Thursday, December 31, 2009
Wednesday, December 30, 2009
西暦2009年師走茫洋花鳥風月歌日誌
鎌倉の谷戸に眠れるホロビッツそのCDは朽ち果てにけり
エーリッヒのトラウマなかりせば聴けたであろうに「フィガロの結婚」
よみがえれクライバー、霊界の騎士像に立ちて「ドンジョバンニ」を振れ!
心より心にしみる弦の音シャンドール・ヴェーグの遺言と聴く
同じ演奏なのに何枚も買ってしまうマリアカラスのCD
あほばか指揮者と演出家よ去れ神聖なるオペラの殿堂から
隻眼隻手の主人公が健常者共をバッタバッタと切り殺す古今無双の林不忘のアイデア
戦争は映画を殺す中山ありせば黒沢を超える名画を撮りしものを
あら懐かし三菱がぶっこわした丸ビルがこの映画でよみがえる
丹波なる亀岡の里より出でし人応挙光秀王仁三郎
破綻せし御国の御蔵支えんと国債購いし愛国者われ
ダイエーの500m先に潜水艦浮かぶ横須賀に驚かぬ人
敗戦終戦闘争紛争アンガージュマンはありやなしや
汝エコノミーよわが憂鬱よどこまでも奥深く沈み行け
モーツアルトはとても難しいのよと谷口先生語りき
お母さんいま帰ったよと言える人なき年の暮れ
ヨーイ、ドン、そら走れ!しかし走れない人も数多くいて
1か月分の日経朝日が1巻きのトイレットペイパーに換わる金曜日
お父さん咲いているよと耕君が教えてくれしキンレンカの花
本物のピカソを飾る小学館ルオーを飾る新潮社
バスの中曇り硝子に一指も触れぬ大人かな
N響、有働、山田アナ、私の嫌いなNHKもいっぱいあるでよ
これはフィクションか私小説かどっちでもいいけどそれが問題だ
this is itこれがそれそのitってなんじゃらほいMr.マイケル
健ちゃんが大格闘して捕まえし巨大ウナギいまいずこ
限りなく心冷えゆくLEDブルー
中刷りの白恨めしき電車かな
大寒や柚の実絞るその心
三日月に飛行機飛んで柚湯かな
時折は笑いも漏れる7回忌
♪今宵また「ねんねぐう」と呟きて即眠りゆくしあわせなるかな 茫洋
Tuesday, December 29, 2009
MEISTER KONZERTE the master of musicを聞いて
ドイツ・メンブラン社特製の100枚組協奏曲集を、昨日に引き続きついに聞き終わりました。
バッハ、バルトークにはじまりシューマン、シューベルト、チャイコフスキー、ヴィヴァルディ、フランツ・ワックスマンに至る250余のコンチエルトを、ゲザ・アンダ、バックハウス、グルダ、ヌヴー、リヒテル、ルビンシュタイン、ジャコブ・ザックに至る弦、管、提琴奏者が演奏しまくるという世紀の大企画が、デフレの時代にありつつも、ぬあんと1枚たったの80円とは、これを買わずにいったい何を買えばいいというのでありましょうや。
とりわけ冒頭におかれたターリッヒ指揮リヒテルのピアノ独奏によるバッハのBWV1052の協奏曲は、ハスキル独奏によるBWV1056の演奏とともに声涙下る天下の名演奏です。加えてバックハウスとグルダのベートーヴェンの素晴らしいこと。
芸術家の真価は棺を覆うてはじめて定まるとか申しますが、このお二人のピアノをもっともっと聞きたかったと思わずにはおられませぬ。
指揮者といえばやはり何といってもフルトヴェングラー。ワルターがどうのセルがどうのとほざいてもかまいませんが、やはりクラシクの苦界においてこれほど偉大な存在はもう出ないのでしょうね。
ともかくこのシリーズの演奏、その大半がモノラル録音であるとはいえ、演奏の価値は最新デジタルステレオ録音におさおさ劣らず、いなむしろ洛陽に紙価が定まった名演奏たるがゆえに、人類の歴史が続く限りは、未来永劫にわたってそよ風にも揺るがぬ不朽の価値をもたらしておると言えるでしょう。
そういえば、たまたま今日のNHKのFMでハイフェッツのSPレコードをかけていましたが、その音色のつやつやとして色っぽいこと昨今のデジタル録音の比ではありません。デジタルのCDやブルーディスクDVDよりもアナログのレコード&テープ、LD、ビデオ、さらにそれよりも原音のライブネスに忠実なSPレコードという、まるで平成の御代に逆行するアナクロ説を唱え続けてきた超右翼兼超保守原理主義者の私ですが、流行のi-podで言葉の聞き取れない意味不明の最新音楽を「聞いた」と錯覚している人々にとっては、永遠に理解を絶する発言なのでしょうね。
少なくともCDよりもレコードの音の方が、物理的精神的に可聴世界が深いのです。
♪お父さん咲いているよと耕君が教えてくれしキンレンカの花 茫洋
Monday, December 28, 2009
Les 50 plus grands operas du monndeを聞いて
フランスのデッカレーベルから発売されている、世界の代表的なオペラの演奏を収めた100枚組のCDセットをようやく聞き終わりました。
こんな重厚長大な代物をどうして買ったのかと尋ねられたら、1枚200円以下の安さに目がくらんだからだと答える愚かな私ですが、その内容はといえば非常に聞きごたえのある名曲の名演奏揃いでした。
No music no lifeならぬ、「音楽のない人生なんて過誤と疲労と流刑がいっぱいでっせ」という哲学者ニーチエのエピグラムを巻頭にちりばめた本全集シリーズでは、1607年にモンテヴェルディが作曲したオルフェオから始まって、1936年にフランコ・アルファーノによって作曲された「シラノ・ド・ベルジュラック」という珍曲まで、作曲年代順に並べられた50曲のオペラをよりどりみどりで聞きまくりながら過去400年の歴史をたどることができます。
モーツアルトでは「ドン・ジョヴァンニ」、「後宮からの脱出」、「フィガロの結婚」、「魔笛」、ヴェルディでは「リゴレット」、「オテロ」、「椿姫」、「トロヴァトーレ」、「仮面舞踏会」、プッチーニは「トゥーランドット」、「トスカ」、「マノンレスコー」、「蝶々夫人」、「ラ・ボエーム」といった按配で主要作品を網羅していますが、カタラーニの「ワリー」やマスネーの「タイース」、レオンカバッロの「道化師」、ラベルの「子供と魔法」、さらにはシェーンベルクの「期待」、ベルクの「ヴォツエック」といった現代曲もきちんと押さえられています。
44歳の若さで亡くなったエットーレ・バスティアーニのバリトンをヴェルディ作品でどっさり楽しめるのもこのアンソロジーの魅力のひとつでしょう。
♪中刷りの白恨めしき電車かな 茫洋
Sunday, December 27, 2009
大野和士指揮モネ王立劇場管で「さまよえるオランダ人」を視聴する
これは05年12月20日のベルギー・モネ劇場での公演をライブ収録したもの。CGを得意とするギー・カシアスとかいう男が演出を担当していますが特にどうということはなし。
オランダ人をエグルス・シリンズ、ヒロインのゼンタをアニヤ・カンペ、エリックをトルステン・ケルル、ターラントをアルフレッド・ライトナーという聞いたこともない布陣ですが、これまた特にどうということなし。
大野の指揮は例によって全曲を背伸びして見通したうえで、知的に組み立て、抑えるところは冷静に、燃え上がるところはエネルギッシュにという風に、めりはりをつけた演奏でしたが、だからといって見者の心拍が激変して世界観が変わるというようなこともなしで、まあこれが欧州の通常の平均的なオペラ公演といえばいえるのでしょうが、典型的なルーチンワークといって過言ではないでしょう。
好漢大野はすでにモネ劇場のシェフを辞して、去年からフランスのリヨンの国立歌劇場の首席に赴任していますが、このようなゆるい演奏を続けていると、あの小澤や大植英次のような下らないワーグナー指揮者に転落する危険がいっぱいです。
ここ数日夜の9時になると、09年夏のバイロイト音楽祭のライブ録音を放送していますが、ティーレマンが振ったワーグナーの「指輪」のエキサイティングな演奏などをぜひ参考にしてほしいものです。
バスの中曇り硝子に一指も触れぬ大人かな 茫洋
Saturday, December 26, 2009
ジェームス・ジョイス著「若い藝術家の肖像」を読んで
アイルランドの貧しい家庭に生まれた本書の主人公スチ-ブン・ディーダラスは、幼い時から厳格な宗教教育を受け、神と共に歩む聖職者の道を選ぶことまで考えましたが、やや長じて宗教団体が経営するカレッジに入るや一転して涜神とまではいかずとも高歌放吟、芸術三昧の世界に邁進します。
われかくして二〇世紀文藝の旗手となれり。めでたし、めでたしという退屈な回顧録か。昨日のガルシア・マルケスの自叙伝に比べるとずいぶん貧弱な内容だなあ、と思って読み終わったのですが、訳者である丸谷才一氏は、「これはそんな生易しい本ではないぞよ」とのたまいます。
まずこの本の「若い藝術家の肖像」という題名からして世界中の学者が、昔からああでもない、こうでもないという議論の種になっていて、これは単なる伝記であるどころか一種の創作的自叙伝であり、本書の主人公スチ-ブン・ディーダラスは、つとにギリシア神話に出てくるダイダロスの息子イカルスに擬せられており、偉大なる作家は、父や教会との大いなる葛藤を経て、ある若者が、それとは知らずに天高く飛翔しようとするところを象徴的に描いたのだそうです。せれどもこの若者は太陽の熱で翼を焼かれて墜落するという不幸な運命をまぬかれ、めでたく本書の続編である「ユリシーズ」に副主人公として登場することになるのです。
ああ無知とは恐ろしい。さすがインテリゲンチャンのご高説はひとあじもふた味も違うなあと思いつつ、ざっと再読してみたのですが、そんなことは枝葉末節もいいところ。いつの時代も、高踏的かつ衒学的な暇人の能書きはいっさい物事の本質とは無関係なのです。やはり本書はジェームス・ジョイスその人の前半生そのものの叙述ではないとしても、本物の芸術家になろうとしたある若者の精神の最深部の履歴の実録をありのままにつづった命懸けのドキュメントに他なりません。
とりわけ読者の心に衝撃を与えるのは、若き魂に激しく迫る神のあららかな声でしょう。七つの大罪を犯して地獄に落とされた罪びとに科せられ、未来永劫続く肉体的精神的苦痛の描写の微に入り細にわたる凄まじさは、ダンテの「神曲」をしのぐほどリアルで痛苦なものがあり、もしもそれが単なる威嚇や恫喝ではなく「本当のほんと」のことならば、不信心なこの私も即入信せねばならぬと思わせるほどの迫力です。
当時この若き芸術家がどれほど真剣に神と信仰の問題と格闘していたかをまざまざと示すこの本は、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」と並ぶ不朽の青春の書と評すべきでしょう。
♪本物のピカソを飾る小学館ルオーを飾る新潮社 茫洋
Friday, December 25, 2009
G.ガルシア=マルケス著「生きて、語り伝える」を読んで
「予告された殺人の記録」「百年の孤独」などで有名なコロンビア生まれの作家マルケスの自伝です。本書では彼がさまざまな著書で伝説化した祖父母、父母の来歴とともに、彼自身の少年時代から作家兼新聞記者として徐々に頭角を現していく青年時代までの「生きて」きた波乱万丈の思い出を、初めて彼の口で「語り伝えて」います。
著者は冒頭のエピグラフで、「人の生涯とは、人が何を生きたかよりも、何を記憶しているか、どのように記憶して語るかである」、と語っているのですが、この言葉こそ、本書が彼にとって持つ大いなる意味と意義を何よりも雄弁に物語っているようです。
11人家族の長男として南米の貧乏国の貧乏所帯に生まれた著者が、どのような家庭環境で生育し、どのような教育を受け、どのような数奇な体験を経てみずからを偉大な作家として彫琢していったかを、私たちは本書によってつぶさに知ることができます。
ボゴタ大学の法学部の学生でありながら新聞社で雑文書きのアルバイトをしていた22歳の時、彼は母親とともに実家を尋ねます。
そして1948年4月9日、彼は自由党の英雄ガイタン暗殺にはじまるボゴタの市街戦に若き日のフィデルカストロと共に遭遇し、命からがら逃げ回ります。三十万人以上の犠牲者を出した陰惨なテロルと内戦の悲劇を身をもって体験したのです。
恐らく、前者のたった2日間の旅が、彼を一族の壮大な過去の記憶のなかで再生させ、血と憎悪にまみれた醜悪な現実の只中にしか人間の実存はないという後者での発見が、彼を作家ガルシア=マルケスにしたのではないでしょうか。
彼の文学と音楽には密接なつながりがあるようです。バルトークの「ピアノ協奏曲第3番」を聞きまくりなから、6作目の長編小説「族長の秋」を執筆していた著者は、そのことをあるカタルニア人の音楽家から指摘され、さらにノーベル文学賞の授賞式でも、なぜかこの曲が会場に流されて驚愕したそうですが、私たちはここでも文学と音楽の親和関係を確かめることができます。
「人生がどの方向に進んでいるのかを示しているような幻想を与えてくれるものであれば食器洗い機の中のお皿とナイフ、フォークまで音を出すものはすべてが音楽である」というジョン・ケージ流の哲学を持つ著者は、ゆったりとしたエピソードにはショパンのノクターン、幸せな午後の場面にはブラームスの六重奏という風に、さまざまなバックグラウンド・ミュージックをメキシコシティの書斎で流しながら、本書の続巻の著述に励んでいるようです。
♪「族長の秋」を彩るバルトーク奇跡のシンクロニシティにマルケス驚く 茫洋
Wednesday, December 23, 2009
プッチーニのオペラ映画「ラ・ボエーム」を視聴する
昨日に続いてのプッチーニですが、今日のは1896年に作曲された代表作の「ラ・ボエーム」です。1889年の「エドガー」とは別人のように洗練された技法で、男女の別れを切々と歌い上げます。
「ラ・ボエーム」といっても、これはロバート・ドーンヘルムが映画化したもの。いまウイーンで人気のド・ビリー指揮バイエルン放響をバックに、ミミをネトレプコ、ロドルフォをビリャソンという超人気コンビがスタジオ録音した音声に、特設セットでの映像をコラージュした代物なので、ライブ公演と同日に談じるわけにはいきませんが、なかなか楽しめます。
しかしこの「ラ・ボエーム」を見ていていつも思うのは、3幕のダンフェール門外の悲しい別れの理由。ミミの病気がひどくなったから、自分がいては回復の妨げになるので別れる、とロドルフォはほざきますが、大好きな女が死にかけているなら、普通の男なら最後までケアをするのではないでしょうか。
それなのに、やれ「寒い冬にひとり切りは耐えられない」、とか「せめて花が咲く春に別れたい」とか口々に「意気寂しがっている」のがちゃんちゃらおかしく聞こえます。まあ雪降るここで一回別れておかなきゃ4幕の愁嘆場が生きてこないからだということは分かるのですが、それにしても人間の心理としておかしいといつも疑問に思うところです。
ところでネトレプコ嬢は、ザルツブルクをコケにしたりして、世界中でひっぱりだこの人気のようですが、私は歴史に残るほどの歌手とはとうてい思えません。無色透明で小奇麗な歌い口ではあるけれど、まるで出来合いの機械仕掛けのお人形が口パクで歌っているよう。結局は真の個性がないのです。少なくとも私の趣味ではありません。
♪メリークリスマス!この年夏日本で死んだテレサ・ストラータス恋し 茫洋
Tuesday, December 22, 2009
プッチーニのオペラ「エドガー」を視聴する
偉大なオペラ作曲家の知られざる「名作」をはじめてビデオで見ましたら、私が持っているCD(イヴ・カラー指揮ニューヨーク・オペラ管の演奏)とは違って4幕物だったのでちょっとびっくりでした。レナータ・スコットがヒロインのフィデーリアを、ベルゴンツイが表題役を歌ったこのCDはハッピーエンドで終わる3幕物でしたが、ヨラム・ダビッド指揮トリノ・レージョ劇場管によるこの演奏は、突如ヒロインが敵役に殺されてしまう悲劇で終わってしまったからです。
このオペラの主人公エドガーは、友人フランクの清純な妹フィデーリアを愛していたのですが、ジプシー娘(最近ではロマと称するようだが余計なお世話)の官能的な魅力にひきずられ(この辺はカルメンに似ている)、同じ娼婦を恋していたフランクをナイフで傷つけたままアーモンドの花咲く村から逃亡します。(1幕)
しかし恋多き野生の女との酒池肉林生活に贅沢にも厭き厭きしたエドガーは、2幕で友人フランクが率いる軍隊に飛び込み志願し、祖国防衛戦争で死んでしまいます。(この辺のでたとこ勝負の筋書きがおもしろい)
ところがどっこいエドガーは、ぬなあんと生きていた!?(この辺のでたらめな展開には誰もが呆然としてついていけなくなる)そうして彼は坊主に身をやつして己の棺桶の傍でフィデーリアが涙を流したり、ジプシー娘が嘘泣きしたりするのを逐一観察しているのですが、3幕の最後でフィクションを明かし、性悪女を放逐して初恋のカルピスの味の処女の胸へと帰ってゆく。メデタシ、メデタシ1巻の終というのがCDでした。
ところが去年の夏イタリアのトリノで行われた公演ではこのあと序幕と同じコーラスで始まる4幕の幕が開き、せっかく結ばれたはずのカップルの絆をジプシー女の鋭いナイフが永久に切り裂きます。仕合わせ転じて凶となる悲しい道行に、場内は涙、涙、また涙の幕切れでした。
プッチーニとしてはまだ若書きのオペラ2作目ですから、後年の旋律のきらめきはまだ暁天の星ですが、フィデーリアの悲しみのアリアなど盛り上がると、嘆かいはユヤーン、ユアーンと天まで昇り、イタリアのローカルオケが泣かせに泣かせ、観客ののんどはまるでイワシのようです。
4幕のもの静かなデユエットの伴奏では、緻密であるべきアンサンブルが突然ガタガタになるなど、あちこちに破綻もありましたが、まあこういうのがオペラの醍醐味なのでしょう。とにもかくにもおはなしが面白い、まるで歌舞伎のように楽しめるオペラでした。出演は以下のごとし。
エドガー ホセ・クーラ フィデーリア アマリルリ・ニッツァ ティグラーナ ユリア・ゲルツェワ フランク マルコ・ヴラトーニャ グアルティエーロ カルロ・チーニ トリノ・レージョ劇場合唱団 トリノ・レージョ劇場トリノ・ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院児童合唱団 ヨラム・ダヴィド 指揮 トリノ・レージョ劇場管弦楽団 演 出 ロレンツォ・マリアーニ
(2008年6月25日 トリノ・レージョ劇場ライブ)
♪斬ったり張ったりちゃんちやんばらばらこれぞイタリア歌舞伎の醍醐味なるぞ 茫洋
Monday, December 21, 2009
梟が鳴く森で 第14回
「普通の人、(普通の人の定義もキチンとしている訳じゃないけど)、普通の人ならそれこそ先天的に獲得している「状況の認知」「自他の関係の把握」「社会性の認識」といった知的ネットワークが、自閉症児者にはあらかじめ失われている。少しはつながっているにしても、そのネットワーク相互の配線は、そこここで断ち切られている。部品と部品、パーツとパーツ、脳機能と身体機能のすべてを統合するネットワークの弱さが、自閉症と言われる障碍の本質です。
だから自閉症の人っていい意味でも悪い意味でも「ゆるい人」。岳君もとってもゆるいんだけど、彼の脳の中のあちこちでほころびかけているニューロンの線と線を1本1本修復したり、回路のつながりを良くするために外部からいろんな刺激を与えたりすれば、少しずつ人並みになっていけると思うよ。
要するにリハビリだなあ。例えばプールで泳いだり、運動したり、ピアノをひいて脳のいろんな部位を活性化したり、電車ばっかりじゃなくて動物とか植物とか違うジャンルのことに徐々に関心を広げてゆくとか、お料理や図画工作をして手先をこまかく動かして逆に脳に対して刺激を与えていく……」
S先生は、ここでパイプをくわえて紫の煙をゆっくりと昼下がりの応接間に吐き出しました。部屋の中ではリヒヤルト・ワーグナーの舞台神聖祝祭劇「パルシファル」第3幕の聖金曜日の音楽が静かに流れていました。
♪破綻せし御国の御蔵支えんと国債需めし愛国者われ 茫洋
Sunday, December 20, 2009
梟が鳴く森で 第13回
「例えばおたくの岳ちゃん、いや岳君の場合も高校生になるのに毎日JRの路線図ばかり書いていて、山手線の旧型103系や新型の205系のことが気になって気になって仕方がない。
普通というと変だけど、普通の人は、毎日多種多様な関心事が自由自在に頭の中を飛び交って、そのテーマにあわせて自分自身の意識や存在を変化させてゆけるのですが、岳ちゃん、いや失礼、岳君のような自閉症の人は、その自由とバラエティが少ない。生まれつきの脳の障碍が、その自由とバラエティを奪っているのでしょう。本当は素晴らしい素質が眠っているかも知れないのに……。本当は社会や他人たちにコミットしたくてたまらないのに、その手段が失われている。そういう症状、そういう不幸……
自閉症は、幻覚や妄想をともなわないから、精神病や精神分裂病(統合失調症)でもない。脳の中枢神経機能の障碍といっても、手足や五体は健全なのだから、要するに人間を人間として成立させるための部品、つまりパーツですな、パーツはぜんぶ完璧にそろってる。目も、耳も、手も、足も、脳そのものも部品としてはきちんと組みあがっている。だけど、それらのパーツを普通の社会人、生活者、健常者としてちゃんと作動させるために必要な、なんというか「統合のシステム」に不具合があるんですな。
例えば100メートル競走でスタートラインに立ったとする。普通の人は、今日が運動会で、いま自分は3コースに位置していて、他の5人のライバルとスピード競争をするんだ、という認識が備わっていて、そのために全身全霊をあげて自分の身体メカニズムを駆使しようとするんだけれど、多くの自閉症児者には、いま僕が言ったような「条件付け」ができない。
つまり、運動会とは何なのか、隣の人はなぜしゃがんでいるのか、競争とかゲームとは何なのか、なぜ自分は走れと言われているのかがほとんど分からない。自分自身とその自分をとりまく状況が分かっていないと、いくら五体満足でも、「ヨーイ、ドン、そら走れ!」という風にならない訳です。運動会という一種の社会性を持ったステージの上に立つ自分という位置づけができていないと、何のために走るのかという納得ができないわけ。
♪ヨーイ、ドン、そら走れ!しかし走れない人も数多くいて 茫洋
Saturday, December 19, 2009
山中貞雄監督「丹下左膳余話 百万両の壺」を見る
夭折した山中貞雄の現存するたった3本のうちの1本がこれ。昭和10年1935年製作の時代劇ですが、監督本人がこの映画をてんで時代劇とは思っていないために生まれるおもいがけない表現世界の自由闊達さ、天衣無縫さがこの映画の最大の魅力です。
時代劇を時代劇として撮るリアリズムは次第にわが国の映画作法の主流となりますが、黎明期のこの頃は、まだそういう判で押したような文体がスタンダードなものではなかったことをうかがわせます。
若き監督の常識にとらわれない自在な発想と懐の広さから飛び出してくるユーモアとウイット、軽妙な会話と物語の快調なテンポがいかにも素敵で、現代人にも通じる喜怒哀楽のひとつひとつが思いがけず胸に迫ってくるようです。
ここでは丹下左膳(大河内伝次郎)と射的屋の女主人、道場主の馬鹿殿(沢村国太郎)とその細君という2つのカップルが登場して物語を動かしていくのですが、そのいずれにおいても男性は女性に完全に操縦されるお人よしである点もほかの時代劇には見られない特徴です。
林不忘原作・伊藤大輔監督の丹下左膳ものではニヒルな殺し屋として描き出されていた大河内伝次郎のイメージを、正反対の魅力的な喜劇役者として完膚無きまでに塗り替えたところに山中の独創と才気を感じます。
それにしても共演者の大半が天命を全うしたというのに、山中一人が28歳の若さで中国大陸で果てたとは、歴史の皮肉を嘆じないわけにはいきません。
♪隻眼隻手の主人公が健常者共をバッタバッタと切り殺す古今無双の林不忘のアイデア 茫洋
♪戦争は映画を殺す山中ありせば黒沢を超える名画を撮りしものを 茫洋
Friday, December 18, 2009
お母さん。いま帰ったよ。
歳月怒涛のごとく来たり、突風のごとく去りゆく。あっと言う間に今年が終わり、すぐに来年がやって来るようです。そのことを、昨日訪れた某住宅改造会社のカレンダーが教えてくれました。
さて、毎年特定の芸術家を選び、彼が書き残した和洋の数字でカレンダーをつくるこの会社のアイデアは秀逸で、昨年度の夏目漱石編を、私は12カ月とっくりと楽しむことができました。
2010年度は、なんと宮沢賢治編の登場です。「お母さん。いま帰ったよ。」というのがこのカレンダーの表題になっているのですが、それは賢治の「銀河鉄道の夜」から採られたワンフレーズ。第3章の「家」でジョバンニがちょうど帰宅したときの言葉ですが、それが私の胸にいきなり飛び込んできました。彼の自筆の丸い字の跡をじっと見つめていると、この不世出の詩人宗教家の姿が生き生きとよみがえってくるようです。
またこのカレンダーには、「雨ニモマケズ」や「永訣の朝」の自筆原稿、妹クニの娘のイラストや動物のスケッチなども掲載されており、四季折々に彼と彼の生涯を回想することができます。
お母さんいま帰ったよと言える人なき年の暮れ 茫洋
Thursday, December 17, 2009
梟が鳴く森で 第12回
今日は大好きな横浜線に乗って東神奈川で降りて「小児療育センター」へ行きました。そして、脳波をとりました。脳波のギザギザの線を指差しながら、S先生は、ここいら辺がちょいとゆるいんだとね、と、仰いました。
中脳の辺りに僕のウイークポイントがあるそうです。そのウイークポイントのせいで、僕は周囲の状況がよくのみこめず、社会的な発達がかなり遅れているそうです。
S先生は、仰いました。「自閉症というと、自ら閉じこもる病気と誤解されて、オタクの人たちと一緒にされてしまいがちだけど、全然違う。大体からして自閉症は病気じゃないんです。脳の中枢神経系が生まれながらに損なわれているために、いろんなかたちで引き起こされる発達障碍です。しかも心因性じゃなくて、器質の障碍。先天性の身体因を持って生まれた一種の欠損児、欠陥児が自閉症児なんです。だから、自閉症の原因は、ひと頃マスコミでさわがれた「心の病気」とか「カギっ子」のせいではない。まして「母源病」とか親の養育方法の誤りに起因するものじゃあ全然ないんだな。」
しゃべりながら次第に興奮してきたS先生は、ここでお父さんとお母さんの質問に答えながらまた自閉症について語り始めました。
「そうですねえ、この障碍は2歳半ごろまでに代表的な症状が出そろいますねえ。例えば、それまでにちょっと出始めていた言葉が出なくなっちゃって、会話なんかほとんどできないこと。それからキャッチボールがうまくできない「運動の障碍」もある。さらに「同一性への固執」といって、水道からチョロチョロ流れる水とか、ドブの穴、扇風機やかざぐるまのようなぐるぐる回るものなどに四六時ちゅうこだわる子もいます。あんな何の変哲もないものに、まるで魅入られたように引きつけられるんですね。
あとは遊びができない。例えば汽車ポッポなら汽車ポッポを道具として使って、友達と一緒に遊ぶというようなことが全然できない。汽車ポッポの特定の一部、ぐるぐる回る車輪とかエントツの穴にしか興味がない子もいます。それを僕たちは「遊びの常同性」とか「行動のパターン化」とか呼んでいますが、ともかく非常に狭い限定された形でしか遊べないし、社会性を持った行動ができないことが多い。もちろん年齢とともにだんだん進歩する子もいるし、いろんな面で健常者のレベルに近づいていく子どももいますが、その反対に発達がとまっちゃう子もいるようです」
限りなく心冷えゆくLEDブルー 茫洋
Wednesday, December 16, 2009
梟が鳴く森で 第11回
おばあちゃんと一緒に、谷口さんちへピアノのお稽古に行きました。
谷口さんはお母さんの友だちで、とても親切なおばさんです。僕のような人間があんなに難しい楽器をひけるようになるとは絶対に思っていなかったはずです。僕が5歳で、おばあちゃんが60歳で、お母さんが35歳で、空くんが3歳のときにみんなそろって谷口家にピアノを習いに行ったのですが、いまでも続いているのは70歳のおばあちゃんと僕だけです。
おばあちゃんは、早くバイエルを終えて、フォスターの「草競馬」や「庭の千草」や「夏の思い出」などを自由自在にひけるようになるのが夢です。♪オオドゥダアデエ~
僕は、もうバイエルを終って、ハノンに入って、いまではブルグミュラーの「おしゃべり」や「無邪気」とかバッハの「メヌエット」をひいています。シューマンの「楽しき農夫」はなんとかひけますが、おなじシューマンの「最初のそんしつ」は難しいです。
脳のいかれたお前がどうしてピアノをひけるようになったのかねえ。俺はいくら頑張ってもバイエルの77番までしか進めなかったのにねえ、とお父さんはあきれ顔ですが、本当は僕にモーツアルトをひいてほしいのです。岳のやつがケッヘル475のニ短調幻想曲をひいてくれたら、俺はそれを聞きながら死んでもいいや、と言っていたのを僕は知っているからです。
