Wednesday, September 30, 2009

ルドルフ・ビーブル指揮喜歌劇「メリー・ウイドウ」を鑑賞する

♪音楽千夜一夜第83回

05年8月11日から13日までオーストリアのノイジードラー湖で開催されたメルビッシュ音楽祭のライブ映像です。

曲はレハールの「メリー・ウイドウ」。森の妖精ヴィリアの歌とおなじみの哀愁漂う主題歌「閉ざした唇に」はこのオペレッタの聴きどころです。見どこころは第3幕のパリのマキシムのカンカン踊りでしょうか。

この会場は湖に面した広大な空間なので、大勢のダンサーがスカートを捲りあげながら入れ替わり立ち替わりにお色気たっぷりの例のダンスを繰り広げるシーンはなかなか楽しいものです。

演出はヘルムート・ローナー、指揮はたびたびの来日で我が国でもおなじみのルドルフ・ビーブルですが、別にこの人がいなくても素人の私が振ってもダンスの伴奏くらいはできそうです。

オケはメルビッシュ音楽祭管弦楽団なる寄せ集めアルバイト集団(だと思う)。文字通りステレオタイプの演奏がぐだぐだれれてれと続き、湖に音が散乱するあまり広大な空間であるために、歌手たちは全員口元にマイクをつけて歌っていましたが、もしかすると全部口パクかもしれません。

ヒロインのグラバリ夫人はマルガリータ・デ・アレノーラという妖艶な年増、が古臭ければアバウトアラフォー。いかにも蓮っ葉で男好きのする豊乳の持ち主ですが、こういう下品なヒロインと比べてなんとメラニー・ホリディの可憐で清潔でかわいらしかったことよ。(彼女はグラバリ夫人ではなくバランシエンヌが持ち役でしたが。)

若かりし頃の私は、レハールのこの「閉ざした唇に」を見ると思わず涙腺が緩んだものですが、こんな無残な演奏なんて一滴の涙も出ないや。


♪蝉どもが神隠れする十月朔日 茫洋

Tuesday, September 29, 2009

西暦2009年長月茫洋歌日誌

♪ある晴れた日に 第66回

馥郁と月下美人香る生田山伊東静雄の愛弟子逝きけり

横浜の坂の途次なる三差路のビルの上なる2匹の猫かな

やい池澤夏樹下らぬ三文小説をセレクトするな

古池を埋める儀式を執行し郷里の我が家解体されけり

秋風やとぎれとぎれに泣いているひとりぽっちの油蝉かな

くたばれスタインウエイと呟きながらヤマハを弾く夕べ

鬼が出るか蛇が出るか屁も出ざりき今朝の授業

あと2年辛抱すればわが世の春神ならぬ人の悲しさ哀れさ

獣道を狂気のごとく走る自転車は凶器なり

横須賀線で母親と押しくら饅頭しているお下げの姉妹

生涯ただ一度の大音響を発して極楽往生せしは慶日上人

45日間無利息にだまされて夜逃げしたらあんたが助けて呉れるのか余裕のゆうちゃん

八幡宮長谷寺英勝寺光明寺鎌倉の寺社みな白き蓮

植物の手と手互いに争わず光に向かいて平等に伸ぶ

食べ歩いても食べ歩いても失望す名物に旨いものなし

男一匹生きるも死ぬもこの時ぞこの時ぞ

去んぬる如月母君を神隠しに遭うた男けふペットボトル捨つ

情報の掃溜めと化したR25んなもの誰も要らん

こんなもんぐたぐた書いてなんになるだんだん身苦死がいやになる

雨に打たれ街路に伏せたるアブラゼミ拾いて朝顔の葉に乗せたり

鳥海山より岩木山を直視したるわが眼を鏡で見ている

かねてよりのわれの望みを叶えるはわれならぬリヴァイアサンの蜂起なりしか


植物はあらゆる方向に触手を伸ばす
 
君と僕夫婦であぶる仲にして

あなたと私夫婦であぶる仲良しこよし
 
投じたるすべての票が死なざりき

花の名をよく知るひとの床しさよ

けふもまたちゃんちゃらおかしくいきにけり

陰茎のタマタマほどの寒さかな

ちんぽこを握ればふぐりの冷たさよ

処暑の夜わが陰嚢の冷たさよ

累々と蝉横たわる峠かな

箱根山一句も浮かばず下るなり

黄金虫救ってやりしうれしさよ


♪くわんれきの次なる環に踏みいれず宙外はるか消え失せし友 茫洋

Monday, September 28, 2009

ウラジミール・ユロフスキ指揮ロンドンフィルで「シンデレラ」を視聴する

♪音楽千夜一夜第85回

ロンドン郊外のグライドボーンで05年6月に開催されたロッシーニの「シンデレラ」のオペラ公演映像です。

初夏のグライドボーンでは、幕間にシルクハットの紳士やドレスの淑女たちが連れ立って緑地を散歩したり、サンドウイッチとワインなどを楽しんだりしているようですが、まことに英国らしい貴族的な環境のようです。

ピットに入っているのはいつものように小編成のロンドンフィル、指揮者は若手のウラジミール・ユロフスキという人ですが初めて聞く名前です。序曲からしてすでにおなじみのクレッシェンドがうねうねと盛り上がり小さなピークを迎えた所で第1幕が始まります。

シンデレラの物語はあまりにも有名なので繰り返しませんが、シンデレラって「灰かぶり」という意味なんだそうです。日本でも鉢カブリ姫というのがあるようですが、あばら屋に住み粗末な身なりをした地味な娘にふさわしいネーミングですね。そして男爵と2人の馬鹿娘にいじめられ続けたその「灰かぶり姫」が、王子様に見染められて晴れてプリンセスの座を射止めるまでの奇跡の玉の輿物語をロッシーニは楽しみながら作曲しています。

聴きどころはやはり第1幕のフィナーレの大合唱でしょうか。ここではめくるめくようなクレッシェンドの繰り返しがミニマルミュージックのような陶酔と眩暈を生みだしほとんど悪酔いを覚えるほどです。これは喜劇王ロッシーニの悪魔的な側面ではないでしょうか。

その前半に比べると後半の第2部はかなり冗長で緊張感に欠けますが、最後のシンデレラの長大なアリアで1巻の終わり。めでたくハッピイエンドを迎えます。

歌手、オケ、指揮いずれも可もなく不可もないなかにあって、特筆すべきはやはりピーターホールの演出でしょう。舞台の設定、美術、衣装、照明にいたるまで当時の時代背景を忠実に反映し、重厚で写実的ななかにも華麗で優雅な雰囲気をしっとりと漂わせ、ともすれば軽薄なドタバタ劇に転落しかねない本作品を本格的な演劇的オペラとしてしっかりと支えています。

出演はアンジェリーナ(シンデレラ)、ルクサンドラ・ドノーセ、ドン・ラミロ(王子)、マキシム・ミロノフほか。


♪あなたと私夫婦であぶる仲良しこよし 茫洋

アーノンクール指揮チューリッヒ歌劇場・シンティルラ管でモーツアルト「にせの花作り女」を視聴する

♪音楽千夜一夜第84回

モーツアルトイヤーである06年2月にスイスのチューリッヒ歌劇場で行われた公演です。
アーノンクールはウイーンに帰還するずっと昔から、この地味な歌劇場でバロック・オペラを振り続けていましたが、今回のシンティルラ管弦楽団という名前は初耳です。同歌劇場の選抜チームの名称かもしれませんが、とても情熱的な演奏。右翼第2バイオリンの2列目の日本人女性が、とても表情豊かにモーツアルトに取り組んでいる姿を見てああ音楽ってこういう風に夢中にならなければ、と改めて思わされました。

日本のオケ、とくにN響の奏者たちはどいつもこいつも冷感症で不感症で冷血漢の爬虫類ぞろいでいくら指揮者があおっても能面のようにニル・アドミラリな表情を変えようとしません。楽器のお稽古はしばらくやめて、楽しければ楽しい顔を、悲しければ悲しい顔をして演奏するような演劇的トレーニングでもすれば少しはましな演奏ができるのではないでしょうか。私はこいつらの仏頂面を見るのが厭なので、いつもテレビの音声だけを聴いているのです。

閑話休題。さて演奏ですが、御大アーノンクールの指揮はさすがに手慣れたもので特に若手のソプラノ歌手と合わせたときの弱音の響かせ方、音の消し方が見事。同じ極東の御大である小澤先生など大いに見習ってほしいものです。もう遅すぎると思うけど。

なにせこのK196 の作品はモーツアルトが17歳の1774年に書かれた曲なので、プロットもいいかげん(浮気をしたと勘違いした伯爵が妻を刺すが、死んだはずの妻は花作り女と偽って生きていて、誤解が解けた二人は元の鞘に戻る?!)なら、アリアの出来栄えもいまいちです。20年前なら公演などあり得ない幼稚な作品とイッセルシュテット以外の指揮者が考えていたに違いありませんが、その若書きをアーノンクールはじつにもっともらしく聞かせます。

さすがに後年の「フィガロの結婚」や「ドン・ジョヴァンニ」などの完成度はありませんが、たとえば後者のレポレロの有名な「恋人のカタログの歌」を想起させるアリア、そそて「フィガロ」の終幕の夜の庭園のドタバタ劇そっくりの舞台が、すでにこの段階で構想されていたことがよくわかるのです。

いかに天才とは言え若き日のモーツアルトがそれこそ計画的に傑作への階段を一歩一歩切り開いていったことが如実に理解できるだけでもこのオペラは価値があります。

出演は題名役にエヴァ・メイ、イザベル・レイ、クリストフ・シュトレールなどでまずまずの歌いぶり。演出はトビアス・モレッティ、美術はロルフ・グリッテンベルクですが、すべてを総覧していちばん見事な出来は衣装のデザインでした。誰が担当したのだろう。


♪横須賀線で母親と押しくら饅頭しているお下げの姉妹 茫洋


9/29

Saturday, September 26, 2009

思い出の庄野潤三

遥かな昔、遠い所で 第85回

二夜続けて馥郁と香る月下美人の花が咲きました。庄野潤三の小説を知ったのは、私が結婚して横浜の弘明寺の裏駅のやまのうえの墓地の傍のアパートに住むようになってからのことでした。

その頃、弘明寺の裏駅のすぐ傍にはどういうわけかもう使われなくなってしまった小さなプールがありました。
私はアパートに通じる急な坂道を息急き切って登り切ってそのプールを見下ろすたびに、彼の「プールサイド小景」を思い出し、たくさんの枯れ葉が浮いたその黒い水面に私と同じようなダークスーツを着たサラリーマンが漂っていないかとおそるおそる確かめたものでした。

アパートの窓を開けるとお墓の向こうには草原と遠い丘陵と青い空と白い雲が望まれ、時々電車が走っていく姿が見えました。生まれたばかりの長男は先天的な障碍があるとも知らず、家の前の坂道をよだれを垂らしながら這い這いしていました。

庄野潤三が小田急線の生田の谷の上に住んでいることは、学生時代の友人のK君の家に遊びに行ったときに教えてくれました。彼の実家はそのすぐ近所にあったからです。
私は当時まだ田舎で田んぼや藁ぶきの農家や栗の木が目立つその近辺を散歩しながら、この小説家の「夕べの雲」の素晴らしいラストシーンを思い浮かべたり、もしかしてあの小道の曲がり角から作家その人が突然大柄な図体を現すのではないかという気がして待ち構えたりしたものですが、もちろんそんなことはなかったのです。

「夕べの雲」もいいけど、そのあとの作品もいいぞ、と教えてくれたのは、やはり同級生だったS君でした。
それ以来私は毎年のように出版される彼の一連の家族小説を折に触れて読んできました。たとえば「貝がらと海の音」などの小説というよりも日記のような連作がそれですが、どれをとってもまるで金太郎飴のように老夫婦の日常と子供や孫の動静、生田の家をめぐる季節と風物が淡々と歳時記のように記されています。

そこには事件らしい事件はありませんし、プロットも、いたずらな修辞さえありません。あえていうなら、流れゆく水に描かれた物語とでもいうべきものでしょう。もはや文学や小説であることさえ放棄したような文章の連なりですが、ただそれに目をさらしていると、不思議なことに心に安息を覚え、限りある生を生きてあることの幸せというものに自然と気づかせてくれるのです。そこには今を生きている人間の確かな手触りとその人間をゆっくりと押し流していく悠久の時間の流れがあります。

私にとってこの貴重な作品の源泉が、今月二一日に突然流れることをやめたのは、ひとつの文学的事件というよりは実生活上の打撃でありました。深い喪失感と悲しみを味わいながらも、できれば私も彼のように自他のこころをうるおす文章を書きたいものだと改めて思っているところです。

♪馥郁と月下美人香る生田山伊東静雄の愛弟子逝きけり 茫洋

Friday, September 25, 2009

メアリー・マッカーシー著「アメリカの鳥」を読んで

照る日曇る日第293回


メアリー・マッカーシーといえば「グループ」を書いたことで知られるアメリカの美人女流作家ですが、「アクセルの城」で有名な批評家エドマンド・ウイルソンの伴侶でもあったとは知りませんでした。別に知らなくても全然構いませんが、問題は彼女のこの作品です。

ちょうどアメリカのジョンソン大統領が北ベトナムを爆撃した頃にパリで学生生活を送っていたアメリカ人の若者ピーター君の留学中のあれやこれやの小事件が、まるで牛の反芻のように延々と垂れ流されていて、この文章のどこが偉大な20世紀の小説なのかといぶかしく思わないわけにはいきません。

たとえばソルボンヌの外国人のための初級文明クラスの授業がつまらないそうですが、それがいったいどうしたこうした。つまらなければやめればいいじゃないか。それをつまらないと書けば小説になるとでも思っているのでしょうか。

サルトルがルフェーブルに接近したからなんだというのだ。さらにはお決まりの失恋話や交友関係や放浪者やローマ旅行やアパルトマンの家主とのトラブルやオートバイを船で持ち込もうとするときに持ち上がった事件やらアリストテレスやカントの感想だのを聞きたくもないや。もうもう勘弁しとくれ。それはお前さんのミクシィにでも乗っけといてくれ、と言いたくもなるのです。

だいたい「アメリカの鳥」というタイトルと本文はどういう関係になっているのかさえ最後まで読んでもさっぱりわからぬ。ピーターの母親がランドフスカに師事したピアニストであることと、パリではトイレの事情がひどく悪いということだけがわずかに脳裏に残された近来まれに見る後味の悪い読書でした。

♪やい池澤夏樹下らぬ三文小説をセレクトするな 茫洋

Thursday, September 24, 2009

道永のらん著「人間さまの手のひら」を読んで

照る日曇る日第292回

都会の中に住んでいるのは人間だけではありません。犬も猫もゴキブリもカラスもタイワンリスも住んでいます。この小説の主人公はそのうち私たちのもっとも身近な存在である猫たちです。

主人公「ねず」は生後四か月を迎える前に誰かに捨てられた雌猫。ひとりぼっちで置き去りにされて苦労しますがマンションの三階のベランダに居を構えるさくらママとその子のぶち子と同棲するようになってから、ようやくみずからの猫人生のスタートを切ることに成功するのです。

それからメンズ猫に処女を狙われる“エロの季節”、「地域猫」なるコンセプトで地域で愛される猫作りを目指すNPO活動推進者のおかげで強制的に避妊手術を受ける“受難の季節”、近所の公園でおししい食事にありつく“グルメの季節”を経て、われらがヒロインはけなげにも逞しい前進を続けるのですが、ある日トラックに轢き殺されそうになったところを雄猫のパクによって命を助けられます。

パクが身代わりになってくれたのおかげで彼女は九死に一生を得たのです。しかし、そこからねずの自分史上最大最高の危機がはじまります。
安住の地であったベランダからも、多くの友人たちと交流できた公園からも「追放」された彼女は、またしても放浪の身となり、「いったい死んでしまった猫はどうなるのか?」、「猫における存在と無の相関関係はいかがなものであるのか?」という猫哲学上の重大問題に直面し、その場で立ち往生してしまいます。

この煩悶を解決すべくねずははるかなる山寺に棲むという老いたる寺猫「仏っさま」を尋ね、その猫知に長けた貴重な人生哲学に接し、起死回生を果たします。
「ねずや、けっして死を恐れてはならぬ。死は終わりではない。今生での死はみ仏さまのもとへ戻り、もういちど新たな命としていつの世かに生まれ落ちるための、長い長い眠りの時間なのじゃよ」
と親しくさとされたねずは、死を恐れずにおのが猫生をまっとうする決意を固めたのでありました。

ここから新規一転、生まれ変わったねずは絶世の美女猫「ヒメ」の遺児を救おうと獅子ならぬ猫奮迅の大活躍を開始するのですが、ちょうど時間がよろしいようで。
いずれにしても猫を心から愛する人ならではの人猫一体の幻想的な雰囲気、そして克明周到な観察から生まれた創造性豊かなストーリーテリングが見事です。

なお、どうしてもその小説の顛末が気になる方は、わが親愛なるマイミクさんの「ねずちゃんさん」に尋ねてみてくださいな。


♪横浜の坂の途次なる三差路のビルの上なる2匹の猫かな 茫洋

Wednesday, September 23, 2009

ムーティ指揮ウイーン・フィルでモーツアルト・ザルツブルク・コンサートを視聴する

♪音楽千夜一夜第83回

モーツアルトイヤーだった06年の1月27日に祝祭大劇場で開催された記念コンサートの実況ライブです。

 まずは内田光子の独奏でk503のピアノ協奏曲から始まります。ラ・ローチャなどの演奏では大振りになるこの曲ですが、内田はよくいえば内省的、悪く言えば神経質に演奏します。右手で和音を抑えたまま激しく打ち振られる左手。これは指揮も自分でやろうとする意思表示なのでしょうか。

次はメゾソプラノのバルトリの歌唱によるシェーナとロンド 「どうしてあなたを忘れられよう」 ですがここでは内田光子のピアノ伴奏が先ほどの曲よりも見事に冴えわたりました。文句なしの名曲の名演です。
「恐るるな、愛する人よ」 K.505 は内田が抜けて チェチーリア・バルトリ だけの独唱ですが、私ははしなくもいまから20年以上前に彼女がドミンゴと九州にやってきて歌った夜のことを思い出しました。
 3曲目の「彼をふりかえりなさい K.584は御大バリトンの トマス・ハンプソン の登場。続く4曲目には「バイオリンとビオラのための協奏交響曲 変ホ長調 K.364 」をなんとバイオリンがギドン・クレーメル 、ビオラがユーリ・バシュメット という豪華コンビで熱演。クレーメルはニクラウスよりもムーティとの相性のほうが良好と見受けられました。

5曲目の交響曲 第35番 ニ長調 K.385 「ハフナー」はまあ普通の出来ですが、再度登場したバルトリによるモテット「踊れ、喜べ、幸いな魂よ」 K.165 は聴きごたえがありました。 おあとは「フィガロの結婚」 から “もうあんたの勝ちだと言ったな”と“ため息をついている間に” の2曲をトマス・ハンプソン が、「ドン・ジョヴァンニ」 から “お手をどうぞ” を2人が歌い、最後は「魔笛」 から フィナーレの合唱 をウイーンの合唱団が歌ってお開きに。もう結構これで満腹というほかはない記念コンサートでしたが、できれば指揮者がベーム、コンサートマスターがゲルハルト・ヘッツエルの名コンビならもっともっと素晴らしい演奏会になったことでしょう。

♪黄金虫救ってやりしうれしさよ 茫洋

Tuesday, September 22, 2009

映画「イージーライダー」を鑑賞する

闇にまぎれて bowyow cine-archives vol.10


この映画は、2人の若者が広大なアメリカ大陸を東西南北気が向くままにハーレーダビッドソンにまたがって旅する一大遊行観光(光を見る)映画といってもよいでしょう。

砂漠もハイウエイも、巨大な岩石も、河川も森も太陽も暗闇も青空も風も雲もそれまでけっしてドイツ製のアリフレックスキャメラによって35ミリのカラーフィルムにけっしてとらえられたことのなかった映像でした。

高速で移動する車両から未知の空間に投げ出されたレンズは感激のあまり被写体の照準を意識的かつ無意識的に逸脱してグランドキャニオンに沈む真っ赤な夕陽を震えながら映し出します。

そして、この震えこそが映画イージーライダーの本質です。先住民たちが無心に眺め、そうした純真無垢な60年代末尾の風光明媚、いうならばアメリカ大陸の原風景がこのロードムービーには定着されているのです。

映画の終盤でマリファナとドラッグによって駆動された生と性と聖が三位一体となった幻想的な映像が人工的に繰り広げられます。これこそは私たちが80年代になって確立したプロモーションビデオの先駆的な実験ですが、最後にジャック・ニコルソン、デニス・ホッパー、ピーターフォンダがその順番で住民から虐殺される有名なシーンは、ヒッピーに対する保守的な市民の悪意に満ちた暴力や殺意の表れとして政治的にとらえられることが多いようです。

しかし何度もこの映画を見ているうちに、この映画のこの「衝撃的な」ラストは、このエンドレスに続くであろう観光映画を劇的に終了させるためにホッパーたちが知恵を絞って考えた「よくある」ハリウッド映画的プロットとして考案されていて、そういう意味では、本作は世評に高いニューアメリカンシネマの傑作というよりは古臭いハリウッド映画ではないかという気もするのですが、こんな気がするのはたぶん私だけでしょう。

実際製作費の大半はこのラストシーンをいやがうえにも強調するための空撮に費やされ、後年デニス・ホッパーが監督した映画(たぶん「ホット・スポット」)のラストシーンがイージーライダーのそれと酷似しているのも偶然とは思えません。

深い確信もなく印字しているのですが、「自由民に対する殺意と暴力」よりも炎上するオートバイを急速に塗りつぶそうとする「緑の原野」がこの映画の真の主人公としてフューチャーされているのではないでしょうか。


♪古池を埋める儀式を執行し郷里の我が家解体されけり 茫洋

映画「おくりびと」を鑑賞する

闇にまぎれて bowyow cine-archives vol.9

滝田洋二郎監督の本作はアカデミー外国語部門賞を獲得したということで大変な話題になりました。先月旅行した出羽三山地方でもこの映画のタイトルを描いたイラストレーターの作品やら「おくりびと饅頭」やらお酒やらが土産物屋さんに所せましと並んでいて、時ならぬ「おくりびとブーム」を物語っていました。
なんでもこの映画に出てくる銭湯やモックンがチエロを奏でるシーンなどがこの一帯で撮影されたらしく、ロケ地をたどるバス旅行まであるというのでびっくりしました。

その作品を昨夜1泊旅行に出かけた箱根のホテルで鑑賞したのですが、なにせ民放の番組枠だったためにひっきりなしにCMが入り、せっかくの優良映画の雰囲気を妨げ、破壊することおびただしいものがありました。やはり映画は劇場かDVDかNHKに限ります。

「おくりびと」とは人の死をあの世に送る手伝いをする人のことだそうで、納棺師なる職病名があることを私はこの映画ではじめて知りました。
そういえばむかし私の父が亡くなったとき、郷里の葬具屋の若いスタッフがじつに甲斐がいしく世話をしてくれたのですが、用意された棺桶の長さがわずかに長身の父の背丈に及ばず、残る1,2寸の処置をめぐって折るか畳むか無化するかと懸命に汗を流していた姿がはつかに偲ばれたことでした。

もっくん扮する納棺師はそのおりの葬具屋をはるかにしのぐ手厚いケアを死者に対して徹底的に施すのですが、それは我が国の茶道や華道や武道の専門家が茶や花や武器に対して振る舞う厳粛な儀式が死者に対しても及んでいるさまをありありと映し出します。おそらくはこの異様さと崇高さとがふたつながらに西欧人の好奇心と宗教心に感応し、スタッフの想定外の受賞に結びついたのでしょう。

役者ではもっくんの奮闘もさることながら師匠格の山崎努とその訳ありアシスタントの余貴美子の演技が賞讃に価し、広末涼子の恋人役はより知的な若手女優を選ぶべきであったという一抹の恨みが残ります。演出に大過なく、脚本と音楽はプロの仕事としては詰めが甘すぎますが、最近の邦画のレベルから推せばはまずこんなものでしょう。

もっくんの仕事を「けがらわしい」と罵っていったんは拒んだ妻が、納棺師の神聖にして祝祭的な職業の意義を悟って回心するくだり、焼場の荼毘を担当する男の述懐、棺桶に点火されて一挙に炎上する遺体、もっくんと父との無言の再会などなどいくつものドラマが内蔵された映画ですが、納棺師たちがわずか5分遅刻したことを難詰した妻を亡くした男が、山崎努の渾身のヘアメイクで賦活した妻の美貌に接して涙し、さきほどの無礼を謝して手渡した干し柿を納棺師主従がむしゃむしゃ食らう場面がもっとも印象に残ります。


♪箱根山一句浮かばず下るなり 茫洋

Saturday, September 19, 2009

アントネルロ・アルレマンディ指揮東フィルで「トゥーランドット」を視聴する

♪音楽千夜一夜第82回


08年10月に新国立劇場で行われたプッチーニの最後のオペラの公演をビデオで鑑賞しました。

ドイツからやってきたヘニング・ブロックハウスの演出で、このオペラの舞台はなぜだか1920年代のイタリアに設定されています。村の市場にプッチーニ夫婦がやってきたところでサーカス芸人が呼び止め、イタリア特有の仮面劇「トゥーランドット」を一同が仮面をつけながら開始するというのが第1幕までの「見立て」です。

幕が開くとプッチーニ夫妻はそれぞれ主役のカラフとトゥーランドットを演じ、リューが自刃したあと主役の愛の場面からは全員が仮面を脱いで元に戻るという設定なのですが、いったいそれがどういう意図で、またどういう効果を狙って行われたのか、頭が弱い私には最後まで理解できません。頭のよさそうな演出家のブロックハウスさんには馬鹿にもよくわかるようにぜひとも解説していただきたいと思ったことでした。

 この有名なオペラにはこれまでにも数多くの名演奏や名録音、録画があるわけですが、主役のイレーネ・テオリン、ワルテル・フラッカーロがそれなりの美声で一生懸命に「3つの謎に1つの死」とか「誰も寝るな」とか歌っていることはわかったけれども、それはいったいどうした、こうした。
凡庸な指揮者が凡庸なオケを適当に鳴らしていることもよーくわかりましたが、いったいそれがこれまでの演奏歴に格別新しい意義を加えたのかしらと自問自答してみると、結局はただのひとつも付け加えるものがなかったということが、おりしも死に瀕している油蝉に吹きつける一陣の秋風のようにそぞろ身に沁み、こういう駄演で残りも少ない私の貴重な時間をまたしても無駄にさせるのだけはどうぞやめてほしいものだなあ、とつくづく思った二時間一四分でした。

  ♪秋風やとぎれとぎれに泣いているひとりぽっちの油蝉かな 茫洋

Friday, September 18, 2009

ジュールス・ダッシン監督の「トプカピ」を見る

闇にまぎれて bowyow cine-archives vol.8

異才ジュールス・ダッシンの冒険犯罪喜劇映画の舞台はトルコ・イスタンブールのトプカピ宮殿です。

このイスラム文化の精髄を集めた宝物館の目玉であるエメラルドの宝石に鏤められたスルタンの短剣。これをメルナ・メルクリ扮する怪盗グループがおもしろくもおかしくもないドタバタを繰り返しながら、見事盗み出すことに成功するのですが、結局は足がついて全員つかまってしまう。しかし刑務所から出て来るとこんどはロシアの秘宝に挑戦するというあほらしいストーリー。

「日曜はだめよ」の名コンビとも思えない超のつく駄作ですが、強いて褒めればその後のお宝強奪映画にはらはらドキドキのリアルな手法と撮影手法の先鞭をつけたことでしょうか。メルクリもそれほど魅力的とは思えません。前作の「フェードラ」の出来映えが素晴らしかっただけに残念無念な結果です。

私はダッシンはなんとなくフランスの監督かと思っていたのですが、1911年生まれのアメリカ人で、赤狩りに追われて欧州に逃げだしそこでメルクリと知りあって結婚したとは知りませんでした。ギリシアの観光相だか文化相だかになったあと94年に死んだメルクリと死別したあと08年3月に97歳でアテネで亡くなったそうですが、どのような晩年であったのかちょっと気になるところです。

♪情報の掃溜めと化したR25んなもの誰も要らん 茫洋

Tuesday, September 15, 2009

ウルフ・シルマー指揮パリ・オペラ座管で「カプリッチョ」を視聴する

♪音楽千夜一夜第81回

リヒヤルト・シュトラウスの最高傑作は、もちろん最晩年に衰えた力を振り絞るようにして書かれたこの世への決別の「4つの最後の歌」ですが、その数年前に書かれた彼の最後のオペラ「カプリッチョ」は端倪すべからざる彼の最高傑作であり、意欲的な野心作です。

このオペラは、表面的には、芸術の構成要素のうちもっとも重要なものは詩であるかはたまた音楽であるのかを面白おかしく描こうとしていますが、それよりも「オペラとは何かという問題自体をオペラにした」ことが画期的です。

オペラには詩人(台本作家)と作曲家や演出家、プロンプターまで続々登場し、「はじめは詩、次は音楽」なのか、その逆であるかをめぐって派手な大論争を繰り広げますが、議論はより重要な役割を果たす演出に及ぶところがじつにコンテンポラリーです。とりわけ演出の果たすについて疑義を懐く登場人物全員から攻撃された演出家が懸命に弁護するくだりなどは圧巻で、オペラ演出のいかがわしさについて今から68年も前に、「オペラ上演の真っただ中で問題提起していたこのオペラの先進性はいまなお耳目に新鮮です。


さらに進んで、ギリシア神話や英雄たちが登場する旧態依然たるオペラ界を革新し、普通の市民を主人公とする日常生活をオペラにしよう、という議論は突然、「それではいま我々が繰り広げている論争自体をオペラに仕立てて我々全員が出演しようではないか。詩人と作曲家は一致協力してすぐに作業にかかってくれ」という提案でいちおうの解決を見るのですが、じつはそのオペラこそすでに1時間半にわたって私たちが実際に視聴してきたオペラなのです。

これから書かれるはずのオペラの大半がすでに上演されているというこの新しさ。そして、「このオペラをどのように進行させ、どのように終わらせるのか」が、このオペラの最大の問題点になるのです!

