照る日曇る日第318回
「予告された殺人の記録」「百年の孤独」などで有名なコロンビア生まれの作家マルケスの自伝です。本書では彼がさまざまな著書で伝説化した祖父母、父母の来歴とともに、彼自身の少年時代から作家兼新聞記者として徐々に頭角を現していく青年時代までの「生きて」きた波乱万丈の思い出を、初めて彼の口で「語り伝えて」います。
著者は冒頭のエピグラフで、「人の生涯とは、人が何を生きたかよりも、何を記憶しているか、どのように記憶して語るかである」、と語っているのですが、この言葉こそ、本書が彼にとって持つ大いなる意味と意義を何よりも雄弁に物語っているようです。
11人家族の長男として南米の貧乏国の貧乏所帯に生まれた著者が、どのような家庭環境で生育し、どのような教育を受け、どのような数奇な体験を経てみずからを偉大な作家として彫琢していったかを、私たちは本書によってつぶさに知ることができます。
ボゴタ大学の法学部の学生でありながら新聞社で雑文書きのアルバイトをしていた22歳の時、彼は母親とともに実家を尋ねます。
そして1948年4月9日、彼は自由党の英雄ガイタン暗殺にはじまるボゴタの市街戦に若き日のフィデルカストロと共に遭遇し、命からがら逃げ回ります。三十万人以上の犠牲者を出した陰惨なテロルと内戦の悲劇を身をもって体験したのです。
恐らく、前者のたった2日間の旅が、彼を一族の壮大な過去の記憶のなかで再生させ、血と憎悪にまみれた醜悪な現実の只中にしか人間の実存はないという後者での発見が、彼を作家ガルシア=マルケスにしたのではないでしょうか。
彼の文学と音楽には密接なつながりがあるようです。バルトークの「ピアノ協奏曲第3番」を聞きまくりなから、6作目の長編小説「族長の秋」を執筆していた著者は、そのことをあるカタルニア人の音楽家から指摘され、さらにノーベル文学賞の授賞式でも、なぜかこの曲が会場に流されて驚愕したそうですが、私たちはここでも文学と音楽の親和関係を確かめることができます。
「人生がどの方向に進んでいるのかを示しているような幻想を与えてくれるものであれば食器洗い機の中のお皿とナイフ、フォークまで音を出すものはすべてが音楽である」というジョン・ケージ流の哲学を持つ著者は、ゆったりとしたエピソードにはショパンのノクターン、幸せな午後の場面にはブラームスの六重奏という風に、さまざまなバックグラウンド・ミュージックをメキシコシティの書斎で流しながら、本書の続巻の著述に励んでいるようです。
♪「族長の秋」を彩るバルトーク奇跡のシンクロニシティにマルケス驚く 茫洋
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