でも僕はまだモーツアルトをひいてあげません。モーツアルトはとても難しいのよ、と谷口先生は仰っています。僕も同感です。せめてクラウディオ・アラウくらいの年齢になってからモーツアルトはひいてみたいとかんがえています。
♪モーツアルトはとても難しいのよと谷口先生語りき 茫洋
Tuesday, December 15, 2009
ポール・オースター著「ガラスの街」を読んで
アメリカの人気作家の処女小説を柴田元幸氏の翻訳で読みました。この推理小説仕立ての物語は、以下のような特徴を持っているようです。
1)本文の英語はいざしらず、文章が春の小川のようにすいすい流れ、物語の推進力と話柄の転換が自在であり、作者は卓抜な構成力を持っていること。
2)なんと作者と同名の探偵と小説家が登場して、作中で重要な役割を果たすこと。
3)推理小説としては破綻しているが、推理小説という形式をとった純文学小説としては成功を収めていること。あるいは推理小説という形式の必然性を持った純文学小説であること。
4)登場人物に仮託して、作者は新しい言語の創造と人類の再統合を夢見ていること。また「ドンキホーテ」という小説の成立と作者セルバンテスの関係についてユニークな考察を行っていること。
5)事件の真相はまったく解明されず、読者は唐突に放り出された地点が物語の結末になるのだが、その不条理な感覚こそが作者の狙いであること。
最後にこの小説のとても印象的な箇所を引用しておきましょう。
「それはit is raining 、it is nightと言うときitが指すものに似ている。そのitが何を指すのか、クインはこれまでずっとわかったためしがなかった。あるがままの物たちの全般的状況とでもいうか。世界がさまざまな出来事が生じる、その土台であるところの物事があるという状態。それ以上具体的には言えない。でもそもそも、自分は具体的なものなど探し求めていないのかもしれない。」
ふむ。なるほど。しかしもっと気になるのはマイケル・ジャクソンのthis is itです。「さあ、いよいよだぜー」などというアメリカ口語を用いながら、いったい何がitで何がthisだと、はたしてこの希代の踊亡者にはわかっていたのでしょうか。
♪this is itこれがそれそのitってなんじゃらほいMr.マイケル 茫洋
Monday, December 14, 2009
金原ひとみ著「憂鬱たち」を読んで
なんらかの理由で強烈なストレスをこうむり、強迫神経症ではないかと自分を疑っている若い女性、神田憂が、この物語の主人公です。
我々ならば別段気にも留めない日常茶飯事に対して、彼女はきわめて敏感に、過剰に反応し、喜怒哀楽が激しいのです。とりわけ諸事万端に対して「憂鬱」を感じてしまいます。
この本を読みながら、私は昔勤めていた会社の田村君という人のことをはしなくも思い出しました。田村君は仕事が行き詰まるといつも天井を向いて、「憂鬱のうつ!」と怒鳴って己の心身の内部に生じたやり場のない感情を外部に発散させていました。
田村君の隣に座っている上司の長谷部さんも同様にストレスを抱えていたようで、行き詰まった時には、「ヌルヌルの蛇があー!ヌルヌルの蛇があー!」と何度も抑揚をつけて清元節のように怒鳴り、隣の人事課の人たちをびっくりさせていましたから、この「ヌルヌルの蛇」が田村君の「憂鬱のうつ!」に連動した可能性はおおいにあります。
このような会社や会社員は、昔も今も日本全国いたるところに存在しているでしょうし、そう考えればこの小説の主人公がおかれている状況についてもたやすく感情移入することができます。そう、いまや神田憂的症状は、きわめてトレンディーなのです。
しかしこの小説の主人公が、いとも簡単に陰部が濡れてしまう、と告白しているのはかなり問題です。街のそこかしこで出会う男性を見れば、その男と変態セックスしている自分を想像してあそこがうずいて困ってしまう、というのはきっと性的に満たされないなにかがあるに違いありません。
それなのに彼女はなかなか精神科に行こうとはしない。今日こそは行こう、行こうと思って自宅を出るのですが、たとえば秋葉原のラオックスへ行って店員のウスイ君からデンマを買ってしまったり、ベンツの座席でいやらしい中年男にまたがって顔面騎乗したり、その気もないのにインダストリアル・ピアッシングをしてしまったり、あろうことか耳鼻科へ行ってしまったりしている。
これでは病状はますます悪化するほかありません。こんな性的妄想満載ポルノ小説を書いている暇があったら、一刻も早く精神科へ行くべきでしょうね。冗談はともかく、見事な技巧を駆使して構築された自我探求小説です。
♪これはフィクションか私小説かどっちでもいいけどそれが問題だ 茫洋
滑川の生物調査
鎌倉ちょっと不思議な物語第209回
近所の滑川に散歩に行きましたら、神奈川県の委嘱を受けた河川調査会社の2名のスタッフが、川岸にどっかり座りこんで、すくい取った川の水をにらんでいました。聞けば神奈川県のすべての河川の生物調査をしているというのです。
お弁当箱2つ分くらいの大きさのアルミの箱を、川のあちこち、とりわけ岸辺の魚なんかがいそうなところにグイとつっこんで、そこに入った生き物を調べて、フィールドノートに書き込んでいくという、胸がわくわくするような素敵な仕事です。
2人のうち年配の方に、「なにがいましたか?」と興味津々で尋ねると、「ヤゴがいっぱいいますよ」とニコニコ顔で答えてくれました。きっと大学の理学部とか農学部、水産大学などを卒業した人なのでしょうが、ほんとうは私はこういう仕事を職業にしたかったのです。
「どうしてこんな寒い冬にわざわざ調べているんですか?」と尋ねると、
「もちろん夏も調査しましたが、冬場の方が魚も生き物も川床の地面にもぐりこんでいるから効率がいいんですよ」という返事。なるほどと得心しました。
次に「カワニナはどうですか?」と聞いてみましたが、「見当たらない」という返事。鎌倉はこの秋に大きな台風に襲われ滑川の上流から由比ヶ浜の河口まで2度ほど急流があるとあらゆるものを押し流しましたから、これから数年は天然鎌倉産のヘイケボタルは見られないかもしれません。
無口な若い方のスタッフがすくっている辺りを指差して、「ほら、そこのところに巨大なウナギがいて、うちの健ちゃんが両手でつかまえたんですよ」と私が自慢すると、
「ウナギはいますよ。この川は汽水性だから、ウナギもハヤもモズクガニも巻貝もみんな海から上がってくるんです。いくら台風がやってきても大丈夫。」と、その童顔のおじさんが教えてくれました。
私が「サケを見かけませんでしたか?」と聞くと、「滑川では見ないですね。もともと産卵もしていない川に、そんな魚が上がってくると困ったことになりますな」と最近のサケ逆上遡上現象を憂いていました。
「横浜や川崎は高度成長期に一度河川は死んだんです。死んだ河川を無理矢理復活させたので、最近はすこし良くなった。そこへ行くと鎌倉の川はとてもきれいで生物も豊かですね」という調査おじさんの言葉を聞いて、その貴重な自然環境を大切にしなければと思ったことでした。
♪健ちゃんが大格闘して捕まえし巨大ウナギいまいずこ 茫洋
Saturday, December 12, 2009
渡辺保著「江戸演劇史 上」を読んで
近世の演劇、能・狂言・歌舞伎を論ずるためには、その淵源をなした中世の演劇の歴史にさかのぼる必要があるということで、本書は慶長3年1598年8月18日の秀吉の死から書き始められています。
信長、秀吉、家康という3人の独裁者は、3人3様に能や風流踊を愛したわけですが、徳川政権が確立するに及んで、能楽は民衆の手から奪われ、官許式楽として奉られて武家の権威と格式の内部空間に囲い込まれて芸術生命を枯渇していきます。また狂言も古典劇化したのに、歌舞伎と浄瑠璃はなぜか世につれて生き延び、「時分の花」を咲かせ続けることに成功しました。ここに江戸演劇の勘所があると著者は強調しています。
出雲のお国が初めて京の都で「歌舞伎踊」を踊ったのは慶長5年7月1日、ここから現在の歌舞伎につながる芸能の歴史が始まりました。
京の女歌舞伎、遊女歌舞伎が各地へ下るなかで、寛永元年1624年には江戸に猿若座ができ、有名な江戸三座をはじめ京、大坂を合わせた「三都の櫓」は、不況や幕府による政治的弾圧(若衆歌舞伎の禁止や小屋取り壊し、所替の強要など)、人形浄瑠璃の隆盛といった外部的要因のみならず、江島生島事件、団十郎刺殺事件のような規律の乱れや芸術的未成熟などの内部要因によって何度も大きく揺らいできました。
しかしそれらの崩壊の危機をそのつど救ったのは、古浄瑠璃以来の伝統の力とライバルである人形浄瑠璃の創造性、そしてその時々の民衆の潜在ニーズを大胆不敵に取り込んだ座主や作者や役者の進取の精神でした。
元禄時代における竹本座の開場と竹田出雲、竹本義太夫、歌舞伎作者近松門左衛門の黄金コンビが歌舞伎に与えた影響はつとに有名ですが、以後宝永、正徳、享保、宝暦と時代が下がるにつれて団十郎、藤十郎、沢之丞、海老蔵、宗十郎、富十郎、菊之丞、幸四郎、歌右衛門などの名優がひきもきらず登場し、近松亡き後の合作者、竹田小出雲、並木宗輔、近松半二、並木正三、千柳などの優れた脚本家、薩摩浄雲、杉山丹後掾、宮古路豊後掾以降の名人音楽家たちの活躍によって、「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」などの名作が陸続と登場するのです。
本書の白眉は、疑いもなく江戸という都市と時代と芝居を、「桜花の幻想」というキーワードで鮮やかに関連づけた第六章の「満開の桜の下で」しょう。
それは「仮名手本忠臣蔵」が完成した寛延元年1748年の翌年に吉原に植えられた夜桜見物のにぎわいの描写にはじまるのですが、やがて江戸の市中を埋め尽くした桜花幻想は、舞台の劇場空間をも美しい魔物のように覆い尽くし、ついに「京鹿子娘道成寺」を踊る続ける女形のトップスター富十郎の上にも、はらはらと舞い落ちるのです。
「この格段の美しさは、さながら舞台に咲く桜の花を思わせる美しさである。ほかの多くの花と違って桜は一輪二輪の花ではない。一本の枝に無数に咲く。その枝が集まって一本の樹となり、その樹がさらに集まって桜の林となり、全山桜となり、ついには花の雲になる。この桜の不思議な美しさが「京鹿子」の構成によく似ている」
と著者は述べていますが、この魅力的な歌舞伎踊の本質をじつにうまくとらえていると思います。
♪ひたすらに踊りてやまぬ歌右衛門その手のうえにも桜降りしく 茫洋
梟が鳴く森で 第10回
今日お父さんが外国人を家へ連れてきました。ジェーン・バーキンさんというきれいな女優さんとそのご主人で映画監督のジャック・ドワイヨンさんです。
ふたりはとっても仲が良くてうらやましいほどでした。僕もあんなきれいな女の人と結婚したいなあ、と思いました。
ジェーンさんは、まるで小鳥がさえずっているような不思議な言葉でずーっとしゃべりっぱなしでした。
お父さんからあとで聞いた話では、ジェーンさんのお友達の映画監督のウッデイさんという人は、ニューヨークというところに15人くらいの子どもと一緒に住んでいて、その子供というのは全部ウッデイさんの実際の子どもではないひとばかりで、その中にはベトナム戦争という大戦争でみなしごになった子どもや、僕と同じような子どももいるそうです。
お父さんは、それって、とってもすごいことなんだぞお、と教えてくれました。
ジェーンさんは、お母さんからスキヤキをどっさりごちそうになって帰るとき、僕のホッペにチュ!とキスしてくれましたが、そのときとってもいい匂いがしました。
お父さんの話では、あれはシャネルのエゴイストという名前の香水のせいなんだそうです。
エゴイストってどういう意味?と僕が尋ねると、自分勝手な奴だよ。そういう人間になったら人間終わりだよ、とお父さんがまた教えてくれました。
僕のお母さんはエゴイストではありません。生協のちふれです。
ジェーンとドワイヨンさんは、玄関口で、オ・ルボワールと言いました。
オ・ルボワールとは、フランス語でさよならという意味だそうです。そして、もう一度会おうね、という意味だそうです。
オ・ルボワール・ジェーン!
オ・ルボワール・ジャック!
と言いながら、僕はこの人たちにもう一度会えるだろうか、会えたらいいな、と思っていました。
♪鎌倉の谷戸に眠れるホロビッツそのCDは朽ち果てにけり
Thursday, December 10, 2009
吉田秀和著「之を楽しむ者に如かず」を読む
覚えず「読む」と書きましたが、活字を読みながら、音楽が流れてくるような文章を、この達人は書くのであります。それはこの人が音楽評論家であって、だからこの人の文章が、音楽に触れているから、というそんな下らない理由だけではなくて、――非音楽的な文章を書く音楽評論家は多い――この人の文が音符のようにつづられ実際に音が鳴り響くような気がしてくることすらあるから、やはり文章を書くということはすごいことなんだと思い知らされるのですね。
例えばブダペスト弦楽四重奏団が1951年に入れたラズモフスキー第1番ト長調。ロベール・カサドシュのモーツアルトのK467の協奏曲、シャンドール・ヴェーグがカメラータ・アカデミカと死ぬ前に録音したモーツアルトのディヴェルティメントとセレナーデ。シモン・ゴールドベルクとラド・ルプーによるモーツアルトのヴァイオリンソナタ、グルダのピアノソナタと協奏曲、――もちろんモーツアルトの、ね――。クルト・ザンデルリングとドレスデン・シュターツカペレによるベートーヴェンの8番、その他その他の名曲の名指揮者による名演奏を、吉田翁は利休が茶器のひとつひとつをいとおしみつつなでるように愛でている。
私たち読者は、ほれほれ、もうその旋律が、その和音が、耳の前や後ろでかすかに鳴り響いているというのに、之を聴かずにおらりょうか、となるのです。
これらのうちで吉田翁がもっとも称揚されていると私が勝手に推察するのは、シャンドール・ヴェーグが晩年にザルツブルグで録音したモーツアルトです。独カプリッチョ盤――現在タワレコやHMV通販で超格安にて販売中、これを聴かずに死ねるか的超名盤中の名盤――に収められたディヴェルティメントとセレナーデの全曲を、私も吉田翁に勧められるまでもなくつとに愛聴しています。
翁が仰るように、「楷書の端然とした筆遣いだが、ちっとも堅苦しくないきれいな音で弾いている。(中略)これらの曲特有のあの苦さ、陰影の深い暗さの表出の点でも間然するところがない」。
ところで本書p450によれば、吉田翁は最晩年のヴェーグを水戸室内管に招聘したところ快諾してくれたので、楽しみに待っていたところ突然の訃報を聞いてショックを受けられ、「痛恨の極みとは、こういうことを言うのだろう」と書かれていますが、その気持ちはよく分かります。
蛇足ながら、私がこれまでに聴いたベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集の最高の録音は70年代半ばのヴェーグ四重奏団の演奏(仏Valois盤)で、同じヴェーグQtの旧録も素晴らしかったが、アルバンベルクQtの2度の録音(DVDを入れると3度ですが)など足元にも寄せ付けない名演奏です。
♪心より心にしみる弦の音シャンドール・ヴェーグの遺言と聴く 茫洋
Wednesday, December 09, 2009
松本清張原作・堀川弘通監督「黒の画集」を見る
生誕100年記念とかいうことで松本清張原作の映画「黒の画集」をテレビで放映していました。
東京の丸ビルの4階にある中堅テキスタイル企業の庶務課長が主人公です。浮気している部下のOLのアパートの近所で顔見知りの保険外交員に挨拶する。ところがその男に殺人の容疑がかけられ、課長の証言がなければ有罪になってしまう。
しかし証言すれば不倫が公にされて、順風満帆だった人生が破滅してしまうかも知れない。というプロットがまさに清張一流の形で、物語は途中のしばしのアダージオをはさみながら、ラストの一大カタストロフめがけて急流をいっさんに下るようにアレグロで展開します。
脚本は黒沢作品もよくてがけた橋本忍ですが、物語の話者を主人公にしたのは疑問。悲劇の構造をもっと客観的に浮き彫りする手法がほかにあったはずです。
監督はベテラン堀川弘通で万事そつがない。小林桂樹がどつぼにはまったサラリーマン課長を力演していますが、それもむべなるかな。この映画が製作された1960年の40年後には、このポストが社長への近道となる出世コースとなるのです。
それはともかく、小林桂樹の愛人に扮した原知佐子の小悪魔的な演技を筆頭に、その妻に扮した中北千枝子、保険外交員役の平田昭彦、刑事役の西村晃などの脇役陣が比類なく充実していて見事。半世紀前の日本映画には、つまらない映画でさえもどこか記憶に値する独特の存在感がありました。
別にこの映画や、平成の御代の最新の映画がすべてつまらない、というわけではありませんが。
♪あら懐かし三菱がぶっこわした丸ビルがこの映画でよみがえる 茫洋
Tuesday, December 08, 2009
「三井家のきものと下絵」展を見る
新宿の文化学園服飾博物館では、「三井家のきものと下絵」展が12日まで開催されています。
三井家は、江戸時代の日本橋で越後屋呉服店を開店し、本邦最大規模の呉服小売店として大繁盛しました。維新後は三越などを中核とする財閥を形成しわが国の資本主義の発展と拡大を担ってきた名家ゆえに、歴代の和装品の数々を所蔵していましたが、その収蔵品の一部が現在この博物館の重要なコレクションとなっているわけです。
今回の展示会では、安土桃山時代以降、江戸、明治に至る様々な着物と下絵合わせて70余点が紹介されています。
それらを通覧して分かるのは、安土桃山時代の内掛けの衣装デザインの絢爛豪華さです。これは狩野派などの襖絵にも通じる要素ですが、豊臣が滅ぼされ、徳川の御代に転じるに従って、同じ山川松柏鶴亀のモチーフにしても構図とデザインの放胆さが次第に薄れ、小手先の技巧が勝っていく趨勢がみてとれます。
次はデザインの三次元化です。桃山、江戸初期、中期までは着物全体を二次元とみなした平面的な図柄が中心でしたが、江戸後期に入るとそれが立体的な構想をそなえた三次元デザインに進化します。内掛けの背後から眺める人の鑑賞を意識して、背中と胴体と下半身の各パーツに描かれる風景や植物や動物の位置や大きさが意図的にデフォルメされていくのです。デフォルメといっても、着物の鑑賞者にとってはより自然に生きた姿形として受け取られたわけです。
そして、このデザインの三次元化&デフォルメを実現するために、三井家に対して大きな影響を与えたのがわが丹波亀岡出身の画家、円山応挙でした。動植物の写生と西洋画伝来の遠近法を得意としたこの円山四条派の始祖は、それまでの着物を大きく改新するニューデザインを開発することによって、パトロンの期待と新ビジネス需要に応えたのでした。
本展には、亀居山大乗寺(応挙寺)所蔵の下絵もいくつか展示されており、これらを実際の内掛けと見比べてみるのも一興です。
♪丹波なる亀岡の里より出でし人応挙光秀王仁三郎 茫洋
Monday, December 07, 2009
私が好きなNHKの番組
最近はケイタイのネットに押されて、新聞雑誌のみならずテレビの視聴率もどんどん下がってきたようで、たいへん結構なことだと思っています。つまらないものを無理してみることはありません。いいもの、すきなものだけ目にしておれば、人間きっと極楽往生できるでせう。
さて私は民放が苦手なので、テレビはもっぱらNHKを視聴しています。
NHKのお気に入りは海外ドラマ。最近はやぶにらみピーター・フォークの「刑事コロンボ」と「アグリー・ベティ2」をかかさず見ています。前者のパターンは毎回同じで、犯行と同時に犯人(有名ゲスト)が出てきます。コロンボとやりとりしながらその犯行のトリックがあばかれていく謎解きがお楽しみ。ここまでパターンを固定していながら、毎回最後まで引っ張って行く脚本の力が素晴らしい。初めのころはスピルバーグも書いていました。
「アグリー・ベティ2」は、アメリカ・フェレーラというブスカワいいメキシカンが、NYの一流ファッション誌の編集部に入って大活躍するお話ですが、恋と仕事と人情話のあれやこれやもさることながら、アラフォーだかアラフィフ編集長のバネッサ・ウイリアムズとそのおかまの助手マイケル・ユーリーのポップな衣装が素晴らしい。よほど腕こきのスタイリストがついているのでしょう。
このほか先日終わってしまった「ダメージ3」というグレン・クローズ主演の弁護士物もむちゃくちゃ面白かった。グレン・クローズは悪人と正義派の両面の顔を持つ超やり手弁護士ですが、そこにローズ・バーン扮する若手女性スタッフやウイリアム・ハート扮する昔の恋人なぞとのえらい確執が絡んで、もはや何が正義で誰が悪か、誰が正義の味方で誰が悪人なのかわからんカオス状況に突入していく。グレン・クローズの灰色の瞳が象徴する人間存在の暗闇に、ペンライトひとつで侵入していく不気味さがたまりません。
猛烈に練りこまれた脚本もすごいが、時系列をあえて取り払ったアナーキーな演出が見る者の心理を揺さぶり、それがいっそうスリルとサスペンスを引き起こす仕掛けになっていましたが、もう続編はないのでしょうか。
最後に、私のいちばんお気に入りだった「サラリーマン・ネオ」をお蔵にした奴は誰だ。民放の笑いにもならないアホバカお笑い番組が氾濫するなか、あれには上質のユーモア、ウイット、批評精神が満載されていました。
♪N響、有働、山田アナ、私の嫌いなNHKもいっぱいあるでよ 茫洋
Sunday, December 06, 2009
梟が鳴く森で 第9回
星の子学園からの帰り、三平君がいっしょにトイレへ行こうと言いました。
僕はあんまり行きたくなかったけれど、三平君が無理矢理言うので仕方なくついて行きました。駅の上のトイレです。
僕たちの他には誰もいませんでした。
大の方のトイレにいっしょに入ると、三平君はオチンチンを出してナメロと言いました。
僕はいやだと言いました。嫌だお、嫌だお、と何度も言いました。
三平君は、おっかない顔をして、いいからナメろ、ナメないとぶんなぐるぞ、と言いました。僕はこわいし、逃げられないし、お父さあん、お母あさん、助けて、助けて、嫌だお、嫌だお、と何度も叫びましたが、誰も助けてくれませんでした。
とうとう僕は三平君のオチンチンをナメさせられました。とてもいやな臭いでした。吐き気がしました。
いやだ、いやだ、死にたいおう、と、僕は泣きましたが、三平君は許してくれませんでした。もっとナメロと言いました。またナメました。変な味、気持ち悪い味がしました。
やっと三平君はトイレのドアをあけて僕を出してくれました。絶対に誰にも言うなよ、言ったらひどい目にあわせるぞ、と三平君は言ったので、僕は、分かったおう、誰にも言わないおう、と、泣きながら約束しました。
家に帰ったら、お母さんが、岳君顔色悪いね。どうかしたの。と聞きました。
僕は、どうもしないおう、と答えました。何もなかったおう、と言いました。お母さんは黙って僕の顔をじっと見ました。
僕は、駅のトイレが嫌いです。三平君が嫌いです。あんな奴は死んでしまえ。
♪1か月分の日経朝日が1巻きのトイレットペイパーに換わる金曜日 茫洋
Saturday, December 05, 2009
梟が鳴く森で 第8回
9月21日 雨
青山アン子は、加藤かおるに言いました。
バーカ、バーカ、あんたなんか、バーカ。
すると、加藤かおると木地かおると木地広康が怒りました。怒って、アッカンベーしました。よせ、よせ、もうよせよ、と、学のパパと御爺さんが言いました。
もお許せねーと、チビはとびけりをしました。それが人生というもんだ。セラビーだ。と、青山アン子のパパが静かに言いました。
ママは黙ってキッチンでひらめを焼いていました。
外は雨でした。ムクのごはんを近所のドラ猫がパクパク食べていました。
雀もいっぱい集まってムクのご飯を食べていました。
♪敗戦終戦闘争紛争アンガージュマンはありやなしや 茫洋
Friday, December 04, 2009
パッパーノ指揮コヴェントガーデン歌劇場管で「ワルキューレ」を視聴する
2005年7月18日にロイヤル・アルバートホールで行われた「プロムス05」のワーグナー上演のライブビデオです。プタシド・ゴミンドがはじめてプロムスに登場したことで話題になりましたが、そんなことより(この時点で)彼の衰えを知らない豊かな声量と巧みな歌いまわしに魅了されます。
そのドミンゴ扮するジークムントの恋人であり妹役のジークリンデには練達のメッゾ・ソプラノ、ヴァルトラウト・マイヤー、ウオータン役にはバスバリトンのブリン・ターフェル、表題役にはソプラノのリサ・ガスティーンという豪華な配役です。
そしてこれらベテラン揃いの充実した歌唱を、イタリア出身の指揮者アントニオ・パッパーノがじつに手際よく、パッパと引っ張っていきます。
59年生まれのパッパーノは、各地の歌劇場でコレペティトールをつとめ、大野和士の前にモネ劇場のシェフであり、バイロイトにはローエングリーンでデビューを飾った、いわばたたき上げのオペラ指揮者。初めは処女のごとく悠揚迫らぬテンポでオーケストラを歌わせ、半ばではワルキューレの女騎士たちを見事にうねらせ、終わりはワルハラの神殿を紅蓮の炎で燃えあがらせます。コンサート指揮者上がりの小沢某なぞには及びもつかぬ見事なテクニックといえましょう。だいたい歌手やオーケストラをやすんじてドライブさせえない人間がオペラハウスなぞに足を踏み入れてはいけないのです。
兄と妹の許されざる恋、そして父と娘の異常なまでの愛、そして神々の世界の崩壊という3つの主題をもつこの神聖な楽劇を、パッパーノとコヴェントガーデンのオーケストラは過不足なく表出していました。
この公演はコンサート形式で行われたのですが、当節の下らない演出を排し、ヴィーランド・ワーグナーの時代に先祖返りしたような単純で簡素な歌手たちの振舞いが、かえってこのオペラとワーグナーの音楽の本質を力強く闡明していたようでした。
♪あほばか指揮者と演出家よ去れ神聖なるオペラの殿堂から 茫洋
Thursday, December 03, 2009
佐藤賢一著 小説フランス革命「議会の迷走」を読んで
照る日曇る日第313回
1789年、フランス革命は成就したけれど、革命によって誕生した国民議会は、左・右・中間派に分かれて大混迷を続けています。
ジャコバンクラブを中心とした左派は、僧侶をバチカンではなく革命フランスの前に膝まずかせようとして強引にルイ16世を説き、「聖職者民事基本法」を通過させました。神父の献身の対象を神やローマ法王ではなく、フランス憲法と人民に置き換えようとしたのです。しかし全国で宣誓拒否僧が相次いで登場し、いまやフランス宗教界を二分する「シスマ」(教会分裂)が再現されようとしていました。
ここでなおも革命を推進しようとしたタレイランやロベスピエールの動きを抑えようとしたのが、他ならぬ「革命のライオン」、ミラボーでした。彼は国民の「亡命禁止法」にも反対し、左派のジャコバンクラブを骨抜きにして、ルイ16世をパリから退去させ、現議会の解散と新議会の召集をさえ図るのですが、1791年4月2日、持病が悪化して急死します。享年42歳でした。
ミラボーが、絶対の正義と、とことん純粋な民主主義を熱烈に志向する若きロベスピエールを死の床に呼び寄せ、暗に戒める名場面が本書の読みどころ。つねに清濁を併せ呑むこの巨漢が、苦しい息の下から、
「己が欲を持ち、持つことを自覚して恥じるからこそ、他人にも寛容になれるのだ。さもないと独裁者になるぞ。独裁というような冷酷な真似ができるのは、反対に自分に欲がないからだ。世のため、人のためだからこそ、躊躇なく人を殺せる。ひたすら正しくいるぶんには、なんら気も咎めないわけだからね」(ほぼ原文)
と、懸命に説くのですが、その忠告は聞き届けられず、このあまりにも誠実で謹厳実直なモラリストは、ついにフランスの「第2のカルヴァン」になってしまうのです。
朝の8時に「友よ、私は今日死ぬ」と医師に告げて紙を所望し、8時半に右手にペンを握って「眠る」と書いて事切れたこの豪傑は、ロベスピエールなど数多くの革命家に比べてじつに幸福な死に方をしたものだ、と言わざるを得ません。
♪今宵また「ねんねぐう」と呟きて即眠りゆくしあわせなるかな 茫洋
梟が鳴く森で 第7回
緑豊かに風に乗って、光あふれる窓の外、
夢とちからをひとつに結び、
共に生き、共になやみ、
力あわせて進もうよ、我ら星の子、星の子学園。
心のどかに風に乗って、命かがやく惑星の彼方、
心とからだをひとつに結ぶ
共に泣き、共に笑い、
手をつないで進もうよ、我ら星の子、星の子学園
駄目、中田先生。ね、分かった? 横須賀、笑わないで。
バイバイ。使う。ちゃんと遣って。
泣いたら、休んでて、ちゃんと、して。
長島先生、悪かった。悪かった。悪かった。
ちゃんと遣るなら、ちゃんと、して、あげるから。
はさみで、遣っちゃ、危ないよ。
何でしょう?
