Sunday, July 19, 2009

吉村昭著「生麦事件」を読んで

照る日曇る日第273回

文久2年1862年8月、生麦でイギリス人3名を切って捨てた島津久光の薩摩藩でしたが、その一年後にはどのように鮮やかな変身を遂げたか。これが本書のテーマといえるでしょう。

翌年7月の薩英戦争に敗北した薩摩藩は、その敗戦の原因が前近代的な軍備にあることをさとり、それまでのかたくなな攘夷の旗印を取り下げ、いっきに親英派に転向していくのですが、その奇妙な道行を、この作者ならではの周到な追跡取材によって綿密に跡付けていきます。

それにしても、一敗地に塗れた当の敵国に対して、軍艦の買い入れを和平の条件に挙げるとは、なんと人を食った交渉人でしょう。歴史上名高い大久保、西郷、小松などの才人のほかにも、この西南の雄藩には重野厚之丞という豪胆な外交官がいたのです。

脳裏の主観だけに依拠した尊王攘夷のイデオロギーを一夜にして打ち砕いたものは、最新鋭の戦艦とアームストロング砲の威力でした。

最後まで観念にとらわれて幕末の政治決戦にさしたる貢献ができなかった水戸藩とは対照的に、いち早く冷徹な現実の厳しさにめざめ、機敏な自己回転を完遂して政治権力のヘゲモニーを確立した薩摩藩でしたが、その15年後にはふたたび守旧的な武士道イデオロギーの泥沼に足を取られて、あにはからんやそれまでかれらが総力を挙げて戦ってきた徳川幕府の古典的理念に殉じることになるのですが、これを歴史の皮肉といわずになんと呼べばいいのでしょう。

♪香取草之助てふ表札ありさぞや風流な人ならむ 茫洋

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