終幕のスポットライトはヒロインの伯爵令嬢に注がれます。じつはオペラの制作を担当する詩人と作曲家は、不倶戴天の恋のライバルであり、2人ともルネ・フレミング扮する美しい伯爵令嬢に求婚しているのです。さあ改めて詩(詩人)を取るか音楽(作曲家)を取るか、2つにひとつ。とらなければ恋も公演も成就せず、かといってどちらかを取ればただちに恋もオペラも崩壊します。

「ああ困った、困った。私はどうすればいいの。このオペラの終わらせ方をどうか教えてください!」
ハラハラドキドキのクライマックス。これぞ地獄の選択。絶望のアリアが悲しげに場内に響き渡ります。あのウエルメイドな「薔薇の騎士」の予定調和をかなぐり捨ててよくもこんなすごいオペラを書きあげたものです。

私が視聴したのは、ロバート・カーセン演出、ウルフ・シルマー指揮04年6月のパリ・オペラ座ガルニエ宮公演で、ルネ・フレミング、フォン・オッターに加えてあら懐かしやロバート・ティアーが特別出演しています。指揮は平板ですが演出と女声の歌唱が優れていました。クライバーはどうしてこの傑作を振らなかったのでしょう。



♪雨に打たれ街路に伏せたるアブラゼミ拾いて朝顔の葉に乗せたり 茫洋

Monday, September 14, 2009

2つの新聞連載小説を読んで

照る日曇る日第291回

今月9日の水曜日に朝日新聞の朝刊に掲載されていた「麗しき花実」という時代小説がわずか201回目の連載で終わりました。高名な画家酒井抱一やその弟子である鈴木其一たちと同時代に生きる蒔絵師の女主人公が、恋と芸術と生活のはざまで苦悩しながら、虚飾に満ちた江戸での徒弟生活に見切りをつけて郷里の松江に戻ろうとするところで、この小説はさながら情趣豊かな江戸時代の夕映えのように深沈たる終焉を迎えます。

「池のまわりは冷えてきて、酔客のほかに歩く人は見えない。西側の薄い町屋のうしろは本郷の台地であった。料理屋の並びを過ぎて台地の下を歩いてゆくと、道の先は暗淡としてくる。しばらくして彼女はその花に気づいた。歩み寄ると中の見えない茶屋で、入口の掛け提灯の端に上野にはない紅い花が結んである。折枝の山茶花であった。(中略)振り返ると人影はなく、池の白鳥も見えない。中島の明かりの向こうには上野の山がただ黒く横たわり、やはり黒い池を見下ろしている。華やかな紅葉のあとだけに淋しい素顔を見る気持で彼女は立っていたが、やがて思い切ると、そっと花を手に取り、今は東都のどこよりも信じられる確かな夜の中へ入っていった。」

という最終回の末尾を読んでいると、江戸蒔絵の将来に命をかけようとするひとりの女性のけなげさと人の命のはかなさ、そしてかけがえのなさが、夜のしじまに溶け込もうとする池の端界隈のしみじみとした情緒とともにわたしたちの胸にそくそくと迫ってきます。

この小説の作者は乙川優三郎という人ですが、主人公の女性を中心に、抱一や其一などの人となりまでくっきりと浮かび上がらせたばかりか、当時の日本画や蒔絵作家が置かれた製作状況やその芸術的葛藤にも深く筆をさし入れ、私たちを親しく江戸の工房に出入りさせてくれました。老大家、中一弥の挿絵も毎回「これぞ江戸の華」と思わせる上品な色気が漂う凛とした力作ぞろいでじつに見ごたえがありました。

惜しまれつつ終了した本作と対照的なのが、日経の朝刊で延々なんと340回も連載を続ける「甘苦上海」という高樹のぶ子の小説です。主人公はいま世界でもっとも注目を集める中国経済の中心地上海でビジネスに取り組む50代の女性で、みずからの欲望に忠実な彼女の激烈な、そして悲愴感みなぎる生と性がテーマといってもよいでしょう。

ここでは中国、上海、少数民族問題、グローバル経済、ビジネス、癒しのアロマテラピー、熟年女性と若い男との大恋愛などなど、いまどき世間で流行中のキーワード的主題が目白押しです。しかし作者が表層のいわゆるひとつのトレンデイな枠組みを気取り、主人公に激しく思い入れをすればするほど、壮大な大河小説のたがは前後左右でどんぐりころころ脱輪し、もはやカッコイイ同時進行スタイル現代小説どころか、ただただ浅墓な醜女の深情けを下品に露呈する4畳半襖の下書き風落書のていたらくに陥り、結局は大昔から存在する通俗恋愛小説の超低空をあえぎあえぎ飛行しているようです。

かつて昭和の昔に、小説の主題の積極性は小説のアクチュアリティーを保障するとかしないとかいう議論が行われたと記憶しますが、当節再流行の小林多喜二の「蟹工船」と同様、高樹女史の「甘苦上海」が提出した「主題の積極性」は空虚そのもので小説のていをなさず、包装紙の斬新さとは裏腹に、その実態はまことに旧態依然たる陳腐な三文恋愛小説の王道を無様に疾駆しているといえましょう。
♪花の名をよく知るひとの床しさよ 茫洋

Saturday, September 12, 2009

横須賀とわたし

♪ある晴れた日に 第65回


横須賀には海と空と公園がある。
 
横須賀には聖ヨセフがある。サイカヤがある。K歯科もラジオ放送局もある。

横須賀には小泉親子もいる。そのほかやくざもたくさんいる。

横須賀には長崎チャンポンのリンガーハットがある。餃子がついてたったの650円だ。

横須賀なのに関西風きつねうどんがある。450円だ。

横須賀にはカットショップがある。簡単シャンプーと脇剃りがついて1100円だ。

横須賀には横須賀交響楽団がある。懐かしの須賀学があり、歯科大には不正融資とジャカランタの花が咲く。

横須賀には横須賀線が走る。京急バスも走る。イージス艦も走る。潜水艦も潜っている。

横須賀では白人と黒人と日本人と混血の子どもたちが歩いている。

横須賀には海と空と公園がある。



♪45日間無利息にだまされて夜逃げしたらあんたが助けて呉れるのか余裕のゆうちゃん  茫洋

大庭みな子著「魚の泪」を読んで

照る日曇る日第290回

大庭みな子さんは夫とともに11年の長きにわたってアラスカのシトカという帝政ロシア時代におおいに栄えた当時の首都で先住民やらロシア人やらアメリカ人やら日本人やらと混じって生活したそうですが、その頃の多国籍な市民との精神的な交流が、この作家のその後の活動の起点になっていることは間違いないようです。

欧州からも日本からも米国からも遠く離れて、いわば世界から見捨てられた異郷に身を置いて暮らしている異邦人たちとの不可思議な隠遁と流謫生活が著者独自の思考と感性をはぐくんだのではないでしょうか。

シカトには企業から出張してくる日本人もいましたが、彼女が肝胆相照らしたのは容易に本音を明かさない日本人ではなく、世界各地の既存の文法から大きくはみ出した異邦人たちでした。彼女はみずからは沈黙を守りながら、異邦人たちのあくことのない饒舌に耳を傾け、そのことによって彼女の内部には異邦人の言葉がミズナラの樹の内部の水のようにみなぎり、全身を循環し、それによって彼女もまた異邦人の仲間であることを知りました。つまり彼女は、異邦人たちとともに徐々にみずからの異邦へと侵入したのです。

そして「大切なことはまず思うことです。思わなければ決してなにもやってこないでしょう。ひとつのことを長い間思い続けていれば、ひとはたいていその思いを実現させるものです」と彼女がみずから語っているように、彼女の内なる異邦人が、彼女をして異邦の言葉を世界に発信させることを命じたのでしょう。

哲学者でもあるこの人は、「東洋と西洋のもっとも大きな相違は、東洋人は世界はあるがままのものであると考え、西洋人は世界はある法則のもとに動いていて、宇宙には神の理念があると考えたことである。東洋の思想には虚無がつきもので、はじめる前から終わったあとのむなしさについて考え、結局はなにもしないで個人的な幸福への道を説くものが多い」なぞとうそぶきつつ、この稀代の精神の旅行者は、その極北のシトカを捨ててパリに飛びだし、そこから東洋へと帰還する放浪の旅路を選びます。

小説の最後には、表題となった芭蕉の句がさりげなく添えられて、当時の作家の不退転の決意を表明しているようです。

捨て果てて身はなきものと思えども
雪の降る日は 寒くこそあれ
花の降る日は 浮かれこそすれ


♪去んぬる如月母君を神隠しに遭うた男けふペットボトル捨つ 茫洋

Thursday, September 10, 2009

くたばれスタインウエイ

♪音楽千夜一夜第80回

ピアニストが使っているピアノは、私のような音楽の素人でも多少気にならないでもありません。

かつてモーツアルトはA.ヴァルター、後期のベートーヴェンはC.グラーフ、ショパンはプレイエル、リストはエラール、ドビュッシーやシュナーベルはベヒシュタイン、コルトーはプレイエルを使っていましたが、現在はおよそ98%がスタインウエイ銘柄の洋琴ということで、これはパソコンのOSにおけるマイクロソフトの圧倒的な比率に匹敵します。

おもにベーゼンドルファーを弾くアンドラーシュ・シフやヤマハを愛用したリヒテルや、しているマリア・ジョアン・ピリスなどは、超少数派の異端者ということになるのでしょう。

私は個人的には仕事上やむを得ずのOSを使っているのですが、ときどきそれがなんだか嫌になって、たまにはアップルを使ってみたくなる。それはポリーニや故ホロビッツをはじめ世界中のピアニストが使用しているスタインウエイのキンキラキンの音色が耳に鋭く刺さるのがどうにも苦痛になって、バックハウスが好んだ重厚な低音が響くベーゼンドルファーの調べに耳を傾けてみたくなる気持ちに似ているかもしれません。

私はホロビッツの演奏は嫌いではありませんが、スタインウエイの音色がどうにも好きになれません。昔から生理的に合わないのです。
スタインウエイがアメリカの最新鋭の超高速戦闘機のように華麗で刺激的な排気音を都会の高速道路にまき散らせているとすれば、ベーゼンドルファーはウイーンの奥の細道で昔の古拙な流行歌をひとり静かに呟いている。そしてヤマハは、浜松名産の淡白な養殖うなぎがただ一匹でイノブタ音頭を踊っている。
たぶんひどく間違っているとは思いますが、なんだかそんな違いがあるような気がするのです。

バックハウスが、演奏の前にオクターブを試し弾きをするベーゼンドルファーの低音の深沈とした響きの美しさの前では、軽佻浮薄なスタインウエイや無個性な優等生タイプのヤマハなぞとうてい敵ではありませぬ。

現在ハンブルグとニューヨークで生産されているスタインウエイは、機能的にはとても良くできた最高の完成度を誇る楽器で、だからベーゼンドルファーも、そのベーゼンドルファーを買収したヤマハもとうていかなわないのだそうですが、なんとかこの弱者同盟を強化して、世界に冠たるスタインウエイ陣営にひとあわ吹かせてほしいものです。



   ♪くたばれスタインウエイと呟きながらヤマハを弾く夕べ 茫洋

Wednesday, September 09, 2009

初秋の鎌倉ガイド 後篇

鎌倉ちょっと不思議な物語第206回

ちなみに鎌倉にはいろんな飲食のお店があちこちにありますが、きわめて少数の例外をのぞいてみなろくなものはありません。駅の向かいの料亭Tなどは最悪です。テレビで紹介された有名店の大半は、良識ある鎌倉市民が昔から見向きもしなかったC級店です。そんな店に延々と並んで貴重な散策の時間を無駄にしてはなりません。

また昭和の終わりごろに訳のワカラん非地元的土産物屋が突然立ち並びはじめた「小町通り」なる商店街などを断じて通ってはいけません。それから鎌倉のお土産は豊島屋の鳩サブレーと昔から決まっています。ほかにもまぎらわしいサブレーがあるから要注意です。

⑦閑話休題。さてツアー再開です。江の電で再び鎌倉駅に戻ったら、横須賀線で一駅の北鎌倉まで直行します。乗る時は後方の車両が便利です。降りたらすぐに東京方面を眺めてください。ここが小津の「晩春」だか「麦秋」だかで笠智衆と原節子の父娘が並んで立っていた懐かしのプラットホームのロケ現場です。節子さんはつい2,3年前まで浄妙寺のすぐそばで暮しておられ、司葉子さんなぞと麻雀を楽しんでおられたようですが、現在は某所に居を移されたようです。

左側の改札口から降りると(右に降りるとあとで訪れる円覚寺)目の前が道路なので、これを左折して鎌倉に戻る方向にどんどん歩きます。踏切を渡って5分くらい行くと左に見えてきたのが建長寺。700年前のちょうどここいらで一遍上人は北条時頼に「待った」をかけられてとうとう鎌倉に入れなかったのです。仕方なく一遍上人はのちに隠れキリシタンのお寺として知られるようになった光照寺に泊まったと伝えられております。もちろん時宗のお寺です。

⑧その時頼ゆかりの建長寺をみてから、もと来た道を戻ると、左側に昔尼寺だった東慶寺があるので、ここで小林秀雄や高見順、西田幾多郎、野上豊一郎、田村俊子、和辻哲郎などのお墓参りをしてから、

⑨横須賀線の線路の踏切を左折して、どんどん進んだところにあるアジサイで知られる明月院を拝観し、ついでに近所の故渋澤龍彦邸を眺め、最後に駅前の円覚寺に詣で、漱石ゆかりの帰源院や舎利殿をちょいとのぞいてみましょう。

⑩鎌倉はほかにもさまざまな見どころがありますが、ちょっと詰め込み過ぎとはいえこの一日コースはどなたにもお勧めできるのではないでしょうか。またお出かけの節は、鎌倉市観光協会のホームページをのぞいておくと勉強になります。このコースでは帰路は北鎌倉駅になりますが、鎌倉から帰るようにコースを変更してももちろん構いません。

蛇足ながら鎌倉は道路が大混雑するので車では絶対に来ないこと。電車も帰りが混雑するので、鎌倉駅から東京方面に帰るときは、東京寄りの最前列の車両に乗るか、余裕のあるときは一駅先の逗子まで行って、そこで改めて上りに乗り換えると必ず座れます。
横須賀線は逗子で末尾に4両連結しますし、湘南新宿ラインはぜんぶ逗子が始発だからです。


♪食べ歩いても食べ歩いても失望す名物に旨いものなし 茫洋

Tuesday, September 08, 2009

初秋の鎌倉ガイド 前篇

鎌倉ちょっと不思議な物語第205回

猛暑の白露の翌日はさすがに温度が少し下がって午後遅くには一雨ぱらついた鎌倉です。
今日は完ぺきな無気力状態に陥ったので、この秋、鎌倉を散策してみようとお考えの方ににわか仕込みの一日観光コースを考えてみました。

①まず鎌倉駅東口で降りて改札口を出たらすぐ右隣にある観光案内所にある「9月号の地図」をもらいましょう。(無料)。そして「かまくら四季のみどころ」で紹介してある「初秋散歩道」をたどりましょう。(なおこの「かまくら四季のみどころ」の裏面がとても簡単かつ分かりやすい地図なので重宝します。他のあらゆる地図はこれがあれば無用です。

それから鎌倉ガイドブックの最高峰は鎌倉市教育研究所が編集し教育委員会が発行している「かまくら子ども風土記全4冊」で、現在にいたるまでこれ以上のものはありません。最近英文版も発売されたようです。

②次に駅左側の地下道をくぐって裏駅(西口)に向かい、栄西が開いた寿福寺からはじめて現存する鎌倉唯一の尼寺英勝寺、緑豊かな谷戸の突き当たりにある海蔵寺、足利尊氏ゆかりの浄光妙寺を訪ねてから、鶴岡八幡宮に詣でます。寿福寺では中原中也の旧居、浄光妙寺では里見弴の旧居と柳美里の新居を見物しましょう。

八幡様の入口の鳥居をくぐってすぐ左手の平家池からのぞむ県立近代美術館が坂倉準三の設計です。右手のもっと大きい池が源氏池でまだ白い蓮の花が咲いているかもしれません。この源氏池の近くにあった茶店で中原中也がビールを飲みながら「ああ、ボーヨー、ボーヨー」と喚いたところです。(小生の俳号はここからとりました)
続いて鳥居を直進して実朝が暗殺された大銀杏を左に見ながら八幡様にお参りしてください。

③鳥居さんのところまで戻ったらまん前の道を左に折れて(右に曲がると北鎌倉)50m直進し、ぶつかったところにあるのが萩の寺で有名な宝戒寺です。足利尊氏が自分が滅ぼした北条氏一族の霊を慰めるために後醍醐天皇の命で作った寺です。私の好きな鎌倉時代の武将泰盛が平頼綱に暗殺されたのもこの付近でした。

④「初秋散歩道」のコースはここでおしまいですが、ついでに宝戒寺を出た前の道を左折してどんどん南下します。(宝戒寺の前方一帯が鎌倉幕府の所在地でこのあたりに諸将が住んでいました)。この小さな細い道が鎌倉時代のメーンストリートで途中左に日蓮辻説法跡の碑が立っているように左右には日蓮宗のお寺があります。10m進んだ右側の奥が吉田秀和の家の裏側、200mで右手に本覚寺というやはり日蓮宗の大きなお寺がありますが、ここを右に見ながら二股道を左折して鬱蒼とした森に囲まれた妙本寺の階段を上ります。ここは比企寺とも言って北条氏に滅ぼされた比企一族の鎮魂の寺ですが、祖師堂前のカイドウ(今のは新しい奴)が有名です。やはり先ほどの小林秀雄の「中原中也の思い出」に出てくる晩春の暮方の落下狼藉の情景でおなじみ。観光客がほとんどこないかわりに、可愛らしい野良猫が出迎えてくれるお薦めスポットです。

⑤元来た道を引き返して本覚寺の裏門に入って本堂左脇にある正宗のお墓に詣で、本覚寺の右奥の小道を直進すると再び駅前の大通りに出ます。駅まで2分ですがその道はいきずりの誰かに尋ねてください。

⑥駅の右側にある東急ストアの1階で売っているおむすびかサンジェルマンのサンドウイッチとお茶か水を買ってから最初の鎌倉駅東口に戻って西口に改札口がある江ノ島電鉄に乗車して長谷駅で降り、長谷寺と大仏を見物しましょう。駅のプラットホームで大船軒の名物「鯵の押し寿司」を買ってどこかで食べるのもいいでしょう。


♪こんなもんぐたぐた書いてなんになるだんだん身苦死がいやになる 茫洋

Monday, September 07, 2009

白露日記

バガテルop113

今日から学校の授業が始まったのですが、完璧に夏休みボケしていて教室のフロアをひとつ間違えてしまいました。クラスの担当の先生と助手の方が教室の入り口で私が来るのを待っていて下さったのですが、私がなかなか姿を現さないのでずいぶん心配されたようです。ごめんなさい。

この1カ月、長い間人間とは口を利かずに海の魚や庭の長崎アゲハや峠道の道案内(ハンミョウ)や油蝉や藻屑ガニなぞとばかり対話していたものですから、急に人前で1時間以上も上手にしゃべることなどできはしません。
案の定当初の予定から大きく脱線して広告戦線1985年の乱などという本論とはまるで無関係のうわごとを速射砲のように連発したものですから、わが愛する選手たちは大いに戸惑ったに違いありません。

実は夏休み前にクラスの2人の学生が退学してしまったというので、もしかして私の講義がつまらないから辞めてしまったのですかと尋ねたら、そんなことは絶対にありません。と否定されたのでひとまず胸をなでおろした次第ですが、顧客満足を果たせない教師と政党は早晩退場せざるを得ません。

普通学校の授業では1コマ分のコンテンツに対しておよそ7倍の情報量を用意し、臨機応変に対応すべしとされていて、私もそのようなデータだけは頭の中に内包して教壇に登っているのですが、問題はいざ口を開くやそのコンテキストとはまったく裏腹な方向へ走りだしてしまうことです。

学校の授業は中原中也絶叫コンサートではないので、できるだけ理性的に全体をコントロールしなければいけませんが、かといって作ってきたメモをただ読み上げたり板書するだけでは全国の学友諸君に飽きられて即ねんねぐーされてしまう。

熱い心を秘めた冷たい言葉、というのが理想的なのでしょうが、何百回繰り返してもうまくいったと思うことはほとんどありません。
気力、体力、情報力、瞬間統合力、憑依力の5つの条件が備わっていないとこの長丁場を成功裏に乗り切ることはできないのです。そういう意味では、授業はミュジシャンの1発ライブ、あるいはクナパーツブッシュの練習なしの本番演奏と酷似しているということができるでしょう。

そのこころは、鬼が出るか蛇が出るか。うまくいったらお慰み。


♪鬼が出るか蛇が出るか屁も出ざりき今朝の授業 茫洋

Sunday, September 06, 2009

「2台、3台のピアノのための協奏曲」を視聴して

♪音楽千夜一夜第79回

ワーナーから超廉価で発売されたバレンボイムによるベルリンフィルの弾き振りでモーツアルトの洋琴協奏曲を拝聴しました。不思議なもので今を去る数十年も昔にロンドンでジャクリーヌ・デュ・プレとよろしくやっていた頃の、同じ曲のイギリス室内管弦楽団との演奏に、オケは数等劣るというのに及ばないというのは、いったいどういう訳なのでしょうか。

普通は歳月は芸術家の技量を磨き、その表現をもっと高みに引き上げるといわれているのですが、ときおり例外もあって、それはあながちバレンボイムがその後の芸術的精進を怠ったという意味ではなくて、モーツアルトのような音楽の演奏には往々にしておこるような気がします。二度と取り戻せない若き日のみずみずしい感性の仕業でもあるのでしょう。

実際この夏バレンボイムが、ロンドンの「プロムス09」で行ったべートーヴェンの「フィデリオ」の演奏は、常に凡庸な小澤のそれを百層倍も千層倍も上回るじつに見事なもので、東西寄せ集めの非力なウエスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団をドライブして感動的なクライマックスを築きあげたのでした。

閑話休題。そのバレンボイムのCDセットのおまけについていたのが、表題の2曲のDVDで、これが非常に愉しい演奏でした。1989年6月18日にロイヤル・アルバートホールで行われた公演のライブですが、いずれもゲオルグ・ショルテイが指揮するイギリス室内管弦楽団のピアノの演奏で、2台ではバレンボイムとショルティ、3台ではこれに若き日のアンドラーフ・シフが加わって喜悦と即興とユーモアがあふれたパフォーマンスを展開しています。

もともとピアノが得意なショルティですから、弾き振りなどおちゃのこさいさい、その実に適正なテンポの設定と情熱的な指揮ぶりに乗って、2人の若者が丁々発止と鮮やかな連弾を繰り広げます。いやあモーツアルトってほんとうに愉しいですね、と言いたげに3台のスタインウエィを3人3様に叩きます。

もっとも激しくぶったたいていたのはシフで、奔馬のようにヒンヒン歌いまくる彼を押しとどめようと、バレンボイムが懸命に抑えようとしますがシフは我関せず。
ショルテイに至っては、他の2人の確認も待たずにいきなりk242を開始してしまうのでバレンボイムが呆然としている、その驚きの阿呆面がもろに映っているところも楽しい限りです。

それもそのはずちょうどその頃、ショルテイは30歳ほど離れた若妻(元BBCの美人アナウンサー)と再婚したばかりでまさに幸福の絶頂にあったのでした。
茫茫夢の如し。帰らぬ青春を振りかえらせてくれる懐かしいモーツアルトです。


♪植物はあらゆる方向に触手を伸ばす 茫洋

♪植物の手と手互いに争わず光に向かいて平等に伸ぶ

Saturday, September 05, 2009

吉村昭著「長英逃亡」を読んで

照る日曇る日第289回

高野長英は仙台水沢に生まれた江戸時代を代表する洋学者です。

彼は武士の身分を捨てて長崎のシーボルトの鳴滝塾で医学と蘭学を学びました。当時英国のモリソン号が来航したのですが、「異国船打ち払いなどの強硬手段を避けて我が国の鎖国政策をよく説明し、おだやかに退去させるべし」という主張を盛り込んだ「夢物語」を書きました。

それからしばらくして、幕府は皮肉にも彼とまったく同じ政策を採用することになるのですが、長英は洋学者を毛嫌いした目付鳥居輝蔵の憎悪の対象となって、渡辺崋山などとともに「番社の獄」の災厄に見舞われます。天保10年1839年12月28日、長英は家財、家屋すべてを取り上げられ鬼神も恐れる小伝馬町の牢屋に投じられてしまいました。

本書はその悲劇の主人公が、どのようにして牢名主!となり、どのようにして脱獄し!たのか。彼がいったいどのような伝手をたどって、江戸から水沢、福島、米沢、上越、名古屋、広島、宇和島、佐倉、そして江戸への帰還と長期にわたる大逃亡生活(彼が蝦夷地を経てロシアに逃げたという説も有力だった)を敢行したのか。
その間絶望の奥底に突き落とされつつも、どのようにして孤独と風雪に耐えたのか。蘭学や医学の弟子や同僚や師匠、同好の士や名もなき庶民の友愛の絆にどのように救われたのか。窮乏と孤絶の逃亡生活の合間を縫って、どのようにしてお得意のオランダ語の翻訳を通じて宇和島藩主伊達宗城や島津斉彬の防衛外交政策、ひいては幕末の政治展開に大きく貢献できたのか、等々を克明に伝えてくれます。