緑豊かに風に乗って、光あふれる窓の外、
夢とちからを……
♪同じ演奏なのに何枚も買ってしまうマリアカラスのCD 茫洋
Tuesday, December 01, 2009
アレクサンダー・ヴェルナー著「カルロス・クライバーある天才指揮者の伝記上」を読んで 後篇
昨日の渋谷で思い出しましたが、カルロス・クライバーはよくお忍びで日本に来ていました。東京では渋谷のタワーレコードがお気に入りで、店員さんの話では、アメリカのBEL CANTO SOCIETYから発売されていた、彼がスカラ座のオケを振ってドミンゴ、フレーニが歌った「オテロ」の海賊盤のライブビデオを、なんと3本も買っていったそうです。
この公演は、私などはじつに素晴らしい演奏だと思うのですが、1976年12月7日の夜のミラノの聴衆は、そうは思わなかったとみえて猛烈な「ブー!」を浴びせかけ、2幕の冒頭では、さすがのクライバーも指揮棒を振りおろすのをためらうシーンもあります。
しかし4幕が終わってオテロが死ぬと、スカラ座の屋台骨を揺るがすような大歓声が沸き起こり、全盛時代のクライバーは、悪意ある3階立ち見席の敵対者を完膚無きまでにねじり伏せるのです。
その天才指揮者の微に入り細にわたる伝記が、半分だけですが、ついに公刊されました。
著者のヴェルナーさんがどういう方かは存じませんが、ともかく資料と取材源の豊富さには圧倒されます。
そして、いつもは誰にも優しく、しかしいったん指揮台に上るや別人に変身し、ある時は神のごとく地上を離脱し、またある時は悪魔のように怒り狂い、再現芸術の演奏に求められる最高の知性と教養と技術と霊感をそなえながら、音楽に対する理想が誰よりも高すぎたために、どんな拍手と喝采にも満足することができなかった、この不幸で、孤独な男の実像と虚像が赤裸々に描かれています。
本書が扱うのは彼の無名時代から、1976年ついにスターダムの頂上に達しながらバイロイト音楽祭の「トリスタンとイゾルデ」から突然降りところまで。偉大なる指揮者エーリヒや母ルースとの葛藤はじつに興味深いものがあります。
聞けば彼は、その長い下積み時代に、オペレッタ「ジプシー男爵」や「美しいエレーヌ」「メリーウイドー」、「ダフネ」「売られた花嫁」「ラ・ボエーム」「蝶々夫人」「リゴレット」「ドンジョバンニ」などの膨大なオペラ、「ウンディーネ」「コッペリア」「三角帽子」「くるみ割り人形」などのバレエ音楽を、すでに自家薬籠中のものとしていたそうです。
これらのレパートリーと合わせて、アルベン・バルクの「ヴォツエック」、ミケランジェリと共演したベートーヴェンの「皇帝」などの録音も、とうとうゆめ幻と消え去り、ついに音源化されることのなかったことを思うと、私たちが失ったものの大きさに今更ながら深いため息が出るのです。
♪よみがえれクライバー、霊界の騎士像に立ちて「ドンジョバンニ」を振れ! 茫洋
アレクサンダー・ヴェルナー著「カルロス・クライバーある天才指揮者の伝記上」を読んで 前篇
照る日曇る日第311回&♪音楽千夜一夜第96回
クライバーといえば、私はすぐに80年代の渋谷の坂上のシスコというCDショプを思い出します。ある日のこと、一人のサラリーマンの男性が「クラーバーのCDありませんか?」と店長に尋ねていました。
なんでも出張先のミュンヘンで、生まれてはじめてクラシックのコンサートに行ったらそれがあまりにも素晴らしかったので、「クラーバーとかいうその指揮者のCD」を買いに来たというのです。
私と店長は思わずためいきをついて、その男性の幸運と、クラッシックの門外漢をたちまち虜にしてしまうこの音楽家の真価を、改めて確認したことでした。
かくいう私は、残念ながらカルロス・クライバーのライブを見聞きしたことはありません。けれども、彼が遺した2種類のシュトラウスの「薔薇の騎士」、もう一人のシュトラウスの喜歌劇「こうもり」、ロイヤル・コンセルトヘボウと入れたベートーヴェンの交響曲の4番と7番、バイエルン国立の「椿姫」、モーツアルトとブラームスの交響曲、シュターツカペレ・ドレスデンと入れたウエバーの「魔弾の射手」とワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」、スカラ座の「オテロ」などのCDやビデオから受けた驚きと感動は、凡庸な凡百の指揮者のそれとはまったく次元の異なる種類のものでした。
また彼が、若き日に南西ドイツ放送交響楽団と作った「こうもり」と「魔弾の射手」の2つの序曲の公開練習のビデオのすごかったこと! ここには彼の光彩陸離とした指揮術の魔法の秘密のすべてが、をものの見事に記録されています。
彼の音楽の素晴らしさは、「こうもり」の序曲の最初の終楽章を聞けば、どんなロバの耳にも明らかでしょう。指揮棒を一閃するや否や、シャンパンがはじけたように一気に解き放たれる恐るべき昂揚と爆発的な推進力。私たちの心臓は音楽の神様にわしづかみされ、魂魄は宇宙の彼方にぶっ飛ばされてしまいます。
「これが音楽なんだ。これが生きるよろこびなのだ。神様仏様、どうかこの音楽と共にある自分が永久に続くように!」
と私たちが祈らずにはいられない種類の音楽を、この男は、いなこの男だけが、ものの見事にやってのけたのです。もちろんその命を賭した大胆な跳躍が、あえなく潰えた無惨な夜も、いくたびかはあったとはいえ。
げにカルロス・クラーバーこそは、音楽に霊感を吹き込み、私たちの人生を震撼させるほとんど唯一無二の音楽家でした。
♪エーリッヒのトラウマなかりせば聴けたであろうに「フィガロの結婚」茫洋
Sunday, November 29, 2009
西暦2009年霜月茫洋歌日誌
風に縋れ食草求む黄蝶かな
上野介の首が落ちたるさざれ石
晴朗な魂の頬笑みを隠す黒き雲
霧の奥から現れ出たるは永遠
弦と弦つま弾くギターのおぞましき
テレビ見つつ頷く妻の好ましや
電話しつつお辞儀する妻の好ましや
仁義なき花盗人を憎みけり
ジンジャーの白い花を見ている私かな
アズディン・アライアの黒のミニから柔らかな2本の脚がくねくねと降りてきた
男たちの挽歌どころか己の挽歌を歌うのか疲弊したジョン・ウーよ
あのこ可愛いや死んでもいいよグサリ突き刺す心の臓
あなうれしCD1万円注文す2カ月ぶりに発注ありし夜
われ描くゆえに都市ありカルヴィーノ語りき
せめてあと20年あらばさぞや傑作が生まれたろう人情紙風船のごとし
エカテリナの抱擁リンカンの分厚い掌漁夫の見し夢のまた夢
君知るや幕末の巨大機械平成の御代になおも駆動するを
小松菜をおろぬこうかと尋ねたる愛しき人よおろぬき給え
小松菜をおろぬこうかと我に聞く愛しき人よおろぬき給え
弦と弦乾いた爪が震わせるギターほどおぞましき音はなし
オオフロイデとドイツ語で歌わない限りわれは第9演奏会をボイコットすべし
束の間の命の限りを文芸に捧げつくせり小西甚一
ただ一日で他の男に乗り換える今も昔もコシ・ファン・トゥッテ
満月の星空に響くあのアリア夜の女王はそも何者
ぽんぽこというマイミクさん今頃どうしているのやら
南風吹かば思いは常に立ち返るわれらの故里常夏の国
いまいちどカザルスの「鳥の歌」聴きたしと横須賀の海岸をさまよう夜
ダイエーの500m先に潜水艦浮かぶ横須賀に驚かぬ人
くださいください芥川賞そんな恥ずかしい手紙をよくも書いたもんだ
ヘプバーンもペックもワイラーも死にたれど「ローマの休日」は永遠に残らむ
世界中のマグロの8割食らい尽くす我ら強欲日本人
♪汝エコノミーよどこまでも沈み行けわが憂鬱よりも奥深く
軍服の国産について
昨日だか一昨日だかの新聞の短信で、鳩山内閣の北沢防衛大臣が、「軍服を外国から調達しているような国はない」と文句を言っていたようです。
うろ覚えで申し訳ないのですが、例の仕分け人たちが、防衛予算のうち軍服の国産経費が高すぎるので、海外調達にせよと仕分けしたことへの感情的な反発のようでした。
恐らく彼は国防の最前線に立つ自衛隊員の衣服を外国製にすれば、皮膚の外部から夷狄・毛唐の不純な血が混じり、純乎たる愛国の精神が汚染されるとでも思ったのではないでしょうか。
考えてみれば、自国防衛の大半を外国の核兵器と軍備に依存しているこの国で、軍服だけを国産にしてみたところでいったい何が変わるというのでしょう。防衛予算が足らなければ、横須賀や舞鶴に係留してある不要不急のイージス艦を、楽天かヤフーのオークションにかければ、まるで打出の小槌のように現金化できるはず。あどけない寝言をいうのはやめてほしいものです。
ところでいまや軍服はもとより、世界のお洋服は、自動車と同様どこの国に行っても「純国産」などは天然記念物&世界遺産の範疇に属し、ギャップもH&Mもユニクロもアフガニスタンのカルザイ大統領が大好きな名だたるラグジュアリーブランドも、その縫製はほとんど中欧やアジアの発展途上国に外注しています。そうでないと産業として生き延びる道がないからです。
数年前にイトーヨーカ堂が北朝鮮で縫製した超安価なスーツを、わが国の最底辺でのたうつ超ビンボー・リーマンは、いまだに愛着していることを、私だけは知っています。
縫製はベトナムやバングラディシュ、カンボジアにまかせ、デザインだけは実力のあるデザイナーに外注すれば、いまの予算の半分以下でユニクロの「+j」に負けない、安くてかっこいい軍服ができるでしょう。戦争と軍隊を憎むイデオロギーは別にして。
そもそも軍服は、ファッションの原点でした。バーバリーやアクアスキュータムのコートも、第1次大戦の英国陸軍の塹壕戦から誕生したのです。北沢防衛大臣さえ決心すれば、経営破綻に陥って苦悩しているわが国のトップデザイナー山本耀司氏などを起用して、
世界に冠たる「メード・イン・ワールドの軍服」が誕生するかもしれません。戦争と軍隊を憎むイデオロギーは別にして。
♪小松菜をおろぬこうかと我に聞く愛しき人よおろぬき給え 茫洋
Friday, November 27, 2009
花盗人
青白い花が近所の草むらに咲いていました。
とても珍しい可憐な花です。私が写真を撮っていると、通りがかりのハイカーも数人立ち止まり、
「トリカブトに似ていますね」
「いや、あれは夏の花だからね」
「それでは、いったい何の花でしょう?」
「らんらんランラン蘭の花? あなたのお名前なんていうの?」
なぞと喃喃喋喋、丁丁発止と楽しくおしゃべりしたのが昨日の午後のこと。
今朝早速もう一度撮影しようと現場を訪れましたら、影も形もありません。
気をつけてよくよく探してみたら、花があったと思しきあたりに、ぽっかり開いた黒土の穴。一昼夜の間に花盗人が鼠小僧のやうにやってきたのでせう。
無残に花を散らし、風と共に去りぬ。油断も隙もあったものではないわいな。
どうにも風流を解さぬ世の中になり果てたものです。
♪仁義なき花盗人を憎みけり 茫洋
ある思い出
久しぶりに大学生の次男が帰宅して家族四人で食卓を囲んだ。
生まれた時から障碍のある長男のKが「Kちゃん、いい子? Kちゃん、いい子?」と何回も聞く。この問いかけにうんうんと肯定してやると、彼は深く安心するのである。
はじめのうちは「Kちゃん、いい子だよ」と答えていた私たちだったが、こんなくだらない問答を早く切り上げて食事に取り掛かろうとして、軽い気持ちで「Kちゃん、悪い子だよ」と私が言ってしまった。
えっ!と驚いたKの反応が面白かったので、次男もふざけて「Kちゃん、悪い子だよ」と言った。妻までも笑いながら「Kちゃん、悪い子」と言ってしまった。
長男はしばらく三人の顔を代わる代わる見つめていたが、やがてこれまで見たこともないような真剣な顔つきで「Kちゃん、悪い子?」とおずおず尋ねた。
調子に乗った私たちが、声を揃えて「Kちゃん、悪い子!」と答えたその時だった。突然彼の両頬から大粒の涙がまるでロタ島の驟雨のようにテーブルクロスの上におびただしく流れ落ちた。
それは真夏の正午だった。セミの声がみな死んだ。
私たちは息をのんでその涙を見つめていた。そうして無知で傲慢で無神経な大人がこの恐ろしく繊細な魂を傷つけてしまったことを激しく後悔したのであった。
♪霧の奥から現れ出たるは永遠 茫洋
Thursday, November 26, 2009
梟が鳴く森で 第6回
何? 岳君? 何? 岳君? 用事が無いのに、ちゃんと、座りなさい。と、吉田先生が仰言いました。
指、差さないの。ね、岳君。御喋り、しない。知らない。バイバイ、と、川島先生が仰言いました。
稔、おしっこ、しちゃ、駄目。おしっこ、したら。分かった、と。山本先生が言いました。
9月19日 晴
勉強を頑張る。吉阪伸介
連絡帳を忘れずに、持ってくる事。福井仁治
一日も早く退院する。福井伸一
字を丁寧に書く事。松野文枝
サッカーを上達、させる事。山田三平
勉強を一生懸命、遣る。高井公平
僕は、体力作りを頑張ります。坂本岳
♪ジンジャーの白い花を見ている私かな 茫洋
Monday, November 23, 2009
梟が鳴く森で 第5回
空き缶投げ捨ては、止めましょう。
9月15日 雨
渋谷、代官山、中目黒、祐天寺、都立大学、自由ケ丘、田園調布、多摩川園、新丸子、武蔵小杉、元住吉、日吉、綱島、大倉山、菊名、妙蓮寺、白楽、東白楽、反町、横浜、高島町、桜木町、お父さん、桜木町行った? 何で行った? JRで行った?
京浜東北線? 新型? 旧型?
帰りは? 東横線でしょう? 急行? 各駅停車? 横浜まで東横線の各停? でしょ?
JRと東横線と、どっちが安い?
9月16日
お待たせ、しました。4番ホームから、急行新宿行きが、参ります。次は長後に、止まります。危険ですから、白線の内側迄、御下がり下さい。
お待たせ、しました。4番ホームから、急行新宿行きが、発車、致します。
9月17日 雨
マリオ、ルイージ、ピーチ姫、キノピオ、クッパ、御兄ちゃんキノコ、御姉ちゃんキノコ、弟キノコ、王妃、国王。
♪世界中のマグロの8割食らい尽くす我ら強欲日本人 茫洋
Sunday, November 22, 2009
メルビッシュ音楽祭のレハール喜歌劇「ルクセンブルク伯爵」を視聴する
♪音楽千夜一夜第95回
これは06年8月1日にオーストリアのイジートラー湖に面する巨大な野外劇場で行われたメルビッシュ音楽祭の公演です。
指揮は日本でもおなじみのルドルフ・ビーグル爺。あとは私の知らない人ばかりの出演ですが、いずれも歌って踊れる器用な歌手揃いと見受けられます。
歌って踊れて演技ができる役者の存在が、オペラからオペレッタを派生させ、それがのちにミュージカルを誕生させたとも考えられますが、レハールの音楽はウイーンの民衆音楽に恩師ドボルザーク譲りの歌謡的なメロデイを加味したポピュラーミュージックとでもいえばよいのでしょうか。ある種の生真面目さと定式通りのお笑いをとってつけた奇妙なアマルガムが、わたしたちをちょっと面白がらせたり、なんだこの音楽は、と軽蔑させたりすることになるわけです。
有名な「メリーウイドオ」の後で書かれた、このパリを舞台にしたどたばた劇「ルクセンブルク伯爵」は、あいかわらず能天気な筋書きでごきげんなばか騒ぎを繰り広げ、いかにもありがちな恋のさやあての後はお決まりのハッピーエンドで終わります。
会場がばかでかいために歌手はみな口元にマイクをつけて歌っていて、それが本物のクラシックやオペラではない喜歌劇というややマイナーなポジションにかえってふさわしいように思えてきますが、まばらな拍手が途絶えてしばらくすると湖上に花火が打ち上げられ、それが一入この興業のわびしさとはかなさを伝え、ここ2カ月発注のないわたしのやるせなさといつまでも共振するのでした。
♪あなうれしCD1万円注文す2カ月ぶりに発注ありし夜
Saturday, November 21, 2009
山中貞雄監督「河内山宗俊」を見る
これも夭折した山中の時代劇映画です。
遺作の「人情紙風船」で心中する、いな妻に無理心中されてしまう忍従型の武士をやった河原崎長十郎が茶坊主の主役を、やくざな髪結い役の中村翫右衛門が浪人をあいつとめこのご両人はまたしても、(いな遺作と同様に)命を落とすのです。
しかもその遠因が原節子扮する甘酒屋の娘可愛さのためと来ている。彼女の不肖の弟が遊郭の遊女とできてしまい、その水揚げ代の300両を都合してやろうと身を苦界に堕とそうとするけなげな娘が気の毒だというので、あたら大の男がもろ肌脱いでやくだと大立ち回りを演じて、挙句の果てに2人とも死んでしまうのですからプロットとしてはいかがなものかと思われます。
けれども、純情可憐な原節子がぴたりと壺にはまってじつにういういしい。いい歳こいた海千山千の男が乗りかかかった船、とうとう大事な命まで投げ出してしまうってことは今も昔もあったのではないでしょうか。
それにつけても30分近くあったとかいうラストの迫真の立ち回りがあまりにも短すぎるのは物足りない。溝のバリケードの裏側から刺殺される河内山宗俊の壮烈な死にざまもこれが延々と続いてこそ生かされるのですからね。
監督・脚本 山中貞雄、脚本三村伸太郎、撮影町井春美、音楽西悟郎、出演 河原崎長十郎、中村翫右衛門、山岸しづ江、加東大介、霧立のぼる、市川楽三郎(1936年 日活太秦発声制作)
♪あのこ可愛いや死んでもいいよグサリ突き刺す心の臓 茫洋
Friday, November 20, 2009
ウイリアム・ワイラー監督「ローマの休日」を見る
私のいちばん好きな映画は、やっぱりこれ。「ローマの休日」なのです。
二度と帰らぬ男と女の青春の輝き、ローマのスペイン広場、コロッセオ、サンタンジェロ城、コロンナ宮殿、疾走するヴェスパとフィアット。老獪なウイリアム・ワイラーの巨大な手のひらの上で永遠の恋人たちは恋の輪舞を踊るのです。
しかし何回見ても、涙が出てしまうのはどうしてでしょうか。王国の掟に雁字搦めになったアン王女、(というよりはヘプバーンの)おそらくはたった一度の自由、たった一度の恋、たった一度の(実際は2回するのですが)接吻が、見る人の胸を切なく打つのでしょう。
とりわけ最後の記者会見のシーンで、訪問した世界の都市でどこがいちばん良かったかと聞かれたアン王女が、どこの都市もそれなりに良かったと答えようとして、「ローマです」と断言するくだりは、はっと胸を突かれます。
そしてアメリカ通信社の記者に扮したグレゴリー・ぺックを万感の思いで見つめた小鹿のような黒い瞳が急速に光彩を閉じて、生涯の恋を断ち切って厳しい王女の顔に戻る瞬間を、ワイラーは鋭くとらえています。
柱が高くそびえた宮殿の間を去っていく男の悲しみは、じつは王女のそれよりもかえって深いのでした。
♪ヘプバーンもペックもワイラーも死にたれど「ローマの休日」は永遠に残らむ 茫洋
Thursday, November 19, 2009
鎌倉文学館特別展を見る
特別展「鎌倉からの手紙、鎌倉への手紙」を見に行きましたら、いろんな作家のいろんな手書きが並んでいて面白かったのです。
まず漱石は避暑地鎌倉から娘筆子へのやさしい葉書です。漱石の親友正岡子規が迫りくる死を脊髄に予感しつつ在倫敦の漱石に出したいかにも彼らしい文飾を施した巻き紙も展示してありました。
漱石の弟子の芥川龍之介は横須賀の海軍士官学校で英語教師を務めながら鎌倉大町の元八幡神社傍に住んで「蜘蛛の糸」、「地獄変」、未完となった「邪宗門」を書きましたが、本展では漱石夫人から贈られた文机も展示してありました。
わが最愛の詩人中原中也関係では30歳で死ぬ直前に母親に出した手紙が印象的でした。中也は自分の死の原因となった病気である結核性脳膜炎を「痛風」と書いていますが、清川病院の医師はきっと藪医者だったに違いありません。もっとも中也が亡くなったというだけの理由でわたしはずっとこの病院をかかりつけにしている訳ですが。
母親フクへの最後の手紙で、中也は自分はこれからもういちど日仏学館の通信講座でフランス語を学びなおし、あちこち旅行もしながら5、6年後に文壇再登場を果たしたい。自分は元気いっぱいで運勢占いでもだんだん運が向くという良い卦が出たから、と安心させていますが、それからわずか2ヶ月後には亡くなってしまいました。人の世の無常と悲哀をこれほど感じさせる手紙もないでしょう。
それから太宰治が川端康成に出した「芥川賞を下さい」という有名な直訴状も展示してありましたが、これはあんまりだと驚かずにはいられません。直情を披歴した太宰の嘘偽りのない気持ちであることはだれにもわかるでしょうが、川端のような繊細な神経の持ち主にとっては「この田舎者め!」と逆効果であったに違いありません。太宰の「晩年」がいくら名作であったとしても、また審査員が川端ならずとも、きっと落選させるでしょう。
太宰ってほんとうに不器用な男だったのですね。しかしその不器用さが魅力でもある作家です。
♪くださいください芥川賞そんな恥ずかしい手紙をよくも書いたもんだ 茫洋
Wednesday, November 18, 2009
ジョン・ウー監督「M:I-2」を見ながら
闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.18
トム・クルーズ主演の「ミッション・インポシブル」の第2弾ですが、ちゃんとそのように表示しろ。原題は「MISSION:IMPOSSIBLE2」なのに「M:1=2」なんて判じ物じゃ。身内だけで通用している訳のわからぬタイトルを勝手なつけるな!
