原中也論を読みました。だいたい私は
ある朝 僕は 空の 中に、
黒い 旗が はためくを 見た。
はたはた それは はためいて いたが、
音は きこえぬ 高きが ゆえに。 「曇天」
天井に 朱き色いで
戸の隙を 洩れ入る光、
鄙びたる 軍楽の憶ひ
手にてなすないごともなし 「朝の歌」
などという彼の代表作を目にしただけで、心がその詩句を音楽のように高鳴らせ、その旋律や音色やハーモニーをまた心の耳がじっと聞き入るという風な受け取り方をして、その詩的音楽の響きに打たれることが、すなわち中也の詩を鑑賞するという楽しみのすべてでしたから、上に挙げた「曇天」について著者が、詩人は生来二重の性格を持ち、いわば自分の中にもうひとりの自分を内在させていて、終生その内部対立と相互分裂に苦しんだ証拠である、後者については、抒情はあっても思想内容に乏しい、などと言いだすと、それが彼の詩の価値とどういう関係があるのだと反論したくもなるのです。
長谷川泰子との同棲で小林秀雄は他者に出会って社会的に成熟を遂げたけれども、中原中也は、生涯にわたって「外界」に出会わず、己一箇の隔絶したタコ壺的世界に自閉(けっして「自閉症的」ではない!)して終わった、などという笑うべき俗説も唱えられていますが、私と違って中原の詩の本質に迫ろうとする著者の志は壮としなければならないでしょう。
そして「これが手だ」と、手という名辞を口にする前に感じている手、その手が深く感じられていることこそが、詩人の絶対的な要件だ、というのが、中也の詩論の中核であり、その天賦の才能が彼の詩魂の源泉であったと説く著者に対しては、格別異論があるわけではありません。
けれども著者は、「感想や思索ではなく直観や純粋持続の鋭さだけが詩人を詩人たらしめた」とせっかく正しいことを口にしながら、あれやこれやの証言や心理的な揣摩臆測、さらには西田哲学やフッサールなぞもせっせせっせと援用して、詩人中原の本性を再現し、彼の実像を懸命に立ち上げようと腐心するのです。
たしかに詩人と富永太郎、小林秀雄、大岡昇平、安原喜弘などとの交友の追跡記録はまことに興味深いものがあるのですが、この篤実な伝記作家の野望はついに実現されることなく、かの3代将軍が由比ヶ浜の海に放棄した破船のように、その巨大な残骸だけが浜辺に取り残されてしまいました。死んだ中原の真実を、長く生きた評論家の追及もついによみがえらせることはできなかった。これは顕微鏡的実証主義研究による要素還元主義の失敗の好個の例といえるでしょう。
♪歌の在庫がなくなった 茫洋
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