手に汗握るスリルとサスペンス、実録ならでは破天荒の面白さ、加えて森鴎外の晩年の史伝の世界に通ずる生の厳粛さがここには淡々と刻印されています。

ああ、それにしてもわれらが主人公が、もしもあと2か月、善良な男に頼んで牢に放火させ、一時的な「切放」(解放)を利して脱獄せずにじっと辛抱していたら、彼の運命はどうなっていたでしょう。

天敵鳥居輝蔵は失脚して丸亀に追放になり、彼の上司の水野忠邦も左遷されて主人公と思想をおなじくする老中阿部正弘や伊達宗城、島津斉彬、江川太郎左衛門の時代に急転したわけですから、牢破りの汚名を着せられることなく、「日本一の語学の天才」として洋学派を主導するのみならず、開明派の幕閣の間に名声を確立し、決定的な影響を及ぼしていたに違いありません。

それを思えば、南町奉行遠山金之助の手下どもにとうとう青山百人町の隠れ家を突きとめられ、岡っ引きの十手で目も歯も顔も体も滅多刺しに刺されて虐殺された長英の最期ほど悲惨なものはないでしょう。

そんな一代のインテリ蘭学者の流浪の生涯を、著者は史実に限りなく忠実に、冷静無比に粛々と叙述し、そのことを通じて史実の内奥にひそむ真実を語らせることに成功したようです。

著者の「あとがき」によれば、主人公のすべての足跡をたずね歩き、史料に「松がある」と書かれていれば、それが赤松であるか黒松であるか確認し、「土ぼこりが舞いあがっていた」と書かれていれば、その土が赤いか黒いか、または砂地であるかを確かめながら執筆しつづけ、しまいには逃亡者長英になり切って悪夢にうなされ警察官の人影におびえたと記していますが、ここまで書いてもらえれば高野長英も以て瞑すべし。まさにこれぞ著者畢生の名著、入魂の傑作といえましょう。

私はこの著作を岩波書店版の吉村昭歴史小説集成第3巻で読みましたが、551ページ下段18行冒頭に誤植があるので訂正していただきたいと思います。寡永2年は1823年ではなく1849年です。

あと2年辛抱すればわが世の春神ならぬ人の悲しさ哀れさ 茫洋

Friday, September 04, 2009

獣道を狂気のごとく走る自転車は凶器なり

バガテルop112&鎌倉ちょっと不思議な物語第204回

不肖あまでうす過去半年間足かけ1年半にわたって市内のハイキングコースの車両通行禁止を市当局に訴え続けてきたわけですが、最寄りの朝夷奈切通については下記のような「自転車・バイクの通行は止めてください」というお願い看板が掲示されることになりました。

「お願い」と「禁止」では大違いですし、他の切通には手つかずという問題はあるのですが、なにせ相手は煮ても焼いても食えないお役人。まずは一定の成果ありと自己満足することと致しましょう。


『あまでうす様からお寄せいただきましたご質問につきまして、次のとおりお答えいたします。 日頃から、市政にご理解とご協力を賜り、ありがとうございます。 回答が遅くなりましたことをお詫びいたします。 ご質問に対するお答えは、前回と変わりありませんが、平成21年5月28日に回答しました立て看板(自転車・バイクの通行は止めてください)については、9月中に鎌倉市側に設置いたします。** 今後とも、市民に信頼される市政を進めてまいりますので、ご理解ご協力のほどよろしくお願い申しあげます。                平成21年9月2日 鎌倉市長 石渡徳一』


累々と蝉横たわる峠かな  茫洋

Thursday, September 03, 2009

吉村昭著「彦九郎山河」を読んで

照る日曇る日第288回

昔祖父に連れて行かれた、たしか京都の三条大橋の袂に、いかつい顔立ちの侍が、ものものしく平伏している巨大な銅像を見て驚いたのが、私がこの高山彦九郎という名前を聞いたはじまりでした。
それからずいぶん歳月が経ってしまいましたが、御所の賢所にいます至高の君を拝し奉っていたこの人の行跡をつぶさに知ることができたのは、著者のこの本のおかげです。

一言で尽くせば、高山彦九郎という一徹者は、ご一新の74年も前に王政復古を夢見つつ斃れた忠君愛国の儒者なのです。明治維新を地下で突き動かしたのは、ほかならぬ尊王攘夷という僭熱でしたが、彦九郎とその仲間たちは、幕府の松平定信が断行する武断政治に異を唱え、幕府や朝廷の文治派勢力と手を握りながら、およそ1世紀も早すぎた大政奉還運動に挺身したのです。

18世紀も終わろうとする寛政の御代は、列島の外ではロシアやイギリスなどの諸外国勢力が覇を唱えて四囲の海域に押し寄せようとしていましたが、内では京の朝廷と幕府の間に「尊号問題」などの軋轢が高まり、いわば明治維新のさきがけのさきがけを準備したような緊張感が二都の間にみなぎっていたようです。

そのおおらかな人柄と学識で誰からも愛された上州新田郡細谷生まれの熱血漢・高山彦九郎は、「蘭学事始」を著した前野良澤や渡辺崋山などの影響を受け、南下するロシアの実情を観察しようと蝦夷地を目指して果たせず、今度は、天皇の父を上皇に任命してもらい朝廷の政治的経済的地位を一気に向上させようと考え、儒者仲間や同好の士や公家や大納言たちとかたらい、当時から反幕勢力の中核であった薩摩藩との提携を画策したのですが、事志とたがい失敗してしまいます。

彦九郎のくわだてを見破った幕府は、そのおそるべき取締組織を総動員して、江戸から都、都から九州久留米の果てまでこの孤高の思想家を追い詰め、生き場と行き場を失った彦九郎はついに自害のやむなきに至ります。
腹に脇差を突き立て、京の方角である丑寅に向かって額を畳に押しつけた彦九郎は、「なぜの自刃かと問われるとわずかに唇を動かして「狂気」と答えて翌日息絶えました。

その辞世は「朽ち果てて身は土となり墓なくも心は国を守らんものを」というものですが、この国の、この時代にあって、己の思想を貫こうとした人の、その生のあまりの過酷さと壮烈さにしばし打たれない読者は誰一人いないことでしょう。


♪八幡宮長谷寺英勝寺光明寺鎌倉の寺社みな白き蓮 茫洋

Wednesday, September 02, 2009

マーク・フォスター監督の「ネバーランド」を見る

闇にまぎれて bowyow cine-archives vol.7

衛星放送で「ネバーランド」という映画をぼんやり眺めました。これはピーターパンという有名なキャラクターと彼の仲間たちが住む「ネバーランド」という空想世界を創案したスコットランドの劇作家ジェームス・マシュー・バリーの生涯を脚色した物語で、ピーターパンのモデルとなった寡婦と4人の少年たちが登場します。

すべての少年少女が夢見る存在であり、気まぐれな空想や海洋冒険譚に夢中になったり、動物や自然と自分を簡単に一体化してしまう連中である、という通念は、いわば世界共通の幻想ですが、実際にはそのステレオタイプに乗っかったドラマが続々生産されてきました。

こうしたドラマの本質は、無邪気な少年少女自身の空想の産物というよりは精神に傷を負った大人の奇怪な妄想であることは、ルイス・キャロルのアリスと同じように、このバリー原作のピーターパンでも歴然としています。もしかするとピーターパンは、子供の振りをした大人による子供像の典型なのではないでしょうか。

もちろんピーターパンたちが空を飛んだりするところは見る者をワクワクさせてくれますが、その半面彼らが住んでいるネバーランドというのはそうとう不気味な世界ではないか、ということは、この映画のラストで死に瀕した寡婦がよろよろと辿る冥途の旅路の不吉なビジュアルが示しているような気がします。

監督は凡庸なマーク・フォスター、主演はジョニー・デップとケイト・ウインスレットという人気者ですが、いずれも「種なし葡萄」のように演技も存在感も不確かな役者です。
けれど、もしかするとそのクローズアップに堪えない不透明で実体のないあやふやな顔かたちと怪人20面相的なキャラクターこそが、今日の世界とハリウッドの現在を象徴しているのかもしれません。


♪鳥海山より岩木山を直視したるわが眼を鏡で見ている 茫洋

Monday, August 31, 2009

橋本治著「橋本治という考え方」を読んで

照る日曇る日第287回

端倪すべからざる作家とは橋本治というような人物をいうのでしょう。「ドラマというのはドラマとして存在するものではなくて、風景そのものの中に存在するこのなんじゃないか」ということだけを言いたくて始まったこの「行雲流水録」のなかには、愚かにも私が知らなかった叡智に満ちた幾多の箴言が珠玉の如く鏤められていて、しばし瞠目させられます。

 著者は、小津の映画では汚いはずの昭和の日常が「嫌なものがなに一つない」映像として切り取られていて、別段どうということもないドラマが、その隙間に突如として挿入される丸の内のビルや土手の上の青空などの「実景」の永久不滅の美しさによって昇華されていること、またアンゲロプロスの映画における「風景こそが主役だ」と思わせるヨルゴス・アルヴァニティスのカメラの素晴らしさについて具体的に指摘します。
そして、「目に見える風景の向こうにはなにかがある。あらねばならない。耳に聞こえる音の向こうにもなにかがある。それがなければなんでもない。技法というのはそういうものを実現させよう、実現させなければなんでもないと思う、その意志のことかもしれない」と結ぶ時、私たちは彼の作家としての志を親しく解き明かされたような気持になるのです。

そのほか、彼が谷崎潤一郎を師と仰ぎ、師匠と同じくすべての小説を異なるテーマと語法で書き分けてきたこと、「窯変源氏物語」のテーマが、光源氏を主人公とする「小説による小説の小説化」であるという注釈も興味深いものがありましたが、とりわけ彼の創造の源泉は、歌舞伎の命がけの舞台のすごさを、歌舞伎以外の世界で再現して「恩返し」をしてみたいと思ったことにある、という告白に深い共感を覚えました。

「菅原伝授手習鑑」の寺子屋で、松王丸が「桜丸が不憫でござる」と言って「源蔵殿、御免下され」と大泣きをするシーン、その「不条理の悔しさ」に「己の悔しさ」を見て、その悔しさをじっと我慢し続けることにこそ、この作家の発条の基軸があったのです。


♪投じたるすべての票が死なざりき 茫洋

Sunday, August 30, 2009

西暦2009年文月茫洋歌日記

♪ある晴れた日に 第64回


政権の交代求め民動く世が変わるとはかくのごとし

理非にあらず曲直も問わず遮二無二人は旧きを倒す

かねてよりのわれの望みを叶えるはわれならぬリヴァイアサンの蜂起なりしか

神の手が至高の演奏を作るなりカラヤンごっこは今日も続く

嗜虐者なるかはた被虐者なるか弦打ち鳴らす黒髪の人

蝉時雨いっさんに走り抜けるぬける熱き心よ冷たき頭よ

いとやすく大いなる便をひりだして偉大な事業なし終えたるがごとし
 
幻の鰹を求め海に出る実朝が乗りしさすらいの宋船

もう二度と見ぬ海山空花こころゆくまで眺めたり 

わが眼裏になおもうるわし庄内平野白砂青松

逗子の海潜れば群れなす魚たちメビウスのごとわれも泳ぎき

昭和20年5月23日鎌倉十二所山林に初めて焼夷弾落つと吉野秀雄書く

みなそこのわがしんちゅうにたぎるものおんとえんぬぱんちーる

受けて落ち受けても落ちる学生にぐあんばれとしか言えぬ悔しさ虚しさ
 
手を振れば車より身乗り出し両手振り返したり神奈川4区長嶋一由

魚ならば溺れることもあるまいに海空陸の大レスキュー隊

西瓜ほどおいしい果物はないいずれは君にも分かるでしょう


世の中は明日待たるるその宝船

見よ汝が心中より露頭せしもの

六人の美女訪れし月夜かな 

月の下美人が戻るお盆かな
 
老舗滅び月下美人咲く夕べかな

青蛇や青縞光らせ草に消ゆ

処暑の夜わが陰嚢の冷たさよ

名も知らぬ蝉は鳴きたり鳥海山

油蝉交接終えて身罷る

逗子の海魚に混じりてわれも泳ぎき

古書市や芥川全集3500円で叩き売る

百合の薫りあまりにも強すぎる

けふもまたちゃんちゃらおかしくいきにけり


♪生涯ただ一度の大音響を発して極楽往生せしは慶日上人 茫洋

Saturday, August 29, 2009

叫びと囁き 網野善彦著作集第14巻「中世史料学の課題」を読んで

照る日曇る日第286回


中世の人々にとって音声や楽器などの「音」はどんな意味を持っていたのでしょう。
まず著者は、寺や神社の梵鐘や鰐口は日常と聖なる世界を結びつける役割を果たしていたのではないかと指摘します。(本書「中世の音の世界」参照)

今でも私たちも鰐口を鳴らして頭を垂れてから、ご先祖に思いを致しているわけですが、勧進聖が寄付を集め、鋳物師に作らせた鐘や鰐口は、はじめから「聖なるもの」として位置づけられ、みだりに打ち鳴らすことが禁じられていたそうです。
梵鐘を造る儀式は荘厳に行なわれ、「吾妻鏡」には頼朝がその現場に立ち会うシーンが出てきます。(しかしその時はなかなか完成せず、業を煮やした頼朝は御所へ引き上げてしまったのですが)

このように聖なる場所や聖なる人物の周辺においては、法と秩序と権威を保つための「微音」が使われてきたと著者はいいます。たとえば天皇や上皇などの貴人は、囁くような小さな声で己の意思を伝え、そのメッセージは当初は脇の復唱者によって「高声」で伝達されましたが、我が国ではそのプロセス自体を次第に「文書化」するようになってしまった点がアフリカなどとは決定的に異なるのだそうです。

しかしいかなる場合にも「高声」はけしからぬこととされていたわけではなく、戦闘や強訴の際には許されていたようです。
たとえば中世の合戦では陣太鼓(攻め太鼓)を使っていました。しかし御家人たちも巨大な太鼓や銅鑼を打ち鳴らして攻めてきた蒙古軍には驚いたようです。おそらく中国大陸や朝鮮半島の楽器と当時のわが国のそれとはおなじ楽器でも相当異なる音響を発していたのではないでしょうか。たとえば韓国のサムルノリが鳴らす金管や打楽器は、私たちとは耳慣れない強烈なサウンドです。

けれどもこのような例外を除くと、中世人は心のままに高い声で発音したり、怒鳴ったりすることは「狼藉」とされ、これは現代においてもそうですが、殊に寺社仏閣では絶対的な静寂が厳しく要求されてきました。

ところがこのような「権力による音響管理」に断固として抗ったのが「高声」で歌うように、踊るように念仏を唱える親鸞や一遍、日蓮などの鎌倉仏教です。親鸞は和讃を節で歌わせ、時宗では踊躍歓喜という踊り念仏を躍らせましたが、著者はこれこそは宗教と一体になった芸能の原点であり、もしこの聖と俗、精神と肉体が一体化されたムーブメントが、朝廷や織田信長などの代々の権力者たちの弾圧を乗り越えて持続的に成長発展し続けていたなら、宗教と政治経済社会のみならず、我が国の芸能の歴史、歌謡と詩歌の歩みがこの時点で根本的に変異していただろう、とその秘められた可能性に着目しているようです。

いずれにせよ権力は囁きと静謐と秩序をひたすら好み、民衆は叫びと哄笑と歌とダンスを愛し、そのことを通じて神仏の世界、あの世とこの世を架橋しようと試みという関係は鎌倉時代から不変のものであったといえましょう。



      世の中は明日待たるるその宝船 茫洋

白砂青松

バガテルop111

明日は半世紀に一度、いやそれ以上というとっておきの楽しみがあるわけですが、今日は今日の楽しみを求めてまたもや由比が浜で泳いできました。今年17回目の海水浴です。

泳ぎながらまだ出羽三山の思い出に浸っています。いずれの山でも低地は松、その上は杉、さらにその上はブナの木が鬱蒼と茂っていて、高度と地相に合わせた植物が合目的的に生存していました。

驚いたのは庄内平野の日本海側にまだたっぷりと残されている松の大群落です。海岸線から数キロ内陸に入ってもそれはまだ美しくそびえている。白砂青松のおもかげをたたえて微笑している。その姿は感動的ですらありました。

酒田本間家などが防砂林として植林した過去の遺産の恩恵を500年後の私たちはかたじけなく享受しているということなのでしょうが、いつまでも後代に残しておきたい文化遺産だと思いました。


♪わが眼裏になおもうるわし庄内平野白砂青松 茫洋

Thursday, August 27, 2009

出羽三山を訪ねて




バガテルop110

火曜日から木曜日までの3日間、蔵王・月山・鳥海山のツアー旅行に参加してきました。出羽三山プラス鳥海山の四山探訪というわけです。

第1日は東京駅を朝の8時8分に出るやまびこに乗って福島駅まで。そこからは観光バスに運ばれて蔵王の山頂に登って眼下に広がるエメラルドグリーンの「お釜」を覗き、蔵王山麓駅からロープウエイーで蔵王高原駅に行って夏山リフトに乗り換えたあと、観松平・いろは沼を山岳ガイドさんと散策して黒姫展望台から360度のパノラマを展望、またバスに乗って蔵王温泉で宿泊しました。
この温泉は酸度が高く披露した体によく沁みとおりました。

2日目はお湯が流れる赤い巨岩が神体である湯殿山神社を訪ねたあと、急峻な坂道を猛烈なS字を描く月山高原ラインを懸命に走破して(主語はバス)月山に上り、阿弥陀ケ原湿原を山岳ガイドさんと散策したあと、今度は出羽三山のひとつである羽黒山に登り、開山から1400余年の歴史を誇る三山神社三神合祭殿に参拝し、そのあと日本海の海岸沿いの湯の浜温泉に宿泊し大きな蟹をまるごと一匹たいらげたのでした。きれいな海水がやわらかな砂浜に穏やかに打ちよせておりました。

最終日は酒田から北上して松島とならぶ九十九島・八十八潟の名所とうたわれた象潟を訪れ、松尾芭蕉の「象潟や雨に西施がねぶの花」ゆかりの地を見下ろし、一八〇四年の隆起なかりせばの思いを新たにしたことでした。その後バスは鳥海山の五合目まで登り、私たちは付近の白糸の滝を鑑賞したり、とおく岩木山の頂上を遠望したり、四囲の絶景を満喫し、最後に山形県内随一の高さ63mの玉簾の滝、安達太良山を見物して郡山駅にたどり着き、東京駅には夜一〇時、自宅には一一時半を過ぎて到着しました。

このコースは六月から運行していますが、三日間とも晴天に恵まれたのは今回がはじめてだそうですが、運よく好条件に巡り合うことができ感謝です。



♪もう二度と見ぬ海山空花こころゆくまで眺めたり 茫洋

♪名も知らぬ蝉は鳴きたり鳥海山

Monday, August 24, 2009

ロベルト・アバド指揮の「エルミオーネ」を視聴する

♪音楽千夜一夜第78回


昨年の8月にイタリアのペーザロで開催されたロッシーニ・オペラフェスティバルで上演された「エルミオーネ」を衛星放送の収録で鑑賞しました。

演奏はロベルト・アバド指揮のボローニャ市立歌劇場管弦楽団、美女ぞろいのプラハ合唱団、演出がダニエレ・アバドという組み合わせです。
ダニエレはクラウディオ・アバドの息子、ロベルトは甥。道理で指揮者の顔はなんとなくおじさんに似ていますが、演出はまずまずの出来だとしても、指揮のアバドはおじさんほどの冴えはありませんでした。歌手の出来もまずまずでした。

この作品はラシーヌの戯曲「アンドロマック」にもとづいていますが、そのもとになっているのは皆様よくご存じのトロイ戦争の後日談。トロイの木馬の詭計で敗れたトロイアの英雄ヘクトルの妻アンドローマカ(マリアンナ・ピッツォラート)は息子とともにギリシアの英雄アキレウスの息子ピルロ(グレゴリー・カンディ)の奴隷にされています。

ところがピルロはメネラオスとヘレナとの間に生まれたエルミオーネ(ソニア・ガナッシ)という婚約者がありながら、この美しく気品のあるアンドローマカに恋してしまいます。嫉妬に狂ったエルミオーネは、彼女を慕ってギリシアから派遣されてきたアガメムノンの息子オレステ(アントニーノ・シラグーザ)をそそのかして、ついにピルロを殺すに至らしめるという、聴くも涙、語るも涙の愛の大矛盾大悲劇物語です。

なんせ台本の造作が劇的なので、これこそロッシーニ随一の傑作だとほめたたえる向きもあるようですが、音楽はいつもとおんなじパンパカパーンのロッシーニ節。ほんらい彼の音形は軽喜劇にもっともふさわしいスタイルなので、血まみれの短刀でぐさりとやるようなシーンには強烈なアンバランスを醸し出します。

ロッシーニ・クレッシェンドの劇的な高まりは、その基底部に毒のある哄笑を秘めていて、ギリシア悲劇の深刻な悲嘆とは絶対に調和しないのです。
イタリアの管弦楽団が例外なくそうであるように、ボローニャのオケも最初は寝ぼけています。しかしあおりにあおるアバドに乗せられて、次第にスパークするのですが、その頂点でオペラ自体が構造的に破綻するというきわめて貴重な瞬間を私たちは目撃することができるでしょう。



♪けふもまたちゃんちゃらおかしくいきにけり 茫洋

Sunday, August 23, 2009

アップダイク著「クーデタ」を読んで

照る日曇る日第285回


アラビアのロレンスがやったように、どこか遠いところ、たとえばアフリカのサハラ砂漠の近くの発展途上国の政治経済や社会をその国の心ある人たちとともに変革することは、冒険心豊かな先進国の男たちの野心をむやみと掻き立てるようです。

ロレンスの時代ならともかく、現代ではそれはなかなかむずかしい。しかし実際にそれができなくても、フィクションなら、小説の世界でなら、その疑似行為を夢想的に体験できるだろう。なぜなら、そもそも小説とはうそっぱちを描いて、それがあたかも真実であるかのように錯覚させる高等呪術だからである。

そう考えて、その国の独裁者にわが身をなぞらえ、アラーの大義にもとづく神聖政治を宣揚してアメリカ帝国主義やソビエト社会主義に伍して自主独立の王道を貧しい国民の先頭に立ったつもり、になったのが、この小説の著者でした。

クーデタを起こして大統領に就任した主人公のエレルー大佐は、リビアのカダフィ大佐、あるいはそれ以上に魅力的な人物です。国籍の異なる4人の夫人を持ち、ほとんどなにも産物がない不毛の砂漠地帯に棲息する人民の幸福と公共の福祉のために献身的に戦い、襲い来る未曾有の旱魃を防ごうと挺身します。

そのために自分を引き上げてくれた老国王の首をちょん斬ったり、官邸の大臣や護衛などに懸命にハッパをかけて彼なりの魔術的な手腕を駆使するのですが、それらの努力は結局はカフカ的状況の中でまったく報われず、大佐はすべての権力を失墜して第3夫人とともにパリに脱出するのです。やれやれ。

エレルー大佐が信奉するイスラム社会主義は裏切り者の側近が引き入れたアメリカ帝国主義の陰謀の前に屈服するので、この小説はアフリカ大陸を席巻するアメリカ帝国主義の黒い影を描いたものであるんであるんである、などとしたり顔で解説するインテリゲンチャンもいるようですが、別段そんなに大層なイデオロギー小説ではありません。


♪処暑の夜わが陰嚢の冷たさよ 茫洋

Saturday, August 22, 2009

リヴァイアサンの蜂起

バガテルop109

きのう由比ガ浜の海で亡くなられた2人の若者に深く哀悼の意を表します。

今日その同じ海で、泳いできました。監視員が2段固めのシフトで厳重に警戒し、「膝の高さまでのところで泳いでください」と声をからして叫び、沖に出る人たちに対しては全力で駆けつけて注意していました。

海岸は遊泳注意になっていましたが、波はかなり高く、ゆっくり泳ぐことなどとうていできません。昨日は今日と同じような波でしたが、元気な4人の若者が、海岸からわずか15メートルのところで溺れてしまったのです。

この海岸は、逗子と違って浜から5メートル付近が少し深くなっており、それより先に進むと、沖の潮目の影響で日によっては左右に激しく流されてしまいます。
海の中を流れる川の勢いが水面下では激しいのです。昨日の若者も、岸に帰ろうとしてかえって沖に流されてしまったところを高波で覆われたのではないでしょうか。

私もちょうど彼らの年頃に千葉の館山海岸で調子に乗って沖に出過ぎて、いくら泳いでも岸に辿りつけなくなり、潮の流れ、海の勢いとはこんなものかと怖い思いをしたことがあります。

 海に潮流があるとすれば、陸にも激しい流れがあります。有権者が政治の流れを変えようとする強烈な力、もはや人知を超え、思惑を超え、想像を超えた特定の方向への奔流です。

この流れがどのようにして起こったのかをのちの人々はもっともらしく分析することでしょうが、そうした要素還元主義者のこざかしい屁理屈とは無関係にそれはたったいま滔々と流れています。

自公が敗北して民主が勝利するという表層の政治的変化ではなく、その深部でうごめいている激流に注目しましょう。私たちは理非曲直を超越して、政権交代という渦に飲まれ、上流から下流へと激しく流されているのです。

これが大衆の意思です。これが自然の脅威よりもある意味では恐ろしい時代を動かす民意というものであることを、私たちは身をもって体感していることを末永く記憶しておきましょう。


♪かねてよりのわれの望みを叶えるはわれならぬリヴァイアサンの蜂起なるか 茫洋

Friday, August 21, 2009

2つの美術館

バガテルop108


今日も午後から由比が浜へ行きましたら、赤旗が立って救助用のヘリコプターが2機ホバリングしています。きっと誰かが海で溺れたのでしょう。そのまま材木座へ行くと黄色い旗が風に靡いていましたが、結局青旗の逗子海岸で泳ぎました。

浜からすぐそばの浅瀬で大きなアジが2匹、3匹と見事な跳躍を連続で見せてくれます。あみがあれば晩御飯のおかずに掬ってやるのにと思ったことでした。

さて今日の本題です。美術館というところは展覧展示の中身も大事ですが、その施設を運営する体制やスタッフの心遣いもそれに劣らず重要です。

19日の水曜日に東京竹橋の国立近代美術館へ出かけて「ゴーギャン展」を楽しんだ話はすでにこのブログでも書きましたが、実はその帰りにちょっと不愉快なことがありました。使用したコインロッカーから100円玉が出てこなかったのです。次の客もこのような目に遭うと厭だろうと思い、たまたま会場の出口に投書コーナーがあったので、「展示内容は素晴らしかったが、100円玉を失ったことは残念だ」と一筆したため、何気なく電話番号を書いてポストに投函しておいたところ、なんとその翌日の午前中に同館統括のSさんという方から、「調査した結果貴殿の一〇〇円玉が機械の奥で発見された。大変申し訳ありませんでした」という電話があり、今日になってその金額相当の切手と次回の招待券二枚が同封された丁重な詫び状を頂戴しました。(本当はたかが一〇〇円だし別に返ってこなくても良かったのですが、いかが致しましょうかと聞かれて同じ金額の切手にしてもらったのは当方のとっさの恥ずかしい思いつきでした。)

私がこういう目に遭ったのも、こういう素早いフォローに遭ったのも生まれて初めてのことなので、実はビックリなのですが、日本全国の美術館がこのように顧客本位の迅速かつ親切な対応をしてくれるとは限りません。いや例外中の例外なのではないでしょうか。

というのも数年前、私はこれとまったく逆の経験をしたことがあるからです。葉山に神奈川県立近代美術館の分館が誕生した直後に障ぐあいを持つ家族と一緒にそこを訪れた私たちは、係員からじつに不愉快極まる対応を受け、障ぐあい者の受け入れ態勢がなっていないのではないか、という趣旨の書簡を同館の館長宛に送ったのですが、待てど暮らせどなしのつぶてでした。おそらく館長の目にも触れなかったのではないでしょうか。