と観る前から怒り狂っていた私ですが、トム・クルーズの崖登りやカーアクションにはびっくり。スタントマンなしでやっていたとすれば立派なものです。
今回のクルーズ選手の使命は、悪人ダグレイ・スコットから最悪の殺人ウイルスとその治療薬を奪還すること。ところがクルーズが相棒のヒロインタンディ・ニュートンに本気で惚れてしまい、そのヒロインが元恋人の悪人の人質になってしまったために恋と仕事がひとつにからんだ鳴り物入りの追跡劇がスリルとサスペンスもどっちゃりと2時間にわたって繰り広げられるわけです。
トム・クルーズが監督に呼び寄せた「バイオレンスの詩人」なぞと称される香港ヤサグレ派のジョン・ウーが、バイオレンスシーンの撮影なぞにそこそこ手腕を発揮していますが、なに往年の巨匠サム・ペキンパーに比べれば児戯に等しい演出に過ぎません。
またせっかくアンソニー・ホプキンスを起用しながらこれが善人役とは。ヒロイン役タンディ・ニュートンの魅力のなさと相俟って、壺を心得たキャスティングとは程遠いもの。ラストのしらけるようなエンディングもとってつけたような代物と言わざるを得ません。
♪男たちの挽歌どころか己の挽歌を歌うのか疲弊したジョン・ウーよ 茫洋
Tuesday, November 17, 2009
ニコラ・ルイゾッティ指揮・東響「ドン・ジョヴァンニ」を視聴する
今年の4月5日にサントリーホールで行われたライブ収録されたビデオを鑑賞しました。
前回の「フィガロの結婚」の演奏の時にも感じたことですが、この指揮者にはイタリアの田舎を吹いているそよ風を感じます。モーツアルトを考えすぎると小澤やアーノンクールのような妙にしかつめらしいもったいぶった演奏に陥るのですが、ニコラ・ルイゾッティは、割合自然かつノンシャランに振っているのが幸いしていると思います。
そのタクトに東京交響楽団が素直についていっています。もう少し積極性が欲しいところですが、しょせん日本のプロのオケには無理でしょう。N響なんかでなくてもっけの幸いでした。
オペラは舞台を設けて音楽を鳴らしたりダンスを踊ったりして、どこかに居るに違いない芸能の神様の降臨を待ち望む儀式です。運が良ければアルスの神が天井からするすると舞い降りてきますが、幸いなことにこの公演では、ドン・ジョバンニが一幕で村娘ツエルリーナを誘惑する「お手をどうぞ」の二重唱のところでそれがあった形跡があります。
昔「愛より速く」という名作がありましたが、モーツアルトは娘さんがたった60秒で男に身を投げ出しても構わないという気持ちに実際にさせてしまう凄い肉愛の音楽を書いたのですね。娘が身を横たえた小娘がモンシロチョウの雌のように両の肢をわずかに開くところを、きっと天上のモーツアルトも覗きこんでいたはずです。
この公演の最大の見どころはダビニア・ロドリゲス扮するツェルリーナの演技と歌唱。これまでそれほど印象が強くなかったこの役柄の意味の再考を迫るほどの鮮やかな切れ味を見せました。人気急上昇の実力派マルクス・ウェルバによる立派な外題役ともども大きな賞讃に価します。
ガブリエル・エルゾテイの演出はホールオペラの弱点を逆手に取ってなかなかしたたかに振る舞っていましたが、ドンナ・エルヴィーラに男装させたり、やたら役者にいま流行の帽子をかぶらせたりする衣装担当者の妙なこだわりは気になりました。
気になるといえば、指揮者が兼ねて弾いていたフォルテピアノのレチタティーボは二幕で騎士長が石像となって登場する箇所でピアノ協奏曲k488の第二楽章のアダージョを即興で弾いていましたが、二幕の食事のシーンで奏でられるフィガロならともかく作曲者の指定のないこういう演奏は肝心かなめのオペラの演奏に致命的な影響を与えるということが分かっていないのではないでしょうか。
それでは最後に、当夜出演した歌手の成績を四段階で採点しておきましょう。
ドン・ジョヴァンニ:マルクス・ウェルバ 優
騎士長:エンツォ・カプアーノ 可
ドンナ・アンナ:セレーナ・ファルノッキア 良
ドン・オッターヴィオ:ブラゴイ・ナコスキ 可
ドンナ・エルヴィーラ:増田 朋子 不可
レポレルロ:マルコ・ヴィンコ 良
マゼット:ディヤン・ヴァチコフ 可
ツェルリーナ:ダビニア・ロドリゲス 優
ドンナ・エルヴィーラ役の増田 朋子は歌唱、演技ともにかなり問題があって完全なミスキャスト。他のスタッフがモーツアルトの音楽に乗っているというのに1人だけ不協和音を奏でていました。
アリアによっては歌いきれていないものがあるというのに、邦人びいきというのかブーの代わりにブラボーを叫ぶ者も多く、レポレルロのカタログの歌の途中で拍手をする手合いも飛び出すなど、この夜の聴衆の耳を疑ったことでした。
♪電話しつつお辞儀する妻の好ましや 茫洋
Monday, November 16, 2009
横須賀ところどころ 第3回
ところでヴェルニー記念館の当時28歳のヴェルニーを起用して横須賀に製鉄と造船所を作ったのは、幕府の陸軍と海軍の奉行並を兼務していた、つまりは軍のトップであった小栗上野介(忠順)でした。
小栗上野介は明治政府の近代化政策の骨格を敷いたと評される開明的な頭脳の持ち主で、将軍徳川慶喜を説いて300億円を拠出させ、駐日フランス公使のレオン・ロシュの協力を得てヴェルニーを招聘し、横須賀造船所を創設したのでした。また製鉄所の建設をきっかけに横浜仏蘭西語伝習所という日本初のフランス語学校を設立。これもロッシュの助力でフランス人講師を招いて本格的な授業を行ないました。
ロシュなどの外国人との交際においては、彼が安政7年1860年に咸臨丸の一行とともに渡米して、かの地で優れた文明と科学技術に接した貴重な経験が存分に生かされていたようです。
しかし薩長との武力対決を唱えた小栗はその主戦論が容れられず、職を罷免されて郷里の高崎・権田村に帰りましたが、明治新政府から恨みを買い、慶応4年1968年4月4日の午前11時に斬首されて果てました。裁判なしの即時処刑ですから維新政府の兵士も無茶苦茶なことをしたものです。
ヴェルニー記念館のあるヴェルニー公園の一角には小栗上野介とヴェルニーの二人の胸像が並んで建てられ、その視線は彼らの青春の思い出である横須賀の港を見つめています。
♪上野介の首が落ちたるさざれ石 茫洋
梟が鳴く森で 第4回
岳君、定期、ちゃんと、見せなさいよ。
分かった。見せた? 居た。分かった。分かった。
岳君、御母さんに、言って、貰いなさい。
分かった。分かった。分かった。分かった。分かった。
ちゃんと、待って、居るんだよ。
分かった。分かった。分かった。
岳君、今日、英語、行くんだよ。
分かった。
岳君、今日、暖かいね。
分かった。由紀ちゃんの御友達なの。
分かった。分かった。
9月12日
TATSUO YASUHIRO MARIKO ASANO RIKA TOSHIHIKO KEISUKE NOBUICHI HITOHARU KOHEI TAKANOBU YOKO FUMIE SANPEI KHO HARUKO NORIKO
9月13日 晴のち曇
発車ベルの話
発車ベルが、鳴ると、ドアが閉まります。ほかの駅は、音楽が鳴ります。JR東日本。
♪テレビ見つつ頷く妻の好ましや 茫洋
Saturday, November 14, 2009
キシュ著「庭、灰」カルヴィーノ著「見えない都市」を読んで
これは池澤夏樹編集による河出書房新社の世界文学全集の1冊です。
ユーゴスラビアのキシュが書いたのは現実と幻想がごった煮になった父親の思い出とそれに付随するビルダングスロマン。ユダヤ人の父親はアウシュビッツで帰らぬ人となりましたが、誰にせよ父にまつわるさまざまな記憶と物語はあるわけで、それらと比べてこの小説が格別劣るわけでもすぐれているわけでもありません。
イタリアのカルヴィーノが書いたのは、これとは正反対の幻想小説です。マルコ・ポーロの「東方見聞録」を下敷きにした偉大なる旅行者と偉大なる征服者フビライ・ハーンとの世界の都市をめぐる対話です。
それらすべて女性の名前がつけられた都市はベネツイアをのぞいて実在しない空想の都市であり、したがってそれらの都市をめぐってさまざまな視点から繰り返される対話自体も空想的な性質のものです。
第7部に至って、フビライはポーロが一歩も静謐な庭を動いて形跡がないにもかかわらず、いつそれらの数多くの都市を訪問する暇があったのかと疑い、「朕もまたここにおるということが確かなこととは思えないのだ」と自問します。
万里の長城やヴェネツィアははたして本当に実在していたのか? マルコ・ポーロもフビライもはたして実在したのか? 歴史的事実も人物もその存在の根底が激しく疑われたままこのいかにももっともらしい小説は終わりを告げるのです。
♪われ描くゆえに都市ありカルヴィーノ語りき 茫洋
Friday, November 13, 2009
山中貞雄監督「人情紙風船」を見る
わずか28歳で若い命を中国戦線に散らした山中の最後の作品です。タイトルどおりの江戸時代の長屋もので、ちょっとくだけた落語調で住人の首つり自殺騒ぎを語り始める導入部はなにやら職人肌の超ベテランの仕事のようです。
しかしその軽妙さが、第2、第3の殺人事件で終わりを告げるラストは衝撃的でもあり、いささか唐突でもありますが、この開始と終結のあざやかな構成はやはりただものの仕業ではなく、早熟の天才の片鱗を垣間見せたものでしょう。
棟割り長屋の住人たちはけっして熊さんや八っさんではなく、威勢の良いやくざな髪結の町人や不甲斐ない侍とその生活をしがない紙風船作りで支える妻であり、その住人たちをとりかこむ武家や富裕な商人たちややくざが三味一体となった権力構造もさりげなく描かれており、やがて突然の悲劇がまるで山中の最期を予言するように起こるのです。
黒澤と同世代のこの監督がもし生きていたら、どのような傑作をわれわれに見せてくれたでしょうか。長十郎、翫右衛門、加東大介が好演。
脚本三村伸太郎、撮影三村明、音楽太田忠、出演前進座一同=河原崎長十郎、中村翫右衛門、山岸しづ江、霧立のぼる、市川楽三郎(1937年 前進座/P・C・L制作)
♪せめてあと20年あらばさぞや傑作が生まれたろう人情紙風船のごとし 茫洋
Thursday, November 12, 2009
吉村昭著「吉村昭歴史小説集成5」を読んで
この巻に収められたのは「大黒屋光太夫」と「アメリカ彦蔵」の2つの作品で、いずれも江戸時代に海難事故で遭難した水夫の波乱万丈の生涯の物語です。
天明2年1782年、伊勢国白子浦を15名の仲間とともに江戸に向かった沖船頭大黒屋光太夫は遠州灘で時化にあいます。刎ね荷を行い帆柱を切り倒して坊主船となった神昌丸はアリューシャン列島のアムチトカ島に漂着し、そこでロシア人ニビジモフに救われた光太夫は極寒さと病気で13名の仲間を失いながらカムチャッカオホーツク、ヤクーツクを経てイルクーツクに到着。ロシア当局者の好意と援助に支えられながらペテルブルグに赴きエカテリナ女帝に拝謁し、女帝の命でラクスマンとともに12年ぶりに故国の土を踏みます。
いっぽう「アメリカ彦蔵」の主人公彦太郎は、播磨国加古郡播磨町の水夫でしたが、嘉永年1850年に浦賀沖から大坂に向かう永力丸に13歳の若さで乗って熊野沖で遭難、太平洋を漂流するうちに米船に救助されてサンフランシスコに到着。やはりこの国でも多くの人々の温かい援助を受けて、リンカーンなど3人の大統領と面会するなど、この国の言語習慣文化になじみ、ついに米国籍を得て安政6年に帰国しました。
いずれも身分の低い一介の漁夫にすぎない者が、偶然とはいえロシア、アメリカという先進国の文明の余沢を受けて世界の最新情報に通じ、語学を生かして生計の道を得たのみならず当時のエリート階級に接近してあざやかに一種のコスモポリタンとして成り上がるさまを、著者は例によって膨大な文献を駆使し、光太夫や彦蔵その人になりきって彼らの足跡を舐めるような圧倒的なリアリズムで描破しています。
ギリシア正教の洗礼を受けなかったために帰国できた光太夫と、カトリック受洗者でありアメリカ国籍取得者であったにもかかわらず入国を許されたジョセフ・ヒコ。
まるで一身にして二生を経るような異邦体験を経た日本人でありながら、故里では浦島太郎のような味気ない思いを懐いた二人。
かつて世界の輝かしい頂点を見た二人の晩年には、コスモポリタン特有の三界に身の置き所がない根なし草のどこか虚ろなものがあったようです。
♪エカテリナの抱擁リンカンの分厚い掌漁夫の見し夢のまた夢 茫洋
Wednesday, November 11, 2009
横須賀ところどころ 第2回
ヴェルニー記念館の見どころは、巨大なスチームハンマーです。
慶応元年1865年に製造されその翌年にオランダから輸入されたこの横須賀製鉄所備え付けの工作機械は、蒸気(スチーム)を動力としてハンマー(鎚)を持ち上げてこれを落下させ、加熱した金属素材に打撃力を加えて鍛造作業を行うもので、19世紀半ばにイギリスのナスミスという人が考案したそうです。
スチームハンマーが稼働するためには巨大なハンマーを受け止めるための地下部分の強化が重要で、落下する重量の20倍から30倍もある重量物を埋める必要があったといわれていますが、その現物がこの記念館には据え付けてあり、日曜祭日には実際に稼働するところを見物できるそうです。
また明治22年1889年に開業した横須賀駅のホームには古いイギリスとアメリカ製のレールが再利用され、アメリカ製の鉄鋼を使って1910年代に建てられた工場はいまなお横須賀で現役で働いています。
このように横須賀製鉄所は、当初フランスとオランダの技術が取り入れられ、続いて明治以降ドイツやイギリス、アメリカの工業技術も移入された先進技術工場だったのです。
以上昨日の記事とともに、ヴェルニー記念館のパンフレットより勝手に引用させていただきました。
♪君知るや幕末の巨大機械平成の御代になおも駆動するを 茫洋
Tuesday, November 10, 2009
横須賀ところどころ 第1回
ヴェルニーは幕末にフランスから招かれたお雇い外国人の一人ですが、この地に横須賀製鉄所(造船所)を建設しわが国の近代化に大きく貢献した彼の功績をながく後世に伝えるために建てられたそうです。
ヴェルニーは1837年にフランスアルディシュ県オブナに生まれリヨンの国立高等中学を経てパリのエコール・ポリテクニクに入学、1858年海軍造船大学校に進み、25歳で2等造船技師資格を取ってブレストの海軍工廠に勤務、海軍の技術者として中国の寧波で造船に従事していましたが、慶応元年1865年に来日し、横須賀製鉄所をつくってその活動を軌道に乗せ、12年間の滞在を終えて明治9年1876年3月に帰国し、故郷オブナで71歳で逝去しました。
横須賀製鉄所はゆいいつの政府直轄の造船所として軍艦清輝や運送船箱館丸などの汽船を製造したほか、国内外の艦船263艘を修理し、明治政府の富国強兵・殖産興業のモデルとして活躍し、付属教育機関からは数多くの艦船建造技術者やフランス語教育者を輩出しました。
ウオルターズ兄弟とともに銀座の煉瓦街の建設に加わった朝倉清一や旧丸ビルを建てた桜井小太郎もこの学校の卒業生です。
♪ダイエーの500m先に潜水艦浮かぶ横須賀に驚かぬ人 茫洋
Monday, November 09, 2009
梟が鳴く森で 第3回
山手線の話。
前の山手線は、旧型です。旧型は、黄緑の電車です。旧型と、新型が、両方、走って、居ました。新型丈、走って居ます。
9月9日
山手線の話。つづき。
前の山手線は、旧型で、電車は、黄緑です。旧型と、新型は、両方走って、居ます。
そして、旧型の山手線は、南部線と、常磐線と、仙台と、秋田の所へ行って、仕舞いました。山手線の線路は、新型丈、走って、居ます。
9月10日
前の横浜線は?
黄緑丈、黄緑と、緑。根岸線に、似て、居る。其れで、配送、した。
今は、ステンレスカー。
良く、頭、入れなさい。
はい。
♪弦と弦つま弾くギターのおぞましき 茫洋
Sunday, November 08, 2009
ベローナ野外劇場ポンキエリの「ジョコンダ」を視聴する
これは05年6月17日にイタリアベローナの野外劇場で行われた公演のライブです。老練ドナート・レンゼッチィ率いるベローナの管弦楽団が「時の踊り」で有名なこのオペラを好演しました。
演出と衣装はこれもベテランのピエール・ルイージ・ビッティが小奇麗にまとめています。ローマ時代の遺跡という広大な会場なので、オーケストラの音響と合唱がずれるという局面もままありましたが、実力派ぞろいの歌手たちが気持ちよさげに高音を張り上げているのがいかにもイタリアの野外公演でした。
ヒロインのジョコンダはトスカと同じような歌姫という役柄ですが、トスカがスカルピアに迫られたようにバルナバという悪役に欲情を抱かれ、トスカがローマの城壁から身を投げたように、ベネツイアの運河で自刃して果てるのです。あわれと言うも愚かな話です。
ジョコンダには恋しい男がいるのですが、この男はベネツイアの総督の細君にいれあげていて、結局ジョコンダは自らを犠牲にして惚れた男とその恋人のために身を滅ぼしてしまいます。3幕第2場の時の踊りが終わって4幕に入ると最後の愁嘆場になりますが、ここで本当にヒロインに共感して一掬の涙を流してもらえるかがこのお芝居の成功か不成功かの分かれ道ですが、本公演はその点ではいまいちでした。
しかし冒頭のスパイの流言飛語からジョコンダの盲目の母親が魔女扱いされて私刑に遭いそうになる箇所の衝迫振りはなかなかのもので、ポンキエリは人の心に迫る音楽が書けるひとだと改めて思いました。
ちなみにジョコンダとは陽気な女という意味だそうですが、陽気なはずのヒロインが運命のいたずらで自滅に追い詰められていく悲劇的な道行が最大の見どころとはずいぶん皮肉なタイトルをつけたものです。
♪アズディン・アライアの黒のミニから柔らかな2本の脚がくねくねと降りてきた 茫洋
Saturday, November 07, 2009
「第94回鎌倉交響楽団定期演奏会」を聴いて
土曜2時からのマチネーでした。冒頭楽団長よりこのオーケストラの名誉団長、日比谷平一郎氏が1昨日92歳で逝去されたとの報告がなされ、コンサートに先立ってバッハのアリアが粛々と奏されました。今から10年くらい前、旧中央公民館で氏のモーツアルトのカルテットの演奏に接したことを思い出しましたが、枯淡の弦の調べでした。謹んで哀悼の意を表します。
それからおなじみの名曲である「鎌倉市歌」が演奏されると、次はいきなりモーツアルトの変ホ長調k543が始まりました。第1楽章のアダージョでは珍しく第1ヴァイオリンにアンサンブルの乱れがありましたが、すぐに立ち直り、終わりのアレグロなどは快調そのものでした。
第2楽章のアンダンテ・コン・モートから第3楽章のメヌエットへと、新進指揮者三原彰人に率いられたオーケストラは、モーツアルト晩年の孤愁をオーボエなしの編成でほのかに湛えつつ最終楽章へ突入します。変ホ長調4分の2拍子で始まるアレグロです。
第1ヴァイオリンが奏でる16分音符は明るい滅びの歌ですが、これが弦楽器から木菅、木菅から金菅、金菅から弦楽器へと変奏されながら手渡され、螺旋階段を上っては下り、下っては登るように何度も何度も主題が再現されます。
憑かれたように演奏するオーケストラに聞き入っているうちに、私の脳裏に晩秋のヴィーンの路地で、辻音楽師のようにただひとり踊っている背の低い男がぼんやり浮かんできました。粉雪舞い散る夕映えの街灯の下でまるで子供のように単純なメロディを歌いながら踊り興じる孤独な天才の姿が。
そんな見事な演奏だったのに、あまりにも少ない拍手がお気の毒でした。
次はL.グレンダールというデンマークの作曲家による「トロンボーン協奏曲」を府川雪野さんが独奏しました。とても珍しい曲で私には初めての曲でしたが、なかなか楽しめました。
休憩を挟んで演奏されたのはバルトークの「管弦楽のための協奏曲」でした。鎌倉交響楽団は名技性を発揮してこの難曲を見事に演奏しましたが、私は冒頭の鎌倉市歌ほどの感銘すら受けませんでした。これは誰がなんといおうと底の浅い駄曲なのですが、モーツアルトで拍手の労を惜しんだ大方の聴衆は、ここぞとばかりやんややんやの喝采を浴びせ続けます。お決まりのアンコールを催促しているのでしょう。
で、演奏されたのがなんとリストの「ハンガリー舞曲第2番」という俗悪な骨董品。こんな趣味の悪い曲を聴かされるくらいなら、モーツアルトで退場して大船のユニクロで990円のヒートテックを買いに行ったほうが良かったなあ。
次回の公演は恒例のベートーヴェンの「第9」ですが、鎌響はこの名曲をどうして日本語の歌詞で演奏するのでしょうか? 中西礼という鎌倉市政に一大汚点を残して東京に逃亡したこの男の作詞も良くないけれど、どんな日本語訳だってこの第4楽章とはミスマッチであり、原曲の感銘を大きく損なっていることはロバの耳にさえ自明のことではないでしょうか。2010年度からはどうか元のドイツ語に戻して頂きたいものです。
♪オオフロイデとドイツ語で歌わずば鎌倉第9をボイコットすべし 茫洋
Friday, November 06, 2009
小西甚一著 日本文藝史別巻「日本文学原論」を読んで
理数系の学問と違って、私たちが日本文学を研究する際に、「何を対象にして、どのようにその研究を進めるのか」という問題はなかなかに難しく、明治以来幾星霜を経たわが国の国文学界においても、いまだに明確にされていないといっても過言ではないようです。
顧みれば我が国では文学の実証的・文献学的考証は盛んに行われてきて一定の評価をあげてはきたものの、歴史や社会的要因と区別された「文学自体の内在的な価値の研究」はなおざりにされてきました。
この880頁に及ぶ書物は、物理や数学の世界では古くから採用されている科学的な理論と手法を用いた文芸、文学の研究というものが、どうしてこれほど我が国では遅れてしまったのか、またそれを早急に確立するためにはどうしたらよいか、という課題をめぐって、「雅」と「俗」と「雅俗」の3つのカテゴリーで鮮やかに我が国の文学史をぶった斬ってみせた大著「日本文藝史」を著した国文学の泰斗が、最晩年に取り組み、ついに未完に終わった壮大な知的営為の総決算であると申せましょう。
著者は国文学のみならず広く古今東西の哲学や人文諸科学、物理、化学、数学などの歴史的文献や欧米諸科学を主導した研究者の代表的な管見を自由自在に引用、敷衍、解釈しながらあちこち道草を楽しみ、悠揚迫らずこの大きな課題に挑んでいます。
たとえば著者は、なぜ優れた芸術作品が私たちを深く感動させるのかという問いについてドイツの哲学者ハイデガーの1934年から36年頃の学説を縷々紐解いたあとで次のように解説しています。
1)日常的な次元では「隠れ」でしかない存在自体が、本来的な次元では、「隠れなさ」としての「真」であること。2)その「真」を正確に表現ないし理会するのが芸術的な「美」となること、3)そうした「真」や「美」に至るために日常次元からいっての「手荒さ」が不可欠なこと。(ハイデガーの講演「ヘルダーリンと詩の本質」参照)
つまり「隠れなさ」としての「真」を形象の中に確立することが芸術の本質で、それが達成されていないものが非芸術であり、その確率の度合いが低いものが浅薄な大衆文芸であるということになります。
しかし本書に登場するのは、ハイデガーだけではありません。プラトン、デカルト、カント、デユルタイ、フッサール、フロイト、ニュートン、リルケ、ゲーテ、世阿弥、芭蕉、西田幾太郎、朝永振一郎、シュライアマハー、インガルンデン、ガダマー、フライ、バシュラール、アインシュタイン、ボーア、ハイゼンベルク、ゲーデルなどの思索とその達成が次々に呼び出され、たとえば物理学における相対性原理や量子力学論、数学における不完全性定理の登場とニュー・クリティシズムにおける多元性・不確定性の創案が共時的に論じられるくだりではなにがなしに(こんな時こそ「ナニゲニ」というのでしょうか?)知的興奮を禁じ得ません。
英米仏独などの重厚な西欧思想に加えて江戸期以前の本邦固有の文化思想および中国、インドなど東洋の歴史的伝統を広く渉猟しながら独自の世界文学観を手中に収めたかにみえる著者がもっとも高く評価した思想家、それはほかならぬ「意識と本質」の著者井筒俊彦でした。
東洋的伝統の最高最良の理解者・継承者である2人の偉大な思想家が並び立つ本書の掉尾に、静かな感動をおぼえない読者はいないでしょう。
♪束の間の命の限りを文芸に捧げつくせり小西甚一 茫洋
Thursday, November 05, 2009
コーリン・デービス指揮コベントガーデン王立歌劇場管で「魔笛」を視聴する
03年2月1日のライブですが、モーツアルトに定評のある指揮者なので安心して聞いていられます。演出はオオソドクスな手法が好ましいラビット・マクヴィカー。パミーナのドロテア・ルシュマン、タミーノのウイル・ハルトマン、パパゲーノのサイモン・キーンリーサイドも好演していますが、夜の女王ティアナ・タムラウの絶唱が脳天に響き渡る。モーツアルトはなんて素敵なアリアを書いたんだとつくづく思わされる演奏です。
魔笛は秘教オペラなぞと称されるだけあって、何回見てもよくわからないところがあります。たとえば夜の女王とザラストロのどちらが悪者なのか。パミーナはザラストロの実の娘ではないので妙齢の娘に対する義父の視線はどこか怪しい。冒頭いきなり大蛇に襲われて気絶して3人の侍女に助けられるタミーノなんて、とても勇者とは思えないのですが。
それからタイトルの魔笛にしても、パミーナの父で夜の女王の夫がトネリコならぬ柏の木から嵐と稲妻の夜に刻んだ代物であるらしい。ということは、その神話的来歴がワーグナーのリングのリブレットに影響を与えた可能性もあるのでしょうか。
ところでモーツアルトに限らず、作曲家の音楽の本質は、かれらが書いた楽譜の中、というよりは彼らが楽譜に封印した音塊そのもののなかに潜んでいるには違いありませんが、いくら演奏家がスコアを忠実に再現しても、その演奏が作曲家が脳内に築き上げた音響建造物の原想と合致しているかどうかを、当の作曲家自身だって確言することはできないでしょう。
なぜなら作曲家の原想は必ずしも彼が書き下ろした楽譜とは同致せず、楽想のすべてがスコアに書き込まれているとは限りません。楽想はつねに揺れ動いて変化し続けていますが、いったん作曲家の手を離れたスコアは、その瞬間に過去の産物となり、原想からおいてけぼりをくらいます。だから作曲家にとってどのスコアもすでにおのれの手を離れた異物であり、いわば永遠に宇宙に放置されたさすらいの未定稿なのです。
またそんな事情を無視して「スコア=原想そのもの」だとしても、実際にはそれは演奏家の個々の解釈や古楽器や現代楽器など多種多様な楽器による演奏を通じてしか現実の音とならないので、それら無数の再現のいずれが作曲家の真意にもっとも近いのであるかを断定するのは、たとえ作曲家自身のお墨付きを得たにせよ至難の業といえましょう。
もとより作曲家の真意を正しく反映した演奏が優れた演奏とは限らないのですが、(たとえばストラビンスキーやシュトラウスの自作の演奏)あれやこれやのコンサートやCDの聞きまくりを全廃して、楽譜だけを読み込み、頭の中で空想の音楽会を開いて自在に音楽を鳴らしてみることこそ、作曲家の楽想の原像に肉薄する最短距離なのかもしれません。楽譜の読めない私が今頃そう思い当たっても詮無いことなのですが。
♪満月の星空に響くあのアリア夜の女王はそも何者 茫洋
Wednesday, November 04, 2009
イヴァン・フィッシャー指揮ジ・エイジ・オブ・インライトメント管で「コシ・ファン・トゥッテ」を視聴する
06年6月にロンドン郊外のグライドボーン音楽祭で行われたモーツアルトの生誕記念演奏です。指揮はハンガリー出身のイヴァン・フィッシャー。
