Tuesday, January 26, 2010

吉村昭著「ふぉん・しーほるとの娘」を読む

照る日曇る日第324回

「ふぉん・しーほると」となぜだか平仮名で書かれているのはドイツ人科学者フォン・シーボルトそのひとで、彼と円山遊郭の遊女お滝との間にできた娘お稲がこの長編小説のヒロインです。

シーボルトはドイツ人であるにもかかわらずオランダ人をかたって長崎の出島にやって来て、医学や諸科学、オランダ語などの高野長英などの洋学の徒に教え、蘭学の師として高い声望を獲得しますが、その見返りに伊能忠敬などが作った地図などを無断で持ち出そうとして国外追放されてしまいます。

要するにスパイですね。この男はオランダに戻ってから今度は世界一の知日派としてアメリカに自分を売り込んでペリー提督に断られたりしています。学問はできたようですが、かなり軽薄な才子だったようです。

その有名な「シーボルト事件」で国外追放された父とお稲が、思い出の長崎で再会したのは、それからおよそ30年後のことでした。

14歳の時に医師を志し、故郷の長崎を離れて宇和島に行き、シーボルトの弟子二宮敬作、次いで岡山の石井宗謙のもとでオランダ語と医学を学んだお稲は、江戸後期から明治初年をつうじてわが国の唯一の女性産科医師として活躍を続け、宇和島藩の元藩主伊達宗城から伊篤という名をいただいたお稲は、福沢諭吉の推薦もあって宮内庁御用係の栄誉も受けたのですが、私生活上では苦難の道をたどらざるをえませんでした。

父の血を受け継いだ美貌の彼女は、恩師石井宗謙によって強姦されてタダという娘を産みますが、信頼していた教育者に裏切られたお稲の男性不信は、再会した老いたる父親が次々に近くの女性と肉体関係を持つあさましい姿を目にしてますます深まり、70歳を越えて新都とうけいで没する日まで変わらなかったようです。

タダは長じて2人の医師に嫁ぎますがいずれにも若くして先立たれ、お稲はタダ改め高子と3人の孫に囲まれながら明治36年1903年8月26日午後8時過ぎに波乱に満ちた生涯の幕を閉じるのです。(この「午後8時過ぎ」と書くのが吉村昭の真骨頂!)
最晩年の彼女のよろこび、それは父シーボルトの血をひく彼女の孫周三が、慈恵医院医学校に入り、医学の道を志したことでした。

幕末から明治時代の後期までの長崎、大坂、江戸東京を舞台に、シーボルト家の人々の激動の生涯を悠々と描くこの大河小説は、同時に近代日本が遭遇した尊王攘夷運動、黒船襲来、安政の大獄、王政復古、西南の役、文明開化の有為転変を併せて辿る壮大な歴史絵巻でもあります。


♪フランク永井になった夢を見た。一晩中有楽町で逢いましょうを歌っていたので、一睡もできなかった。茫洋

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