そういう無礼千万な公共施設も存在する中で、今回の国立近代美術館の措置はまことに気持ちがよく、晩夏の午後を吹き抜ける一陣の清風のように爽快そのものでありました。
おかしなもので、私たちはちょっとしたことでうれしくなったり、悲しくなったりするのです。


♪魚ならば溺れることもあるまいに海空陸の大レスキュー隊 茫洋

Thursday, August 20, 2009

幻の魚

鎌倉ちょっと不思議な物語第203回

夏といえば海、海といえば由比ケ浜、由比ケ浜といえば鰹、鰹といえば徒然草と山口素堂でしょうか。

兼好法師は徒然草の第百十九段に「鎌倉の海に、鰹と言ふ魚は、かの境ひには、さうなきものにて、この比もてなすものなり」と書き始め、鎌倉の年寄りが、「この魚、己れら若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づる事侍らざりき。頭は、下部も食はず、切りて捨て侍りしものなり」と語ったことを証言し、その低級な大衆魚が「このごろ上さままで入り立つ」有様を例によって「世も末」と切って捨てています。

また江戸時代の俳人山口素堂は、この由比ケ浜にやってきて「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」と詠んだそうですが、御所見直好氏によれば、現在この海岸で獲れる八月の魚は、イシダイ、ボラ、カワハギ、メバル、カサゴ、タカノハダイ、ニザダイ、メジナ、コアジ、カマス、イセエビ、イカナゴ、シコなどであり、ソウダカツオの名はあってもカツオの名前は出てきません。彼の著書「鎌倉路」を調べてみても、春夏秋冬を通じてカツオは鎌倉の魚ではないようです。

しかし御所見直好氏が取材した当地の漁師の話では、戦争中はカツオ船が出ていたそうですが、戦後は絶えてしまったそうなので、もしかすると初夏に出漁すれば、文名高い鎌倉の鰹を一尾くらい釣り上げることができるかもしれませんね。


  ♪幻の鰹を求め海に出る実朝が乗りしさすらいの宋船 茫洋

Monday, August 17, 2009

由比が浜vs逗子海岸

バガテルop107&鎌倉ちょっと不思議な物語第203回


昨日の逗子海岸行きで今年の海水浴も12回目となりました。

例年ですとこの時期には土用波が押し寄せ、大中小のクラゲが現れるのですが、台風8号の余波と数匹のクラゲ攻撃はあったものの、概して今年の湘南の海は平穏続きであったのではないでしょうか。

 私は普段は鎌倉の由比が浜で泳いでいますが、こことか材木座、中央海岸が遊泳注意あるいは遊泳中止であったとしても、逗子海岸だけはほとんど遊泳可能です。なぜならこの海岸は岬の奥に少し引き込まれた内海なので、外海に直面した他の海水浴場が荒波に襲われていても、まるで沼のように穏やかなのです。

 それにこの海岸にはさまざまな魚たちがたくさん泳いでいる姿を浅瀬でも、沖でも見かけることができますし、潜りながら彼らに近づいていっても逃げずにのんびりと回遊しています。やわらかな砂の中にはヒトデや貝もうごめいていて、私たちの少年時代には引けをとるとしても、まだまだ豊かな自然が残されています。

ちなみにこの海岸の神奈川県による衛生検査では他の海岸を押しのけて一位でした。

またこの海岸には地元出身のミュジシャン、キマグレンが経営するライブハウスも浜辺に建っていて、海水浴以外のコンサート体験もあわせて楽しむことができるのです。
東京方面から電車に乗って来ると帰るときに鎌倉からでは絶対に座れませんが、逗子駅からだと4両を連結するので1本待てば必ず座って帰ることができますし、湘南新宿ライ始発電車もここから出ています。


ゆいいつ嫌な感じなのは、この海岸にはかの尊大傲慢都知事の「太陽の季節」碑、および海岸を見下ろす高台に彼の山荘が鎮座していることですが、それを値引いても由比が浜vs逗子海岸ではどうも後者に軍配があがりそうです。


♪逗子の海潜れば群れなす魚たちメビウスのごとわれも泳ぎき 茫洋

由比が浜vs逗子海岸

バガテルop107&鎌倉ちょっと不思議な物語第203回


昨日の逗子海岸行きで今年の海水浴も12回目となりました。

例年ですとこの時期には土用波が押し寄せ、大中小のクラゲが現れるのですが、台風8号の余波と数匹のクラゲ攻撃はあったものの、概して今年の湘南の海は平穏続きであったのではないでしょうか。

 私は普段は鎌倉の由比が浜で泳いでいますが、こことか材木座、中央海岸が遊泳注意あるいは遊泳中止であったとしても、逗子海岸だけはほとんど遊泳可能です。なぜならこの海岸は岬の奥に少し引き込まれた内海なので、外海に直面した他の海水浴場が荒波に襲われていても、まるで沼のように穏やかなのです。

 それにこの海岸にはさまざまな魚たちがたくさん泳いでいる姿を浅瀬でも、沖でも見かけることができますし、潜りながら彼らに近づいていっても逃げずにのんびりと回遊しています。やわらかな砂の中にはヒトデや貝もうごめいていて、私たちの少年時代には引けをとるとしても、まだまだ豊かな自然が残されています。

ちなみにこの海岸の神奈川県による衛生検査では他の海岸を押しのけて一位でした。

またこの海岸には地元出身のミュジシャン、キマグレンが経営するライブハウスも浜辺に建っていて、海水浴以外のコンサート体験もあわせて楽しむことができるのです。
東京方面から電車に乗って来ると帰るときに鎌倉からでは絶対に座れませんが、逗子駅からだと4両を連結するので1本待てば必ず座って帰ることができますし、湘南新宿ライ始発電車もここから出ています。


ゆいいつ嫌な感じなのは、この海岸にはかの尊大傲慢都知事の「太陽の季節」碑、および海岸を見下ろす高台に彼の山荘が鎮座していることですが、それを値引いても由比が浜vs逗子海岸ではどうも後者に軍配があがりそうです。


♪逗子の海潜れば群れなす魚たちメビウスのごとわれも泳ぎき 茫洋

平野啓一郎著「ドーン」を読んで

照る日曇る日第283回


「私小説は自慢話である。自分は絶対に書かない」ときっぱり否定するこの人。その言うや良し、です。

私が最初に読んだ彼の作品は、ショパンやドラクロワやジョルジュ・サンドがまるで史実のように動き回る面白いロマンチック小説でしたが、その実録歴史風の時代がかった衒学的な文体がことのほか気に入りました。

ところがその次に読んだ「決壊」はまるで秋葉原事件の漫画風解説本のような趣で、主題こそ当世流行のネット時代のおける現代人の悪意と殺人事件を描いてはいるものの、登場人物にまるで存在感もリアリテイもなく、でくの棒のような不自然な人物造形と人工的なプロットに、「いったいこれのどこが小説なの?」と辟易させられたものです。

そこへ今回突然ドーンと登場したのが本書で、これは2033年に人類初の火星着陸を成功させたアメリカを舞台にした近未来フィクション小説です。

アメリカはもちろん全世界の家庭や街頭には隈なく監視映像ネットが隈なく張り巡らされ、全国民が複数のアバターを分かち持ち、それらのキャラクターをTPOごとに使い分けている「1人多重人格社会」がすでに確立されています。20世紀に揺らぎ始めた自己同一性原理は完全に破壊されてしまい、人類はそのアイデンティティをいかにして再確立するかに頭を悩ませているのですが、妙案は見つからず、その苦悩と分裂は深まるばかりです。

主人公は佐野明日人という日本人宇宙飛行士兼医師なのですが、世紀の偉業達成の陰に、彼の同僚の女性飛行士の妊娠、流産事件と言う不祥事、NASAのそのスキャンダルにからんだ大統領選挙の陰謀、さらに東アフリカ融解戦争への加担から派生したテロリストによるマラリア蚊兵器の登場等々、いかにも三文小説風、アメリカ流にいうとパルプマガジン風の「いかにもな事件」が次々に起こり、主人公とその家族たちを翻弄します。

つまりここで著者が闡明しているのは、いまからさらに時間が2,30年ほど経過し、科学技術が驚異的に発達しても、世界の政治と経済は相変わらず混迷を続け、人間の愚かしさはますますその度を加え、生も死もますます難儀になるぞ、という暗い予言なのでしょう。

しかしそんな小学生でもわかっているような当たりきしゃりき車引きのお話を宇宙関係の文献やらネット資料をもっともらしくどんどこ援用して500ページになんなんとする原稿用紙を無駄にする必要が果たしてあったのでしょうか? 

この小説に唯一救いがあるとすれば、そのタイトルの「ドーン」が英語のDAWNであり、人類の「ダウン」ではなく「夜明け」を暗示している点でしょう。


♪古書市芥川全集3500円で叩き売る 茫洋

Sunday, August 16, 2009

神奈川県立近代美術館葉山の「画家の眼差し、レンズの眼」展を見る

照る日曇る日第282回

海水浴の前に神奈川県立近代美術館の葉山分館へ行って「画家の眼差し、レンズの眼」近代日本の写真と絵画展を見ました。

高橋由一の地方の県庁などの絵がたくさん並べてありましたが、いずれもそのトーンの暗さに驚きました。ワーグマンなどから西洋絵画の基礎を学んでいた青年の心中に淀んでいた昏さとは西欧の明るさとの距離に伴う前近代性の自覚から起因するそれだったのでしょうか。

大正時代のはじめに上高地を訪れた高村光太郎が焼岳を背景にした白樺の木立を描いたセザンヌを思わせる油彩画の左隣に、資生堂初代社長の弟で我が国の写真黎明期を切り開いた福原路草の「枯木」というモノトーンの写真が並べてありました。

ほぼ同じころの同じ光景を、いっぽうは画家がリアリスティックに、もう一方では新進気鋭のフォトグラファーがシュール・リアリスティックに切り取ると、これほどにも相反する光景、心象風景が生まれてくるのかという驚きが湧いてきます。

人間の知的営為である画家の眼差しは、無機的なレンズが見ているものとは異なる景を見つめていますが、それを脳と手と道具を使って造形していくうちに、当初画家がとらまえていた景とは異なる次元の景へとどんどん変貌していくはずで、レンズが見た景などとはその出発点においても、経過点においても絶対に交わらないはずなのに、瓜二つの表現形態に落着するケースもあれば、まるで、というか当然のように愛異なる表現として定着されることもある。

写真と絵画。今回の展示は、その思いがけない接触と絶縁の様相を楽しませてくれます。


♪見よ 汝が心中より露頭せしもの 茫洋

Friday, August 14, 2009

月下美人咲く


♪ある晴れた日に 第63回


六人の美女訪れし月夜かな 茫洋



月の下美人が戻るお盆かな 



老舗滅び月下美人咲く夕べかな

西瓜の味

西瓜の味

Thursday, August 13, 2009

恐るべきトライアングル

♪音楽千夜一夜第77回

リストのピアノ協奏曲などは最近ほとんど耳にする機会もなくなりましたが、20年ほど前にはかなり人気があって時々演奏されていました。

ある日都の乾の方角にあって、教授陣の大半が2流、3流ではあるけれども、学生と演劇とオーケストラが1流であることでつとに知られる大学の、その交響楽団でチエロを弾いているK君と一緒に、くだんの曲の演奏を聴きました。
なんでも会場は新宿厚生年金会館で、ロジェストベンスキーが指揮するモスクワのやたら暴満な音響を発するオケだった、とうろ覚えに覚えています。

そしてこのやたら騒がしい名曲がいよいよ第3楽章に入ってしばらくすると、それまでは左手奥の大太鼓の影で鳴りを潜めていたトライアングルが、主役のピアノや打楽器や金管楽器ともども狂ったように打ち鳴らされ、まもなく疾風怒涛のフィナーレに突入しました。

さうして、浪漫主義者リスト特有の壮大なこけおどしのコーダの咆哮を圧して、楽堂の山顚にすっくと聳え立ったのは、超高周波数の凛乎とした鈴の音でした。
耳も割れよ、天井よ砕けよ、とばかりに大山鳴動。終わってみれば、鼠一匹、これはピアノ協奏曲ではなく、トライアングル協奏曲だったのです。

そのように私が正直に感想を漏らしますと、K君は「この曲の初演のとき、反ワーグナー派の評論家ハンスリックが君と同じ批評をしている。素人にしてはなかなかいい線いってるよ」と褒められたことを懐かしく思い出しました。
思えば彼のその一言で、私のクラシック趣味が始まったのですから、持つべきものは良き友です。

自慢話はこれくらいにして、すべての楽器のうちでもっとも遠くまで鮮明に聴こえるのが、このちっぽけな三角形の金属であることは、あまり知られていないようです。
オーケストラのフォルテッシモの演奏中でも、この打ち出の小槌をほんの小さく鳴らしただけで、ティンパニーやチューバやシンバルや、マーラーが好んで使う青銅の大太鼓などを軽々と凌駕して、会場の隅々にまで玲瓏とひびきわたりますから、作曲家は十二分に注意する必要があります。

リストの場合は極端な例外ですが、ショスタコービッチの第5番の交響曲においても夜郎自大に乱打されて、その本来の正しい奏法がなされていません。いやロマン派のすべての作曲家がこの悪弊に染まって、音色の清らかさと音楽のあたりきな伝達方法を失ってしまったことは、ハイドンやモーツアルトの温和にして乾坤一擲、じつに目の覚めるように鮮やかな鳴らし方を一聴すればあきらかでしょう。


♪過ぎたるはなお及ばざるがごとしトライアングル 茫洋

Monday, August 10, 2009

日経広告研究所編「基礎から学べる広告の総合講座」を読む

照る日曇る日第281回

日経が毎年出しているこの本は、日経広告研究所が毎年開催している有料セミナー「広告の理論と実際の総合講座」の内容を1冊にまとめたものです。
最新の「2009年版」でも20名の著者が総論から各論までの20の講義を展開していますが、タイトルは変哲がなくても、常に業界の最新動向がどっさりと盛り込まれ、講師の大半がうろんなアカデミスト連中ではなくて、現場の最前線で活躍している実務家ぞろいであることが、凡百の類書と決定的に違うところです。

たとえばいま話題のソフトバンクの林浩司氏からは同社の経営戦略とシンクロした異色の宣伝広告キャンぺーンの舞台裏を垣間見ることができます。
真夏なのに冬景色のキャメロン・ディアスが登場したり白い犬が物を言うCMの背後には、その自由なクリエイティブを支持する現場担当者と、それを後押しする寛大な経営者が存在しているのでした。

しかもそれらのキャンペーンの前提として明確な理論と日常的なデータ管理がなされ、猛烈な速度で両者の修正と再構築が展開されているようです。名実ともにベストCMの評価を勝ち得た「白戸家の人々」に満足することなく、どんな名CMであっても陳腐化し、その効果は日ごとに失われる、と冷静に認識して、ライバルから奪ったビッグタレントによる一大キャンペーンを開始したこの会社の後生は、まことに畏るべきものがあります。

サッポロビールの寺坂史明氏からは、1本のテレビコマーシャルを断行するために辞表を胸に保守的な首脳陣と渡り合う武勇伝を聞くことができます。
どんな職業の、どんな仕事であっても、担当者が命を賭ける時はあるものです。



♪男一匹生きるも死ぬもこの時ぞこの時ぞ 茫洋

Sunday, August 09, 2009

カラヤンの映像作品を視聴する

♪音楽千夜一夜第76回


このところNHKの衛星放送でカラヤンのベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキーの映像記録を放映していました。いずれも1970年代の初頭にユニテルが35ミリでビデオ収録した貴重な映像です。

どこが貴重かといえば、これがライブ映像なのか録画なのか判然としないごった煮であることです。曲によってはコンサートホールの情景や聴衆の拍手なども収録されていて、一見するとライブコンサートのライブ収録のようにみなされる個所もあるのですが、各パートのクローズアップになると奇妙な映像が続々登場します。

たとえば、奏者が実際にはありえない放射線状に美しく配置されていたり、チャイコフスキーの悲愴の第三楽章の小コーダでは、第一ヴァイオリンが「起立して」演奏しているのです。こんなことを「あーだこーだ」言っても始まらないのですが、「のだめ」やダスターボ・ドゥダメルが指揮するシモン・ボリバル・ユーズ・オーケストラの華麗なパフォーマンスの原点は、ほかならぬ七〇年代のカラヤン&ベルリンにあったということがわかるのですね。

おそらく最初に演奏を全部録音しておき、コンサートホールでも再度ライブ収録を行い、最後にスタジオでも要所要所の採録を行い、この3つのデータを適宜コラージュしてできたものがくだんの作品なのでしょう。演奏のみならず映像もおのれのコンセプトに合わせて最新の科学技術で自由自在に編集加工するという「ゴッドハンドの時代」をカラヤンは先導したのです。

カラヤンは例によって暗譜を誇示するかのようにほとんど瞑目して演奏しており、それだけでもかなり異常ですが、たまたま演奏がうまくいったりすると、眼をつぶったまま、かすかに笑ったりする不気味な瞬間があるので目が離せません。晩年とは違ってキャメラはカラヤンの顔を左からも右からも比較的自由に撮らせている点にも興味をひかれます。


多くの人々は、演奏は素晴らしいけれど、映像の遊びが過ぎるこうしたカラヤンの試みに否定的でしたが、トロントのCBCのスタジオでもっとクレージーな映像ごっこに夢中になっていたグレン・グールドだけは例外で、とりわけカラヤンのベートーヴェンの五番ごっこを高く評価していたようです。


♪神の手が至高の演奏を作るなりカラヤンごっこは今日も続いて 茫洋

不純な視点

♪音楽千夜一夜第75回


パソコンに向かって仕事をしながらテレビをつけていましたら、突然モーツアルトのバイオリンソナタの変ロ長調K454の有名な旋律が流れてきました。

音程だけは正確な清潔で、まずは丁寧な演奏といえるでしょうが、言葉ありて心足らず、まるで精神的に余裕のない、ギスギスした、潤いのない演奏です。同じモーツアルトの名曲なのに、クララ・ハスキルのそれとは比較にならない低次元の演奏に驚いて振り向いて画面を見たら、サントリーホールの真ん中で、赤いドレスを着た美人が、恐ろしく神経質な表情でヴァイオリンを奏でていました。

ブラームスならともかく、ただでさえ難しいモーツアルトを、あんなこわばった顔つきで弾いて人々を感動させることなぞ絶対にできません。私は彼女が発する醜いヒステリックな音声を消してしまい、女優を思わせるこの人の、苦悶に震える細い眉のアップや、不安におののく黒い瞳、嗜虐的な欲情さえそそる冷徹な美貌にしばし見とれていました。

あまり大きな声ではいえませんが、肩、腕、背中などを露出した美しい女流奏者が、歯を食いしばり、髪を乱し、われを忘れて演奏に取り組む姿は、どこかエロチックな行為を思わせることがあります。
大きなチェロを両の肢でがしりと挟み込み、エルガーの協奏曲を狂ったように弾く若きジャクリーヌ・ヂュプレの姿は、音楽の神との崇高なインターコースと私には感じられました。

もしかすると熱狂的なコンサートゴアーの中には、美しき女性奏者との官能的なエクスタシーを体感するためにコンサートホールに通いつめる人がいるのかもしれませんし、売り出し中の若手美人ミュジシャンの中には、そのことを熟知してファッションやメイクに留意しているケースもあるのではないでしょうか。

♪嗜虐者なるかはた被虐者なるか弦打ち鳴らす黒髪の人 茫洋

Friday, August 07, 2009

残暑お見舞い申し上げます

♪音楽千夜一夜第74回


前回話に出てきたヨセフ・カイルベルトですが、去る8月3日の夜にブラームスの1番を聴き、その真率の気に満ちた演奏に驚嘆しました。1968年5月のN響とのライブですが、彼は帰国わずか2ヶ月後の7月に「トルスタンとイゾルデ」を指揮しながら世を去りますから、これはまさしくわが国の音楽ファンにたいする白鳥の歌だったといえましょう。
同じ日の放送のロブロフォン・マタチッチのベートーヴェンの7番、オトマール・スイトナーのモーツアルトの39番も絶品で、当時のN響と比べていかに今日のそれが腐敗堕落しているか、さらにこの偉大なる指揮者に続いてN響が迎えたブロムシュテットだのデュトワだのアシュケナージだのがいかに下らない三流役者であるかを雄弁に物語る演奏でした。

古典音楽を聴けば聴くほど痛感するのは、古代、縄文、新石器時代の芸術家の素晴らしさです。ベートーヴェンの交響曲全集も毎月のように発売されていますが、改めて聞いたトスカニーニのすごさは、カラヤンなど足元にも及ばぬ迫力でした。これはソニー&BGMの最新リマスター版が@200で入手できます。


ALTUSレーベルからこれは1枚1000円という高値で発売されている外来オケのライブではムラビンスキー&レニングラードフィルの「田園」&ワグナー管弦楽集、チエリビダッケ&ミュンヘンフィルのブラームスの4番、クーベリック&チエコ響のスメタナ「わが祖国」のサントリーホールの一期一会のライブが名状しがたい感興を誘います。

私がクーベリックと手兵バイエルン放響の生演奏を耳にしたのは70年代のパリ・シャンゼリゼ劇場でしたが、生まれて初めて聞いたマーラーの4番の独唱に思わず涙した日のことをいまでも懐かしく思い出します。そのクーベリックのマーラーの5番の1981年6月12日の壮絶なライブ録音は、同じく1枚1000円のaudita盤で堪能することができます。グラモフォンの全集も手元に備えるべきですが、やはりクーベリックのマーラーは、ライブで炎と燃えるのです。

こんな調子で続けていくと秋になってしまうのでもうやめますが、最後にご紹介したいのは現在世界で最も充実した演奏を繰り広げているマリス・ヤンソンスによるショスタコービッチの交響曲全集です。ベルリンフィル、ロンドンフィル、クーベリックゆかりのバイエルン放響とオーケストラはさまざまですが、ロストロ&ワシントン響盤などを圧倒する素晴らしい演奏を聞かせてくれます。これも1枚250円也。バレンボイム&ベルリンフィルによるモーツアルトの協奏曲集九枚組にショルティ、シフとの2台、3台協奏曲のDVDをおまけに付けて2800円ともどもお薦めです。

あれも聴きたい、これも聴きたい。1枚500円以下で聴きたい。聞くはいっときの快、聞かぬは一生の損。そんなアホバカマニアがいま発注しているのは、アルゲリッチの独奏&協奏曲全集全15枚。この秋も各社から超廉価CD、DVDが続々発売されるようなので目が離せません。


♪聴くはいっときの快、聴かぬは一生の損 茫洋

Thursday, August 06, 2009

続 暑中お見舞い申し上げます

♪音楽千夜一夜第73回


オペラ以外のお買い得、聞き得CDもいろいろありました。まずはドイッチエ・グラモフォンのブラームス全集全46枚組のセットです。
これまで4つの交響曲をはじめ管弦楽曲を中心にさんざん聞きかじってきたブラームスですが、このセットの大半を占める7枚の歌曲、8枚の合唱曲がことのほか新鮮でした。

歌手はジェシーノーマン、フィッシャーディスカウなどの大家にダニエル・バレンボイムが絶妙のピアノ伴奏をつけています。エディット・マチス、ビルギット・ファスベンダー、ペーター・シュライヤーのアンサンブルにカール・エンゲルが伴奏した二重唱、三重唱もまたとない盛夏の聴きものといえるでしょう。

ルドルフ・ケンプを中心としたピアノ曲、アマデウスカルテットを主力とした弦楽四重、五重奏曲、カラヤン&ベルリンフィルによる4つの交響曲もいかにもブラームスらしい重厚な演奏ですが、とりわけ若き日のアバドによる2つのセレナード、ポリーニの独奏による2つの協奏曲は本集の白眉といってよいでしょう。
ともかくブラームスを一枚三〇〇円程度で骨の髄まで享楽できる充実した全集でした。

次はこれも若き日のレオナード・バーンスタインが七〇年代にニューヨーク・フィルを振ったハイドンのロンドン$パリ交響曲集にいくつかのミサ曲とオラトリオ「天地創造」を加えた12枚組の超廉価盤。後年の重厚長大で悲愴な大演奏とは一味も二味も違う、いわば軽妙洒脱で都会的なハイドンがわずか1枚200円強で楽しめます。
ハイドンの「天地創造」はきのうカイルベルト&ケルン放響の1957年の演奏を聞きましたが、これがあの名人カイルベルトかと思う期待はずれの凡演で、ヤング・バーンスタインに軍配が上がってしまいました。

ちなみにこのカイルベルトの演奏は、現在Membranというドイツのレーベルから出されている1枚130円の廉価版のハイドンセットに入っています。ちなみついでに、私がこの10枚組シリーズで購入したのは、ハイドンのほかに「ヘンデル」「パブロ・カザルス」「エリザベス・シュワルツコップ」「ブルックナー交響曲集」の各セットで、これがどれもこれも名演奏ばかり。シュワルツコップのモーツアルトを聴いているとかたじけなさのあまりに文字通り泣けてきます。

カザルスの無伴奏チエロの2枚組は、もうおなじものを何セットも買って(買わされて)いますが、なぜだかこの安物の録音が私の耳にはいちばんしっくり届きました。カザルスってほんとうにすごいへたうま音楽家だったんですね。
またMembranの「ヘンデル」集には同じバーンスタイン&ニューヨーク・フィルによる1956年録音のメサイアが入っていて、これはハイドンをしのぐ情熱的な名演でした。いわゆるひとつの掘り出し物というやつでしょうね。

To be continued

昭和20年5月23日鎌倉十二所山林に初めて焼夷弾落つと吉野秀雄書く 茫洋

Wednesday, August 05, 2009

クロード・レヴィ=ストロース著「パロール・ドネ」を読んで

照る日曇る日第280回

「パロール・ドネ」などという正体不明のタイトルですが、なんせあの人類学の最長不倒距離翁クロード・レヴィ=ストロースさんの名著を中沢新一選手が翻訳された「渾身の本邦初訳」とあらば手に取らずにはおられません。

どこが渾身なのかは最後まで不明でしたが、ストロースさんの入魂の1冊であることだけはよくわかりました。つまり本書は現在101歳になんなんとする老学者が、40代の前半から70代の半ばまでの32年間にわたってフランスの高等研究院とコレージュ・ド・フランスで行った壮大にして野心的な超長期連続講義のレジュメ、講義録の簡略なの
です。
つまりパロール(語る)したもんをドネ(与える)したもんね、という題名だったわけですが、それなら「おいらの講義録」でよかったのではないでしょうか。

それはともかく「今日のトーテミズムと野生の思考」とか「生のものと火にかけたもの」「アメリカにおける聖杯」とか「カニバリズムと儀礼的異性装」とか、講義タイトルを眺めただけでいかにもな全世界をまたにかけた人類学の壮大にしてものすごくアカデミックな緻密な研究と考証のうんちくの限りが、延々と、かつまた淡々とつづられてゆきます。

たとえば、と101歳翁は語ります。
「アメリカ5大湖周辺に住む、ニューヨークのこていなホテルの名称にもなったアルゴンキン族ちゅうのんはな、ワグナーはんがかの「パルシファル」で描いた「聖杯伝説」によく似た興味深い神話を保持しておってのお、あるときトウモロコシを馬鹿にするアホな若者のせいで、部族の土地が大飢饉に襲われたんじゃ。ほんでな、とうとうある日、ひとりの英雄が荒地の果てまで冒険の旅に出よったんじゃ。そいでもって彼は老人の姿をしたトウモロコシの精霊―無尽蔵の富を生む大鍋の主―に出会うんじゃ。ところがのお、この老人の姿をした精霊はなんと背骨を骨折しておったんじゃ。しゃあけんどわれらが英雄は、アルゴンキン族の不幸の原因をつきとめ、自分たちの精霊の王を癒すことに成功したちゅうわけよ。めでたし、めでたし」
―「アメリカにおける聖杯1973年~1974年度」より引用し吉本興業風に脚色。