この人のお兄さんのアダム・フィッシャーは、私がドラティのと並んで高く評価するハイドンの交響曲全曲をオーストリア=ハンガリー・ハイドン管弦楽団と入れたり、ハンガリー国立管弦楽団とバリトークの管弦楽曲を録音(2つのバイオリン協奏曲の独奏は今は亡きゲルハルト・ヘッツェルの名演!)したりしている名人ですが、その弟もオペラの達人でこの古楽器による演奏集団をはつらつとドライヴしています。
この古楽器オーケストラは、あのロジャー・ノリントンのロンドン・クラシカル・プレーヤーズを吸収して発展し続けているようですが、聞かされている我々はこの音が果たして17世紀後半から18世紀にかけての啓蒙時代に鳴っていた音の再現なのかなんてわかるはずがありません。
私がこの種のオケを初めて耳にしたのは60年代初めのアーノンクールによるウィーン・コンツェントゥス・ムジクスやコレギウム・アウレウム合奏団でしたが、70年代に入るとホグウッドが創立したエンシェント室内管弦楽団が録音したモーツアルトの交響曲なぞを大枚はたいて買わされて、「もしかすると現代楽器よりもこっちのほうが本物ななのかしら」と思わされてしまったものです。
いまそれらの初期古楽器時代の演奏を聴きなおしてみますと、その大半の演奏内容がこけおどしであり、使用されている楽器の時代考証もいい加減であり、現物が残ってもいない楽器を新規に制作してそれを古楽器と称する輩や、ドボルザークやスメタナまで古楽器で録音する手合いまで登場するに至っては、いったいなにが正しい古楽器演奏なのかを誰も明言することが不可能となり、画期的だったのは「ハイドンやモーツアルトをその当時の楽器で」というコンセプトだけであったことが歳月の経過とともに明らかになってきたように思われます。
下世話にいうならば、アーノンクールもウイーンフィルの指揮棒を一度でもよいからこの手で握りしめたかったからこその古楽器研究であったのであり、ホグウッドも、ノリントンも、ガーディナーもブリュッヘンも、所詮は金儲けと有名目当ての古楽器三昧だったのではないでしょうか。何故か今は亡きデヴィッド・マンローが懐かしい今日この頃です。
大きく脱線してしまいましたが、コニラス・ハイトナーの簡素な演出による「コシ・ファン・トゥッテ」の演奏は、古楽器による現代風モーツアルト歌劇の興業としてまずまずの出来映えです。
♪ただ一日で他の男に乗り換える今も昔もコシ・ファン・トゥッテ 茫洋
Tuesday, November 03, 2009
梟が鳴く森で 第2回
中学生の時の時間割
月 火 水 木 金 土
1 音楽 音楽 音楽 音楽 音楽 音楽
2国語 技術家庭 数学 技家 国語 数学
3体育 技家 養訓 技家 体育 生活個別
4体育 技家 養訓 技家 体育
5生活個別 技家 生活個別 技家 クラブ
6 生活個別 生活個別
9月6日
停止信号です、暫く、御待ち下さい。暫く、御待ち、下さい。暫く、御待ち、下さい。
間も無く発車、致します。
停止信号です。ええ、只今。暫く、御待ち、下さい。暫く、御待ち、下さい。
停止信号です、暫く、御待ち下さい。
9月7日 晴
横浜線の話。
前の横浜線は、旧型です。旧型は、黄緑で、電車は、根岸線に、似て、居ます。
そして、新しい、ステンレスカーに、成りました。ステンレスカーは、新型です。おわり。
♪晴朗な魂の頬笑みを隠す黒き雲 茫洋
Monday, November 02, 2009
第106回横須賀交響楽団定期演奏会を聴いて
♪音楽千夜一夜第89回
まずはシューベルトの「未完成」、次にワーグナーのタンホイザー序曲、最後にブラームスの第3番へ長調の交響曲というラインアップに惹かれて宵闇迫る横須賀までやってきました。
相変わらずオーケストラは好調を維持し、へぼでダルなN響よりも生気あふれるアンサンブルを奏でていました。が、問題なのはこのオケの常任指揮者(特に名を秘す)の指揮そのものです。古来指揮者の役割は、音楽を開始すること、終えること、その中間部をうまく演奏すること、の3点だとされてきたわけですが、この夜は3つのうちの2つまでが十全に機能していなかったといわざるを得ません。
この指揮者は、ブラームスの終楽章において、あの見事に書かれた終結部の音楽を音楽の内部において充実し切って終わらせることに失敗し、あろうことかアンコールのハンガリー舞曲第1番の咆哮を代置してなんとか「終わった」ことにするという体たらくでした。これではとてもプロの仕儀とは申せません。(もしかするとアマチュアかも)
ここで唐突ですが、指揮者をピッチャーにたとえてみましょう。普通の指揮者ならストレートをベースにスライダーやフォークやカーブなどを少なくとも2割か3割くらい交え、球種に加えてコースと緩急の変化をつけて打者(曲)と対決するのですが、あいにくこの投手の持ち球は平均135キロ程度の直球しかなく、時折恣意的かつ痙攣的にオケをかわいそうなくらいに恫喝して140キロ台後半の剛速球を投げ込むのです。
ただしコントロールは抜群でつねにど真ん中。「さあ、打ってくれ」とばかり腕も折れよと投げ込むのですが、野球(音楽)の醍醐味ってそんな単純なものでしょうか。
おそらくこの指揮者のカラーパレットには、元気や歓喜や軍隊ラッパやジンタの狂騒、元気はつらつオロナミンはあっても、優雅や抒情や哀愁や孤独や悲傷のひと刷毛もないのでしょう。もっと言い募れば、彼がこれまで生きてきた人生において、脳天に響くフォルテッシモにはなじんでいても、平々凡々たる人生の基底を流れる切実な喜怒哀楽、とりわけ都会の孤独な魂にひそりと語りかけるピアニッシモのはかない美しさなど歯牙にもかけてこなかったのでしょう。こんな単細胞な指導者に率いられた楽員こそいい迷惑です。
事実当夜シューベルトの2つの楽章、ブラームスの4つの楽章のテンポと音の強弱について格別の思い入れがあったとは思えず、あの有名なブラームスのポコ・アレグレットをあれくらい無味乾燥かつ無慈悲に演奏できることにわたしは恐怖と驚異すら覚えたほどでした。
再現芸術の演奏において、私たちは作曲者の生の実質と同時に、演奏者とりわけ指揮者のそれをも耳にしています。だからカザルスの「鳥の歌」に落涙するのです。うろんな生きざまが演奏のひとふしに出るから音楽は怖いのです。
スコアの音符を物理的な音響に変換しようとだけ考えるのではなくて、1828年のシューベルトがどのような絶望とはかない希望のなかでこのロ短調を書いたのか、そして1883年のブラームスがどのような恋に苦しんでいたのか、等々も考えてそれを演奏の解釈に反映し、その曲の背後に潜む作曲家の活きた心模様を聴衆に伝えることが指揮者に課せられた重要な使命ではないだろうか、と思わされた横須賀の貴重な一夜でした。
♪いまいちどカザルスの「鳥の歌」聴きたしと横須賀の海岸をさまよう夜 茫洋
Sunday, November 01, 2009
夫馬基彦著「オキナワ 大神の声」を読んで 後篇
さてせっかくの機会なので著者の驥尾に付して南方問題なぞに贅言を費やしてみたいのですが、本書で取り扱われている「琉球弧」は、往古より中国や日本という大国の不当な干渉を受け、政治的な従属を強いられてきました。そして戦後米国からの独立を果たしてからもなお日米軍事同盟のあおりをくらって、その領地の半分が基地によって占拠された状態にあります。
最近日本=大和国の政権の座についた民主党は、普天間基地の移転問題を契機に日米関係の見直しを及び腰で唱えていますが、それならばいっそ沖縄=琉球の側でも、軍事基地を不当に押し付けるヤマトンチュウ政権との関係を根本的に見直すべきではないでしょうか。
この際数世紀に及ぶ古い隷属の絆を思いきって断ち切って、あわよくば北のまほろばアイヌ政権と手を携えて腐敗堕落したヤマトンチュウ政権から独立し、天皇制なき完全非武装中立を旗印にかつての琉球王国の輝かしい平和と繁栄を取り戻すべきではないでしょうか。そしておよそ1万5千年ぶりに確立された幻の縄文王国は、ヤマトンチュウ政権から多くの亡命者を友愛的に迎えることでしょう。
最後に一点どうしても書き記しておきたいことは、この著者の自閉症や自閉症気味という言葉の使い方です。おそらく著者は、221pの6行目になにげなく記したように、自閉症児者とは、社会や人間との接触を避けて四畳半の個室に自閉的に閉じこもったりする「ネクラ人間の類」と心得ておられるのではないかと想像するのですが、これはとんでもない誤解です。
自閉症は、「病気」や「気質」ではありません。生まれつき脳の機能に何らかの障害を持つ発達障害のひとつです。確かに人や物との変わった関わり方をしたり、他人とのコミュニケーションがうまくとれなかったり、興味や関心が非常に偏っていて同じことを繰り返したがる特徴をもっていたりすることもありますが、「自閉的人間=自閉症者」では断じてありません。晴朗な心の中では、他者と全世界に対してコミュニケーションをしたくて仕方がないにもかかわらず、脳の機能障碍ゆえにそれがかなわない不幸な人たちなのです。
この際、日本自閉症協会のHPなどを検索して、今後の広範な人間理解と旺盛な創作活動のために役立てていただくようお願いいたします。
http://www.autism.or.jp/autism05/rainman20040508.pdf
万国の障碍者団結せよ 偏狭健常者政権を打倒せよ 茫洋
Saturday, October 31, 2009
夫馬基彦著「オキナワ 大神の声」を読んで 前篇
20数年前に著者は宮古島・八重山諸島をひとり歩きしてから「琉球弧」と呼ばれる列島の南の島々に強く惹かれ、ここ何年か毎年年始年末にかけて沖縄本島をはじめ喜界島、沖永良部島、与論島、渡嘉敷島、与那国島などを次々に旅して歩いたそうです。
そうして、それらの旅におけるさまざまな見聞や予期せぬ出会いやあれやこれやの物思いやらを、縒りに縒ってなにやら人懐かしい一球に織り上げたのがこの読み物ですが、読みようによっては旅行記であり、還暦を過ぎた著者の回想録であり、物語をつなぎ合わせた連作長編ともつかぬその独創的なスタイルにまずは驚かされます。
長い経験と技術に裏打ちされた著者の筆致は型通りの作文作法を完全に逸脱して自由自在に軽快に羽ばたき、もうどのような文藻をどのように取り扱うことも可能になった作家がついに到達した精神の深い成熟、融通無碍の境地を感じ取ることができます。
著者の心身の内奥において、あるときは若き日のインド紀行の心的体験が御嶽(カリマタ)やウガンジョ(拝み所)など南島の霊的な体験と瞬間的に連結し、またあるときはヒッピーの元祖山尾三省ゆかりの人々や偽満州国旅行で知り合った友人たちと時空を超越して、ここ南海の孤島で懐かしい再会を果たすのです。
美しい海や空や樹木や景観に賛嘆を惜しまない著者の目は、それ以上に島に生きる人々や現地を訪れる多彩な訪問者たちとの交歓に向かい、他者=異界への旺盛な好奇心こそがこの作家を根底から突き動かす動因であることをうかがわせます。
その頂点に位置するのは、本書の表題ともなっている大神島における「大神の声」における正体不明の島の女との交情で、還暦をとっくの昔に過ぎたというのに、わが主人公は、するりと布団の中に潜り込んできた謎の女と、なんと三度も交合し「心底恍惚と」するのです。まことにもって羨ましいとしか評せません。
このように本書では、この文章の書き手が、夫馬基彦という中年のくたびれた作家ではなく、まるで宇宙に向かってぎょろりと見開かれた黒くておおきな不動の瞳であるようにも思われる印象的な個所がいくつかあって、それが著者にとっても読者にとっても望外の収穫というべきなのでしょう。
♪南風吹かば思いは常に帰りゆくわれらの故里常夏の国 茫洋
Friday, October 30, 2009
西暦2009年神無月茫洋歌日誌
蝉どもの鳴き声絶えし神無月朔日
釣り舟も釣舟草も沈めたり台風18号
木犀を探し歩くや浄妙寺
アケビ食べ丹波の少年となりにけり
性愛の讃歌非情の銃弾テキサス荒野にこだませり
セクシーシンボルというよりちょいといかれた芋ねえちゃんマリリンモンローノーリターン
われらが地獄面よりぬっと立ち上がる悪鬼どもを倒すのは誰
天皇になるか天下のお尋ね者になるか紙一重
はしなくも大指揮者の時代終り中小演出家の時代来たれり
金の時代には金の音楽銅の時代には銅の音楽
一枚また1枚らっきょうの皮めくるめくわが人生
熱砂ならぬ北の白夜にむせび泣く世にも不思議な恋のアイーダ
政治には絶対はないと思いつつ相対的な正しさを望むものなり
池波正太郎が大好きできっぷのいい江戸っ子の早川さん、いつまでもお元気で!
カラヤンに可愛がられ調子に乗ったあほばかバトル今宵はいずこをさすらうか
古巣ヤンキースを叩きトーリ監督に仇討させようと思ったのに黒田のばかたり
やい3つのオレンジども3つの糞ころがしにでも恋すべし
蛇蛙蟷螂たちのなんと楽しく生きておること烏賊蛸鯛たちのなんと楽しげに泳いでいることよ
玉もあれば瓦礫もあるよ楽しみ尽きぬ皇室名宝展
不埒な女のラチもないプラチナジュエリー
青春は醜く愚かで恥ずかしく悔しきままに遠ざかりゆく
北国の冬の夜空に打ちあぐる鳴り響く花火はきみの秘めたる祭りか
どこまでも遠くへ行くんだ言葉という翼に乗って
めっきらもっきらどおんどん魔法の言葉がわが子を救う
地獄の子を抱えて生きる苦しさは天国の子と生きるよろこびでもある
蝉断末魔の悲鳴上げ2009年の夏終われり
まるで衣装のように思想を軽々と着脱する
当たり前のことながら思想は人を殺すのだ
やれやれまたあの膨大な全巻の読み直しをせよというのか荷風散人
権力を持てば残虐に行使する子羊のごとき優しい魂
林檎の皮を剥きながら嫁入りした娘の身の上を案じる笠智衆よ
たかが芝居というなかれ神をも恐れぬこのサバト見物するな即参加せよ
半世紀遅れてやって来た若者マーティン・マクドナー怒れ怒れもっともっと怒れ!
あまりにも苦しみ過ぎた恋人たちはいまはただ二人で居るだけで幸せなのですシャガールの「誕生日」のように
ありがとう君こそはわが生きるよろこび君とともにどこまでも歩いていこう
♪とくとくと自慢話に入れあげる日経朝刊私の履歴書 茫洋
Thursday, October 29, 2009
06年5月20日メト・ガラコンサートを視聴して
私がこのSNSで読書や映画メモをつけはじめたのは、「ハリーとトント」という映画を何回見てもなにも覚えていないことに気づいたからでした。
おそらく30年間に少なくとも3回は見たこの映画は、ニューヨークの下町で2人の老人が出てくる人情映画でかなりの秀作であるあるとはぼんやり覚えているのですが、それ以上はいくら思いだそうとしてもなあんも脳裏に浮かんできません。
そこでこれからはどんな映画や本でも必ず題名と作者・監督と簡単なメモを残しておこう、そう思って始めたのがこのコラムでした。
で、今回のコンサートの録画ですが、どうもこれは以前に見たらしい。それははじまって5分ほどしてから分かりました。舞台美術の助手から叩き上げて42年、ついにあの有名なルドルフ・ピングの跡を継いでなんと16年間もメットの総支配人を務めたジョセフ・ヴォルピーの引退を記念するコンサートだったからです。
ジョセフ・ヴォルピーといえばおのれの喉を鼻にかけてメトの練習に毎回遅刻して怒り狂ったレヴァインに同調して、あの高慢で自己中なキャスリーン・バトルの首をすスパっと切った快男児としてNYのみならず世界中で名を馳せました。あの温厚な紳士をあれほど怒らせたのですからよほどの下種女だったのでしょうね。今でもこそこそ暗躍していますが完全に過去の人となり果てました。「芸は身を滅ぼす」の好例でしょうね。
閑話休題。さて当夜はまずジュリアーニ元NY市長が劇場の前でさすがメト愛好家らしい上手な挨拶をするところからこの3時間を超える公演が始まります。
登場するのはナタリー・デセイ、マイアー、フレミング、マッティラ、フォン・シュターデ、テ・カナワ、ハンポソン、ドミンゴ、ジェームズ・モリス等々豪華絢爛の歌い手たち。最近クラシック界からすっかり足を洗ったカナワがシュターデと組んで歌うコシファントゥッテのじつにチャーミングなこと。思えばこの2人は70年代のグライドボーンを中心にモーツアルトの歌劇にどっさり出演して大西洋間の話題をさらっていたのです。
しかしソプラノもバリトンもみな歳をとりました。フレーニは歌わず、モリスはワーグナーを歌いましたがもはや往年の輝きは消え失せ、ハンプソン、ドミンゴも哀愁を誘います。デセイ、マイヤーも衰えを隠せません。ひとり気を吐いたのはルネ・フレミングで彼女が最後に歌った「この歌をうたったら」は満場の涙を呼びました。
この夜の記念公演でぽっかり空いていた穴が2つ。それはメトの不動の指揮者ジェームズ・レヴァインの病欠でした。私がかつてここで耳にしたレヴァイン指揮によるトリスタンは、ニルソンのイゾルデが最高の出来栄えで、ああこの席でもういちど彼女の雄たけび?を聞きたかった思ったことでした。
もうひとつの不思議は当夜の主役ヴォルピーのスピーチがなかったこと。なにか深い訳でもあったのでしょうか。私が思うに、彼の一番の功績は、好漢レヴァインやゼフィレッリ、オットー・シェンクなどの名伯楽を得て、谷垣自民党が目指そうとして永久にできそうにない、いい意味で伝統的で、保守的な歌劇をいたずらに前衛的な演出をもくろんで動揺する他のオペラハウスを歯牙にもかけず、貫きとおしたことです。それは彼の後継者がゼフィレッリの舞台を撤去したときに期せずして起こったブーの大合唱に象徴されていると思います。メトは、メトだけは変わってはいけなかったのです。
♪カラヤンに可愛がられ調子に乗ったあほばかバトル今宵はいずこをさすらうか 茫洋
梟が鳴く森で 第1回
9月1日 雨のち曇
目指さない、目指します、目指す、目指せば、目指そう、目指した。
9月2日 曇時々晴れ
江の電に乗りました。江の電は、JRの鎌倉駅のそばから出ています。
和田塚、由比ヶ浜、長谷、極楽寺、稲村ヶ崎、七里ヶ浜、鎌倉高校前、腰越、江の島、湘南海岸公園、鵠沼、柳小路、石上、そして藤沢、です。
江の電の踏切は、カン、カン、カンと鳴ります。嬰へ長調です。
僕は、また江の電に乗りたいです。
9月3日
奈良へ行くのは、京都から近鉄奈良線で行きます。
東寺、十条、上鳥羽口、竹田、伏見、丹波橋、桃山、御陵前、向島、小倉、伊勢田、大久保、久津川、寺田、富野荘、新田辺、興戸、三山木、狛田、山田川、高ノ原、新大宮、そして奈良駅です。
JRでも奈良へ行けます。奈良にはおばさんが住んでいます。
♪アケビ食べ丹波の子供となりにけり 茫洋
Tuesday, October 27, 2009
藤森益弘著「ロードショーが待ち遠しい」を読んで
早川さんはワーナーブラザースの映画宣伝プロデューサーを30年務められ、この業界では知らない人はいないくらいの熱狂的な万年映画青年です。私が映画に夢中であった80年代の真ん中ごろによく試写会の招待をいただき、彼が大好きだったウディ・アレンの「カイロの紫のバラ」やジョン・アーヴィングの「ガープの世界」などを見せていただいたものです。
今考えるとウディ・アレンの作品などを大手のワーナーブラザースがよく取り上げたと思うのですが、こうした興業上大きなリスクをともなうマイナーな作品を、早川さんが物の分かった上司の佐藤さんとの絶妙なコンビで危うく没になるところを拾い上げ、スクリーンに日の目を見せてくれたことは隠れた大きな功績だと思うのです。
当時キネマ旬報などの映画雑誌に時折映画感想文などを書いていた私は、ある日新橋の裏道にあるチャンコ料理屋に誘われ、ビルとビルの谷間にある不思議な細道を入っていくと、そこに早川さんとマガジンハウスの編集のSさんと講談社の雑誌誌の編集のHさんが待ち構えていて、4人でウディ・アレンの話になり、2時間後にはブルータスとホットドッグに原稿を頼まれることになったことをいま思い出しました。
映画パブリシテイの世界に早くから足を踏み入れ、マスコミ、雑誌新聞メディアに幅広いネットワークを持っていた早川さんは、私のような門外漢に対してもざっくばらんに胸襟を開き、その道のプロへの紹介の労を惜しまず、お酒だけを口にしておのれの映画への愛を滔々と語る人でした。
その飾らない真摯な姿勢は三島由紀夫や黒澤明、クリントイーストウッドやマシュー・モディーン、キャスリン・ターナー、ハリソン・フォード、ティム・バートン、メル・ギブソン、淀川長治、川喜多和子、淀川長治などの内外の映画関係者にもすぐに通じたようです。
黒澤に愛された早川さんは、彼とスピルバーグの仲介役をつとめ、それが縁となって製作費が捻出されてあの素晴らしい黒澤作品「夢」が誕生したことを私はこの本ではじめてしりました。
♪池波正太郎が大好きできっぷのいい江戸っ子の早川さん、いつまでもお元気で! 茫洋
Monday, October 26, 2009
バレエ「ザ・グレート・ミサ」を視聴する
グレゴリオ聖歌やクルタークやペルト、それに詩の朗読などをサンドウイッチにしながら、ゲバントハウスのバレエ団が同じゲバントハウスのオケをバックにモーツアルトのミサ曲ハ短調K427という希代の名曲を踊ります。
これは05年6月の公演ですが、そのおよそ1年前に演出・振り付け・美術を担当したクーヴ・ショルツという人が急死したので、その追悼のライヴではないかと思われます。
私は不勉強でこの人の名前も仕事もまったく知らなかったのですが、じつに才気煥発の持ち主です。
彼はたとえばミサ曲のすべての音符をダンスの一挙手1投足に完璧に置き換え、ソプラノとメゾソプラノが旋律を歌うところでは、2人の踊り手がそのボーカルを正確に運動化するのです。フーガに入るとその運動は激烈なものになりますが、音型が再起動されるたびに4組のカップルが代わる代わる同じポーズで運動を開始しては舞台の左右に遁走していく振り付けは見事というも愚かなほどでした。
メンデルスゾーンゆかりのライプッチヒにあるこの管弦楽団と合唱団、バレエ団にはかなり大勢の日本人が在籍しているようです。ダンスのソロを踊った木村規予加と大石麻衣子の美しい姿態ときびきびした演技に魅せられながら、私はこういう若くて美しい人たちは、かの地でどんな生活をしているのだろうとぼんやり考えていました。これでかれこれ1ヶ月間歯が痛むのとドジャース、楽天、中日が負けてしまったので、あまり前向きな発想になれずにいるのです。
♪古巣ヤンキースを叩きトーリ監督に仇討させようと思ったのに黒田のばかたり 茫洋
雨の月曜日
昨日は私の地元では参院補選と鎌倉市長選が行われ、雨が篠突く中を投票に行ってきました。
夜になってその結果が判明し、前者では民社新顔の金子氏が当選を決めましたが、後者では同じく民主党推薦の渡辺光子氏がなんと2万票の大差で無所属の前県議松尾祟氏に惨敗しました。
松尾氏は弱冠36歳、行政経験は未知数ですが、日本有数の高給取りの市役所職員の給料を1割カットしてその分を他の歳出に振り向ける!とただそれだけを絶叫して、どちらかといえば民主党支持者の多い市民の圧倒的支持を受けての当選でした。
いっぽう民主、神奈川ネットワーク運動、社民に支援を受けながらあえなく落選した渡辺氏は総花的な努力目標を並べてみせただけでそれを超えるメッセージを発することなく、またその政治的・人格的存在感を発揮できず、民主党支持者の支持すら掌握することもできずむざんに敗れ去りました。
民主党は、国政での2勝の価値をみずから引き下げるように、鎌倉市だけではなく、八戸市、ふじみ野市、川崎市長選や宮城県知事選でも敗北しています。
これはとりわけ地方自治体の選挙においては、いかに内閣支持率や政党支持率が自民を凌駕していようとも、住民の心に真摯に耳を傾けず、候補者に適材を得なければ民社党の生活第1の1枚看板など屁のツッパリにもならないことを雄弁に物語っていると思います。
それでなくともこの政党の内閣は政権奪取後40日目にして、元大蔵官僚を郵政会社の新社長に任命して官僚支配打破という立派なお題目をみずから踏みにじったり、対米基地問題でノーコントロール状態に陥ったり、トップの足元で政治資金の疑惑の炎がぶすぶすと燃え広がり続けていますが、こんな体たらくではなはだ前途多難と見受けられます。
歴史の舞台から消え去ろうとしている自民党や公明党に比べれば相対的にかなりましな政策と機能を備えた政党とそれなりに期待しているだけに、彼らのような愚かな過ちを犯さないようにたくましく成長していってもらいたいものです。
♪政治には絶対はないと思いつつ相対的な正しさを望むものなり 茫洋
Saturday, October 24, 2009
大野和士指揮ベルギー王立歌劇場で「アイーダ」を視聴する
04年10月15日のライヴ収録を衛星放送の録画で見ました。この公演の最大の特徴は英国の気鋭の演出家ロバート・ウイルソンの仕事ぶりです。
メットならラクダや象が行進するところですが、そんな大げさな鳴り物は影も形もなく、きれいさっぱり簡素に徹した舞台構成とおしゃれな色彩と衣装が鮮やか。歌舞伎や操り人形の所作を取り入れたような象徴的な演技が印象的です。
オペラというよりはルネ・マグリットの演出でイプセンの演劇を見せられているような不思議な気分になりました。
そんなベルギー象徴派もどきの舞台を見上げながら大野和士指揮のモネ劇場の管弦楽団は、はじめは処女のごとく、次第に熱を帯びた劇伴を繰り広げ、最後は青白い燐光を発しながら脱兔のごとく白夜の海へと遁走していきます。
歌手はマルコ・ベルティのラダメスが時々音程が怪しくなるほかはまずまずの好演で、特に王女アムネリスのイルディコ・コムローシ、表題役のノルマ・ファンティーニの2人のメゾとソプラノが演技と歌唱で丁々発止とやりあって楽興の時を盛り上げました。
♪熱砂ならぬ北の白夜にむせび泣く世にも不思議な恋のアイーダ 茫洋
Friday, October 23, 2009
川上未映子著「ヘヴン」を読んで
私が中学生の頃も苛めはありました。なぜか大きな力を持つ実力者を中心にして権力者グループが形成され、彼らは非力な者、弱い者を次々に血祭りにあげ、暴力を伴ったその独裁的なパワーを誇示していました。彼らはどうやら地元の暴力団ともつながっていたようで、その暴圧には校長や教師も抵抗できないようでした。
幸い私はその番長とは妙な因縁で友好的?な関係をかろうじて維持していたので、直接の被害に遭うことはなかったのですが、家が貧乏でどことなく不潔でうろんな印象を与える同級生が彼らの哀れな犠牲者になっており、それはこの地方に古くから存在していた差別ともつながっていたようです。
この小説のヒロインであるコジマと斜視の主人公は、そういうエリート連中の哀れな標的となり、毎日のように殴る蹴るの手ひどい暴行を受けているのですが、そのことを誰に訴えることもなく無抵抗のまま耐えに耐え、されるがままになっています。
このように悲惨な苛めがどうして繰り返されるのかという問題について、作者は苛める者と苛められる者との間で形而上学的な議論を戦わせていますが、両者の主張はまったく噛み合わず、苛める側の論理も説得性に欠けますが、そんなことより、もしも当時私がこのような苛めを日常的に受けていたらどうだったでしょう。
きっと親兄弟にも先生にもなにも言えずに、この世の最も孤独な場所で立ちすくみ、繰り返される陰湿な暴力に命がけでひたすら耐えていたに違いありません。
そういう言語に絶する地獄であえぐ弱者同士の間にひそかに結ばれた奇跡の絆を、作者は限りない共感と優しさで一字一字を慈しむように描きます。平明で簡素な日本語が静かに紡がれるうちに、突如眼もくらむように高貴で輝かしい幻影の城が「法華経」の地湧の菩薩のように霧の中からすっくと立ち上がるさまはけだし壮観です。なんという文芸の力技、作家の力量でしょう!
