鎌倉ちょっと不思議な物語第199回&♪音楽千夜一夜第68回
忙中閑あり。久しぶりに鎌倉交響楽団の第93回定期演奏会に駆けつけました。土曜のマチネーですから間違いなくゆったりした気分で楽しめるはずです。
前回はマーラーの5番の感動的な熱演で、私の心胆を文字通り震撼させたこのオーケストラだけにいやがうえにも期待が膨らみます。
今回の選曲は、最初がチャイコフスキーの「スラブ行進曲」、次がラフマニノフの「パガニーニの主催による変奏曲」、最後がショスタコーヴィッチの「交響曲第5番二短調」というロシア物で、しかも制作年代順に統一されています。なかなか味のあるプログラム・ビルディングといえましょう。
まず冒頭は、私が愛してやまない「鎌倉市歌」。その湘南の海と山と空を思わせる伸びやかな旋律と穏やかなハーモニーがいいしれぬ郷愁を誘います。
以前はこの名曲を演奏しても誰も拍手しなかったのですが、たった独り私が喝采するようになってから、多くの聴衆もこれに準ずるようになってきたようでまことに慶賀にタエマセン。じつはいま恥ずかしながらネットで検索してはじめて気づいたのですが、作詞の大木淳夫もすごいけれど、作曲はなんと、なんと寡作の天才矢代秋雄だったとは!
私の耳もまんざらではないと、ひそかにうぬぼれているところです。
http://www.kamakura-faq.jp/faq/attachment/698_2.pdf
それはさておき、正式の曲目に入って最初の「スラブ行進曲」は駄曲の凡演。「1815」と肩を並べる、あの大作曲家にしては出来の悪い、ただうるさいだけの下らない曲をブラスバンドのように力奏させるものですから、耳が痛くてかなわない。
中西というかつての三流市長が、中西という身内のクラシック好きの作詞家と(金銭的に)つるんでおっ建てたこの鎌倉芸術館は、私が座っている三階席で聴くと金管楽器の強奏がドンシャリになって耳を聾せんばかりに直撃するのです。
音響火事場地獄がやっと終わると、今度は難曲として定評のあるラフマニノフの「パガニーニ変奏曲」ですが、これも指揮者(山上純司)とピアニスト(土田定克)とオケが、三位一体どころかバラバラ状態。どこがどう悪いのか私にはわかりませんでしたが、例のNHKの「希望演奏会」のテーマ音楽に使われた、甘美で、浪漫的な変奏の箇所をのぞいて、残念ながらどうもしっくりきませんでした。
もっともこれは演奏家のせいではなくて、作曲家のせいかもしれません。ラフマニノフの原曲がこれほど支離滅裂で神経衰弱的なものであることを今回の演奏は赤裸々に暴きだしたともいえそうです。
やれやれ今日の籤は大外れだったかいな、と失望落胆していた私をいっきに別世界へ拉致したのは、あにはからんやショスタコーヴィッチでした。
ショスタの5番は、やれスターリンに膝を屈したあかしの曲だの、いやいや陰にこもった反社会主義魂の曲だとか、作曲者の苦労も知らずに外野席が喧しい、いわば「音楽に政治が4の字固めに絡んだいわくつきの問題作」ですが、今回の演奏はそうした不純物やいわく因縁をことごとくぬぐい去り、天才ショスタコーヴィッチの音楽の正真正銘の深さと凄さを徹底的に掘り下げて、「どうだ!」とばかりに私たち聴衆に差し出した素晴らしい音楽のご馳走でした。
第1楽章モデラートアレグロ・ノン・トロッポにおける管弦楽の憂愁と悲愴、第2楽章アレグレットにおける弦と管、管と管、管とオケとの協奏の粋と秘術を尽くしたあえかな美しさとはかなさ、第3楽章ラルゴの透明な自己喪失、そしてアレグロ・ノン・トロッポの最終楽章における、こうであるほかはない自己解体と全世界への哄笑!
私のこのような哀れな言葉では到底表現できない、とても知的で、繊細で、しかも情感豊かな音楽を、またしても鎌倉交響楽団は山上純司という若い指揮者とやってのけたのです!
そしてその演奏の新しさは、かつて私がカーネギーホールで聴いたゲオルグ・ショルティとシカゴ交響楽団のそれをあざやかに抜き去るものでした。
♪ショスタコこけつまろびつ愛しけやしもいちど聴きたしチュウチュウ蛸かいな 茫洋
書評サイト→http://www.bk1.jp/contents/shohyou/retuden181
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