これらあまたの事例から、翁がいかにして魔術的な結論をあざやかに引き出すかは、それこそ読んでからのお楽しみです。


青蛇や青縞光らせ草に消ゆ 茫洋

Tuesday, August 04, 2009

暑中お見舞い申し上げます

♪音楽千夜一夜第72回

拝啓H様

関東地方ではずいぶん早くから梅雨明けとなり、小生も家族ともども何回か海水浴を楽しんで参りましたが、その後は晴れたり降ったり霧がかかったりでどうもすっきりしないお天気です。そちらの夏はいかがでしょうか。きっと例年に比べて涼しいのでしょうね。

今年はいちだんときびしい景気後退の影響を受けて、学生諸君の就職活動は困難を極め、景気の上下動は仕方がないにしても、同じ4年生でも1年違えば天国と地獄というこの就職格差は、むごたらしい限りです。去年なら簡単に受かっていた会社からも今年は内定が出ないという過酷な状況は年を越えても続くでしょう。

また一番学業に身を入れるべき3年生の時点で、本格的な就職活動を開始する、あるいは開始せざるをえない状況は、学生にとっても、学校、企業にとっても大きな弊害をもたらしており、一刻も放置できない由々しき問題です。今度の選挙で民社党が政権を取ったらまっさきに解決すべき教育と社会の優先課題ではないでしょうか。

暑苦しい前置きはこれくらいにして、私たちのゆいいつのお楽しみであるクラシックCDの話をいたしましょう。2009年の上期で私の耳をもっとも喜ばせてくれたのはEMIから発売されたマリア・カラスの全スタジオ・レコーディング集70枚@150円の大セットでした。彼女の海賊版を含めたライヴ録音の大半を入手していた私は、「カラスの本領はやはりライヴだ、スタジオ録音なんて死んだ缶詰音楽だ」とバカにしていたのですが、1949年の初録音以降1969年の最後のテイクに至るまでそれこそ1枚1枚舐めるように聴いていくなかで、スタジオでも死力を尽くして音楽に精魂を傾けるデイーヴァの姿に熱い感銘を受けたのでした。そのなかでもやはり恩師トリオ・セラフィンの棒に厳しく導かれた歌唱がいま耳の奥底に懐かしく響いております。

同じオペラでは、廉価版の王者ソニー&BGMが出してくれたプッチーニの全作品を収めた@350円の20枚組セットが素晴らしかった。トゥーランドットやトスカ、ボエーム、蝶々夫人などの有名オペラはもちろんですが、「妖精ヴィッリ」「エドガール」などの初期の作品、「つばめ」や「外套」「修道女アンジェリカ」「ジャンニ・スキッキ」の3部作も見事な旋律美を堪能できます。全体を通じてロリン・マゼールの熱い指揮ぶりが印象に残っています。彼はバレンボイムと並んでやたらレパートリーが広い何でもやさんですが、プッチーニの初期作品とドビッシーの「ペリアスとメリザンド」を振らせたら今でも彼にかなう指揮者はいないと断言できます。

次はグラモフォンがライバルに負けじと出したヴェルディの8つの有名オペラ作品、リゴレット、トラビアータ、トロバトーレ、仮面舞踏会、ドン・カルロ、マクベス、シモン・ボッカネグラ、アイーダに加えてレクイエムもおまけに加えた21枚組の廉価版。1枚500円を切る安価というだけではなくて、そのすべてを私が世界最高と確信するスカラ座の合唱とオーケストラがお付き合いしているという豪華版です。

異論もあるかと思いますが、これまで私が聴いてきた世界の有名オケの中で、もっとも耳朶を震撼させられた楽団こそ「ラ・スカラ」なので、このベスト盤を逸するわけがありません。指揮はアバド、ガバツエーニ、クーベリック、サンチーニ、ヴォトーですが、やはりここでも老練セラフィンのタクトと若くして死んだエットーレ・バスティアーニの透明な美声を堪能できるのがうれぴい限りです。

To be continued

 
政権の交代求め民意動く世が変わるとはかくのごときものか 茫洋
理非にあらず曲直も問わず遮二無二人は旧きを倒す

Monday, August 03, 2009

「谷川雁セレクション2・原点の幻視者」を読みながら

照る日曇る日第279回

平成天皇が百済の武寧王なら、己の出自を高麗人と宣言してはばからない南の孤高の詩人谷川雁が、これまた北の孤高の思想家宮沢賢治に透視していたもの、それは「倭」の鎮西弓張月の巨大な孤の「極北」でした。

倭を形成していた列島の縄文人の子孫たちは、朝鮮半島からやってきた鉄器を携えた弥生人によって圧伏され、半島からの新興渡来人たちは、彼らが武力で追いやった西南の琉球民族と東北のアイヌ民族と激しく抗争しながら、7世紀中葉にようやく天皇制を装備したヤマト国家を誕生させます。歴史の舞台に初めて登場した日本です。

以来14世紀の歳月を閲して、わが神国ニッポンチャチャチャは、なかなかにまつろわぬ2つの民族を飴と鞭の両面作戦で完膚なきまでに制覇したかに見えましたが、地下茎の陰微な反乱は絶えることなく継続され、南では沖縄独立運動が、北では賢治ゆかりの東北精神独立運動がつづけられているのです。

呪力を持つ縄文人であり、かつまたランボーのごとき近代の「見者」でもあった宮沢賢治は、その短い生涯にわたってその全著作を挙げて、伽藍のような巨大なドームを建設し、イーハトーブという名の聖地を立ち上げようとしました。

礼拝堂の天井には「銀河鉄道の夜」が輝き、床面は「ポラーノの広場」、壁面には「風の又三郎」「グスコーブドリの伝記」が置かれ、柱には「花鳥童話集」、その他「古いみちのくの断片」をちりばめた数々の小編が回廊までつづくその巨大なフラードームは、ガウディがバルセロナに建てた未完の聖家族贖罪教会大聖堂に少し似ています。

賢治もまたこれらの作品の完成を期さず、まるでグレン・グールドの「ゴルドベルク変奏曲」の演奏のように、あるいはまたメビウスの輪のように巡りめぐる精神の永劫回帰運動をそのコンセプトと定めたからです。

賢治は、この己が夢見た円天井の広大な空間に、芸術と科学を愛する少年少女を招きいれようとしました。そしてこの賢治の発想こそが、来るべき「単一世界権力」に対して無謀にもゲリラ的に対抗しようとする谷川雁の最終戦争、すなわち賢治童話を素材として使った「人体交響劇」の全面展開へとつながっていったのです。「粛々たる虚無の声が渡る」なかを……。


♪いとやすく大いなる便をひりだして偉大な事業なし終えたるがごとし 茫洋

Sunday, August 02, 2009

続「谷川雁セレクションⅠ」をめぐって

照る日曇る日第278回

「私のなかにあった『瞬間の王』は死んだ」と告知して、詩人谷川雁が永久に試作を放棄し、アルチュール・ランボオのように工作者として荒々しい現実に突入したのは1960年の1月6日のことでした。
しかし遅れてやってきた後世の若き詩人たちのためには、彼が詩と詩作について遺した「わたしの物置小屋」という珠玉のようなアフォリズムがあります。

以下本書55pから65pまでを随意に引用します。

詩作はちいさな革命、ほとんど失敗に終わる革命、夕刊の片すみで息絶える南米の革命である。

「私」と呼ばれるあいまいでちいさな星雲よりも言葉の方がほんのすこし安定しているという認識が文学の前提である。

人間が言葉をみいだすのではない。言葉が人間を計量するのだ。詩作の根本条件は選択の自由ではなくて必然性の認識である。

詩においては発端と結末が同時に存在する。つまり老人と幼児だけがおり、ほかの者はいてはならない芸術だ。

ひとつの単語は相反するすべての諧調を微量づつ含んでいる。このペンキ屋の常識すらもたない作品が横行している。

質量が小さくなればなるほど密度を増すいくつかの物質を想定せよ。作品はこの函数の和として与えられる。

ある種の級数のように、去年の決算が今年の決算の出発であるように、現在の一編は過去の百編をふくむ。

無限から一点をめざし収斂する言葉の螺旋運動――詩。小説は一点から放散して無限へ広がる。小説は特殊を、詩は無限すなわち普遍を説きあかす。

短歌は時として小説に似た放散運動を起こす。これはメロディの癖だ。短歌的抒情よりもこの方が問題だ。

短歌とは何か。私なら二行詩もしくは三行詩と答える。俳句は一行詩である。一行の長さは二十字以内とする。

一編の俳句は三ないし四個の名詞をふくむとき最も安定する。いけばなの先生がやたらに応用する椅子の原理。

漢字とひらがなの同盟が始まったとき、すなわち平安末期だか、鎌倉初期だかに、現代日本語の美感の大部分は定まったのである。

日本の詩に長所があるとすれば、それは形式の不純さである。油彩の日本画と水墨の西洋画、それらの戦慄すべき調和である。

各行の第一字目を漢字で書くか、ひらがなで書くかは視覚の均衡に重要な役割を果たす。実験したまえ。

一行のうちに少なくとも一個の運動する影像をふくむならば、印象の希薄さを避けることができよう。

音楽の強さを決定する振り子は行の長さである。一息に読みおろすことのできる行数が一行でなければならない。

作品を書くタイミングを誤らないようにせよと言いたい。同じ人生が三篇の名作をうむことも三百の駄作をうむことも可能である。

詩は習練によって上達する芸術ではない。うまい詩というものはありえない。詩をまなぶのは他のことを知るためである。

すぐれた詩は人間に対する信頼、世界に対する信頼がそのまま言葉に対する信頼に一致している、それだけのことだ。                  (引用終わり)


碩学吉本隆明氏の名著「詩学叙説」を一言にして乱暴に尽くせば、「単純で初歩的な直喩ではなく、複雑で高踏的な隠喩を多用したものが、立派な詩である」ということになるかと愚考するのですが、これは知識偏重評論家にありがちな詩の進化論ではあっても、詩の本質的な価値とはなんの関係もない物差しでしょう。
このように詩を形式主体で論じると万葉集より新古今が高級だという身も蓋もない結論に至るのです。

世に無内容な詩論は掃いて捨てるほど叩き売られていますが、ここに生々しく素描された詩の本質と詩作実践技術論こそ彗星のように現れて消えた詩の天才的工作者にふさわしいものだと思います。

♪百合の薫りあまりにも強すぎる 茫洋

「谷川雁セレクションⅠ」をめぐって

「谷川雁セレクションⅠ」をめぐって

Saturday, August 01, 2009

「大庭みな子全集」第1巻を読んで

照る日曇る日第276回&遥かな昔、遠い所で第87回

「三匹の蟹」と聞いて思い出すのは、遠い昔のある情景です。

私たち三人の孫を率いた祖父は須知山だかどこかの街道筋の山峡のバス停でいつ来るとも知れぬバスを待っていました。待っても待ってもバスは来ません。車も来なければひとっこ一人通りかかりません。
退屈し切った私たちはバス停の傍を徘徊していましたが、道端の溝に小さな水たまりがあり、その水底に何匹かの沢ガニが静止しているのに気付きました。

私は幼い弟と妹を呼んでその愛すべき生物の発見を喜びましたが、いざ捕獲しようとすると彼らが左右の武装した手で幼児の攻撃を威嚇し、防御する猛々しさにひるんでしましい、溜息をつきながら彼らが勝ち誇って発する大粒の泡を見つめるほかはありませんでした。

するといつの間にか孫たちの傍に来てその光景を眺めていた明治生まれの祖父が、いきなり持っていたステッキを水中にグイと差し入れ、しばらく左右に動かすと薄い赤と白に染め抜かれた子供の目にはかなり大きな一匹の沢ガニが杖に噛みついたまま地上に引き上げられてきたではありませんか。

私たちはワッと歓声を上げてその獲物を取り囲み、バスがやってくるまでの相当長い時間を十分に堪能することができ、それ以来私たちにとって祖父の杖は「おじいちゃんの魔法の杖」となったのでした。

しかし、この作家の文名を一躍高からしめた「三匹の蟹」に登場するのは、丹波の山奥の淡水に潜む沢ガニではなく、アメリカ産の海のカニであり、「三匹の蟹」とは六〇年代の米国に滞在している鬱屈した日本人の学者妻カニと夫カニと妻を誘う米国人男性カニの3点セットであり、最後に米国人男性カニが日本人女性カニを連れ込もうとしているバラック連れ込みモーテルの名前なのです。

夫にも嫌気がさし、異国暮らしの己の生活にも不満を覚え、訳がわからぬ外国人連中とのパーティの不毛さにも飽き果てた主婦……。触れれば落ちなんその風情は、アントニオーニの映画のヒロイン、モニカ・ヴィッテのアンニュイな世界を彷彿とさせます。

しかし、生と性のはざまで微妙に揺れ動く空虚な心と体に忍び込む「桃色のシャツの男」とは、そも何の象徴でしょうか? また、苦しげにふつふつと泡を吹く3匹のカニたちは、それからどのような運命をたどったのでしょうか? 

それを知るためには、この「三匹の蟹」の第1部「構図のない絵」と第2部「虹と浮橋」、それからその続編として書かれた「蚤の市」を併せて読む必要があります。
「三匹の蟹」という本の第3部を成し、なぜか芥川賞をかち得た「三匹の蟹」という、今読めばなんということもない古色蒼然とした短編は、著者が述べているとおり「ほんの手すさびの習作」にすぎないのです。


♪みなそこのわがしんちゅうにたぎるものおんとえんぬぱんちーる 茫洋

Friday, July 31, 2009

西暦2009年文月茫洋歌日記

♪ある晴れた日に 第62回

水無月尽今年最初の蝉がなく

水無月今年最初の仕事来る

天青は七つ咲きたりはないちもんめ

天青や天まで届けと伸びるなり

天青咲いてわたしの夏が来る

ぎすちょんが轢き殺されている道路かな

ショスタコ愛しけやチュウチュウ蛸かいな

ある人いわく「眼をまなこといふ」と

くしゃみくらい好きにやらせてくれ

墓場の中まで五輪塔持ちゆく男あり

若潮の海を沖まで泳ぎけり

若潮の塩のにがりの強きこと

好きだおと言い交わしつつ蝉が鳴く

香取草之助てふ表札ありさぞや風流な人ならむ

妻が見しオオルリ求めて彷徨えどわれが聴きしはテッペンカケタカ

欄干の小さきデザイン火と燃えて人も世界も揺り動かしつあり 

哀れ哀れ余の身代りに兇暴蜂に二度までも刺されし妻よ

道の上二匹のギースチョンが轢き殺されている

墜ちながら手をアルプスに触れざりしヴァイオリニストは哀れなるかな

赤い服着ていた女の子異人さんを連れて行っちゃった

雑草という名の草はなく虫という名の虫もない

こうてくれえこうてくれえとさけぶのでこうてやるかな

こんな日は由比ガ浜で海水浴しようといいて学生に笑わる

「では来週」「来週はお休みですよ」といわれ先生赤恥かく

月曜のロッカーに挿したるわが鍵を木曜の朝に取りにいきたり

なにかあれば大好きですと言い交わし男同士で抱き合う父子なり

今日もまた能天気にてルポをするNY特派員を訳なく憎む

環境に優しい車を買うよりも車作りを止めればよろしい

恥多き人生なら生まれてこなかったほうがいいとでもいうのか

まるでゼウスのように天気予報してやがる

ショスタコこけつまろびつ愛しけやしもいちど聴きたしチュウチュウ蛸かいな

カラムシの葉をくるりと巻きてアカタテハの幼虫は夢結びおる

アカタテハとヒメアカタテハの弁別できず昆虫少年年老いたり

弱き者相識るや自閉症の息子に優しかりし拒食症の二人の娘

大好きだよと毎日父子で言い合う父子珍しいか

ああわが青春の麗しのドモンジョいまごろどこでどうしておるか

尻の穴に指つ込めば気持ちいいぞといいし井口君アルジェリアで何しているか

ほらほら千年前の巨魁が今日も土御門邸で梅の漢詩を作っているよ道長日記

精魂をこめて描きし傑作を二足三文で手放す悲しさ

雨の中女が歩きながら本を読んでいる

太田胃散いい薬かもしれないが悪い音楽です

恥多き人生なら生まれてこなかったほうがいいとでもいうのか

この次はもう生きてはあらぬと思いつつテレビで眺むる皆既日食

何故に内定取れぬと我に問ふ真直ぐなる眼を受け止めかねつ 

本日もまた遊泳注意なりわが生への警告と聞きて沖に乗り出す

受けて落ち受けても落ちる学生にぐあんばれとしか言えぬ悔しさ 

Wednesday, July 29, 2009

フエンテス著「老いぼれグリンゴ」を読んで

照る日曇る日第275回

1842年アメリカのオハイオ州に生まれたアンブローズ・ビアスは「悪魔の辞典」、そして私の大好きな短編小説「空を飛ぶ騎手」の作者として有名ですが、南北戦争に従軍し、ジャーナリストとして活躍した後、2人の息子と妻にも先立たれ、70歳の時、傷心のままメキシコに赴き、そのまま行方不明となりました。

この小説は、この伝説の作家ビアスをモデルに、暴力と革命の地南米メキシコを舞台にした恋と血と詩と死の物語です。「死と呼ばれるものは最後の苦痛にすぎない」とビアスは語ったそうですが、すべてに幻滅したビアスを思わせる老作家は、精悍なトマス・アローヨ将軍率いるメキシコの反乱軍に身を投じ、そこで文字通り死を恐れない英雄的な戦闘を繰り広げます。

そこに登場するのがニューヨークからやってきた若くて美しい女教師ハリエット・ウインズロー。ここにお決まりの恋の鞘当て、愛の三角関係が始まる、とみせかけて実は老作家グリンゴとハリエットは実の親子なのです。

そうとは知らぬハリエットは恋敵のグリンゴを殺そうとするアローヨ将軍の人身御供となって、そのスレンダーで美しいプロポーションが眩い全裸を、野蛮人の前に惜しげもなく晒すのです。
飛んで火に入る夏の虫、蓼喰う虫も好き好き。落花狼藉を地でいく凌辱は深々と沈みゆくベッドの上で2度にわたって繰り広げられ、第1ラウンドにおいては獰猛な男が、リターンマッチにおいてはみずから2度目を求めた乙女が、当然のことながら勝利するのです。

あらすじを書いているうちに阿呆らしくなってきたのでこれくらいにしますが、いったい著者はアンブローズ・ビアスという素材を借りてきて、何を言いたいのかが、読めば読むほどわからなくなってくる世紀の迷作といえましょう。


♪この次はもう生きてはあらぬと思いつつテレビで眺むる皆既日食 茫洋

Monday, July 27, 2009

チャトウィン著「パタゴニア」を読んで

照る日曇る日第274回

パタゴニアといえば社員がいつでも海でサーフィンして構わないふとっぱらのスポーツウエアの会社ですが、これは南米のさらに南の文明の果てパタゴニア地方を旅行しながら当地ゆかりの人物とその事績を延々と追及したルポルタージュ小説です。

歩きながら思考するというこの手法は、我が国では古くは松尾芭蕉、最近では司馬遼太郎氏も試みていますが、若き行動派英国人の海の深さと山の高さをものともしない行動力には初めから勝負になりません。

古今東西の文献を博引傍証しながら、怪獣プレシオサウルス、「ビーグル号航海記」のダーウィン、コールリッジの「老水夫行」に影響を与えた難破記録、アントニー・ソートというアナーキスト、ヤガン語の辞書を作ったトーマス・ブリッジなどなど現代史の表舞台から杳として消えた足跡を荒涼の地の草の根を分けに分けて現地探索する著者の情熱の秘密はどこにあるのでしょうか?

1989年に48歳の若さでエイズで死んだ著者に直接尋ねる機会は永遠に失われたわけですが、その代わりに、たとえばジョージ・ロイ・ヒル監督の手で映画化され、「明日に向かって撃て」の主人公、プッチ・キャシディ(映画ではポール・ニューマン)、サンダンス・キッド(同ロバート・レッドフォード)、エタ・プレイス(同キャサリン・ロス)となった3人のパタゴニアでの行状をつぶさに追った著者が、プッチ・キャシディの妹に会い、警官隊の待ち伏せに遭って殺されたはずのプッチ・キャシディが、しぶとく生き延びて郷里ユタ州サークルヴィルで平穏な晩年を送ったという証言を、パタゴニアのリオピコにあるプッチ・キャシディの墓と並べて読者の前に「さあどうだ」とでも言うように差し出す時、「すべてを疑え」という彼の呟きが南の風とともに聴こえてくるような気がするのです。

そして私たちが本書に添えられたサンダンス・キッドとその情婦エタ・プレイスが優美に盛装して寄り添う夢のようにロマンチックな2ショット、映画の2人を凌駕する一世一代の美男美女の艶姿に出会う時、まさに「事実は映画より奇なり」の思いを新たにせずにはいられません。

何故に内定取れぬと我に問ふ真直ぐなる眼を受け止めかねつ 茫洋

Sunday, July 26, 2009

渚にて

バガテルop107&鎌倉ちょっと不思議な物語第201回


今日も3人揃って由井ガ浜の海に海水浴に出かけました。

午後2時過ぎに出発して2時半に海岸の傍の地下駐車場にさしかかると満車の表示が出ていたので、これはやばいと思ったのですが、しばらくすると空の文字が浮かび出て、うまく駐車できました。もっともこれらは全部お母さんの作業ですが。

海は大波、中波、小波が変わりばんこにザブンザブンと浜に打ち寄せ、中央監視所の上空には、青ではなくて黄色い旗がムクの尻尾のように強風にぶるぶる震えています。

昨日と同じように遊泳注意ということなので、僕は恐る恐る海に向かって前進し、星条旗の巨大な浮輪を抱えて波に乗りました。
ジャブーーン、ジャブッジャブジャブ、ジャブーーン、ジャブッジャブジャブ、せっかく塩辛いお風呂に浸かったと思ったら、あっという間に砂浜まで押し返されてしまいます。

僕は焦ってお父さんを呼ぼうとしましたが、隣で泳いでいたはずのお父さんはあらぬ方角に目を泳がせています。僕がその視線をたどると、お父さんは、渚で体をくねくね回転させたり、両手を青空に大きく広げてポーズをとったり、かと思うと砂に寝そべって顎を両手で支えてほほえんでいる、僕がいままで見たこともないようなすらりとした金髪の美人を口をポカンとあけてうっとりと眺めていました。

その女性は明らかに日本人ではありません。きっとお父さんの大好きなフランス人のモデルさんでしょう。そのきれいなモデルさんを渚の方からデジカメで写真を撮っているヤクザのようなおじさんがいます。
年齢はお父さんと同じかもう少し若いくらいですが、まるで動物園のマントヒヒのような獰猛な顔をして、プロレスラーのように頑丈な体つきの持ち主です。マントヒヒは白い小さなビキニを身につけたモデルさんのちょうはつてきなポーズを次々にカメラに収め、それらを撮影するたびに2人で体を寄せ合って眺めてはうれしそうに笑っています。

僕はこの2人は国際結婚をしたカップルではないかと考えましたが、それにして年が離れすぎています。きっと鎌倉に遊びにきたモデルさんが長谷の大仏あたりでマントヒヒと仲良くなって、一緒に由比ガ浜くんだりまでやってきたのではないでしょうか。

何気なくお父さんの顔を見ると、怒っているような、泣いているような、僕がいままで見たこともないようなへんてこりんな顔をしています。浮輪でプカプカ浮かんでいる僕を見ると、「今日の海水浴はどうもつまらないな」と塩水をペッと吐き出しながら言うので、僕が、「そんなことないよ。いつもと同じように楽しいよ」と言うと、「ヘン」と言ってそっぽを向いてしまいました。

どうも仕方がないお父さんです。中央監視所の上空を飛んでいる鳶が、相変わらずピーヒョロ、ピーヒョロと鳴いています。


♪本日もまた遊泳注意なりわが生への警告と聞きて沖に乗り出す 茫洋

Friday, July 24, 2009

♪ある晴れた日に 第61回

♪ある晴れた日に 第61回


ある人いわく「眼をまなこといふ」と

道の上二匹のギースチョンが轢き殺されている

雑草という名の草はなく虫という名の虫もない

こうてくれえこうてくれえとさけぶのでこうてやるかな

カラムシの葉をくるりと巻きてアカタテハの幼虫は夢結びおる

アカタテハとヒメアカタテハの弁別できず昆虫少年年老いたり

弱き者相識るや自閉症の息子に優しかりし拒食症の二人の娘

哀れ哀れ余の身代りに兇暴蜂に二度までも刺されし妻よ


♪好きだおと言い交わしつつ蝉が鳴く 茫洋

Wednesday, July 22, 2009

若杉弘氏を悼む

♪音楽千夜一夜第71回&遥かな昔、遠い所で第86回

昨日の夕方、指揮者の若杉弘さんが74歳で臓器不全で亡くなられたと聞いて、驚きかつまた悲しんでいるところです。

 私がこの人の音楽をはじめて聴いたのは、東京日比谷の日生劇場で行われた二期会の公演でした。それは獣たちが人間と同じように口をきいていたずいぶん昔の時代のことで、おそらくこれが私の生涯初のオペラ体験だったと思います。

曲はヤナーチェックの「利口な女狐の物語」でしたが、私は題名役に扮したソプラノの伊藤京子さんの抒情的で美しい歌声に強く惹かれると同時に、この作曲家が描いている「山川草木悉有仏性」「山川草木悉皆成仏」の世界のいいしれぬ奥深さ、見事な美術と照明、そしてオーケストラ(おそらくは東フィル)をじょじょに加熱・加速し、最後の愁嘆場で舞台と会場全体を青白く輝く燐光でおおいつくしたこの芥川龍之介を思わせる白哲の指揮者の手腕にいたく驚嘆したことでした。

茫茫遥か四半世紀、彼が読響、都響、ラインドイツオペラ、ドレスデン国立歌劇場などの桧舞台で活躍した細身で長身の雄姿をしのびつつ、心から哀悼の意を表したいと思います。

仕込み杖のごとく長き指揮棒、広き額を振りまわしぬオペラの達人若杉弘 茫洋

Sunday, July 19, 2009

吉村昭著「生麦事件」を読んで

照る日曇る日第273回

文久2年1862年8月、生麦でイギリス人3名を切って捨てた島津久光の薩摩藩でしたが、その一年後にはどのように鮮やかな変身を遂げたか。これが本書のテーマといえるでしょう。

翌年7月の薩英戦争に敗北した薩摩藩は、その敗戦の原因が前近代的な軍備にあることをさとり、それまでのかたくなな攘夷の旗印を取り下げ、いっきに親英派に転向していくのですが、その奇妙な道行を、この作者ならではの周到な追跡取材によって綿密に跡付けていきます。

それにしても、一敗地に塗れた当の敵国に対して、軍艦の買い入れを和平の条件に挙げるとは、なんと人を食った交渉人でしょう。歴史上名高い大久保、西郷、小松などの才人のほかにも、この西南の雄藩には重野厚之丞という豪胆な外交官がいたのです。

脳裏の主観だけに依拠した尊王攘夷のイデオロギーを一夜にして打ち砕いたものは、最新鋭の戦艦とアームストロング砲の威力でした。

最後まで観念にとらわれて幕末の政治決戦にさしたる貢献ができなかった水戸藩とは対照的に、いち早く冷徹な現実の厳しさにめざめ、機敏な自己回転を完遂して政治権力のヘゲモニーを確立した薩摩藩でしたが、その15年後にはふたたび守旧的な武士道イデオロギーの泥沼に足を取られて、あにはからんやそれまでかれらが総力を挙げて戦ってきた徳川幕府の古典的理念に殉じることになるのですが、これを歴史の皮肉といわずになんと呼べばいいのでしょう。