そして苛める者と苛められる者との対立が頂点に達したときに、コジマがとった自己犠牲、凶暴な狼の群れに裸の子兎が自らを生贄として捧げるシーンは大きな感動を呼ぶに違いありません。
寄る辺なき子羊の生を根底から支えている絶対的な弱さが、窮鼠猫を噛む火事場の馬鹿力的な異常な強さとして立ち現れているのです。弱者はその弱さを武器として貫き通す時にはじめて健常者の無神経で無意識の強さに打ち克つことができるのだ、という作者の確信がこのクライマックスシーンに表現されているのではないでしょうか。
にもかかわらず主人公がこの世界とつながる、もっとも弱くてもっとも強い環としての「斜視」を捨てようとした瞬間に、幻の弱者同盟ははかなくも崩壊してしまいます。別れを告げてそれぞれ別の道を歩み始める若い2人は、そのまま今世紀半に訪れるべき新しいヘヴンを象徴しているようです。
♪あまりにも苦しみ過ぎた恋人たちはいまはただ二人で居るだけで幸せなのですシャガールの「誕生日」のように 茫洋
Thursday, October 22, 2009
演劇集団円公演『コネマラの骸骨』を見る
ロンドン生まれの若き劇作家マーティン・マクドナーの話題作『コネマラの骸骨』を見物してきました。これはアイルランドのリーナン地方を舞台にした、はちゃめちゃに面白いどたばた活劇シリーズの第2作で、第1作の『ビューティークイーン・オブ・リーナン』と第3作の『ロンサムウエスト』はすでに同じ劇団の「円」の手で上演されています。
あらすじや批評などは別のところに書いてしまったのでここでは繰り返しませんが、マクドナーの芝居の第1の特徴は、いずれも人間の心の奥底に潜んでいる狂気や殺意や孤独を恐ろしいまでに深々とえぐり出している点にあります。
しかもそれらの表現がきわめて恣意的、発作的、痙攣的に展開されるように見える点に第2の特色があります。マクドナーは、いわば演劇の即興性とでもいうべき境地を目指しているようです。はしなくも今回の上演では、それが劇場狭しと飛び交う「骸骨の百叩き」ジャムセッションという形で露呈しました。
3番目には「聖なるもの」と「性なるもの」への独特のこだわりです。神や教会や神父という宗教的権威に対する憎悪と反発はかなり度を越しているだけに、逆にそれが彼の生と倫理に生得のものとして厳しく粘着していることをうかがわせるのです。
性的な問題の取り扱いも興味深いものがあって、たとえばこの芝居の中で「男性の性器は涜神的であるから墓地に埋葬できないために業者が切断して飢饉に苦しむアイルランドの民衆にトラックで売り捌いている」という真に迫った冗談が出てきますが、そういう罰当たりなセリフをふんだんにまき散らすのがこの遅れてやってきた怒れる若者のお上品な本領と思われます。
真夜中の教会の墓地で、ランプを照らしながら妻の死体を掘り出す主人公……。しかしその荒涼とした光景よりも人間の魂の中の風景はもっと寒々しく、もっともっとおどろおどろしく、悲しくもはかないものであることに、この芝居を見た人はきっと気づくことでしょう。
森新太郎の演出はいつの間にか安心して見ていられるレベルに到達し、芦沢みどりのいつもながらの生き生きとした翻訳によるテキストを、山乃廣美、石住昭彦、吉見一豊、戎哲史の役者陣が好演しています。
また衣装の緒方規矩子が、原作者マクドナーを思わせる悪童マーティンに、英国の通信会社ボーダーフォンのロゴ入りTシャツをさりげなく着せていたことにいたく感銘を受けました。
♪半世紀遅れてやって来た若者マーティン・マクドナー怒れ怒れもっともっと怒れ! 茫洋
Wednesday, October 21, 2009
小津安二郎監督「晩春」再見
見るたびにいろいろな発見とさまざまな感慨が浮かんでくる映画です。
私はこれまで笠智衆の父親と原節子の娘が住んでいるのは北鎌倉だと思っていたのですが、そうではなく鎌倉でした。海まで14,5本という会話が出てきましたから、長谷辺りではないかと想像しました。
冒頭いきなり出てくるのが北鎌倉の駅のプラットホームと円覚寺なのでついそうだと思い込んでいたのですが、原節子は円覚寺のどこかで開催されるお茶の会に出席していただけなのでした。昭和24年1949年現在の古都と古刹の古雅な光景は鎌倉だけでなく京都の清水寺や龍安寺も登場してきて懐かしさを誘われます。
もっと懐かしいのは原節子が自転車に乗って稲村ケ崎を越えて七里ガ浜まで遠乗りする国道134号線の砂浜の今とは打って変わった静けさです。
コカコーラの広告塔がぽつんと立っている道路を春風に向かって走る原節子のなんと若々しく美しい笑顔でしょう。ここでは小津と彼のアイコンである原節子と映画が完璧に三位一体化して永遠の生命に輝いています。
さらにまた冒頭で興味深いのは、父と娘が鎌倉から横須賀線に乗って東京まで通勤するシーンです。キャメラは大船から横浜、川崎、新橋へと走る電車の全景、多摩川にかかる鉄橋をとらえ、はじめは車内で立っていた二人がまず父親が大船辺りで座り、娘は横浜辺りで座るところをとらえています。私も長い間この電車に乗って通勤していたので、こういう感じはよくわかるのです。娘は岩波文庫を読んでいるのでかなり知的な女性だということが分かります。
それから東京の大学で教授をしている笠智衆の父親と彼の教え子との会話もおもしろい。ドイツの経済学者のリストの綴りは作曲家のリストとは違うという話をしています。
闇にまぎれて bowyow cine-archives vol.16
見るたびにいろいろな発見とさまざまな感慨が浮かんでくる映画です。
私はこれまで笠智衆の父親と原節子の娘が住んでいるのは北鎌倉だと思っていたのですが、そうではなく鎌倉でした。海まで14,5本という会話が出てきましたから、長谷辺りではないかと想像しました。
冒頭いきなり出てくるのが北鎌倉の駅のプラットホームと円覚寺なのでついそうだと思い込んでいたのですが、原節子は円覚寺のどこかで開催されるお茶の会に出席していただけなのでした。昭和24年1949年現在の古都と古刹の古雅な光景は鎌倉だけでなく京都の清水寺や龍安寺も登場してきて懐かしさを誘われます。
もっと懐かしいのは原節子が自転車に乗って稲村ケ崎を越えて七里ガ浜まで遠乗りする国道134号線の砂浜の今とは打って変わった静けさです。
コカコーラの広告塔がぽつんと立っている道路を春風に向かって走る原節子のなんと若々しく美しい笑顔でしょう。ここでは小津と彼のアイコンである原節子と映画が完璧に三位一体化して永遠の生命に輝いています。
さらにまた冒頭で興味深いのは、父と娘が鎌倉から横須賀線に乗って東京まで通勤するシーンです。キャメラは大船から横浜、川崎、新橋へと走る電車の全景、多摩川にかかる鉄橋をとらえ、はじめは車内で立っていた二人がまず父親が大船辺りで座り、娘は横浜辺りで座るところをとらえています。私も長い間この電車に乗って通勤していたので、こういう感じはよくわかるのです。娘は岩波文庫を読んでいるのでかなり知的な女性だということが分かります。
それから東京の大学で教授をしている笠智衆の父親と彼の教え子との会話もおもしろい。ドイツの経済学者のリストの綴りは作曲家のリストとは違うという話をしています。
物語はご存じのように片親の27歳になった娘と彼女の将来を案じどこかへ嫁がせようとする父親との葛藤です。その葛藤が急激に高まるきっかけになるのが二人が見物する観世流の能「杜若」のシーン。幻の名人の名人芸をBGMにして娘の黒い疑心暗鬼が広がります。
この映画の原作は広津和郎の「父と娘」ですが、映画では娘の結婚相手が登場せず、そのことが逆にこの映画の主題の深刻さを浮き彫りしているような気がします。そしてそのクライマックスが京都の宿での父娘相姦?ということになるのですが、小津はいくらなんでもそこまで描こうとしたのではないでしょう。
ただしその暗い傾きは陰に陽に感じられ、怪しく揺れ動く処女の激情を原節子がけなげに演じています。
ラストの嫁入りの挨拶は泣かせますが、嫁がせた父親の悲嘆をリンゴの皮むきで代置するのは笠が大泣きの演技を断ったからという事情を勘案してもやはり無理があり、その感銘を「東京物語」の終幕に譲ります。
音楽はお馴染みの斉藤高順ではなく伊藤宣二ですがその主題に無関心なまでに能天気な「晴れた音楽」の付き合わせ方が斎藤とまったく同質であり、それが小津の狙いであったことをはしなくも物語っているようです。
♪林檎の皮を剥きながら嫁入りした娘の身の上を案じる笠智衆よ 茫洋
Tuesday, October 20, 2009
ドナルド・キーン著「日本人の戦争」を読んで 後篇
荷風と違って山田風太郎の日記の特徴は、米国に対する憎悪です。彼らの美点に無知ではなかった山田ですが、本土に対する無差別爆撃を繰り返す米軍に対して一人一殺ならぬ三殺を唱え、「全日本人が復讐の陰鬼となってこそ、この戦争に生き残り得るのだ」と記しています。
聖戦の大義に突き動かされていた彼は、アングロサクソンに対する憎しみを懐き続け、聖戦継続の思想と意思をもろくも投げ捨てて占領体制にいそいそと身をすりよせた知識人の無節操を、戦後になってもながく許すことはありませんでした。
古い日本の灰の中から新しい日本が誕生するなどと喜々として口走るような人々を唾棄した山田は、「僕はいいたい。日本はふたたび富国強兵の国家にならねばならない。そのためにはこの大戦を骨の髄まで切開し、嫌悪と苦痛を以って、その惨憺たる敗因を追及し、噛みしめなければならぬ」と書いています。
永井荷風と山田風太郎の二人が、私などには及びがたい剛毅な知性と勇気を備えていたように映るのに対して、特高の拷問に遭ってマルクス主義からあっさりと転向し、大多数の作家と同様に文学者報国会に加盟した高見順の日記は、その時々の「時流」や「いきおい」にずるずると順応する人間の弱さをたっぷりと見せつけてくれるために、それほど引け目を感じることなく共感を持って読むことができます。
もしもあの時代に遭遇していれば、私もまたご立派な主義主張などあっさりと投げ打って軍部や戦争に協力し、卑怯未練な態度で生き延びようと悪あがきを図ったに違いないからです。
しかし中国大陸で日本軍の残虐行為を嫌というほど見せつけられた高見は、日本人の本質を鋭く見抜いてもいます。
「東条首相を逆さにつるさないからといって、日本人はイタリ―人のように穏和な民とすることはできない。日本人だって残虐だ。だって、というより日本人こそといった方が正しいくらい、支那の戦線で日本の兵隊は残虐行為をほしいままにした。権力を持つと日本人は残虐になるのだ。権力を持たせられないと、子羊の如く従順、卑屈。ああなんという卑怯さだ。」
私はこのような日本人の素敵なキャラが、戦後六〇年を経て一新されたとはどうも思えないのです。
権力を持てば残虐に行使する子羊のごとき優しい魂 茫洋
Monday, October 19, 2009
ドナルド・キーン著「日本人の戦争」を読んで 前篇
太平洋戦争中に戦死した日本人兵士の日記を読んで、「どんな学術書や一般書を読んだ時よりも日本人に近づいたという気がした」と語る著者は、このたびはわが国を代表する作家や学者、知識人、たとえば永井荷風や山田風太郎、高見順、大仏次郎、内田百聞、伊藤整、徳川夢声、渡辺一夫、海野十三、清沢洌などの戦時中の日記をふんだんに引用しながら、彼らがどのようにこの未曽有の非常事態を受け止めたかを記録し、時折抑制の利いた感想を付け加えています。
数多くのテキストが登場する中で、著者が特に頻繁に取り上げているのは、永井荷風、山田風太郎、高見順の三名の日記です。
戦時中の荷風の主な文学活動は、大正六年一九一七年からつけている日記でした。その文章は「その蒼枯、その艶麗、哀愁を含める小説といわんより詩に近き芸術愈々至境に入れり」と山田風太郎が評したようにじつに見事なものでしたが、その内容は愚かな戦争に自分と国民を巻き込んだ軍部に対する恨みと憎しみが随所に顔をのぞかせています。
当時もしもこのような危険な言及が外部に漏れたなら、ただでは済まされなかったでしょう。渡辺一夫のように官憲の検閲を恐れてフランス語で日記を書いていた人もいたわけですから、これは文字通り命がけの表現活動でした。
かの一九四五年三月の東京大空襲によって偏奇館が炎上した際にも預金通帳とこの日記だけは必死で持ち出したところに荷風という人の人柄がありありとしのばれます。
ちなみに著者によれば、岩波版の荷風日記は後世になってから荷風あるいは校訂者の手によって書き換えられた個所もあるので、オリジナルに近い東都書房版を参照するべきだとしています。
♪やれやれまたあの膨大な全巻の読み直しをせよというのか荷風散人 茫洋
藤沢周著「キルリアン」を読む
いわゆるひとりの中年の鎌倉文士?が市内の名所旧跡、たとえば夜の円覚寺の山門や化粧坂、あるいはまた亀ヶ谷のおのれのあばらや、北鎌倉の居酒屋、さらには若き日に身に覚えの道玄坂界隈などで、やたらひとりよがりな物思いにふける私小説的感慨小説です。
まず冒頭の蝶の描写が妙ですよ。
「一匹の蝶がその風に翻弄されつつも、絶命的なバランスで宙を泳いでいく。」
というのですが、およその意味はわかるけれど、この一行においてプロの文章として「絶命的」はないでしょう。せっかく勢い込んで読もうとしていたのに、この奇怪な形容動詞に面喰って「絶望的」な気分になりました。
しかし心を動かされる個所がないではありません。たとえば突然文士の陋屋を前触れもなく訪れる謎の美女。
「薄手の黒いストッキングの細い足首が見え、三和土(たたきと読む)に残ったもう一方に足が太腿の奥まで露わにしていた。茶封筒とバッグを框(かまちと読む)に置いたまま、畳を軽やかに揺らして入ってくると、布団に頽(くずお)れてくる」
なあんて、なかなかうまいもんです。おまけに文士は、こんな官能的な美女にいきなり唇を重ねられたりするのです。いいなあ。
それからこの文士の風呂場には巨大な「鎌倉蜘蛛」が棲息していて、昼でもそうとう不気味な雰囲気を醸し出しています。さらには文士の故郷新潟の友人からはなにやら幼友達の不穏なうわさ話を伝えてきます。
しかしながら、これらの諸要素がよってたかってなにか小説的核心を構成していくのかと思ってじっと我慢して読み続けていたのですが、結局はなんにも起こらない。なにもない。なにももたらされない。このサントリーの山崎的状況はいったいどういうことなのでしょう。
不得要領のまま読み終わったのですが、タイトルの意味すらわからない。仕方なくネットで調べてみると、キルリアンとは旧ソ連の科学者が唱えた「似非科学」で、高周波電界中に置かれた生物体の表面に起こるコロナ放電現象のことらしいのですが、それならこの芥川賞作家の小説って「似非小説」ではないでしょうか?
