照る日曇る日第320回
本巻では、私のあまり好きでもない頼朝の息子頼家とその支柱である比企能員、私の大好きな畠山重忠および私のまあ好きな和田義盛が、北条氏の毒牙にかかって一族もろとも抹殺されます。
そもそも2代目の馬鹿殿頼家が、梶原景時一族を擁護できなかった時点でこうなる他はなかったのかもしれません。まあそれが歴史の必然と言ってしまえばそうなのでしょうが、時政といい義時といい、その悪辣非道さは目に余ります。
比企能員の場合は確かにでしゃばりすぎではありましたが、身に寸鉄を帯びない御家人を自邸に呼び込んでいきなり殺してしまう伊豆のタヌキおやじを誰も制することができなかった。これが昭和史に例えれば満州事変の勃発です。
では次の中華事変はと問えば、重忠と義盛の暗殺。単純馬鹿とは言わないまでも、主君頼朝の無二の忠臣であった豪傑型のこの古武士が、老獪な北条氏のよく言えば知謀、悪く言えば陰謀にいとも簡単に引っかかって、みすみす地獄の8丁目に転落してゆく哀れな姿は無残と言うも愚かです。そうして最後に訪れる悲劇は、古豪にして最強の御家人三浦氏と3代将軍実朝の相次ぐ圧殺です。
この不可避に見える道行は、源氏政権の平和的一元支配存続の道を完全に閉ざし、時ならぬ大東亜戦争の開始によって、東条ならぬ北条政権が鉄壁の軍事独裁体制として確立されるのですが、もしも北条一族に対する三浦・畠山・和田一族の連合戦線または部分的共闘体制がいずれかの局面で成立していたら、北条家は彼らの軍事クーデターによってたった一夜でもろくも粉砕されていたでありましょう。
しかしもしも歴史がそうした選択肢を許していたならば、あの疾風怒濤の蒙古襲来を、この民主・社民・国民新党の連合政権がうまく押し返したか否か、あるいはまたくだんの神風がこの場合にも吹いたか否かは、それこそ神のみぞ知るところとなり、モンゴル帝国治下の日本および日本人がいかなるコスモポリタンとして擬鎌倉・室町・戦国時代を生き延びたかは、遠く人知の及ばぬ悠遠の範疇に属するのでしょう。
♪クビライの奴婢となりたるわが国の行く末憂う今年の初夢 茫洋
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