♪香取草之助てふ表札ありさぞや風流な人ならむ 茫洋

Saturday, July 18, 2009

今年初めての海水浴

バガテルop106&鎌倉ちょっと不思議な物語第200回

ほんとうは金曜日に行きたかったんだけど、あいにくの天気だったのでそこはなんとか我慢して、今日も午前中は雨がぱらついていたけれど、午後になると少しは空も明るくなってきたので、お父さんとお母さんと僕の3人で由比ヶ浜の海に行きました。


海に向かって走っているカローラの中で、お父さんが「例の夏休みの歌を歌ってよ」とそそのかしましたが、その手は桑名の焼き蛤。僕はもう子供ではないのです。とてもじゃないけど、できませんよ。プン、プン。

いつも優しいお母さんは、走行距離がすでに地球の何巡りにも達したカローラを楽しそうに運転しながら、そんな2人のやりとりを笑いながら聞きていましたがいつものようになにもいいませんでした。

そうこうするうちに早くも由比ヶ浜です。
中央監視所の上には青い旗がへんぽんと翻っています。浜辺には去年と違ってやたら立派な海の家が立ち並んでいましたが、今日のお天気のせいもあってほとんどガラガラ状態です。

僕は浜辺につくやいなやズボンを脱いで浮輪の真ん中に太った体を突っ込むと、浜辺を全速力で走って海に飛び込みました。
あ、忘れていた。僕は金槌で全然泳げません。

が、この浮輪はものすごく大きいし、星条旗のデザインはものすごく派手でどこからも目につくし、もしも浮輪がパンクして溺れそうになったとしても、監視所のお兄さんが大きな双眼鏡で僕のことをしっかり監視していますから、すぐに駆けつけて救助してくれるに違いありません。お父さんはあてにならないけど……。

そのお父さんは、「今日は若潮という潮目で、これから小潮から大潮に向かうところだ」とお母さんに偉そうに解説していましたが、それがいったいどういうことなのか僕には全然わかりません。

いつもより少し冷たいけれど、浮輪につかまって緑青色の海に浮かんでいると、最近のきびしい世の中のことも、つらいお仕事のことも、お父さんやお母さんが死んでしまった後、僕がどうなるのかということも、嫌なことはすっかり忘れることができるのです。

気がつくと広い由比ヶ浜の海に浮かんでいるのは僕ひとりでした。ホンダワラヤヒジキやボラの親子がときどき僕のおなかの周りをすり抜けていきます。お父さんとお母さんははるか向こうの砂浜で二人揃ってクワクワとネンネグーしているようです。

僕はたった独りで相模湾という少し塩からいお風呂に入っているんだと思うと、なんだか心の底から愉快な気持ちになってきたので、僕が昔子供のころに作詞作曲した「夏休みの歌」を大海原に向かって歌いました。

♪あ、どこ行くの? あ、どこ行くの? こ、と、し、の、夏休み

若潮の海を沖まで泳ぎけり 茫洋
若潮を掻き分け沖まで泳ぎけり
若潮の塩のにがりの強きこと

Friday, July 17, 2009

吉村昭著「桜田門外の変」を読んで

照る日曇る日第272回

今となっては水戸藩徳川斉昭の尊王攘夷論に比べると、井伊大老の開国路線の方が時代に先駆けた近代性と開明性を備えた先賢の明であったように思われますが、しかし安政の大獄が猛威をふるったその時代にあっては、どちらが正しい選択肢であったのかを断じることはきわめてむずかしい。いや不可能に近かったのではないでしょうか。

ともかく朝廷の勅許を得ずに独断で米国との通商条約の締結に踏み切った井伊直弼に対して斉昭、慶篤父子を戴く水戸藩は怒り狂って反撃を開始し、とうとう朝廷から幕府討伐の勅命書を手に入れます。しかしそれ知った大老は斉昭に激しい憎悪を懐き、狂気の大獄を開始します。橋本佐内、吉田松陰、頼三樹三郎、安藤帯刀など14名が切腹、死罪、獄門の極刑に科せられ、遠島以下の刑に処せられた者は100名近くに上りました。

しかもその中には女性や幼児やまったく罪もない人々が数多く含まれていましたから、水戸藩の面々がこの残酷な仕打ちを黙って眺めていようはずもありません。藩の中央の圧力と対抗しながら、この小説の主人公関鉄之助をはじめとする水戸脱藩士17名、薩摩藩士1名の計18名の志士たちは大老暗殺のテロルを計画し、実行するのです。

しかし見事に桜田門外の変を成功させたものの、彼らの末路はあまりにも悲惨でした。討死1、自刃4、深手による死亡3、死罪7の計15名が次々に世を去るのですが、著者は彼ら一人ひとりの生きざまと死にざまに対して無限の共感を懐きつつ、それをひとことも漏らすことなく、さまざまな資料を駆使し、博引旁証の限りを見せつけながら、粛々と叙述していきます。

さらにその探索の手は少しも緩められることなく、生き残った3人の身の上に及びます。そして文久2年、3月3日の討ち入りのその日に鎌倉上行寺で割腹自刃した広木松之介をのぞく2名が、それぞれ明治14年10月、同36年5月まで無事に余命を全うしたことを述べて閣筆するとき、読者は政治闘争に身を捧げた人生の栄光と悲惨についてしみじみと思いを新たにするのです。


♪妻が見しオオルリ求めて彷徨えどわれが聴きしはテッペンカケタカ 茫洋

Thursday, July 16, 2009

三宅一生さんの原爆体験

ふぁちょん幻論第52回

世界的なファッションデザイナーの三宅一生さんが、先日NYタイムズにこれまで秘していた7歳の時の広島における原爆体験を明らかにしたうえで、米国のオバマ大統領に故郷広島を訪問するように呼びかけたそうです。

三宅さんは、1945年8月6日のヒロシマで母親とともに被爆し、放射線を浴びた母を3年後に亡くしたそうですが、「原爆を生き延びてきたデザイナー」というレッテルを張られるのが嫌でいつもヒロシマに関する質問は避けてきたそうですが、オバマ氏がプラハで核廃絶に触れたことが「自分の中に埋もれていた何かを呼び覚まし、体験者の一人として個人的、倫理的な責任をかつてないほど強く感じるようになった」そうです。

三宅さんは1938年広島県生まれ。63年多摩美大卆。パリとNYで学んだ後70年に三宅デザイン事務所設立。73年からパリコレに参加。98年にはパソコンの指令で特殊な編み機が一体成型の服をつくる仕組みであるA-POC=a piece of clothを藤原大さんと開発しました。
さらに06年10月にはNYのADC賞を受賞。07年4月には東京ミッドタウン内にデザイン&芸術、ものづくりの拠点めざす21_21デザインサイトを開設したこともよく知られています。
しかしなんといってもエポックメイキングだったのは、三宅さんの創作の原点である「一枚の布」の発想から生まれた生地の裁断・縫製がいらないA-POCでしょう。コンピュータであらかじめプログラミングされた編機や織機が、筒状の布をつくりだし、布地を裁断後に縫製するというインタラクティヴで新しい技法は、従来の服づくりの概念を根底からくつがえすもので、残り布などの無駄を少なくするばかりでなく、着る人がフォルムを選択でき、自分の着る服の最終デザインに参加することができるのです。大量生産とカスタム・メードという一見矛盾するように思われる二つの要素が、ハイテク技術とイマジネーションの結合によって見事に融合しているところに大きな特徴があると思います。
ところで三宅さんのこれらの輝かしい活動の原点となったのは、今回の報道と同じく広島における強烈なデザイン体験でした。広島市を象徴する平和大橋「つくる」と西平和大橋「ゆく」の2つの橋の欄干は、有名な建築家イサム・ノグチの設計にかかるものですが、三宅さんは高校時代の行き帰りに「鎮魂と再生」をテーマとするこの「心の橋」を渡りながら、みずからもなにかをつくる人になろうと決意したと語っています。

おそらく若き日の優れたデザインとの出合いこそが、その人の生涯そのものをデザインするのでしょう。

   ♪欄干の小さきデザイン火と燃えて人も世界も揺り動かしつあり 茫洋

Wednesday, July 15, 2009

「ウイーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団の芸術第2巻」を聴いて

♪音楽千夜一夜第70回

 タワーレコードと東京電化株式会社がコラボではなく、コラボラシオンして特別企画された上記のCDを8枚組2980円でゲットしました。1枚当たり300円超というお値段は、このご時勢ではなかなかグッドではないでしょうか。

 曲目はモーツアルトのハイドンセットを中心にハイドン、シューベルトの弦楽四重奏曲、さらにペーターシュミドールが加わったモーツアルトとブラームスのクラリネット5重奏曲までついてくるというワクワクのラインアップです。

ウイーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団というのは、ウイーンフィルのコンサートマスターであるライナー・キュッヒルが中心になって第2バイオリンにエクハルト・ザイフェルト、ヴィオラにハインツ・ゴル、チエロにフランツ・バルトロメイというウイーンフィルのメンバーで結成された構成された生粋のウイーンの団体で、どの曲を聴いてもさながら練絹のように柔和なハーモニーを奏でます。

シューベルトの「死と乙女」の冒頭をこれほど耳に優しく響かせた演奏はかつてありませんでした。同じウイーンでもアルベンベルクなどとは月とすっぽん、雲泥の差です。
私はシューベルトの作品の中で唯一嫌いなのがこの曲で、どこのカルテットで聴いても途中で放り出していたのですが、ウイーン・ムジークフェラインの演奏はおしまいまでBGMのように聴きおおせることができたのでした。

しかしどの曲でもこのようにはじめは処女の如く、終りも処女のごとき真綿で首を絞めるような演奏でよろしいのかといえば、たぶんよろしくないんでしょう。異論のあるかたも大勢いらっしゃるでしょうが、自分的には、もっと曲の神髄に食うか食われるか、生きるか死ぬかと切り込まないと音楽の本来としてたぶんだめなのでしょう。

同じウイーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団という名を戴いていても、その前身であるかつてのシュナイダーハン弦楽四重奏団やバリリ弦楽四重奏団との違いはそのくらいつきの甘さ、生ぬるさにあるのでしょう。
ああ、バリリ弦楽四重奏団の素晴らしさといったら! 彼らのモノラルのLPレコードを、このデジタル最新録音とどうか聴きくらべてみてください。

同じウイーンフィルのコンサートマスターをやっていたヴァルナー・ヒンクが率いるウイーン弦楽四重奏団も似たようなもので、この2つの団体がどうしてこの程度の演奏しかできないのかということは、ヒンクの間抜けな馬面やキュッヒルの計算高い銀行員のような顔を見ているとなんだかわかるような気がします。

思えば彼らの直属の上司であった偉大なるゲルハルト・ヘッツエルが、1992年7月29日に迂闊にもザルツブルグ近郊のザンクト・グルゲンで転落死して以来、日本国の自民党と同様、もはや回復不能なウイーンフィルのゆるやかな沈滞がはじまったのです。

ベームやバーンスタインとウイーンフィルの見事な演奏、黄金時代のウイーンフィルをその両手で支えていたのは、このユーゴスラビア生まれの第一コンサートマスターであったことは、こんにち彼の後継者たちの凡庸な演奏を聴けば聴くほど明らかになりつつあります。


墜ちながら手をアルプスに触れざりしヴァイオリニストは哀れなるかな 茫洋

Tuesday, July 14, 2009

文化学園服飾博物館で「赤い服」展をみる

ふぁっちょん幻論 第51回 

帝都唯一無二、本邦随一の衣服遺産の質量を誇る新宿南口甲州街道沿いの博物館が「赤い服」をテーマとした内外のコレクションを展示しています。

通常の展覧会の展示は、展示素材のそのもの=WHAT性(たとえばゴーギャン展、ルーブル展など)で集客をはかりますが、最近の傾向は、(たとえばだまし絵展、肖像画展など)素材の周辺=HOW性をテーマとするものが増えてきたようです。この「赤い服」展などはその最たるもので、この伝でいけば「白」や「黒」や「緑」などという切り口もでてくるのではないでしょうか。

会場にはわが国のみならず、アジア、アフリカ、南北アメリカ、ヨーロッパなど、時代もさまざまな世界各地の赤い民族衣装が所狭しと並んでいて壮観です。

私がはじめて外国と本邦の色の違いに気づいたのは、韓国の民族音楽「サムルノリ」の赤や黄や緑の差し物旗の目も覚めるような鮮やかさに接したときのことでしたが、本展に出品されている戦国時代の陣羽織や江戸時代の打掛、腰巻の華麗な赤にも心底驚かされました。
薄絹の赤い腰巻をじっと見つめていると、おのずとこの下着にくるまれたむっちりした下肢の乳色までもが想像され、その強烈なエロチシズムに圧倒される思いでした。当時のデザイナーはとうぜんそうした心理的機制を想定したうえでこの真っ赤な赤を紅花で染色したのでしょう。

それに比べるとアフリカやトリクメニスタンなどの中央アジアやベトナム、台湾などで使われている赤は、ここに並んでいるコレクションを見る限りは、彩度・明度・色相とも日本製よりもかなり低く、意外の感を与えます。国産のほとんどは中国やアジアからの輸入品で赤く染められていますから、このような彼我の偏りはどこからもたらされたのでしょうか?

しかし太陽や生命力の象徴である、これら大量の赤い衣服や服飾品を眺めているうちに、私は疲れきった心身に次第に生きる気力がよみがえってくるような気がしました。
ともかく理屈抜きに元気になれる展覧会であります。


♪赤い服着ていた女の子異人さんを連れて行っちゃった 茫洋

Monday, July 13, 2009

♪ある晴れた日に 第60回記念小特集

天青は七つ咲きたりはないちもんめ

天青や天まで届けと伸びるなり

まるでゼウスのように天気予報してやがる

くしゃみくらい好きにやらせてくれ

月曜のロッカーに挿したるわが鍵を木曜の朝に取りにいきたり

なにかあれば大好きですと言い交わし男同士で抱き合う父子なりき

大好きだよと毎日父子で言い合う父子珍しいか

今日もまた能天気にてルポをするNY特派員を訳なく憎む

こんな日は由比ガ浜で海水浴しようといいて学生に笑わる

「では来週」「来週はお休みですよ」といわれ赤恥かく

どうしても就活に打ちこめないんですと訴える君と別れけり

環境に優しい車を買うよりも車作りを止めればよろしい

恥多き人生が厭なら生まれてこなかったほうがよかったのか

会うを逢う町を街と書くのは精神の退廃である

一生懸命ならどんな音楽でも許されるのかそこんとこよろしく

♪虫は嫌いとおっしゃるけれど美枝子さんそれはアカタテハの幼虫ですよ 茫洋

Sunday, July 12, 2009

「ブラームスの子守歌」とわたし

♪音楽千夜一夜第69回

私は花鳥風月にだけは恵まれた田舎で育ちましたが、音楽的な体験はほとんどありませんでした。家にあったヤマハの古いオルガンで賛美歌を自己流ででたらめに弾くくらいが関の山で、家でクラシックのレコードを聴いたことなど一度もありませんでした。

ところが私が小学5年生だったころ、大本教の本山のすぐそばにあった体育館に全生徒が集められ、校長先生が「今日はアメリカからやって来られた歌手の方がみんなに歌を聴かせてくださるから、静粛にして聴くように」という前触れがあり、うらわかい、おそらくは20代のソプラノの歌手が年長の女性ピアニストとともに登壇しました。

そこで彼女が歌ったシューベルトやモーツアルトやブラームスのリートが、思えば私の音楽体験のはじまりでした。「野ばら」の愛らしさや「魔王」の恐ろしさ、「菩提樹」の旅情、とりわけコンサートの最後に歌われたブラームスの「子守唄」の、あの母胎に回帰していくような優しい旋律は、歌い終えた彼女の美しい面立ちとともにあれから幾星霜を閲した今日もありありと瞼の裏に残っています。

それからしばらくして、「サウンド・オブ・ミュージック」と同じ題材を扱った1956年製作のウォルフガング・リーベンアイナー監督のドイツ映画「菩提樹」の最後のシーンで、ナチスを逃れて無事にニューヨークでのコンサートを成功させたマリア(美貌のルート・ロイヴェリック)がこの素敵な曲を美しい声で歌っていました。(同じロイヴェリックが主演した「朝な夕なに」も、トランペットが活躍した主題歌とともに忘れがたい映画でした。)

これはおそらくルチア・ポップの吹き替えではないかと想像しているのですが、歌い終わったルート・ロイヴェリックが、まるで聖母のように微笑みながらドイツ語で「おやすみなさい」と観客(わたし)に囁いて、ザルツブルグからの逃避行が「めでたし、めでたし」で終わる無量の浄福感は、私の心に長く揺曳したものです。

それからまた長い年月が経って、この6月、私はドイツ・グラモフォンが特別限定版で発売した46枚組の全作品全集を8457円で購入し、またしても1曲1曲なめるように聴いていたある日のこと、久しぶりにこの曲に出会いました。

作品49「5つの歌曲」の4番目のこの曲を、女声ではなく、なんとバリトンのフィッシャー・ディスカウがしめやかな声で歌っています。
といううことで、どちらさまもここらでgut' Nacht



♪雨の中女が歩きながら本を読んでいる 茫洋

Saturday, July 11, 2009

手垢まみれの「ショスタコ5番」のイメージを鮮やかに塗り替えた鎌倉交響楽団

鎌倉ちょっと不思議な物語第199回&♪音楽千夜一夜第68回 

忙中閑あり。久しぶりに鎌倉交響楽団の第93回定期演奏会に駆けつけました。土曜のマチネーですから間違いなくゆったりした気分で楽しめるはずです。

前回はマーラーの5番の感動的な熱演で、私の心胆を文字通り震撼させたこのオーケストラだけにいやがうえにも期待が膨らみます。
今回の選曲は、最初がチャイコフスキーの「スラブ行進曲」、次がラフマニノフの「パガニーニの主催による変奏曲」、最後がショスタコーヴィッチの「交響曲第5番二短調」というロシア物で、しかも制作年代順に統一されています。なかなか味のあるプログラム・ビルディングといえましょう。

まず冒頭は、私が愛してやまない「鎌倉市歌」。その湘南の海と山と空を思わせる伸びやかな旋律と穏やかなハーモニーがいいしれぬ郷愁を誘います。

以前はこの名曲を演奏しても誰も拍手しなかったのですが、たった独り私が喝采するようになってから、多くの聴衆もこれに準ずるようになってきたようでまことに慶賀にタエマセン。じつはいま恥ずかしながらネットで検索してはじめて気づいたのですが、作詞の大木淳夫もすごいけれど、作曲はなんと、なんと寡作の天才矢代秋雄だったとは!
私の耳もまんざらではないと、ひそかにうぬぼれているところです。
http://www.kamakura-faq.jp/faq/attachment/698_2.pdf

それはさておき、正式の曲目に入って最初の「スラブ行進曲」は駄曲の凡演。「1815」と肩を並べる、あの大作曲家にしては出来の悪い、ただうるさいだけの下らない曲をブラスバンドのように力奏させるものですから、耳が痛くてかなわない。

中西というかつての三流市長が、中西という身内のクラシック好きの作詞家と(金銭的に)つるんでおっ建てたこの鎌倉芸術館は、私が座っている三階席で聴くと金管楽器の強奏がドンシャリになって耳を聾せんばかりに直撃するのです。

音響火事場地獄がやっと終わると、今度は難曲として定評のあるラフマニノフの「パガニーニ変奏曲」ですが、これも指揮者(山上純司)とピアニスト(土田定克)とオケが、三位一体どころかバラバラ状態。どこがどう悪いのか私にはわかりませんでしたが、例のNHKの「希望演奏会」のテーマ音楽に使われた、甘美で、浪漫的な変奏の箇所をのぞいて、残念ながらどうもしっくりきませんでした。

もっともこれは演奏家のせいではなくて、作曲家のせいかもしれません。ラフマニノフの原曲がこれほど支離滅裂で神経衰弱的なものであることを今回の演奏は赤裸々に暴きだしたともいえそうです。

やれやれ今日の籤は大外れだったかいな、と失望落胆していた私をいっきに別世界へ拉致したのは、あにはからんやショスタコーヴィッチでした。
ショスタの5番は、やれスターリンに膝を屈したあかしの曲だの、いやいや陰にこもった反社会主義魂の曲だとか、作曲者の苦労も知らずに外野席が喧しい、いわば「音楽に政治が4の字固めに絡んだいわくつきの問題作」ですが、今回の演奏はそうした不純物やいわく因縁をことごとくぬぐい去り、天才ショスタコーヴィッチの音楽の正真正銘の深さと凄さを徹底的に掘り下げて、「どうだ!」とばかりに私たち聴衆に差し出した素晴らしい音楽のご馳走でした。

第1楽章モデラートアレグロ・ノン・トロッポにおける管弦楽の憂愁と悲愴、第2楽章アレグレットにおける弦と管、管と管、管とオケとの協奏の粋と秘術を尽くしたあえかな美しさとはかなさ、第3楽章ラルゴの透明な自己喪失、そしてアレグロ・ノン・トロッポの最終楽章における、こうであるほかはない自己解体と全世界への哄笑!

私のこのような哀れな言葉では到底表現できない、とても知的で、繊細で、しかも情感豊かな音楽を、またしても鎌倉交響楽団は山上純司という若い指揮者とやってのけたのです!
そしてその演奏の新しさは、かつて私がカーネギーホールで聴いたゲオルグ・ショルティとシカゴ交響楽団のそれをあざやかに抜き去るものでした。


♪ショスタコこけつまろびつ愛しけやしもいちど聴きたしチュウチュウ蛸かいな 茫洋


書評サイト→http://www.bk1.jp/contents/shohyou/retuden181

Friday, July 10, 2009

都のオリンピック招致広告について

茫洋広告戯評第9回


先日学友諸君と東京建築観光ツアーで新宿都庁へ行きましたら、原っぱで寝そべっている小学生たちの楽しそうな電光ポスターが掲示してありました。

このビジュアルをバックに、左には「日本だからできる。あたらしいオリンピック!」、右側には「元気な子どもたちを育てる校庭の芝生化! 緑あふれるオリンピックの開催を通じて環境の大切さを世界に伝えよう!」という2本のキャッチフレーズが並んでいます。

同様のものは西口広場にもありますが、この広告は、環境を大なり小なり傷つけるに決まっているにもかかわらず、環境問題とオリンピックを結びつけ、「校庭の芝生化=緑あふれるオリンピック」と短絡化し、東京の環境への取り組みを見てもらうためにオリンピックをやるのだと強弁しているようです。

しかし校庭の芝生は、以前から児童の健康のために植えているのであって、別に2016年に競技を見に来る観光客のために植えているわけではありません。文教とスポーツというもともと無関係な2つの主題をむりやり結びつけたところに、この広告の政治的な意図が感じられます。

確か別の場所に「23区の小学校の校庭を芝生にします」というキャッチだけで構成されている広告もありましたので、これは私の想像ですが、「オリンピックを東京でやりましょう」のほうはあとから付け加えられたものではないかという気がします。

もしそうだとすれば、校庭の芝生を喜んでいる小学生の笑顔を、東京オリンピック歓迎の笑顔に勝手にすり替えてしまう。そんな前代未聞の過ちを、知事と東京都は犯していることになるでしょう。

フランスや中国や我が国の女性や老人を蔑視し、お道楽で始めた新銀行東京が大赤字を出して都民にとんでもない迷惑をかけている石原知事が、おのれの死土産として始めたのが2016年の夏季オリンピック招致運動です。

彼はこのまったく個人的な妄執に狂奔することによって新銀行破たんの政治責任の追及から逃れようと画策しているようですね。

ロンドンの後のオリンピックを東京で開催することについては、新銀行東京の赤字に追い打ちをかける財政負担となり、さらに都民の懐を痛めるだけでなく、新しい環境破壊の要因になるとして、心ある都民のみならず多くの国民が反対しています。

すでに東京は一度オリンピックをやっていますし、前回は同じアジアの北京で開催したばかりです。
ここはそれこそグローバルな視点に立って、まだ一度も世紀の祭典を体験したことのない南アメリカ代表のリオデジャネイロ(ブラジル)に譲るのが成熟した国民と政治家がとるべき大人の態度なのに、俺が俺がとまるで餓鬼大将のようにでしゃばり、あまつさえほんらいならば己が推薦するべき福岡などの国内の開催希望までたたきつぶしてしまうとは、まことに夜郎自大な振る舞いではないでしょうか。


♪墓場の中まで五輪塔持ちゆく男あり 茫洋

Thursday, July 09, 2009

五味文彦編「吾妻鏡」第6巻を読んで

照る日曇る日第271回

現代語訳吾妻鏡の第6巻は、建久4年1193年から正治2年1200年までを扱っています。

富士の巻狩における曽我兄弟の仇討、建久6年2月から6月末までに及ぶ頼朝の上京と盛大な奈良大仏供養を経て、頼朝の長男頼家の薄氷を踏むような危うい治世と梶原景時一族の殲滅までを悠揚迫らず叙述する本書は、しかしなぜか建久10年正月の頼朝の急死をふくめたおよそ3年間について完全な沈黙を守っています。

解説者は編集作業が間に合わず未完に終わったという説を採用していますが、私は北条時政一派による暗殺説を捨てきれません。思えば頼朝の近臣工藤祐経を殺害した曽我兄弟の名付け親は北条時政であり、兄弟の騒動を利用して頼朝の命を狙おうとしていたとすれば、建久9年12月の相模川の橋供養における頼朝の落馬事件による早すぎた横死も、じつはまったくの虚報で、実際は時政ファミリーによる将軍暗殺のカモフラージュであった可能性は高いと思われます。

ところで観光客がほとんどいない鎌倉の裏駅にある御成の商店街をぶらぶら歩いていますと、頼朝全盛時代の御家人の名前を大書したのぼりがたくさん立っています。
そして私のいちばん好きな畠山重忠、2番目に好きな和田義盛をはじめ、のぼりに登場する三浦義村、三浦義澄、千葉胤正、比企能員、葛西清成、大江広元、佐々木盛綱、梶原景時、小山朝政などの有力者たちの大半は、北条一門の悪辣非道な陰謀によって次々と圧殺されていきました。

まあ源家も北条家もどっちもどっちの政略家ではありますが、どっちかといえば北条家の人々の血はどす黒い。中世の東都鎌倉を血の海に沈め、暗殺の森に変えてしまいました。
尼将軍の政子もあれほど夫を愛していながら、実の息子を2名も屠ることにけっして反対ではありませんでした。結局は嫁ぎ先よりは親兄弟一族を取ったわけです。

しかし夫の跡を継いだ羽林頼家が好色の思いもだしがたく、安達景盛の妾の色香に狂って常軌を失い、景盛誅殺を命じたことを知った政子の驚愕と失望は察するに余りあります。
おそらく彼女は、この瞬間に源家の将来を見切ったのでしょう。


♪天青咲きてわたしの夏が来る 茫洋

Wednesday, July 08, 2009

神奈川県立近代美術館の「建築家坂倉準三展」を見ながら

勝手に建築観光36回&鎌倉ちょっと不思議な物語第198回

坂倉準三は大学卒業後、1929年に渡仏し、ル・コルビジュのアトリエで働き、彼の仕事をつぶさに見聞きしてそのノウハウを身につけた建築家です。

1937年にはパリの万博日本館の設計でグランプリを獲得、1939年に帰国してからはここ鎌倉に1951年に神奈川県立近代美術館を建てたり、1966年には新宿西口広場や地下駐車場のデザインを担当してフォーク集会に格好の場を提供するなど、わが国の建築史上に多大の功績を残し、全共闘運動の波動も禍々しい1969年に68歳で亡くなりました。

この人の特徴はやはり師匠ル・コルビジュ直伝のモダニズムと、そこに薄味の醤油のように加味された和風趣味のハイブリッドということではないでしょうか。それは東京市ヶ谷の日仏会館や本展が開催されている鎌倉の県立近代美術館を見ればよくわかるようなきがいたします。