ちょうどその時でした。しかしちょっと待てよ。主題の喪失と描法の混乱こそ現代小説の2大特徴とすれば、この作家のこの作品こそは、げにそれらの特性を全開させた秀逸な収穫ではないのか?という不埒な思いつきが、私の鈍い爬虫類の脳内にあたかも天啓のように閃いたのでした。
♪不埒な女のラチもないプラチナジュエリー 茫洋
Saturday, October 17, 2009
ヘスス・ロペス・コボス指揮パリ・オペラ座で「ホフマン物語」を視聴する
オフェンバックが作曲した「ホフマン物語」を録画したビデオで視聴しました。
これは主人公ホフマンが、「歌う人形」のオランピア、「瀕死の歌姫」アントーニア、「ヴェネツィアの娼婦」ジュリエッタと次々に恋に落ちるが何れも破綻するというお話です。
世のオペラの大半は荒唐無稽であり、またそれでいっこう構わないのですが、この作品はあらすじはそれほどひどくはないものの、肝心かなめの音楽そのものが荒唐無稽そのものです。
さまざまな演奏稿が流布しており、いずれも演奏に2時間以上かかる大曲なのですが、ゆいいつ聴くに値する箇所があの有名な「ホフマンの舟歌」であるのは、それ以外のアリアや管弦楽がいかに無価値で無内容であるかを雄弁に物語っています。
指揮者は超ベテランのヘスス・コボスですし、オケもそこそこ、歌手も重要な役どころで実力派のブリン・ターフェルが出演しており、才人ロバート・カーセンが演出で奮闘しているのですが、まったく煮ても焼いても食えない非音楽的な駄作です。
しかしこのオペラのゆいいつの救いは、プロコフエフの「3つのオレンジの恋」というタイトルの名称以外になんのとりえもない最悪のオペラがあるということぐらいでしょうか。
とりわけ2幕のあほだら行進曲は、人間脳ではなく爬虫類の脳によって書かれた吐き気を催すように愚劣な旋律で、私はこの史上最悪の曲を聴くくらいならいっそ死んだ方がましです。
♪やい3つのオレンジども3つの糞ころがしにでも恋すべし 茫洋
Friday, October 16, 2009
「皇室の名宝―日本美の華」第1期展を見る
秋晴れの一日、上野の国立博物館で「皇室の名宝―日本美の華」第1期展を見てきました。まだ会期が始まったばかりの午前中だというのにかなり混雑していました。あと1週間もすればまたもや平成館おなじみのぐるぐる巻き大行列が始まるのでしょう。
怖いもの見たさの行列というなら分かりますが、有名もの見たさのにわか美術ファンがこれほど急増するとは、だれも思っていなかったのではないでしょうか。まことに天下泰平、文明文化爛熟の平成の御代でございます。
さて今回の展示の目玉は、もはやわが国の美術界に不動の位置を築くに至った伊藤若冲と酒井抱一です。20年前には10人中の9人までが見向きもしなかった奇想派と江戸琳派の泰斗がこのように千客万来の人気者になろうとは、泉下の2人もさぞや苦笑しているに違いありません。
その若冲の代表作である「動植綵絵」は、以前江戸城内の三の丸尚蔵館で何幅かずつシリーズで公開されたおりに圧倒的な感銘を受けたものですが、本展で全30幅が一堂に並んでいるのはまさに壮観というべく、陸海空に溌剌と跋扈する鳥や魚や草花たちが泰平楽を奏でるさまに見入るのは、さながら東叡山の楽園に遊ぶがごとき至福の眼福でした。
とりわけまっさかさまに落下せんとする雁の大胆無比な構図や、レオナルド藤田に影響を与えたと思われる鶴や鸚鵡の銀色の発色などは何度眺めてもため息が出るばかり。北斎、広重におさおさ劣ることのない名人芸ではないでしょうか。
それから忘れてはいけないのが、その端倪すべからざる力量を存分に発揮した酒井抱一の12幅の連作エドカランドリエ「花鳥一二ヶ月図」です。いずれ劣らぬ名品ですが、すでに六三歳になんなんとする頃合いの作品なのに構図の切れ味はするどく、色彩は赤の鮮やかさとくにめでたく、さすがにお大名らしい揺るがぬ気品が全幅にみなぎり、老境をものともせぬ芸術の夕映えのなんという華やぎでしょうか。
会場にはそのほか横山の大観選手や川合の玉堂、橋本の雅邦選手の力作などもあるにはありましたが、若冲や抱一両選手と比べられてはいくらなんでも相手が悪すぎます。本物の芸術の格の違いを、思う存分に見せつけられた展覧会でした。
最後に一言。「皇室の名宝」などと高らかに謳ってはいますが、しかしてその実態は玉石混交、中には名宝の名前が泣くような駄品も堂々と陳列してあるので要注意です。
♪玉もあれば瓦礫もあるよ楽しみ尽きぬ皇室名宝展 茫洋
♪蛇蛙蟷螂たちのなんと楽しく生きておること烏賊蛸鯛たちのなんと楽しげに泳いでいることよ 茫洋
Thursday, October 15, 2009
スピルバーグ監督の「ターミナル」を見る
これは故国を旅だってニューヨークのJ.F.ケネディ空港に到着したトム・ハンクス扮する主人公が、父の願いをなかなか果たせずに同空港の内部で延々と滞在を余儀なくされるというお話です。
ロシアの隣国と思しき主人公の母国クラコージアで突如軍事クーデターが勃発したためにパスポートやヴィザが無効になり、扉の向こう側のニューヨークに出て父が夢見たジャズメンのサインをもらうこともできず、かといって戻ることもできず、英語もろくに話せないトム・ハンクスは文字通り立ち往生してしまいます。
しかしそこはよくしたもんで、寝る場所、仕事、友人はもちろん彼に好意を寄せる女性まで出てきます。この不倫の恋に悩むスッチー役のキャサリン.セタ・ジョーンズが色っぽく、とっぽい田舎者トム・ハンクスに意地悪な空港管理の官僚役のバリー・ジャパカ・ヘンリーが好演しています。
すったもんだの大騒動がいろいろあって、最後は意を決した主人公が仲間たちの応援と悪者役の慈悲のお陰で空港の外に出て父の悲願を果たし、折り良く母国のクーデターも解決したために無事に帰国の途に着くというスピルバーグらしいハッピーエンドで終わります。
サスペンスとロマンスとコメディーを足して3で割ったそれなりにウエルメイドなハリウッド映画といえるでしょう。
木犀をたずね歩くや浄妙寺 茫洋
Tuesday, October 13, 2009
吉村昭「歴史小説集成第4巻」を読んで
岩波書店から刊行されているシリーズの第4巻には「落日の宴」「黒船」「洋船建造」「敵討」の長短4つの作品が収められており、幕末のペリー来日の頃の幕吏の精力的な活動ぶりをつぶさに追体験することができます。
嘉永6年1853年6月、ペルリ提督率いる4隻のアメリカ艦隊が浦賀に来航し、彼らが去って間もなくプチャーチン率いるロシア艦隊が長崎に入港し開港や通商を要求しました。
著者は、前者を題材とした「黒船」では小通詞堀達之助、後者を扱った「落日の宴」では交渉役を務めた川路聖謨(かわじとしあきら)を主人公として、この史上未曽有の国難に当時の幕閣がいかに誠実に、持てる全知全能をあげて対応したかを精細に描破しています。
「黒船」では、アメリカ艦隊の威嚇的な態度と、これに終始振り回される老中阿部伊勢守正弘をはじめ徳川幕府の指導者たちの態度が対照的です。
米国が強行し、日本が追認するというパターンはこの時に確立され、この恨み重なる屈辱をいっきに晴らさんとして企図されたのがかの太平洋戦争でしたが、一擲乾坤の大博打にまたしても屈辱的な敗北を喫した日本は、依然として大きなコンンプレックスをこの大国に対して懐き続けているようです。
ペルリ側の攻勢に対峙する老中阿部伊勢守正弘などの幕閣の裏舞台も興味津津ですが、それ以上に興味深いのは、小通詞堀達之助の波乱に満ち曲折に富んだ生涯です。
長崎でオランダ語をマスターした堀は、同僚の森山の誹謗中傷によって小伝馬町の牢屋敷に収監され、そこで高野長英と同様にはしなくも牢名主となって安政の大獄で斬に処せられた水戸家の家老や頼三樹三郎、橋本左内、吉田松陰などの悲劇を目の当たりにします。
彼の語学の才を知る古賀謹一郎によってようやく娑婆に出た堀は、英語の達人たちに追いあげながらもその習得に努め、日本人の手になる初めての英和辞書「英和対訳袖珍辞書」を完成させるのです。
ようやく函館で維新を迎えたのもつかの間、われらが主人公は今度は榎本武揚率いる幕府軍から命からがら逃げ回りながらも47歳にして愛する女性と巡り会い再婚するのですが、美人薄命の言葉通り彼女に先立たれ、やがて次第に衰えながら齢72歳で没するのです。時に明治26年でした。
「落日の宴」でロシア艦隊を率いたプチャーチンと互角以上にやりあった川路聖謨は、つとに世界情勢を熟知し、開国の必然を見抜いていた当時最高級の政治家でした。
50歳を過ぎながら三島から天城を越えて下田まで160里を1昼夜で走破した強靭な肉体と精神力、高い教養と高貴な人格は世界中で第1級の人材であると敵であるはずのプチャーチンや秘書官のゴンチャロフ(あの名作「オブローモフ」の作家ですよ!)からも激賞されています。
それにしても伊豆で沈没したロシア艦「ディアナ号」をめぐる政治折衝は猛烈無比なもので、このような重大局面をよくも川路や阿部は切り抜けたものだと感嘆せざるを得ません。
現代の歴史家は彼ら幕末の政治家を薩長の田舎者と対比してとかく優柔不断で肝が据わっていないと低く評価しがちですが、西郷、大久保、桂、岩倉などとサシになれば果たしてどちらの人物が上であったでしょうか。
徳川の世に最後まで忠誠を誓った川路聖謨は、慶応4年3月15日、江戸城が討幕軍の手に落ちるのを潔しとせず齢67歳で自決して果てました。
山田風太郎が評したごとく「徳川武士の最後の花」ともいうべきまことに見事な死にざまでありました。
腹横一文字にかっさばき晒を巻きてのち喉に短銃打ち込みたり 茫洋
Monday, October 12, 2009
橋本征子著 詩集「秘祭」を読んで
「夏の呪文」「闇の乳房」「破船」につづく著者の第4番目の詩集「秘祭」が刊行されました。
苺、アスオアラガス、桃、アドカボ、にんにく、イチジク、メロン、レモン、ホウレンソウ、ピーマン……、キッチンにそっと置かれた果物を凝視するうちに詩人の心の片隅に、突如として遠い少女時代の思い出や父母の記憶、異国の忘れがたい光景、そしてさまざま奇想が浮かんでくるのです。
それはたとえば、子宮の中で波打つアマゾネスの血脈、父祖伝来の不遜な欲望と草原の孤独、氷河の上の青空へのあこがれ、原野に棲息する先住民族の咆哮。野太い太鼓連打に高鳴る心臓、透明な思惟と最後から2番目の抒情……
では早速ページを開いてみましょう。
暗い電灯の下 影のない死者たちと円陣
を組んでかぼちゃを食べる 暗い洞穴の
口のなかにほっくりと煮た真黄色のかぼ
ちゃを放り込み 歯茎で咀嚼する わた
しも食べる 噛むたびに 痛くもないの
に歯がぽろぽろと抜けてゆく 吐き出し
てみると白いかぼちゃの種 死者たちは
わたしをみてやさしく微笑む 滅びたも
のたちの祝祭 供物 かぼちゃ 「パンプキン」より
ここに流れているのは、多彩な諧調を見事に制御した由緒正しい音楽の調べ。静謐なハーモニーを縫って流れる美しい旋律。そして不意に波打つ痙攣的な転調。眩い色彩の氾濫、たちまち失われる調和の幻想、空虚な日常をいっきょに満たす圧倒的な詩的ヴィジョンの奔騰……。
種の少ないつややかな水気の多いコルニ
ッション 少年の美しいペニスの短剣
醜い陰毛が生える前の清浄な野菜 肩甲
骨に嵌められた茎から水滴が溢れて 少
年の無垢な体をすみずみまで沐う 生殖
を今だ知らない体はしなやかに伸び 下
半身をくねらせ 再び海へとすべらかに
入って行く 少年の性器の聖性 小さな
きゅうり コルニッション 「コルニッション」より
テーブルの上でつややかな尻をだしたま
まの桃 真っ赤な夕焼けの映る水たまり
をもう飛び越えることなない果実 鉄棒
の逆さ上がりにもう挑むことのない果実
記憶の冷たさに潜んでいて 今 漂着
物となって辿り着いたもうひとりのわた
し ずっと前 わたしのなかで流れ消え
去って 今 蘇ったわたし 桃 「桃」より
ここに繰り広げられたのは、遠い森の奥で開催されている性の祝祭、動物と植物の結婚、音もなく爆発する生理、真紅の夢の洪水、覚醒、沈下と上昇、そしてまた音楽、うちならされる打楽器、ダンス、ダンス、ダンス……。
北の街で来るべき冬を待つ詩人が暖炉の傍らで夢見るものは、いったい何でしょうか?
それは晴朗な成熟と穏やかな退去? いな全身を一撃のもとで溶解させるいまひとたびの燃ゆる恋、魂を震撼させる新たな叡智の降臨、よりよき豊かな生への誘惑、そしてゆるやかで甘い眠りのおとずれ……。
北国の冬の夜空に鳴り響く花火はきみの秘めたる祭りか 茫洋
Sunday, October 11, 2009
高橋源一郎著「13日間で「名文」を書けるようになる方法」を読んで 後編
この長谷川摂子の童話「めっきらもっきらどおんどん」が、いったんは失われた言葉の力を取り戻す光景は劇的で、その昔、やはり脳に障碍を持つ私の長男が一度は失われていた発語を取り戻した折の無上の感激をはしなくも思い出しました。
源チャンは「ふつうに」生きていくことができなくなるかもしれない息子の将来を思って戦慄するのですが、「彼がどんな風になっても支えていこう。これからはずっと彼をわたしたちの家の中心にして暮らしていこう。彼の生涯を支えられるだけのものを、わたしはなにがなんでも作り出していこう」とけなげにも決意します。
そしてこのとき、不思議なことに将来への恐怖とともに、「大きな喜びのようなものを」感じるのです。
源チャンは、その喜びとは、これまでこの世の中の主流を歩んできたいわば「右まきの人」が、世の中の主流をはずれた「弱い人」や「少数派の人」「左まきの人」の「横に立つ喜び」であると定義するのですが、この尋常ならざる喜びこそは、不幸のどん底で呻吟しているはずのわれら地底人が、はるか地上を仰ぎ見るような斬新な視角をあたえ、この世にあって一身にして二生を経るような複合的な生きがいを与えてくれる得難い特権に他ならないのです。
我田引水して急遽同病を憐れむわけでは毛頭ないのですが、このたびの高橋源チャンの原体験は、彼の今後の作家活動にとって大きな飛躍の源泉となるに違いありません。
ぐあんばれ源チャン!
ありがとう君こそはわが聖なる愚者わが生きるよろこび 茫洋
Saturday, October 10, 2009
高橋源一郎著「13日間で「名文」を書けるようになる方法」を読んで 中編
それからこの本(講義)のもうひとつの楽しさは、行き当たりばったりの即興的な自由さです。くだらないシラバスにとらわれない、ジャズの演奏に見られるような奔放な思索のインプロビゼーションです。
たとえば源チャンの第9回目の授業は、思いがけないトラブルに見舞われ、休講を余儀なくされます。彼の2歳9か月になる次男が急性脳炎の疑いで救急車で病院に担ぎ込まれたからです。
医師から「小脳性無言症」と診断されたキイちゃんは、小脳に大きな損傷をこうむり、それまで自由にしゃべっていた言葉が突然出なくなってしまいます。
そして、息子の「発語機能」が損なわれたのは、著者が文芸雑誌に連載したキイちゃんを主人公とする小説の物語の中で、キイちゃんの言葉を奪ったからだ、となじる妻の詰問が、なんと10回目の授業で源チャンの口から淡々と紹介されるのです。
「あなたがあんな小説を書くからよ! いますぐ小説をハッピーエンドにして! キイちゃんに言葉を取り戻させて!」
しかしまるで小説を地でいくこの実話は、あるささやかな奇跡が起こることによって、その絶望的な悲惨さがいくらか明るい方へと向かいます。それは源チャンが次男の大好きな童話を読み聞かせているときに起こりました。
「ちんぷく まんぷく あっペらの きんぴらこ じょんがら ぴこたこ めっきらもっきら どおんどん」
源チャンが魔法の言葉をささやくと次男は、「けたけた、げらげら」と笑いだしたのです!
♪めっきらもっきらどおんどん魔法の言葉がわが子を救う 茫洋
Friday, October 09, 2009
高橋源一郎著「13日間で「名文」を書けるようになる方法」を読んで 前篇
これは著者が毎週木曜日の4時限に明治大学国際学部で行った「言語表現法」の13回の講義の実録ライブ収録です。軽薄な実用書のようなタイトルで損をしていますが、内容的にはその正反対の著作であると断言してもいいでしょう。
よしんば誰がどんな名講義を13日間どころか13年間行ったとしても、受講した学生に名文など書けるわけもないのですが、そんなことは百も承知の上で高橋の源チャンはユニークな授業を行っています。
ではそれはどんな講義だったのでしょう?
著者はまず学生に著者が好きな文章(ソンタグの遺書、斎藤茂吉の恋文、日本国憲法前文、カフカの「変身」、バラク・オバマやハーヴェイ・ミルクの演説など)を読んでもらい、それから何か課題(自己紹介、ラブレター、「憲法」や「演説」を書くなど)を出して学生に文章を書いてもらい、その文章について学生とともに話し合いながら、お互いにああでもない、こうでもないと考えはじめます。
それらの素材やこれらの講義自体をダシにして、「書くこと」や「話すこと」にとどまらず「生きること」をめぐってああでもない、こうでもないと、まるでソクラテスのように「考えること」自体が、この授業の狙いなのでしょう。
言葉という重宝な道具を上手に使いこなして「考えるすべを見出すこと」、そうして本人未踏の知られざるどこか遠い世界の果ての果てまで思惟の旅を続けることが、この「言語表現法」講義の遠大な目標となっているようです。
そうしてこのユニークな講義の実況中継を読む私たち読者は、著者が設定したその簡単な仕組みからもたらされる、もぎたての果実を味わうような思考のみずみずしさとおいしさを追体験することができるのです。
♪どこまでも遠くへ行くんだ言葉という翼に乗って 茫洋
Thursday, October 08, 2009
スピルバーグ監督「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」を見る
自分が大好きな人はいざ知らず、あまり好きでないからこそ人はもう一人の自分を夢見たり、年甲斐もなく自分探しなる虚妄の旅路に出るのでしょう。
そういう元スポーツマンにうってつけの映画がこれ。パイロットや医師や法律家に次々に成り済ましてしまう実在の男フランク・ウィリアム・アバグネイルをモデルにした映画です。
アバグネイル役を演じるデカプリオと、トム・ハンクス扮するどこか間抜けなFBI捜査官との虚々実々のかけひきがなかなかおもしろく、クリスマスイヴになると寂しくなるデカプリオがオフィスでたった一人のトム・ハンクスに電話してくるところなぞ泣かせます。
それにしても六〇年代のパンナムのパイロットはよくもてたのですねえ。美人スッチーを何人も従えて空港を闊歩するかっこよさ! いまや飛ぶ鳥さえ憐れむ体たらくに陥ったわがナショナルフラッグの高給取りも、さだめしこのあで姿にあこがれて入社したのでしょうね。やってることは鳩バスの運転手とバスガイドさんと同じだというのに。
多重人格の持ち主ならずとも、千恵蔵の「7つの顔の男」でなくとも、人間はいくつものことなる性格や適性を内蔵していますから、アバグネイルのような別人格成り済ましも十分可能なはずですが、この映画のようにどこまでいっても「らっきょうの皮むき」状態となると自己同一性の喪失ということになって大変ですね。
そしてスピルバーグの映画作りもどことなくこの「らっきょうの皮むき」に似ていて、それぞれの皮(作品)はそれなりに面白いのだけれど、所詮はらっきょうの皮にすぎなくて、見終わってしまえば「それでどうしたの?」と観客がみな口をそろえて言うので、スピルバーグは仕方なくまた「新しいらっきょうの皮」を見せなければならなくなるというわけです。
♪一枚また1枚らっきょうの皮めくるめくわが人生 茫洋
Wednesday, October 07, 2009
吉村昭著「彰義隊」を読んで
徳川幕府に最後まで忠誠を誓い、上野の森に立てこもって薩長の朝廷軍と戦った彰義隊は新撰組と並んで江戸が最期に咲かせたささやかな玉砕の2輪の華でしょう。
しかし著者がこの本で精細に描いているのは、その彰義隊本体ではなくて、彼らの精神的支柱と仰がれ、後に奥羽列藩同盟の盟主に担ぎあげられた寛永寺門主の輪王寺宮の波乱に満ちた生涯の軌跡です。
輪王寺宮は名は能久、法名を公現と称し、弘化4年1847年伏見宮邦家親王の第9子として生まれ、12歳で勅命により輪王寺宮を襲名し、元治元年1864年には親王の位の第1位をさずけられて天台宗の最高責任者として比叡山、東叡山、日光の3山を管領するようになりました。
輪王寺宮は慶応4年1867年1月の戊辰戦争で敗北した一橋慶喜の一命を救助しようとして箱根を下り、朝廷軍の東征大総督であった有栖川宮の慈悲を乞うたのですが、にべもなく拒否されてしまいます。有栖川宮は自分の婚約者であった和宮を奪った徳川家を憎み、その一族である慶喜に味方する輪王寺宮に冷酷に対応したのです。
同じ皇族のよしみを心頼みとし、交渉に楽観的であった輪王寺宮の自負と矜持はむざんに打ち砕かれ、あまつさえ有栖川宮率いる官軍は彰義隊を討伐すると称して輪王寺宮が居住する寛永寺をなんの断りもなく砲撃します。
この時の体験が彼の運命を一変させてしまいました。朝廷を代表する一員であり、明治天皇の伯父でありながら、輪王寺宮は有栖川宮への敵意と対抗意識から官軍に反旗を翻し、賊軍である幕府の側に立つのです。
しかし東北雄藩の奮戦むなしく奥羽列藩同盟はあっけなく崩壊し、輪王寺宮はまたしても一敗地にまみれてしまいます。朝廷軍に降伏して京に呼び戻された輪王寺宮は、東征のみならず佐賀の乱や西南戦争の鎮圧にも勲功をあげた有栖川宮に激しいライバル意識をいだき、兄の小松宮の力を借りてドイツに留学して軍事技術を修得し、勃発したばかりの日清戦争に従軍して国恩に報いようと望んだのですが、その切なる願いを握りつぶしたまま宿敵の有栖川宮は61歳で逝去してしまいます。
けれども明治23年5月、ついに宿願が果たされる日が到来しました。兄の小松宮によって近衛師団長に任じられた輪王寺宮は、清国と通じた台湾の不穏な動きを鎮圧することを命じられたのです。かつての朝敵としての汚名をそそごうと勇躍した輪王寺宮は、兵士の先頭に立って清国軍と激戦を繰り広げたのですが、不幸にもちょうどその頃台湾で大流行していたマラリアに感染し、同年10月28日48歳で病没しました。
もしかすると明治天皇に代わって天皇になっていたかもしれない一人の男が高僧となり、反乱軍の長となり、天下の朝敵となり、ついには大日本帝国の軍人として異国の地に斃れる。著者はその悲壮感にみちた波乱万丈の生涯と彼を最後まで突き動かした強烈な心的機制を慈愛の目で丁寧に描きつくしています。
♪天皇になるか天下のお尋ね者になるか紙一重 茫洋
Tuesday, October 06, 2009
カルロ・リッツイ指揮ウイーンフィルで「椿姫」を視聴して
これは05年8月7日にザルツブルク祝祭大劇場で行われたヴェルディの「椿姫」の公演録画ですが、新星ビオレッタ役のアンナ・ネトレプコの容姿と演技と歌唱に終始魅了されました。
この人はモデル並みのスタイルと美脚の持ち主であり、加えて軽くて透明なソプラノの喉を持ち合わせています。カラスやデバルデイが好きな私は、この種の吹けば飛ぶよな軽い声質には大いに抵抗があり、だからアンナ・ネトレプコの日本版ともいうべき森麻季のような水溜りをアメンボウのように滑りつづけていく歌唱を冷たく見下しているのですが、アンナには森嬢にはない腰の強さと劇性も備わっています。
顔容はアップになると美形というよりは可愛らしさが勝ったいわゆる狆ころ姉ちゃん顔ですが、赤いドレスに赤い靴のアンナ嬢が赤いソファーの上で前後左右に寝転がって白い太腿を惜しげもなく剥き出しにすると、場内超満員の観衆は大口をぽっかり開いてよだれを流しているのです。高等娼婦にふさわしい演出であり演技であると感服しました。
相手役のアルフレート役のロランド・ビリャソンもかなりのイケメンで美男と美女がさかりのついた猫のようにいちゃつきながら抱擁と激しい接吻を繰り返すのですから、ヴェルディの音楽どころの騒ぎではありません。
けれどもそんな激しい演技のために歌唱がおろそかにされることはなく、どのアリアも平均以上に歌いこなしているのです。その若い二人を脇でしっかり固めているのがベテランバリトンのトマス・ハンプソンで、なぜか第1幕の冒頭から出演してヒロインの行く末を案じている医師役のルイジ・ローニともどもオペラの縁の下をがっちり支えています。
そして特筆すべきは演出のウイリー・デッカー。伝統的なスタイルをいっさい廃棄して、青と白の照明を基調とした簡素な舞台に、大きな時計や白いバラ、赤いドレス、ソファーなどの小道具を巧みに使って、ヒロインの悲劇を象徴的に劇化することに成功しています。とりわけ2幕のパーティから3幕の主人公の死の床への転換を幕を下ろさずに続けた箇所などはまことに秀逸でした。
そんなわけでこの公演は、かつて最晩年のゲオルグ・ショルテイが1994年にロンドンのコベントガーデンで当時話題の美人ソプラノアンジェラ・ゲオルギューと組んで行った素晴らしいライブに匹敵する内容になりました。
いずれも超美形イコンの登場で話題を呼んだことでは共通していますが、両者を比較すると、その公演の成功にもっとも貢献したのが前者では指揮者、後者では演出家の働きであったことが、この15年間の歳月の経過を雄弁に物語っているように思います。
♪はしなくも大指揮者の時代終り中小演出家の時代来たれり 茫洋
Monday, October 05, 2009
ケント・ナガノ指揮ベルリン・ドイツ響「パルシファル」を視聴して
04年8月にバーデンバーデン祝祭劇場で行われたライブの映像です。ケント・ナガノという人の指揮を私はまったく評価していませんでしたが、このワーグナーではさしたる破綻も見せず、最後までなんとか無難に振っていたので驚きました。
昔からよく言われるように、指揮者の役割は3つしかありません。それは一斉に音楽を開始すること。そして開始した音楽をうまく演奏すること。最後は開始した音楽を一斉に停止させることですが、ケントはこの3つの重要な使命のうち2つの仕事は確実に果たしたといえましょう。彼の手兵ベルリン・ドイツ交響楽団も劇的な盛り上がりには欠けますが、まずまずの伴奏振りといえましょう。
タイトルロールのクリストファー・ウエントリス、アンフォルタス王役のトマス・ハンプソンもまずまずの歌唱ですが、グルネマンツのマッティ・サルミネン、クンドリのワルトラウテ・マイヤーの2人が正統的なワーグナーうたいらしい充実した歌唱を見せています。とりわけサルミネンは素晴らしい。彼のいないワーグナーなんて小澤のいない民主党のようなものでしょう。
そしてこれらすべての配役にもましてこの舞台神聖祝祭劇の荒唐無稽な物語をわかりやすく交通整理して美しく明快な見世物に仕立てていたのは、意外なことに演出家のニコラウス・レーンホフその人でした。聖なる愚者パルシファルを色仕掛で誘惑するクンドリの妖艶さ、そしてその誘惑を断ち切って敢然とおのが意志を貫く主人公の晴れ姿も彼の演出の賜物でしょう。
ただ最高に盛り上がるはずの第3幕の「聖金曜日の音楽」が不発に終わってしまったのは指揮者の責任です。ダルなN響をしどろもどろに振りに来日する暇があったら、少しはクナパーツブッシュの録音を聞いて勉強してもらいたいものです。
♪金の時代には金の音楽銅の時代には銅の音楽 茫洋
Sunday, October 04, 2009
スピルバーグ監督「宇宙戦争」を見る
オーソン・ウエルズがラジオ番組にして全米をあっと驚かせた英国の作家H.G.ウエルズの原作をスピルバーグが映画化しました。
雷鳴が轟きわたる黒い空から突然襲来してくる凶悪な宇宙人たち。思いもかけず彼らは天体からではなく、地球の足元から次々に湧き出てきます。知能とハイテク技術に長けた彼らは、地球生誕の大昔からわたしたち人類の下部構造に潜んでいたのです。
