bowyow megalomania theater vol.1
「例えばおたくの岳ちゃん、いや岳君の場合も高校生になるのに毎日JRの路線図ばかり書いていて、山手線の旧型103系や新型の205系のことが気になって気になって仕方がない。
普通というと変だけど、普通の人は、毎日多種多様な関心事が自由自在に頭の中を飛び交って、そのテーマにあわせて自分自身の意識や存在を変化させてゆけるのですが、岳ちゃん、いや失礼、岳君のような自閉症の人は、その自由とバラエティが少ない。生まれつきの脳の障碍が、その自由とバラエティを奪っているのでしょう。本当は素晴らしい素質が眠っているかも知れないのに……。本当は社会や他人たちにコミットしたくてたまらないのに、その手段が失われている。そういう症状、そういう不幸……
自閉症は、幻覚や妄想をともなわないから、精神病や精神分裂病(統合失調症)でもない。脳の中枢神経機能の障碍といっても、手足や五体は健全なのだから、要するに人間を人間として成立させるための部品、つまりパーツですな、パーツはぜんぶ完璧にそろってる。目も、耳も、手も、足も、脳そのものも部品としてはきちんと組みあがっている。だけど、それらのパーツを普通の社会人、生活者、健常者としてちゃんと作動させるために必要な、なんというか「統合のシステム」に不具合があるんですな。
例えば100メートル競走でスタートラインに立ったとする。普通の人は、今日が運動会で、いま自分は3コースに位置していて、他の5人のライバルとスピード競争をするんだ、という認識が備わっていて、そのために全身全霊をあげて自分の身体メカニズムを駆使しようとするんだけれど、多くの自閉症児者には、いま僕が言ったような「条件付け」ができない。
つまり、運動会とは何なのか、隣の人はなぜしゃがんでいるのか、競争とかゲームとは何なのか、なぜ自分は走れと言われているのかがほとんど分からない。自分自身とその自分をとりまく状況が分かっていないと、いくら五体満足でも、「ヨーイ、ドン、そら走れ!」という風にならない訳です。運動会という一種の社会性を持ったステージの上に立つ自分という位置づけができていないと、何のために走るのかという納得ができないわけ。
♪ヨーイ、ドン、そら走れ!しかし走れない人も数多くいて 茫洋
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