市ヶ谷の高台に聳えるおふらんす文化の白亜の殿堂、東京日仏学院はそのモダンな内外装も見事ですが、その昔は語学を教える超絶的美人が何人もおりまして、当時田舎から上京したばかりの私は、最初の授業でうっかり最前列に座ったばかりに œuの発音を何度も何度もやらされました。

その金髪のミレーヌ・ドモンジョそっくりのパリジェンヌは、微笑みながら私の唇すれすれにその美しい唇を突き出して œu、 œuと繰り返しますと、シャネルの5番の香水がほのかに混じった生あたたかい息が、まともに私の顔に当たるので、私は生まれて初めて卒倒しそうになりました。

恥ずかしさに真っ赤になった私が、彼女の「口移し」でœu、 œuとうなりますと、その度に「ノン、ノン」なぞとたしなめられ、何度も何度もやり直しを命じられる。
このようにして美しき女教師ドモンジョ嬢の血祭りに上げられた三四郎は、もうこりごりと次回からの夏期講座を放棄してしまったのですが、そのおかげで女性とフランス語に対する致命的なトラウマを刻印されることになってしまったのです。

しかし、もしもあのシャネル鼻息攻勢に懸命に耐えて通っておれば、おのずとまた違った展開があったかもしれない、などと思いかえせば、いまなお恨めしき坂倉準三設計のお化け屋敷であります。

思いっ切り横道にそれてしまいましたが、八幡宮の入口右にひっそりたたずむ県立近代美術館は私のお気に入りの場所で、2階のカフェから見下ろす平家池の蓮は絶品です。なによりも土と水と緑に完全に溶け込んだ建物の、目立たなくて、上品で、温和な風情が私たちの心にしとりとなじむのでしょう。

それにしても、ル・コルビジュは、いったいどこから彼一流の高床式建築術を編み出したのでしょう。もしかするとアジアやインドシナ、南洋諸島の古い土俗的な様式から学んで、近代建築に生かそうとしたのかもしれませんね。

http://www.moma.pref.kanagawa.jp/public/HallTop.do?hl=k

♪ああわが青春の麗しのドモンジョいまごろどこでどうしておるか 茫洋

Tuesday, July 07, 2009

鎌倉国宝館の「お釈迦さまの美術」展を見る

鎌倉ちょっと不思議な物語第196回&バガテルop106

鎌倉国宝館では7月12日まで「お釈迦さまの美術」展をやっています。
今回は建長寺の「宝冠釈迦三尊像」や寿福寺の「釈迦三尊十六善神像」などが出品されていますが、私がもっとも惹かれたのは宝戒寺と瑞泉寺の「仏涅槃図」でした。

ご存じのように「仏涅槃図」はお釈迦さまが亡くなるときの様子を描いた絵画ですが、中央に横たわるお釈迦様よりも、その涅槃を嘆き悲しむお弟子たちや隣人たち、とりわけ画面のいちばん手前で身も世もあらぬ風情でのたうちまわっている動物たちの表情にいつものことながら限りなく魅せられます。

 牛や馬や鹿はもちろんさまざまな鳥や鶏、矮鶏、魚たち、大きな蛇や象まで地面に転がってウオンウオン泣き叫んでいる。生きとし生けるもののすべてに愛され、親しまれた宗教家の面目が躍如としています。しかも愁嘆場なのになぜかおかしい。時間の流れがとまりが一世一代の名演技をしているような錯覚にとらわれ、まるで一場の大芝居を見ているようです。

 ところが同じ偉人でもキリストなんかになるとやたら荘厳かつ近寄りがたい雰囲気になります。ベツレヘムの生誕の折には三人の東方の大博士の周囲に羊や牛などが前足を折ってひざまずいている絵などを見たことがありますが、十字架で磔にされた後、マリアや弟子たちなどの人間以外の存在から涙ながらに哀悼されるという情景はあまり絵画でもお目にかかりません。

ミケランジェロの「ピエタ」対「仏涅槃図」―。
ここに人間第一主義で動植物の生命を軽視する厳格なキリスト教と、天台本覚思想にもとづく「山川草木悉有仏性」「山川草木悉皆成仏」という多義的でゆるい汎神主義をモットーとする仏教との対比を見るのも面白いかもしれません。

「仏涅槃図」のパロディで、あの伊藤若冲が野菜だけを主人公に描いた「果蔬(かそう)涅槃図」などを見せたら、ミケランジェロはなんというでしょうか。


♪人生にはいくつもの締め切りがあると知れ 茫洋

Monday, July 06, 2009

谷川俊太郎著「トロムソコラージュ」を読んで

照る日曇る日第270回&♪ある晴れた日に第60回

わたしがこのないだこの人の詩が下手くそであるという歌を詠んだのは
月いちで掲載される朝日新聞の短いものを読んでおそろしく手抜きである
あんなものなら誰でも書けると思ったからだが、
この「トロムソコラージュ」を先に読んでいれば
あんな馬鹿な短歌は作らなかったし作れなかった。

それにしてもトロムソコラージュってなんだ。ソロムコなら代打満塁ホームランだが
ノルウエーの森の向こうを張って、訳の分らぬ題名をみだりにつけるな。
しかしわたしはいちど書いたものを取り消すのは嫌だし沽券に係わるとも
感じているのであえて白紙撤回するのはやめておこう。
拍手喝采 博士は風邪だ うちのムクちゃん墓の中

その詩人は若き日の面影を濃密に湛えながらも
新宿地下鉄丸の内線のプラットホームを歩いていた。
どす黒い疲労と深い悲しみが彼の全身を覆い尽くしたが、
窪んだ眼窩の奥底で爛々と光る両の目は依然として20億光年の孤独を見つめていた。
思いのほか背が低かったが、巷を低く見ようと背筋を伸ばして歩いていた。

こんな可哀そうな老人を死んでしまえと罵ったねじめ正一は呪われてあれ!
怒った詩人は棺桶に突っ込んでいた左足をやっとこさっとこ引っ張り上げて
与えられたお題「ラジオ」による見事な即興詩をけつの穴からひりだして
傲慢なる前チャンピオンをかりそめの王座から引きずり落としたのだった。
ねじめ けじめ お前のあそこは くそだらけ

そして今度は竜虎の勢いで、
ロシア、ドイツ、モロッコ、イングランド、ウエールズ、スコットランドを次々に制覇し、赫々たる感情旅行の成果を長編詩集におさめてしまう。
土地の精霊が宿る心霊写真と共に。
いいないいな いい歳こいて いい娘を抱いて

ハレルヤ! 
永久不滅の詩のチャンピオン。
不老不死の言葉の錬金術師。
もはや勃起しない陰茎で女人を犯す。
立ち止まらないよ、君は。

ハレルヤ! 
死してはまた不死鳥のように蘇る気高き詩魂。
超低空飛行の後期浪漫主義者。
人っ子ひとりいない場所を自分の心の中につくる
立ち止まらないよ、君は。

♪尻の穴に指突っ込めば気持ちいいぞといいし井口君アルジェで何しているか 茫洋

Sunday, July 05, 2009

井上章一著「伊勢神宮 魅惑の日本建築」を読んで

照る日曇る日第269回

これは特に伊勢神宮について論じた本ではなくて、我が国の大昔の建築物は、どんな姿形をしていたかを真正面から論じた「超」の字が2つほどつく力作であり、日本の建築学にとってじつに貴重な価値をもつ書物です。

建築史には、あの築地本願寺や大倉集古館の設計で知られる伊東忠太や太田博太郎など、いくつかの定評ある名著と称されるものがありますが、著者はこの建築の起源問題に関するおよそすべての資料を記紀の時代、平安、江戸時代の文献や研究結果をまるで草の根をわけるようにして精査比較検討し、その結果として、これまでの学説の定説をほぼ全面的に否定し、著者の東大と京大の学閥にかんする興味深い観察を交えつつ556ページに及ぶ大論考を終えています。

著者によれば歴史、建築、考古学の学者や研究者の多くが、伊勢神宮に我が国の古代建築の源泉があると信じてきました。
またご承知のようにこの神宮は、大昔から社殿を20年ごとに建て替える不可思議な営みを、(戦国時代の混乱と謎や改築の際の幾多の歪曲はあるものの)、天武帝の頃からおよそ千年以上にわたって繰り返してきました。

伊勢神宮の社殿は、「棟持柱(棟木を側面から直接支える柱)をともなう高床建築」だそうです。そしてこの神明造りという建築スタイルは、七世紀の末頃まで歳月による風化や大陸からの仏教的な建築様式の影響をかたくなに排除しつつ今日まで存続してきたといわれています。
そもそも「日本」なる国家がそれまでの「倭」に代わってこの列島に登場したのはちょうどその天武帝の時代なので、この伊勢神宮の神明造りこそ日本の最古の建築様式かもしれません。

それで話が終わればめでたしめでたしなのですが、シンプルでモダンなデザインがお好きな我が国の多くの学者たちは、この「日本的な建築の祖形」を、「日本」確立以前の太古や古墳期、さらには遠く弥生、縄文時代の彼方にまで拡大し、遡らせようと「国粋的」かつタコ壺的な努力を夜郎自大に続けてきたのです。 

考古学学者の研究によれば、有史以前の日本列島には伊勢神宮のような棟持柱をともなう高床建築はたくさん建てられていたようです。ところが、これら棟持柱をともなう高床建築は昔から中国の長江や雲南省、さらにもっと南に下がってインドネシアやオセアニア地方などにもたくさん存在しています。

もしかすると伊勢神宮に代表されるこの荘重なまでに日本的な建築の祖形は、ニッポンチャチャチャ学者の大いなる期待と予想に反して、南洋諸島の海岸に立ち並んでいる高床式の簡素なニッパハウスなのかもしれません。

  
♪ご先祖は南洋ニッパハウス住まいぞニッポンチャチャチャ 茫洋

名も知れぬ南の島より流れ来しニッパハウスぞ先祖の我が家 茫洋

Saturday, July 04, 2009

藤原道長「御堂関白記」上巻(全現代語訳)を読んで

照る日曇る日第268回

「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」
という歌を詠んだといわれる藤原道長の自伝の現代語訳です。

 こういう手放しの自画自賛を臆面もなくやってのける奴はいったいどういう人物なのかと思って手を出したのですが、なかなか面白い本でした。
 
まず「この世をば」と即興でなぜ詠めたのかといいますと、これは道長が朝はお天道さま、夕べはお月さまを必ず観賞する人間だったからだと断言できます。
彼の日記は必ずお天気メモから始まり、夜の名月や笠置寺参拝の折の流星の記事などまるで天体観測家を思わせるほど。功なり名を遂げ摂関政治の頂点に立った自負を月に例える必然性はその日常生活の習慣からきているといえそうです。

道長は、お天気や彼の日常や身辺で起こった怪異だけでなく、14歳違いの甥の一条天皇との政治的な協調ぶりやちょっとした反発、寺院における法華八講などの盛大な法事や除目の詳細、さまざまな儀式や賀茂祭などの祭典、頻繁に行われた作文会(漢詩を作る)のテーマなどについてもくわしく書き記していて、ちょっと永井荷風の日記に似た関心の広さを示しています。次々に病に侵されるところや、連日のように相撲取りに相撲を取らせて喜んでいるところなど、とても一〇〇〇年前の人物とは思えません。

けれども荷風と違って日記の文章にはいっさい屈折も韜晦もなく、なにをどう述べても単純明快そのものであり、彼の精神がまことに健全で、西欧のルネッサンス時代の知識人のような強靭な知性と晴朗さ持ち合わせていたことを雄弁に物語っています。

面白いのは、当時の皇族や貴族たちは「毎日が物忌デー」といえるほど数々の禁忌に取り囲まれて暮らしていたということです。
たとえば甥の一条天皇が住んでいる内裏では、しょっちゅう犬や鳥、時折は身元不明の人間の死体が発見され、その度に安倍晴明などの陰陽師が呼び出されて占い、その託宣次第でさまざまなリアクションが起こります。いまから1000年目に陰陽師たちがこれほど権力者たちに重用されていたとは驚きです。

それから忘れてはならないのが、藤原道長と紫式部、源氏物語との関係です。
寛弘2年10月1005年の浄妙寺三昧堂の供養における法王・天皇をはじめすべての皇族や貴族百官や高僧たちが居並ぶなかで粛々と繰り広げられた荘重な儀式や読経、楽器の演奏などの華麗なパフォーマンスの数々、あるいはその3年後に一条帝が左大臣道長が住む土御門邸を訪ねるシーンでは、はしなくも紫式部が源氏物語で描写した華やかな式典と権力者たちの栄枯盛衰の無常をまざまざと想起させ、光源氏のモデルに擬せられる道長の存在ともども、いずれが表でいずれが裏か、いずれが真でいずれが虚か、と日記の細部に至るまでつきせぬ興味が湧いてくるのです。


♪ほらほら千年前の巨魁が今日も土御門邸で梅の漢詩を作っているよ道長日記 茫洋

Friday, July 03, 2009

杉本秀太郎著「伊東静雄」を読んで

照る日曇る日第267回

私にとって伊東静雄は、中原中也と並んでまさに「詩人の中の詩人」というべき存在です。

太陽は美しく輝き
あるひは太陽の美しく輝くことを希ひ
手をかたくくみあはせ
しづかに私たちは歩いて行った

1935年(昭和10年)、彼が若冠29歳で書いた詩集「わがひとに与ふる哀歌」を読んだ人なら、この詩人の研ぎ澄まされた知性とあまりにも繊細な感受性、その孤高に拠るエキセントリックな世界に驚嘆し、憧憬と近寄りがたさの両方の気持ちを懐くに違いありません。

彼の詩はヘルダーリンやゲーテ、古今集などから学んだ象徴的な修辞技法、とりわけ隠喩を駆使した難解ではあるけれど美しすぎる語法に最大の特徴があると思われますが、その代表作「わがひとに与ふる哀歌」を文字通り徹底的に読み解いたのがこの本です。

まず著者は、この詩集はプロットにもとづいてすべての作品を作り配列されたと断言します。次に、題名の「わがひと」とは詩人の恋愛の対象である女性ではなく、「私」という男の「半身」であるところの男性であるとし、冒頭の「晴れた日に」以下の連作は、その「私」と「私の半身」との間の応答あるいは対立と相互抵抗から生まれ、和解のないままに「放浪する半身」の入水自殺によってこの相互関係は断絶したと断定するのです。

それは確かにひとつの仮定にすぎませんが、強引とも思えるこの想定に従って読みはじめた私は、それまでは美しいけれども難解そのもので結局は意味不明であった諸作品が著者の解説と解釈によって次第に統一的な視点で像を結び、形式と意味内容ともどもが初めて腑に落ちるという類稀な詩的体験を味わうことができたのでした。

余談ながら著者は、「わがひとに与ふる哀歌」の第14番目の「詠唱」という作品を読むと、ショパンの「24の前奏曲」の第7番の曲を思い出すと書いています。

この蒼空のための日は
静かな平野へ私を迎へる
寛やかな日は
またと来ないだろう
そして蒼空は
明日も明けるだらう

というたった6行の短い詩は、あの短いイ短調のピアノ曲にまことにふさわしい境地であり、私は著者の鋭い感性にいたく共感を覚えたのですが、それがアルゲリッチやポリーニの演奏ではなく、太田胃散の悪名高きBGMとして耳朶を打ったことに激しく臍を噛んだことでした。

♪太田胃散いい薬かもしれないが悪い音楽です 茫洋

Thursday, July 02, 2009

「ゲバゲバサマーショー展」をのぞいてみたら

「ゲバゲバサマーショー展」をのぞいてみたら

バガテルop105

東京のJR大塚駅北口徒歩10分にある画廊MISAKO&ROSENで7月19日まで開催されている展覧会「ゲバゲバサマーショー」は、新進気鋭の現代作家たちのカジュアルな新作が狭い会場せましとラインアップされ、それこそゲバゲバで楽しいカオス状況をかもしだしています。

油彩、アクリル、水彩、スケッチ、肖像、いたずら書きなども交えた小品が中心ですが、アイデア満載のビデオ作品、インスタレーションなども出品されており、おもちゃ箱をひっくり返したようなハチャメチャさと新鮮さが魅力です。

参加アーティストは森田浩彰、後藤輝、服部あさ美、ディーン・サメシマ・トレバー・シミズ、今井俊介、岸本雅樹、相田可奈子、ダン・ハーズ、ウイル・ローガンなどの面々ですが、私は佐々木健が描いた2つの小さな油絵の新境地に打たれました。

この作家はここしばらくはアンプや楽器などおよそ見栄えのしない身近な物をモノトーンで描き続けてきました。そういう石ころのように地味な物を凝視し、その物の内部に肉薄し、その物の核心をつかみ取ろうと地を這うような精進を続けてきたようです。

そして作家の努力と研鑚は、描かれたただのラジオやペットボトルが、平成のアール・ヌーヴォーとでも呼ぶべきある種の生命性を獲得し、「物の精霊」それ自体が発するような不思議な燐光を発しながら静かに輝いている、そんな光景をついに出現させたのではないでしょうか。

梅雨空の下、ギャラリーの外では無情の雨が降り続いていましたが、私は名状しがたい感動につつまれてそのちっぽけなキャンバスに見入っていました。

◎ゲバゲバな4週間→http://www.misakoandrosen.com/exhibitions/09/06/

Wednesday, July 01, 2009

小栗康平監督の最新作「埋もれ木」を見る

闇にまぎれて bowyow cine-archives vol. 6 

「埋もれ木」とは彦根の大老井伊直弼の話かと思っていたら、あにはからんや三重の鈴鹿の話でした。この町から大昔の炭化した巨木が掘り出されて話題になったので、それをタイトルにしたようですが、何千年前の壮大な森林、埋没林の威容をまざまざとしのばせてくれる黒い断木でした。

「木は切られても呼吸をしています」、とある登場人物が語りますが、すでに無くなったはずのものが、じつはまだどこかで生き残っていて、ある日突然その懐かしい面影を私たちに伝える。この映画を見ているとしばしばそんな場面に立ち会うことができます。

砂漠から町にやってきたラクダや浅瀬に迷い込んだ巨大なクジラ、森で踊っている妖精たちやトンパ文字……その思いがけないうれしさ、かけがえのなさを、この映画は手を替え品を替えまるで魔法の手品のように、サンタの贈り物のように手渡ししてくれるのです。

それにしてもこの映画の美しさは、とうていこの世のものとは思えません。1カット1カットが詩であり光と影に彩られた美しいタブローです。現実の鈴鹿の町のコンビニをキャメラがとらえたさりげない光景にしても、外国人労働者の国外退去を通告する役人の声も、どこかお伽噺のように非現実的です。

大人も子供も、男も女も、すべての人々はこの世にありながら、遠く忘れられた時代に生きている。いやもしかするとあの世とこの世を行き来しながらもの静かに暮らしている虚構の町の亡霊たちなのかもしれません。ラストの埋もれ木に取り囲まれた洞窟から放たれた赤いラクダが夜の空にゆらゆらと立ち上っていく幻想的な情景を、人は子供のころにいつかどこかで目にしたに違いありません。

鈴鹿町の住民をはじめ岸部一徳、田中裕子などの個性的な役者が出演していますが、とれわけサックス奏者にしてミジンコ研究者の坂田明のキャラクターが印象に残ります。そいいえば坂田さんは、小学館の万能キャメラマンの斉藤君をつかまえて、「ミジンコがちゃんと撮れなきゃあ一人前とはいえないぞ」と1ぱつかましたことがありました。


あの世とこの世を行き来しながらもの静かに暮らしている 茫洋

Tuesday, June 30, 2009

「アマゾンの半漁人」が消した私の書評たち

バガテルop104

これまでAmazonの書評コーナー「カスタマーレビュー」に書籍だけで60点以上、映画やDVDを加えると100点は下らない感想文を投稿してきましたが、最近確認したところ2009年4月10日に投稿したはずのT.E.ロレンス著「知恵の七柱 1 完全版 東洋文庫」などのデータがいつのまにやら消えうせています。最近書いた「高橋源一郎の「大人にはわからない日本文学史」も、2008年11月に投稿した雑賀恵子著「空腹について」と「エコ・ロゴス」の書評も同様に消去されていました。

これまで私は、書籍については同じ内容の書評をAmazonとbk1社に同じように投稿してきましたが、bk1社の延べ掲載点数が67、Amazonのそれが映画やDVDを含めてちょうど30点ということは、小生が投稿した総点数のおよそ半分をAmazonは没にしたということになります。

もとより浅学菲才の身ゆえ、悲しいかな削除された約30本は、おそらくはAmazon社の厳しい投稿基準を満たさない幼稚かつ過激な表現に満ち溢れていたのではないかと危惧した私が後学のためにAmazon 社の英明なる担当者に削除理由を尋ねたところ、それらは800字という文字制限を超えていたから削除されたという返事。あれらの作文とパソコン操作に費やされた膨大な手間暇をどうしてくれるんだと文句の一つも言いたくなりました。                      

そこで本日はアマゾンの半漁人によって無残にも消去されてしまった雑賀恵子著「空腹について」と「エコ・ロゴス 存在と食について」の書評を再掲載させていただくことといたしました。


◎雑賀恵子著「エコ・ロゴス 存在と食について」 存在を賭した精神の大旅行記
「存在」と「食」をめぐる著者の思考は、時空を超えて軽やかに飛翔しながら私たちを未踏の領域に導いていく。「最初の食欲」では食べるということの本質が解き明かされ、「遥か故郷を離れて」ではカインとアベル以来私たちが殺してきたものを見つめ、「草の上の昼食」、「パニス・アンジェリクス」では大戦中の兵士や船長が直面した殺人と食人の現場における「倫理」のありかについて光を与え、「ふるさとに似た場所」では、私たちの生の本質は「骰子一擲」であり、その不断の歩みに回帰すべき場所はないこと、「嘔吐」では私たちが他者、他の存在とかかわる劇場の中で生きていること、「舌の戦き」では舌が他者との交通の歓びを味わい、その快楽の記憶を呼び起こす器官であること、「骸骨たちの食卓」では、私たちがたとえ檻の中に捕われたカフカの「断食芸人」であろうとも観客の眼差しとは無関係に愚鈍に生きるべきこと、「ざわめきの静寂」では私たちは瞬間毎に新たに立ち現れる存在であること、が叙事詩のように力強く、抒情詩のように美しく語られる。そして著者が終章において、まるでサッフォーのように、あるいはまた「星の海に魂の帆をかけた女」のように次のように語るとき、私たちはこの誠実で真摯な探究のひとまずの結論を、大いなる共感とともに受け止めないわけにはいかないだろう。「言語を持ったわれわれは、歴史を持つ―すなわち過去を振り返り、傷みを感じつつ検証することが出来るということでもある。わたしたちは死すべきものであるのだから、生は他者の死との連関の中で繋がれるものだから、だからなのだ、根源的な殺害の禁止は、絶対的なものであり、つまり他者の殺害ばかりではなく、自己の殺害の禁止をも含むものなのだ。」「生きるとは、ともに在ることであり、倫理とは、生きようとする意志のことだ。…言葉でもって、生きる場所の論理を語ること。確かに、それは、どれほどの試みを積み重ねても、失敗し続けるだろう。だが、言語によって、われわれは歴史をもったとともに、未来というものをわれわれの思考の中に導き入れたのだ、未来、希望というものを。」この本は、著者の存在を賭した精神の大旅行記というべきだろう。


◎雑賀恵子著「空腹について」 知情兼ね備えた詩人哲学者の清々しいエセー

新進気鋭の科学者にして社会思想家による構想雄大、真率にして繊細、知情兼ね備えた詩人哲学者の清々しいエセーである。「あらゆる人間の営為は、物質の動きによって表現される。たとえば、愛。触れ合う唇の湿り具合。絡み合う指の温度。鼓動の響き。肌の触感。あどけない笑顔からこぼれる生えかけの小さな歯。抱いた時の心地よい重み。日向くさい頬に透ける血管。留守番電話に残された「お休み、いい夢を」という囁きを反芻するせつなさ。熱で苦しんでいると、ひたとも動かず凝っと見守り、時々冷たい手の肉球を唇や頬にあててくれて鼻先を近づけそっと嘗める猫の潤んだ瞳。そういうものの積み重ねであり、個別の他者の持つ個別の記憶に支えられている」という文章に接した人は、もうどうあってもこのあまりにも魅力的な詩文ファンタジーの世界の扉を押さないわけにはいかないだろう。まず「なぜお腹が空くのか?」と考え始めた著者の夢想と空想は、次いで「なにが美味しいのか?」という考察に向かい、ここで突如「残飯をめぐる歴史的研究」に転身し、最低辺の貧民や女工がどのように悲惨な食生活を強いられていたかを一瞥し、さらに軍隊における軍用食の問題に潜入すると、ついに脚気と食物の因果関係を認めようとしなかった頑迷な陸軍軍医鴎外森林太郎が日露戦争で多くの脚気羅病者を出してしまったこと、「戦争をするために軍隊があるのではなく、膨れ上がり自国内部でもてあました空腹が他者を食いつぶすために戦争がある」と喝破するに至る。 餓島ガダルカナルにおける悲惨な戦闘と絶望的捕食に触れた著者は、さらに「食人」の問題に言及進み、我が国で古来幾多の大飢饉に際して食人が珍しくなかったにもかかわらず、わたしたちの現在の社会で食人が起こるとは想定されず、それを禁じる法律すらないという異常さを指摘する。そして「現在の地球人口と資源および生産形態から見れば、いずれ人体を食料資源として考慮に入れなければならないとする議論が確実に出てくる」とカッサンドラのように不吉な予言をするのである。 かつて学生時代のある時期に、動物実験で毎日のようにマウスやラットを数匹以上殺していたという著者は、養鶏場の近代的な工場で機械製品を作るように大量生産されるブロイラーや霜降り肉を生み出すために飼育されている大量の牛たちに対して、人間はいったいどのように向き合うべきか? 資本の論理に貫徹された食肉生産の現場において、人間が動物に対する優しさや残酷さとはいったい何か? と自問する。 最後に、飢餓をはじめとする「世界の貧困」について、その歴史的政治経済的分析を終えたあとで、著者は次のように述べる。「慎ましくも必要とされるのは、道徳ではなく、倫理である。正義の軸を設定し神殿に納め、それに礼拝跪して異教審問の過程で排除項を生み出していくのではなく、不快さを不快であると叫び続けること。システム内に繋留された倫理=道徳から身をひきはがし、個人の身体感覚から不快を問い続ける倫理から想像を他者に投げかけること。そうしたエロスの投げる網によって他者の苦痛を新しく見出す営みを持続させること。それが知るということである。他者を理解することはできない。しかし他者を理解しようとするその試みこそが、人間の営為なのである」 このようにおぞましさと嘔吐と矛盾と困難と悲喜劇にみちあふれた、この毎日が世紀末の人の世を、著者は「生命体としてのわたし、身体をもつわたしに根ざしたこの倫理」をひしと抱きかかえ、冷酷非情の法-規範、道徳との狭間に立ちすくみながらも、「いま何をなすべきか?」とレーニンやハムレットのように胸に問いつつ、愛描綱吉と共に今日もけなげに前進しているのである。       ♪人の世はさはさりながら愛ありて 茫洋