ですから宇宙人というのは、わたしたち自身に内在している闇の部分、他者への無関心と敵意と殺意そのものといってもよいでしょう。
だから画面は終始暗く陰鬱そのものです。扮する家族もお互いにとげとげしく反発しあい、愛情のかけらもないバラバラの状態です。
スクリーンにうごめく暗い人物の不吉な影。そこへ襲いかかる武装した宇宙人軍団。最強を誇った地球防衛軍はあっというまにほぼ全滅状態となり、わずかにオオサカの善戦がボストンにまで伝わってくるのみ。地球最後の日は目前に迫りました。
この映画では、スピルバーグが、あるいはわたしたち自身が持っている果てしもなく絶望的で退嬰的な悪魔の世界が延々と描写され、万策尽きたと誰もが思わされたその瞬間にかすかな曙光が差しこみ、お約束といえばお約束の奇跡の逆転劇がラストで訪れる。そのドラマの道行がいかにもスピルバーグであります。
われらが地獄面よりぬっと立ち上がる悪鬼どもを倒すのは誰 茫洋
Saturday, October 03, 2009
ジョージ・キューカー監督「恋をしましょう」を見る
まずタイトルが単純明快でよろしい。なんたってLe t's make loveですぞ。
次にマリロンモンローが単細胞で超可愛いところがよろしい。3番目は、モンローに恋したイブモンタンが彼女の歓心を買おうと歌をビング・クロスビーに習うところがおもしろい。クロスビーに褒められたモンタンが赤くなるところは最高です。(なお彼はおそらくはミスキャストじゃろう。)
モンタンは踊りをジーン・ケリーからも教わるのですが、この場面はもうちょっと長く丁寧に見せて欲しかったのです。
お話は大富豪でプレーボーイで実業家のモンタンがモンローに一目ぼれして、彼女が所属する小劇団の素人役者となって、恋敵と張り合って、すったもんだのどたばたの挙句、ついに初めての恋をハッピーエンドにまでもちこむという軽妙な三文ハリウッド喜劇です。
たしかに三文は三文なのですが、最近のハリウッドも日本映画もこういうこていな三文コメディを生産する余力がなくなってきたのはとても残念です。空疎な「超大作」はもうやめにしてちょうだい。
モンローは亡くなる二年前なのにとても元気。この能天気な映画を見ていると、もっとあの甘美なお色気とおばかなキャラと下手くそな歌を生かしたミュージカル映画にたくさん出てもらいたかったとつくづく思わされます。
♪セクシーシンボルというよりちょいといかれた芋ねえちゃんマリリンモンローノーリターン 茫洋
Friday, October 02, 2009
吉村昭著「天狗争乱」を読んで
水戸天狗党が尊王攘夷の実行を求めて筑波山に集結したのは明治維新まであと5年足らずに迫った元治元年3月のことでした。過激な尊王攘夷論者である藤田小四郎が、水戸藩町奉行田丸稲之衛門を大将に仰ぎ、63名の同志とともに決起したのは、京の天皇を尊崇することによって、幕府の権限を強化し、わが国の官民が一丸となって諸外国を打ち払い(攘夷決行)、井伊大老によって開港された横浜を閉鎖することでした。
徳川斉昭が率い、会沢正志斎や小太郎の父藤田東湖を擁する幕末の水戸藩は、この尊王攘夷という思想の淵源の地でしたが、攘夷激派である水戸天狗党は、藩内の門閥派や同じ攘夷の穏健派である鎮派と対抗しながら、この思想を現実の政策として実行するために長州藩や朝廷との共同戦線を夢見ながら武装蜂起したのでした。
激派の武士のみならず神官、農民らも加わっておよそ千名の大勢力に膨れ上がった天狗勢でしたが、公武合体派が牛耳を握っていた当時の幕府執行部の執拗な追跡と徹底的な弾圧をこうむります。そして水戸の門閥派や追討軍と戦いながら故郷水戸からはるばる厳冬の越前までの逃避行を余儀なくされた彼らは、主君である徳川慶喜から無情にも見捨てられ、幕府の敵として人夫をのぞいたほぼ全員が翌慶応元年2月に雪の敦賀で斬首されます。当たり前のことながら、思想は人を殺すのです。
この天下に名高い天狗党の乱の顛末を、著者は例によって感情を押し殺した冷静無比な筆致で淡々と記述します。
しかし、天狗党の暴れん坊田中源蔵の火つけ強盗の落下狼藉、それとはあまりにも対照的な天狗党本体の見事なまでに清廉潔白な行軍ぶり、西南戦争の西郷軍の可愛岳踏破に酷似した蠅帽子峠の強行突破、千尋の谷底へ落下していく馬の悲鳴、降伏した天狗党総大将武田耕雲斎と加賀藩代表永原甚七郎のまるで歌舞伎の千両役者の舞台を思わせる永訣の場面、水戸藩門閥派の巨魁市川の冷酷非情な仕打ち、そして英傑と謳われた徳川慶喜の武士として、人間としてあるまじき卑怯未練な態度、などを黙々と認める作家の心のなかでは、清濁併せ呑む歴史の奔流に無言でのみこまれていった非命の人々、敗残の民への無限の共感と大いなる悲しみが激しく渦巻いていることが感じられるのです。
当たり前のことながら思想は人を殺すのだ 茫洋
Thursday, October 01, 2009
アーサー・ペン監督「俺たちに明日はない」を見て
どうして原題の「ボニーとクライド」が「俺たちに明日はない」に変身したのかわかりませんが、アメリカ30年代の大不況期に銀行強盗を繰り返した若い2人が主人公の悪漢映画という名の恋愛映画であります。
冒頭、田舎町のしがないウエイトレスが満たされない生と性の欲求にもだえている。そこに刑務所から出てきたばかりのかっこいいあんちゃんが現れて、目と目がふとしたはずみで出会う。ここから運命の恋がはじまります。
クライド(ウオーレン・ビーティ)はテキサス一かっこいい美女ボニー(フェイ・ダナウエイ)を見染め、彼女のためなら盗みでも殺人でもなんでもやろうと心に決め、そのみえのために実際即座にそれを実行します。
そしてそれ以降の強盗行為と逃避行はその最初のもののはずみのあとの一瀉千里の玉突き行為の結果にすぎません。
2人が若い手下をリクルートしたり、クライドの兄夫婦が犯罪グループの仲間入りをしたり、強盗団がテキサス・レンジャーを捕まえてなぶりものにするエピソードもあくまでもこの映画の付けたたしであって、この映画の本当のクライマックスは、逃走劇の最後に、性的に不能であったはずの男がどういう風の吹きまわしか初めて女と性交することに成功し、「どうだった?」と恐る恐る尋ねたクライドに、ボニーがはずかしそうに「良かった」と答えるシーンにあるのです。
女の言葉は多少ともリップサービスであったとしても、男の方はこれは絶対うれしかったに違いありません。クライドはこの瞬間銀行を襲ってドルの札束を手に入れたときよりもはるかに大きな満足と生きる喜びを味わいます。
実際画面に目を凝らすと、このシーンからの2人の表情は、それまでのプラトニクな恋愛の陰影ではなくて激しい性愛の燃えるようなよろこびに彩られており、突如百千の銃弾によってそれが断ち切られるその瞬間まで、ボニーとクライドは人生でもっとも充たされた時間を生きたといえましょう。
♪性愛の讃歌非情の銃弾テキサスの荒野にこだませり 茫洋
Wednesday, September 30, 2009
ルドルフ・ビーブル指揮喜歌劇「メリー・ウイドウ」を鑑賞する
05年8月11日から13日までオーストリアのノイジードラー湖で開催されたメルビッシュ音楽祭のライブ映像です。
曲はレハールの「メリー・ウイドウ」。森の妖精ヴィリアの歌とおなじみの哀愁漂う主題歌「閉ざした唇に」はこのオペレッタの聴きどころです。見どこころは第3幕のパリのマキシムのカンカン踊りでしょうか。
この会場は湖に面した広大な空間なので、大勢のダンサーがスカートを捲りあげながら入れ替わり立ち替わりにお色気たっぷりの例のダンスを繰り広げるシーンはなかなか楽しいものです。
演出はヘルムート・ローナー、指揮はたびたびの来日で我が国でもおなじみのルドルフ・ビーブルですが、別にこの人がいなくても素人の私が振ってもダンスの伴奏くらいはできそうです。
オケはメルビッシュ音楽祭管弦楽団なる寄せ集めアルバイト集団(だと思う)。文字通りステレオタイプの演奏がぐだぐだれれてれと続き、湖に音が散乱するあまり広大な空間であるために、歌手たちは全員口元にマイクをつけて歌っていましたが、もしかすると全部口パクかもしれません。
ヒロインのグラバリ夫人はマルガリータ・デ・アレノーラという妖艶な年増、が古臭ければアバウトアラフォー。いかにも蓮っ葉で男好きのする豊乳の持ち主ですが、こういう下品なヒロインと比べてなんとメラニー・ホリディの可憐で清潔でかわいらしかったことよ。(彼女はグラバリ夫人ではなくバランシエンヌが持ち役でしたが。)
若かりし頃の私は、レハールのこの「閉ざした唇に」を見ると思わず涙腺が緩んだものですが、こんな無残な演奏なんて一滴の涙も出ないや。
♪蝉どもが神隠れする十月朔日 茫洋
Tuesday, September 29, 2009
西暦2009年長月茫洋歌日誌
馥郁と月下美人香る生田山伊東静雄の愛弟子逝きけり
横浜の坂の途次なる三差路のビルの上なる2匹の猫かな
やい池澤夏樹下らぬ三文小説をセレクトするな
古池を埋める儀式を執行し郷里の我が家解体されけり
秋風やとぎれとぎれに泣いているひとりぽっちの油蝉かな
くたばれスタインウエイと呟きながらヤマハを弾く夕べ
鬼が出るか蛇が出るか屁も出ざりき今朝の授業
あと2年辛抱すればわが世の春神ならぬ人の悲しさ哀れさ
獣道を狂気のごとく走る自転車は凶器なり
横須賀線で母親と押しくら饅頭しているお下げの姉妹
生涯ただ一度の大音響を発して極楽往生せしは慶日上人
45日間無利息にだまされて夜逃げしたらあんたが助けて呉れるのか余裕のゆうちゃん
八幡宮長谷寺英勝寺光明寺鎌倉の寺社みな白き蓮
植物の手と手互いに争わず光に向かいて平等に伸ぶ
食べ歩いても食べ歩いても失望す名物に旨いものなし
男一匹生きるも死ぬもこの時ぞこの時ぞ
去んぬる如月母君を神隠しに遭うた男けふペットボトル捨つ
情報の掃溜めと化したR25んなもの誰も要らん
こんなもんぐたぐた書いてなんになるだんだん身苦死がいやになる
雨に打たれ街路に伏せたるアブラゼミ拾いて朝顔の葉に乗せたり
鳥海山より岩木山を直視したるわが眼を鏡で見ている
かねてよりのわれの望みを叶えるはわれならぬリヴァイアサンの蜂起なりしか
植物はあらゆる方向に触手を伸ばす
君と僕夫婦であぶる仲にして
あなたと私夫婦であぶる仲良しこよし
投じたるすべての票が死なざりき
花の名をよく知るひとの床しさよ
けふもまたちゃんちゃらおかしくいきにけり
陰茎のタマタマほどの寒さかな
ちんぽこを握ればふぐりの冷たさよ
処暑の夜わが陰嚢の冷たさよ
累々と蝉横たわる峠かな
箱根山一句も浮かばず下るなり
黄金虫救ってやりしうれしさよ
♪くわんれきの次なる環に踏みいれず宙外はるか消え失せし友 茫洋
Monday, September 28, 2009
ウラジミール・ユロフスキ指揮ロンドンフィルで「シンデレラ」を視聴する
ロンドン郊外のグライドボーンで05年6月に開催されたロッシーニの「シンデレラ」のオペラ公演映像です。
初夏のグライドボーンでは、幕間にシルクハットの紳士やドレスの淑女たちが連れ立って緑地を散歩したり、サンドウイッチとワインなどを楽しんだりしているようですが、まことに英国らしい貴族的な環境のようです。
ピットに入っているのはいつものように小編成のロンドンフィル、指揮者は若手のウラジミール・ユロフスキという人ですが初めて聞く名前です。序曲からしてすでにおなじみのクレッシェンドがうねうねと盛り上がり小さなピークを迎えた所で第1幕が始まります。
シンデレラの物語はあまりにも有名なので繰り返しませんが、シンデレラって「灰かぶり」という意味なんだそうです。日本でも鉢カブリ姫というのがあるようですが、あばら屋に住み粗末な身なりをした地味な娘にふさわしいネーミングですね。そして男爵と2人の馬鹿娘にいじめられ続けたその「灰かぶり姫」が、王子様に見染められて晴れてプリンセスの座を射止めるまでの奇跡の玉の輿物語をロッシーニは楽しみながら作曲しています。
聴きどころはやはり第1幕のフィナーレの大合唱でしょうか。ここではめくるめくようなクレッシェンドの繰り返しがミニマルミュージックのような陶酔と眩暈を生みだしほとんど悪酔いを覚えるほどです。これは喜劇王ロッシーニの悪魔的な側面ではないでしょうか。
その前半に比べると後半の第2部はかなり冗長で緊張感に欠けますが、最後のシンデレラの長大なアリアで1巻の終わり。めでたくハッピイエンドを迎えます。
歌手、オケ、指揮いずれも可もなく不可もないなかにあって、特筆すべきはやはりピーターホールの演出でしょう。舞台の設定、美術、衣装、照明にいたるまで当時の時代背景を忠実に反映し、重厚で写実的ななかにも華麗で優雅な雰囲気をしっとりと漂わせ、ともすれば軽薄なドタバタ劇に転落しかねない本作品を本格的な演劇的オペラとしてしっかりと支えています。
出演はアンジェリーナ(シンデレラ)、ルクサンドラ・ドノーセ、ドン・ラミロ(王子)、マキシム・ミロノフほか。
♪あなたと私夫婦であぶる仲良しこよし 茫洋
アーノンクール指揮チューリッヒ歌劇場・シンティルラ管でモーツアルト「にせの花作り女」を視聴する
モーツアルトイヤーである06年2月にスイスのチューリッヒ歌劇場で行われた公演です。
アーノンクールはウイーンに帰還するずっと昔から、この地味な歌劇場でバロック・オペラを振り続けていましたが、今回のシンティルラ管弦楽団という名前は初耳です。同歌劇場の選抜チームの名称かもしれませんが、とても情熱的な演奏。右翼第2バイオリンの2列目の日本人女性が、とても表情豊かにモーツアルトに取り組んでいる姿を見てああ音楽ってこういう風に夢中にならなければ、と改めて思わされました。
日本のオケ、とくにN響の奏者たちはどいつもこいつも冷感症で不感症で冷血漢の爬虫類ぞろいでいくら指揮者があおっても能面のようにニル・アドミラリな表情を変えようとしません。楽器のお稽古はしばらくやめて、楽しければ楽しい顔を、悲しければ悲しい顔をして演奏するような演劇的トレーニングでもすれば少しはましな演奏ができるのではないでしょうか。私はこいつらの仏頂面を見るのが厭なので、いつもテレビの音声だけを聴いているのです。
閑話休題。さて演奏ですが、御大アーノンクールの指揮はさすがに手慣れたもので特に若手のソプラノ歌手と合わせたときの弱音の響かせ方、音の消し方が見事。同じ極東の御大である小澤先生など大いに見習ってほしいものです。もう遅すぎると思うけど。
なにせこのK196 の作品はモーツアルトが17歳の1774年に書かれた曲なので、プロットもいいかげん(浮気をしたと勘違いした伯爵が妻を刺すが、死んだはずの妻は花作り女と偽って生きていて、誤解が解けた二人は元の鞘に戻る?!)なら、アリアの出来栄えもいまいちです。20年前なら公演などあり得ない幼稚な作品とイッセルシュテット以外の指揮者が考えていたに違いありませんが、その若書きをアーノンクールはじつにもっともらしく聞かせます。
さすがに後年の「フィガロの結婚」や「ドン・ジョヴァンニ」などの完成度はありませんが、たとえば後者のレポレロの有名な「恋人のカタログの歌」を想起させるアリア、そそて「フィガロ」の終幕の夜の庭園のドタバタ劇そっくりの舞台が、すでにこの段階で構想されていたことがよくわかるのです。
いかに天才とは言え若き日のモーツアルトがそれこそ計画的に傑作への階段を一歩一歩切り開いていったことが如実に理解できるだけでもこのオペラは価値があります。
出演は題名役にエヴァ・メイ、イザベル・レイ、クリストフ・シュトレールなどでまずまずの歌いぶり。演出はトビアス・モレッティ、美術はロルフ・グリッテンベルクですが、すべてを総覧していちばん見事な出来は衣装のデザインでした。誰が担当したのだろう。
♪横須賀線で母親と押しくら饅頭しているお下げの姉妹 茫洋
9/29
Saturday, September 26, 2009
思い出の庄野潤三
二夜続けて馥郁と香る月下美人の花が咲きました。庄野潤三の小説を知ったのは、私が結婚して横浜の弘明寺の裏駅のやまのうえの墓地の傍のアパートに住むようになってからのことでした。
その頃、弘明寺の裏駅のすぐ傍にはどういうわけかもう使われなくなってしまった小さなプールがありました。
私はアパートに通じる急な坂道を息急き切って登り切ってそのプールを見下ろすたびに、彼の「プールサイド小景」を思い出し、たくさんの枯れ葉が浮いたその黒い水面に私と同じようなダークスーツを着たサラリーマンが漂っていないかとおそるおそる確かめたものでした。
アパートの窓を開けるとお墓の向こうには草原と遠い丘陵と青い空と白い雲が望まれ、時々電車が走っていく姿が見えました。生まれたばかりの長男は先天的な障碍があるとも知らず、家の前の坂道をよだれを垂らしながら這い這いしていました。
庄野潤三が小田急線の生田の谷の上に住んでいることは、学生時代の友人のK君の家に遊びに行ったときに教えてくれました。彼の実家はそのすぐ近所にあったからです。
私は当時まだ田舎で田んぼや藁ぶきの農家や栗の木が目立つその近辺を散歩しながら、この小説家の「夕べの雲」の素晴らしいラストシーンを思い浮かべたり、もしかしてあの小道の曲がり角から作家その人が突然大柄な図体を現すのではないかという気がして待ち構えたりしたものですが、もちろんそんなことはなかったのです。
「夕べの雲」もいいけど、そのあとの作品もいいぞ、と教えてくれたのは、やはり同級生だったS君でした。
それ以来私は毎年のように出版される彼の一連の家族小説を折に触れて読んできました。たとえば「貝がらと海の音」などの小説というよりも日記のような連作がそれですが、どれをとってもまるで金太郎飴のように老夫婦の日常と子供や孫の動静、生田の家をめぐる季節と風物が淡々と歳時記のように記されています。
そこには事件らしい事件はありませんし、プロットも、いたずらな修辞さえありません。あえていうなら、流れゆく水に描かれた物語とでもいうべきものでしょう。もはや文学や小説であることさえ放棄したような文章の連なりですが、ただそれに目をさらしていると、不思議なことに心に安息を覚え、限りある生を生きてあることの幸せというものに自然と気づかせてくれるのです。そこには今を生きている人間の確かな手触りとその人間をゆっくりと押し流していく悠久の時間の流れがあります。
私にとってこの貴重な作品の源泉が、今月二一日に突然流れることをやめたのは、ひとつの文学的事件というよりは実生活上の打撃でありました。深い喪失感と悲しみを味わいながらも、できれば私も彼のように自他のこころをうるおす文章を書きたいものだと改めて思っているところです。
♪馥郁と月下美人香る生田山伊東静雄の愛弟子逝きけり 茫洋
Friday, September 25, 2009
メアリー・マッカーシー著「アメリカの鳥」を読んで
メアリー・マッカーシーといえば「グループ」を書いたことで知られるアメリカの美人女流作家ですが、「アクセルの城」で有名な批評家エドマンド・ウイルソンの伴侶でもあったとは知りませんでした。別に知らなくても全然構いませんが、問題は彼女のこの作品です。
ちょうどアメリカのジョンソン大統領が北ベトナムを爆撃した頃にパリで学生生活を送っていたアメリカ人の若者ピーター君の留学中のあれやこれやの小事件が、まるで牛の反芻のように延々と垂れ流されていて、この文章のどこが偉大な20世紀の小説なのかといぶかしく思わないわけにはいきません。
たとえばソルボンヌの外国人のための初級文明クラスの授業がつまらないそうですが、それがいったいどうしたこうした。つまらなければやめればいいじゃないか。それをつまらないと書けば小説になるとでも思っているのでしょうか。
サルトルがルフェーブルに接近したからなんだというのだ。さらにはお決まりの失恋話や交友関係や放浪者やローマ旅行やアパルトマンの家主とのトラブルやオートバイを船で持ち込もうとするときに持ち上がった事件やらアリストテレスやカントの感想だのを聞きたくもないや。もうもう勘弁しとくれ。それはお前さんのミクシィにでも乗っけといてくれ、と言いたくもなるのです。
だいたい「アメリカの鳥」というタイトルと本文はどういう関係になっているのかさえ最後まで読んでもさっぱりわからぬ。ピーターの母親がランドフスカに師事したピアニストであることと、パリではトイレの事情がひどく悪いということだけがわずかに脳裏に残された近来まれに見る後味の悪い読書でした。
♪やい池澤夏樹下らぬ三文小説をセレクトするな 茫洋
Thursday, September 24, 2009
道永のらん著「人間さまの手のひら」を読んで
都会の中に住んでいるのは人間だけではありません。犬も猫もゴキブリもカラスもタイワンリスも住んでいます。この小説の主人公はそのうち私たちのもっとも身近な存在である猫たちです。
主人公「ねず」は生後四か月を迎える前に誰かに捨てられた雌猫。ひとりぼっちで置き去りにされて苦労しますがマンションの三階のベランダに居を構えるさくらママとその子のぶち子と同棲するようになってから、ようやくみずからの猫人生のスタートを切ることに成功するのです。
それからメンズ猫に処女を狙われる“エロの季節”、「地域猫」なるコンセプトで地域で愛される猫作りを目指すNPO活動推進者のおかげで強制的に避妊手術を受ける“受難の季節”、近所の公園でおししい食事にありつく“グルメの季節”を経て、われらがヒロインはけなげにも逞しい前進を続けるのですが、ある日トラックに轢き殺されそうになったところを雄猫のパクによって命を助けられます。
パクが身代わりになってくれたのおかげで彼女は九死に一生を得たのです。しかし、そこからねずの自分史上最大最高の危機がはじまります。
安住の地であったベランダからも、多くの友人たちと交流できた公園からも「追放」された彼女は、またしても放浪の身となり、「いったい死んでしまった猫はどうなるのか?」、「猫における存在と無の相関関係はいかがなものであるのか?」という猫哲学上の重大問題に直面し、その場で立ち往生してしまいます。
この煩悶を解決すべくねずははるかなる山寺に棲むという老いたる寺猫「仏っさま」を尋ね、その猫知に長けた貴重な人生哲学に接し、起死回生を果たします。
「ねずや、けっして死を恐れてはならぬ。死は終わりではない。今生での死はみ仏さまのもとへ戻り、もういちど新たな命としていつの世かに生まれ落ちるための、長い長い眠りの時間なのじゃよ」
と親しくさとされたねずは、死を恐れずにおのが猫生をまっとうする決意を固めたのでありました。
ここから新規一転、生まれ変わったねずは絶世の美女猫「ヒメ」の遺児を救おうと獅子ならぬ猫奮迅の大活躍を開始するのですが、ちょうど時間がよろしいようで。
いずれにしても猫を心から愛する人ならではの人猫一体の幻想的な雰囲気、そして克明周到な観察から生まれた創造性豊かなストーリーテリングが見事です。
なお、どうしてもその小説の顛末が気になる方は、わが親愛なるマイミクさんの「ねずちゃんさん」に尋ねてみてくださいな。
♪横浜の坂の途次なる三差路のビルの上なる2匹の猫かな 茫洋
Wednesday, September 23, 2009
ムーティ指揮ウイーン・フィルでモーツアルト・ザルツブルク・コンサートを視聴する
モーツアルトイヤーだった06年の1月27日に祝祭大劇場で開催された記念コンサートの実況ライブです。
まずは内田光子の独奏でk503のピアノ協奏曲から始まります。ラ・ローチャなどの演奏では大振りになるこの曲ですが、内田はよくいえば内省的、悪く言えば神経質に演奏します。右手で和音を抑えたまま激しく打ち振られる左手。これは指揮も自分でやろうとする意思表示なのでしょうか。
次はメゾソプラノのバルトリの歌唱によるシェーナとロンド 「どうしてあなたを忘れられよう」 ですがここでは内田光子のピアノ伴奏が先ほどの曲よりも見事に冴えわたりました。文句なしの名曲の名演です。
「恐るるな、愛する人よ」 K.505 は内田が抜けて チェチーリア・バルトリ だけの独唱ですが、私ははしなくもいまから20年以上前に彼女がドミンゴと九州にやってきて歌った夜のことを思い出しました。
3曲目の「彼をふりかえりなさい K.584は御大バリトンの トマス・ハンプソン の登場。続く4曲目には「バイオリンとビオラのための協奏交響曲 変ホ長調 K.364 」をなんとバイオリンがギドン・クレーメル 、ビオラがユーリ・バシュメット という豪華コンビで熱演。クレーメルはニクラウスよりもムーティとの相性のほうが良好と見受けられました。
5曲目の交響曲 第35番 ニ長調 K.385 「ハフナー」はまあ普通の出来ですが、再度登場したバルトリによるモテット「踊れ、喜べ、幸いな魂よ」 K.165 は聴きごたえがありました。 おあとは「フィガロの結婚」 から “もうあんたの勝ちだと言ったな”と“ため息をついている間に” の2曲をトマス・ハンプソン が、「ドン・ジョヴァンニ」 から “お手をどうぞ” を2人が歌い、最後は「魔笛」 から フィナーレの合唱 をウイーンの合唱団が歌ってお開きに。もう結構これで満腹というほかはない記念コンサートでしたが、できれば指揮者がベーム、コンサートマスターがゲルハルト・ヘッツエルの名コンビならもっともっと素晴らしい演奏会になったことでしょう。
♪黄金虫救ってやりしうれしさよ 茫洋
Tuesday, September 22, 2009
映画「イージーライダー」を鑑賞する
この映画は、2人の若者が広大なアメリカ大陸を東西南北気が向くままにハーレーダビッドソンにまたがって旅する一大遊行観光(光を見る)映画といってもよいでしょう。
砂漠もハイウエイも、巨大な岩石も、河川も森も太陽も暗闇も青空も風も雲もそれまでけっしてドイツ製のアリフレックスキャメラによって35ミリのカラーフィルムにけっしてとらえられたことのなかった映像でした。
高速で移動する車両から未知の空間に投げ出されたレンズは感激のあまり被写体の照準を意識的かつ無意識的に逸脱してグランドキャニオンに沈む真っ赤な夕陽を震えながら映し出します。
そして、この震えこそが映画イージーライダーの本質です。先住民たちが無心に眺め、そうした純真無垢な60年代末尾の風光明媚、いうならばアメリカ大陸の原風景がこのロードムービーには定着されているのです。
映画の終盤でマリファナとドラッグによって駆動された生と性と聖が三位一体となった幻想的な映像が人工的に繰り広げられます。これこそは私たちが80年代になって確立したプロモーションビデオの先駆的な実験ですが、最後にジャック・ニコルソン、デニス・ホッパー、ピーターフォンダがその順番で住民から虐殺される有名なシーンは、ヒッピーに対する保守的な市民の悪意に満ちた暴力や殺意の表れとして政治的にとらえられることが多いようです。
しかし何度もこの映画を見ているうちに、この映画のこの「衝撃的な」ラストは、このエンドレスに続くであろう観光映画を劇的に終了させるためにホッパーたちが知恵を絞って考えた「よくある」ハリウッド映画的プロットとして考案されていて、そういう意味では、本作は世評に高いニューアメリカンシネマの傑作というよりは古臭いハリウッド映画ではないかという気もするのですが、こんな気がするのはたぶん私だけでしょう。
実際製作費の大半はこのラストシーンをいやがうえにも強調するための空撮に費やされ、後年デニス・ホッパーが監督した映画(たぶん「ホット・スポット」)のラストシーンがイージーライダーのそれと酷似しているのも偶然とは思えません。
深い確信もなく印字しているのですが、「自由民に対する殺意と暴力」よりも炎上するオートバイを急速に塗りつぶそうとする「緑の原野」がこの映画の真の主人公としてフューチャーされているのではないでしょうか。
♪古池を埋める儀式を執行し郷里の我が家解体されけり 茫洋