Monday, June 29, 2009

西暦2009年茫洋水無月歌日記

♪ある晴れた日に 第59回


大船駅のさびた線路のすぐ傍に昼顔の花咲きいたり

余を馘首せし銀行屋を馘首せし銀行屋をまた馘首せんとする鳩山総務相

わが首を切りしバンカーの首を切りしそのバンカーの首を切らんとする人

隠れたってすぐ分かるぞヘイケボタル今宵も8匹見つけたり

今宵また謎の呪文をわれに告げ北斗の星と輝く蛍

おたまじゃくし1日1匹ずつ共食いすなり

毎日1匹ずつ食い殺して最後に残ったおたまじゃくし

あじきなしバーンスタインのハイドンを聴く日曜日

花も嵐も踏み越えて行きつくところまで歩むべし

玄関に片っぽうだけ転がっている妻の黒い靴

カラスアゲハが無心に太刀洗川の水を吸うておる

明治通り千駄ヶ谷小学校交差点の真紅の薔薇を撮影していたり秋山庄太郎

一生懸命ならどんな音楽でも許されるのかそこんとこよろしく

おりしも中里恒子の全集を耽読しおりき西麻布の売文家

ありがとうそしてさよならと言いつつわれら別れゆくなり

海を越え海に沈みし若者の瞳彩るジャガランダの花

南洋の桜といわれしジャカランダ桜に勝り毅然と咲きおり

わが腕を蟻が這う諦観とリリシズム捨てがたし

ミラノスカラ座より帰国せしや平成正宗後継者

親しめば親しむほど洞窟の謎は深まる

ひとたびは燃えつき果てた恋なれど43年目に燃え上がるかな

金の部屋大判小判を懐に金襴緞子でくたばりし奴

凶悪な政治の毒に窮したる二十歳の恋ははかなく散りて

万人の万人に対する戦いとく鎮めよと作家は祈る

半年間発注のない狂おしささくらば散りてあじさいの咲く

なにゆえに発注なきや半年間紫陽花の青をじっと眺むる

またしてもスイカの種は尽きにけり働き悪く金のなき日に

絶対の善や悪は存在せずわれらの輪廻は転生す 

腹黒き輩は腹黒き友を知る時政邸に鶯鳴きたり

大人にも本人にもよう分からん日本文学史書きたり高橋源一郎

当り前のことをとくとくと語る人なりき黒田恭一氏死す享年七十一

コラボとはナチ協力者のことなりコラボといわずコラボレーションと言え

七人の子供を残し巴里に住む恋しき夫に会いに行く女

谷川さんの下手くそな詩を読んでいると自分も書こうという気持ちが起こってくる


朋輩を皆喰い尽しておたま一匹

健ちゃんが帰ってくるようれぴいな


♪息継ぎのあわいに生まれる感傷を世に詩歌とは名付けたりける 茫洋

さようなら眞木準

遥かな昔、遠い所で第84回

既にして旧聞に属すかもしれませんが、去る22日にコピーライターの眞木準氏が急性心筋梗塞で亡くなられたことを私は読み残しの新聞を整理していてはじめて知りました。

彼の最新にしておそらく最後の作品は、宣伝会議社の「内定取り消しされた方5名まで引き受けます」でした。しかし、彼の真価は伊勢丹の企業広告や全日空の「でっかいどお。北海道」に示されるしゃれた言葉遊びの切れ味と軽妙な語呂合わせとにあって、その奥深い引出しを準備するために普段から有名無名の作家の作品を渉猟していたことは、ある日突然私が訪れた彼の西麻布の事務所の書架を眺めれば一目瞭然でした。広告文案作成業の極意が機智の駆使にありとせば、彼はその当代一流の専門家であり、人並みはずれた才知と言語操作の高等技術がそれを可能にしました。

私は多くのコピーライターと仕事を共にしましたが、テレビCMのダビングの現場に呼びもしないのに駆けつけてくれたのは彼だけでした。ダビングというのは撮影済みの映像にスタジオでナレーションや音楽を録音する作業ですが、コピーについてはとっくの昔に広告主との打ち合わせを経て決定しています。だからコピーライターの立会は必要がないはずなのですが、彼は「書かれたコピーがいかに良くてもそれが話し言葉になったときに当初想定されたインパクトをもたらさないことが稀にある。だから自分はここにやってきた」と言うのです。なるほど、そういうケースは何度かありましたが、「ちょっと違うなあ」と思いつつそのまま録音してしまうのが通例でした。

そこで私が、「もしそのコピーが映像に合わなければどうするの?」と尋ねますと、彼はそんなこと当り前じゃないかという顔をして「だから合うやつをその場で僕が書くんです」と答えたものでした。それを平然と言える彼の自信と仕事に対する彼の誠実さにこれほど打たれたことはありません。

また思い出すのは、私がサラリマン街道から突如放り出され路頭に迷っていた折のことです。いちはやく手を差し伸べ、「広告料金定価表」なる分厚い請求金額の相場を記した本を手渡して、ともかく中年広告売文業者として身を立てるよう「実務的に」促してくれたのも彼でした。その日から一〇年に近い歳月が流れましたが、彼と最後にパスタ屋で会った日の励ましの声は、今も耳朶の底に残っています。

ありがとう。そしてさようなら眞木準


ありがとうそしてさよならと言いつつわれら別れゆくなり 茫洋

Saturday, June 27, 2009

続々 拝啓鎌倉市長殿

バガテルop103

 
「朝夷奈切通における自転車通行問題」について3度目の市長への手紙を書きました。最新の回答と要望書はずっと後ろのほうにあります。

○5月14日付要望

時下貴職ますますご健勝のこことお喜び申し上げます。  さて小生は市内に居住する者です。毎日のように朝比奈峠から熊野神社、果樹園に至るハイキングコースを散歩しているのですが、最近よくマウンテンバイクに乗った人たちと出くわすようになりました。  ただでさえ狭くてすれ違うことさえ難しい山道を、彼らは勢い良く「落下」してくるので危なくて仕方ありません。それでなくても高低差のある昔の「獣道」です。山道の上の方からそろそろ降りてこようとしても、自重でブレーキが利かないために「落下」状態になるのです。ケガこそしませんでしたが幾度となく「あわや」という危険に遭遇したのは小生だけではないでしょう。シルバーガイド協会の人たちもそんな危ない目に遭われているのではないでしょうか。  そもそもここは徒歩専用のハイキングコースであり、自動車、オートバイ、自転車などは乗り入れ禁止のはずです。重大な事故を未然に防ぐためにも、この際、朝比奈切通しのみならず、「市内のすべての切通しとハイキングコースにおける2輪・4輪車の全面乗り入れ禁止」を周知徹底していただきたいと思います。

あまでうす茫洋敬白

○5月28日付回答

明るく住みよい鎌倉をつくるため、いつもあたたかいお力添えをいただき厚くお礼申し上げます。 あまでうす様からお寄せいただきましたご要望につきまして、次のとおりお答えいたします。 鎌倉市で紹介しているハイキングコースは、天園、葛原岡大仏、祇園山の3コースとなっております。いずれのコースにつきましても、車両乗り入れ禁止となっており、各ハイキングコースの入口に車両の乗り入れ禁止の表示をしております。ご指摘の箇所は、本市で紹介しているハイキングコースではありません。朝夷奈切通は、国の史跡に指定されており、現在4輪の乗り入れを規制しています。しかしながら、一部生活道路として利用されていることから、自転車の乗り入れは規制しておりませんが、横浜市側に「自転車・バイクの通行は止めて下さい」と標記された看板がありますので、今後は、鎌倉市側にも同様の立て看板を設置したいと考えております。 切通のなかには、市街化が進み朝夷奈切通や亀ヶ谷坂、仮粧坂、巨福呂坂のように一般道(市道)となっているものがあります。周りには住宅地が広がり、生活道路の一部となっているものもあり、市内全ての切通を2輪及び4輪の乗り入れを禁止できる状況ではありませんので、ご理解をお願い申しあげます。                平成21年 5月28日 鎌倉市長 石渡德一


○6月5日付再要望

早速の回答ありがとうございました。朝夷奈切通に立て看板を設置して頂けるとのこと、大歓迎です。周辺の環境整備のためにおおいに役立つと思います。しかしながら今回頂戴したコメントのなかに一部理解・納得できない部分がありますので、再度質問と要望をさせていただきたいと存じます。

>鎌倉市で紹介しているハイキングコースは、天園、葛原岡大仏、祇園山の3コースとなっております。いずれのコースにつきましても、車両乗り入れ禁止となっており、各ハイキングコースの入口に車両の乗り入れ禁止の表示をしております。ご指摘の箇所は、本市で紹介しているハイキングコースではありません。

要望その1
市がどこのハイキングコースを外部に紹介されてもそれは結構なのですが、実際には年間2000万人を超える観光客のおよそ半分が「市内全域のハイキング可能路」や7つの切通をどんどん歩いています。それらの人々の安全と安心のために自転車の交通を禁止してほしいというのが私の提案の趣旨です。いっきに即時全面禁止が難しいとしても、できる箇所から段階的に禁止すべきではないでしょうか。

>朝夷奈切通は、国の史跡に指定されており、現在4輪の乗り入れを規制しています。しかしながら、一部生活道路として利用されていることから、自転車の乗り入れは規制しておりませんが、横浜市側に「自転車・バイクの通行は止めて下さい」と標記された看板がありますので、今後は、鎌倉市側にも同様の立て看板を設置したいと考えております。

要望その2
私は毎日のように朝夷奈切通を散歩していますが、「三郎の滝」から横浜市との峠境に至る朝夷奈切通は、もっぱら観光客のハイキングコースであり、現在「生活道路」としては使用されていません。観光客以外で通行する人は(私が知る限り)存在しません。
「三郎の滝」の右側の十二所果樹園に至る道は風致地区であるにもかかわらずいくつかの土建業者や建築家があいかわらず不法占拠してモノ置き場にしたり農作業を行ったり、モノを燃やしたり、歩行者を顧みない危険な車両運転を繰り返していますが、まさかこの状態を「生活道路」と表現されているのではないでしょうね。
私は十二所果樹園へ安全な歩行を阻害し、周辺の事前環境破壊している彼らは一日も退去し、この際この道を「生活道路」であるという認識を改めて頂くとともに、2輪・4輪の交通も禁止するべきであると考えます。

>切通のなかには、市街化が進み朝夷奈切通や亀ヶ谷坂、仮粧坂、巨福呂坂のように一般道(市道)となっているものがあります。周りには住宅地が広がり、生活道路の一部となっているものもあり、市内全ての切通を2輪及び4輪の乗り入れを禁止できる状況ではありませんので、ご理解をお願い申しあげます。

要望その3
もとより理解するのにやぶさかではありません。しかし実際にその実情はどうなっているのかご存知ですか? 2輪及び4輪が我が物顔に走り回り、私が前回の投書で述べたような危険がどの切通やハイキングコースでどれくらいあるのか。まずはその実態を歩行者、観光客の身になって調査、観察、把握するべきではないでしょうか。しかるのちに即時全面禁止が無理だとしても可及的速やかに禁止や制限措置をとるべきではないでしょうか。

これらの切通は昔は生活道路でしたが、現在では豊かな自然に恵まれた歴史遺産であり国の指定史跡になっている箇所もたくさんあります。確かに一部が生活道路になっているケースもありますが、それは市や貴職が一部の住民の開発を是認して、自然と環境の破壊に手を貸した結果でもあります。
いっぽうでは市街化や生活道路化に積極的に加担しておいて、他方では環境保全やユネスコの世界遺産指定をめざすという貴殿の政策に大きな矛盾を感じるのは私だけでしょうか。まずは地道な市民・観光客の足元の安全対策が肝要と考えます。

あまでうす茫洋敬白

○6月18日付回答
 あまでうす様からお寄せいただきましたご要望につきまして、次のとおりお答えいたします。 鎌倉市で紹介しているハイキングコースは、天園、葛原岡大仏、祇園山の3コースとなっております。この3コースについては、車両乗り入れ禁止となっており、各ハイキングコースの入口に車両の乗り入れ禁止の表示をしております。 また、上記のハイキングコースについては、定期的にパトロールしており、車両の乗り入れは確認されていませんが、パトロール中に車両の乗り入れがあった場合には、指導してまいります。 次に、十二所果樹園に至る道は、市道(幅1.29~2.42m)と私有地が混在し、その市道は、途中で終点になり、そこから果樹園までは、私道になります。したがって、市で通行の制限を行うことができません。 切通につきましては、国指定史跡の6切通(朝夷奈切通、亀ヶ谷坂、巨福呂坂、仮粧坂、大仏切通、名越切通)の大部分は2輪・4輪の通行ができない状況ですが、前回ご説明させていただいた通り、切通のなかには市街化が進み、亀ヶ谷坂、仮粧坂、巨福呂坂のように一般道(市道)となっているものがあります。周りには住宅地が広がり、生活道となっているものですので、これらの切通全ての2輪・4輪の乗り入れを禁止できる状況ではありません。 あまでうす様からいただきましたご要望につきましては、今後の市政の参考とさせていただきますので、ご理解のほどよろしくお願い申しあげます。           平成21年6月18日  鎌倉市長   石渡徳一

○6月28日付要望

拝啓鎌倉市長どの

どうも回答が典型的な役人風でいまいち要領を得ませんね。朝夷奈切通に絞って再度質問いたします。

この切通では特に土日と休日に自転車が我が物顔に走り回るので歩行者が常に傷害の危険にさらされています。そこで私は
1)まずその実態について至急調査を行ったうえで、
2)(4輪とオートバイのみならず)自転車の運転を禁止してほしい

のです。

この措置はこの道が市道であろうが国県道であろうがけもの道であろうが可能なはずです。なぜならここは国が指定する歴史的景観保全地区であり、市が希望しているユネスコの世界遺産登録指定区域であって住民や観光客の歩行の安全を守る義務があるからです。


あまでうす茫洋敬白


♪わが腕を蟻が這う諦観とリリシズム捨てがたし 茫洋

Friday, June 26, 2009

新聞広告の中身

茫洋広告戯評第8回

 朝日新聞に掲載される週刊誌の広告のなかには、しばしば朝日新聞本紙の記事の内容や会社の姿勢を非難攻撃するのみならず、誹謗中傷する見出しがデカデカと躍っています。けれどもこの新聞社は平然とこれらの広告を掲載してなんの反論や発言もしない。まるで彼らの不当な言い分をなかば肯定したかのような印象を受けることがあります。

寛容と忍耐にも限度があります。記事内容に反対する広告を差し止めれば表現の自由を抑圧することになりますが、その内容が事実無根であったり、いわれなき誹謗中傷のたぐいであれば、ただちに突き返すなり、修正させるべきでしょう。かつてバーンスタインが、グールドの演奏速度に妥協して録音したとレコードジャケットに断り書きを入れたように。

それともこの新聞社は非常にお金に困っていて、どんな陋劣なスポンサーの広告でも喉から手が出るほどほしいのでしょうか。

海を越え海に沈みし若者の瞳彩るジャガランダの花 茫洋


◎おすすめ展覧会→http://www.misakoandrosen.com/exhibitions/09/06/

Thursday, June 25, 2009

優れたサントリーの広告

茫洋広告戯評第7回

昔からサントリーという会社はCMが上手でしたが、最近は「ボス」の宇宙人ジョーンズ、「ウーロン茶」などをのぞいてかなりクリエイティブのレベルが下がっていたと思います。おそらくは会社か社長の方針が営業至上主義になってクリエーターに対してさまざまな圧力が加えられた結果、遊びの精神が枯渇してしまったのではないでしょうか。

と思っていましたら、久しぶりにこれは傑作という広告が登場しました。「いやなことはお茶に流そう」というお茶の新製品の広告です。これはもちろん「嫌なことは水に流そう」のもじりですが、単にそういう語呂合わせやパロディの領域を超えていまの生きづらい世相をさらりと無化しようと試み、ほんの一時ではあるけれど、それに成功している点が尊い。なまなかにお茶に濁したり茶化せない骨太の主張と堂々たる風格さえ備えた、さすがはサントリー、流の広告であると思います。

こんなコピーは昨日や今日のポット出には絶対に書けません。海千山千のてだれの筆のすさびでありましょう。これと同時期に「同じ水で生きている」という南アルプスの天然水の広告も出ましたが、こちらのほうはいまいち、いま2.しかしライバルのキリン生茶の「買ったら読み取るのちゃ」という広告のレベルの低さに比べれば、両社の志の高低はあきらかでしょう。

もうひとつはサンアドの葛西薫さんのディレクション、安藤隆さんのコピー「君と百まで」によるおなじみのウーロン茶の広告です。母と娘、そして茶を入れた2つのグラスをバックに、この珠玉のような、あるいは血と汗の結晶であるこのコピーが、ただそっと並んでいるだけの地味な広告ですが、眺めているうちにまたしてもかすかに涙腺がゆるむのを覚えるのは、このゴールデンコンビの手練の仕業に違いありません。


♪南洋の桜といわれしジャカランダ桜に勝り毅然と咲きおり 茫洋

Wednesday, June 24, 2009

網野善彦著作集第8巻「中世の民衆像」を読んで

照る日曇る日第266回

昨日正宗について少し触れましたが、おそらく彼も回船鋳物師と呼ばれる中世前期の代表的な職人であり、一流の刀鍛冶として鍋・釜・鍬・鋤などの鋳物師ともども、畿内を起点に瀬戸内海を経て九州、あるいは山陰・北陸に回り、琵琶湖を経て淀川に入る広大な水域を遍歴していたのでしょう。
しかし頼朝による鎌倉幕府の成立がこうした遍歴自由民の活動を制限するようになった結果、中世後期に入ってようやく定住民となって一族が鎌倉に定着したのではないでしょうか。

中世前期までは神や仏や天皇に直属する神人、寄人や道々の職人、楽人、舞人、陰陽師、医師、相撲、呪師、傀儡子、芸能人は特別な技能を持つ「聖なる存在」としてあがめられ、税を免除されて諸国を遍歴しつつ一定の自由を獲得していました。
しかし彼らは幕府や権力者によって威圧され、「悪党」とも呼ばれたある種の呪術性を喪失していくのですが、次第に勢いを失っていくこの「古くて聖なるパワー」を新たな宗教の中に生かそうとして次々に立ちあがったのが鎌倉新宗教の創設者でした。これこそが法然、親鸞、道元、一遍、日蓮たちを突き動かしていたおどろおどろしい情念だったのでしょう。

 当時は貴族と悪党どもにも多くの接点があり、たとえば後伏見天皇の妃であった広義門院が1311年に女児を出産した際には、なぜか巫女や双六打ち(博打)が産室のそば近くに待機し、その「芸能」を通じて悪霊退散の祈願を行っているのです。
いよいよその時が近づくと亀山法皇が院を背後から抱きかかえ、土器を女房たちが割り、博打が双六で戦っている出産現場には大量の「うぶすな」が撒かれたそうです。

また興味深いことに、中世前期には多くの宋人=唐人などの異民族が、さきほど例にあげた「職人」という身分と特権を持ち、国内を自由に移動しながら石工、薬売り、飴売り、櫛売りなどの商業活動に従事していました。
鎖国をしていたはずの江戸時代もそうでしたが、これは権力者の規制がどうであろうとアジアの民衆はいつの時代もたえざる交流を続けていたよい例証ではないでしょうか。
以上網野善彦著作集第8巻「中世の民衆像」より自由に引用しながら書き記しました。

健ちゃんが帰ってきたようれぴいな 茫洋

Tuesday, June 23, 2009

本覚寺を訪ねて

鎌倉ちょっと不思議な物語第195回

鎌倉駅からほど近いこのお寺は、もとは源頼朝が幕府の守り神として建立し、天台宗系の夷堂があったのですが、永亭8年1436年に日出が日蓮宗のお寺として再建しました。2代目住持の日朝はのちに身延山久遠寺の住持になったとき、そこにあった日蓮の遺骨をこのお寺に分骨したので、本覚寺はそれから「東身延」とも呼ばれるようになった、と「鎌倉の寺小事典」には記してあります。

 またその日朝が魔の病気を患った時、法華経とみずからの治癒力で治ったという言い伝えがあるこのお寺は、「日朝さん」と親しまれ、眼病、縁結び、商売繁盛に霊験あらたかとされて人気があるそうです。
さらには、松平定信の直筆による「東身延」の額も残っているそうですが、いったいどこにあるのやら。今度行った時によく調べてみましょう。

私が個人的にいちばん興味をひかれるのは、このお寺の墓地に刀工正宗が葬られていること。正宗は、鎌倉時代に当地にあって「相州伝」という特徴を備えた数々の芸術的な名刀を鍛えただけではなく、幾多の弟子として育て上げたことであまねく知られていますが、その名人がこんなお寺に眠っているとは。

ちなみに鎌倉には正宗の子孫と称する日本刀の刀匠が現在も小町の街中で活動中(太刀を打つ現場を観察することもできる)ですし、置石や長谷の商店街には数多くの刀商が営業しています。

    ♪ミラノスカラ座より帰国せしや平成正宗後継者 茫洋

Monday, June 22, 2009

アーサー・ペン監督の「アリスのレストラン」を見て

アーサー・ペン監督の「アリスのレストラン」を見て

闇にまぎれて bowyow cine-archives vol. 5 

原作と主演はフォーク歌手のアーロ・ガスリー。彼のヒット曲Alice's Restaurant Massacreを題材にしてアーサー・ペンが二度と帰らぬ青春の想い出を歌いあげました。

ギター、ハモニカ、バンジョー、フォークミュージック、マリファナ、ダンス、セックス、オートバイ、キリスト教会……、ベトナム戦争に行きたくないフォーク音楽好きの長髪のアメリカの青年が振り返る60年代には、やはり現代とは違う風が吹いていました。

それを自由と放浪への誘いの風と呼ぶか、法と秩序を揺さぶる不埒で放恣な逸脱の邪風と舌打ちするかは、人がこの時代をどのように生きたかによって受け止め方が違うでしょう。しかし若者を名状しがたい不安と理由もない希望に駆り立てる荒々しい風が全世界でふきつのっていましたが、この映画の中ではまぎれもなくその風が吹いていることをあれから40年以上経つのにまざまざと感じ取ることができます。

この政治的対決の時代の疾風怒涛の狂乱のさなかにあって、主人公を支えているのは心を許した女性アリスやヒッピー仲間たち、そして折にふれて彼が奏でるギターの音色です。とりわけアーロ・ガスリーとピートシガーがガスリーの父親が入院しているニューヨークの病院でハモる「♪自動車で行こう」の楽しさをなににたとえればいいのでしょうか。

この音楽とこの音楽に聴きほれるガスリーの両親の笑顔の中にこの映画の最上のシーンがあります。たとえラストシーンの編集に奇妙な躊躇と失敗があるとはいえ。

茫洋広告戯評第6回

茫洋広告戯評第6回


いよいよ裁判員制度が開始されました。法務省や最高裁の裁判員制度キャンペーンも最近はかなり円熟の度を深め、当初の堅苦しさがいくぶん和らいできたような印象を受けます。

いずれにしても行政、立法のみならず司法制度にも平成平民が直接参加して自由に意見を述べ、その意思を反映できることはまことに慶賀に堪えません。専門バカとはよく言ったもので、一握りのテクノクラートによってその運用が独占された機構は、とかく制度疲労を起こして機能が形骸化し、平民の意志とは遊離していく危険性があります。

この際できることなら裁判員だけでなくて検察員制度を新設し、専門家のみならず平民の声が直接検察活動に反映されるべきではないでしょうか。平民の平民による平民運動とは民衆の直接民主主義の運動で、歴史的には南北朝以降近世近代の天皇制国家の権力の肥大化の流れに呑み込まれてしまった平民共同体自己統治権の奪還を意味しますが、これらを中世末期の始原期に遡って回復しようとする衝動は、平民自身の直接参加による軍隊の創設にまで行き着くべき性格のものではないでしょうか。


コラボとはナチ協力者のことなりコラボといわずコラボレーションと言え 茫洋

Saturday, June 20, 2009

アルベルト・モラヴィア著「軽蔑」を読んで

照る日曇る日第267回

男のさすらいの人生の頼りの綱は女性です。もしも愛する女性に軽蔑されたら、男なんてどうやって生きていったらよいのか途方にくれてしまうでしょう。漂流しながらおんおん泣いて、ついでに海に飛び込んで死んでしまうしかないでしょう。これがこの小説の主題です。おそらくモラヴィアの実際の体験と女性観がこのテーマに色濃く反映されていることは間違いありません。


しかしこの軽蔑はいつ、どこから女の心の中にやってきたのか。それがいまひとつ最後まで読者にはよくわからない。というのは男自身もよくわからないからで、主人公がわからないのは作者がわからないからで、モラヴィアは別れた元女房の謎をわかろうとしてこの心理思弁小説を書いたのですが、苦労して書いてみても結局はよくわからなかったのではないでしょうか。

モラヴィアは仕方なくホメロスの「オデッセイア」におけるオデッセウスとペネロペの関係をフロイト的に論じ、この単純明快な問題をペダンチックに取り扱おうとします。つまりペネロペに言い寄る男たちに寛容な態度を示したオデッセウスをペネロペは軽蔑していて、それが嫌さに7年もの間故郷イタケに寄り付かなかった。夫が妻の愛を取り戻せたのは求婚者どもをオデッセウスが皆殺しにしたからだ、などと唱えるのですが、こういう暴力をこの小説の主人公が振るえるくらいなら、そもそもこんな哀れな境遇に陥っているはずもないのです。

実は主人公があまりにも草食系のインテリゲンちゃんであるために優柔不断過ぎて、妻の危機を体育会系の男からちゃんと守ってやらなかった、というよくあるとってつけたような解説も飛び出てくるのですが、どうもそれだけでは説明できない事情がどこの夫婦にもあるのです。ともかくこの小説の無残な失敗は、最後のおちの付け方を見れば一目瞭然でしょう。

なおこのモラヴィアの原作を、ゴダールがおなじタイトルの映画にしています。悩める脚本家にはミシェル・ピッコリ、辣腕プロデューサーにゴリラ男のジャック・パランス、フロイト流の「オデッセイア」を論じる映画監督には名匠フリッツ・ラング、そして単純な精神と見事な肉体の持ち主であるヒロインにはブリジット・バルドー、という豪華なキャステイング、それにカプリ島の風光明媚をあざやかに駆使して、彼一流のわかったようでわからない演出を繰り広げているのですが、これこそモラヴィアの世界にもっともふさわしい「絵解き紙芝居」だったかもしれません。


親しめば親しむほど洞窟の謎は深まる  茫洋

Friday, June 19, 2009

ミルチャ・エルアーデ著「マイトレイ」を読んで

照る日曇る日第265回

これは、ルーマニア生まれの宗教学者ミルチャ・エルアーデが、若き日にインドを訪れたときの体験を赤裸々につづった大恋愛小説です。イタリア・ルネサンス哲学の研究のためにインドを訪れた作者は、インド各地を旅行し、タゴールに会い、タントラ・ヨーガにのめりこみますが、それ以上に漆黒の肌の魅惑のベンガル女性マイトレイとの運命的な恋に遭遇します。

大きく黒い眼、厚い唇、熟れた乳房、褐色の肌……はじめはむしろ醜いとすら思えた異貌の異性にふとしたはずみに惹かれ、思いがけない深みにはまる体験は多くの方々がお持ちでしょうが、エルアーデの場合はそれがいちおう文化的に先進国であると自他ともに考えていた白哲の欧州男と亜細亜的後進周縁国の僻地に住む異文化の女性という異色の組み合わせでした。

衣食住も思想も風土も風習も宗教もすべてが面白いくらいに異なる2人が、おそらくはその違いゆえにどんどん惹かれあっていき、周囲の懸念や反発をものともせずに愛し合うありさまはよくあるタイプの初恋物語ではありますが、その文章がおそろしく事実に忠実に、青春の情熱と愉楽の限りを刻印しているために読者はぐんぐん引き込まれて、あれよあれよという間に、お決まりの悲劇的なラストまで付き合わされてしまいます。

21歳と17歳の若者の激烈な恋愛とその蹉跌が主人公たちのその後の生涯にどのような影響を及ぼしたのでしょうか。燃えるような、狂うような恋をした2人は、それから43年の後に1973年シカゴで再会したそうですが、いったいそこでどのような対話が交わされたのでしょうか。エルアーデが1933年に書いた本書に応えるように、マイトレイは1976年に「愛は死なず」を世に出したと聞くと、こちらもあわせて読み比べてみたくなりますね。

♪ひとたびは燃えつき果てた恋なれど43年目に燃え上がるかな 茫洋